黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

【鎌倉殿の13人】時政パパ退場、りくvs.実衣の戦いが見たかった

新聞社デスクっぽい平賀朝雅

 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第38回「時を継ぐ者」が10/2に放送された。次の日曜日は座談会になるそうで、1週間飛ばして39回が放送されるという。いよいよ、義時が歴史の表舞台に出てくることになる。

 初代執権である時政パパを追放した後、義時は権力者となり、平賀朝雅の討伐を在京御家人に命じた。「鎌倉殿を追い落とし、自ら鎌倉殿の座に就こうとした」というのが平賀朝雅謀反の罪状であり、さらに

あの男は北条政範に毒を盛り、畠山重保に罪を擦り付けた。それがなければ畠山は滅亡することはなく、わが父は鎌倉を去ることもなかった

と、黒い衣装に身を包み、眼光鋭く義時は言った。

 この誅殺によって、畠山重忠ファンの溜まりに溜まったモヤモヤは多少晴れたかと思う。嫡男重保が巻き込まれ、一族滅亡に至った畠山。泣いても泣き切れない。先日、鎌倉に行き、短時間ではあるけれど重保のお墓にお参りさせていただいた。まだ若いのに、無念だったはずだ。

お墓の隣にあった碑。重保邸があった所

こちらは父・重忠のお屋敷跡

 重保を陥れた、スネ夫のようでもありキザ貴族でもあるような描かれ方だった悪役の平賀朝雅だが、ドラマとは違って往生際もカッコ良い武士だった記録があるらしい。

『吾妻鏡』によると、当日に朝雅は後鳥羽上皇の仙洞で囲碁会に参加していた時に討手が来ていることを小舎人の童から伝えられたが、驚いたり動じたりせず座に戻って目数を数えた後で、関東より討伐の使者が上ってきたことを上皇に伝えて身の暇を賜ることを言上した。(平賀朝雅 - Wikipedia

 演じた山中崇が同時に朝ドラ「ちむどんどん」で中年の新聞社デスク(そう小ぎれいでも上品でもない存在)を演じていたからか、20代前半で泰時と1つ違いの青年貴族風の、上皇サロンにも立ち混じる人物にはとても見えなかった。

 悪い役者ではもちろん全然ないけれど、お肌のテクスチュア的にもちょっと年齢的に無理が無いか?ジャニーズの若手で演じられそうな人がいそうな気がする。「おかえりモネ」のりょーちん役の彼(永瀬廉)とか?愁いを帯びたゾクッとする朝雅になったのではないか。泰時の中の人(「モネ」で菅波先生を演じていた)から連想した。

 朝雅の誅殺は、京の後鳥羽上皇らに「北条義時」の名を初めて確認させ、騒然とさせていたが、そうそう、朝雅を焚きつけた張本人・生田斗真演じる源仲章の反応もできれば見たかった。彼は「僕は関係ないもーん。僕がお勧めしたのは将軍職じゃなくて執権だからね」とつぶやきながらも、表情を無くして震えていたかな。

そろそろ和田合戦か😢

 ドラマでは、初代執権を追放後、最初の仕事が朝雅討伐の命令になった北条(!江間じゃない)義時。侍所別当である和田義盛が滅びる和田合戦を経て、義時は政所別当と侍所別当の両者の役割を兼ね備えるパワーアップした「執権」に就くのだという。

 ということは、もうドラマでは和田合戦が近いのか・・・すっかり愛されキャラの和田っち。巴御前も和田一族と共に奮闘するのだろう。彼らの花道をもうすぐ見ることになるのだ😢😢鎌倉に行って「和田塚」にもお参りさせてもらったが、ドラマでどう描かれるのだろう。寂しい限りだ。

 そうそう、私がファンの「かしまし歴史チャンネル」のきりゅうさん(川合章子)は、和田っちの中の人(横田栄司)が和田っちの髭面を似せてキャラの絵を描いた鎌倉のグッズ屋さん(旧北条泰時邸のある場所で営業中)を動画で紹介していた。その後、かしまし動画を見た和田っちファンが30人以上もご来店だったそうで(私も行った)、和田っちの愛され方と、かしまし動画の影響力たるや大したものだ。

 しかし、先延ばしはできない。もう10月。残り10回で和田合戦、実朝暗殺、承久の乱もやらねばならないし、義時の死にまつわって伊賀の方がどう描かれるのか、泰時の御成敗式目の発布までやってくれたらうれしいな・・・等と考えていたら、駆け足で進行しないとダメだ。

 三谷幸喜の大河ドラマは、「新選組!」「真田丸」ともに主人公の死で幕が引かれてきたことを考えると、今作もそうなるのか? しかし、例えば「のえ」が用意した毒キノコ膳を食べて義時が苦しむ様で終わってしまうとすると、その後の収まりがつかない。

 となると、「新選組!」でもそうだったように、山本耕史(三浦義村)主人公のスピンオフを作ってくれないだろうか、NHKさん。チーム泰時の評定衆13人に義村は入っているから、別バージョン「鎌倉殿の13人」誕生の良い感じでまとまれそうな気が。どうだろう。

「小四郎」に戻り、時政パパと涙の別れ

 また、かなり先走ってしまった。38回の話をしよう。

 何と言っても、今38回の主役は時政パパだった。坂東弥十郎の北条時政はまさに「パパ」と呼びたくなる愛すべき存在で、簡単に語るに落ちてしまうし、お茶目で、自分の気持ちに素直で、そうかと思うと男気もある。ひょっとすると素直な小学生男子がごはんもいっぱい食べてスクスク育ち、そのまま大人になったような。記憶の中にチラリとある「草燃える」の金田龍之介が演じた腹黒い時政のイメージとはかけ離れていた。

 いつだったか、自分にとって大切なのは北条の土地(たぶん)と、妻のりく、そして息子と娘の3つだと時政は言って、義時に「4つありますが」と突っ込まれていた。子どもたちは「りく」の後に挙げられて、残念ながら時政の中での優先順位がその通りの順番になっていたことが、悲劇を招いたように思った。

 今回、義時は、普段の立場を忘れて子の「小四郎」に戻り、涙ながらに父と話した。文句なく泣ける名場面だ。何回も見たい。

時政「伊豆か」  

義時「生まれ育った地で、ごゆっくり残りの人生をお過ごしください」

時政「りくはどうなる」  

義時「共に伊豆へ」  

時政「あれがいれば、わしはそれだけでいい。よう骨を折ってくれたな」  

義時「私は首を刎ねられても已む無しと思っておりました。感謝するなら、鎌倉殿や文官の方々に。父上、小四郎は無念にございます。父上には、この先もずっとそばにいてほしかった。頼朝様がお創りになられた鎌倉を、父上と共に守っていきたかった。父上の背中を見てここまでやって参りました。父上は常に私の前にいた。私は父上を…私は…」  

時政「もういい」  

義時「今生の別れにございます。父が世を去る時、私は傍にいられません。父の手を握ってやることができません。あなたがその機会を奪った。お恨み申し上げます」  

語り「元久2年閏7月20日、初代執権北条時政が鎌倉を去る。彼が戻ってくることは2度とない」

 時政からすれば、「小四郎は政子と共に頼朝様に差し上げた」ぐらいに思っていたのではないだろうか。少年の頃から頼朝に重用されていた義時。家子専一だったか、いわゆる親衛隊のような「家子」の筆頭として頼朝のために忙しく立ち働いていた息子について、そう時政が考えてもおかしくないだろう。

 だから、政範が死んで以来どこかが壊れた「りく」だけを思って事を起こした時政は、こんなにも父恋しの義時の気持ちをぶつけられ、意外だったかもしれない。

 「りく」と義時はたった2歳差で義時が下らしい。政子は逆に4歳年上。同世代なのだ。傾城とも言える若く美しい後妻に父を取られ、その父が後妻に振り回されて婿殿全滅など惨状を引き起こしている様子を見るのは、息子として忍びなかっただろう。義時は実母を亡くして父も後妻にゾッコンでは、寂しかったかな。

 「りく」が嫁入りしたらしい1175年に生まれたトキューサや、幼かった「ちえ」「あき」は、もしかしたら「りく」にそれなりに可愛がられたのかもしれない。けれど、義時は12歳だし・・・甘える立場でもない。

刺客トウは脅しに使われたか?

 義時がトウを使って「りく」の暗殺を謀った気持ちも、理解できなくもない。ホーホケキョと妻に向かって艶やかに鳴いてばかりじゃない、地味に鳴く本来の父の姿を取り戻してほしかったのだろう。

 そう思っていたら、面白い解釈をしているツイートがあり、そうだねそれもアリだよねと思った。

 なるほど・・・トウには失礼な話だけれども、トウは「りく」を「脅す」ために、義時に送り込まれたのかも。「だったら、頬にザックリ傷をつけるとか髪を切り落とすぐらい、すれば良かったのに」と家族は言った。無傷の「りく」は全く懲りず、元気いっぱい。確かにモヤモヤするのだろうね。

 顔の傷は「りく」には大ショックだろうし、髪を刺客に切られれば恐怖だろう。しかし、りくのせいで引き起こされた、全成誅殺や畠山滅亡などの犠牲には、それでも全然見合わない。勧善懲悪みたいなことは、今作では果たされないようだ。

 「もうあなたの父を焚きつけたりしない」と「りく」は義時に言ったが、代わって義時を焚きつけてきた。まだ心は不完全燃焼らしく危ない存在だ。不穏な話からはスッパリ手を引き、政範の菩提を弔って時政の伊豆での暮らしに大人しく寄り添ってもらいたいと義時は考えるのだろうが、さてどうなるか。

 史実はともかく、三谷幸喜はまだ宮沢りえの「りく」を見せたかったりするかな?また騒動を起こさせたりして。モヤモヤ。

悪女「りく」のバックグラウンド

 改めて考えると、「りく」も、彼女だけの思いで動いていたという訳ではないのではないか。彼女ももしかしたら操られ踊らされる側だったのかもしれない。

 「りく」は、叔母に池禅尼(頼朝を助命した、平清盛の後妻)がいるれっきとした貴族の家の出らしい。時政に一目ぼれされたからといって、メリットが無ければ実家も評判の娘をわざわざ遠い田舎に住む時政には嫁がせないだろう。池禅尼の息子・頼盛は、平家一門で重きをなす一方で、繫栄する兄の清盛系の陰で苦労もあったらしいから、東国の独自基盤を固めるために「りく」は送り込まれたのかもしれない。

 一瞬、だったら頼朝に直接嫁いじゃえばいいのに?と思ったが、時政と1175年か1180年頃に結婚しているらしいので、1175年だとまだ平家の天下で清盛に対して反感があからさまに過ぎるし、メリットは薄そう。徐々に頼朝が台頭し、賢い「りく」とバックの実家は、頼朝の舅である時政を使えば搦手からうまみを得られると小躍りしたのかも。

 初登場の第2回「佐殿の腹」で「しい様、私はあなた様に嫁いできたのです。他の皆さんに嫌われようが、そんなことはどうでも良いのです」「しい様が傍にいてくだされば、それで満足」と、りくは時政に言い、時政は家族の誰も新妻を迎えに出ないのを「嫌っているわけではないのだ」と言いつくろっていた。

 「嫌う」という言葉を使っている時点で、やっぱりショックだったのだろう。そこで「りく」は義時や政子らを意識の上でスパッと切り離したのかもしれない。「自分とは関係ない、家族じゃない」、それが不幸の素だったかも。

 平頼盛は、木曽義仲が都を占拠した1183年に、平家都落ちの置いてきぼりを食らい、源頼朝を頼って鎌倉に来ている。もし「鎌倉殿の13人」にも頼盛が出ていたら、「りく」のバックグラウンドの話がもうちょっと膨らみ、それも面白かったかも・・・でも、それをやっていたら放送期間は1年では足りなくなる。

 バックグラウンドといえば、源頼朝の同母妹・坊門姫は京都で一条能保という貴族に嫁いでいる。そのラインが頼朝にとって都での重要なコネクションになっていたらしいのだけれど、坊門姫は「鎌倉殿の13人」には全然出てこなかった。期待していたのに、つまらないなー。

 何しろ、坊門姫の娘が後鳥羽上皇の乳母の1人だったのだから(大納言三位保子)。そして、姫の血筋だからということで4代将軍が選ばれるのだから、チラッと出演してもいいんじゃないかと・・・。

 この時代の京都チームの話はウィキ祭りをしているだけでも面白い。以前も触れたが、シルビア・グラブ演じる藤原兼子は、蒲殿・源範頼と同じ養父の下、育っていた時期があったらしい。兼子と蒲殿の兄妹的つながりは形成されていたのだろうか?そう考えると、蒲殿の京文化に対する教養って頼朝を凌ぐほどすごかったんじゃないの・・・などと、妄想が止まらなくなる。

実衣には怒ってもらいたかった

 今38回は時政と義時の涙の今生の別れが描かれ、パパを操っていた「りく」の退場も寂しい😢しかし・・・ドラマとはいえ、「りく」に対して北条姉妹が甘すぎなかったかなあ、と気になった。粋な別れとして評価する声も多くSNSで見たけれど、私は納得できなかった。

