黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

「鎌倉殿」伊豆の国市に行きたい

拾い物だった「青天を衝け」

 2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が始まった。

 その前に、たったの41回で終わってしまって冷遇された感の拭えない前年の「青天を衝け」は、期待以上の面白さで楽しませてくれた拾い物だった。今や、渋沢栄一の名は全国に知れ渡っただろう。1万円札になるのも当たり前だね、と渋沢の超人・偉人ぶりを見て多くの人が思っただろう。

 その90年の人生を、若い頃を中心にコンパクトにまとめて見せてもらったのだったが、壮年期以降ももっとじっくり見たかった。

 「愉快に働け」「仁者に敵なし」等々、さすがに心に残った名言も多かった。きっと大河ドラマ館的な物は終わってしまっただろうけれど、コロナが落ち着いたら王子や深谷もゆっくり行ってみたいものだ。

 そうそう、板橋にも渋沢の大きな銅像があった。旧東京養育院の敷地内に建てられたものだったとは、昔見た時には「なぜここに?」と思うばかりだったので、今回ドラマで謎が解けた。また行ってみたい。

 栄一の静岡藩での活躍や、子どもたち含む家族の話など、もっと掘り下げていたらさらに面白かっただろう部分が確実にあったので、本当はオリパラで削られた分をNHKには何とか手当してほしかった。大森美香さんには、ぜひとも大河ドラマの脚本をまた書いてほしい。

待望の「鎌倉殿の13人」始まる

 さて、「新選組!」「真田丸」ファンの私としては、やっぱり「やった~鎌倉殿が始まった」という喜びは大きい。

 同時代を描いた「草燃える」も懐かしいが、1979年放送というから43年も昔。(えー!)政子の描写に納得できなかったおぼえがあるが、三谷幸喜さんなら当時とは異なった視点で、軽やかにドロドロとした世界を描いてくれるのではないか。

 北条義時を「草燃える」で演じていた松平健が今作では平清盛なんだとか・・・それも楽しみだ。

 冒頭で、馬で逃げる主人公・北条小四郎義時と、タンデムしていた源(元・右兵衛権佐(うひょうえのごんのすけ殿)頼朝・・・というか、冒頭シーンでは姫に見えた訳だけれど、とにかく馬での逃走劇というのは、そのまんま「真田丸」初回での源次郎が徳川方に追われてのシーンのように見えてしまった。

 必死になって逃げる若き日の主人公。無力な存在だったが後には・・・的なのは、確かにドラマチック。そんな描写が三谷さんは好きなのかな?

 先ほど、「青天を衝け」関係の王子や深谷に行きたいと書いたけれど、ドラマの舞台になった歴史的な場所には足を運びたがる癖があり、当然ながら今は静岡県伊豆の国市や神奈川県鎌倉市にも、機会があればまた行きたいと思っている。

何度か温泉に訪問、伊豆の国市

 実は、鎌倉もそうだけれど、伊豆の国市にある関連の旧跡には、何度か訪れたことがある。最後に行ったのはいつだったか・・・ペットOKの温泉宿があり、愛猫というか息子クロスケが元気だった頃、息子の一番のお気に入りだったのだ。

fukuriteiogawaya.com

 他の温泉施設にも泊まりに行ったけれど、息子の意見(?)優先でそこばかり行くようになっていた。

 ホテル設備はそんなに新しいものではないけれど、お掃除が行き届いていた。猫がテレビの裏に入ってしまっても、埃だらけにならない。温泉のお湯も食事も気に入ったし、部屋食OKも猫連れには助かって、行けば連泊、気が向くと何泊もした年もあった。

 人間もリラックスしていたが、クロスケも、かなり神経質な猫なのに、来るたびに到着時から笑えるほどゆったりリラックスしていた。

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 他の宿ではイライラして落ち着かず、夜に寝ないこともあったのに、この宿では、たまに隣室の犬の鳴き声が少々聞こえてくることもあったものの、気にせずよく寝ていた。何がそうさせたのだろう。

 この伊豆の国市の温泉宿に行くときは、猫と家族は宿に残ってのんびりし、私は蛭ケ小島やら願成就院やら、政子の産湯の井戸やら韮山城やら、周辺の源氏・北条氏関連などの史跡を見て歩くのが常だった。砂ぼこりをかぶって延々と道路を歩き、義時夫妻の墓参りに北條寺にもお邪魔した。

 帰り際には仲居さんがたくさんイチゴを買って来てくれて、家でジャムを作ったこともあった。教えてくれた「江間ロール」というロールケーキもお土産に買って帰った。

 この「江間」は、義時の別名「江間小四郎」の江間なんだな・・・と思いながらお店の周囲を眺めた。

守山八幡では鹿とバッタリ

 印象的だったのは、願成就院や北条氏邸跡の近くにあった守山八幡。ここで源頼朝は源氏再興を祈願して挙兵したと聞いていたので絶対に行こうと意気込んで鳥居をくぐり、本殿への長い階段を上った。

 緑の中、人は誰もいなかったけれどハッと視線を感じて階段から目を上げると、野生の鹿が2頭、左前方の階段横の茂みから真っ直ぐ私を見つめていた。階段から数メートルと近い。

 2頭の黒目がキラキラして見えた。「邪魔しちゃってごめん、お参りしたらすぐに帰るからね」と鹿に言い、そのままグングンとスピードを上げて階段を上り本殿へ。祈りを捧げた帰りには、もう鹿の姿は消えていた。

 神鹿、という言葉が浮かび、本当に神の使いの鹿に会えたのかもなあと思った。また行ったら会えるのだろうか。

 息子クロスケの喜ぶ伊豆の国市。クロスケを天国にお返ししてからは1度も行っていない。と言うか、コロナ禍で行けなくなってしまった。あのお宿が今も存続しているといいなあ。撮影チームが逗留していたかな?

 「鎌倉殿」のできれば放送中に、伊豆の国市にはまた行きたいものだ。亡き息子の思い出と共に、温泉に浸りたい。

「カムカム」憎まれ役のベリー!憎めない

年末年始はスイーツ三昧

 新年が明け、早くも成人の日がらみの3連休だ。昨年末には猫友さんからスイーツをどっさりいただき(差し上げた書籍のお礼だと言うのだけど、まるでクリスマスプレゼントのように盛沢山)、あれこれをほのぼのと嬉しく食べながら年末年始を過ごすことができた。

 段ボール箱で届いたスイーツは、なんでこんなに私の好きな物ばかり・・・と驚くくらいのセレクションで、つまり、私は普段から会話の端々に好みの食べ物を駄々洩れさせているらしい。自分の口が信用ならないけど、とにかくありがとうございます!

 その最後の虎屋の羊羹をさっき食べ終えてしまった。元気をもらったところで、前回書いた「鎌倉殿の13人」も9日には始まってしまうのだし、第二部に突入している朝ドラ「カムカムエヴリバディ」についてちょっと書いておきたい。

さすがの深津絵里

 絶賛を呼んでいる深津絵里の登場。確かに十代の娘に見える初々しさに、彼女がアラフィフだと聞いて改めて驚いた。相手役とみられるオダギリジョーも、実年齢は彼女とあまり変わらないというから、ふたりともすごい。ちゃんと若者の物語として見られる。

 3人のヒロインのうち、二代目の深津絵里だけはオーディションではなくて最初から制作側からのオファーで演じているとか。深津絵里の朝ドラ演技が「すごい」と称讃される訳 | テレビ | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net)

 アラフィフでも若くて透明感があって・・・といった点だけで考えれば石田ゆり子も行けたかもとは思わないでもない。けれど、あの昭和感が出せて、ぎくしゃく影を引きずって生きづらくしている感じを出せて、しっかりヒロインの女優さんが彼女の他にいるかな・・・と考えると、ちょっと思いつかない。さすがの深津絵里だ。

 この「カムカムエヴリバディ」は、ヒロインは3人いると言っても実は主役は2代目なのではないだろうか。2代目の彼女を描くために、前振りで戦時を生きて渡米した母としての初代、そして2代目が母として生きる姿を描くための娘を3代目ヒロインとして登場させる、という仕組みなのではないか。

 となると、ようやく物語の本編が始まったのか? 第一部の終わり方が悲惨で見ていられなかったから、頼みますよ。

 朝ドラで悲惨と言えばの「純と愛」。主演の夏菜が精神を病みそうなくらいだったらしい悲運が次から次へとヒロインに降りかかり、家族も頼りにならず、黒木華が演じていた友達も、友達の皮をかぶった敵であるいわゆるフレネミーだった。上司の吉田羊がかっこよかったけれど。

 脚本家は、東日本大震災の後だったからか(たぶん)、不幸続きでも笑顔ですべて跳ね返すヒロインをイメージしていたように聞いた。感情はどこにあるのか、そんなサイボーグのように無敵な人物像は人間として全く現実離れしている。

 とうとう夏菜は現場で立てこもって「こんなの無理だ」と泣いたらしいし、父親役の武田鉄矢も「あんなに難しい役、仕方ない」と言ってたのを後日テレビで見た。

 その時に相手役だった「愛くん」を演じていたのは、今作では弁護士の卵役で出てきた風間俊介だった。「純と愛」最終回では意識不明というか、全身マヒ状態になっていたような?あれは悲惨な終幕だった。

 風間俊介が出てくるまでもなく、「純と愛」を思い出させ凌ぐような第一部の安子の不幸の連鎖。朝ドラでは厳しすぎた。

宇宙人的なのは「るい」の方

 そうまでして2代目ヒロインに影を背負わせたかったのだろうが・・・やっぱり「るい」は安子に似ている。親子だから、というのではなく、「ちりとてちん」のヒロインB子にも似ている。つまり、脚本家・藤本有紀が思い描く「かわいらしいヒロイン」というのは、こうした、どこか抜けた天然のぶきっちょさんなんだろうか。

 その天然ヒロインが、「なんで?なんで?」と社会でもがく様がドラマになっていくというのもあるだろう。常識にとらわれない天然の人物の方が、実際にも社会で何かを成し遂げていきやすい、まさにヒーロー・ヒロインとして光を放っている場合もあるような気も、私はしている。

 しかし、安子の場合は努力の方向がとんちんかんだと先日書いたのだけれど、その片鱗を娘のるいに見たのが、るいがオダギリジョー演じる「宇宙人」が持ち込んだ大量の洗濯物に本当に「宇宙人」と赤い糸で刺しゅうをしてしまったシーンだった。

 当時は、クリーニング屋さんがそうやって顧客の服に名前を入れて、服の持ち主を判別できるようにしていたそうだ。その頃は名前を聞きそびれていたので、まだ物語の中では「るい」はオダギリジョーが演じる人物の名前が分からなかった。

 それも、ああだこうだと余計な想像を膨らませたりしていて名前などを聞きそびれているのだから(それも2回も)、ちゃんと集中して仕事しよう!と言いたくなった。 

 そして、城田優が「She secretly named him 'an alien'」 みたいなナレーションを入れていたように思ったが、どこが「secretly」なのかと噴き出してしまった。だって、心で思っているレベルでなく誰からも読めるように刺繡をしてしまった訳だから、もう全然こっそりにはなってない。

 それをいたずらでも何でもなく、大真面目にやっちゃう「るい」。すごいな・・・ぶっ飛んでいる。現実に、職場の同僚でいたら真っ青、伝説になりそうだ。空恐ろしい。さすが安子の娘だ。

 当然、クリーニングやアイロンの段階で刺繡に気づかれて、竹村店主夫妻のどちらかに「あのね、るいちゃん。お客様の服に、いたずらなんてしちゃいけないよ」とキッチリお叱りを受けてしかるべき。

 ところが、その段階ではドラマでは何も起こらない。

 竹村夫妻のどちらもが「かわいい、健気」とばかり「るい」のことを思っているらしくて、悪気なく「宇宙人」などと刺繍してしまう、とんでもないことを悪意無くしでかす人間だと評価しないまま話は進む。

 この点は引っかかった。まあ、そこはコメディなんだろう。

 てっきり、るいの後始末を店主の妻の和子さん(濱田マリ)がするのか、怒られた「るい」が刺繍を入れ直す場面があるのかと思ったが、そんなところはない。

 ただ、服を引き渡すときに「宇宙人」の刺繍がお客さんのジョーに見つかって、るいは「記号」だととぼける。そして、彼の「感性」のおかげで単に「るい」の心の声でほっこり笑えるシーンで終わり、るいが自分の手で刺繡を「ジョー」に直すのだった。

 (ふーん・・・(;^ω^) 宇宙人は「るい」だよなあ・・・)と思ったのは私だけだろうか?

