黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

「鎌倉殿の13人」長いプロローグが終わった

弟を活かせる兄であれば、歴史は変わったか

 まるでここまで主役のように物語を引っ張ってきた大泉洋演じる源頼朝が、先週25回「鎌倉殿の13人」の最後で意識を失って落馬した。「佐殿!」と長きにわたって従者として仕えてきた安達藤九郎盛長が、古い呼び名で叫ぶのが涙を誘った。直前の頼朝の最後の言葉も、「藤九郎」だった。

 アサシン善児が、馬を驚かせたり足を取るようなことをして頼朝をワザと落馬させるようなことは・・・無かった。義経の亡霊を見ることも無かった。誰の指金でもなく、淡々と、死に近づいていく頼朝の様子が描かれた。

 前週24回で描かれた範頼の殺害から数年で頼朝は斃れるのだから、皮肉なものだ。

 範頼は、頼朝が考えたような人間ではなく、「真田丸」で三谷幸喜が描いた真田信繁や真田信伊のように、兄を真面目に支えるタイプだったのではないだろうか(それぞれの兄は信之、昌幸)。範頼は慎重に振る舞い、兄を立ててもいたのに。罠にはまったかのように、担がれてしまったところを炙り出されてしまった。

 もし頼朝の死後にも範頼が生きていたら、彼の頼家らへのサポートが期待でき、こんなにも早く頼朝の血統が断絶することも無かったのでは・・・と、詮無いことを考えてしまう。北条家が実権を握っていくことになる鎌倉幕府も、頼朝の望みの通り子孫が継げたかもしれない。返す返すも残念だ。

 ちょうど日曜朝に佐久間良子主演の「おんな太閤記」をBSで放送しているので、秀吉の弟・小一郎秀長のことも併せて頭に浮かぶ。中村雅俊が演じている。

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 秀長が死んでしまったことで晩年の秀吉の暴走を止める人がいなくなり、豊臣政権は短命に終わったと私は思うのだけれども、優秀な弟が存在すると・・・存在するというか、兄がそんな弟を活用できるといいんだろうなあ、武田信玄(弟はオリジナル信繁)や、真田信之みたいに。

 川中島合戦で討ち死にした武田典厩信繁は、昔からファンだった。真田信繁の父・昌幸が典厩信繁にあやかって我が子に命名したのが真田信繁と聞いた(が、彼は幸村として有名になってしまった)。大坂の陣の後、真田信繁を大っぴらに弔えない兄の信之が、典厩信繁が葬られている川中島の典厩寺で、やはり弟・信繁を悼んだと聞く。いつか、ふたりの信繁ゆかりの典厩寺に行きたいものだ。

惜別、源頼朝を好演の大泉洋

 そうだった、その兄・信之を「真田丸」で演じていたのが今回の鎌倉殿・大泉洋で・・・大いに見直したのだった。これまた大ファンの真田信之が全部大泉洋によってギャグにされてしまうのかと戦々恐々としていたのだけれど、本当に杞憂だった。

 犬伏の別れのシーン、自分だけ徳川に付くけれど真田を守るために父と弟は豊臣側に付くんだと説得するシーンは、有名な話だけにどうなるかと心配していたけれど、まっすぐ奇をてらわない感動の演技だった。

 徳川に「信幸」から父の名前にある「幸」を除いて「信之」と改名させられた際、名前の読み仮名は従前通りを死守したと家臣に説明する時の「儂の意地じゃ」というセリフも心に残っている。大した役者さんだったのだ、大泉洋は。

 もちろん「黙れ小童!」のお約束の笑えるシーンも顔芸たっぷりに卒なく演じていたのだけれど。真面目な人は、その真面目さの中におかしみもある。それがうまく面白く出ていた。

 当時、体調の様子を見ながらだったけれど、わざわざ長野県上田市まで遠征して大河ドラマ館を見てきた。その時に抽選で当たり、古い映画館(?劇場かな)での大泉洋のトークショーで大いに笑わせてもらった。(こんなに素では面白い人が、あの真面目な信之を演じるんだからねえ)と、少し納得できない気持ちはありつつも。

 全国から駆け付けたファンの人たちが大勢いて、たまたま仲良くなった人が「洋ちゃんのおっかけ」で、お仲間もいて。それなのに私以外は皆さん抽選に外れてしまって。信之は好きだけど大泉洋のファンでもない私が当たって申し訳なかった。

 その大泉洋が、今回もまさに絶妙なさじ加減で鎌倉殿・頼朝を演じてくれた。現在、彼以外に誰が演じることができただろうか?ちょっと想像ができない。こんなにも軽妙で、笑わせながらも威厳とサイコっ気のある頼朝なんて。・・・唐沢寿明だったらできたかな?顔が良すぎるか。将来は、菅田将暉ができそうだ。

 そうそう、「おんな太閤記」で秀吉を演じているのが西田敏行。彼の秀吉は、温かく面白いのに怖い。西田敏行も、「鎌倉殿の13人」では日本一の大天狗・後白河法皇を演じたけれど、今は面白さが勝ってしまって怖さがない。昔の山本勘助や益満休之助は鋭く怖かった。もう少し若かったら、文句なく「鎌倉殿の13人」の頼朝もできただろう。

 大泉洋に戻るけれど、彼は回を重ねるごとに頼朝の肖像画にも段々と似てきていた。役者さんってすごい。

天のお鈴、満を持しての主役登場を告げたか

 そのドラマ前半の功労者・大泉洋の頼朝を丁寧に見送るように、第25回「鎌倉殿」は頼朝が倒れるまでの1日を、正夢というか悪夢にうなされている時点からゆったりと頼朝中心に描いたものだった。

 頼朝は、いつもの調子ではない。全成にしつこく禍を避ける方法を問いただしたり、方違えに行った先で、義仲討伐の件を巴御前に泣きながら謝ったり。病に倒れる兆候も見られた。

 比企尼の視線にたじろいで(尼は寝ていただけだったが)席を立った時、頼朝は足がすくんだのか痺れたのか、よろけていた。北条の法要で餅をのどに詰まらせたのも、嚥下障害が出てきていたのだろうか。

 最終的に、寒い中を馬で帰る途上で、馬を引く藤九郎相手に喋っていたはずがろれつが回らなくなり、手のしびれやめまいを感じたのか、頼朝は落馬した。

 「飲水の病」糖尿病を患っているところに、年末の木立の寒さの中で脳梗塞を起こした、という設定だったのだろうか・・・義時に「のどが渇いた」と言い、水を持ってこさせていたし。症状が亡父に似ていた。

 SNSでは、義時が水筒に毒を仕込んで毒殺した!と主張する人たちも見たけれど、いやいや、皆さん、ミステリーの見すぎでしょう。そんな謎解きドラマじゃないんだから。頼朝が今死んでも、義時には得は無い。

 そして、落馬の時に不吉な鳥の声が2度聞こえた後、9回も(数えた)お鈴が鳴り響いた点についても色々とご意見を見た。

 新聞で見た脚本家三谷さんのインタビュー記事では、三谷さんが昔「草燃える」を見た時に、頼朝の落馬シーンで考えたのが他の人たちはその時何をしていたのかな、ということだったそうで、それで「鎌倉殿」では他の縁のある人たちの日常の様子を描くシーンがそれぞれ差し込まれた、ということだったのだけれど・・・お鈴については特に書かれていなかった。

 私には、天からのお告げの音に聞こえた。頼朝の退場によって長い長いプロローグが終わり、さあいよいよ「鎌倉殿の13人」の本番が始まりますよ、主役登場ですよ、プレーヤーの皆さん用意は良いですか?というような。ホテルのロビーでアテンションの鈴が人探しのスタッフによって鳴らされるように、本番の幕が上がる報せが天からあったような気がした。

 時政パパではなく、妻のりく(牧の方)がお鈴の音を聞いていたのが興味深かった。「臆病なこと」「意気地なしが2人、小さな盃で」と今回も挑発するようなセリフを言っていたが、事あるごとに上昇志向の強さを見せてきたりく。やはり、時政パパは彼女に引きずられて今後様々な事件を引き起こしていく描き方になるのだろうか。

 パパも、「比企の奴、うまくやりやがったな」と、日頃の鍔迫り合いを意識するセリフに続いて、蒲殿の件で比企が絡んでいると噂を流したのは自分だと、息子たちに白状していた。察するに、前回の曽我兄弟にうまく利用されてしまった結果、情け深いばかりじゃないパパに変節したのかもしれない。

 義時には聞こえなかったようだったお鈴の音。義時は、妹のお墓に祈りを捧げていたところだったのだろうか。それとも、亡妻の八重さんの・・・違うか。とにかく、ここから満を持して主役登場だ。

「鎌倉殿の13人」大江殿、悪者過ぎる

善児に育てられる娘、トウちゃん登場

 本日、あと少しで「鎌倉殿の13人」の第25回が始まるというのだから、先週の24回「変わらぬ人」のことを今さら書かなくてもいいかなーとは思ったものの・・・気になることは短く書いておこう。

 みなさまの癒しだった蒲殿(源範頼)が「マクワウリ」に気を取られている間にサクッと殺されたシーン。ああ、三谷さん、そうか・・・ここで殺しちゃうのかと残念だった。

 埼玉県の吉見で蒲殿の子どもたちが生存したとの記録があるので、そっちに逃げる説を選択する手もあるかなと思ったけれども(吉見の皆さんも期待していただろう)、義経と同じように「こうあってほしい」伝説には逃げずに、無残にも殺される方が選ばれた。まあ、修善寺にお墓もあるのだし、吉見にて長寿を全うしたとなると、修善寺の立場が無くなる。それは致し方ないか。

 何が怖いって、蒲殿の刺殺寸前に後ろでスローモーションで農夫と妻が殺されていくところ。そして、手にしたカマをしっかり構えて善児と対峙したのがたぶん農夫の娘のトウちゃんだった。

 成長したトウを演じる女優さんのキャスティングが発表された時に、彼女・山本千尋が中国武術の達人なんだと知ったが、「あの善児が子どもを育てるなんて!」との驚きが大きかった。

 でも、よく考えてみれば、あの頃の人は奴隷として普通にやり取りされていたのだし、トウちゃんも養女であっても善児の奴隷だったのではないかと想像した。あのシリアルキラーが、愛情深く子どもを育てようと考えるとは思えない。

 ただ「コイツは筋が良さそうだから役に立つかもな」ぐらいの感覚で、奴隷としてこき使う一方、刺客としての技術も教えたんじゃないか。蒲殿でさえ、なす術もなく殺されていった中、カマをとっさに構えられるぐらいの反射神経があった彼女なのだ。

 善児にいたぶられる中でどれほど強くなっていくのだろう、トウちゃんは。善児も齢を重ねて殺し屋としての職務が全うできなくなっていくのを、トウにやらせるのではないか。殺し屋の世代交代か。

 トウちゃんが自由になるためには、自分で善児を殺すしかないような気がする。善児が簡単に他で死んでくれるとは思えないし。自分の育てた作品に殺されて、稀代の殺人鬼も退場していくのか。鳥が盛大に鳴き叫ぶんだろうな。

蒲殿の件、納得が薄かった

 善児の名前がオープニングにあると、「ヒッ」と恐怖が走る。鳥の鳴き声がキーッキーッと聞こえて人が死んでいくんじゃないかと怖くて仕方ないが、蒲殿の刺殺の時もやっぱりそうだった。(ところで、あれは何という鳥が鳴いているんでしょうね?)

 うちには大江広元の子孫の端っこ(たぶん)がいるので、第24回も大江殿の言い草にはピクッとくるものがあった。演じているのは「真田丸」のデキる叔父上だし、めっちゃ応援しているんでね。

 大江殿、言ってることは正しい。前回も、富士の巻狩りでの頼朝暗殺情報に混乱する最中でも「ハッキリ正しいことが分かるまでは動くな」と蒲殿に言っていた。ただ、それを頼朝に報告しちゃうんだ・・・残念。当時の混乱ぶりを知っているはずなのにね。

 それから、蒲殿が差し出した起請文にある「源範頼」の源氏名乗りに難癖をつけるのは・・・視聴者側にはまさに難癖にしか見えなかった。主人公・義時にも「言いがかりにございます!」と言われちゃって、義時に花を持たせた格好(主人公ですから)。

 それにも構わず難癖を続けたのには、吾妻鏡にある通りらしいけれども、こっちには唐突過ぎた。比企殿もそうだけど、「えー、大江殿を悪者にし過ぎじゃないの」との感想は、こちらの単なる身内びいきかもしれないが、もうちょっと、端折らずカバ殿が不利な状況をドラマでも説明しておいてほしかった。

 蒲殿の従者が頼朝の寝所に忍び込んだ話は、かなりマズい。それでの処分とすれば納まりは良かっただろう。それと、曽我兄弟の同母兄弟(原小次郎だそうな)が、蒲殿の家人に居て、やはり処刑されている件。例の岡崎義実と大庭景義の出家と同じ頃だという。

 これだけを聞いても、何か陰謀がありそうな匂いが漂ってくる。ちなみに、「草燃える」では岡崎義実と大庭景義が富士の巻狩りをめぐる謀反の動きの黒幕として描かれていたらしい。夢中になって見ていたはずなのにそこらへんを全然覚えていない。ただ、ふたりが気になって仕方なかったのは、記憶の深いところへの刷り込みがあったのかな・・・。

 脱線したが、つまり、大江広元はそれだけの情報を手にしていたからこそ「蒲殿が常陸などの御家人グループに担がれてしまって富士の巻狩りを機にクーデターを狙っていたのではないか」と最初から疑ってかかっていたのだと分かる話にしてくれていたら。そういった裏情報があれば、この期に及んでのカバ殿の源氏名乗りがどんなに危険な意味を持つのかも伝わるので、あれだけ蒲殿に厳しくても「なんなのアレ?」と子孫にまで大江殿が言われなくてもよかった訳だ。

 せっかく八田知家が出てきたのだから、富士の巻狩りに引き続いての多気吉幹との何かタイミングを計ったようないざこざを描いてくれても・・・常陸の国の御家人の怪しげな動きを描いて、そのカバ殿とのつながりを仄めかしてくれても良かった。

 ドラマでは、その点での大江殿とカバ殿との問答が「曾我兄弟とのつながりは」「無い」だけだった。常陸の動きまで描くのは無理があったのかな?でも、八田知家としても、活躍の場が万寿のための小鹿の細工だけでは悲しいはず。

 ドラマでは結局、大姫の死は蒲殿による呪詛によるものだ(!)と断定した頼朝が、梶原景時を呼ぶところまでが描かれ、蒲殿抹殺につながった。呪詛が重要視されていた時代だとはわかるけれども、なんだか理由としてはメチャクチャ、弱いなあと思ってしまった。

 いいのかな、頼朝のメチャクチャ感を出したいのだとすれば。でも、大江殿がイチャモンに巻き込まれて悪者になってるのは悲しすぎる。

 それと、またまた脱線するけれど、頼朝は自分と同じように人が考え行動するのだと信じすぎ。自分だったら同じ状況に陥ったら相手を呪詛するんだ、でも蒲殿はそうじゃない。死を前に、神仏に見放された独裁者というものはこうやって周囲を信じられなくなって追い詰められていくものだと三谷幸喜は描いているのか。頼朝もプーチンも似ている、危険極まりない考え方の持ち主だ、と。

やっぱり都はコワイ

 大姫を呪詛の件、頼朝のこの時の一番の願いが、大姫が入内して帝の子を授かって、その男皇子が次代の天皇になることだったと描きたいのだろう。神仏の声が聞こえなくなったので、平清盛が徳子を入内させて安徳天皇を授かった前例に倣おうと。もっと言えば、それを超越したいと。

 でも、平家のその後の悲劇はみんな知っている。安徳天皇は壇ノ浦で海の藻屑と消えた。入内には無理があった。思い出すのは、「位討ち」という言葉だ。平家一門が丸ごと都から放り出された。

 頼朝長女の大姫も次女の三幡(乙姫)も、若くして死んでいくのは、朝廷側による呪詛もしくは指し金だったのでは? もう頼朝に、清盛のように振る舞われてはたまらない、と都人が考えるのは自然だろう。

 それを感じさせたのは、鈴木京香演じる丹後局の恐怖の「世間話」だった。怖かった~!でも、正直にあそこまで言ってくれるのはご親切というものか。莫大な贈り物があったというから、世間話程度には都の考え方を教えてあげようと思ったのか。

 さて、今夜25回は次女の三幡と、とうとう頼朝本人の死が描かれるのだろうか。もう6月も終わる。スケジュール的にも、半年での頼朝退場は丁度よい。13人による争いが閊えて待っている。

 よく言われるように、頼朝は落馬はするんだろう。オープニング映像にもなっているくらいだから。でも、どうやって?誰かの細工、暗躍があるのか?これまで悪行を重ね神仏に見放された頼朝が、落馬程度で死んでいくのをガッカリする視聴者もいるかもしれないので、三谷さんがどんな仕掛けにしてくれるのか期待したい。

 そうそう、24回についても期待を裏切らない解説をしていたYouTube「かしまし歴史チャンネル」きりゅうさんに盛大な拍手を送りたい。

 阿野全成が源氏物語の「桐壺の巻」の冒頭部分を紫式部になり切って(?)言い出した部分は、単に冒頭だから程度に考えて見ていたけれど、きりゅうさんは、もっと深読みして、後ろ盾なく入内していじめられて早死にした桐壺の更衣(光源氏の母)に大姫を重ねようとしていたのでは?と。確かにそうでしょう!