 政子の態度は、まだわかる。

  • 基本的に政子は懐が深い。尼御台としての意識が強く、グッと堪えて私情を横に置き、振る舞うこともできる
  • 実朝は死なずに助かった。時政が実朝相手に抜刀し、「りく」も実朝の命を軽んじて暴走する勢いだったけれど、実際に無傷で帰ってきたからまだ許せる
  • そして、「りく」は名越の時政邸を脱出してから、まず政子に頭を下げに来て「あの人は死ぬつもり」と時政の命乞いをした。これまで盛んにマウントを仕掛けてきていたが明らかに負けを認め、尼御台としての政子の力に縋って来ていた

 一方の実衣である。彼女は、

  • 「りく」が無責任にもプランニングして時政を焚きつけ、夫・全成を次の鎌倉殿にさせようとしたり、2代目鎌倉殿・頼家の呪詛などさせようと画策したために、謀反人として夫が殺された。
  • さらに無実である子の頼全も、同様に遠い京都で討伐されて殺された

 これは酷い。ハッキリ言って、「りく」のことを不俱戴天の仇、同じ空気を未来永劫吸いたくないぐらいに考えてもおかしくないが、実衣は何も知らないのだろうか。

鎌倉の大河ドラマ館展示の小道具。全成作の呪詛人形

 それなのに、「りく」を前にして「あなたのおかげで父上は変わった」などと非常にすんなりと彼女を褒めている有様。私なら「こんな強欲な女のせいで私の夫と息子のふたりは無残にも殺されることになったのか」と、亡き夫や子を思い、悔し涙が止まらないだろう。

 その上、

  • 父親は翻弄され尽くし親としては奪われたも同然。実衣サイドのきょうだいは父から顧みられなくなった
  • 実衣が乳母を務める3代目鎌倉殿・実朝を、てっぺんに立ちたいからという理由で鎌倉殿の座から引きずり降ろそうとし、危険に曝した
  • 自分たちが生き延びるため、邸を囲んだ兵を解かせようと鎌倉殿を使おうとした

 こんなに悪どい継母があるか。もちろん、「りく」に翻弄された父時政も責任は大きいから「もう父でも何でもない。私の父はどこにも存在しないんだ」と単なる怒りを通り越した強い怒りを実衣が持つに至っても、全くおかしくない。

 夫と子を失ったと言えば、畠山重忠の妻・ちえも、政子と義時に対してだったけれども、非常に抑制的に怒りを表明していた。立場上、お上品に抑えているからこそ強い怒りが伝わり、彼女のラストシーンはとても良かった。

 けれど、その場に時政と「りく」がいたらどうだったろう?ちえは斬りかかっても飽き足りないだろう。やっぱり、ちえに比べてあの性格なのに、実衣が「りく」に淡白に過ぎる。あんなに政子にはネチネチしているのに。

 もし、実衣が「りく」に対して怒りをスルーできた理由として1つ挙げるとすれば、やはり「りく」の愛息政範の死だろう。実衣は、自分も頼全を失ったから辛さが分かり、あえて優しくなろうと努めてああ振る舞った、という設定なら、まあ理解もできる。そんなシーンは無かったが。

 もしかしたら三谷幸喜は、女が激しい怒りをぶつけて慟哭する姿などは苦手というか嫌いで描きたくないのかな。だから、怒りが出そうな場面もあえてカッコつけた粋な別れにしてしまったのかもしれない。

 でも、知人のせいで夫と子を殺されたと考えてみてほしい。恥も外聞もこれまでの恩も、全て吹き飛ぶと思う。

 ということで、女3人のシーンはもっとドロドロMAXで描いてほしかった、りくvs.実衣が見たかった!というのが私の感想だ。大河はキレイにまとめすぎましたね。(敬称略)

鎌倉の大河ドラマ館展示の小道具。八田殿が書いた設定

鶴岡八幡宮の、たぶん平家池に臨む大河ドラマ館からの眺め


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【鎌倉殿の13人】あの日には帰れない北条家+番外編・北条安千代は誰

オンベレブンビンバ、分かるわけなかった

畠山ショックを忘れるほど、脳内で咀嚼不可能

 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第37回、「なんだそれ」なサブタイトルの「オンベレブンビンバ」が9/25に放送された。

 前36回「武士の鑑」は、畠山重忠の無念を思うと涙無しでは見られない重い内容だった。ところが、次回予告で「オンベレブンビンバ」が示された途端に「へ???」と脳内がクエスチョンマークで一杯になった。

 鳩が豆鉄砲を食ったよう、という譬えは鳩がかわいそうだからあまり好きじゃないが、オンベレブンビンバという脳内ですぐには咀嚼できないものを突っ込まれたおかげで、重かった畠山一族の悲劇も気分的にあっさり横に置かれた感じ。三谷幸喜にしてやられた。

 オンベレブンビンバの意味を巡り、日本中がああでもないこうでもないと考え考え、37回の放送を迎えたのだったが・・・何のことはない、北条時政が大姫から教えられた「いいことがある」というおまじない「オンタラクソワカ」を思い出せなくて、適当につぶやいていたフレーズが「オンベレブンビンバ」だったのだ。分かるわけがなかった。

 “考察班”も即座に動き「オンベレブンビンバ→イタリア語だと『子どものための影』。愛情を注ぐのが母親ならば、時には手本となり、反面教師となり、影から子どもの成長を支えるのが父親。最後に時政パパ(影)に立ち向かい、勝つことで、子どもの小四郎はいよいよ2代目執権・北条義時が完成するんだ…」とイタリア語説も浮上。同時に「#鎌倉殿オンベレブンビンバ知ったかぶり選手権」「#ぼくのかんがえたオンベレブンビンバ」も自然発生し、大喜利大会となった。「鎌倉殿の13人」長澤まさみ“訂正ナレ”も!副題「オンベレブンビンバ」まさかの謎解明 ネット再び話題(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

 三谷幸喜は、オンベレブンビンバにイタリア語の意味も込めたのだろう。時政の心情を思うと泣ける。

北条が幸せだった頃を呼び覚ます、大姫の記憶

 おまじないを大姫が教えてくれた頃は、八重も頼家も大姫も三幡も、悲劇の死を迎えた北条の婿殿3人(全成、畠山重忠、稲毛重成)も、実衣の息子・頼全も、妹「あき」も生きていた。宴の席にもいた「ちえ」は確か身重だったから、お腹には誅殺された畠山重保がいたのだろう。

 そうそう、その場は「りく」の産んだ政範の出産後のお披露目の席だったような。北条家が打ち揃い、幸せな宴が開かれていたのだった。大姫は、じじさまが赤ちゃんに生気を吸い取られている!みたいなことを言っていなかったか?今思うと、怖い。

 政範が享年16歳だったから、たった16年ほどの間にいったい何人死んだのか。政範の死が「りく」を狂奔させ、そして今や、父の時政と子どもたち(政子、義時、時房、実衣)は正面切って対立しようとしている。時政とすれば、あの大姫のいた幸せな宴の時に帰りたい、良いことが起きないか、との思いだったのだろう。

 大姫に言わせれば、「みんな、おまじないを正確に唱えられないから災いを避けられないのよ」となるのかな。

時政は実朝に実力行使、気になる義村

 今37回のラストでは、「出家して平賀朝雅に鎌倉殿の座を譲る」との内容の起請文を、「じぃじ」時政に頼まれても書かないと突っぱねる孫の実朝に対して、時政が刀を抜いて終わった。

 とうとうの実力行使。実朝は、時政の言うままに下文に花押を書いて畠山一族を滅亡させた責任を感じているから、時政に警戒心を抱いて当然だ。そして、孫ではあるけれど、鎌倉殿・実朝に対して刀を抜いたとなると、もう時政は言い逃れができない。

 時政の計画を義時に内通した後、義時の指示とはいえ、そのまま時政の指示に従うことになった三浦義村も気になった。あれだけ気の回る義村なのだから、時政もろとも三浦が葬られる危機感は抱かなかったのか。

 上総介広常の話を乗っ取って和田義盛が実朝に披露していた。その上総介のように、味方側だと信じた義時から三浦が裏切られることを暗示していないか・・・。

 三浦と北条は、義時が生きている間は盟友であり続けることは知っているけれど、気になった。それだけ、ふたりの信頼関係が厚いというか、義村が義時を信じて委ねたということだ。

 それとも、義村が義時に対して面従腹背の姿勢を取るきっかけにでも、この牧氏事件がなるのだろうか。

ギラギラ輝いている「りく」宮沢りえ

 しかし、悪女「りく」を演じる宮沢りえはここのところ輝いている。キラキラというよりも画面に出てくるたびにギラギラしている。

 あんなにも気丈で、強欲な無理難題を仕掛けるプランナーとして時政を操縦しているが、反面、息子を奪われた母として悲しみに打ちのめされている様が、死んだ政範の髪を握りしめる切ない表情に浮かんでいた。だから、時政もわかっていて殉じる気になっているのだろう。

 しかし・・・「りく」のベースにあるのは、強欲というよりも不安なのでは?その不安は自分が生んだもので、種は自分の中にある。時政の子(政子ら)をも自分の子として信頼できれば良かったのに「私の血縁ではない」と切り捨てて敵にしてしまった。だから不安なのだ。

 「りく」は政子と年齢的には同世代らしいから、夫の子とはいえ、政子や義時を自分の子どもと同じとは考えられないのだろう。でも、前の妻の子とはいえ、手元で育てただろう、ちえ、あき、トキューサは?可愛がれなかったのか、眼中になかったのか。

 不安をエンジンにしてしまうと止め処がなく、あまり良いことではなさそう。一緒に乗っかってあげるのは、ちょっと違うのではないか?時政よ。

 そういえば、政子に対して不思議と「りく」と実衣の反発の仕方が似通っているのはどうしてだろう。実衣が「りく」に学んだのか、憧れでもあったのか。

 とにかく、最近は物語を裏からガンガン引っ張っている「りく」。オープニングでなぜ宮沢りえがトリなのかな?と感じないでもなかったけれど、考えを改めた。

 次回、牧氏事件はどこまで描かれるのだろうか。予告を見ると、いよいよ義時は黒い衣装、ブラック義時で登場するようだ。アサシン・トウも出てくる。ということは…。

番外編・北条安千代の伝説

北條寺と珍場神社の創設にかかわる話

 ところで、ふるさと納税を「鎌倉殿の13人」ゆかりの静岡県伊豆の国市にした人が、送られてきた書類の中に「北条義時がうまれた里『伊豆の国』の中世」という冊子があったので見せてくれた。

 編集は伊豆の国市文化財課、発行は令和4年3月10日とあるから、今年の大河ドラマを見据えて作ったか・・・しかし、3月に入っての発行とは、少しのんびりしている。

 その冊子5ページに、ドラマでは見かけない名前を見つけた。「義時の長男」安千代である。義時の長男は、太郎泰時ではないのか?義時と伊賀の方夫妻のお墓のある「北條寺」について、冊子にはこう書かれている。

 北條寺は、義時が長男安千代のために建立した寺院である。北条義時館跡(江間公園)からほど近い場所にある。境内にある小高い山の上には「北条義時夫妻の墓」が佇む。

 北條寺に伝わる寺宝のひとつである「阿弥陀如来坐像」は仏師集団「慶派」による作品であり(略)義時が亡き安千代の冥福を祈って造立したと伝わっている。その他(略)北条政子が寄進したと伝わる牡丹鳥獣文繍帳(県指定文化財)など、数多くの貴重な寺宝を有する。

 そして、もうひとつ気になる「珍場神社(ちんばじんじゃ)」の説明がこちら。

 珍場神社は、長岡地区北江間の千代田団地南側に鎮座する。元久元年(1204)、亡くなった安千代の霊を祀るために、若宮八幡を勧請して創立したと伝わる神社である。安千代に似た木造を彫刻して若宮八幡神とした、という言い伝えも残る。

 ふたつの寺社の創立に共通するのが安千代。つまり、安千代は確かに存在した蓋然性が高いように思う。彼を祀っている寺と神社が現実に今もあるのだ。しかし、こんなに大々的にお祀りしたのだし、安千代はよほど悲劇的な死に方をしたのか・・・冊子には、「池田の大蛇伝説」という囲み記事もあった。

 昔、池田郷内というところに大池があり、大蛇が棲んでいた。江間小四郎(北条義時)の長男安千代は勉学のために、珍野村の千葉寺という真言宗の寺院に通っていた。安千代が11歳の時、千葉寺から家に帰る途中の大池の堤で、大蛇に襲われ水底に沈められてしまった。家来が義時にこのことを報告すると、義時は大いに怒ったが、大池の仕業であったためどうしようもなかった。

 ある時、義時自ら大蛇の左眼を弓で射た。射られた大蛇は水底に潜り姿を消してしまった。この時から大池はだんだん浅くなり、ついに田地となり、そこが池田という地名になった。《『伊豆志』伊東祐綱 享保12年(1727)を参照》

 このほか、大蛇は雌雄であり、雄の蛇が逃げた坂を「男坂」、雌の蛇が逃げた坂を「女坂」とする説などもある。

 確かに悲劇的な死を迎えた安千代。親の気持ちとしたら、あの世での安寧を祈るために何でもしたくなるだろう。

安千代は比奈の長男?