 もし、るいが「宇宙人」の刺繍について竹村夫妻に怒られていたとしたら、と考えると・・・るいは(怖え人じゃあ)と相手に思い、(なんで?なんで?こんなにたくさんの枚数、私は頑張って画数の多い「宇宙人」を刺繍したのに)みたいに心の中で受け止めて、ひとりで落ち込んでダンマリが続く人のような気がする。

 だとすると、立派なpassive aggression=PA だろう。注意した側が(言い過ぎたかな)と心苦しく思うような受動的攻撃。明らかに注意をする方は間違っていないのだが・・・ここまでは想像だ。

 もちろん、そうでなければいい。ただ、ジョーの演奏の途中で自分の気持ち優先で派手に出て行っただけでなく、ジョーに対して「あなたのせいで、思い出したくないものを思い出してしまった。余計なことを、忘れたかったのに」と自分の内心でのイベントについて他者を責めてしまえる人ではある。

 そんなの知らんがな、と言いたくなる。

 また、そもそも額の傷の治療を頑なに拒んでおきながら、傷に気づいた周囲の人間に「見てしまって悪いことをした」と思わせるような素振りをすることで自責感をなすりつける、他人を悪者にする癖のあるPAヒロインとしての描かれ方だから、気になる。

 額って・・・誰でも簡単に気づきますよ。そのたびに「見ないで!」といった風に振る舞われたらねえ・・・そんなに見られたくないなら、ハチマキでも巻いておいたらどうだろう。るいの手術への抵抗も、まさにとんちんかんだった安子のようだ。

憎まれ役のベリー登場

 そんなPAヒロインの香り漂う「るい」を悪者にしないために、配されているのは「かわいいかわいい」と無条件でベタかわいがりする竹村夫妻と、正に絵に描いたようなはっきりとした憎まれ役のベリーだ。ベリーはあからさまに憎まれ口を連発していて、おかげで「るい」の危うさが誤魔化されている。

 貧乏人、クリーニング屋の娘、場末の音楽家の娘、田舎者・・・思い出せるだけでもこれだけのレッテルを、ベリーは短時間で総動員して「るい」に貼っていた。焦っている証拠。急にジョーが気に入っているらしい、「ライバル」と思しき女の子が現れたせいで、子どもっぽく分かりやすい素直な攻撃の数々を繰り出している格好だ。

 悪い人ではないし、宇宙人でもないとわかる。ただ、子ども。典型的な憎まれキャラだけれども、私は彼女みたいなのは嫌いにはなれない。ヒロインの横にいて、彼女の思いはたぶん報われないのだなあと思うと、かわいそうになるキャラだ。

 ベリーは「ええとこの人」として育った「るい」に対して、そういう人間にはそれなりの苦労があるんだ、わからないのか?といった説教までしていて、るいは「勉強になります」と返す。

 視聴者は(ベリー、るいの育ちを知らないのはあなたの方だよね)と考える仕掛けだ。後から「るい」の正体を知って、「やられたー!」とベリーが思わされるシーンが用意されているのかな? 世事に通じ勘の良いトミーが、既に「雉真繊維のお嬢さんだ」と正解にたどり着いていたので、ジョーだけでなくベリーに対しても「るい」の正体を明かす役回りも担いそうだ。

 それで、るいに対して一生懸命マウンティングを仕掛けて追い払おうとしていたのに鼻をへし折られた形になるだろうベリーだけれど、単なる悪役では終わらず、ジョーの気持ちを知って「るい」を応援する側にさっぱりと回りそうな予感もする。単純だから。後々は、るいの良い友達になるのではないか?

 ・・・ここまで想像して、深津絵里は好きでもあまり「るい」には感情移入できそうもないので、今後はベリーに注目していこうかと思う。果たして、ベリーは「るい」のPA攻撃の餌食になるのか❗️ そうそう、「ラジオ英語」もドラマの中から消えたままなので、そちらも待ってみたい。

(敬称略)

個人的にも気になる「鎌倉殿の13人」

お題「気になる番組」

  はてなブログの「お題スロット」というものをチェックしてみたら、出てきたのが「気になる番組」とのこと。

 振り返ってみると物心ついて以来、毎年のように見てきた番組がNHK大河ドラマ。今年はさらに、あの「真田丸」を執筆した三谷幸喜さんが脚本を書いている。大ファンだ。それだけで絶対見る。

 ということで、来る日曜日に初回を迎える「鎌倉殿の13人」は気になる。目下、一番気になっているのはこの番組だ。

 鎌倉に所要があり出かけた際、思いのほか時間が余ってしまったので初代「鎌倉殿」である源頼朝の墓地を訪ねてみたことがある。一昨年の話だった。

 すぐそばに、今回の大河ドラマの主人公・北条義時をも支えることになる大江広元の墓もあったのは意外だった。広元は「13人」のうちの1人だったと思う。

 時間の関係で頼朝の墓だけにお参りするのみで帰ってきてしまったのはもったいなかったが、大江広元の四男・季光(すえみつ)が初代の毛利氏となる人物で、その子孫が戦国時代に中国地方で覇を唱えた毛利元就だ。

 毛利氏の長州藩はご存知のように江戸時代も生き抜き、長州藩は討幕の先頭に立った。そして、端も端なのかもしれないが、夫にも毛利の血が流れているらしい。

 それで、うちにとっては注目の大江広元なのだ。「鎌倉殿の13人」では、栗原英雄さんが演じる。「真田丸」では、あの源次郎が憧れるカッコいい「叔父上」を演じた俳優さんだ。

 さすがに、鎌倉にある大江広元の墓は代々の毛利家が整備したとのことで、きちんとしているとか。毛利季光は、妻の兄である三浦泰村に味方をして宝治合戦で命を落としているが、大江広元の墓の隣には子の毛利季光の墓もあるそうだ。

 今度、改めて夫と行ってみたい。

 そして、なぜかそこには島津家の祖である人物の墓も並んであるらしい。ここで既に薩長同盟が? 不思議なこともあるものだ・・・。

「カムカム」安子編が終わったが

初代は、応援しにくいヒロインになってしまった

 NHK朝ドラ「カムカムエヴリバディ」が、二代目ヒロインの深津絵里が演じる「るい編」に入った。Twitter等ネットを見ると、阿鼻叫喚というか・・・初代ヒロインの「安子編」の終わり方に納得していない人が多いような気がする。それは私もだ。

 (あれ?朝ドラ見てたんだよね、昼ドラじゃなくて?)と思わされた安子編ラストの12/22。いつの間にか「犬神家の一族」チックなおどろおどろしさまでチラ見えして・・・これ、朝ドラで良いんですか?小さいお子さんたちも見てましたよね?

 びっくりしたのは、これまで安子を陰ながら守ってきた「いい奴」「純愛」の勇ちゃんが、ダークキャラにいきなり堕とされたこと。まさか、女中さんを人とも思わない悪人が勇ちゃんの正体で、そんな奴があの両親と兄を持つ家庭で育ったとは。とても唐突な変身だった。

 勇ちゃんを演じている中の人も、いきなり悪人にされて、やってられないのでは。こういう、周りの人間を貶めてヒロインを持ち上げるやり口は、好きになれない。「やっぱり安子はアメリカに行って良かったよ」と言わせたいがための、勇ちゃんの転落に見えた。

 前の朝ドラ「おかえりモネ」で、不器用だけれど誠実な菅モネの恋愛模様を含む丁寧な心理描写を見せられた後なので、ジェットコースター的に進む今作の100年の物語には、振り落とされ気味だ。

 ただ、時間経過がスピーディなのだとしても、ひとりひとりのキャラクターが記号的なコマのように見えてしまうし、話運びに無理やり感が残る。伏線を仕込むつもりであえて描かないだけなのか?うーん。

 そして、初代ヒロインの安子。きぬちゃんや吉右衛門ちゃんのように、一を聞いて十を知りヒロインを助ける便利なキャラがいるかと思うと、その対比なのかとは思うけれども、安子は、かなり抜けている。

 他人の感情へのアンテナが立っていないところに頑固さが加わり、そのせいで「すれ違って」不幸が連鎖していく様を見ていると、正に彼女の自業自得に見えてきてしまい、誠に応援しにくいヒロインに転がり落ちたものだと思う。

 安子はあれだけ「るいは私の命」とか「るいが一番大事」「るいが私の幸せ」と公言しているのに、たちばなの店再建や兄の算太を探すほどの情熱を注いで、るいの誤解を解くようになぜ努めないのか?と思わされる。

 小さいからわからないとでも?「お母さんは、算太おじさんがいなくなったから探しに行かなきゃいけない」と、大阪に行く前にちゃんとるいに伝えたらよかったね、安子。その後も、るいを残して何日も家を空けるなんて・・・。

 SNSで多くのママたちが指摘していたように、安子は、何か言ってること(=るいが一番大事)と努力する方向がズレていてとんちんかん。

 「るいの額の傷を、雉真家に頼らず自分の稼ぎで治す!」と誰も喜ばない頑なさを発揮した結果が、るいを放っておはぎを売り歩くことになったり、それがいつの間にか店再建へとベクトルが向いていったり。大阪に行ったのも、算太が心配というよりもお金を持ち逃げされたことが諦められなかったのか?それで、るいの入学式にも気絶して間に合わなかった。

 気を失って倒れるのも3度目だ。仏の顔も3度、芸が無い。キャパオーバーで倒れること3度目ともなると、ヒロインなんだけれどあまり同情できない。(突っ走る前に己を知りましょうよ、大人なんだから)(倒れた後、様々な後始末の世話をする人の迷惑を考えてますか)と、心の中で考えてしまう。

 挙句、SNS上で「母親がたった1度娘に嫌いと言われたからって、娘を置いてアメリカに渡ることなどあるか、あまりに短絡的」と指摘されるありさま。ロバートからの「I love you」があった上に、るいからの「 I hate you 」が決定打となって安子を渡米させたと言いたいようだけれど、納得には程遠かった。

 勇ちゃんが12/23に言ったように「よほどのことがあった」と感じた視聴者は多かったのか、そうでもなかったのか。ドラマ制作の現場に、リアルな子育てをしているママさんの声は生かされていたのか。「ママ嫌い!、ハイハイ、てな感じで毎日のようにスルーしてますよ、ハハハ!」なんて話は聞いたことが無かったのか。

 前に、「稔さんアメリカで生存説」を書いたけれど、その方がマシじゃなかったかなあ?なんて。

toyamona.hatenablog.com

 まあ、あの抜けてて努力の方向がとんちんかんな安子だからもういっぱいいっぱい、だから渡米決断も仕方ない・・・と理解しましょう、ということか。だとしたら、キャラへの愛があまり感じられない。