 桐壺の更衣も、亡き父が望んでいたからと無理くり入内したんだもんね。無理しても、弘徽殿の女御など有力者の娘があまた侍る中、帝には愛されたけれど苦労するだけ苦労したんだもんね。

 それから、三浦義村があっちこっちと立ち回る話の中で、彼の衣装にはコウモリが描かれていると・・・全然気づいていなかった。すごいなーすごすぎる。

 三谷幸喜と対談してくれたら、すっごく楽しそうだ。してくれないかなー、NHKさんどうでしょう?絶対見ますよ。

www.youtube.com

(ところどころ敬称略)

 

「鎌倉殿の13人」なぜ曽我兄弟は石を投げた?

山の神は金剛(泰時)を祝福した

 今期のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、6/12に23回「狩りと獲物」が放送され、有名な「曾我兄弟の仇討」が重要なモチーフになって話が展開した。(以下感想、がっつりネタバレです。ご注意を)

 頼朝が自分の後を継がせて二代目鎌倉殿にしたい嫡男・万寿。そのお披露目の場として催された富士の巻狩り。しかし、万寿は狩りの方はてんでダメで、軽々と猟の成果を挙げたのは義時の長男「成長著しい金剛」の方だったわけだが、この「成長著しい」というテロップには笑った。

 それもそのはず、前回の子役からいきなり、大人の役者・坂口健太郎(30歳)になったから、違和感はありあり。当時、金剛はリアルで満9歳だったそうだし、本当にNHK大河は役者にも視聴者にも無理をさせる。で、その言い訳にも見えたテロップだった。

 古くは「江」の上野樹里とか・・・幼い江は上野樹里が別番組で演じていた「のだめ」のようで、見ている方が困ったのを思い出す。

 しかし、頼家と泰時の行く末を考えると、狩りの成果の描き方は感慨深かった。

 一方の万寿・頼家は、はかばかしい実績もなく悲劇的に歴史から退場していくから、狩りでも苦戦。もう一方の金剛・泰時は、御成敗式目の制定を始め多くを成し遂げる3代目執権となるから、獲物も面白いように獲れていた。

 ということで、ドラマでは、山の神は名宰相となる金剛の未来を盛大に祝ったことにしたのかな。なるほど。

 また、万寿が放った流れ矢が、比企能員に命中したのも何か暗示的だった。これから暗躍しようとする比企を、神がやめろと止めたのか。万寿も比企も気づかないけど。

 この巻狩りパートは、周囲が大人の事情で万寿を成功させようと四苦八苦、右往左往して、また「俺たちの」金剛がマイペースで、色々と笑えた。梶原景時の「死屍累々」が義経ロスを病み過ぎてて良かった。

 そうそう、万寿は事件後の采配は「お見事」だった。今後、ドラマでは暗君とは描かれないようだ。それなのに抹殺されるんだね、その運命を考えると悲しい。

 では、幼い曽我兄弟は、なぜ工藤祐経に石を投げた?

 さて、曽我兄弟の討ち入りの話は・・・ドラマでは、表向きは坂東武者として誉である親の敵討ちのはず(北条時政パパが騙されて手を貸した)が、実のところ曽我兄弟が狙っていたのは源頼朝の暗殺だった、という内容になっていた。

 この兄弟の暗殺未遂事件を、「敵討ちを装った謀反」ではなく、「謀反を装った敵討ち」であると転換させて幕引きする策を持ち出したのが主人公・義時だった。兄弟の決死の志を踏みにじって。

 こういう策士ぶりが、頼朝に似てきたところ。義時が、ポーカーフェイスで繰り出した策、その息子の「成長」を信じられない思いなのか、厳しい目をして無言で見送った時政パパの表情が印象的だった。

 この脇の甘い情の深いパパが、いつ変貌していくのだろう。今回、烏帽子親だからと曽我五郎に情けをかけたことでまんまと利用されて北条を危うくしかけたことが、心境の変化につながるのか。

 そういえば、頼朝が平泉で主人・藤原泰衡を裏切った河田次郎をすぐに斬首させて「これからは忠義が大事」と言っていたことは、今回の事件処理策の伏線だったのかもしれないと思った。

 頼朝は当然ながら不名誉な謀反が起きたことにされるよりも、忠義の流れに沿った敵討ち事件が起きたことにする方がいいに決まっている。曽我兄弟にとっても敵討ち成就とする方が、名誉であるはず。義時の策は双方ウィンウィンだった。

 しかし、討ち入り後に「稀なる美談として末代まで語り継ごう」と頼朝に言われた際、弟の曽我五郎時致は「ちがう」と大声で反論し、「(没落した伊東家の長だった祖父の)祐親を死なせたのも、坂東をおかしくしたのも頼朝なんだ」と、あくまで狙いは父を殺した工藤祐経ではなくて頼朝の方だったと言い張った。

 でも「そうすると、なんで子どもの頃に工藤祐経にしつこく石をぶつけていたんだい、君たち兄弟は・・・」と見ていたコチラは突っ込みたくなってしまった。第何回だったか。

 だとするならば、むしろ幼少期の兄弟が工藤祐経に逆に懐いているシーンでも出しておけば良かった。それを見た八重さんが「父の仇なのに」と思いながら眉を顰めて小四郎に愚痴るとか。それなら「祐経には大して恨みもなく育ち、伊東を没落させた黒幕は頼朝の方だとして憎悪を募らせたんだねー」と納得もするんだけれど・・・。

 やっぱり通説の言う、祐経も第1のターゲットになり、そして第2のターゲットは頼朝だったという方がしっくりくる。ドラマのような、偶然に工藤祐経を討てたという解釈にしたことについて、泉下の曽我兄弟は怒らないかな?

 兄の十郎が、例の「十番切」無しでいきなり仁田忠常との斬り合いに突入してしまったのも(えー、そんなあ)と思ったポイント。あの源義高の従者だった彼が海野行氏になったとすると、十番切の勝負の中でまた見られるのかな?と少し期待していた。残念。

 時政パパに頼まれて頼朝の宿舎を守り、曽我兄弟のグループと戦ったのも、ドラマでは武士の鑑・畠山重忠。そこで戦い始める前に、北条の兵に先ずは「北条殿が引けと言われている」と伝えるとかしないのかなあ。大体、仁田忠常がおかしいと言い出した時に、なぜそのまま北条の兵は五郎に付き従ったのだろう。そこも違和感。

 そうじゃないのになあ、と関係者を先祖に持つ人たちはテレビの前で悔しがったかも? 有名な仇討事件だけに、そんなことを思った。

来週は蒲殿が進退窮まるのか😢

 予告では、頼朝が「儂を説き伏せてみよ、範頼!」と怒気たっぷりに怒鳴り、範頼を演じる迫田孝也がうなだれる顔が映り、義時が「言いがかりにございます」と言っていた。

 その前に文官の大江広元が「正しいことが分からぬまでは動かぬようにと言ったのに、まるで次の鎌倉殿のように」範頼が振る舞っていたと頼朝に報告してしまったのは痛恨の一撃だったはず。

    次回で、範頼は進退窮まってしまうのか?とうとうか。

 富士の巻狩りだって、万寿(頼家)の二代目鎌倉殿として相応しい嫡男であることをお披露目する設定だったわけで、誰が鎌倉殿になるかというのは頼朝の逆鱗に触れる超微妙な重要ポイントだ。

 だから、大江広元、そんな言い方しないでおくれよ・・・もう朝廷に手紙出しちゃったのかな、三善康信・・・おっちょこちょい設定だったよね。ああそうか、これは2代目から3代目に移るときに実際に起きることだよね。まだ死んでないのにそう朝廷に伝えてしまうって。

 とはいえ、こうなってしまったのも、巻狩りでの頼朝の寝所が襲われたことを聞いて「鎌倉が滅びますぞ」と範頼を脅しつけて鎌倉殿就任を煽った比企能員のせい。

 「時が無いのが分からぬか」とまで真剣に悩むに至った範頼。比企のニヤッとした顔が気味が悪かった。比企家の娘をお嫁さんに範頼はもらっているから、万寿が死んでも、一族の婿殿が出世してくれたら安泰・・・という汚い期待があるんだね。

 やっぱりね、歴史は動かせないものね、と義経ロスも治りきらないまま多くの視聴者は悲しく思ったことだろう。蒲殿の退場は近いようだ。

 「真田丸」の三十郎で初めて認識した蒲殿の中の人・迫田孝也は、真田丸以降もあちこちでずいぶんと「出たがり」に見えていたので(失礼!)、今回の蒲殿のように控えめな紳士を演じるのはギャップがあるよな~と思っていた。でも、ちゃんとカバ殿している。良かった。

 それだけに、退場を惜しむ人も多いだろう。既に前回、比企に水を向けられて「兄上あっての私」と担がれるのを否定したカバ殿。義高や義経の末路を見ていて、頼朝に反抗するための神輿を探している人たちにうっかり担がれないように、きっと用心に用心を重ねてきていただろうに・・・鎌倉が滅びるまで言われちゃったらねー。

 そういえば阿野全成も、妻の実衣に「不届きなことを考えるのはやめろ」と警告していた。比企にしろ実衣にしろ、「運を引き寄せたい」と考えて心を躍らせてしまうのだろうけれど、蒲殿や全成の場合は、血筋的に万寿に取って代われる存在だからこそ命の危険に直結する。軽々しく言えることではないのだ。

 ましてや全成夫妻が育てている万寿の弟・千幡はさらに強力だけに危険。全成は二重の意味で危険なのだろう。出家していただけに慎みがあって良かった。

 頼朝の実の弟のふたりは、頼家の世を盤石にするために命を散らすことになっていく。ドラマには登場しないけれど、他にも実際は潰されることになる源氏の血筋もいるそうだし・・・南無阿弥陀仏。

気になる岡崎義実

 前回「義時の生きる道」では、上洛後の飲み会で蒲殿を囲んでいた中に岡崎義実がいた。彼は、曽我兄弟が敵討ちしか知らせずに時政パパから兵を出させ、実際は頼朝を襲撃することで時政パパをはめるつもりであることを、比企に伝えていた。ヤクザの親分が他の組をはめる話をしているみたいだった。

 その時、岡崎義実は曽我兄弟の義理の父・曽我祐信が幼なじみで兄弟を支援しているのだと言ったようだった。それで襲撃事件に彼も1枚噛んでる訳?じゃあ祐信も?・・・それはないよね。その後にも処分されてないし。

 曽我事件の後、蒲殿が粛清され、その関係で処分されたかと噂される御家人も多気義幹などいるそうだ。頼家を安泰にするための、蒲殿を支える御家人に対する頼朝による処分か。その中に岡崎義実もいたということなのだろうか。

 國村準が演じ処刑されていた大庭景親がいたが、その景親の兄・大庭景義は、ドラマには出てきていないのだけれど、討ち入り事件後に義実と同時に出家させられるそうなのだ。ウィキペディアには「建久4年(1193年8月24日に義実は大庭景義とともに老衰であるためとして出家入道した」と書いてある(岡崎義実 - Wikipedia)。

 老衰って・・・何かとても不自然だ。

 こういった点が、来週の蒲殿失脚のプロセスで描かれていくのだろうか。図らずも、曽我事件によって明らかにされてしまった万寿(頼家)のライバルたちや争いの種。それを頼朝が粛清にかかる。天の声が聞こえなくなった頼朝の終焉も見えてきた。ドキドキしながら来週も待ちたい。

(敬称略)

「ちむどんどん」離脱組には名作「芋たこなんきん」

目に入ってくる「ちむどんどん」記事

 NHKの朝ドラは、習慣で見ることになってしまっていた。しかし、今期「ちむどんどん」(特にニーニー)は避けたい。困ったことに、それを許してくれないのがヤフーなどの検索エンジンだ。

 私は朝ドラ好きだと認定されているらしく、パソコンを開けば関連記事が選ばれて主要ニュースと共に並んでいるのだ。えー、見たくないのに。

news.yahoo.co.jp

 それで、主人公・暢子(「ちむ子」とネットによって名付けられているんですね)が常識の無さを露呈して、困ったオーナーが新聞社のバイト(ボーヤ)に出したらしいと、先週のどこかで項目を眺めているだけで知ってしまった。

 なんで新聞社で修行?唐突だけど、気になる・・・過去にボーイも記者も経験した身としては、30年以上前だけど。迷った結果、NHK+で倍速で先週見た。(なんだ、結局見てるんじゃん)と自分で突っ込みました。

 ちなみに、過去の「弊社」ではバイトさんは「ボーヤ」でなくて「ボーイ」、私が居たのは英字新聞部だったせいか「ガール」と呼ばれた。外国人スタッフは違和感をそのままに私をボーイ呼びしたりはせず、性別を修正した。

 懐かしい職場、私がお世話になった頃に近い時代ではあるし、どのように新聞社が描かれているかに関心があって見たのだけれど・・・私を悩ませたタバコは無いし(朝ドラだから当たり前か)、ボーヤの先輩たちも描かれていなかった。

 バイトの先輩たちがいないと、ちむ子もロクに戦力にはなれないと思うけどな? 超忙しい記者や、ましてやデスクが、ボーヤ仕事を直接面倒見てくれるなんて贅沢な話だと思ってしまった。

 そうか、ボーヤとは言いつつも、アッラ・フォンターナのオーナーに頼まれてのお客さんだもんね。それでいいのか。

 で、暢子は・・・粗忽でとにかく騒々しい。もっと静かに着実なお仕事を迅速にしないと、記者の邪魔になってしまう。いや、なってた。昔の記事を探す場面も、あんなにのんびり非効率な方法では探せるものも探せない。文芸部とはいえ、時間が勝負の新聞社では1分1秒が大事なのに。

 そう思ったのは私だけじゃなかった。こんなツイートがあって、「まんぷく」の萬平さんが登場したのがキャラ的にドンピシャで面白かった。

 ・・・投書欄担当者に聞く必要は無いかもしれないね、日々大量の投書にまみれて右から左できっと忘れているから。でも、それ以降は正解かと。それと、昔の掲載記事への問い合わせは新聞社では日常茶飯事。探し慣れている窓口の方たちを動員すれば、パッと探せたのではないかなー。

 何かのんびりしていた暢子だったけれど、いつの間にかボーヤとしてあっさり認められるようになり(!!)、社会常識も身に着けて(?)アッラ・フォンターナに無事復帰。早かったな~まるでゲームのステージを1つクリアしたみたいな? 放送上も、新聞社編はたったの1週間だった。

 もうね・・・そんな新聞社での話なんか視聴者は見たいのかな?それこそ今週のイタリアンおでんのような唐突さ。もっと暢子の正当なお料理の取り組みを見たかったのにね、アッラ・フォンターナでの一流に通じる技術の習得とか、どうなっているのか。

 それが今週の「おでん編」で描かれたかと言えば、今朝の土曜日の1週間のまとめを見た限り、そうじゃなかったっぽい(話題についていくために土曜日だけ見とけばいいみたい、と落ち着いた)。なぜてびちで解決なのか。

 脚本家さん、あんまり料理に関心ないでしょ?イタリアンおでんに走るとか分かりやすい難問クリアとか、表面的な話ばかりで、そんな感覚を持った。

 それに、ニーニーの惨状は余計にレベルアップしてそろそろ逮捕されてほしい頃合いになっていたけれど、良子ネーネー、智ニーニーがやっぱりダメダメに描かれてきていて、ドラマの主人公家族に近いウチナンチュの人たちの誰にも共感できない状況になっていると確認できたのは残念だった。そして元凶の優子さんは、安定的にひどい。

 それはヒロイン・暢子も同じ。他人からの言葉を「偉そうに」とばかり受け止める反発心ゴリゴリの人を、なぜ視聴者が応援できると思うのか不思議だ。普通に嫌われキャラの描き方だ。

 思えば、同じ脚本家による「マッサン」も主人公が勝手すぎて、結構頭にきた。苦労させられっぱなしのエリーが私の中では主人公、見ているときは心の支えだった。脚本家さんは「マッサン程度の勝手な振る舞いは、受け入れられる。大したことない」と評価してきたのか。いやいや、ひどかったけどね。そうすると、賢秀は「ちょっとヤンチャ」ぐらいにしか思ってなかったか?