 安千代が義時の長男だとすると、金剛泰時はどうなる?彼は側室(阿波局、「鎌倉殿の13人」では八重)の子で、庶長子として1183年に生まれている。安千代は泰時の前に生まれていた子なのか?

 先ほど珍場神社の項に1204年創立とあり、伝説では安千代11歳とわざわざ言っているから、1204年に11歳だとすると1193年生まれ。泰時が10歳の時に生まれていることになる。

 ちょっとググってみたら、1193年生まれの義時の子にはちょうど朝時がいる。「鎌倉殿の13人」では正室の比奈が産んでいるので、庶長子をカウントしないで「正室の長男」の意味で言ったら、朝時が「義時の長男」だと呼ばれてもおかしくなかったのか。

 けれども、「次郎」と呼ばれた朝時は成人して1245年に死んでいる。1204年頃に11歳で死んでしまった安千代とは別人だ。

 では、珍場神社や北條寺に祀られている安千代とは一体誰なのか?

 可能性として、比奈が産んだ朝時は、もしかしたら双子だったのでは?双子の片割れが不幸にして大池で亡くなり、もう片方が朝時として成人したというなら、納得がいく。そうすれば、伝説とはピッタリだ。

1203~1204年に起きたこと

 しかし・・・1204年(元久元年)というのが気になっている。この伊豆の国市の冊子には、「北条義時関連年表」が掲載されている。同年表によると、その年に義時は相模守に就任しているのだが、2代目鎌倉殿頼家が修善寺にて死んだのもこの年なのだ。

 前年の1203年には比企氏の乱が起きている。頼家の長男、一幡は比企一族と一緒に死んだという説もあれば、逃亡してしばらくして義時に殺害されたという説もある。

 義時が1204年に神社を勧請し、寺も建立する動機づけとしては、この頼家と一幡の悲劇の方が強くあるような気がするが・・・もしかしたら、実のところは滅ぼした頼家と一幡の為だけれども、大っぴらにはそう言えないから、伝説を拵えて「自分の長男安千代の為」と対外的に披露したのではないのだろうか。

 そう思うのは、珍場神社は「安千代の霊を祀るために、若宮八幡を勧請して創立」とあるからだ。そして、若宮八幡をウィキペディアで見ると「源氏、ひいては後の武家全体の守護神たる八幡宮から分祀され、日本各地に存在する」と書いてあるからだ。

 やはり、珍場神社に祀られたのは源氏の頼家か一幡の方が順当ではないのか。北条義時は息子のために、源氏の守護神の八幡宮をわざわざ勧請するのだろうか?

 北條寺には政子が寄進したと伝わる文化財もある。尼御台の政子にとって、11歳の甥は、そんなに文化財となるような貴重な物を寄進するほどの存在だったのだろうか(弟の長男となれば寄進ぐらいする、と言われればそうかもしれないが)。甥よりも、政子の長男と孫、と考える方が自然な気がするのだが・・・。

 素人が色々と妄想してみた。何か関連の資料があれば、読んでみたい。

【鎌倉殿の13人】重忠、命懸けで義時の尻を叩く(※お膳立ては義村)

サヨナラ!武士の鑑・畠山重忠😢😢😢

 9/18放送のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、畠山重忠の乱を描いた第36回「武士の鑑」だった。もうね・・・役者さんたちの演技がものすごい熱量で、まだそれがただ見ただけのこちらにも残っているような気がする。

 中川大志(まだ24歳!)演じるアラフォー畠山重忠は「戦など、誰がしたいと思うかー!」と顔を震わせ万感込めて吠えた。そして、自ら畠山討伐の大将に志願することで、義理の弟でもある友人との戦を回避する道を探ろうとした小栗旬の北条義時。しかし、ふたりの思いは虚しくも叶わない。結局、筋を通したい重忠に向けて、義時は「これより、謀反人畠山次郎重忠を討ち取る!」と鎌倉からの大軍勢に号令するに至った。

 重忠は義時に騙されたと考えているのが、義時にはつらいところだ。直接言われていないにせよ、わかっているだろう。

 前35回「苦い盃」で鎌倉殿に会って起請文を出すように重忠に伝えた義時。その時に「私を呼び寄せて討ち取るつもりではないでしょうね」と重忠は返し、それを義時は否定した。それなのに、重忠の言葉通りになってしまった。

 それで、重忠は「私も小四郎殿の言葉を信じてこの様だ」と説得に来た和田義盛に言った。その直前に「今の鎌倉は北条のやりたい放題。武蔵をわがものとし、息子には身に覚えのない罪を着せ騙し討ちにした」と言っているから、自分も義時におびき出されて騙し討ちにされようとしていると考えている。

 義時はいつもそうだ。自分で望まない道を選ばされて、反発され、批判される(例えば愛する息子太郎泰時にも)。それも仕方ない。常に時の権力者の傍にいて、それだけの利益も享受している側だから。

 だからこそ、この鎌倉を変えられるのは義時しかいないと期待もされる。「苦い盃」のラストで、重忠は静かに義時に問うた。

 もし執権殿と戦うことになったとしたら、あなたはどちらに付くおつもりか。執権殿であろう、それで良いのだ。私があなたでもそうする。鎌倉を守る為に。

 しかし宜しいか。北条の邪魔になる者は必ず退けられる。鎌倉の為とは便利な言葉だが、本当にそうなのだろうか。

 本当に鎌倉の為を思うなら、あなたが戦う相手は・・・あなたは分かっている。

 義時は「それ以上は」と繰り返し、重忠の言葉を押しとどめて「戦う相手」を明言させなかった。もちろん、示唆されていた相手は、父である執権の北条時政だ。

 自分でも、まだ直視したくなかったのだろう。自分は重忠と戦わざるを得なくなる、「だからこそ戦にしたくはないのだ」などと北条時政の息子であることから1歩も踏み出さない前提で言っていたし。

 真の「鎌倉の為」に、その1歩を踏み出して欲しかったのが重忠だ。実際、重忠との死闘を経て、義時は明らかに父親と対峙する方向に舵を切った。

重忠vs.義時、青春映画張りのタイマン

 「死闘」と書いたが、すごい描写だった。確かに、こんなの大河ドラマで見たことない。衣装さんは泣いただろう。

 まず、義時の妹の子でもある嫡男重保を既に騙し討ちにされた重忠は、義時を横目に泰時に直行。「まずい」と、たまらず息子救出に出てきた義時は「次郎!」と呼び止める。振り返った重忠は「待っておったぞ」と作戦勝ちの趣だ。

 始まったのがふたりの一騎打ち。馬上での戦いから泥臭い取っ組み合いの殴り合いへ。山本耕史演じる三浦義村がきっちり「誰も手を出してはならぬ」と周囲を止め、大鎧を身に着けた大将同士が、青春映画のような熱い戦いを見せた。 

 私がお気に入りの「かしまし歴史チャンネル」のくぅさんも、「学ランが見えた」とうまいことを言っていた。小栗旬の初期の代表作「クローズZERO」が思い浮かんだ人もいたのでは。

youtu.be

 しかし・・・完全に重忠に手加減されていた義時。殴れば床に穴を開ける怪力の持ち主の重忠にあれだけボコボコ殴られたら、数発で頭が吹っ飛んで死んでいるはずだ。

 重忠はさらに、ワザと外して義時の顔横に小刀を突き立て、笑った。大将首を取ることになるから、そのまま義時の命を取っていれば、戦は完勝だったはずだがそうしなかった。義時に託したいことがあるからだ。やり切って、メッセージは完全に義時に伝わったはずだ。

 刺される時、観念して目を閉じた義時の唇は震えていたが(痛いのは頬だけでなく心も。友の思いに感謝して)、そのシーンにかぶさったのが長澤まさみのナレーション。戦いは終わり、時政とトキューサが畠山の乱の平定を鎌倉殿に報告する場面になった。

 源義経と同様、畠山重忠の死はドラマでは直接には描かれず、トキューサのセリフによって重忠が手負いのところを仕留められたと視聴者は知った。これが三谷幸喜の美学なのか。ヒーローの死は描かないのだ。

 鎌倉殿・実朝も苦い思いをした。時政パパ(じぃじ)に騙されて花押を書かされた上に「重忠には幼い頃可愛がってもらったから殺すな」と言ったのに、届いたのは首桶だった。鎌倉殿なのに、誰も言うことを聞いていない。納得できなくとも「ご苦労であった」と言わざるを得ない立場。今回、度々目立った長沼宗政が、将来的に実朝と交わすやり取りを含んでいたのかな。

 宗政は、重忠の遺児を生け捕るよう命じられて、討ち取った首を持参して実朝に嘆かれる。今回と重なるような話だが、前振りか。それとも、そこまでは描かないか。

時政パパを最後に試し、ようやく義時決断

 この友人の尊い犠牲によって、義時はようやく父時政に向き合った。重忠は、自分だけでなく一族の命を懸けて、鎌倉の現状を正せと義時の尻を叩いたようなものだ。さすが武士の鑑。

 重忠の首を持参した義時が、時政に言う。

 次郎(重忠)は決して逃げようとしなかった。逃げるいわれが無かったからです。所領に戻って兵を集めることもしなかった。戦ういわれが無かったからです。(ここで「もういい!」と怒鳴る時政)

 次郎がしたのは、ただ己の誇りを守ることのみ。(首桶を差し出す)改めていただきたい、あなたの目で。執権を続けていくのであれば、あなたは見るべきだ、父上!

 息子の心からの叫び。しかし、それに応えず時政は去った。時政は息子に見限られたことに気づかなかったかもしれないが、義時は父親排除のスイッチがしっかり入った。

 大江広元は言う。「執権殿は強引すぎました。御家人たちのほとんどは畠山殿に非のなかったことを察しております」

 そして「畠山殿を惜しむ者たちの怒りを誰か他の者に向けるというのは?」との助言を得た義時は、義弟の稲毛重成に罪をかぶせることを時政に提案。気の毒な重成は誅殺された。まったく、北条の娘婿などなるものじゃない。

 弟のトキューサは、重成に罪をかぶせることを「いくら何でも理不尽ではないですか?」と義時に聞いた。「そこが狙いだ。稲毛殿を見殺しにしたとなれば御家人たちの心は執権殿から益々離れる。これぐらいしなければ事は動かぬ」と義時。これでトキューサも理解した。

 いつか、トキューサは兄に「何でもお申し付けください」と決意を述べていた。そう、善児の小屋で。トキューサは「りく」ボケの父より兄に従うだろう。

実は、義村の敷いたレールに乗っていた義時

 この時、義時は気になることを言った。重成の誅殺について「平六(三浦義村)を呼べ、あいつにやらせよう。私に隠れてコソコソ動き回った罰だ」と。

 「罰って何だよ、罰って!刎頸の交わりとまで言った義村がかわいそう!信じきれないとか言ってるから毒嫁をつかむんだよ」と最初は思ったが、よくよく見返してみたら義村、ずいぶんとコソコソやって義時を追い込んでいた。

 第34回「理想の結婚」で、義村は時政に呼ばれて酒を飲んだ。義時が「のえ」との再婚でうきうきしていた頃だ。

 「畠山はお前の爺様の仇」と時政に振られた義村。

 「恨みはないと言えば嘘になりますが」

 「もし北条と畠山が一戦交えたら?」

 「なるんですか?」

 「お前はどっちに加勢する?」

 「・・・決まってるでしょう」・・・で、ニヤリ。

 ハッキリ答えないのか、うまいな平六義村!これで時政は味方を得たとばかりに安心して畠山討伐を頭に描き始めただろう。時政は、平六の父親次郎(佐藤B作が演じていた)が無二の友だったから、息子も当然自分の側に立つと信じるおめでたさがある。

 ここで軽く時政を畠山討伐に向けてプッシュした平六は、流れを作った。チャンス到来と考え、温めてきたプランを始動したか。畠山は表から(滅ぶ危険性あり、よって三浦は選ばない)、そして三浦はあくまで陰から。義時を動かすために、誰か表に立つ役者を待っていたのではないか。

 表に見栄えのいい畠山はうってつけ、裏は目立ちすぎて似合わない。そんな感じの義村のセリフがあった。梶原景時討伐の署名集めの時だったか。

 前35回で、義村は「次郎を甘く見るな」と言い、壇ノ浦で義経が平家側の船の漕ぎ手を射殺すという禁じ手を命じた時に、「あいつは誰よりも進んで漕ぎ手を射殺していた」と義時に言った。次郎重忠は自分の思いだけでなく行動できる、切り替えてやるときはやる。「優男だけどな」と。