 成長したるいに、安子が会い、汚名返上できる場面は今後あるのだろうか?ぜひ、そうであってほしい。その時には、上白石萌音に作りが似ている宮崎美子が演じるのはいかがだろう。

 同じヒロイン三代を描くドラマでも、松嶋菜々子主演の橋田壽賀子作「百年の物語」は心に響くものがあったなあと、今ふと思い出した。たぶんTBSで放送した。現代の私からは理解できない描写もあったけれど(ヒロイン自立の象徴として堕胎を描いた点)、それぞれの時代をキャラが懸命に生きたと感じる感動作だった。

 ここまで、「カムカムエヴリバディ」の初代ヒロイン安子が不幸の連鎖を自らの自業自得で引き寄せるような造形で良いのか?と考えてきたけれど、そうか、それで良いのかもしれない。これで初代ヒロインを視聴者が疎ましく思って、二代目ヒロインにスムーズに感情移入して物語を見続けることができれば・・・できるかなあ。

 そのための、満を持しての深津絵里の投入なのかな。

(敬称略)

息子のヒーターにお別れ

ヒーター売る日 亡き猫のぬくもりよ

 先日、寒くなって、とうとう冬布団を納戸から出した。その時に、保管用の袋を掛けてしまってあったオイルヒーターが目に留まった。

 小さい、ミニサイズのデロンギ。病床にあった息子の傍らで、寒い冬に良く働いてくれた。どこでバッタリ横になってもいいようにと納戸内にも3つ設えた息子用ベッドの1つは、そのヒーターの真横にあったので、寒さが増すにつれ、息子はそのヒーター横のベッドで寝ることが多くなった。

 オイルヒーターはいい。陽だまりのようにポカポカで、サーモスタットもタイマーも温度管理には便利。猫の息子にも安心だった。

 ヒーターに寄って寝ている息子は、フワフワ度が増していくようだった。まさに陽だまりのような香ばしい匂いを発散させて、息子の癌発病という事実さえ忘れてしまえば、まさに家族の幸せの一瞬だった。

 ヒーターに寄って寝る猫ふわふわふわ・・・傍にいるこちらまでフワーっと気持ちが緩み、笑顔になった。

 そのデロンギは半ば息子専用になっていたから、今になって目にすれば、どうしても息子の生前の寝姿が浮かんでくる。横になりながら、じっと私の目を見返していた息子。「もう喋れるんでしょ?喋っちゃいなよ」と何度も話しかける猫バカに(何を言っているんだよー)と言いたげだった。

 この息子との思い出のオイルヒーターを、断捨離の一環で手放すことにした。

 もう使う主がいなくなって2年近くが経つ。納戸にしまいっぱなしにするのもどうなのか、どなたかが使ってくれるならその方が良いだろうと家族と話し、メルカリに出すことになった。

 ありがとうね、よく働いてくれたね、と心の中でお礼を言いながらヒーターの埃を払い、拭き掃除。コットンの保管用カバーは洗濯してアイロンをかけた。

 ヒーターを入れる箱も、本来の物ではなかったが、段ボール箱にさらに補強をして準備。粒が大きめのしっかり目のプチプチで本体を覆い、果物に付いていた緩衝材を足に巻き、箱の中で揺れないように空気のパックみたいなのをいくつも入れて・・・。

 息子の思い出のヒーターを手放すにあたり、自分なりに考えられる「装備」はしたつもりだった。

 買い手はすぐに見つかった。嬉しいことに、やはりペットを可愛がっている人だと後で知った。

スーパーすばらしい購入者

 重いのでピックアップしてもらう選択肢を選んだので、配送業者がすぐに来てヒーターを持っていった。渡された控えには「精密機械」「オイルヒーター」と記されていたので、それなりにちゃんと扱って運んでくれるだろうから安心だと思った。

 先方へは発送通知と「無事に届きますように」のメッセージを送った。

 今更よくできているなと思うけれど、メルカリも発送した荷物がどこにあるのかがわかる。送り出した翌日の夕方には、購入者のもとへと配達が完了していることが画面で分かった。

 でも、購入者からの反応は夜になっても無かった。嫌な予感・・・どうなったのだろう? そこで、発送から翌々日の朝、思い切って「無事に届いていますか?」とメッセージを送ってみた。

 午後になって先方から返事があった。思った通りの可愛い形で満足していること、しっかり梱包もしていただいて・・・まではホッとする内容だったが、続けて書いてあったのは「たぶん配送中に足の部分が割れて、本体も歪んでいた」とショックな内容だった。

 (息子のヒーターが・・・壊れちゃったのか。なぜ?ずっと手元に置いておけばよかったかな)と一瞬にして息子にも申し訳なく思い、壊れて戻ってくるヒーターの姿を想像してメルカリに出したことを後悔した。

 が、先方からのメッセージを読み進めると、割れた足にはアロンアルフアを使い、歪んだ本体は分解して、なんとご自身の手で修理してしまったという。性能に問題はないし配送業者の問題だから気にしないで、とおっしゃる。

 す、すごい・・・あっという間に修理してしまうって・・・簡単にはできないはず。私なら、修理すると言ってもアロンアルフアで足を付けるまでしか考えられない。本体を分解するなんて、文系の私はやってみようと考えもしないし、やり方も分からない。

 想定外のことで、とにかく感心してしまった。それで配達完了から返事までにほぼ丸1日のタイムラグがあったのか、とも合点がいった。

 さらに、メッセージのやり取りの中で、破損は配送業者の問題で梱包は丁寧だったから気にしなくていいと繰り返し、気に入ったから大切に使うと書いてくれた先方の思いやりにも、とても感服した。

 私だったら、配送業者の責任を問うためにメルカリに連絡することも考えるだろうなあ。でも、そうすると、取引はどうなってしまうのだろう。出品者に返品されることになるのか? そうすると、色々と面倒になりそう。

 それを回避する、先方が繰り出したウルトラCが「自主的に修理」という大技だった。亡き息子が「この人だったら優しいから、僕のヒーターを譲ってもいいよ」と選んでくれたのだろうか。

 あのヒーターも、今頃は新たな場所で、ペットと飼い主さんをホカホカに暖めているのだろう。やはり、ぐずぐずといつまでも納戸に入れておくよりもお譲りして良かった。そうだよね、息子。

「カムカムエヴリバディ」安子、英語がうますぎる

ロバートと再婚か or 稔さん生存の夢想

 NHK朝ドラ「カムカムエヴリバディ」で、とうとう米軍のロバート・ローズウッドが先週登場した。公式サイトの登場人物紹介でも最後だけれどちゃんと出ていたから、ただ者ではないことはわかっていたけれど、そうか・・・。

 写真をまず見て思ったのが、稔さんと面差しが似ていませんか?ということ。何となく、作りが似てますよね?

 それで、ロバートが若くして妻を亡くしているという設定を知り、ああもう、やっぱりそうなのか・・・と思った。それも、安子と写し鏡のよう。

 日本に来た運命は上官命令のせいじゃなく、妻の差し金だと言っていたし、安子の場合も稔さんが居なければ英語と出会うこともなかったでしょ?と。今日(14日)の放送でも、英語の勉強を続けて、どこか思いもよらぬところに連れて行ってくれますよ的なことを・・・意味深な予言だった。

 どう考えても、ロバートは安子の再婚相手だろう。それで安子は娘・るいを置いてアメリカに渡るのだろう。

 でも、何をどうやったら説得力ある渡米理由になるのか、そこら辺はドラマを見て脚本家・藤本有紀さんの腕を楽しみにしたい。

 単に、稔さん似のロバートと恋に落ちるというのだけでは、この短期間に無理じゃないかというか、視聴者が納得できない気がするんだけどな・・・。ただ単にフォーリンラブでは、るい+稔さんへの気持ちの方が勝るのでは?と思うから。

 るいは「雉真の子じゃから」ということでアメリカなんぞには連れていけないだろうし。普通に考えたら、るいを守り育てていくために安子は恋など諦めるだろう。だから、雉真家にいられないような何らかの理由が、安子に出来するのではないだろうか。

 それが、勇ちゃんの恋心に応えられないから・・・というのだったら勇ちゃん、ここまで安子を支えてきたのだから可哀そうだなあ。

 それとも、これは反則かもしれないけれど、実は稔さんがアメリカの地で生きているって設定はどうだろう? それを知らされた安子が、渡米を決意するっていうのなら「そりゃそうだ」「るいちゃん、つらいけどお母さん仕方ないよ」と納得と共に涙できる気がする。

 英語ができる稔さんが、戦闘中にどこかで捕虜になる➡「お、こいつは通訳として使えるな」と通訳をやらされる➡そのうち、機密にも触れてしまった➡日本にこのまま返すわけにはいかなくなる➡アメリカ人として生きるなら、命は助けてやると言われる➡稔さんがアメリカ人に!

 それで、チャンスを得て安子のことも迎えていいと言われるが、るいの誕生は知らないので手続きができなかったから連れて行けない・・・という運びはどうでしょうね!

 まったくの希望的夢想になるかな・・・やっぱり、ロバートとの再婚説が普通かな。

「安子の英語が覚醒しました」

 先週のロバートとの安子の会話はほぼ英語だったが、心情を夢中で吐露する場面での安子の英語!「なんで急に?」と思うほど、上達していた。

 そういえば、ロバートが再度話しかけてきたそもそもの疑問も、どうして安子がそんなに英語ができるのか?だったが、それも頷けるほどのスキルだった。

 不肖私、見事に錆びつかせ放題ではあるものの、これでも30年以上前にアメリカの大学を卒業しており、一応、英語を理解する。安子は最初はおずおずと喋り始め、「The war destroyed everything」ぐらいまではそこそこだったのに、そこからギアがくいっと上がった。それ以降「all the knowledges (that) he acquired」あたりまで「いやいや、うますぎるでしょー」という英語で、思わずそのシーンを聞き直した。

 「土曜スタジオパーク」でも、当の安子役の上白石萌音さんが「安子の英語は覚醒しました」と言っていたので、演じていたご本人もその感覚はお持ちだったようだ。

 いや~、錆びつかせた英語を誇る私としては、涙を流して嗚咽しながらだったら英語にならずに日本語になっちゃうよな・・・ロバートもパニックになると日本語で話せないって言っていた通り。

 安子は思いのほか冷静だったのか? 気持ちを訴えようと一生懸命だったのか。言っている内容はロバートに対して八つ当たり気味で、気になるところもあったけれど。

 うますぎる!と思ったのは私だけではなかったようで、こんな記事を昨日見つけた。

www.sponichi.co.jp

 終戦直後の場面だけに安子の英会話力の高さに違和感を覚える視聴者もいるだろうが、二見氏は「英語指導の先生に聞くと、ラジオ英語講座を毎日聴けば、そのくらいのレベルに達することもあるようだ。このドラマの展開が早いため、『なぜ、安子はこんなにペラペラなのだろう』と思う人がいるかもしれないが、見ていただいている方々もラジオ英語講座を長く聴き続けると、そのくらいになれるかもしれないという希望を込めて演出した」と話す。 

 夢があると言えば、夢がある話・・・「私もラジオ講座を聴こうかな?」と誘引する意図があるのだったら、すごい。私もしてやられて、早速聴いたのがコチラ。

ラジオで!カムカムエヴリバディ

NHKラジオ第2放送:月~水 午前10:30~10:45 再放送:月~水 午後3:45~4:00/土 午後9:00~9:45(3回まとめて)