 ああ、もう見たくない。「ちむどんどん」はどうでもいい。

 応援できるとしたら、今はオーナーだけかな?オーナーを主人公にした朝ドラだったら、見たかったし面白そう。暢子をオーナーの下に養子に出していたら、それこそいいドラマになっただろう。

「芋たこなんきん」で心洗われる朝

 NHKはやっぱり考えているな、と思うのは、「ちむどんどん」脱落組の朝ドラファンのために、ちゃんと名作「芋たこなんきん」を放送していることだ。

 朝の7:15からBSで見られるときは見るけれど、頻繁に見逃したりして日曜日のまとめで見ていた。それでは飽き足らず、腰を据えてしみじみともう1回視聴したくなって、結局録画をし始めた。

 ちょうど、土曜日の今朝は奄美の郷土料理ということで鶏飯と豚足が出てきた。「ちむどんどん」とマルかぶりだ。でも、丁寧なお料理コーナーは主人公が一流シェフを目指すという触れ込みの「ちむどんどん」こそが参考にすべきだったんじゃないのか。

 血のつながりだけで、誤りがあっても正さずに「何があっても家族」と言い張って問題に向き合わないのが気持ち悪い「ちむどんどん」。正義や倫理観はどこへ。それとは対照的に、「芋たこなんきん」では、再婚相手の健次郎さんの、血のつながらない連れ子たちとも「おばちゃん」として主人公が細やかに生活をしていく。作家の田辺聖子をモデルに、藤山直美が演じている。

 健次郎は、今週もここぞというところできちんと義理の姪を諭している。きちんとした大人が存在することの、その幸せなことよ。視聴者は安心する。

 FAYRAYが歌うテーマ曲「ひとりよりふたり」も誠に涼やか。朝から素晴らしいドラマを見せてもらえて、幸せだ。

 皆さん絶賛のツイートを、私もウンウン頷いて読んでいる。

 思えば、國村準をちゃんと知ったのは、この「芋たこなんきん」のカモカのおっちゃん(健次郎)だった。それから好きな俳優さんになったのだったが、この信頼感の持てる感じは、この役柄で明らかに刷り込まれた。

 (そう思うと、ニーニー賢秀を演じている中の人・竜星涼がかわいそう。いくら「あさイチ」でフォローしても。別のドラマでいい役柄をNHKは速やかに与えるべきだろう。)

 國村準といえば「鎌倉殿の13人」では生首がぶら下げられていた大庭景親を演じていた。このことについて書こうと思っていたけれど・・・別稿にしよう。

(敬称略)

亡き息子(猫)が夢にご出演・・・のはずが

ドラマブログと化している今

 このブログは、亡き愛猫を偲ぶグリーフワークのようなつもりで書いていこうと思っていたのだけれど、結局のところ、最近はNHKの朝ドラや大河ドラマを中心に、テレビドラマの感想ばかりが並ぶことになっている。

 まあ、それでいいのかもね。心を慰めるためにドラマを見て、フィクションの世界で展開する他人の生老病死に思いをはせる。そうすることもグリーフケアになっているはずだから。

 そもそも、既に息子が逝って2年4カ月が6/4で経過した。「もういい加減、ペットロスも無いでしょう」との声がどこからか降ってきそうだけれど、対外的にはともかく、心の中では私の中では変化があったとは思えない。

 人間の子のない私にとっては、猫でも家族、息子だ。家族を喪うというのは、そういうこと。悲しみはいつまでも消えない。ただ、悲しみを抱えやすくなっていけるよう、ソフトランディングを目指すまでだ。

 今の私の楽しみは、息子と共に頻繁に旅した伊豆の国市の温泉宿に、また夫と行くこと。ただ、現在はそこを地元とする「鎌倉殿の13人」が絶賛放送中だからだと思うが、今は通常よりもお宿の宿泊料が高くなっている(!)。

 もちろん、ご商売だから当然人気の時期には高くなるのだろう。悪くは思わないのだけれど、私たちは急ぐことも無いので、「また通常料金に戻ってから泊まりに行こうか」と夫とは話している。

 人気のあるのも善し悪しだ。

息子の夢、新パターン

 さて、最近も私たちの生活の中には色濃く息子の影は存在していた。

 夫が買ってきたガーベラを生ければ、息子の死後まもなく私が「ここにいるんでしょ、何かわかるように落としてごらん」と呼びかけた30分後ぐらいに、不自然に散ったガーベラの花を思い出したし、冷蔵庫の前を歩けば、冷蔵庫のピカピカの扉に反射して見えた自分の姿にびっくりしてクルクル回った息子の姿を見たような気がした。

 昨日は、夫と一般的な「猫の額」の話になって、私の頭の中にはいつもチュッとご挨拶させてもらっていた息子の額(このブログのタイトルにもなっている「黒猫の額」)と、そうされる時に夢見るように目を閉じて私の方を向いて顔を差し出していた息子の姿が再生された。

 それも、くっきりありありと。息子は今も、我々の生活のレギュラー選手だ。

 それで夜も、睡眠中に夢に出てきているのはわかったのだけれど・・・記憶しておきたい場面があったはずなのに、朝になって起きるとやっぱりあまりおぼえていない。残念だ。

 今、おぼえていて言葉にできそうなところを書いてみると、夢の中で我々は「大草原の小さな家」で描かれた、アメリカの開拓時代に生きているようだった。

 どうやら日本人ではなさそう。父が自力で建てたというローラの家よりも、どちらかというとネリーの家みたいなしっかりした家のキッチンで、夫が「パリ仕込み」だという触れ込みで変なパンケーキの作り方をしていた。

 ボールに並々溶かしたバターの中に、パンケーキ生地を丸々投入してしまい、しばらく待ってからパンケーキを普通にフライパンで焼くのだという。自信満々な夫とは対照的に、私は心配になり、バターに浮かぶ生地を横から覗き込んでいる(その時代に耐熱ガラス製のボールがあったのかと言えばそうとは思えないのだけれど)。

 足元には息子クロスケがうろちょろしていた。

 その後、パンケーキがどうなったのかわからないまま。新しい家に引っ越したらしく、キッチンにある新しい棚や床にある収蔵スペースに「ここにクロスケのごはんを入れたらいいよね」などと話をしていたはずが・・・「もう入れることも無いんだ」とクロスケは死んだことになっていた。クロスケの姿も消えた。

 これは新しいパターンだ。夢の中で、息子クロスケが死んでそれを悼んでいる私たち、というパターン。いつも夢では息子は生きて一緒に生活していたのに。

 どうなっているの?と寝ている私は混乱したのか、そこで目が覚めた。二度寝して続きを見ようかと思ったが、既に起床してもいい時間だったのでそのままになった。

 昼寝・・・してみようかな。息子Blackyが再登場してこないかな。

「鎌倉殿の13人」義経に続く、八重さんロス

八重さん、わかっていたとはいえ😢

 先週のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、とうとう主人公・北条義時の愛妻・八重が落命した。そろそろ正妻である比企家の姫の前が出てこないといけないから、八重はどうするんだろうとは思っていたが・・・やっぱりの水死パターンとなった。

 そうならないと、静岡県伊豆の国市にある真珠院が困るもんね(https://izumoude.com/tera/shinjuin.html)。伊豆の国市には何度も旅しているが、数年前に真珠院にもお参りした。頼朝の政子への心変わりを知ってだったか、千鶴丸の後を追ってだったかで、伝説の中の八重は入水自殺を遂げていた。

 八重をお祀りしている真珠院では、身を投げた八重を救いたい気持ちからか、川に降ろす「梯子」をかたどったアイテムがあり、それを奉納する仕組みになっていたような気がする。

梯子供養

八重姫が入水した時、せめて梯子があったら救うことができたという里人の気持ちが今日願い事が叶ったお礼参りとして、小さな梯子を供えるという習慣として残されている。

 その真珠院の伝説に沿った形になったのは、フィクションとはいえみんな納得する形なんだろう。でも・・・悲しすぎる。

 八重の実家の伊東家が没落した今、北条家の都合というか鎌倉社会の安定を考えれば、義時が実力者の比企家から正妻を迎える方が良いに決まっている。史実もそうなっている。比企尼の孫・姫の前「比奈」が義時と結婚する日まで記録にあるそうで(すごい!)、彼女の子どもたちの記録もあるから、それは避けようがない。

 だから、姫の前が出てきて正妻になってもいいから、フィクションなんだし、ストーリー上は八重を側室に落とすとかして何とか生き延びさせて、別の場所で子どもたちの世話を続けさせる運びにはできなかったかな・・・と考えてしまう。

 あれだけ宮沢りえ(りく)が、将来の泰時といっしょに孤児たちを育てることに難色を示していたのだから、それを利用して、孤児の世話を頑固に止めない八重が北条家を出されるとか・・・できたかもしれないでしょ?愛妻家の義時が、それはさせないか。

 義経には、大陸に逃げ延びられる可能性を残したようにも見えたのにな・・・。そこまでの八重さん人気を、三谷幸喜も予想できなかったのか。演じているのはガッキーなのだし、何か考えてほしかった。

 それで、八重が育てている子どもたちが、将来の得宗家の御内人たちの先祖になるとか?「北条時宗」では北村一輝が演じた平頼綱でしたっけ?あるいは「太平記」でフランキー堺が演じていた長崎円喜?その両者の先祖である平盛綱が、平清盛の孫の資盛の子だとか、出自不明とか言われているようなので、八重が世話をする親亡き子どもたちの中にちゃっかりいてくれてたら・・・見ている側は勝手に夢を膨らませている。

 とはいえ、忙しいガッキーをいつまでもギャラが民放よりも一桁安いと言われるNHKの大河に引き留め続けるのも、できない相談だろう。それに、冒頭に書いたように、真珠院の都合もある。大人のまとめ方としては、あれが一番いい着地点だったのかもしれない、悲しいけど。

 それでも、さすがはNHKと思うのは、あくまでも伝説のような入水自殺にはせず、水難事故にしたこと。しかも(千)鶴丸を救った上で、八重的には積年の悔やみを払拭できる達成感もある。昨今のコンプライアンス的に、正しい選択だ。今一番の癒しと言われる人気者を、自死させてはいけない。

PTSDの仁田殿

 そうだ、悲しいと言えば・・・恒例の大河ドラマ視聴後の自主的ウィキ祭りによって知ったのだが、遭難後の八重発見の報を北条政子にもたらした仁田殿、自分の妻も水死で失ったばかりだった。そりゃ泣きますよ。あれだけ泣いてもおかしくなかった。

  • 妻の菊子は貞女としてよく知られている。文治3年(1187年)忠常が危篤に陥った際、三嶋大社へ自らの命を縮める代わりに夫の命を助けてほしいと願文を捧げて参詣したが、嵐のために渡し舟が転覆して命を落としたのだという。(仁田忠常 - Wikipedia

 つまり、2年前に仁田忠常の妻は水死していた。そういう仕掛けがあったのか・・・三谷幸喜恐るべし。

 水死した八重の遺骸を見たのだろうから、仁田殿はフラッシュバックしたかもしれないな・・・PTSDの条件は揃っている。

 私も、今も生きているのだけれども、弟が川に流された情景をありありと思い出してしまった。弟の場合は、大勢の人たちが見ている前で流されたので、一斉に大人たちが怒号を上げながら川原を駆け出していき、下流にいた人が受け止めてくれた。あの時の両親の慌てぶり、弟が水を吐き出し、勢いよく泣きだすまでの時間が、とても怖かった。

 私の脇にいたはずの弟は、あっと言う間もなく川面に浮かび、スイスイとうつぶせのままリズムよく、人形のように流されていった。ものすごい速さで流れて行ったのを思い出す。

 だから、ドラマの八重さんの姿がパッと消えてしまっていたのを見た時に、そうそう、速いのよね、流されるとね・・・と思った。

 私は小学生、弟はまだ保育園児だった。この時に従兄が遊びに来ていて一緒に川遊びに行ったのだったが、もう半世紀前にもなるのに、最近になって従兄もこの話をしていた。私たちの中で強烈な思い出であり、くっきりと残っている。忘れようもないこの話、弟は嫌がるけれど。

気になるカバ殿

 それから今回、どうしても気になったのが範頼の動き。八重の受難を知って動揺する政子に対して、その場限りの慰めをわざわざ口にした。きっと生きて帰りますよとか何とか。結局、八重は死んだ。これが伏線に見えてしまって仕方なかった。

 時期的にも、そろそろだろうし。曽我兄弟の仇討が繰り広げられる富士の巻狩りは。工藤祐経も、静の舞の場面で史実通り鼓を打ったりして、視聴者的にも生存確認はできている。

 確か、よく言われている話では、その仇討の大騒動時に「私が居るから大丈夫」的な慰めを政子に言ってしまったことがカバ殿の命取りになるはず。政子は、頼朝まで命を落としたのかと動揺している場面。そこでそんな微妙なことを言ってしまうカバ殿。

 ドラマではどうなるだろう。安易な慰めをカバ殿が口にして、政子が八重の死を思い出すのではないか?「カバ殿がああ言うと不吉!」とか何とか騒がれちゃいそう。

 その彼の不穏な将来が、垣間見えたのが八重の遭難後の場面だった。ひぇー!と叫び声をあげてしまった。絶対伏線だと思うけど?