 続く「のえ」の飯粒発見の顛末(握り飯を食べながら裁縫をする奴がいるか?)に気を取られていたが、ここで義村は、重忠との戦いを覚悟するよう、はっきり義時に促していた。義時は、この頃まだまだ重忠との戦いを止めようとしていたけれど。

 そして今36回。のっけから時政が三浦一族を呼んで「鎌倉殿をお守りするため、これより畠山一族を滅ぼす!」と宣言。そこに義時はいない。「なんと」と驚く従兄の和田義盛を尻目に「かしこまりました」と待っていたように答える義村。

 「畠山はお主らの爺様の仇。ようやく敵討ちができるの」と嬉し気な時政に、さらに油を注ぐ形で「三浦一門挙げて討ち取ります」と義村は返答。義村はずるずると時政を蟻地獄に引きずり込んでいく。思い描くのは時政の失脚だ。

 和田義盛は「これだけ長くいると情が移る」「次郎という奴は見栄えもいいし頭も切れる。俺には自分と同じ匂いを感じるんです」と情を見せるが、義村は念願のプランA始動のタイミングに和田の感傷になどかかずらってはいられない。「先へ進みましょう」と切り捨てた。

 そして畠山重保をおびき出す話で、時政は「殺してはならん。息子を人質に取られれば重忠も観念しよう」と言い、和田義盛も重保に「手向かいしなければ命は取らぬ」と言ったが、それは最初から義村の念頭には無かっただろう。重保は捨て石、「悪いな」と声をかけたのがせめてもの情けであり、しっかり重保を討ち取った上で「やらなければやられていた」等ととぼけて時政に伝えた。

 こうして義村は、畠山と北条の争いを、そして義時と時政の争いのレールをきっちり敷いた。お膳立ては上々だ。

 重保を討ち取る前に、義村の弟・胤義が義時に伝えなくていいのかと確認したが「いい、板挟みになった奴が苦しい思いをするだけだ」「ここで執権殿に楯突けば、こっちが危ない」と義村が言ったのは、義時からの横槍を防ごうとしたのだろうし、汚れ仕事を引き受ける覚悟だったのだろう。

 既に賽は投げられ、大局的に見れば義村は正しい。重忠が義時に優しく言葉で迫ったようなまどろっこしいことはせず、状況を着々とコントロールして義時を追い込み、事態を進展させようとしている。

義時も、わかっている

 他方、ウジウジ悩む義時も「わかっている」。政子にも本心を伝えていた。

政子「畠山殿は、本当に謀反を企んでいたのですか」

義時「父上が言っているにすぎません」

M「だったら」

Y「しかし、執権殿がそう申される以上、従うしかない。姉上、いずれ腹を決めていただくことになるかもしれません」

M「どういうことですか」

Y「政を正しく導くことができぬものが上に立つ。あってはならないことです。その時は誰かが正さねばなりません」

M「何を考えているの、何をする気?」

Y「これまでと同じことをするだけです」

 義時も、大筋では義村と考えは同じ。ただ、義時は情において重忠が犠牲になるのは割り切れないし、父時政を切り捨てたくないから最後まで「望みは捨てぬ」と抗うのだろう。友も父も捨てたくないのだ。

 義村も、そんな義時を突き放すわけではないし、義時も内心では義村を頼りにしているように見える。

 戦場で「まずは次郎に会って矛を収めさせる」と義時が言った時に「俺に行かせてくれ」と立候補したのはピュアピュア和田義盛。義時はその時、義村の反応を見るのだ。そして義村は「あるな、この手の男の言葉は意外に心に響く」と、義時の感情に寄り添った。

「罰」でも義村は満足げ、そして和田への遺言

 ふたりは正に無二の友。だからこそ、義時は「罰」と言いながら義村に乱の真の狙いであるところの最後の仕上げ、時政を政から退かせるための「重成捨て石作戦」を任せたのだ。レールを敷いたのはお前だろ、と言わんばかりのこの絶大な信頼感。

 既に畠山重忠の潔白を信じ始めているところに、さらに稲毛重成の理不尽な処罰を聞いてざわめく御家人たち。義村は「あの人が殺せと命じたのだ」と明言、執権時政が信を失うように決定的に仕向けた。

 重成を討ち取ったと報告した義村に「ご苦労だった。下がって良い」とだけ返した義時に、義村はニヤリ。癇に障ってもおかしくない場面だが、義村は満足なのだろう。自分のプランAがうまく運び、義時が上に立つ覚悟を固めたと見て取ったのだ。

 そして三浦一門は無傷、守り切ったと義村は思ったかもしれないけれど・・・重忠は和田義盛に心理的置き土産をしていった。「命を惜しんで泥水をすすっては末代までの恥」という心意気。それにピュア義盛が身を投じる日が来るのはまもなくだ。

 見ている側は身が持たない・・・と思ったら、和田義盛を演じる側も本当に心身をすり減らしていたらしい。なんてドラマ。和田義盛の中の人(横田栄司さん)の回復をお祈りしたい。

 そうそう、こちら↓↓の記事のツーショット、ホッとするがまるで親子のよう。やっぱり畠山殿の化け方が凄い。次回からもう出ないのか・・・中川大志の、再来年大河ドラマ「光る君へ」でのメインキャスト出演を待っている。(敬称略)

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【鎌倉殿の13人】畠山重保が採るべき「正解」は何だったのか

中川大志の静かな圧が凄い

 9/11に放送されたNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の35回「苦い盃」。てっきり畠山滅亡回かと思い、前回ブログでは先走ってしまった。苦い盃=心ならずも畠山を討ち取った後の義時の苦い祝杯か?と予想してのことだった。

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 考えてみれば、確かにパッパッと片付けるなんてもったいないことを制作側がするはずがない。たっぷり見せるよね。畠山重忠を好演する中川大志の退場があまりに勿体なくて、こちらも身構えすぎた。

 次36回の「武士の鑑」はタイトルからそのものズバリでため息しかないが、前回の先走りを反省して予告についてはあまり触れない方が良さそうだ。

 今回のラストシーン。戦支度が整い鎧が背後に並ぶ中、畠山重忠が北条義時と酒を酌み交わしながら「あなたはわかっている」とジワジワと義時を心理的に追い詰めていく感じ。中の人は義時の中の人(小栗旬)よりもかなり若いのに、対峙しても全然負けず、静かな圧が凄かった。

 「真田丸」で、秀頼が「徳川が攻めてくる」とアップで言うシーンがあったが、あれをなぜか思い出した。あの時もカミソリのようなたった一言で悪い予感を引き出されてゾクッとしたが、成長した(といっても24歳)中川大志の畠山重忠は、戦の前でも穏やかで重みがあった。

 義兄弟であり、信頼する友人でもある畠山重忠討伐に追い込まれたことで、義時は重大な決断をするんだね・・・等とついつい先を考えてしまうけれど、この喪失が将来主人公に与えるインパクトの大きさを感じられる、ふたりの良いシーンだった。

 ツイッターで「中川大志を大河ドラマの主役に」という声を見たが、当然NHKもその心づもりで育てているのではないか。共演者よりもひときわ若い彼を畠山重忠役で使ったのも、再来年の大河「光る君へ」のメインキャストで使うつもりだからではないのか?

 この畠山重忠フィーバーを受けて、来月ぐらいには正式発表があることを勝手に期待している。あ、とりあえず来年の「大奥」でもいいよ(何様)。

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畠山滅亡への幕が開いてしまった

 さて、今回、畠山重忠の嫡男・重保が鎌倉に戻り、北条政範の京での急死について平賀朝雅の怪しげな動きを義時らに報告した。重保が見たのは「では、これを汁に溶かせば良いのだな。味で悟られてしまわないか」「味はございません」という庭での平賀と誰かのやり取り。「あれは決して味付けの話ではありませんでした」と重保は言った。

 ところが、重保はかえって平賀の罪を擦り付けられるに至る。

 平賀の立ち回りは完璧だ。重保に疑われた場面で「人に話すとご自分の正気を疑われますぞ」と怯ませておいて、鎌倉では「りく」に政範の死は重保のせいだと断言。その時に「畠山一門は武蔵の国府を巡り北条と揉めているのをご存知ですか?北条に恨みを持っておりまする」と脚色するのも忘れない。

 そして「策略にはまってはいけません。何を言ってきても信じてはいけませんよ」とご丁寧に「りく」に念押しして京に逃げた。これで、ひとり息子の死で判断力を失っている傷心の「りく」は一丁上がり。怒りに燃えて時政パパに畠山を討つように強硬に言い募ることになった。

 ここら辺の心理劇がさすがだ。心がズタズタの「りく」には、亡き愛息を皿に例えるなど配慮のない失敗をする時政を、愛すべき夫と受け止める寛容さなど消え失せている(最初から無かったかもしれないが)。全然「もう大丈夫」な訳がなく、簡単に怒りを掻き立てられる状態だ。そこに平賀がうまく付け込んだ。

 ホントに、詐欺師並みにうまい。自分がやったことをそっくり他人がやったことにして、そして他人が言ったことを自分が言ったことにして罪を逃れるような「置き換え」は、現実にも見る悪人の手口だ。平賀にしたら都合の悪い目撃者を消し、同時に自分の罪もなかったことにできて2度おいしい。

 他方で義時も時政パパを説得。平賀の動機は「政範殿を亡き者にして次の執権に」なることだと的を射てパパの理解を得ることに一時は成功した。それで時政パパも「りく、やっぱりワシら無理のし過ぎじゃねえかな」と妻に告げるに至ったが、りくの全身全霊を懸けた叫びが時政パパの頭から全てを吹き飛ばしたようだった。嗚呼。

 りくは「政範だけでは済みませんよ。次は私かもしれませんよ。そういうところまで来ているのです!」そして、りくに言いなりの時政パパは、勝手に鎌倉殿の花押入り畠山討伐の下文を拵えてしまった。

 次回、一度鎌倉殿が下文を発してしまったら、その重みを守るために畠山討伐は止められないと義時は判断するのか。畠山が気の毒すぎる。ただ、息子が犯罪の打ち合わせ現場を見てしまっただけなのに。

 ここまでの畳みかけの見事なこと。これでは畠山一族は滅びるしかない。そしてパパ・・・政子にしらばっくれた「りく」の態度を見ると、りくは完全にパパから自分を切り離して自分だけを安全地帯に置くことにしたらしい。切り捨てられたパパ、哀れだ。きっとそれで、泰時が御成敗式目に「妻も同罪」の項目を設けることにするんだろうな、と想像する。

どうすれば良かった、畠山重保

 史実は変えられるものではないし、これはドラマであって三谷幸喜によって上手に練られたフィクションだとは重々承知だけれど、このドラマの影響で、事件の目撃者が萎縮して証言をためらっても困る(そんなことないか)。罪を擦り付けられないために、重保はどう動けば良かったのだろうか。

  1. 鎌倉から一緒に上京していた御家人仲間に相談し、協力を仰ぐ
  2. 仲間と共に、できれば隠密裏に政範死亡前夜に平賀朝雅とやりとりしていた「誰か」の出入り先、正体を突き止めておく
  3. 京から父・重忠に手紙を書いて相談。先に北条家に根回しをしておいてもらう
  4. 平賀朝雅には、京では直接詰問しない(ここで警戒させ、工作を許してしまったのが致命的)。鎌倉に到着してから、義時や大江広元等に問い質してもらう

ーーこんなところか。やはり、証拠集めに徹してシッポをしっかり掴み、鎌倉と連絡が取れるまでは徹底して隠密行動が必要だったのではないだろうか。

 もし、どうしても京で平賀を詰問するなら、ひとりでなく誰か仲間と共に、そして事前に2の「誰か」の口を割らせることは必要だったのではないか。しかし、それも若者の判断だけでは危険。やはり、鎌倉の了解を得て、その指示のもとやるべきだ。

 いずれにしろ、目撃者である重保が、ひとりで動くのは危険だった。

実朝は、LGBTQ的描かれ方なのか

 さてさて、35回では第3代鎌倉殿の実朝少年に京都から上皇のいとこ(ドラマでは千世)がお嫁入した。雅やかな美少女。ふたりは数え年で13歳と12歳のカップルだったようだ。若いと言うよりも幼い。

 「りく」と坊門家は先祖を同じくし、千世の兄は、時政と「りく」の娘が嫁いでいた坊門忠清だというから、事前に情報収集したり兄嫁からの心理的サポートがあっての鎌倉入りだったかもしれないけれど、それでもアズマエビスの地・鎌倉に下ってくるのは、まだ小学生の年齢の京育ちの姫には勇気が要ったことだろう。

 そんな心細いところに、夫となる実朝少年が契りの盃(当時も三々九度だったのか?)をなかなか口にしないだなんて・・・気の毒だ。結局、実朝は乳母の実衣に「召し上がって良いのですよ」と促されて飲み干したけれど、歓迎されていないと感じ取ってザワザワするだろう。

 実朝は側室も持たず、千世とは仲が良かったと言われるが、子はできなかったとか(西八条禅尼 - Wikipedia)。まあ、そういう夫婦もいる。だから「側室も持たない実朝はLGBTQ案件か」と直ちに勘繰るのもどうかと思うが、ドラマではそうかもしれないねーという描写が盛り込まれていた。世の中の流れを酌んでの設定なのかもしれない。

 千世との婚姻に関して、善信(三善康信)が「あのように気高いご様子の方は見たことがない」と千世の美しさを褒めて「気もそぞろになられるのも仕方のないこと」と言った際に、実朝の視線の先には泰時がいた。

 「お前の妻は初と言ったな」と初のことを尋ね(実朝が泰時の妻について聞くのは2回目)、「気が強いおなごで叱られてばかりです」と答える泰時に「不思議だな。文句を言っているのにのろけにしか聞こえない」と言い、泰時を連れて和田義盛邸に気晴らしに出かけるなんてね・・・泰時へ思いがあるように見えなくもない。

 そして、和田義盛が連れて行った歩き巫女に「妻を娶った」「私の思いとは関わりないところで全てが決まった」と心境を吐露。なるほど、と見ている方は勝手に思った。もちろん、今の小中学生の年齢で結婚なんて考えもしない年頃だから、相手が男女関係なく、事の成り行きにとまどっていただけ、という可能性も十分ある。

 歩き巫女も、目の前にいる相談者が誰であるかを察して「これだけは言っておく」と、こう伝えた。

「お前の悩みは、どんなものであってもお前ひとりの悩みではない。遥か昔から同じことで悩んできた者がいることを忘れるな。この先も、お前と同じことで悩む者がいることを忘れるな。悩みとはそういうものじゃ。お前ひとりではないんだ、決して」

 涙を流す実朝。人知れず抱えた悩みは、やはり泰時への・・・?