 NHK+で本編ドラマを見ていたら、その下に「おしらせ 劇中ラジオ講座を主人公たちと一緒に学びませんか?「ラジオで!カムカムエヴリバディ」はこちら」という表示があり、そちらから聴くことができた。

 ちゃんと聴いてみようかな・・・分厚い錆を、少しでも落とせるか。

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公式「否定」なければ民意が食われる

ようやくの方針転換

 天皇家敬宮愛子さまが成年を迎えられた。今朝、テレビで拝見したローブデコルテ姿はお美しかったし、実に大人の表情をされているように見えた。怜悧ながらも温かいお人柄にも見えた。おめでとうございます。

 先日の記事「丸腰の内親王、名誉を守るには - 黒猫の額:ペットロス日記 (hatenablog.com)」の中で、元内親王の小室眞子さんのケースについて、以前『被害者ノート』に書いた報道対応の部分を念頭に、触れてみた。

このネット・SNS時代に、皇族を守る仕組みがあまりに古くて手薄で、お母さんの元婚約者側(に付いた週刊誌)の情報操作に負けた、ということではないか

 報道などについて「反論も否定もしない」という昔ながらの「有名人の有名税」対応では、もう皇族を守るにはあまりに不十分だと、一般人の私の目には見える。

 常に渦中の、まさに衆人環視の人生を送ってきているのだ。そこにSNSやネットでのバッシングもあれば、メンタルをやられない方が難しい気がする。

 上皇后さまの失声症、皇后さまの適応障害愛子さまの拒食症、そして眞子さまPTSDと、傍から見て知られているだけでもこれだけ惨憺たる女性皇族の被害者を出してきた皇室。ようやく、古い「反論も否定もしない」というその方針から、転換がはかられそうなのだと聞く。

 ちょうど先の誕生日会見で秋篠宮さまが言われた中に関連の話があったので、文字起こしをしている媒体から、少し長いけれど引用してみたい。

秋篠宮さま】
いろいろな報道がなされて中にはバッシングと取れるものもあります。

それらのことについて1回ごとに対応しないというのは、記事というのはある一定の長さがあるわけで、その中の一つだけをこれは違うというふうにして、例えば宮内庁のホームページに載せたりとかそういうことをした場合に、それではほかの事柄については全て正確なことですねということになり得ると私は思います。

一方で先ほども少し近いお話をしましたけども、記事の中にはもちろん創作もあれば正確なことを書いていること両方混ざっているわけですね。

一つを採り上げてそれは違うと言うこと、もちろん言うことはできますけれども、そうしたらやっぱり、ここも違うし、これは正確だしというのを全部説明していかないと本当はいけないのではないかなと思うのですね。

ただ、それは大変な労力を費やすと思います。

一方でもし、そういう今言われたような関係の記事に対して反論を出す場合にはですね、何かやはり一定のきちんとした基準を設けてその基準は考えなければいけないわけですけれども、それを超えたときには例えば反論をする、出すとかですね。

何かそういう基準作りをしていく必要が私はあると思います。

今、おっしゃったように今後もこういうことは多分続くでしょう。

その辺も見据えて宮内庁とも相談しながら何かその今言ったような基準であるとかそういうものをですね、考えていくことは私は必要だと思っております。

雑誌やネットでの誹謗中傷「許容できない」 秋篠宮さまの会見全文:朝日新聞デジタル (asahi.com) 2021年11月30日付)

誤報に浸食される民意

 大変失礼ながら・・・軽く考えすぎなのではないだろうか? 何をのんびりしたことをおっしゃるのだろう。あのような、娘の鬼気迫る会見を目の当たりにしたばかりの父の言葉とも思えない。

 誤報の否定は、最低限、皇室のパブリックイメージを守っていくためには欠かせない、大切な仕事だ。

 一般国民は、誤報なのか事実なのか確かめようがなく、真偽が分からず迷う。だから、迅速に×を表示してほしい。これを軽視し疎かにしたままでいれば、正誤が不明なまま放置された民意は、長期的には誤報の側に浸食されていくだろう。

 主権者は国民なのだから、民意が誤報に影響されて皇室から離れていけば、今後の皇室の存続にもかかわることになりかねない。それが心配だ。

機械的に「ちがいます」

 だから、どんなに労力が必要となろうとも、降りかかった誤報の火の粉は丁寧に1つ1つ「ちがいます」と言い続ける必要があると思う。面倒がっている場合ではない。宮内庁に専門の職員を複数人置いて、本腰を入れてきちんとやるべき事柄だろう。

 何も、毎回ご丁寧な説明を加えなくてもいい。とにかく、誤報をまずは否定。誤った報道なりが見つかるたびに機械的に「事実ではない報道等」として、ウェブサイトに片端から掲載していけばいい。

 掲載すべきは年月日、媒体名、見出し、事実ではなかったり誤解を招く部分。オプションとして、必要なら備考で説明を。否定しても誤報が継続するようなら反論。それをやってみたらいいのでは。

 秋篠宮さまが危惧している「それ以外は正確なんですね」と取られる点についても、表の冒頭に断り書きを1行書けば済むことだ。「必ずしもそうではない」「見つかり次第掲載する」と。そんな心配をするよりも、まずはやることだ。

「否定」は国民への情報提供

 こうした「否定」の作業に対して「言論の自由を慮ってやらない方が」などという声が出るようであれば、それは違うと言っておきたい。これは、メディアに対しての敵対行為ではなく、単なる「皇室から国民への情報提供」の一環だ。見ている方向が違う。

 情報は、質の良いものが迅速に出されれば、質の悪い信頼できないものは消えていくものだ。SNS時代だから悪貨も残りがちだとは思うけれども、だからこそ、伝播させる前に迅速に、公式に情報提供することが必要だろう。

 この1つ1つ火の粉を払う行為が手間がかかるのはその通り。でも、それをやらないと、皇族方、特に女性皇族の心の健康は守られないだろう。少なくとも「ちがいます」と公式に情報提供があるだけで、ちょっとは安心できるのではないか。

 私は、同じ世代の紀子さまが心配だ。彼女が心配したであろう通りに、娘は満身創痍で家を出て行った。内親王の結婚なのに、悲しすぎる。

 もう、般若のような表情で(元)内親王が記者会見する姿など見たくもない。結果的に、国民を敵に回してしまったとの指摘もあるくらいだし。

皇室情報の交通整理は宮内庁の仕事、環境づくりを

 あそこまで眞子さんを追い詰めたのは、宮内庁が適時適切に否定するべきをそうしてこなかったからだと、勝手ながら思っている。未だに、週刊誌情報のどの部分が眞子さんの指摘した真実ではない作り話なのかが、私にはわからない。

 秋篠宮さまもそうだけれど、宮内庁も、自分が強い立場でいざとなればご自身で発言できるから想像ができないのだろうか。いや、そんなことはないはず。最悪、皇室から自殺者が出たらどうしようと恐れおののいているはずだ。

 今後も、皇族のお相手がスキャンダルまみれになっても宮内庁が黙ったままでいるようでは、誰も皇族とは結婚したいと思わないだろう。

 「そもそも、スキャンダルにまみれるようなお相手を選ぶからいけない」との声は当然あるだろうけれど、この世の中、聖人君子や神様だけが生きているとは思えない。過ちを犯すから人であり、お相手ともなれば、過去から洗いざらいさらけ出される中で、針小棒大に伝えられることもあるだろう。それに乗じて作り話も。

 国民に対して、皇族が巻き込まれた事がらの情報を整理整頓することは、宮内庁の役目であることは間違いない。彼らがちゃんと仕事をできるように、法規的な環境づくりは待ったなしだ。

朝ドラ「カムカムエヴリバディ」悲劇の第4週でした

脚本は「ちりとてちん」の藤本有紀さん

 NHK朝ドラの「カムカムエヴリバディ」が第4週を終えた。主人公の安子に襲い掛かった不幸の連続に、「戦中・戦後の時期なら、こんな悲劇もあったことか」と想像しつつも、あまりの畳みかけに涙しました😢

 祖父が少し先に亡くなっていたところに、安子は、空襲によって祖母と母を一気に亡くした。母と妻の死に自責の念いっぱいで心身を打ちのめされた父も、心臓発作(?)で急死。その「今わの際」の夢に現れた、出征中の兄。

 父の最期に立ち会った少年の説明を聞きながら、安子が「会えたんじゃ、お父さん、お兄ちゃんに会えたんじゃ」と言ったところを見ると、つまり、あの世から兄が父をお迎えに来たとやっぱり安子も考えたのか? つまり、兄も戦死していると観念していたのかと思うと、暗澹たる気持ちになった。

 こういう一筋縄ではいかない、緻密なジェットコースターが仕掛けられているのが藤本さんの脚本ならではの印象がある。もちろん、それが面白さなのだけれど・・・一家全滅じゃないか。見る側が元気じゃないと、気持ちが痛めつけられて見続けられない感じ。

 確か、母親の実家の小豆農家の家族も、既に亡くなっていたといったセリフを食料買い出しの際に聞いた気がする。安子は、娘のるいと出征した夫の稔以外、縁者がいない存在になったのだ。

 そして、金曜日の今日、稔の戦死が伝えられた。「いじわるせんで、帰ってきて」と安子は思い出の神社に駆け込んで慟哭したが、「あんまり視聴者にいじわるせんで」と私も脚本の藤本さんに言いたくなったな・・・💦

 何気ない日常の幸せを感じさせておきながら不幸に突き落とす仕掛けが、ちょっとどぎつすぎ、あざとすぎませんか? まさに鬼脚本!

 この安子に起きた不幸の連鎖に恐れおののく人が、来週以降、どうやら安子の周りに出現してしまうようで、それがさらに安子の転機と言うか苦労を招くようだ。予告によると、再婚を勧められてしまう。

 はー、しんどいね、安子ちゃん・・・。でもそれがドラマになるんだからね・・・。

 まあ、確かに、ここまでマイナス状態にならないと、安子は雉真家に居続けることになっただろうし、この先のドラマチックな展開に至る説得力に欠ける、ということなんだろう。

 雉真家に居残っても、それはそれで面白いドラマになったと思うんだけれども、藤本さんは「まだまだ!」と生ぬるい展開を許さなかったってことなんだろうな。

 映画「瀬戸内少年野球団」でも描かれたけれど、出征した兄が帰らないとなったら兄嫁が弟と縁づくことはあったらしい。あー、でもそれは家と家の結びつきが重要視されたからであって、安子と稔の婚姻が雉真家からするとイレギュラーなのだから、その線はないか・・・いくら勇ちゃんの恋心があったとしても。

 でも、その線でも面白かったと思うんだけれどなあ。勇ちゃんの気持ちを考えると。その後、事業に関わってお仕事ドラマにするのも「あさが来た」みたいで良かったかも・・・いや、その路線の作品はたくさんあるから嫌だったんだろうな。

 とにかく実家全滅で夫が戦死、しかも婚家を追い出されるとなったら、娘を姑に渡して、自分は夫や父母らの後を追って命を絶ちかねないところ。

 しかし、そこで勇ちゃんが安子の手元から娘「るい」を離さないよう助けるらしい。ナイス勇ちゃん。

 安子の生への原動力は、るいを育てることが大きいのだろう。母は強し、けれど、それだけじゃへこたれそうだ。稔の死を信じないで待つつもりなのかな・・・予告でちらりと見えた稔の姿が、夢じゃないことを祈るばかりだ。