(敬称略)

「鎌倉殿の13人」義経ロス続く…逃亡説と遺児説と

チンギスハンになった・・・は無いのでは

 前回5/22のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、奥州平泉に逃れていた義経がどうやら妻と娘と共に最期を迎え、「義経の首」と称される物は鎌倉に届けられた。大泉洋演じる頼朝は、公式の態度とは裏腹に、その首を前にしてひとり号泣し、多くの視聴者を泣かせた。

 そうやって裏の人間的な面が描かれると、そろそろドラマからの頼朝の退場も見えてきているのかなと思ったりする。さらに、演じる中の人が「土曜スタジオパーク」か「あさイチ」のプレミアムトークに出ると危ない。

 そう、頼朝が言うのだから、その首の主は義経だと公式に認定された。ドラマからはサヨナラだ。初夏の暑さの中、遠方から運ばれた上に首実検の日時が延期されれば、美酒漬けであっても生首の損傷は進むが、どんなに誰の首だか判別不能だったとしても、それは義経。もっと菅田将暉の義経を見ていたかったな、残念。

 義経ロスは私だけではなく、「鎌倉殿」にハマっている家族は、「あれは義経の首じゃないだろう、やっぱりモンゴルに逃げてチンギスハンになったんだ」と主張する。あっちも、ロスのなせる業だ。

 もし平泉から北海道に逃げて、大陸に渡ったとしたら? 藤原秀衡が生前に何か仕掛けていたら可能なのではないか。奥州藤原氏の莫大な富は、大陸との貿易によって積みあがったとも聞く。それが本当なら、交易関係者のツテはあっただろう。

 金売り吉次とか?確か、そんな人がいた。歴代の「炎立つ」「義経」にも出てきていたかと・・・そうだ、ご老公西村晃と、女性版を紺野美沙子が演じていた。

 諦めきれない家族が主張する話で面白いなと思ったのは、そのチンギスハンになった元・義経の遺言で、元寇は起きたのでは?というところ。大河ドラマ「北条時宗」でも扱った、第5代皇帝フビライハン率いるモンゴル帝国による日本への侵略戦争だ。

 第8代執権・北条時宗を中心に、日本軍はモンゴル軍に文永の役(1274年撃退)・弘安の役(1281年撃退)の2度とも勝利した。時宗は、3年後の1284年にわずか34歳で亡くなっている。過労死だったとしても無理からぬこと。気の毒に。

 チンギスハン説は昔から言われてきた。でも、そこから元寇とは。先祖の遺言を守ったみたいな。義経が大陸に逃げてから、平泉が鎌倉軍の手によって灰燼に帰したと知る➡鎌倉に対しての怒りを募らせて子孫に遺言➡元寇、という流れは興味深い。タイミング的にもピッタリ、関係性を考えても面白い。

 「やあやあ我こそは・・・」なんて日本式の礼節に則って名乗りを上げている間に打ち取られた日本の将兵からすると、モンゴル軍の攻め方はえげつなかったと、昔高校の先生が言っていた。対馬や壱岐の島民は皆殺しにされたらしい。そのやり方は確かに「鎌倉殿」で描かれた、手段を択ばないサイコ義経っぽい。

 この生存説は、昔からの眉唾説だと聞いてはいたけれど、今はどんな風に評価されているのだろう。

 色々な人が色々なことを書いている中で、気になったのはコチラのサイト。大学院までしっかり史学を勉強された人が書いているらしい。源義経とチンギスハンは同一人物なのか?今でも語り継がれる疑惑を解明 - レキシル[Rekisiru] 

 チンギスハンが使用している紋章が、義経の清和源氏の家紋「笹竜胆」と似通っているという指摘はびっくりした。両者のものを見比べると「おお!」と目を奪われる。似てる。また、江戸時代には医師のシーボルトが義経=チンギスハン説を提唱していたそう。結構大事になっていた。

 あと、チンギスハンには「クロー」という別名があった(!)と、どこかのサイトでも見た。ホントなのか。出来過ぎだが、真実なら驚きだ。

 でも、いくら日本人側ばかりが義経への夢をチンギスハンに託したいと言っても、やはりそれはモンゴル国民にとっての英雄にケチをつけるようで、失礼な話ではないか。そして、現代的な決着は、既についていたらしい。

2004年のオックスフォード大学の研究者によるDNA解析により、モンゴル帝国時代のチンギス・ハンのもつY染色体が日本人には見られないものであると判明したことから、別人だと考えられる。(【チンギス・ハン】モンゴル帝国初代皇帝の人生と源義経説の真相 | 歴人マガジン (rekijin.com)

 この記事によれば・・・やっぱりチンギスハンは日本人ではなかった。義経じゃなかった。でも、21世紀に入ってからの決着だったのか。

 極東の国での疑問に対して、ちゃんと英国で解析した人がいたことにも驚かされる。義経は、こうやって長きにわたり愛されるだけの人物だったことは間違いない。

遺児がいたの?それはホントなのか

 さて、義経本人もそうだけれど、遺児についても生存説があるそうだ。知らなかった。が、こちらの方は義経=チンギスハン説よりも信憑性がありそうだ。

吾妻鏡』の文治3年2月10日条には、義顕(義経)が奥州入りした際に「正室と男子、女子の子供を連れていた」とされているが、衣川の戦いで死亡したのは4歳になる女児のみ記載されていて男子の死については記載されていない。『続群書類従』の「清和源氏系図」には源義経の男子として千歳丸が挙げられている。(陸奥国衣川館において3歳で誅殺されたとの記載もある。)秀衡が、常陸坊海尊に義経の縁者にあたるとされている念西に託すよう命じたとのことで義経一行が奥州入りした文治3年2月から秀衡が亡くなったとされる10月の8ヶ月の間に経若が連れ出されたされていることや衣川の戦いで亡くなったのが女子のみの記録などから、この千歳丸が経若であるとの伝承を裏付けているとの説もある。(中村朝定 - Wikipedia

 この義経の遺児・千歳丸の成人後の名は中村朝定(なかむらともさだ)というそうだ。秀衡が画策して養子縁組が先になされていたのだとしたら、奥州合戦を経てもしっかりと逃げられそうだ。

 義経の縁者として秀衡に命じられた念西という人は、どういう縁者なのかなと思ってさらにウィキ祭りに突入してみたら、義経のいとこだったとわかった。つまり、父・義朝の姉妹を母に持つ人物だった。そして、なんと伊達家の初代だとか。伊達朝宗という(常陸入道念西 - Wikipedia)。

 伊達家と言えば、敗戦の将・真田幸村の子女を大坂の陣の後に匿ったお家柄。初代から同じようなことをやっていたのか。

 そして、この念西の娘・大進局(だいしんのつぼね大進局 - Wikipedia)は、大倉御所で働くうちに頼朝の子を身ごもって庶子を生んでいた。貞暁(ていぎょう)という(貞暁 - Wikipedia)。政子が不快がり出産の祝いは省略され、実朝が生まれる前に子は出家のため京都へ、鎌倉を離れた。

 念西がこういった縁ある人物であるならば、秀衡から義経の子を託されて養育していても不思議ではない。口から出まかせのフワフワした夢物語でもなさそうだ。

 ウィキによれば、この義経の遺児と目される中村朝定は、鎌倉の監視下に置かれたらしい。こりゃもう、義経の子だと幕府も認めていたということじゃないのか。

承元3年、源実朝が常陸冠者為宗に長世保(現在の宮城県松山町)の拝領地の開墾を命じた際、朝定(義宗)を伊佐為家の鎌倉舘預かりとし実質は朝定(義宗)、縫殿助父子を鎌倉の監視下に置いた。鎌倉幕府は中村領を伊勢神宮領小栗郷「小栗御厨」を管理していた小栗氏に地頭を任じ中村領を管理させた。この頃、朝定は義宗と名乗っていたが幕府は義経に通ずる義の通字を良しとせず養父朝宗より1字賜り朝定と改めた。朝定、その子中村縫殿助、孫の中村太郎は、八幡宮に奉納するほどの弓の遣い手であった

 この承元という元号は1207年に始まるので承元3年なら1209年。時の執権は北条義時だそうだ。では、義時は義経の子、孫の存在をそうと分かって殺さずにいてくれたか。監視下に置いたのは仕方ないにしても。それにしても、名前まで元は「義宗」、それを改名させたとは。義経の子だと幕府が認めていたってことではないか。

 「鎌倉殿の13人」の脚本・三谷幸喜は「吾妻鏡がドラマの原作だ」と言っていた。この息子について、ドラマでも触れるだろうか?郷御前と死んだのは娘だけだったし。

 前回の静御前の男子を殺さざるを得ない方向で事が転がり出した時(つまり、静が覚悟を決めて華麗に舞い始めた時)には、先行きを悲しんで顔を赤くしていたように見えた義時。その後の平泉では、冷たく割り切って頼朝の策を実行して義経を追い込むことになったけれど、少し前の義時はまだ、義経のために涙していたのだ。

 だから、義経の遺児と対面する義時を、ちょっと見てみたい。その時には、また菅田将暉が演じてくれないかな、中村朝定を。

(敬称略)

 

「鎌倉殿の13人」義経は首で帰った

義経の逃亡説にも含みある描写

 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、5/22の第20回で源義経の最期を・・・はっきりは描かなかった。これだと大陸に逃げた説もOKになるけど・・・という描き方。見ごたえのある、よく練られたやり方だよなあと面白かった。毎回毎回、すごい。

 藤原泰衡が軍勢を率いて義経に迫る中、鎌倉へ帰ろうとする北条義時が義経がいる場へと弁慶によって強引に呼ばれたところで、もろともに死のうと義経に言われるのかと思ったら(でもそんな緊張感は義時側にも感じられなかったけれどね)、さにあらず。

 「弁慶の立ち往生」の下ごしらえ(へー、あんな風になっていたのか!)を進める弁慶と明るく別れを告げた義経が、義時に言いたかったのは義経が考えた鎌倉の攻略方法だった。

 それを、梶原景時宛ての文書まで渡して「行っていいぞ、来た道を行け」と義時を帰らせるのだから・・・当然、義経もその抜け道を利用すれば、戦闘中でも出て行けるということだ。(あれ?そんなのアリなの?義時も軍勢の餌食にならないか?)と見ている時は引っかかった。

 もう既に、弁慶は軍勢を一手に引き受けて戦っているところ。それを建物の内側から面白がって見ている義経しか、視聴者は見せられていない。

 義時は悠々と脱出した。そしてもし、義時が帰った後にあの場から義経も1人で抜け出て姿をくらませていたら・・・そうしようと思ったら、あの義経なら弁慶や妻子の犠牲への心理的葛藤もなく、サバサバと平気でやるだろう。

 首桶の中の首級は、逃げられた泰衡側が何としても用意するだろうし。黒焦げの首とか。前回の父・義朝のしゃれこうべ同様、「源頼朝が『そうである』と言えばそうなるのだ」という仕組みも視聴者は事前学習している。義経が死ぬところを最後まで見せなかったのは、チンギスハン説を信じたいファンにも優しい配慮だったのかもしれない。

 義経は、「どこでもやっていける」と義時にも言われていたし実際そうだろう。

 もちろん、義経があの場で死んだと素直に受け取ることもできる。自分の首を奥州平泉の平和を守るために使うとの諦めたような言葉は、義時をだますために言ったのではなくて、どこまでも純粋だった義経の真っすぐな気持ちと受け取るか。私はそっち派で行きたいが。

 頼朝は政治(謀略)の天才。義経は武略の天才。梶原景時が口にしたように、並び立たない天才の兄弟だったのだな・・・と義経の悲運を惜しみたい。義経を鎌倉から送り出したときの、頼朝とのやり取りが伏線として効いている。泣ける。菅田将暉の義経、かなり良かった。

 今作「鎌倉殿」の義経は、「炎立つ」で野村宏伸が演じていた義経像に近いと感じた(なんと弁慶は時任三郎)。ウィキ(炎立つ (NHK大河ドラマ) - Wikipedia)にはこう書いてある。

源義経(みなもと の よしつね)
演:野村宏伸
 同じく義家の玄孫で頼朝の異母弟。
 京の五条大橋で弁慶と決闘。その様子を見ていた橘似らに武勇を認められ、奥州で青年時代をすごす。国衡が指南する馬術や弓術には積極的に取り組むが、泰衡が指南する国史の勉強には関心を示さず、泰衡を悩ませる。
 頼朝の決起を知ると「二度と平泉には訪れない」と泰衡と約束を交わして平泉を起ち、頼朝の元に駆けつけ、源平合戦で活躍し平氏を滅亡させる。やがて頼朝と不仲になり、泰衡との約束について迷った末奥州に逃れる。秀衡の前で頼朝討伐の策を披露するなど復讐の機会をうかがっていたが、一方で自分の存在が平泉を危うくすることに心を痛めていた。

 確か、渡辺謙の泰衡とは恋人を取り合っていた。「炎立つ」の第3部は、渡辺謙演じる泰衡が主人公だったから、話が裏側から見られる。鎌倉殿のファンの皆さんにはかなりお勧めだ。第1部からとても面白かった。 

 タッキーが演じた「義経」もある。キレイキレイに義経を描き過ぎていたけれど・・・松平健の弁慶と、渡哲也の清盛、松坂慶子の時子が印象に残っている。白石加代子の語りもおどろおどろしくて良かった。

 それにしても、「鎌倉殿」の小栗旬・義時は完全に闇落ちした。静の顛末をつかって義経の怒りを駆り立てて、さらに泰衡を焚きつけ義経を討たせようとする。そうすることで、頼朝の策によって平泉はかえって滅亡することになるのに、義経には黙っていた。武衛の死でガン泣きしていた彼がなつかしい。

 あと、三浦透子が演じる正室・さと御前はすごかった。憎まれ口しか叩いていないのだけれど、義経を愛していたのが痛いぐらい伝わった。決定的なターニングポイントを作り、義経に道を踏み外させていたのは彼女だった(でも、そうさせたのは義経だ)と知った義経によって殺されても、穏やかな死に顔がそれを物語っていた。

 ちなみに「義経」では尾野真千子が演じていた。実力派若手女優枠なのかな。

藤原秀衡の息子たちは

 義時が泰衡を脅しつけている場面で、泰衡の弟・頼衡という人物が義時の魂胆に気づき、襲い掛かって善児に瞬殺されていた。気の毒に。あれは誰かと気になったので、ウィキペディアで調べた。

 論文を書くのではないのだから、こんな時はウィキがやっぱり便利。昔は家にある「コンサイス人名辞典」で調べても、父の「歴史読本」の棚をひっくり返しても分からなければ、図書館に行くしかなかったけれど、こんな風に主要人物以外でもある程度の知識が得られるのは本当に便利な世の中になった。

 もちろん、最近は精度が上がっているらしいけれど、ウィキは完全に信頼できるものでもない。

 例えば、「青天を衝け」で人気になった平岡円四郎。ウィキには子は男子2人しか書いていない(2022/5/25現在、平岡円四郎 - Wikipedia)が、娘が2人いたと子孫の人がコメントしているブログに行き当たった。コメント欄は、子孫同士が色々と情報を開示しあっていて、面白いことになっている。(平岡円四郎の妻と子たち | 歴史ぶろぐ (reki-historia.com)

 どうやら円四郎の子どもは少なくとも4人はいたようだが、子孫でも勘違いがあったみたいだ。そうか、妻の「やす」さんは「屋壽」さんだったのか・・・。

 脱線した。藤原泰衡の弟、頼衡についてはこちらだ。(藤原頼衡 - Wikipedia)少し引用する。

 『吾妻鏡』には五兄とされる通衡とともに名前が見えず、また『玉葉』『明月記』などの同時代史料や、『愚管抄』『六代勝事記』などの年代記にも頼衡に関する記述は無く、史料に乏しい。通衡・頼衡兄弟の名が見える『尊卑分脈』は、頼衡は文治5年(1189年)2月15日に次兄の泰衡によって誅されたとしている。この4ヶ月後には三兄の忠衡源義経に与したとして泰衡に討たれているが、頼衡が討たれた理由について『尊卑分脈』に記述はない