初と泰時の離縁の理由は、もしかしてこれか

 以前のブログで、泰時が初と離縁するのが謎だと書いた。この35回まで見ても、前回の初による泰時へのビンタを引きずらず、若い夫婦の間は良好だ(心配損だった)。

 泰時は「あー、もうなんで父上はあんなおなごに」と、父親の後妻「のえ」が裏表の激しい人物であることを案じて、初に相談。義村の娘らしい答え「関わらなければいいのでは」を返した初。今のところ、ふたりには離縁する理由が見当たらない。

 となると・・・もしかしたら、実朝から自分への思いに気づいた泰時が、実朝に遠慮して初に別れてほしいと言い出すのではないだろうか?

 だとすると、実朝の思いに泰時が応える仲になるのか否かは別にして、鎌倉殿の嫉妬の対象になっているような初を守る意味で、別れは正当化される。「処世術」の先生である義村のことだ、事情は三浦側にも問題なく理解されるだろう。

 そうすると、初が三浦に帰っても北条との仲が良好だったことの説明が付く。

 「平清盛」で、三浦義村役の山本耕史は藤原悪左府頼長(藤原頼長 - Wikipedia)を演じた。慈円の叔父だ。頼長の男色は日記「台記」に残され知られているが、「平清盛」では、彼が悪役らしい描かれ方の中での男色描写だったような印象がある。

 今作「鎌倉殿の13人」では、LGBTQについて時代に合わせ修正した大河ドラマなりの描き方が改めて示されるのかもしれない。それも面白い。

 さて、話はどう転がっていくのだろう。

いきなりの大竹しのぶが「歩き巫女」

 先ほどの「歩き巫女」。オープニングで名前を見てびっくりしたが、大竹しのぶだった。いきなりの大女優が何をするのかと思ったら、実朝に「雪の日は出歩くな、災いが待っている」と大フラグを立てた。・・・うんうん、涙涙だ。これを聞いていた泰時、将来の雪の日に全力で実朝を止めてほしかったが、史実はそうならなかった。

 そうそう、泰時の双六!全視聴者が「なぜ具合が悪くなるかって、それはね、前世で双六をしながら騙し討ちにあったからなんだよ😢そうか、やっぱり君は上総介広常の生まれ変わりだったのか」と息を飲んだはず。このドラマは、その設定・セオリーで行くんだね。

 じゃあ、鶴丸には八重さんの魂が宿っていて泰時を見守っていたりするかな?八重さんが命を落とした日に鶴丸が生まれた訳じゃないけれど、身代わりになったのだし。巫女さんに、鶴丸のことも見てほしかった。

 それから、「肘が顎に付かない」エピソード。せっかくのおばあさんメイクがうまくいっていたのに、腕まくりして見えた腕が思いのほか若くて、中の人の実年齢がばれていた。顎に肘、私を含めてどれだけの人が試しただろう。そんな笑える話も交えながら、前述の実朝へのセリフは心に残った。

 これは、三谷の舞台「日本の歴史」でも全成殿の中の人が歌ったそうだ。あれは、やっぱり三谷幸喜の取って置きのセリフのようだ。

「のえ」は残念!政村の産声は「見栄え」?

 前回終わりの「控えよー!」だけではまだ判断材料が少なすぎると思い、見方を保留していた「のえ」。いや、これはもう強か。義時死後の騒動の首謀者になりそうな人物、それどころか、自分の意のままにならないなら毒キノコづくし膳を夫の義時に供しかねない人物設定だと理解した。

 三浦平六義村がさすがの眼力を発揮、握り飯を食いながら裁縫をする奴はいないと指摘して「出来たおなごなのだ」と自慢気だった義時の目を泳がせた。

 平六は、泰時が「のえ」の裏の顔を見てしまって父義時に伝えるべきか悩んでいることについて、娘の初から相談されていたのだろうか? そうじゃないかもしれないが、やはり、最初からおなごの吟味は平六に頼むべきだったね、義時よ。信じきれないとか言ってないで!彼の方は「刎頸の交わり」だと言っていたじゃないか。

 「りく」が亡き政範に北条の家督を継がせようと必死だったように、「のえ」も辛気臭い男・義時にガマンして嫁いだのだから、自分の息子を家督にしようと考えて当然だろう。

 義時は「子どもは、いたらいたで何かと大変」なんて言っていたが、息子の立ち位置によって左右される生母の立場を全くわかっていない。配慮がない。

 それにしても「りく」といい「のえ」といい実衣といい・・・夫を踏み台にすることをも厭わないような、強かさを持つ悪女キャラの多いこと。良く描かれていても、やっぱり強さは同じなのは八重、政子、比奈か。でも、人間味があって面白い。三谷キャラは、男性脚本家による女性キャラにありがちな人形的嘘くささ、女神臭、母親礼賛臭がない。

 「のえ」の産む政村(北条政村 - Wikipedia)は20年ほど前の大河ドラマ「北条時宗」にも登場し、伊東四朗が演じていた。それこそ、裏表ありの胡散臭い人物として描かれていたような気がしたが、史実では元寇でのまだ若い執権時宗を、長老として支えた人物だったようだ。

 政村が生まれるのは、あの「武士の鑑」が命を落とした日。運命的だ。ということは・・・今作のセオリー(泰時の産声は「武衛、武衛」だった)に倣うと、政村の産声は「見栄え、見栄え」に?いやいやいやいや💦

 この大河ドラマ、ラスボスは「のえ」か。彼女の策略に倒れる義時。対抗する政子と義村と、政子ラブの大江殿?まだ結末を想像するのは早すぎか。とはいえ、あと3カ月。終わらないでほしい。とりあえず、次回の畠山滅亡が来ないで・・・ああでも、続きが見たい。 

(敬称略)

 

【鎌倉殿の13人】りくの感情爆発は次回か

35回の予告が怖い

 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第34回「理想の結婚」の再放送を土曜日に見た。この回自体は、実朝と義時、それぞれの婚姻に向けての騒動を描き、これまで惨劇続きで気持ちが疲れていた視聴者に一息をつかせるような回だったなと感じた。

 しかし、その分、抑えたマグマは9/11の次回「苦い盃」で爆発しそうだ。

 もうね・・・予告を見ただけで息が詰まりそう。見栄えを誇る畠山重忠の嫡男・重保と見られる若者(こちらも見栄え良し)が、北条時政とりくの愛息・政範に異変が生じた宴会に同席し、政範が盃を取り落とすのを見て驚く顔が映っていた。

 ロングバージョンの予告はもっと怖い。りくがはっきり「息子は殺されたのですよ、畠山を討って頂戴」と宣い、義時の「次郎は忠義一徹」「必ず後悔いたしますぞ」という声に被せるように時政パパが「うるせー!」と一声。そして畠山重忠が「我らがいわれなき罪で攻められても良いのか!」と・・・。

 ああもうダメ。武士の鑑・畠山重忠のファンの皆さん、いよいよ覚悟を固めているだろうな。再放送の後に放送されていたお祭り関連番組(?)にも中の人(中川大志)がゲスト出演していたのも、そういうことなんでしょう。

www.nhk.or.jp

 34回で政範は急死し、桐の箱に入った遺髪だけが京都から帰った。実朝の御台所となる姫(後鳥羽上皇のいとこ・千世)を迎えに上京した使節の代表だった政範。その使節を迎える宴会準備が進む中、京と鎌倉の橋渡し役だった平賀朝雅に恐ろしい策略を吹き込んでいたのは源仲章だった。

 2代将軍の頼家を片付け、にわかに鎌倉を牛耳る形になった北条を嫌った後鳥羽上皇。その上皇の意向は、3代将軍源実朝を源氏筆頭の平賀が執権別当になって支えることだと吹き込み、「ご自身で執権別当になる気はないか?」と誘う仲章。

 政範がいるからダメだという平賀に「い・な・け・れ・ば?」、義時もいると返すとさらに「例えばね、政範殿が突然の病で亡くなりあなたが堂々と千世様を連れて鎌倉にお帰りになれば、時政殿はあなたを選ぶはず」「政範殿は鎌倉を離れている。この意味がお分かりになりますか?」

 そして、上皇の御前で慈円&仲章が暗号のようなやりとりをする。  

 「あの男にもしっかり助言しておいた」

 「渡した物を大事に使ってくれると良いのですが」

 「あとはあの男にどれだけの度胸があるか」

 ・・・ここまで畳み込まれてしまうとね。視聴者は「そうか、政範は平賀に殺されるんだね」と理解する。同席して「さてさて、何をお渡しになられたのか」と言った藤原兼子の手には、貝合わせの貝。貝に入れてあるというと、薬というか毒なのね、とこちらも想像する。

 それで、平賀朝雅は政範毒殺を敢行したらしく、政範は死ぬ。予告には、平賀朝雅が「りく」にこそこそと何かを告げ、その濡れ衣を誰かに着せているのを匂わせる場面があった。

 ただの病死としておけなかったのか・・・そうすれば他人は誰も傷つかないのに。自分の罪をあばかれるのを恐れ、誰かを積極的に犯人に仕立ててしまわないと安心できない心理でも働く何かが、次回は起きるのか?

 そのスケープゴートにされたのは宴会に同席した畠山重保、ということだね。

 吾妻鏡では、この宴会の席で平賀朝雅と畠山重保が口論になった話が書かれていると聞く。もしかして、政範が急に倒れたことで平賀朝雅を疑った重保が、平賀を詰問する場面でも次回は出てくるのか?

 だとすると、平賀朝雅は重保を生かしておくとマズいと思うだろう。それで、積極的に重保を消すために「りく」に告げ口するのか?そして、踊らされた「りく」によって、重保は、母の弟である政範のために正義感を発動させたにもかかわらず、祖父の北条時政に討たれることになるのかな・・・かわいそうすぎる。

 このあたりについては、ネタバレはしない!と誓っていた(?)「かしまし歴史チャンネル」の、きりゅうさんこと川合章子さんも、たまらず似た様な見解をぶちまけていた。私も次回の運びはそうなると思いますよ、いや、多くの視聴者がそう予想して震えてるから!