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恩猫(人)のお葬式

享年23歳2か月

 先日、ある猫さんのお葬式にお邪魔してきた。仮にAちゃんとしておこう。

 Aちゃんは、会社の先輩Bさんの飼い猫。白地に焦げ茶色の、やや丸っこいけれど、ものすごくすばしこくエネルギッシュな猫さんだった。当時、7~8匹は犬猫を飼っていたBさん宅にお邪魔した時、階段をダッシュで駆け上がるAちゃんは、私の目には小柄ながら抜群に元気な猫さんに見えた。

 そのAちゃんの血を分けてもらったのがうちの息子。ちょうど整理していたら記録が出てきたので見てみると、2007年2月26日、Aちゃんから45ccの輸血をしてもらった。それが2回目の輸血で、息子は胃潰瘍の手術を乗り切ることができたのだった。

 吐血して、入院する直前には息子の舌は真っ白だったのを思い出す。あんなに白くなるんだ、というほどに。

 貧血が酷くて、助かるかどうかと家族と涙する毎日だったなあ。悪夢も見た。入院している息子を迎えに行き、動物病院の玄関に立って待っているのだけれども、様々な黒い犬や猫が次々途切れなく出てくるのに、うちの息子クロスケはどこにもいないのだ。

 そこでショックのあまり飛び起きてしまったのだけれども、こんな夢の終わり方じゃ許せないと思って、再度無理やり寝たところ、黒い犬猫の波の最後の最後に息子が出てきたのだった。

 割と深刻な事態だったのだけれど、それが、Aちゃんの血をもらってから、体調が改善した。

 1回目の輸血は病院の輸血猫さんから50cc。それでも効果薄。

 けれど、予想に反して2回目のAちゃんからの輸血後の結果が非常に良好で、3回目以降の輸血の必要がなくなり、その場に来ていた猫さんにお帰りいただいたのだから、Aちゃんパワーの強さが分かる。

 まさに、息子の命の恩人、Aちゃんなのだ。

 やっぱりというか、Aちゃんは長生きした。23歳のバースデーではカラフルな冠をかぶって写真に納まり、長寿猫さんとしてどこかのサイトにも掲載された。でも、とうとうその2か月後に旅立った。

 Bさんはこれまで計12匹の犬猫ちゃんのお世話をしてきて、最後まで残っていたのがAちゃん。その最後のAちゃんを見送らねばならないのは、たまらない悲しさだったろう。

 Aちゃんが亡くなった日は、なんとBさんの退職の日だった。これからはAちゃんの看病をゆっくりできると考えていたそうだが・・・退職の日に休むわけにもいかず、Aちゃんは預けられた病院で息を引き取ったのだった。

 その翌日に、取るものもとりあえず、小さな花束だけを持ってAちゃんに会いに行った。

 コロナが明けたらゆっくり遊びに行かせてもらうつもりだったのに、それが叶わなくて、本当に久しぶりの対面。全体的に茶色が勝っている印象だったAちゃんは、手足は茶色があるけれど、高齢猫さんらしく、白っぽさが勝っている猫さんになっていた。

 うちのクロスケも、本来は全身真っ黒な猫だったが、晩年はごま塩。白毛が少し出現していたし、黒い部分も、少し茶色がかって見えるところもあったから、人生というか猫生で被毛の変化はあるんだろう。

 クロスケの着ていた猫用半纏などももらっていただいて、それも亡くなる前に病院に預ける時点では着ていたとか。でも、病院では脱がされてしまっていたそうだ。Aちゃん、寒くなかったかな。

 コロナさえなければ・・・生きてる間に、Aちゃんにお礼を言ってナデナデさせてもらいたかったな。

 Aちゃんは、息子クロスケが昨年お世話になった寺院併設の動物用の斎場で、荼毘に付された。白絹に包まれ、カップ10個以上に入れたたくさんのごはんに囲まれて、花いっぱいのAちゃん。大丈夫、虹の橋の向こうで、仲間の犬猫ちゃんとクロスケがお待ちしているはず。本当にありがとう。

 

 

 

 

 

ひとさまの猫を、動画で見ている

息子の動画がほぼ無い

 クロスケを亡くしたとは言っても、私も家族も姿が見えなくなっただけでまだ一緒に暮らしているつもりでいるのだけれど、やっぱりその「姿が見えない」ポイントが悲しかったりする。

 脳裏に浮かぶ息子の姿はあちこちにあるのだけれど・・・お風呂場のドアを、「開けて開けて」とニャーニャー言いながら、前足でフミフミ押していたり。いくぶん寒くなってきた最近よく思い浮かぶのは、私が座るのをウズウズしながら待っていて、座った途端に一目散に膝に飛び乗る姿とか。ご機嫌でしっぽをフリフリしていたなあ。

 「きっとこのタイミングならここにいるはず」という時は、余計にくっきりと姿が目に浮かぶ。

 でも、それが一瞬で・・・パッと消えてしまうような感じがする。そうすると、会いたい、もう1年9か月も息子に会えていないで我慢しているのが信じられない、といった気持ちがさらに募る。

 後悔しているのが、ほとんど息子の動画を撮っておかなかったことだ。少しはあるのだけれど。

 まず、天気予報のおじさんの振る棒の先についている球体の動きに目を奪われて、テレビに伸び上がるようにしてその球体をとらえようとしている姿は、おかしくて可愛かったので、スマホで動画を撮影した。

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 それと、普通は猫が嫌がると言われるミカンなのに、息子クロスケは柑橘類や山椒に対してマタタビと同様にウットリしてしまうタチなので、こたつにミカン籠を置いておいた時に籠にスリスリし始めて大変だった。それも面白かったので、タブレットで動画を残した。

 でも、ソファで伸びてるとか、日常の可愛い姿をあまり録画しておこうと思わなかったのはなぜなのか・・・写真はマアマアあると思うのだけれど。

 いつかは別れが来るのだから、息子の記録として動画を撮っておけばいいのにと思わないでもなかった。でも、スマホのカメラもまだいまいちだったし、写真をパチリと撮った後の時間は、リアルで接する方を優先してしまったのかな。たぶん。

 一緒に旅行に行った時も、可愛かったな。伊豆ではいつも同じ宿に泊まっていたので、息子の方も慣れたもの。あまりにも慌てず騒がず、到着してすぐゴロリと畳に横になって完全に我が物顔でいたのがおかしかった。

 同じ宿とはいえ毎回泊まるのは別の部屋だと思うのに、何でそんなに落ち着いていられるのか。普通は他の猫や犬の気配を感じてイライラしたりするものじゃないの?と本人(猫)に聞いてみたこともあったが、さあね、と息子はクールにすましていた。

 こういった他愛もないやりとりをしている時間が宝物のように大切だった。クロスケの伊豆旅行のまとめ動画があったら、楽しかったのになあ。今となっては、泣きながら見たかもしれないけれど。

気になるのは黒猫

 息子の動画を見る代わりと言っては何だけれど、YouTuberのみなさんの猫動画をよく拝見している。沖縄の保護猫ちゃんや、ギネス認定もされたという「もちまる日記」の「もち様」も時折は見たりはするのだけれど、私がどうしても気になるのは息子と同じ黒猫ちゃんだ。

 ということで、ベタかもしれないが、マツコ・デラックスもファンだという佐渡島の「リンちゃん」が見たくて、「タイピー日記」を毎日のように見ている。

 もちろん、犬のブリちゃんもとてもかわいい。でも、私はリンちゃんなんだよな・・・。

 ちょっと幼少期の病気のせいで目に不自由さが残るリンちゃんが、タイピーさんと一緒に立派に畑仕事をしたり、先輩(パイセン)として後から来たデンちゃん、ポン吉、キン姫、ソランの面倒を見たりする姿には、こちらも心が和む。

 犬のブリちゃんと一緒にドッグランを軽やかに駆け回るリンちゃんには「猫だよね?」と驚かされる。快活に走っている2匹の姿は本当に美しい。ここに、ソランちゃんも入りそうな予感がある。(ポンキンの2匹は、たぶん引き取ってきた保健所との約束で、外ではハーネスが外せないのかもしれない。違うかな?)

 デンちゃん急死の際には、私も涙涙。亡骸をリンちゃんが最後まで気にしている様子で、さらに涙を誘われた。けれど、リンちゃんと同じ黒猫の息子が、きっと天国でデンちゃんを迎えて面倒を見てるはずだよ・・・。

 そんなことを思いながら、毎日のようにリンちゃんたちを見守るのが、すっかり習慣になってしまった。

 でも、リンちゃんたちを見ながら、私の頭の半分ぐらいを占めているのは間違いなく亡き息子のクロスケ。ひとさまの猫を見ながら、息子の過去の姿を思い起こしている。

瀬戸内寂聴さんを悼んで

「源氏」について、25年前にインタビュー

 作家の瀬戸内寂聴さんが99歳で亡くなったと聞いた。現役時代のスクラップをひっくり返して確認してみたら、インタビューをさせていただいたのは瀬戸内さんが74歳の1997年3月か4月。ちょうど四半世紀、25年も前の話だ。

 (以下、四半世紀前の話なので、現代的なLGBTQ的基準には合わない部分があるかもしれないが予めご容赦を。)

 記事は「NHK to feature women of 'Genji'」というタイトルで英字紙に載った。話は日本語で聞いたのだけれど、英文にしてしまったので寂聴さんの言葉そのものが残っていなくて残念だ。さすがに取材メモは処分してしまったし。

 記事は、寂聴さんが現代語訳に取り組まれた関係で、紫式部の「源氏物語」に描かれる女性たちについて3か月のシリーズで語るという、NHK教育(当時)の「人間大学」という30分番組についてのものだった。高校以来「源氏大好き」の私は喜々としてインタビューさせていただいたのだった。

 番組で寂聴さんが取り上げたのは、紫式部桐壺の更衣藤壺の女御、葵の上、紫の上。作者と、作品の主な女性登場人物の面々だ。寂聴さんは、物語が展開する場所も番組で訪ねるという趣向で、幼い紫の上と源氏が出会った京都の鞍馬寺なども行かれたのだった。

 寂聴さんは、「源氏物語」がインモラルでスキャンダラスな単なる光源氏の恋愛遍歴についての話だと儒教的価値観から見做されていたのは不幸なことだとおっしゃり、中国の古典と仏教に精通した紫式部によって多様な人間模様が描かれていることと、平安社会を知る価値ある記録であることを評価されていた。

 権力ある男たちによる表の公式記録は欺瞞に満ちているけれど、女の手によるフィクションの物語には世の真実が書かれていると・・・皮肉だけれども面白い。

 そして、当初番組についてNHK側(ほぼ男性)と話をした時、源氏物語の女性キャラクターを取り上げたいと言ったら興味を持ってもらえず反対されてしまった、なんてこともおっしゃっていた。

 特に個人的に興味深かったのが、寂聴さんが「I noticed one very unusual thing」とおっしゃった点。物語に出てくる光源氏を巡る女性たちは、あの宗教がインパクトを持つ時代に固い決意を持って次々と出家を望んで尼になっていくのに、光源氏は口では出家を望みながらもそうしない。ポーズに見える。

 寂聴さんが出家されている身だけに、気になったのだろう。

 記事中で寂聴さんのコメントとして書いたのは「Lady Murasaki intended to show women how to overcome their unavoidable agony and their unhappy fate, in order to save themselves」という点だ。どんなに身分が高かったとしても、あの時代、生き方が縛られていた女性たち。出家によってその深い苦しみから自由を得られる道を紫式部は指し示したのだ。

 物語の最後、思慮深い薫でさえ浮舟の尼になりたいという苦しい気持ちを理解しない。他に恋人でもできたのか、などと疑うのだ。変な終わり方だという人もいるけれど「計算された皮肉」としてそんな終わり方になっている、と寂聴さんはおっしゃっていた。