 明治期に著された『平泉志』は秀衡の息子たちについて、国衡・泰衡・忠衡・隆衡・通衡(利衡)の5名を挙げ、注において頼衡の存在に触れつつもその実在性を「信ずるに足らず」と断じている

(中略)

  • 岩手県紫波町小屋敷に「錦戸太郎頼衡の墓」と伝わる墓石がある。頼衡は源義経に与同したことから16歳にして兄・泰衡によって当地で追討されたが、これを憐れんだ里人たちの手によって埋葬されたものという。程なく泰衡の追求を恐れた里人によって墓石は打ち捨てられたが、近隣を通りかかった由利維平が夜道に光るものを怪しんで斬ったところ、光は頼衡の墓所へと維平を誘って消えてしまった。後日、頼衡の墓所には墓石が元の位置に戻っていたが、頂部が斜めに切断されていた。また維平は怪力で知られた武士だったため、維平の手によって墓石が戻されたのだと地元では信じられたのだという

 さすがに地元にはいろいろと伝承が残っている。「鎌倉殿」には国衡(庶長子)・泰衡(次男で嫡男)とともに頼衡の姿が見えて、子は3人かと思ったら、秀衡には6人も男子がいたらしい。

 長男の国衡、三男の忠衡、五男の道衡、六男の頼衡が秀衡の遺言通り義経を大将軍に奉じて戦おうとしていたのだ。もしそれが実現していたら、結果はどうだったのだろう。八幡神の化身・義経が号令して、奥州軍には地の利もあって。もしかして鎌倉幕府は開かれていなかったのか?それなのに、泰衡は謀略に乗って自ら弟たち3人までを殺してしまったのだ。ああ。

唯一の生き残り・高衡

 そして、泰衡側で生き残った四男の高衡(隆衡)がさらに興味深い。(藤原高衡 - Wikipedia

 彼は、討ち取った義経の首を鎌倉に運び、奥州合戦の後も梶原景時の庇護のもと、幕府の客分となった。それが、梶原景時の変で梶原氏が滅亡した後、その残党が兵を挙げた建仁の乱(建仁の乱 - Wikipedia)で命を落としている。藤原6兄弟のうち、唯一せっかく生き延びたのに。

 高衡は「本吉冠者」の名乗りがあり、陸奥国桃生郡の「本吉荘」の管理を担っていたらしい。そこは金を産出し、奥州藤原氏にとって特別な領地だったとか。

本吉荘は藤原摂関家領だったが「悪左府」と呼ばれた左大臣藤原頼長が、本吉荘を含む東北にあった自分の5つの荘園の年貢の大幅な増徴を命じた。これに対して(奥州藤原氏2代目)基衡は5年以上に亘って頑として首を縦に振らず、結局頼長が当初の要求よりも上げ幅を大幅に小さくしたことでようやく両者の交渉が妥結し、頼長を悔しがらせている。頼長が保元の乱で敗死した後、本吉荘は当時の後白河上皇の後院領となったため、高衡は院ともつながりを持っていた可能性がある。

(中略)

高衡の領地「本吉郡」には、源頼朝の死後、北条時政らに追われた、景時梶原景季ら、梶原一門が梶原神社早馬神社を中心に匿われている。これは頼朝が東北全域(特に安倍氏以来の北部)を支配できなかった証拠であり、この統治の為に高衡は生かされたと考えることもできるが不明である。

 ウィキの高衡の項には以上のようなことが書いてあった。あと、高衡の領地は良馬の産地でもあり、平家物語にもある源平合戦の時の有名な「宇治川の先陣争い」でも、梶原景季と佐々木高綱の両者が乗っていた名馬がそこの産だった・・・と書いてあったがどこだったろう。次々関連を読む「ウィキ祭り」をしていて、見失った。

 梶原景時の変も当然「鎌倉殿」では描かれるだろう。そこに秀衡の息子・高衡は登場するのだろうか?もう義経の首は届けられたのだし、出てこないかな。

 

「ちむどんどん」ありえん!離脱します

「カムカム」受賞おめでとう!

 昨期のNHK朝ドラ「カムカムエヴリバディ」が、4月のギャラクシー月間賞をもらったそうだ。おめでとうございます!

 色々とモンクを連ねつつも最後まで見た私。謎解きで引っ張られて見たような形になったけれど、それでも私のような視聴者でも離さなかったドラマだ。巧みの一言。脚本家ってすごいなと思った。

 その「カムカム」でさえ、安子編の惨状が続いて見る気が失せた時期があったので(その時期に「るい編」にバトンタッチした巧みさよ)、今期も我慢して見続ければ沖縄の青空のような晴れ晴れとした心境になれる日が来るのだろうか・・・。

朝からイライラ、見てられない

 今期「ちむどんどん」は、ほぼ見たくない状況になっている。離脱したいのだけれど、ニュースと「あさイチ」の間にいちいち他のチャンネルにもできず、ところどころ目に入ってしまっている。

 でも、もういい。離脱しようと思う。朝からイライラして見てられない。

離脱理由①:影を落とすどころじゃない、借金とニーニー

 主人公・暢子の家の借金問題。それに責任大のニーニー賢秀。5/20の放送では、妹の財布から10円だけ残してごっそりお金を盗んで消えた、救いようのないクズ人間だ。

  • 実家に送った60万円は、東京でボクシングジム関係者に借金し直しただけ
  • 返済もせず逃走
  • 無銭飲食
  • その店に、悪びれずにまた来る信じ難い神経
  • 妹の財布の金を盗んで逃走
  • それを競馬だか競艇だかの賭博ですってしまう

 警察沙汰になりそうなものがちらほら。娘を売り飛ばそうとした「おちょやん」の父・テルヲ並みの悪質さか。そろそろ美人な妹たち3人を、借金の形に順に売り飛ばしそうな勢いだ。このまま「闇金ウシジマくん」に話はつながっていくのだろうか。

 売り飛ばされるわけではないが、ネーネー良子は借金返済のために金持ち金吾からの求婚を受け入れそうな話が持ち上がっている。家族の苦境を全くニーニーは自分のせいだとは思っていないだろうし、良子が恋を諦めても、勝手にそうしただけでしょと言い放ちそうだ。

 こんなニーニーが、一生縁も切れずに死ぬまで兄でいるのは怖い。またテルヲのように、ここぞという時にヒロイン暢子の前に現れて金をせびっていくのだろう。それに翻弄されるヒロインと姉妹。それが見えるようで、身震いする。

離脱理由②:暢子のピンチに流れた明るいBGM

 そして、何より嫌なのが、制作側はこれを楽しいものとして描いていることだ。ニーニーのせいで女どもが理不尽に振り回され困るのがそんなに面白いのか。

 賢秀が消えた朝にお金まで消えて驚愕する暢子。その時にBGMに流れた曲は、何かハッピーな事柄にでも見舞われたかのような明るいものだった。

   なんで明るいテーマ曲?おかしいでしょ。暢子は困っているよね?鶴見から銀座への勤め先への電車賃だって無くなったはず。家族じゃなければ、立派な窃盗被害だ。それを面白がる神経を疑う。

 暢子も、ニーニーがそして母もそうだったように、また誰かに平気でお金を借りるのだろう。別に金銭を保管してあったとかじゃなければ、少なくとも借りないと出勤できないはず。

 「借金は、そんなに軽いものじゃないよ。貸してくれた人だって大変なんだよ。人のお金を当てにしちゃいけないよ」と、誰かドラマの中で暢子に懇々と諭して、ちゃんと彼女が「うちの実家の考え方はおかしかった」と理解させてほしい。

離脱理由③:酔客にからかわれる女は面白いか

 前述のBGMは、鶴見に来たばかりだった暢子が、大荷物を両手に酔客に絡まれて逃げようとした時に、反対側に行ったらまた別の男に絡まれそうになったのでまた戻り、元の酔客につかまりそうになって・・・の右往左往する場面で、追い詰められて泣きそうになった彼女のバックに流れた曲と同じものだろうか?

 違うものだったかもしれないけれど、鶴見で絡まれた時も、泣き顔の暢子を尻目に明るめな曲が元気に流れた。たぶんテーマ曲。

 見ていたこちらは呆気にとられた。上京した人への蔑視も感じられたし。そして、このドラマを作っている人たちは、酔客にからかわれている女の子を見て、助ける方に回るのではなく、面白いとか楽しいとかの感情を持てる人たちなんだと思ったら、嫌悪感が込み上げた。

 絡まれた側は本当に怖いし、追いかけられたことには相当後になっても怒りを感じるものだ。PTSDになる人だっているだろう。それだけされる側にとっては重い出来事なのに、キャーキャー言って逃げるのを「楽しんでいる」と誤解しているのか。

 波打ち際でキャーキャー言ってパシャパシャ水を浴びせあってはしゃぐ場合とか、子どもの頃の鬼ごっこ遊びと同じではないのだ。体力差が厳然としてある見知らぬ男に追いかけられたら何をされるかわからず、真剣に怖いのだ。これだけセクハラや性暴力が問題視されているのに、そんな場面を描く意味が分からない。

 「当時はセクハラなんか当たり前だった」というのを描きたかったのか?そんな問題意識など、微塵も感じられなかったけど。

 ②も③も、主人公の暢子が哀れだ。暢子が兄から搾取され、町で酔客にからかわれて怖い思いをする場面では、視聴者が笑う余地などない。それをただ面白がって見る立ち位置でドラマを作っているのなら、今どきその感性がおかしい。何でそんなものが2022年の朝ドラで許されるのか。1990年代か。

 人が転んだら、助け起こさずに指をさして笑う人たちがドラマを作っていそうだ。今後もヒロインいじめが続くのか。それを元気に乗り越えていくヒロイン?「純と愛」の失敗は知っているのかな。

離脱理由④:入浴シーン、要りますか?

 「なんでそんなものが朝ドラで」という点では、暢子の姉妹の入浴シーンをわざわざ入れているところもそうだ。ご丁寧に、妹と姉と、最近だけで2回もお風呂シーンがあった。

 会話の内容は、そんなに入浴に必然性のあるものとも思えなかった。台所に並んで立ちながら話すのでも、居間で話をするのでも良かったのでは。なぜいちいち、若い娘たちに入浴させ、湯船に入っている姿を映すのだろう。

 ドラえもんのしずかちゃんの入浴シーンを思い出す。昔は「お楽しみ」感覚で入っていたのが後に叩かれるようになって久しい。そんなことも知らないのだろうか?まだ制作現場にかつての「水戸黄門」の由美かおるの入浴シーンを忘れられない人たちがいて、お風呂シーンをあえて入れたかったのだろうか。

 英字新聞の制作現場で、「週末だから」と気が緩んだデスクが、海外配信の水着の美女の写真を何の脈絡もなくページにでかでかと使おうとしたことがあった。90年代末の話だ。

 「週末ぐらい、堅苦しくなくったっていいじゃないか」と意に介さず進めようとして、何人かスタッフがその場で抗議して掲載されなかったが、「なんでだよ」とデスクは最後までむくれて文句を言っていた。かつてのデスクのような人たちが「ちむどんどん」を作っているのだろうか。

離脱理由⑤:そもそも、大切な倫理観をスルー

 クズのニーニーがそこら中に居て、母親に甘やかされて家族を振り回すことが「沖縄あるある」だと聞いて心底びっくりしたことは前にも書いた。そんな風に沖縄県民を貶めるような描き方をして良いの?と憤りさえ感じた。

 そんなニーニーを育てた母・優子さんは頑張っているようで、結局は叔父さんのお金を当然のように当てにして生きている。「暢子を東京に行かせてやりたいんです」などと、いつも叔父さん側の痛みを全く考えずに懇願するばかり。

 みんなにいい顔をしているようで、他人の痛みには鈍感になって現実を見ずに暮らしていくのが生活の知恵になっているのか。それじゃあ現実をひっかぶる人たちが気の毒だろう。

 見ないようにしても、主人公一家のせいで、確実に迷惑を被っている人たちはいる。「他人の迷惑はどうでもいい」と言っているようなドラマは、基本的な倫理観も感じられず、不快だ。

 とりあえず「女のクセに!」とかなり非難を浴びるはずの言葉を使って暢子を叱った叔父さんは、悪役のはずが、ジェンダー観を除けばこれまで一番まともに見えている。おかしいのは主人公一家の感覚だ。

 いくら頑張っている豆腐屋のニーニー智のケースを見せられても、主人公一家はインパクトが違う。本当に、沖縄県民に対する見方が悪い方向に変わってしまいそうだ。

 この印象は、ドラマの結末に行くにつれて払拭されていくものなのか。楽しんで見ていく自信が失せたので、一旦見るのを止めておく。

 

源氏大河「光る君へ」眼福まちがいなし

源氏物語ベースの大河、超待望でした

 先週の5/11、朝から悲しいニュースで心が痛んでいた日。もう天国で待つ息子(猫ですけど)のもとへと早く行きたいと願うばかりの身には、少し年上のお笑い芸人さんの訃報は堪えた。

 けれど、午後にこちらのニュースを見て「2024年終わりまでは絶対生きるから!」と声を大にして家族に宣言するミーハーっぷり・・・あの「源氏物語」の作者・紫式部を主人公に取り上げるNHK大河ドラマが、2024年に制作されると発表があった。本当に待ってた待ってた!(2回書くくらいうれしい。)眼福まちがいなしだ。

www6.nhk.or.jp

 主人公を演じるのは吉高由里子。彼女が「篤姫」に一瞬出た時には(確か島津久光(山口祐一郎)の娘で、篤姫(おかつ)の対抗馬のお哲だったような)、少し首をかしげて座礼をする島津家のお姫様姿の彼女が印象的だった。それ以来、気になる女優さんだった。

 主演した朝ドラ「花子とアン」も物を書く主人公だったから、執筆する役にご縁のある人なのだろう。とても楽しみだ。けれども、資料を読むと番組的に紫式部に名付けた名前が「まひろ」。なんだか令和的な名前・・・少し違和感はある。

 まあでも、そんなことは小さい小さい。源氏物語に出会った高校時代、その前から大河ドラマ好きでもあったので、源氏物語を大河ドラマという一級のモノ作りの場で制作してもらえないかと常々願ってきた。

 その宿願が果たされるのだ。ああうれしい。

 橋田壽賀子作のTBSドラマは、橋田ファミリー総出演でなんとなく「渡る世間は鬼ばかり」の香りが拭えなかったし・・・映画も物足りない。やっぱり大河ドラマでしょ。

 もう戦国時代もお腹いっぱい、いったい何人の役者さんが演じる信長・秀吉・家康の3英傑を見せれば気が済むのか・・・もう切り口だって困るだろうに。(ただし、「麒麟がくる」の染谷信長は承認欲求の塊の純粋サイコパスっぷりが良かった。今期の「鎌倉殿の13人」の義経と少し似てるか。)

 最近の大河ドラマは「攻めてる」と言われている。昨年の「青天を衝け」は拾い物だったし、「おんな城主直虎」も面白かった。パッとしなかったと評価されるかもしれないけど「いだてん」も自分的には面白かった。

 でもね、何か忘れていませんか?そう、日本が世界に誇る「源氏物語」があるじゃないか・・・繰り返しになってしまう。もうこれくらいで私の喜びも十分伝わってるだろうから止めておこう。前にも源氏物語愛についてはブログでも書いたし。源氏大河、寂聴さんもお喜びなのではないだろうか。

toyamona.hatenablog.com

「功名が辻」の大石静脚本

 脚本を執筆するのは、「功名が辻」の大石静。大石さんは、かなり前、テレビラジオを取材していた記者時代にNHKで会ってお話をさせていただいたことがある。

 賀詞交換会だったか、何の集まりだったかは覚えていない。たぶんその年(か翌年)の大河ドラマ「徳川慶喜」主役の本木雅弘や、徳信院直子を演じた鶴田真由らその他の出演者がその場にいて、挨拶にマイク前に立った朝ドラ「あぐり」主役になる田中美里の手足の長さと輝くオーラに圧倒されつつ、末席にお邪魔した。

 その時に小柄なショートカットの人物が目前でニコニコと笑っていて、少しお話をさせていただいた。それが大石さんだった。

 たぶん朝ドラ「ふたりっ子」の関係でおいでだったのだろう、とても面白く拝見しています~と言ったら気さくに喜んでくれて、わちゃわちゃ朝ドラについて喋った。その後、彼女が書いた「オードリー」も名作だった。(引退した岡本綾、もったいない。)

 彼女が書く世界は、いつも心情的に納得感がある。その点で安心して物語に没入して見ていられるし、とても楽しみだ。

 大河「光る君へ」では、紫式部が自分の周りにいる人たちを物語世界に「当て書き」する設定にしたらどうだろう。リアルの平安時代の役柄と、劇中劇の「源氏物語」の中の配役との2役を行ったり来たりする感じになって面白いのでは?複雑になって訳が分からなくなるか。

 それと、「功名が辻」の時のように、また三谷幸喜が友情出演してくれないか。期待している。弘徽殿の女御と朧月夜姉妹の父あたり、いかがだろう。その役は、「鎌倉殿の13人」で北条時政パパを演じている坂東弥十郎もいいかなとは思うけど。いや、パパは葵上の父の左大臣かな。

藤原道長:イチ推しはディーンフジオカ!