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 政範の母「りく」は、今回の政範の遺髪が届いた時点では顔色を失って息もできないぐらいの衝撃を受けているかのようなシーンがあった。けれど、見ているこちらはそれだけじゃ物足りない。もっと悲しみとか怒りを爆発させてくれないと。

 何しろ、頼家が死んだばかりで先のことは考えられないと言う悲しみの政子に対して、寄り添うこともなく「引きずらない!先に目を向ける!」と冷たく叱咤していた「りく」だ。

 政子に感情移入していれば「ふーん、自分の息子が死んでみたら同じことが言えるの?りくさん、どうなのよ・・・そろそろだけど」とあの場面でムッとしたのでは。そこらへん、宮沢りえなら十分にその演技力を発揮して表現してくれる。

 その畠山に対する「りく」の凄まじい怒り爆発はたぶん次回に描かれるだろう。その怒りのエネルギーに突き動かされてしまう時政パパなんだろうな。

 34回では、時政パパの、田舎の小さな組の親分が、いきなり全国規模の大幹部になって舞い上がったかのような専横振りもひどかった。義村が前回義時とトキューサに言っていたように、さぞかし他の御家人たちは眉をしかめていることだろう。

 訴訟の片方からいいアユをもらったからって、訴訟ごと「忘れよう」とは。そして笑顔で「後で一緒に食おうぜ!」と悪びれることなく皆に言ってしまうのだから・・・「もらっちゃいけないんだ」と義時にたしなめられても「さっぱりわからねえ」「わかってねえな、俺を頼ってくる気持ちに応えたいんだよ」と反論するとは。向いてないね。

 そうそう、政範と「りく」については、こちら(↓)のレキショックさんの解説動画が面白かった。ご関心のある方はぜひ。「りく」のバックグラウンドがわかる。

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 「りく」のおば池禅尼(「平清盛」では和久井映見が演じていた)について、今回の「鎌倉殿」ではどうしてスルーなのかとずっと不思議だったのだけれど・・・頼朝にとっては重要人物。ごちゃごちゃしちゃうからそこまで描かなくてもいいや、と三谷幸喜は割り切って端折ったのかな。ちょっとつまらない。

「藤原」兼子が出てきた

 次回がまたすごい展開になりそうなので、ちょっと先走ってしまった。34回「理想の結婚」に戻ろう。

 前述の後鳥羽上皇の御前サロンの場にいたのが、シルビア・グラブ演じる藤原兼子。後鳥羽の乳母だと「鎌倉殿」では紹介されている。1200年頃から俄かに表舞台に躍り出てきた女人のようだ。彼女が、実朝の婚姻について「お骨折りいただきました」と平賀朝雅によって「りく」に伝えられた「卿三位兼子様」だ。

 先日のブログに書いた通り、この「卿の局」こと藤原兼子だけが、この「鎌倉殿の13人」の女性キャストの中でオープニングで名字が表記されている。それがとにかく不思議だ。

政子の「北条」は表記しないのに、ドラマで兼子の「藤原」が恭しくも唯一女性で表記される理由は何だろう。藤原兼子の登場が楽しみだ。(【鎌倉殿の13人】北条政子さえ「政子」、なぜ? - 黒猫の額:ペットロス日記 (hatenablog.com)

 いやほんとに不思議なのだが・・・長く独身バリキャリ女官だったからなんだろうか。自身が藤原で、結婚相手も再婚相手もふたりとも藤原だから、藤原兼子に決まってる!ということなのか。だからって彼女だけ・・・なぜ。

 彼女については、これまた「かしまし歴史チャンネル」きりゅうさんが解説してくれていた。1201年に47歳で結婚するまで独身だったそうだ。

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 きりゅうさん説では、兼子は後鳥羽の乳母ではなく、後鳥羽に命じられて息子の土御門天皇の乳母になった人物だという。

 理由は後鳥羽上皇が天皇の位に就いたときに、乳母ならば慣例から三位に任じられるのだけれど、姉の範子は三位になっているのに兼子は当時はそうならなかったから。なるほど。兼子が三位になったのは、結婚した年の1201年だそうだ。

 姉妹で乳母を務めることが多かった時代に、姉・範子が後鳥羽の乳母だったこと。そして、1200年に範子が亡くなり、入れ替わるように兼子がどんどん出世したことも、兼子が後鳥羽の乳母だとの誤解につながったようだと・・・毎回説得力がありますな!

 最近では、「鎌倉殿の13人」が楽しみなのはもちろんのこと、この「かしまし歴史チャンネル」が家族ともども楽しみで、更新されていないか毎日のようにチェックしている。大河ホームページでの学者さんの解説も興味深いが、このきりゅうさんの解説も併せての大河ドラマだ。

実朝も、成長著しい

 さて、今回から実朝役はミュージカルスターの印象が強い柿澤勇人になった。鎌倉殿に出演しているミュージカル俳優は多いから、そのうちミュージカルの幕が開きそうだ。

 上座に座る実朝の御前に一番近い席にはわざわざ乳母の実衣が。おそばに付いて「座っているだけでいいから」を伝える伝言ゲームをやって見せたが、いや、大人に対して言うことじゃないでしょ・・・。そう思ったら、あれで12,3歳の実朝君だそうだ。

 座るときに袖をさばいたら、バッサーと広げた両腕が大きい。子ども扱いには違和感があり過ぎる。まあ、兄の頼家も、従兄の泰時も成長が著しかったから・・・ということにしておくか。とはいえ、もうちょっと少年期の子役を使ってもいいと思うけどなあ。NHKの子役発掘能力は素晴らしいのだから。

 実朝教育が始まり、笑えたのは何と言っても「天命」を背負って出てきた三浦義村。実朝の「めざせ!立派な鎌倉殿」カリキュラムでは「処世術」の担当で、少年実朝にいきなり「後腐れのない女子との別れ方」を講義していた。「女子の前では力の限り尽くします」だそうだ。

 政子が選り抜きの和歌を書き写した物を、実朝の目に触れるようにさりげなく置いてくる、という難しいミッションを三善康信がめでたく完遂し、実朝が目を奪われるシーンは胸熱だった。和歌をめくり、BGMも相まって「ズギューン」と胸を撃ち抜かれた様子の実朝。こうやって、彼の歌人人生が始まっていくのだ。

 政子は、そこまで和歌に対して教養を積み上げたのだと考えると、そちらも感動する。亀の前に教養のなさを指摘されていた政子が。なんと素晴らしい努力だろう。

 このドラマでは、政子を応援したくなるポイントが沢山ある。いい役で良かったね、小池栄子。女優さんとして、レベルが上がったのではないか。

なぜかキノコ好き女性を求める義時

 主人公・義時は、比奈が去って3人目の妻を娶ることになった。どうしてあんなにもキノコ好きにこだわるのか・・・いったい誰が、「女子はキノコが好き」だと義時に刷り込んだのだろう?

 こちらも記憶が定かではないが、最初の頃にそんな場面が出てきたか?頼朝は、八重さんがキノコを好きじゃないと義時に言っていたし、義時が変なキノコ信念を教えた泰時は、初にキノコを突き返されているし。なぜそうなった?

 ドラマには出てこなかった生みのお母さんが、キノコ好きだったのか?その影を無意識に追っているのか。謎解きはいつかあるのだろうか。

 今回登場の3人目の妻「のえ」は、キノコ嫌いなのに「キノコ~✨大好きなんです」と言ってしまえる裏表アリの人物だ。演じるのは菊地凛子。義時は、目をウルウルさせて感激している始末。しっかり彼女の術中にハマったようだった。

 「頼朝にすべてを学んだ」はずの義時に、あまり女の人を見る目が無さそうなのはなぜだろう。ああ、でも八重さんは当たりだった。比奈は、義時からという訳ではなかった。そうか、頼朝に仕えるのが忙しくて女子は眼中になかったから、見る目も養われなかったということかな?義村と違って。

 でもまだ「のえ」だってわからない。ヤンキーだって純情な女の子はいるじゃないか。実はイイコかもしれないじゃないか。

 「のえ」の肩には、一族の出世がかかっているんだろうね・・・かわいがってくれるおじいちゃん(二階堂行政)を始め、文官チームの期待を背負って頑張っているのではないか。おじいちゃんに頼られて「よっしゃー!」と気合を入れて、念入りに猫を被ったのでは。そして、義時も八田殿も手玉に取られた。

 今後、義時はせっせと彼女のためにキノコを採って運んでくるのでは。本当は嫌いな彼女は、義時に食べさせてしまえと毒キノコ含むキノコづくし膳を作り、義時は絶命することになり、この「鎌倉殿」が終わる・・・といった最終回予想をSNSで見た。

 ちょうど8/31をもって最終回を脱稿したと、9/8付の朝日新聞のエッセイ「三谷幸喜のありふれた生活」1101回に書かれていた。曰く、

最終回はかなりの衝撃。今までこんな終わり方の大河ドラマはなかったはず。参考になったのは、アガサ・クリスティーのある作品。どうぞお楽しみに。

とのこと。

 三谷幸喜は、何気なかったり笑えるポイントをリフレインして逆に泣かせてきたりするのが得意だ。頼朝と政子の出会いと別れの言葉と言えば「これは何ですか」。実衣と全成の「赤が似合う」もそうだった。だから、義時と「のえ」との別れはキノコがらみになるのではないだろうか?

 ということで、妻の心づくしのキノコづくし膳にまみれて主人公が死ぬアガサ・クリスティー作品はあったのかな・・・無いか。

気になった初のビンタ

 34回の冒頭で、義時は「私はあの御方のお子とお孫を殺めた。もはや持つに値しないのだ」と言って、泰時に頼朝の形見の小さな仏像を譲った。泰時は「いただくわけには参りません」と始めは断ったが、鶴丸が「もらっておけ、ここまでおっしゃっているのだから」と言うので、結局貰ったようだった。

 それについて、泰時は妻の初にぶちまける。「父はこれを持っていると心が痛むのだ。だから私に押し付ける。父は持ってるべきなんだ、自分のしたことに向き合って、苦しむべきなんだ。それだけのことをあの人は・・・」

 こういう泰時を見ると、八重の頑なだったところを思い出す。彼は母親の気質を受け継いだということか。頼朝を裏切った、ダークサイドに堕ちたと自覚する義時の「のぞみ」になるはずだ。そのような見方を父親にされていることに、いつ泰時は思い至るのだろう。

 初に「父上のこと、嫌いなんだなって」と言われて「嫌いとは違う」と否定する泰時。彼にとって大事な人をふたり、義時は奪ったも同然だ。幼なじみの頼家と、母代わりの比奈。その寂しさを泰時がぶつける相手は、確かに義時になるんだろう。

 その後、義時が再婚を伝えた時も「比奈さんを追い出しておいて、もう」と怒り、「言い訳だ!」「自業自得だ!」と激高。「もう一度申してみよ」と言う義時に、「父上は人の心が無いのですか?比奈さんが出て行ったのだって、元はと言えば父上が非情な真似をした・・・」と、そこで初が割って入り、泰時を平手打ち。やるね、初。

 初は親子の決定的な亀裂を回避するために夫を叩き、舅に向かって夫をフォローするという誠にできた振る舞いを夫のためにしていたのだけれど、これを泰時がどう受け止めるかが少し心配だ。

 泰時はまだ子どもで見方が一方的。さらに頑な。こうなった時に、初をも敵認定して心を閉ざしそうだ。もしかして、あの初の一発がふたりの離縁の引き金になるのだろうか。

 実朝に妻について聞かれた時、うれしそうに「尻に敷かれている」と答えた泰時。初々しいふたりの行く末は、どうなるのだろう。

(ところどころ敬称略) 

【鎌倉殿の13人】源氏将軍頼家、意地を見せてサヨナラ

主人公・義時は「悪い顔」へ変貌

 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、先日8/28の第33回「修善寺」で源頼家が死んだ。修善寺は、当時から温泉場として療養利用もされていたそうで、病み上がりの頼家が療養に行かされる場所としてはふさわしいのだろう。けれど、24回「変わらぬ人」で源範頼が刺殺された所なのだから、不吉だ。

 さらに、もしかしたら慈円が書き残したように残酷な方法で頼家は斬殺されるか・・・と考えてしまって、スタート前に既に気持ち的に少しどんより。そう言いながらも、三谷幸喜脚本の面白さが勝り、毎回絶対見るとは思っているのだけれど。

 「鎌倉殿の13人」は、歴史に則っているとはいえ、ここのところの惨劇続きで視聴者のメンタルは毎回鍛えられている。初期の頃の北条家の明るさが懐かしい。

 とうとう、主人公・北条義時は、運慶が言うところの「悪い顔」になった。それはそうだ、「頼家殿を討ち取る」との指令を出した直後で、和田義盛の純粋さに救いを求めて飲みに来たぐらいだったのだから。「その迷いが救い」とも言われたけれど、どんどん迷いもなくなって、顔は表情を失い、瞳からは光が消えていくのだろうか。

 さて、「草燃える」で郷ひろみが演じた頼家は、あの修善寺の温泉「筥湯」(修善寺温泉「筥湯」(はこゆ)の解説~ヒノキ内湯の復元外湯(共同浴場) | 神奈川県の日帰り温泉(温泉ソムリエ実録)~西日本拡大版 (spa.kanagawa.jp))で殺されたとの伝承の通り、入浴中に殺されていたような気がしたが・・・しかし、今作ではそうではなかった。かっこいいアクションたっぷりの、頼家のお別れになった。

 頼家に「殺される、お逃げください」と鎌倉から告げに駆け付けた泰時。頼家は「北条の者」には会いたくないと政子には会わなかったが、泰時には会うのか。やはり幼馴染の太郎は特別か。その泰時が、猿楽の指の動かない笛吹きを見咎め、化けていた刺客の善児を発見。そこから中国武術の金メダル経験者の山本千尋が演じる弟子のトウが、目にも止まらぬキレキレの立ち回りを見せ、泰時も鶴丸もあっさり気絶した。この主従、こんなに弱くて大丈夫か。

 頼家は、覚悟を決めて奥に刀を取りに行き、善児との一騎打ちへ。簡単に殺されるのではなく、頼家も一矢報いて「痛え」と善児は一言。そして、息子一幡の思わぬアシスト(「一幡」と書かれた紙に気を取られた善児)によって、頼家は善児の脇腹を傷つけ返り討ちにしたかと思われたところで、背後からトウが頼家を躊躇なく斬り殺した。