 物語を読む限り、当時は、あの世へと無事に成仏するには出家するなり、戒を授かるなりすることが死ぬ前に必要だと信じられていたらしいけれど、私も、紫の上の死に際にどんなに出家を望んでも光源氏がそれを認めようとしないことに対して、紫の上が自分の極楽浄土への往生を諦めて光源氏のわがままを受け止めようとする慈愛に満ちた心が忘れられない。

 話は飛ぶのだけれど、萩尾望都の「トーマの心臓」でのトーマがユーリのために翼を諦めるのと似てる、と思った。相手への深い愛が自己犠牲をいとわない気持ちにさせるのだ。

 トーマの話までは寂聴さんとは多分しなかったと思うけれども、そんな感じで延々と「源氏物語」について話をしたのだった。

 インタビューはマンツーマンで、思えばなんて贅沢な。寂聴さんは、私のくだらない疑問「なんで藤原道長紫式部に書かせているのに『源氏物語』であって『藤原物語』じゃないんでしょうね」にも「あらまあ、考えたこともなかったわ」と面白がってくださり、私も半ば仕事を忘れる楽しい時間だった。

 でも・・・今思うと、寂聴さんの有難みが分かってないインタビュアーだったと反省している。

 何しろ、寂聴さんご自身については圧倒的に勉強不足で、寂聴さんの作品は400もあるというが、インタビューまでに読んでいたのも1つか2つ。「源氏物語」についても、現代語訳でしっかり読んだのは円地文子の手によるものぐらいで、谷崎潤一郎版、田辺聖子版はあまり肌に合わず途中で挫折。寂聴版は未だにちらちら見た程度だ。いつかちゃんと読みたいとは思っていたのだったが・・・。

 寂聴さんは、ご自分の現代語訳を底本に、誰かが新たに英訳源氏を作り上げてほしいと希望されていた。気になったのでググってみたら、英訳どころか、抄訳も含めてモンゴル語、ハングル、アラビア語もちゃんとあるらしい。(『源氏物語』翻訳史 – 海外平安文学情報 (genjiito.org)

 不甲斐ない私以外に、ちゃんと寂聴さんの現代語訳を生かしている方たちがおいでだったことに、何やらホッとした。

 寂聴さん、その節はありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。合掌

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「おかえりモネ」続きを待ってます

既視感満載の「カムカムエヴリバディ」

 NHKの朝ドラ「おかえりモネ」が終わり、もう今作の「カムカムエヴリバディ」がスタートして1週間経った。

 今のところ、どこかで見たような話が展開していて・・・なぜだろう、この後、第二次世界大戦に突入していくことがどうしても分かっているせいか、これまで見た戦争もので語られてきた悲劇に至る道筋をかいつまんで見ているような。既視感満載というか、そんな印象だ。

 描かれるキャラも、何か記号のように存在している。朝ドラのお父さんお母さんはあんな感じだよね、働き者で。娘が心配で。厳しいけれど孫には甘いおじいちゃん、とかね。不穏な要素は濱田岳の兄ぐらいか。ちょっと気の利く友達が面白いかな。

 村上虹郎はまた海軍に入るのかな・・・そんなことないか。戦前~戦中での報われない幼なじみへの恋+彼となると、思い出すのは「この世界の片隅に」だけれど、切ない感じがぴったりだった。それで今作も彼が選ばれたのかな。

 しばらく見続けないと何とも言えないけれども、一人目ヒロイン・上白石萌音と御曹司の恋も何か戦時下の定石を外さずに進むような気がしている。短命の予感が・・・それもこれも、二人目ヒロイン・深津絵里のストーリーを描くためのプロローグなんだろうか。

まだ「モネ」の話

 さて、まだ私の気持ちは「モネ」の方にある。味わい深いドラマだったな・・・とひとりで思い返している。

 どうしても親世代に共感してしまうのだけれども、モネの父親コージー内野聖陽(漢字がうろ覚え)はやっぱりいい役者さんだ。(こう書いてから、紫綬褒章の受章を知った。おめでとうございます!)

 菅波先生があいさつに訪れたにもかかわらず逃げた上、酔って帰って亜哉子さんに怒られた際の「帰ったー」と答えるグダグダ振りにはクスッと笑ってしまった(「真田丸」での伊賀越えの徳川家康役を思い出した)。

 また、自分が昔、恋焦がれていた相手でもある新次の妻が、震災以来ずっと行方不明という「あいまいな喪失」状態であり、その辛さにのたうち回っている新次を、耕治の側も粘り強く支えようとする姿。キリがないけど、端々で本当にいい役者さんだと思った。

 やっぱりモネと同様、被災当時に島にいなかったことと「何も失わなかった」ことで新次に対して罪悪感を抱いていた、そんな様子がちゃんとにじみ出ていた。

 (ここでは長くなるから書かないけれど、浅野忠信の新次も、被災者の苦しみを体現していて他には考えられないほど素晴らしかった。)

 最後、祖父・龍己さんと海に向かう姿にも、漁師としては全くこなれない雰囲気がうまく出ていて、緊張した顔にも第二の人生への覚悟が見えた。

 最終回で、耕治が新次に、りょーちんの船の初出航を見に行かないと伝えた時のセリフがこうだった。

 「亮が自分で買った船乗って、おまえ(新次)がそれをうれしそうに見送る。そんなとこ見てしまったら、オレたぶん泣く。オレ、見んのが怖いんだよ。見たら、オレが救われてしまうんじゃないかって。おまえたちに、何ができんだって、思ってきた。オレが、胸なで下ろしてしまうんじゃねぇかって。そんなもんじゃねぇだろ。そんな簡単じゃねぇだろ。だから、オレが見て泣くのは、もう少し、先にしときたいんだよ」

 このドラマは本当に取材が深いなと思うのは、こういったところだ。被災者を見守る側の私たちが問われている。そんな簡単じゃねえのだ。

 「早く立ち直って、早く元気になって」と周りは自分たちが安心したいから期待しがちだけれど、当事者には時間が必要だ。「ゆっくりでいいんだ」とのセリフは、たぶん龍己さんがどこかで言っていたようにも思うけれど、「ひよっこ」のラストでやはり家族の祖父ポジションの古谷一行が、家族に同じ言葉を言っていた。

toyamona.hatenablog.com

 個人的にいつも思うのだが「前を向く」という表現も、落ち込んでいる人を追い込むようで引っかかる。「いや、その人が向いている方向が前でしょ、みんな前を向いているよ」とどなたかが名言をおっしゃっていたが、本当にそうだ。

 後ろ向きだの前向きだの、しゃらくさい。歩みが止まっている時間があったとしても、それが必要だからそうなってるんだろうに。

 大きすぎる心の傷をどうにか抱えて再び歩み始めるには、かなりの時間がかかる。焦っていいことはないのに、自分が安心したいだけで苦しみの中にいる相手に「早く早く」言ってしまっていないか、気をつけなきゃいけないと自戒も込めて心から思う。

 こういうドラマでの描き方ができるまでには、どれだけ被災者の話を聞いてきたんだろう。被災者そのものずばりでなく、その被災者の周りで苦悩する人たちに、ヒロイン(とその父)を設定するなんて、なかなか考えている。

 実際に、内陸の方たちは、被災県であっても自分たちを「被災者」と位置付けることにためらいがある人もいたようだった。

 津波を見たか、見なかったか。それがドラマの姉妹をも分断した。

 「お姉ちゃん、津波見なかったもんね」との妹・未知の言葉に、あの日のモネは自分がノックアウトされてしまってその真意がつかめなかったけれど、ちゃんと違和感はおぼえていたから最後の最後に妹に「あの日、何があったの」と尋ねることができた。

 ここで、まさかの「おばあちゃんを置いて、逃げた」。津波を見たからこその闇落ち。こんなにも大きな楔を打ち込まれたまま、みーちゃんは生きてきたのか・・・と呆然とするような展開だった。

 これは辛い。でも、大人たちに助けられておばあちゃんは体育館に避難していた。だから、助かったんだからと誤魔化すこともできたのに、みーちゃんは正面から悩んできたところが切なかった。

 自責の念は厄介だ。私も、亡き息子クロスケの件では今も苛まれている。それを受け止めるモネの言葉「みーちゃんは悪くない」が、支援の場では正解として知られている言葉だったので、ちょっとまたびっくりしてしまった。

 モネは、本当にベテラン支援員さんのよう。

 自責の念にほぼ悩まされると言っていい、性犯罪被害者の方たちにかける言葉として「あなたは悪くない」が提唱されて久しいが、それがこうもすんなりモネの口から出てくるとは・・・。モネ、どこで支援を学んだのだろう?

 いや、モネだけじゃなかった。二次被害、三次被害に困らせられてきた被災地の方たちが見ることを意識すれば、こうやってちゃんと考えたドラマになるんだろう。心の傷に苦しむ人たちに接するにはこうやってみるといいんだよ、という一例を見せてくれるような、本当に難しいことにチャレンジしたドラマだった。

 ドラマが全て正解、という訳ではない。リアルに被災地に生きている方々には、色々と言いたいこともあるかもしれないし、考えることがあって当然だろう。私も、以前にちょっと被災者から話を伺っていた期間があっただけで、実際には何も知らない人間だ。

 しかし、あのモネと未知の姉妹を演じたふたり、清原果耶と蒔田彩珠が、まだ19歳と聞いて本当に空恐ろしい。

 ということで、まだまだモネの世界から離れられない。モネと菅波先生、みーちゃんとりょーちんのそれぞれの未来がまだ見てみたい。スピンオフでも第二弾でも何でもいいから、ゆっくりでいいから、続きをお待ちしています。(敬称略)

NHK 連続テレビ小説(ドラマ) テレビブログ・テーマ
NHK 連続テレビ小説(ドラマ)

丸腰の内親王、名誉を守るには

お祝いの花も無し

 秋篠宮眞子内親王が「降嫁」して小室眞子さんとなられた。どなたかが指摘していたけれど、孝明天皇の妹・和宮親子内親王が徳川14代将軍の家茂に降嫁した時でさえも「身分違い」だと大騒ぎだったそうだ。もちろんと言うか、お相手の小室圭さんは民間人だ。

 けれど、小室さんが皇族でも旧家出身でもない民間人であることは、今や上皇后と皇后のおふたりともが民間出身なのであり、現代日本ではそこまでの問題にはもうならないはず。今回の結婚が、父の秋篠宮がコメントしたように史上「皇室としては類例を見ない」内親王の結婚だと言われるのは、例の金銭スキャンダルによって、正式な儀式もない、まったく祝われない結婚になってしまったからなのだろう。

 それにしても、26日のあの結婚記者会見。ツイッター上の指摘で気づいたけれど、小室夫妻が着いた席には、テーブル上に花が無かった。マウスとマイクだけ。絵面が寂しくなるわけだ。ただ新婚のおふたりに相応しい笑顔が無いだけではなかった。

 「お花ぐらい、ホテルがお祝いとして用意すればよかったのに」という声もあったけれど、たぶん眞子さんがお断りになったのでは? あの記者会見を見ての推測だけれど。日本のホテル関係者は、それぐらいのことには気づくし、やろうとするだろう。

有名税」対応では古い

 こんな祝福に遠いスキャンダルにまみれた結婚となってしまって、ただただご本人にもご両親にも、気の毒だと思う。どうしてこんなことになったのだろう。

 まあ、小室さんのお母さんの金銭スキャンダルが問題だと言われているけれど、指摘したいのは別の点だ。「守り切れなかった」と宮内庁関係者が涙したとも聞くが、このネット・SNS時代に、皇族を守る仕組みがあまりに古くて手薄で、お母さんの元婚約者側(に付いた週刊誌)の情報操作に負けた、ということではないか。