 まだキャストは主役の吉高由里子しか発表されていない。当然ながら、紫式部周辺の主要人物の配役の予想合戦がツイッターなどネット上で華々しく展開されている。この源氏大河を歓迎する人が多いようで、これまたうれしい反応だ。

www.iza.ne.jp

 何と言っても、藤原道長が気になる。今作では紫式部のパートナー的憧れの存在となるようだ。出演するのは誰だろう。

 昔、ドラマか映画で見たのは渡辺謙。イメージはピッタリだった。さすがにもう彼の年齢では道長や光源氏では無理があるが、桐壺帝でのご出馬はいかが。24年大河の道長は吉高由里子よりも少し年上の俳優にするのか、それとも同世代にするのか・・・勝手に候補を考えてみた。

  1. ディーンフジオカ:最初に思いついた。「あさが来た」「青天を衝け」で通して演じた五代友厚のイメージが揺るぎないが、気品もあって怜悧さもある。きっと平安装束も似合うだろう。彼なら光源氏との二役も自然。
  2. 染谷将太:「麒麟がくる」での織田信長は設定も面白かったが彼の演技が素晴らしかった。何という役者さんだろうと感服した。この彼も、道長役でも光源氏でもどちらでもOKだ。
  3. 高橋一生:彼を忘れたらいけない。「おんな城主直虎」以外でも大活躍、NHKでの貢献もすばらしい。いいかも。
  4. 長瀬智也:ジャニーズを辞めただけで引退はしていないと聞いたが?存在感と、もし演じるなら話題性はあるだろう。
  5. 山下智久:こちらも現在「正直不動産」にてNHKに貢献中。年齢的には光源氏の方かな?
  6. 玉木宏:「あさが来た」のヒロイン夫役、「平清盛」での源義朝も良かった。そろそろ大河で大きな役を演じてもいいのではないか。光源氏は厳しいので道長のみで。
  7. 大沢たかお:「花燃ゆ」ではかわいそうだったので、どうだろう。最近は「キングダム」で大将軍を演じて巨大化してしまったけれど、また以前に戻ってくれるなら良い。道長のみ。
  8. 長谷川博己: SNSでは推されていたけれど、つい最近「麒麟がくる」で主役の明智十兵衛光秀を演じたのだから、チャンスはなさそう。それに、道長には線が細すぎる気がする。
  9. 山本耕史: 彼は何でもできそうな気がする。陰謀うごめく平安時代にもピッタリ。「平清盛」で演じた悪左府も良かった。悪に振り切ったおどろおどろしい道長でもできそう。
  10. 松下洸平:制作するのが朝ドラ「スカーレット」チームとのこともあって、SNS上で道長に推されていた。光源氏の二役もアリなのか。紫式部との間が緊張感に欠ける気もするし、彼は頭中将、朱雀帝あたりがいいような気もする。
  11. 岡田准一:こちらも書いてはみたものの、2023年の大河「どうする家康」で織田信長役を演じるので、望みは無いだろう。野心満々の道長は見たかったが。
  12. 木村拓哉:一応思いついてしまったので書いてしまうが、キムタクの道長はアリかもしれない。大河はまだだったと思うし、話題性はある。
光源氏:個人的に見たい義高&大姫コンビ

 光源氏もSNSでは様々な俳優さんが推されていて、悩む。皆さんお目が高い!というご意見ばかりだ。それに対抗するわけでもないが、こんな方々はいかがだろう。

  1. 市川染五郎&落井実結子:少年期の光る君の候補は、「雀の子を犬君が逃がしつる」と泣く、幼い若紫とのセット推し。「鎌倉殿の13人」で木曽義高と大姫の幼いカップルを演じたおふたりにお願いできないか。悲劇を演じたふたりの笑顔がまた見たい。年齢的にも光る君と若紫の出会いのシーンを演じるにはぴったりでは?
  2. 松本幸四郎:少年期を市川染五郎が演じるならば、という条件付き。自動的に成長後の光る君は父親になってしまうのかなあと・・・身のこなしは、歌舞伎役者さんたちは確実に美しいし。でも、申し訳ないけど彼は朱雀帝あたりかな。
  3. 中川大志:現在の「鎌倉殿の13人」で畠山重忠を演じているが、若すぎる印象も無く、美しさで言ったらピカイチ。彼が光源氏のイチ押しか。
  4. 松村北斗:朝ドラ「カムカムエヴリバディ」の雉真稔で初めて知った俳優さんだが、彼の光る君もピッタリきそう。ただ、光源氏を演じ切る力量的に未知数。
  5. 間宮 祥太朗:朝ドラ「半分青い」と大河「麒麟がくる」での演技でNHK的には何の問題もないのでは?荷が重いかな?
  6. 松下洸平:前述したものの、光る君には庶民的すぎるか?
  7. 横浜流星:あまり知らないが、ドラマ「私たちはどうかしている」の着物姿は良かった。
  8. ディーンフジオカ:もちろん、劇中劇とドラマ本編の役者さんたちが被っているのもいい。藤原道長と光る君の二役ということでも、ディーンフジオカは強いと思う。
  9. 岡田将生:「鎌倉殿の13人」の大泉洋とは違う、美しい頼朝を「平清盛」で演じていた。
  10. 吉沢亮:「青天を衝け」主役の渋沢栄一を演じた吉沢亮も、美しさで言ったら光る君級なのだけれど、流石に難しいか。

 う~ん、悩む悩む。こんなに候補を挙げてみたけれど、まだまだ候補になりそうな俳優さんは存在する。ただ、私が年齢的にパッと名前を思い出せないだけだ💦

清少納言:仲間由紀恵は「賢秀の母」イメージ大

 同時代に宮中で働いてはいないらしいけれど、紫式部のライバルとして知られる清少納言。ネットでは仲間由紀恵を推す声を見た。でも、もうちょっと才走った感じの人の方が私にはイメージがぴったりくる。現在放送中の朝ドラ「ちむどんどん」で長男に大甘の母・優子さんを演じているから、その印象も邪魔をする。

 私が推したいのは戸田恵梨香だ。頭の回転が良い印象があり、華があって良いと思う。制作は彼女主演の朝ドラ「スカーレット」チームだというし、清少納言じゃなくてもいいから、どこかで出てもらいたい。

桐壺の更衣・藤壺の女御・紫の上

 「源氏物語」を好きで読んできて、色々と誰が演じたらいいかというのは妄想し続けてきたのだけれど、いつもこの3役を誰にしたらいいのかなと考えるのが楽しい。3人とも面差しが似ているという設定だから、揃えるのは大変そうだ。

 「源氏」の真の主役、紫の上。10年ぐらい前だったら、柴咲コウに演じてもらいたかった。そして藤壺の女御と桐壺の更衣は中谷美紀が二役。このおふたりの女優さんは良く似ているし、王朝絵巻の似合うあでやかさがあるからピッタリだと思っていたのだけれど、今や年齢が上がってしまった。もったいない。

 柴咲コウが藤壺の女御と桐壺の更衣の二役、というのは今もアリだろう。この二役は、物語を通じてイメージが残り続ける大事な役だから、きっちり演じられる正統派の大物女優さんに演じてもらいたい。宮崎あおいもいいかもしれない。仲間由紀恵を持ってくるならこっちではないか。

 紫式部を演じるのが吉高由里子なのだから・・・年齢バランスで言ったら、紫の上は誰が良いだろうか。そうか、吉高が紫式部も紫の上も、二役を演じることはあるかも。でも、視聴者が混乱しちゃうかな?だめか。

 若紫時代は、前述の大姫を演じた落井実結子ちゃんを推したいが、成長した紫の上は「あさが来た」の波瑠がいいかなあ。思慮深さがあって、可憐でもあり、いいのでは?彼女は明石の君なんかもいいかも。

 「おかえりモネ」の清原果耶にも魅かれる。宮崎あおいが桐壺の更衣&藤壺の女御の場合、良いのでは。3役の組み合わせが肝心だから。が、彼女は紫の上よりも桐壺の更衣を単独で演じる方がイメージピッタリかもしれない。

 川口春奈もいいかも。「麒麟がくる」でのピンチヒッター帰蝶はお見事だった。彼女なら、柴咲コウが桐壺の更衣と藤壺の女御を演じた場合、面差しが似ているといっても通るかも。

 紫の上の候補、考えてみると意外と見つからないものだ。いずれにしても、朝ドラで主演した方たちにはチャンスあり。もうちょっと考えて、整理してまた書きたい。

 そうそう、六条の御息所もしくは弘徽殿の女御は、CMでクイーンを演じている満島ひかりがいいのではないか。誇り高くピリピリと演じてくれそう。また、「源氏物語」外になるけれど、中谷美紀もしくは柴咲コウが定子、永野芽郁小芝風花が彰子なんてのも良さそう。

 考え始めるとホントにキリがない・・・徐々に発表になっていくキャストが楽しみだ。それまでは予習復習しておきたい。

(敬称略)

 

 

「ちむどんどん」ヒロインを霞ませるニーニーの大失敗

不甲斐ないにーにーに甘すぎる!!!

 今期のNHK朝ドラ「ちむどんどん」。やってくれました。主人公の高校生・比嘉暢子のにーにー、賢秀がやっぱりの為替詐欺に引っかかって、ただでさえ崖っぷちらしい主人公一家の経済を谷底のさらに奥底まで叩き落としそうな勢いだ。

 詐欺に気づいて八つ当たりで大暴れしたことで、賢秀自身も告訴されそうとのことで、刑事罰を受けるかどうかの瀬戸際に陥っているが、そうすると、長女・良子の教職も立場が危うくなるとかならないとか・・・。

 まあでも、告訴すると息巻いているのが片桐はいり演じる音楽教師。彼女は末っ子・歌子を歌わせようと追いかけまわしていたから、「歌えば許す」的な結末になりそうだ。そんなことで許されていいわけないけどね、にーにー!

 自業自得の賢秀が暴れて店を壊したことと、営業できなくなった分の民事的な補償の話を、バーガーショップのマスターは謝りに来た母・優子さんに告げたけれど、店側は器物損壊罪などで賢秀を刑事告訴しても全然おかしくない話。

 マスターには告訴させないのかな?賢秀には受けるべき罰はきちんと受けてもらいたい。ドラマといえど、いえ、NHKの誇る朝ドラだからこそ、被害者が正当に被害を訴えられないような話にはしてもらいたくない。

 どうやらマスターは訴えないし、片桐はいりの勤務先の学校は話を穏便に済ませようとしていて、片桐はいりさえ許せばOKみたいな流れになっているのはどうなんだろう?

 もし、ドタバタ劇だけで済ませるつもりだったら被害者を軽く見すぎだし、加害者・賢秀に甘すぎるのは母の優子さんじゃなくて番組制作者のNHKだ。

 まったく反省の見えない賢秀をかばおうとする母。いつだったか優子さん登場の人物説明的なセリフで大叔父さんに言われていたよね、甘すぎる、いつか何かに・・・って。これで伏線回収か。

暢子のモヤモヤが解消、こちらはずっとモヤモヤ

 先週のタイトルは「青春ナポリタン」だった。モヤモヤと悩みながら就職活動をする主人公の暢子の、将来の目標が定まるまでが描かれた。

 山原(やんばる)高校料理部の助っ人として参加した産業まつりの舞台で「東京に行って料理人になりたい!やりたいこと、たった今見つかりました!」と宣言した暢子。そうなのね、就職先関係者に認められたようだったけれど、彼女はきっとその会社に就職なんかせず、いきなり東京に行くつもりになってるんだろうね。

 母はにーにーの儲け話のお金を当てにしていたらしいし、揃いも揃って救いようがない。その目論見も崩れたわけだけれど。

 暢子に「将来に対するモヤモヤ解消おめでとう!」と手放しで喜んであげられない。もっと言えば、にーにーや一家の財政事情が心配過ぎて物語に全然入り込めない。

 子役時代から飛んだ期間は7年間?その間に一体何が起きたのだろう。賢秀に「コツコツ働いてもたかが知れてる」と言わせる一発大当たりでもあったのだろうか。サトウキビ畑を売却したとして、それで借金は解消したのか。「前からあった借金」も賢秀の儲け話で何とかしようとしていたらしいから、まだ借金は相当あるんだろう。(でも2000ドル以下?はて?)