 何と言うか・・・滅多にお目にかからないすごいアクションだった。山本千尋は段違い。そして、金子大地演じる頼家も、北条に源氏の鎌倉幕府を乗っ取られてたまるかと言わんばかりの、気骨ある戦いぶりで意地を見せた。源氏将軍の最後の抵抗か。

 こうして、実質的権力は頼朝の源氏から義時の北条の手に渡っていったのだな。

 三谷幸喜は、源氏を惜しんで華々しいアクションシーンに仕立てたか。頼朝はもっと長生きすべきだった。未熟な頼家だけで源氏の鎌倉を守り切るのは無理で、3代目からは将軍の意味合いは変質した。

 「麒麟がくる」で、室町幕府13代将軍の足利義輝(演じたのは向井理)が斬り殺された場面は記憶にまだ新しいが、それを思い出した。形の上では弟の15代義昭まで室町幕府は続くけれど、ドラマでの義輝斬殺は室町幕府の終焉を印象付けた。同じく鎌倉幕府も、2代頼家が無残に殺された時点で、源氏が決定的に実権を失ったのだ。

頼家のタラレバ

 今作の頼家は、決して暗愚には描かれなかった。富士の巻狩りの頼朝暗殺未遂事件では、まだ子どもの頼家が的確に兵を差配してみせた。

 ただ、苦労して御家人との関係を築いて従え、神輿に乗った慎重な頼朝と違い、頼家は、御家人との関係性を誤解した風にドラマで描かれた。御家人の「一所懸命」の意識を軽く扱い、13人とも対抗しようとするなど、完全に間違えて。

 頼家はあまりに若く、彼を支えたはずの範頼や義経、義高の源氏は頼朝がご丁寧にも片付けてしまった。残った唯一の叔父・全成は頼家が処分。後見人の梶原景時、比企一族も排斥されてもういない。味方を失い孤軍奮闘だ。梶原景時が言うようには、頼家は賢くなかった。

 父の頼朝は、伊豆に流されてから蜂起するまで20年待った。もし、頼家が泰時の言葉通りに逃亡して20年なんとか持ちこたえて己と人脈を磨くことができたら・・・源氏びいきの後鳥羽上皇と結びつき、「承久の乱」は成功して「承久の変」となっていたか。それとも、後の「中先代の乱」程度で終わったか。

 頼家は、鎌倉殿の嫡男として甘やかされた。臥薪嘗胆はそもそも無理だっただろう。北条も甘くない。

去勢失敗説、ありうるかも

 ついでに、ドラマでは関係のない話だが、愚管抄に書かれている頼家の最期は悲惨だ。首をひもで締めて「ふぐりを取りて」殺されたのだそうだ。真実は不明だが、もしそうなら、殺してしまうものを、なぜ手間のかかることをわざわざ・・・と不思議だった。不名誉な殺し方をしたかったのか?と。

 頼家がドラマの通り女癖が悪く、修善寺周辺で襲われた被害者の親族などが腹に据えかねてむごたらしく復讐したのか?頼家からの鎌倉への手紙で言っていた「足立景盛の身柄をよこせ」は、実は「足立景盛の妾の身柄をよこせ」だったのだろうか?

 周辺女性への迷惑も目をつぶる限界を超え、とりあえず去勢しよう、ということになったのかもしれない。殺すつもりはなかったけれど頼家が派手に抵抗し、結果的に殺してしまったという説は、そうかもしれない。

 いずれにせよ、これ以上、頼家が子をもうけては困る状況であることは間違いなさそう。だから源氏を差し置いて御家人のてっぺんに立つ気の北条が、頼家の未来の子まで排斥に動き、子作りを物理的に不可能にしようとしたのかも。

 当時、去勢は危険な手術だったろう。麻酔もない。中国の宦官候補も、その手術で死ぬ場合も多数あったらしいし、暴れれば出血はひどくなる。それなら納得できる。

義時は、源氏の擁護者から変節した。そしてトキューサ

 頼家死亡で鎌倉政権の実質的権力は北条へと移ったが、「もう比企だ北条だという時ではない」と政子と義時が父・時政と継母りくに言っていたのはいつだったか。時政が、御家人の中で源氏以外では初めての国守、遠江守に任じられた時だったか。その時はまだ、義時は政子と共に源氏将軍を擁護する気でいた。

 でも、今や義時は「北条がてっぺんに立つ」と兄・宗時の言葉を念頭に迷いながらも寝返り、変節した。「父上はおかしい」と言い続ける泰時は、まだ源氏の擁護者として頼家&政子側に踏みとどまっているのに。

 泰時のことを、「太郎はかつての私なんだ。あれは私なんだ」とトキューサに言った義時。北条を選んだ今の自分が、源氏を裏切ったとの自覚があるのだろう。

 それにしてもトキューサ。義時だけが頼朝の本音を聞かされて全てを学ぶステップを踏んできたように、いつの間にか今度はトキューサが義時の本音を聞き、学んでいく立ち位置にいる。そして彼なりの決意を述べていた。

 「兄上にとって太郎は望みなのですね。ならば私は兄上にとって太郎とは真逆でありたい。太郎が異を唱えることは私が引き受けます。何でもお申し付けください」

 泰時が光の道を歩み、トキューサは陰の道を行くか。義時がこうありたいと願う希望を叶える泰時&汚れ仕事も厭わないトキューサ。後々、トキューサは大政治家になっていくそうだ。そうやって北条は光と影両面から政権を盤石にしていくのだな。

トウは恐怖の中、感情を殺して生きてきたのでは

 そして、ドラマは頼家暗殺だけでは終わらず、架空の人気者(?)アサシン善児が、弟子の二代目アサシン・トウに父母の敵だと討たれ、血みどろでフィナーレを迎えた。SNS上での善児への温かい視聴者目線には驚かされるばかりだ。

 トウは、範頼が殺される時に巻き添えになった農夫と妻の娘。蒲殿の背後で音もなくスローモーションで崩れていった夫婦の忘れ形見だ。物語的にはあれから6~7年は経過しているのか?

 あの時、トウも両親と共に殺されそうだったけれど、とっさに鎌を構えた姿を見て、きっと善児はトウの素質に気づき、育てることにしたのでは・・・と以前に書いた。

 そのトウが、頼家との戦いで刀傷を負った善児を背後から1刺し。そして正面から「ずっとこの時を待っていた。父の仇、母の仇」と大きな目を見開いてさらに2刺し。善児は、トウに殺されるのを受け入れて頷き、絶命した。トウも、初めて感情を露わにした場面で、泣いていた。

 このトウの涙というか葛藤を、善児には憎しみと同時に養育してもらった恩義も感じていて愛憎相半ばだったから、と解釈している方があちこちに見られて・・・私はどうもそう受け取れなかった。

 殺人の道具として長年使われてきた善児の境遇には同情する。だけれど、感情に蓋をした刺客の男にそんな優しさを期待できるのか?トウは、単に彼の奴隷だったのでは。

 あの範頼と父母の殺戮現場に直面したまま連れてこられたトウは、それ以来恐怖に支配されていただろう。父母の死や自分の身の上を思いのまま嘆くことなど、とてもできなかったのではないか。

 来る日も来る日も殺し屋としての訓練に明け暮れ、善児に仕えて。師匠が手負いなら安全に殺せるチャンス。恐怖を乗り越えて復讐を実行に移すにあたり、ようやく凍りついていた自然な感情を解放し、自由に泣けたのでは?そんな気がする。

アサシン善児を「解放」したのは、やはり弟子のトウ

 善児は、前回「災いの種」で、一幡殺しを「できねえ」と拒否し、人間らしさを見せたところでフラグが立った。オープニングに名前があると「誰か死ぬ」とSNSをざわつかせ恐れられた善児にも、感情がない訳ではなかった。

 感情がマヒしていたのか蓋をしていたのか、とにかく人らしさを消して生きていた善児に、感情をもたらしたのは一幡。となると、もう殺し屋としては役に立たない。自分の終わりが薄々見えただろう。

 メンタルの限界もおそらく見えて、いつか自分も殺してもらいたいと思っていたのでは。善児がトウに惜しみなく殺人術を伝授したのは、敵討ちを期待してかもしれない。「いつかトウが自分を解放してくれないか」と、自分が善児だったら願う。

 NHKのインタビューによれば、演じている中の人(梶原善)も、演技とはいえ次々に人を殺すのは精神的に堪えたようだ。八重を逃がそうとした江間次郎殺しが、特につらかったと・・・わかる気がする。

 善児については、生い立ちについてまでマルっと妄想している安定のお馴染み「かしまし歴史チャンネル」が面白いので、ぜひご覧あれ。スピーカーのきりゅうさんがノンストップで善児の物語を妄想して喋り倒している。今回も期待を裏切らない。

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トウの今後を妄想すると・・・泰時ラブはいかが

 トウは、今後どうするのかな。自分の故郷の地・修善寺にいるのだし、善児がいなくなった今、殺し屋から足を洗って逃げることもできる。非常に優秀な殺し屋だから主人から見れば勿体ないが、このまま逃げて、平凡な幸せを求めてほしいところだ。

 しかし、そうはならないのだろうなあ。次週以降にもトウは物語に登場して、中の人よりも上の年齢を生きていくらしい。なぜ、トウは逃げないことになるのだろう。三谷幸喜はトウをどうするのか。

 ここからは私の妄想だけれど、トウは・・・泰時と恋に落ちるなんてことにはならないだろうか?

 頼家襲撃の際、トウはあっさり泰時と従者の鶴丸を叩きのめした(殺さないように除けといたか)。一連の回し蹴りなど彼女のアクションが速すぎて、こちらも「うわ、なんかすごい」と呆気に取られているうちに、気を失っていた主従ふたり。泰時は、トウの仕事を目の当たりにしたからこそ彼女の将来を心配して、あの真っすぐな調子でトウに「もう殺し屋なんて辞めてしまえ」等と絡んできそうだ。違うかな?

 そんなことを思うのは、今後どこかで泰時が初(後の矢部禅尼)と謎の離縁となるはずだから。それで、トウの存在を知った初が身を引いて(怒り心頭で)実家に帰る、という筋ではどうかしらと思ったのだ。全然違うかもしれないが。

 愚管抄に、一幡は「藤馬」が殺したと書いてあるそうな。男名だ。ドラマでは、一幡を水遊びに連れ出して殺したのはトウ。なぜ女子に性別転換させたかと考えると・・・。

 トウを演じるのは、あれだけの美貌の女優さんだ。日陰の身ながら、泰時を支えるためにトウは一生を捧げることにしたからアサシンは辞めないよ、みたいな筋書きにならないか?泰時とは結ばれなくとも、鶴丸が片思いで彼女を見守るとか?

 影の道でも厭わないと覚悟を決めたトキューサも、トウのお相手としては面白いかもしれない。ふたりともカタカナだし。ちがうか。

 そういえば、千鶴丸の敵を討たないと千鶴丸は成仏できず、源氏の子が短命に終わるーーだったか?千鶴丸を殺した善児が討たれて、千鶴丸の呪いはどうなったのだろう。頼家は千鶴丸の異母弟、泰時も千鶴丸の異父弟なのだった。弟の奮闘によって解けたのか。

 それとも、今度は一幡を殺したトウが生きている限りーーと次に因果が巡るのだろうか。見事に頼朝の源氏は消えていくことになるが。

 トウは、頼家・一幡・せつ(若狭の局)の親子3人を葬ったのだな。凄まじい。

悪女を演じるWミヤザワ

 さて、次に控えるは武士の鑑の悲劇だろう。中川大志ファンの悲鳴が聞こえそうだ。

 政子が修善寺をたずねた折に、畠山重忠とその妻で政子の妹ちえ(重保の母)、そして足立遠元がいたのが前振りかな。重忠終焉の地の「籠塚」に葬られているのは、重忠のもうひとりの妻で、足立遠元の娘だと聞いたけれど・・・。

 今作では、とにかく宮沢りえの「りく」が、がめつい悪女過ぎて時政パパの悪どさを薄める役割をしている。愛息政範を失ってタガが外れ、さらに暴走するのだろうか。

 もうひとり、息子・頼全を殺されて怖いものが無くなった実衣も、もうひとりの宮澤が演じる。宮澤エマの実衣も、権力に向かって感情の牙を隠すこともない。政子は実朝の和歌が向いている特質に目を向けているが、実衣はちがう。自分がのし上がる道具としての実朝を、独占しようとしているかのようだ。

 彼女は、まだ知らないのか。頼全を殺したのは信頼して実朝を任せた源仲章だと気づいた時、どうなるのだろう。怖い。

(敬称略)

【鎌倉殿の13人】比企尼と若狭局、埼玉で生きる説

北条政子が悪夢を見てる?