 ちょうど最近、女優の戸田恵梨香さん、水川あさみさんのおふたりも、週刊誌報道に怒髪天を衝く思いをしたらしい。

水川あさみ事務所、「事実と異なる」週刊誌報道を非難 「しかるべき措置をとる」 (オリコン) - Yahoo!ニュース

 この「有名税」と呼ばれて数々の有名人が泣き寝入りをさせられてきた、根拠のない・裏付けの乏しい問題報道がなされた時、これまでは「金持ち喧嘩せず」的にスルーするのが大人の対応であるかのように言われてきた。

 面倒ごとは誰でも嫌う。「被害者さえ口を塞いでくれたら、話題にもなったのだし、以前のように稼げればどうでもいい」。被害者の周りでさえ、そんな捉え方ではなかったか。

 結果的に、嘘の報道をされてしまった有名人の被害当事者の痛みは無視されるか直視されず、ひどい扱いに心を痛めるだけに終わってきたのではないだろうか。

 昔は紙の週刊誌だけ読む人を気にしていれば「人の噂も七十五日」で済んだのかもしれないが、現代はそうはいかない。記事はネットで配信され、SNSで増幅されて怪しげな尾鰭が付いて拡散される可能性も大いにあり、それがバッシングとなって返ってくる。

 こんな状況下で精神を病む芸能人が多いのも納得だ。悪名高いコンクリ詰め殺人の一味かのようにネット上で扱われてひどい目に遭ったスマイリーキクチさんの例以降も、最近まで枚挙に暇がない。命も失われている。

迅速に丁寧に火の粉を払うべき

 そんなリスクを目の当たりにすれば、皇族だけが無事でいられるとも思えない。人目にさらされて育ってきた皇族、特に興味本位に書かれがちな皇族女子については、もっと戦略的に積極的に守る広報体制を取るべきではなかったのか。

 具体的には、誤報があるたびに、ナルハヤで「違います」と合理的な説明を公表することだ。「被害者ノート」にも書いたことだけれど、誤報を打ち消すには、質のいい情報を当事者側がタイミングを失わずに早く出すことに尽きると私は思っている。そうすることで、誤報は力を失い、伝播しないと考える。

 そこでぐずぐずしてしまうと、「本当はどっちなんだろう」と迷う人までも最初に触れた情報の刷り込みで信じてしまうかも。訂正は迅速に、が肝だと信じる。

 宮内庁のホームページを見ると、「皇室関連報道について」の一番最近の項目は「週刊新潮12月24日号の記事について(令和2年12月18日) - 宮内庁 (kunaicho.go.jp)」なので驚いてしまう。昨年の話だ。この報道については上皇后さま関連なので、宮内庁も公式に反応できたのだろう。

 その報道前も以降も、眞子内親王の結婚に関連しては、山のように報道されてきた印象がある。でも、公式には反応できない範囲なのだろうか? 眞子さんご本人のコメント掲載ぐらいできたのではないか?

 誤報の1つ1つが、当事者の胸には突き刺さっているはず。立場上、女優さんのように内親王SNSで反論もできないのだとしたら、宮内庁が丁寧に火の粉を払う役割を代行するしかないはずだ。それが宮内庁には法規定でできないとしたら、できるようにするべきだろう。

眞子さんだからできた

 結婚会見は、下手を打ったようにも見えるが、今までの人生でいたぶられてきた思いがあるからこそ、眞子さんご自身が前に出て自分の気持ちをはっきり言いたかったのだろう。朝ドラの「おかえりモネ」でも言うように、人の痛みは当人にしか本当にはわからない。完全には代弁できないのだから。

 世間的にうまくやろうと思えば、病気を理由に眞子さんご自身は会見に出ないで小室さんだけが腹をくくり、誤報についての説明を記者にとことんすれば一番良かったかもしれない。弁護士になる人なのだから、それぐらいチャレンジしてほしかった。

 今後、渡米までにそれができるなら勝手ながら見届けたい。成功すれば、弁護士としても大いに株が上がるだろう。

 しかし、もし小室さんだけが会見していたら・・・それでは皇族女子が軒並み精神を病んできた惨状を、世に問えない側面があるだろう。眞子さんが表に立つのがインパクト的には必死さが伝わり、一番だった。

 振り返ってみると、お気の毒にもこれまで散々傷つけられてはきたように見えるけれど、メンタルをやられるまでには至らなかった皇族女子は(表に出てないだけの可能性もあるが)内親王までで考えるとサーヤこと黒田清子さんと紀子さま、佳子さまぐらい? 上皇后失声症、皇后は適応障害、少し前には愛子さまガリガリに痩せてしまった時期があったが、こちらの目には勝手ながら拒食症に陥っていたように見えた。

 惨憺たるありさまだ。娘がいたぶられていたのを見てきた紀子さまは、診断は下っていないまでも心はズタズタだろう。他の皇族もそうだ。

 眞子さんは、自らの複雑性PTSDの例を考えれば、姉としては佳子さまの行く末が本気で心配だったはず。それで、ご自身が晴れて民間人になった記者会見で、「怖い」と言われようが、ぴしゃりと言うことで問題提起して現状を変えたかったのではないかと、記者会見を見ていて感じた。

 あそこまで言わねばならないほど、皇族女子は追い詰められているのだと思う。(いや、男子であってもそうかもしれない。)もう限界だ。

 人権侵害同然の報道ぶりを受けても黙っていなければならなかった彼女たちの中で、これが言えるのは誰だろう。他でもない、生え抜きでしっかり者の長女・眞子さんだったのかもしれない。

 ちょっと、安倍晋三元首相の「あんな人たちに負けるわけにはいかない」的な敵味方を隔てる(というか、国民を敵視する)ニュアンスがかなり醸し出されてしまったのが残念だったけれど。もうちょっと宮内庁が頑張り、良い印象になるように文案についてはじっくり相談に乗ってほしかった。

内親王名誉毀損で告訴できないのか?

 ただ、宮内庁が既に信頼を失っていた可能性は高いだろうなあ・・・あのHPの記載では。「頼りにならない」と、私なら思ってしまうだろう。宮内庁にも、効果的に守ろうと動くには「武器」が足りない。

 女優さんたちや一般人は、やろうと思えば、刑事上は名誉毀損罪で相手を告訴し、民事上でも「慰謝料請求」という形が取れる。(ただ、慰謝料額がビックリするほど安いので、書いた出版社側は痛くも痒くもない額を笑って払い、また同じように書く。これではイタチごっこにしかならず、被害者の泣き寝入りを生む環境。それを改善するためにも、慰謝料額は何とかならないかと思う。)

 皇族にはハードルがありそう。手元にある古い六法で刑法232条を読んでみると、第2項には「告訴をすることができる者が天皇、皇后、太皇太后、皇太后又は皇嗣であるときは内閣総理大臣が・・・代わって告訴を行う」とあるので、普通の親王内親王、王、女王はほったらかし(!)らしい。

 あれ?上皇さまは?ネットでも条文を確認したところ、やっぱり漏れてますよ💦(刑法 | e-Gov法令検索上皇さままで、ほったらかしとは・・・。

 そうすると、親告罪である名誉毀損には告訴が必要なので、内親王は自分で告訴をしてもいいのだろうか? そこが不明だ。告訴できなければ、最初から刑事事件にはできない。民事上も、一般人や女優さんたちのようには原告にはなれないのか?

 そこらへんはどうなっているのか、憲法皇室典範を読んでもわからなかった。

 内親王が刑事も民事も法廷闘争には関われない、国からもほったらかしだとしたら、ひどい話だ。皇族を離脱しないと何も言えないのか。

 不敬罪をそのまま復活させるわけにもいかないだろうから、名誉毀損の条文を少しいじって、親王内親王、王や女王を含む皇族に関する規定をきちんと設けるべきではないか。つまり、天皇と同じように、その他の皇族を守れるよう代理して国が戦えるようにする規定だ。

 そうでなければ、丸腰に等しい皇族女子を守り切れないのではないか? 素人考えだけれど。

 皇室典範を改めて見てみると、「皇族の身分の離脱」は内親王はもちろん、親王でも皇太子・皇太孫を除けば理論上はできるらしい。つまり、今なら悠仁さまでも皇太孫ではないから離脱できるのか。

 みなさんが「せーの」で一斉に皇族を離脱して逃げ出す事態になる前に、もう少し敏感に宮内庁がお守りできるよう、法整備をするべきだと思った。

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「おかえりモネ」支える側に立つ覚悟

話すことは、だいじ

 NHK朝ドラ「おかえりモネ」が佳境だ。人の気持ち、傷つきについて誠実に取り組んできた見ごたえのあるドラマだと思う。

 私はいつも、前作の余韻に引っ張られてなかなか新作朝ドラに入って行けないようなところがあるのだけれども、今作のモネの場合、オープニング曲が気に入ってしまって、毎朝あの曲を聴きたくて見始めがモタモタせずに済んだ。音楽の力は偉大だ。

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 それなのに・・・主人公は「音楽なんて何の役にも立たない」と序盤で言い放っていた。こちらも最終回までに回収してくれるかな? 脚本のすばらしさを日々感じているので、きっと音楽の力にもさらに言及するラストになってくれると信じたい。(追記:元アリキリの石井正則さんのホルンエピソードがいまいち私にはパンチが足りなかったので。)

 それにしても、東日本大震災の被災者の苦しみに真っ向から取り組んだというのは、やっぱりあれから10年ということなんだろう。区切り的な。それで被災地が舞台の朝ドラ制作が決まったのかと思う。

 ただ、周囲が勝手に○周年だ、区切りだ区切りだ言いたがっても、例えば被災者・被害者本人の心境からすると、ただ年数を重ねて○年になった、それがどうした?と感じる人も多くいると常々感じてきた。何も変わらない、苦しいまま、ということだ。

 もちろん、そうでない人もいる。人それぞれだ。

 そんな風に区切りを付けたがる周囲の空気が圧力になることもある。大事な人を失って粉々になった心をようやく繋ぎ止めて、どうにかバランスを保っているところに余計な傷つきを避けたいのは当たり前のことだ。

 だから、踏み込んできそうな相手には「大丈夫、あっちに行って」と笑顔でバイバイして遠ざけたくなるんだろうなと思う。亮親子のように。

 信頼していただいてお話を伺うのは大変なことだと、私も緊張する。相手を気遣う優しさがあるからこそ、簡単には心を開いてもらえるものではないともいつも感じる。

 でも、口に出すことで、いっぱいだった頭に余裕ができて、ぐちゃぐちゃだった考えが整理できる。思わぬ視点に気づくこともできる。心の内を話すことは、新たな道を見出すためには必要なことだと、私は信じて精神対話士の資格を取った。

地元を支えたいモネ

 脚本家の安達奈緒子さんは、絶対に支援の基本を執筆前に学んだ人だろうと感じる。

 対人支援に少しだけ関わってきて煙たがられてしまったこともある私は、時々痛いところを突かれる思いで見ている。被災地にボランティアに来ていた大学生の姿に、自らの苦い失敗を重ねて思い返す。

 私の場合、体力が足りなかった。病気ばかりで。そうすると、寄り添いたくても傍にいることができない。相手の期待に沿えないのは心苦しい。

 モネは、しぶとく、ちゃんと苦しさを突き抜けて被災地の支援者として踏みとどまれるかどうか、問われている局面にあるけれど、もう光は見えているような気もする。ともするとベテラン支援員さんかのような振る舞いにも既に見える、落ち着きもモネにはあるのだし。