 今週登場する大叔父さん、ぜひ比嘉家の借金の謎を詳細に語って視聴者にも教えてほしい。全体像が分からないと、不安になるだけで全然安心できないさー。

 父の死亡時に、幼い暢子を東京の親戚に預ける話が出るほど首が回らない状態だったはずの比嘉家。なぜ家も売らずに普通に暮らしているの?失礼ながら、おバカにーにー賢秀(なんて皮肉な名前だろう)が定職もなくフラフラしているのに。

 ネットでは、優子さんの売店勤めでびっくりするほどの高給を得ている(w)と書かれていたけれど、そんなはずはない。畑、売店、内職で働きづめなんだもんねえ・・・。

 姉妹の服はつぎはぎで、大事に着ざるを得ないらしいなと察することはできるけれど、家族みんな栄養状態が悪そうなこともない。娘たちの長い髪もキラキラ(ヘアケア代もかかりそう)。比嘉家の畑から供給されるお野菜と、智の店の島豆腐のお陰で健康なのだろうか。

 長女の良子が短大に行った学費はどうしたんだろう?成績優秀だったから奨学金?アルバイトしながら短大に通ったという彼女が、お給料を家に入れるようになるまでの比嘉家の経済は、本当に謎だ。暢子のモヤモヤは解消しても、こちらはモヤモヤする。

またヒロインの兄貴問題が勃発

 しかし、朝ドラ主人公の男きょうだいや男家族は、どうしてこう不必要なほどにダメダメに描かれるのか。

 「おちょやん」のトータス松本が演じたヒロインの父は朝ドラ史上ワーストだったかもしれないし、闇落ちした弟も、結局戦争も絡んで救いようがなかった。そして、前作「カムカムエヴリバディ」の初代ヒロイン兄は、ヒロインが貯めたまとまった金銭を持ち逃げすることでヒロインを絶望させ、渡米させるきっかけを作ったトラブルメーカー。そうそう、「スカーレット」の父も勘弁してほしかった。

 それと、沖縄を舞台に大ヒットした朝ドラ「ちゅらさん」の総集編がつい最近放送されていたけれど、ゴリ演じるヒロインのにーにーが、「ちむどんどん」賢秀と同じくフラフラしていて、ゴーヤーマンで一発当てようとして失敗し、借金と在庫を実家に押し付けて夜逃げしていた。

 やってることは賢秀とそっくり。あれ?「純と愛」のにーにーもこんな感じだった?沖縄のニーニーってこんなイメージでOKなのか?どうやらOKらしい。えええ⁈

 沖縄の長男がみんなこんなニーニーばかりだとしたら、それは沖縄の発展の足は確実に引っ張られ、いいわけないと思うけれど・・・ホントなの?半信半疑だ。

 しかし、ヒロインの家族に、人間的にひどいキャラばっかりよくも出してくるものだ。そうやって周囲のトラブルにもめげずに頑張るヒロイン像を描きやすくしているのも何だかなあと思う。わかりやすい悪役が欲しいらしい。

 そんな仕掛けをしなくたって、人生を一生懸命真面目に生きていくことが若い人にかなりしんどいご時世の今、沖縄の辛い現実をドラマに投影してしまうと、楽しく明るい朝ドラにはしにくいのだろうか。

賢秀、失敗を財産にできるのか

 さて、今作。母親がこんなに頼りなくて、兄がおバカで、妹たちはあまりよくわかってなくて、ひとり気を揉んで頑張っている長女の良子が今のところ一番気の毒だ。

 見ているこちらも実はゲンナリ、先週は怪しげな詐欺師に引っかかりそうな雰囲気が既にあったので、火曜日から脱落して見なかった。

 結局、流れを把握するために週末にまとめてNHK+で倍速で見たけれど、賢秀が出てくるとイライラするようになってしまった。

 NHKの夕方の番組に「私(たち)は騙されない」というコーナーがあり、今年から「私たち」に変わって続いている。私は、見るたびに「タイトル間違ってるよ」と突っ込んでいる。

 なぜなら、あの手この手のプロ相手に、素人の「私たちはみんな騙される」からだ。それで「私は騙されない」と信じている人ほど危ないし、そう思っていると被害に遭った時に自分を責めてしまってちゃんと警察などに相談できなくなると、被害者学の講義で聞いた。

 そして、詐欺被害者の末路は悲惨だ。誰かのために良かれと思って出したお金のせいで、一族親戚中から責められて、自信を失って命を絶つ人もいる。正直に生きてきただけなのにね。

 だから「私たちは騙されない」じゃないのだ。「みんな騙されるんですよ」と言っておかないと、被害者を後から追い詰めてしまうのだ。

 この番組では、振り込め詐欺などの防止啓発のために詐欺の手口を紹介したりしているが、この賢秀が引っ掛かったわかりやすい詐欺も、沖縄のニーニーたちにオバーたちが騙されないように啓発のためにドラマに組み込んだのだろうか。

 賢秀は、詐欺被害によって己の考え方を根本的に改めることができるのか?母・優子さんのセリフ「自分でやりたいことは失敗しても財産になる」の通り、失敗して何か糧を得ることができるのか。

 「カムカム」の兄・算太は、ヒロインたちの前から姿を消しても、ダンスという自身の夢を追いかけて実現させていただけ立派だった。賢秀は・・・?

 ああ、にーにーを考えるだけでイライラする。ヒロイン暢子が霞む。

いったいどんな夢だったの

楽しい夢ではあったらしい

 ゴールデンウイーク初日。寝坊して起床したら、夫が言う話がちんぷんかんぷんで混乱した。どうやら、私は亡きクロスケの夢を見て、それを夫に説明しているうちにまた眠ってしまったらしい。それが明け方のこと。

 その夢の話を夫がさらに聞くのだが、私の方はちっとも覚えていないのだ。今考えても、1つも思い出せない。ガッカリだ。

 「クロスケがたくさん出てきて・・・て言っても、いっぱいクロスケがいるわけじゃないんだよ。色んな場面にずっとクロスケがいる」と明け方の私は喜々として説明したらしい。さぞかし亡き息子は、長いこと私の夢にご出演だったのだろう。

 それがきれいさっぱりとは・・・悔しい。

 いつもいつも、寝る前には「夢に出てきていいんだよ」とどこかにいるだろう亡き息子に一声かけてから眠りにつく。夢の中で会えるのを心待ちにして。

 ちょうど、昨日はふいに息子の姿をありありと思い出す瞬間があった。衣替えで出したジーンズ地のスカートを久しぶりに穿いてテーブル前に座ったから。それで夢に見たのだろう。

 夏の暑い時期、風の通り道のその場所でパソコン作業をするのだが、息子が膝に飛び乗ってしまうと長時間のナデナデタイムになる。あまり暑いと息子は冷たいテーブルでびろーんと伸びて寝ていることもあるのだけれど、暑くても膝にもよく来た。息子の尻尾はご機嫌であっちこっちと元気に動いていた。

 長時間の居座りには、困って降りてもらうことにはなったのだけれど、そのジーンズスカートを穿いていた時には決まってよく膝に乗られた。安定具合が良かったのかもしれない。今だったらいくらだって居座ってもらいたいのだけど。

 そのさらに前日だったか、滅多に夢を見ない夫が息子の夢を見た。

 夢に出てきたのは最初は人間の女の赤ちゃんの姿だったのだけれど、夫は「クロスケだ」と思ったのだという。その赤ちゃんは、車の後部座席か何かで夫と並んで座っていたのだけれど、眠くなってバスタオルに潜ろうとする姿が明らかに猫の動きで、タオルから顔を出したら黒猫に変化していたそうだ。

 ふーん・・・私もせっかく楽しい夢を見たはずなのに、いったいどんな内容だったのか。せっかく出てきてくれたのに・・・そう夫と話していたら、息子に申し訳なくなって涙がぽろぽろ出た。

 でも、そういうことなのかも。本当は、夢の中の世界(Aとする)では今も息子と日々を暮らし、日中の世界(Bとする)ではこちらがAでの出来事を忘れて寂しがっているだけなのかもしれない。

 つまり、息子の生前はBで会っていたのが、没後はAで会うようになっただけで「毎晩会っているのにそっちが忘れているだけでしょ」と息子は言いたいのだとしたら。

 宵っ張りしてブログをダラダラ書くのは止めて、早く寝るようにしよう。Aで息子と共に生きる時間を長くしよう、そんな風に思った。

 

「鎌倉殿の13人」YouTube解説も盛り上げ中

空気一変、佳境が続く「鎌倉殿」

 今年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を毎週欠かさず見ている。「今日からみんな武衛だ」で視聴者に愛された、佐藤浩市演じる上総介広常の誅殺は、見ているこちらは死ぬことはわかっていても、居並ぶ御家人の皆さんと同様、とてもショックだった。少年の純粋さのまま振る舞えていたような主人公・北条義時も、闇に一歩、足を踏み入れた苦い第15回だった。

 そして前回の16回は、義経伝説が始まり、義経が天才武将として覚醒した。これによって(推しの)青木崇高演じる木曾義仲は退場、巴御前との美しい別れも描かれた(巴は和田義盛の妻となって将来の和田氏の滅亡に接するのか。悲しい)。次の17回は息子の美少年・義高が殺されて大姫が心を病む悲劇が待ち受けている。

 そういえば義仲の死の場面は、額に矢が刺さる寸前で場面が切り替わった。「ゴールデンタイムの全国放送の限界なんでしょうね」とのネットのご意見はごもっともだ。古くは「風と雲と虹と」の主人公・加藤剛演じる平将門はばっちり頭部が射られている場面が大写しになっていたけれど、時代は変わった。

 これまでも、いたいけな千鶴丸と北条義時の兄・宗時がアサシン善児に暗殺されたり、大庭景親の斬られた首が木からぶら下がったり、伊東祐親もだまし討ちにされたり、人の死はたくさん描かれてきたし、ドラマ性がありながらももったいないことにナレーションで済んでしまってドラマでは描き切れない死もあった。

 しかし、若い義時の甘い心境を反映してか、ドラマ的にはどこか和やかな空気が流れていた。何しろ今作の父・北条時政は、今まで見たことが無いくらいチャーミングだし。演じる坂東弥十郎さんって、歌舞伎の知識が無くて知らなかった。大発見だ。すごい役者さん。

 そんな空気が、上総介の事件で一変。「お前たちの生殺与奪の権は俺が握っているんだ」と宣言するかのような、あの大泉洋(!)の目が血走った鬼気迫る頼朝、ガチ泣きしている小栗旬の義時。担いだ神輿のはずだった頼朝を、義高に挿げ替える余地など既に無いことを思い知らされ、ただひれ伏すばかりの坂東武者側。情けなく殺され、転がっている上総介(死体にしか見えない)。その場にいる役者さんたちのすごい熱量で、目が離せなかった。

 そして手を下したのは梶原景時。殺戮を演じる中でも、中村獅童が膝をつくまでの立ち居振る舞いの美しかったこと。さすが歌舞伎役者だ。

 大昔に熱中して見た「草燃える」も面白かったけど、子どもだったからか理解が追い付かないところも、ただのヒステリーに見えた北条政子に賛成できない部分もあった。しかし今回の「鎌倉殿」は・・・三谷幸喜は話運びがうまいなあ、違和感が無い。「そうだったのかも」と納得するし面白い。

 最終回に向けてのクライマックスは承久の乱になるのだろうけれど、義時死後の泰時から時頼ぐらいまでの話も(「北条時宗」少し前ぐらいまで)、再来年の大河ドラマで引き続きやってくれないか。三谷さん、書きたくてウズウズしないかな?

 今後も、バンバン主要人物が命を奪われていく展開になるはずだ。佳境が続く。

YouTube動画も花盛り

 「鎌倉殿」は、日曜日に在宅しているときは午後6時のBSでまずチェック、そして8時の総合での本放送でもしっかり見る。外出したときも、帰宅してから録画やNHK+での配信を見ることにしている。土曜日の再放送も、都合が合えば、必ず見る。

 ここ数年は家族も大いに大河ドラマにはハマっており、特に鎌倉殿には私同様に熱が入っているので、翌日の月曜夜には晩御飯を食べながら3回目の鎌倉殿を一緒に見ている。家族は土曜日の再放送は仕事で見られないので、週末にも録画を見る。

 家族はステイホームの仕事中のBGMにも、鎌倉殿のテーマ曲を延々とかけている。気合が入るそうだ。

 小学生時代には既に愛読書が「歴史読本」で、遅くとも「元禄太平記」からは大河ドラマを見てきた私の方が少し知識的には明るかったので、これまで大河に関する歴史については聞かれれば説明したし、「聞いて聞いて」状態で私からノリノリで話すこともあった。

 けれど、最近はスマホでも疑問点は解消できるので、私の出番はそうない。ウィキペディア様様だ。

 それに、YouTubeの「鎌倉殿」解説動画は花盛りと言えるほど数がある。「#鎌倉殿の13人」で絞ると、なんと2110本の動画、455チャンネルが出てくる(2022年4月28日現在)。それで予習復習は完璧。大河好き、鎌倉殿好きの皆さんが配信する解説動画は面白くて、気づくと延々と見てしまって困る。

 この3つあたりを気に入っていたのだが、特に最近、新着動画アップが待ち遠しいチャンネルがある。

 それは、「かしまし歴史チャンネル(旧・トンデモ歴史チャンネル)」だ((2) かしまし歴史チャンネル(※旧:トンデモ歴史チャンネル) - YouTube)。

 まだ登録者数は3万人弱だけれど、これからグングン数を伸ばしそう。画面に出てくるのはおばちゃん(愛を込めて!)3人、そのうちの「きりゅう」こと川合章子さんが喋りまくり、残るふたりが相槌を打ったり質問したりの塩梅がちょうどいい。

 概要欄にはこう書いてあった。

喋ってる人:川合章子(かわいしょうこ)  歴史・翻訳ライター  著書(Amazon一覧)  https://www.amazon.co.jp/s?k=%E5%B7%9D%E5%90%88%E7%AB%A0%E5%AD%90&__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&ref=nb_sb_noss_1  

訊いてる人:ラット  グラフィックデザイナー  歴史の知識は中学生並

ツッコんでる人:く~  グラフィックデザイナー  動画編集やってます  歴史の知識は高校生並

 オタクなんだろうな、この川合さん。私も古い歴女だと自認してきたけれど、彼女に比べたら浅薄でまだまだ。川合さんの知識は深くて半端ない!お友達になりたい!

 思い出すところでは、セミの抜け殻に関する考察には舌を巻いた((2) 『鎌倉殿の13人』第14回「都の義仲」深読み①「義経が義高にセミの抜け殻をプレゼントした意味とは?」 - YouTube)。中国古典の知識も深く、ただウィキペディアの内容を動画に焼き直ししただけのような、ありがちな平板な内容じゃないところまで、面白く分かりやすく話していて、ただ者じゃない。

 そして、話す言葉がキレッキレに明瞭。歴史の先生かと思った。テレビで三谷さんと対談してほしい。

 たまに思い違いや言い間違いもあるけれど、突っ込みのように画面上で訂正が入るのも面白い。編集をしているく~さんの腕もあるし、聞き役のラットさんもいるので、見ている側も、川合さんの前のめりで感情丸出しの怒涛の解説の海でアップアップにならない。

 家族ともども、NHKの本放送と同じく次の動画配信を待っている。

www.youtube.com

(ところどころ敬称略)

 

「カムカム」欲張りな大団円、ひなたの道は続く

安子とるい、待望の再会は実現した

 先週金曜日でNHK朝ドラ「カムカムエヴリバディ」が第112回で最終回を迎え、今週は新たに「ちむどんどん」がスタートしている。主人公並みに小さい頃は食べもののことばかり考えていた私は沖縄の美味しそうな物の数々にさっそく目が奪われているが、前作「カムカム」を振り返っておこうと思う。

 いや~、最後の最後まで、引っ張られましたね・・・ラスト1日前の木曜日、111回でようやく、カムカム視聴者の全員が期待していただろう初代ヒロイン・安子(アニー)と2代目ヒロイン「るい」の再会が実現した。焦らされたけれど、ホッとした。

 その前の、火曜日の109回での深津絵里演じる「るい」の表情が殊に見事だった。

 ラジオで突然自らの過去を日本語で告白し始めたアニー。そこでアニーは母の安子だったと確定したわけだが、

  • ひなたが聞くラジオを、るいが何気なく聞き始めて➡
  • 「娘の顔に傷をつけるまでは」とのアニーの言葉に完全に耳をそばだて➡
  • 「るい」と、アニーに自分の名前を呼ばれた時の、一瞬ゾクッとしたような魂をつかまれたような顔。

 この一連の表現が素晴らしくて、「るい」の驚愕をこちらも息を飲んで見守った。

 並びに映る錠一郎(オダギリジョー)の無言の目の演技も、ラジオから流れる話とそれに伴って現れてくる「るい」の異変を悟っていく様子がありありと分かるもので出色だった。このふたりのワンシーンを見られただけで、あとはどうでもよくなるほど良かった。ラジオを聴くという設定ならばこその、素晴らしいシーンだったと思う。

 このシーンがあってから、111回の「るい」の熱唱中にコンサート会場に入ってきたアニー=安子との涙の抱擁。これで感動のダメ押し。みなさんハンカチのご用意はされてましたよね? 私もです。

 「るい」深津絵里の歌は、ボイトレの成果か、以前ジョーと口ずさんでいた頃よりも格段に深みが増していたし、「On the Sunny Side of the Street」の歌詞にぴったり合ったような彼女の心情を思うと泣けた。

 歌のタイミングもバッチリ。アニーが会場にきたと分かって一瞬途切れ、自分を取り戻して再び力強く歌い始めた部分の歌詞が、昔は憂鬱なことばっかりで日陰の道を歩いていた「るい」も、もう怖くないんだな・・・とシンクロして思わせた。彼女の心情を、安子もちゃんとキャッチしたはずだ。

 そうそう、そのシーンの直前に、トミーの仕込みで、ジョーの昔のトランペットの音源がサプライズで会場に流れ、そのトランペットの音とのセッションになったのも良かった。欲張りだなあ。

 ジョーのもう聞けなくなってしまった演奏は、とても感動的なプレゼント。もっとたっぷり描いてくれてもいいのに、すぐにアニーが入って来る場面が控えていたからか、つれないくらいに短く終わってしまったのは残念だった。

 ふたりの抱擁の後、過去のわだかまりや謎を解くさらなる親子の会話を期待していたので「クリスマスの夜に溶けていきました」とのナレーションは「えええ!ちょっと待って!」と、大いに肩透かしだったが・・・そこらへんのいきさつは、ここで語ってしまってはもったいない、スピンオフに取っておこう、今は想像してねということかなと理解した。

 ということで、安子のアメリカ生活、そしてアニーヒラカワ爆誕のスピンオフをお待ちしておりますよ、NHKさん。コロナが収束してからでいいので、何とか実現してくださいませ。

必要だったの?追っかけっこ

 本音を言えば・・・朝ドラなのに、終盤はただただ散りばめられた伏線回収を急ぐゲームのように見えた。もう少し早くに離れ離れになった親子2人を再会させてほしかった。

 それで、会えそうだと思ったら110回の、あんな不自然な追っかけっこ(80歳近い設定のアスリートでもない女性が、あんなに走ったら死んでしまう!と心配になる)が登場。そんなことで時間を費やさなくても!