 宇田川さんに寄り添う東京編での大家さんの菜津さん、りょーちんの傍に居続けたみーちゃん、もちろんふたりとも中途半端にできないけれど、男女の関係性が「恋愛」として理解され、周囲にも受け入れられやすく、応援されやすい側面はあるのではないか。

 でも、モネの場合。東京でテレビに出ることで、地元から認識されやすい成功者になってしまった。毎日、テレビに出ている気象予報士の人気ぶりは、スタート時の朝岡さんが登米で歓待されていた様子や、母・亜哉子さんが「モネが地元に帰れば島中の船に大漁旗が上がる」みたいなことを言っていたことからもわかる。

 「地元の誇り」に近い存在になってしまったのだろう。普通の朝ドラは、この東京での成功でめでたしめでたしとなるのではなかろうか。登米から東京に戻った菅波先生と結婚してのハッピーエンドを想像するところだ。

 ところがモネは、その立場を捨てて地元に帰ってきた。地元はガッカリだ。「何なの?」と地元スターの東京での活躍を少なからず応援して期待していた地元民は、モヤモヤ思うだろう。恵まれた立場を理解せず簡単に捨てたように見えるモネに、反感すら覚えるかもしれない。

 「なんで帰ってきちゃったの?」との市役所の課長(山ちゃん)の反応や、三生の言葉「モネは東京にいた方が良かった」にも、モネの「地元にいて、地元に貢献したい」思いへの理解の薄さが滲んでいる。

 その分かりにくさを突き破るには、そこに共に居続けて、行動によって徐々に理解を得て馴染んでもらうしかない。

 ドラマでは、りょーちんが乗った船が嵐に巻き込まれ、その危機を脱するのにモネの気象予報士としての「科学的データの集積とそれを分析する力」が寄与した。それによって、周囲との軋轢は、解消の方向に大きく1歩前進した。

 やっぱりそこで、信頼を得て誰かの力になるためには、ただただみーちゃんや菜津さんのような男女関係に落とし込めるような関係性や、三生が指摘した市役所、お寺さん、漁師、水産試験場といった既存のわかりやすい組織や職種に属さない場合、「そばにいること」だけでは反発されてしまって、なかなか貢献までに道が開かずダメなんだよな、と思う。

 そこで「私は気象予報士です。気象のことはわかります」と胸を張って言える国家資格があるからこそ、モネも踏みとどまれたんだろうし、単に「若いねーちゃんがグジュグジュうるさいことを言ってくる」のが我慢ならんぐらいに感じていたように見える漁業長以下の漁師たちも、まあ聞いてみるかと耳を傾けることになった。

 全面的な信用を勝ち得た訳じゃない旨は、告げられていたけれど。そこは相手のプライドは大事。尊重しないといけないけれどもね。

家族を支えるモネ

 第110話「嵐の気仙沼」でのみーちゃんとりょーちんの決着には、ホッとした。しかし、ふたりの話し合いにモネが関わったことについて、ネットでは「みーちゃんがモネに全部言わせている。自立していない」とか、「モネに依存したふたりは、何かあるたびにモネのせいにしそう」とかの意見があった。

 しかし、りょーちんの被災者としての複雑な葛藤を乗り越えるためには、当事者のみーちゃんだけでは何ともならなかったと思う。当事者だけで全部解決できるものではないのだから、客観的に物が見えている支援者(モネ)が、適切にサポートすることで道が開けるなら、それでいいじゃないの、と思う。

 支援に反発する人がいる(母がそうだった)が、支えあいは生活の知恵であって、恥ずかしいことでは全くない。困った時はお互いさまなのだから。

 人間関係を上下関係でとらえたがる人だと、支援を受けることは自分が弱い立場に立たされることであるかのように受け止めてしまうようだ。支援者に対して「偉そうに」「上から目線」と反発する人までいる。

 そうじゃなく、横の関係での支えあいとして、大らかに考えてもらいたいと思う。

 ところで、「ベテラン支援員さんかのよう」と私が感じたモネの立ち振る舞いは、みーちゃん相手に際立っている。近しいだけに、身内相手の支援は難しいのに。

 モネは、物語序盤でみーちゃんの「お姉ちゃん、津波見てないもんね」の隔てを置く言葉に動揺した(それは当然のことだ)。それを恨むことなく、みーちゃんのつらさを受け止められなかったことを悔やむことができるモネは、さすがNHK朝ドラの主人公だと思うキャラ設定だけれど、さらに、その言葉をバネに、今やみーちゃんに「何でも持ってるじゃん」等と言葉のナイフを投げられても、足を踏ん張って本音を引き出し受け止められるまでに成長している。

 ベテランさんというか、いや「絶対今度こそ支えるぞ」のモネの覚悟がすごい。みーちゃんへの姉妹愛の強さを想う。

りょーちんの背負ったもの

 りょーちんのつらさにも触れたい。

 家族に被害があった場合、それぞれが苦しさを抱えているにもかかわらず、ひとりで一方的に家族を支える立場に立たされてしまうと、自分の被災者としての苦しさを抱えたまま心に蓋をすることになる。そのつらさは、半端ではない。

 つまり、りょーちんは、自分でも被災して母親も亡くしている遺族なのに、「お父さんをよろしくね」「お父さんを支えてあげてね」と、周囲からの良かれと思っての残酷な言葉をかけられ続けたことは想像に難くない。

 それによって、支援者の立場に否応なく押し込められてしまった。

 もし言葉で投げかけられていなかったとしても、少なくとも「あそこは親父が壊れてしまったけれど、息子が頑張ってるから大丈夫だろう」と大いに期待をかけられ、それをヒリヒリと感じてここまで来たのだろうと思う。

 被災地であれば、みんな、自分のことで精一杯。そこで助けを求められる状況ではなかっただろうし。

 ありがちなことだ。「おかあさんをよろしくね」「あなたがしっかりして、おかあさんを支えてあげてね」と言われ、事故で子どもを亡くしたり、パートナーを亡くしたりして悲しみに暮れる親を支えようと、生き残っている子が頑張ってしまうことは。

 その子だって、大きな悲しみを抱えて支援が必要な遺族なのに、周りには都合がいいから、それが忘れられている。つらすぎる。

 だから、りょーちんの場合、第一段階で優秀な支援者モネが「大丈夫」の呪縛を解き放つことが必要だった。さらに第二段階で、幸せになることに逡巡する呪縛を、みーちゃんが蹴破る(実際は亮ちんの手を取る)ことで、ようやくふたりの未来が見えてきたのではないかなと思いながら見ていた。

 最後のシーンは、本当にみーちゃんの横顔がこの上なく美しかった。いつも伏し目がちな彼女が、真っすぐりょーちんを見つめて。彼の顔に光が差していく演出も、にくいなと思った。二人に幸あれ、だ。

 まだ、終わりまでには一波乱も二波乱も控えていそうだ。登米の楽しい森林組合の皆さん、サヤカさんにどんな結末が待っているのかが個人的には気になっているのだけれど、モネと、不器用だけれど誠実な「俺たちの菅波」との、幸せな未来を示唆する物語の終わりを期待している。

NHK 連続テレビ小説(ドラマ) テレビブログ・テーマ
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変化しかなかった10年間

はてなブログ10周年特別お題
10年で変わったこと・変わらなかったこと

 はてブロの10周年企画に乗っかって書いてみるのも面白そう。10年を振り返ってみると、まず2011年の東日本大震災をきっかけに引っ越したことが大きな変化だった。家族との死別もあり、長くチャレンジしていた活動の挫折もあった。

 心境の変化もあり、この10年で変わらなかったことを見つけるのはちょっと難しいくらいに感じている。

仕方なかった引っ越し

 震災は、都内に住んでいても大きな変化をもたらした。自宅はまだ5年ぐらい前に大々的なリノベーションを施して住み始めた「猫御殿」マンションだったが、その自宅を出ることになってしまった。

 実は、外側の建物は前回の東京五輪の頃に建てられた代物だったので、いくら内部をきれいに設えようが、震災で大いにボロが出たのだった。

 建物出入口上の外壁タイルは剥がれ落ちた。その他も、あちこちのヒビ。それまで見ないようにしていたかもしれない耐震性にも、大きな不安を持つようになった住人が多かった。かなり揺れたことで、命の危険を感じたからだ。

 自宅も、キッチン床の大理石タイルが棚から降り注ぐ食器類で傷だらけになったし、当然食器も粉々になった。それは先日書いた通りだ。

toyamona.hatenablog.com

 最新の免震タワーマンションに住む友人に聞いたら、あれだけ私が恐怖を感じていた間に「ちょっと揺れたかなぐらいだった」と言っていた。やっぱりこの建物は、「当時にしたら、かなり頑丈にできてますよ。不動産会社の社長が住んでいたぐらい安心な建物で」と不動産屋さんがいくらアピールしていたとしても、古いものは古い、それなりの性能なんだと思い知った。

 そんな住人の浮足立つような不安を見越して、近隣のマンション3つを合わせて1つの大きなマンションに建て替える話がデベロッパーから持ち込まれた。

 建て替え話はあっという間に進み、そこがペット不可になると聞いて、愛する猫のために否応なく他に引っ越すことが決まったのだった。

 たった5年前に大金をはたき、猫ステップを設けるなど自分たちの望むとおりにスケルトンリフォームをして、古いけれど味のある、猫も楽しい住処に住み始めたばかりのつもりだったから、本音では未練タラタラ。業者とのやりとりは不信感で一杯、初めて自分たちのために弁護士にも相談した。

 「業者も仕事なんだから」と平静になろうと努めたが、仕方ないこととはいえ不愉快な経験もした。

 気に入った自宅が取り壊されるにあたり、建物からはできるだけ移動できる建具を新居に持ち込み、また同じような無垢材と漆喰を使ってのリノベーション工事を同じ施工業者にしてもらって、2012年3月末に引っ越したのだった。

 少し広くなり、猫型息子のステップも形を変えて復活。作り付けの棚やロフトも同様に。気に入っていた木の扉は、すべて持ってきた。青いバスタブとサヨナラしたのは残念だったが、おおむね同じような家になったことで、猫型息子も安心しただろう。

 山手線の内から外への引っ越しとなり、深呼吸のできる空気を得たのは田舎育ちの私にはうれしかった。建物の前後に余裕があるので日当たりも風通しも良くて、住環境としては安全で申し分ない。ちょっとお店関係が寂しくなったかなというのは、残念ながらあるけれど。

 終の棲家として良いところに引っ越せたと、今は事の成り行きに感謝している。

変化ばかりの10年

 その他、この10年間、父を事故で亡くしたことで裁判などの手続きを当事者として経験し、人の裏表もまざまざと見せられ、支援者としての活動に対する心境の変化もあった。コロナ禍の開始のタイミングで、家族の大きな支えだった愛猫も闘病の末に死んでいった。

 自分の持病も悪化したことで仕事も開店休業、生活も内に内にと閉じて行ったが、追い打ちとなったのが、コロナが席巻したことだった。

 でも、コロナによって社会が止まった期間、私はゆっくり療養に専念できた。今は幸いにして体調も回復してきている。

 そして、この10年、支えてくれた家族や友人等への信頼や絆は深まったと思う。

 新たなチャレンジも始めた今後の10年は、どう閉じた生活から変わっていくだろう。次の10年間、無事に生きているかもわからない。やりたいこと、延び延びにしてしまった、やらねばならないこともある。

 限りある人生、家族友人自分を大切に、楽しんで行こうと思う。