 ドラマはとかく子どもやヒロインを走らせたがるけれど、「ちむどんどん」の子どもたちが走っていたのはともかく、安子では設定年齢を考えたら無理がある。制作側は気づかなかったのか。

 おんぶもそう。ひなたが安子を背負って商店街を歩くなんて、ウソでしょ・・・追っかけっこもおんぶも、そこだけが女性の体力を変に無視したコメディだったのだろうか。桃太郎がおんぶするなら分かるけど・・・ひなた、素直に桃太郎を呼びましょう! 

 こちらに便利な年表を見つけた。時代があちこち前後するので、年表(「カムカム」完結版ヒロイン3世代年表、ヒロインと同い年有名人リスト、100年家系図 - ドラマ写真ニュース : 日刊スポーツ (nikkansports.com))を確認しながらでないと迷子になってしまう。設定では、この再会は2003年のクリスマス。安子は78歳、るいは59歳、ちなみに3代目ヒロイン「ひなた」は38歳だった。

 アスリートでも無ければ、78歳と38歳の女のおっかけっこは秒で終わる。というか、まず走らないだろう。

 安子と「るい」は、年表によると半世紀以上もの別離があった。1951年に安子は渡米し、再会は2003年。一旦拗れ、長期間離れていた親子には相当な行き違いはあって当たり前。簡単に一夜で解けるとは、朝ドラならではのファンタジーだった。

伏線に次ぐ伏線、最大の伏線は

 「カムカム」が始まった当初のブログで「登場人物が記号のよう」「パズルのように見えてしまう」などと書いたのだったが、今作でパズルのネタとして取り上げていたのは、ラジオ英語講座、ジャズ、時代劇、朝ドラ、野球、桃太郎伝説@岡山と盛りだくさんだった。三題咄どころではない。

 それだけ詰め込みながらもやり切ったのは「すごーい」と思う。最終回での種明かしが駆け足になるのも、仕込みに仕込んだ証かな。私もあと数回見ないと、ちゃんと把握できない気がする。

 最終回を見て「そうだったのか」と気づいたのは、ナレーションが城田優だった理由だ。ナレーターは、ウィリアム・ロレンス=つまりビリーだったのだ。彼はずっと「ひなたのサニーサイドイングリッシュ」のパートナーとして、「ひなた」の書いたテキストを私たちに向けて読んでいたのだった。それが今作全体の仕掛けになっていた。

 途中で「ひなた」がナレーションを英語で入れていたことがあったのも、そういうことだったかと合点がいった。

 (ラジオの英語講座が消えてしまったけれど、どうなるんだろう)と気を揉んだ時期もあったけれど、ところがどっこい、物語自体が英語講座の中で進行していたのだから、これはやられた。最大の伏線と言っていいだろう。

 前回ブログで城田優の役割はジョージに取って代わられて、もう消えたのかもしれないと心配したのだったが、ジョージにはフェイントをかまされた。

 小学生だった「ひなた」が、あれだけビリーとのデートを妄想して練習したのにいざとなったら言えなかったフレーズ「Why don't you come over to my place?  Let's enjoy Kaitenyaki together!」をも当のビリーに言うことができ、「Why not!」と答えてもらうという逆転ホームランのような終わり方。店に着いたとき、ビリーは過去とのつながりに驚いただろうな。目に浮かぶようだ。

 ビリー、あのキーホルダーをまだ持っているなんて物持ちが良すぎる。「ひなた」は60歳のはず、年表では「ひなた」は11歳でビリーに出会っている。えええ! ビリー、半世紀も持っていたのか。壊れなかったのか。

 ビリーも「偶然」独身でいるのかな・・・なんかちょっと怖い。半世紀を超越した初恋への夢が、執念深過ぎる。

安子と勇ちゃんの再婚を心配した

 最終回の前日だったか、誰かと誰かが結婚するらしいとネットで見た。正解はモモケンとすみれさんだった訳だが、「勇ちゃんと安子だったらどうしよう、嫌だな」と秘かに考えていた。

 雪衣さんもロバートも、それぞれ亡くなっていれば2人とも独身。そのお膳立てがあると、ふたりの再婚への下準備完了かと身構えてしまう。以前、安子もロバートも若くして配偶者を失くしていて、再婚フラグはすぐに立ったから。

 ヒロイン安子の3度目の結婚は無いかとは思ったけれど、杞憂で良かった。

 それから、ひなたの弟・桃太郎は甲子園に出場し勇ちゃんの夢を叶えた形になったそうで、それもあれよという駆け足ナレーションで紹介されて終わった。一瞬で通り過ぎたので、咀嚼する間もなかった。やっぱり欲張りだ。

 後でNHK+を改めてチェックして理解したが、ドラマは岡山県が舞台なだけに、岡山名物桃太郎伝説の必須メンバーをきちんと揃えていた。犬・猿・雉のことだ。(黍団子の黍様もモモケンのヒット作として出てきていたのはもちろんのこと。)

 安子の無二の親友に豆腐屋のきぬちゃんがいたが、きぬちゃんの孫が桃太郎のひとめぼれでお嫁さんになり、できた息子が剣(ケン=犬)。確か、桃太郎はモモケンにあやかるなら「剣太郎が良かった」と自分の名前にクレームをつけていたっけ。

 桃太郎は母校の野球部で指導者になり、雉(キジ)真繊維のユニフォームを着て、京都に移住した野球好きのジョージ(Curious George=おさるのジョージ、NHKのEテレで放送されているアニメだとか)もコーチになり、甲子園出場を果たしたのだそうな。

 ちょっとこじつけが過ぎるが、おさるのジョージのぬいぐるみまで出演していたそうだ。細かすぎる。

消えたジョージはどこへ

 さて、人間の方のジョージだが・・・あの安子と「るい」の感動の再会の日、一体どこに消えてしまったのかがとても気になった。

 前日、ジョージは「ひなた」にもらったクリスマスコンサートのチケットを見せてアニーに「岡山に行こうよ」と誘っていたぐらいだから、岡山に同行する気持ちはあったはず。

 しかし、コンサート当日、ジョージはアニーと空港に姿を見せたのが最後。アニーを置いてひとりで帰国したのだろうか。

 アニーのアシスタントの役割を担うジョージが、なぜアニーに同行しなかったのだろう。アニーが「私、やっぱり岡山に行く」といえば、喜んできただろう。解せない。

 アニーを追いかける際、「ひなた」はジョージの携帯番号を調べてほしいと上司の榊原氏に頼んでいた。その後は描かれていなかったが、ひなたとジョージは連絡が取れなかったのだろうか。

 なぜ、アニーがジョージ抜きで突然岡山のコンサート会場前に姿を現すことになったのか、考えてみるとかなり不思議なのだ。

 直前のラジオでの涙の告白があっただけに、ジョージは空港に向かうアニーおばさんを心配していたはず。自分からは離れないはずだ。

 アニーは、コンサート会場に来た時にはスーツケースを持っていなかった。もし、スーツケースを預けられたジョージがどこかで待機していたのなら、夜になってもコンサート会場に姿を現さないのもおかしい気がする。

 そう考えると、アニーはジョージを撒いたのか? 彼にきちんと説明して空港を出たというよりも、出国前に消えちゃったのだろうか。

 「私ちょっとトイレに行ってくるから、先に行っていてちょうだい」「了解、先に行っているね」・・・待てども待てども来ないアニーおばさん、フライトの時間は迫るし、わー困った!となって、結局、空港でのすったもんだの挙句ひとり帰国したのか?

 もしそうだったら気の毒。ジョージがふたり分のスーツケースを持って空港で右往左往するスリリングな時間を、スピンオフにしたら面白いかも。

 スピンオフなら、いろんな切り口で作れそうだ。桃太郎の雉真家での岡山暮らしも見てみたかった。母が育った家での暮らしは、若かった頃の母の面影が折々に垣間見えることだろう。当然ながら勇ちゃんと雪衣さんが登場し、勇ちゃんの息子の昇一家との関わり合いも出てくる。

 また、ジョーの音楽への復帰も、もうちょっと描いてほしかった。ピアニストになるための特訓場面も無いのは寂しかった。いつの間にか売れっ子ジャズピアニストになってしまっていたので。

 ヒロインたちの描かれなかった期間も、もっと知りたいところだ。スピンオフにできる話はいくらでもありそう。「ひなた」は割とドラマで語られてきているように思うけれど、安子、「るい」は抜けている時間が相当ある。

 安子と別れてからの「るい」の、雉真家での暮らし、学校生活。バイトもしていたと言っていたし、幼少期でも、高校生になってからでも、どちらでも話は作れそうだ。

 また、前述のように、何と言っても安子=アニーのアメリカでのロバートとの暮らし、大学生活、ハリウッドでキャスティングディレクターの仕事を得るまでが見たい。

 人種差別を考えても苦労は絶対にあったはずなので関心がある。これは、コロナが収束しないとアメリカでの撮影がムリだろうけれど、数年後でもいいからスピンオフとして見たいものだ。

ドラマの2025年の世界は

 ドラマでは2025年までの世の中が描かれたが、2025年に第三次世界大戦は始まっておらず、核兵器が日本に落とされていることもなかった。

 初代ヒロイン安子は100歳になり、2代目ヒロイン「るい」は81歳、3代目「ひなた」でも60歳。3世代の揃う朝ドラでは、ホントに光陰矢の如しだ。

 100歳の安子は、シアトルにいるらしい。ロッキングチェアで背を見せて座り、表情は窺い知れなかった。「るい」はジョーと思い出のディッパーマウスブルースを切り盛りしている。穏やかな老後、といった体だ。初代と2代目ヒロインの人生は、明らかに終幕を迎えようとしている。

 ただひとり「ひなた」は、初恋のビリーと何かが始まるのか。60歳、何かを始めるには少々ためらいのある年齢ではあるが、輝き過ぎるくらいの「ひなた」の道が、これでもかとさらに欲張りに輝きそうな・・・現実離れした欲張り方に、ちょっと怖くなった。

(敬称略)

 

これもグリーフの一種

月命日に、戦争と亡き息子を考えた

 もう何回目なんだろうか・・・2月4日で2回目の息子クロスケの命日だったのだから、月命日としては4月4日で26回目だった。

 朝、気づいたら既に家族が猫柄のお茶碗に、息子の好物だった焼かつおのおやつをほぐし、お供えしていた。いつもそうなのだが、特にこの日は家族といかに息子が完璧にかわいい猫だったかを話した。ふたりで猫バカ息子バカだから仕方ない。

 毎回、月命日には息子は「オール」することになっていて、水もおやつも一晩お供えしたままにする。ゆっくりおやつをエンジョイしてもらいたいからだ。

 被害者支援に関連してグリーフという深い悲嘆について学んだ時に、その悲しみのあり方は様々な形があることを知った。家族であっても正に人それぞれ。時間の経過によっても変化があるし。

 一瞬意外に思うかもしれないが、「ホッと安心すること」もグリーフに入っていた。でも、よくよく考えればむしろ「あるある」なのかもしれない。

 もし長く闘病していたら「もう痛くないね、苦しくないね」「もう自由になったね、どこにでも飛んで行けるね、良かった」という気持ち。相手の苦しみからの離脱を優先して考えれば、自分の勝手な願望などどうでもいい気持ちになる。痛みから逃れたと思えば、ホッとする。

 「自分の勝手な願望」と書いたのは・・・当然ながら、私の場合は今だって亡き愛猫を撫でたいし、膝に乗せて飽きるまで寝かせておきたい。猫又という猫のバケモノになってもさらにずっと長生きして、ギネス記録を塗り替えるぐらい傍に居てほしかった。それはヤマヤマなのだ。

 でもね、あそこまで頑張って闘病生活に耐えてくれたのだ。あれ以上のガマンはさせられない。今は安らかに天国にいるのだから、それが息子の幸せなのだ。

 ロシアによるウクライナ侵攻の最近の報道では、ロシア軍が撤退した後のキーウ近郊の被害が甚大で、市街地には民間人や動物ものべつ関係なく撃たれて遺体が残されていたと伝えられている。手足を縛られた子どもの遺体の話などは、目の当たりにしなくても聞いただけで心が張り裂けそうだ。

 ウクライナ情勢に何もできない西側諸国の反応に味を占めて、プーチンは何をしだすかわからない。日本の北海道だって危ないなどという話を聞くと、亡き息子は天国に行っていてくれて安心だったと思ったりする。

 まだ息子が生きていた時、客観的に見れば1匹の老猫である息子が、普通だとそう大事にはされない現実はわかっていたつもりだった。

 いくら私たち家族の一員で宝なんだと言い張ったとしても、よほど奇特な人でなければ、私たちと同じようには息子を大事にしてなどくれない。どうあがいても、人の命には敵わない存在でしかない。

 だから自分たちで守り抜くしかないのだけれど、2019年夏に口腔癌を発症して以降、カテーテルで首脇の穴に食事を注入するのも恐る恐るで、益々ガラスのように砕けやすく儚い存在になった息子を(今、東日本大震災クラスの災害に襲われたら、守り切れるのか)との思いは、常に頭を離れなかった。

 ニュースで見るウクライナから脱出してくる人たちの中に、ペットを大事そうに抱えている人をたまに目にする。ああ、良かったねと涙が出る。大事にされてるね。でも、現実には、多くの猫や犬は仕方なく取り残されているのではないだろうか・・・悲劇だ。ペットにも飼い主にも、地獄だ。

 そして、決して丈夫ではないどころかあちこちポンコツの自分の身を省みて、ペットリュックに息子を入れて、背負って逃げ出すにしても、やっぱり今だと息子を守り切れない➡あの癌の治療以上にひどい目に人間社会で遭わせる前に、息子は天国にお返ししておいて良かったのだと、自分を納得させている。

 夢に出てきてくれないかな、クロスケ。