 8/27にNHKの総合で土スタを見た。「鎌倉殿の13人」の特集とのことで、北条政子役の・・・おっと、「政子」役の小池栄子が出演していた。「鎌倉殿」の再放送から引き続き、楽しみに見た。

 いつだったか書いたように、最近は政子に共感してドラマは拝見している。夫・源頼朝が倒れて以来、辛さしかないだろうな、と誰でも感じる鬼展開だ。小池栄子曰く、スタジオはしーんとしちゃっているそうだし、彼女は悪夢にもうなされているらしい。

 それはそうだろう、もう1年以上、政子として現実だったら耐えられないような(現実じゃなくてドラマだけど)、自分の子や孫の命が関わる争いに、演者としてではあるけれど、直面しているのだ。

 お気の毒。でもね、小池栄子はいい仕事してる。以前書いた通り「平清盛」での杏が演じた北条政子が気に入っていた私だが、キャスト発表の際には、フジテレビ「大奥」のお伝の方を演じた彼女を思い出して「ピッタリなんじゃないの?」と期待で一杯になった。単なるイチ視聴者の期待ではあるが、それ以上。懐の深い、愛情深い、それでいて迫力あるコミカルでもある政子を演じていて、岩下志麻の政子よりも確実に好きになった。小池栄子の代表作になったはずだ。

 8/21の32回「災いの種」では、政子が長男頼家に対峙して、頼家の後見である比企家の滅亡を告げた。これで梶原景時に引き続き、比企という後ろ盾のなくなった頼家は、政治的に孤立無援だ。

 政子は、「私の役目」だと言って頼家に話をしたが、中途半端に実家の北条を庇いだてした。比企滅亡の理由を「頼家を失って絶望して自ら命を絶った」と説明したせいで、政子まで恨みを買う結果になった。母だけは信頼したいと思っていただろう頼家にもつらい、母子の会話だった。

 当初、頼家は「比企は滅んだということですか」と母・政子に対し敬語で話していた。そこが脚本のうまさだ。しかし、真実を話さない母→息子激昂、当たり前だ。「北条を儂は絶対に許さない。おまえもだー‼」と怒鳴られる政子。切ない。

 政子が奥歯に物の挟まったような説明をしたのも、自分の実家可愛さの為ばかりではないだろう。せっかく生き返った頼家が、北条を責めれば北条から殺される。それだけは避けたい。息子の先行きを慮って、比企を北条が滅ぼした真実までは、言及できなかったのだろう。

仮に義時が頼家に比企滅亡を告げていたら

 空しいが、真実はすぐわかること。ただ、政子が話をしくじった、とは思えない。仮に義時だったらどう伝えたと言うのか。「全てをお話になるおつもりですか」と姉に迫っていた義時なら。

 頼家は誰が話そうと、相手の言葉以上に考え真実を嗅ぎつけるだけの頭がある。政子が「善哉とつつじは三浦に守られて無事だ」と告げた時、北条が比企だけを滅亡させたと悟ったぐらいだ。だから結局は義時が話しても、頼家は激昂し、北条への恨みを爆発させる結果になっただろう。

 義時から話を聞いた頼家は、刀を抜いたかもしれない。病み上がりの頼家(それにしては、燃え落ちた比企邸を見に行った時などかなり元気に歩き回っていたが)は返り討ちにあったかも。義時は、それも良しと考えていたか。政子が義時を止めたのも、弟と息子が会ったら危険だと感じたからかもしれない。

 しかし、義時の方も(姉から反発されてそうはならなかったが)自分が頼家に真実を伝えれば、少なくとも姉と甥の親子衝突は避けられると考えたかもしれない。姉と甥への優しさもあったような気がするのだ。「できねえ」と泣いて悲しむ善児の代わりに、一幡を斬ろうとしたように。

 「てっぺんに立つ」と決めて闇落ちしたとの見方もあるが、義時は仮面をかぶってミッションを遂行しようと決めただけで、本人としての優しさは心に残っていると思いたい。もう1つ、仁田忠常の死についても義時は涙を流していた。比奈との別れを受け入れて「済まない」と言った時もそうだ。心まで黒く染まったわけではない。

 もし義時が頼家に比企滅亡について話をしていたら、仁田忠常は死なずに済んだろうか。つまり、四面楚歌である状況を甥・頼家に深く知らしめて無駄な悪あがきをしないよう、事前に伝えられたかもしれない。そうすれば、和田義盛と仁田に北条時政の首を所望することもなく・・・いや、頼家はそう簡単には諦めなかったかな。

 仁田忠常の死も、中の人のこれまでの意外な(失礼)好演で悲しい話になった。実際はもっと悲惨で、一族滅亡につながったらしい。伊豆の国市に行った時に、北条の領地のすぐ北に仁田というエリアがあった。その土地を、北条は併呑してしまいたかったのかな。忠常が、和田義盛の誘いに乗って一杯飲みに行っていたら良かったのに。

比企尼はリアルか亡霊か

 意識を回復した頼家は、せつ(若狭局)と長男の一幡にしきりに会いたがっていた。「なぜ顔を見せない」と尋ねると、トキューサに「なんでだ?」ととぼけてパス回ししてしまう時政。ずる賢くなったものだ。

 「流行り病」で押し通したいトキューサ、「聞いてませんな」と絡んでくる佐々木のじいさんの孫の医者。この場面は面白くて、ヒヤヒヤしているトキューサの表情がもっと見たかった。

 さて、32回終わりで草笛光子の比企尼が善哉(後の公暁)に呪いをかけるように、タイトルの「災いの種」をしっかり撒いて行った。怖かった・・・受けの善哉役の子役の固まったような演技が非常にうまかった。あの子もうなされていないかな。比企尼のあれは幻?亡霊なのだろうか?

 既にこの世のものではない存在なら、むしろ以前、比企家に善哉が遊びに来て会った時のような、きれいな尼姿で善哉の前には立つのでは?ボロボロの装束だったということは、比企尼は生きて会いに来ていた設定なのだろうか。「三浦に守られて」いるはずの善哉が、供の者も連れずに邸の外にいたとは考えにくい。とすると、どうやって生きている比企尼は三浦邸の中に侵入したのか。

 つつじの下へ「お休みにならないのですか」と義村が入ってきた時、おいおい、姫の寝所にその家の主人とはいえ、夫でもない殿方が入って来るなんて!と気になった。つつじは「恐ろしくて」と答えていたが、別の意味でも恐ろしい。誰でもどこでも入ってこられるんだな三浦邸。警護はどうなってるんだ。

 (そういえば、つつじを演じている女優さんは、頼家の中の人とフジテレビのドラマで元カノ元カレの関係を演じていた。passive-aggressive(PA)攻撃を次々と繰り出して人を陥れる恐ろしい元カノだった。そのあなたが「恐ろしくて」だと・・・と思ってしまった。)

 脱線した。つまり、比企尼は今後も生きて出番があるのか、前31回「諦めの悪い男」でトウに殺されてしまった「せつ」若狭局も、ドラマの中で完全に死んでることになったのかが気になっている。

 埼玉県をアンパンだとするとその餡のように中央にデーンと、9市町村にも及ぶ大きな「比企地域」を持つ埼玉県民も気になるのではないだろうか。(鎌倉殿を支えた武士の故郷 比企の史跡マップ|埼玉県公式観光サイト ちょこたび埼玉 (chocotabi-saitama.jp)

「蛇苦止堂」の意味が違う?比企尼と若狭局が乱後も生きる埼玉説

 意識を回復した頼家が、すぐにも会いたがっていた「せつ」。若狭局については、大人気のYouTube「かしまし歴史チャンネル」でも解説があった。

youtu.be

 比企の乱後の後日譚ということで・・・やはり、神奈川県鎌倉の伝承は、若狭局が大蛇となって北条の姫(政村の娘なら、義時の孫娘か)に憑りついたという、おどろおどろしいものになっている。

 一方、比企一族の地元・埼玉の比企地区では、乱後の若狭局にもう少し優しい。埼玉県東松山市観光協会のホームページには「比企氏ゆかりの地」を紹介するページがあり、色々と彼女に関する説明がある。

 比丘尼山(びくにやま)の北に串引き沼という大沼があります。
 夫頼家を修善寺で殺された若狭の局は、頼家の位牌を持ち、この大谷に逃れてきました。若狭の局は、現在はゴルフ場の中となりますが、比丘尼山の西、源泉沼の近くに大谷山寿昌寺を建て、頼家の菩提を弔ったと云われています。寿昌とは頼家の法号です。

串引き沼

 この沼には、次のような伝説が伝わっています。
 「 その昔、夫頼家を殺された若狭の局は、大谷村に逃れ比丘尼山の草庵に住み、夫頼家の菩提を弔っていましたが、いつまで も夫を殺された悲しみから逃れられず苦しんでいました。それを見かねた祖母比企の尼は、若狭の局に、心の迷いを去らせる為に、鎌倉より持参し肌身離さず持っていた夫頼家から贈られた鎌倉彫の櫛を捨てさせようと心に誓いました。
 夜の明けはじめた早朝、朝の勤行を済ませ、祖母の比企の尼と二人連れだってこの沼に行き、頼家形見の櫛を沼に投げ入れました。櫛はかすかな水音を残して沼底深く沈み、その姿が見えなくなりました。
 その時若狭の局はもちろん、比企の尼の両眼からも涙がとめどなく流れ落ちていました。時は元久元年(1204年)7月半ば、丁度、夫頼家の命日に当たる日であったと云います。」

 土手に並ぶ桜は、修善寺から寄贈された山桜で、頼家桜と呼ばれ真っ白い小さな花が咲きますが、ソメイヨシノように華やかではなく若狭の局のようにしとやかに咲く山桜です。(串引き沼・大谷山寿昌寺(たいこくさんじゅしょうじ) – 一般社団法人東松山市観光協会 (higashimatsuyama-kanko.com)

 「・・・時は元久元年(1204年)7月半ば、丁度、夫頼家の命日に当たる日であった」としてしまうと、櫛を投げ入れたのが元久元年7月半ばのように聞こえて史実と辻褄が合わなくなる。頼家の命日が、その元久元年7月18日(1204年8月14日)なので、櫛を投げ入れた伝承は元久2年以降の命日の話なんだろう。

 それから、上の伝承にあるように、冒頭の比丘尼山は比企尼が住んでいた場所だそうだ。比企の乱後、埼玉で比企尼は若狭局と共に生きたらしい。

 比丘尼山は、女性が横たわったような美しい山です。その昔、比企郡司比企遠宗の妻、比企の尼が遠宗の没後禅尼となって草庵を営んだところと伝えられています。

『郡村誌』には、この比丘尼山について
「高一丈周囲八町村の西にあり 往時源頼家伊豆国修禅寺に於て斃せし時、若狭局遺骨を奉し此村に来り、遺骨を葬り、庵を結び居住せしにより、庵を修善寺と呼び山を比丘尼山と呼ぶと口碑に伝う・・ 」と記しています。 
 比企地区には、理由は分かりませんが、鎌倉と同じ呼称の土地が多くあります。比丘尼山から南は、字こそ違え伊豆の修善寺と同じに、主膳寺と呼ばれている地域です。その他にも扇谷・梅が谷・菅谷・滑川・腰越・大蔵などがあります。(比丘尼山(びくにやま)・横穴墓群 – 一般社団法人東松山市観光協会 (higashimatsuyama-kanko.com)

 若狭局が頼家の遺骨を持ち帰ったという話、そして埼玉に「主膳寺」があるというのも知ってびっくりだ。

 また、おどろおどろしいネーミングに聞こえた「蛇苦止堂」の「蛇苦止」の意味からして、以下のように比企地区では全く違うようだ。

 秋葉神社西側の梅が谷は、若狭の局が年老いて隠棲した所と伝えられている場所です。この谷は東方から南方へと丘陵が続き、くめども尽きない清らかな水の湧く、暖かい陽だまりの地で、昔から梅の古木の多い美しい花園であったと云われます。

梅が谷

 秋葉神社の東側は、菅谷(すがやつ)と云われており、ここには比企西国三十三札所菅谷観音堂がありました。この観音堂には、蛇苦止(じゃくし)観音が祀られていました。
 若狭の局は、頼家を殺され悲嘆にくれ、それはあたかも体を蛇に巻き付かれたような苦しみ方でありました。そこで、この蛇による苦しみを鎮めるため蛇苦止観音をつくり、ここ菅谷(すがやつ)にお堂を建ててお祀りしました。
 この菅谷観音堂は、今はありません。蛇苦止観音は、現在、宗悟寺に祀られています。また、この地は現在、須加谷(すかやつ)と 呼ばれており、観音堂跡は竹林になっています。(梅が谷(うめがやつ)・須加谷(すかやつ) – 一般社団法人東松山市観光協会 (higashimatsuyama-kanko.com)

 夫が殺された遺族が苦しみ続けることを「あたかも体を蛇に巻き付かれたような苦しみ」と表現するのは、誠に実感があり、説得力がある。埼玉の「蛇苦止観音」説の方が、鎌倉説の「蛇苦止堂」にまつわる話よりも信憑性があると思うのは私だけだろうか。鎌倉説は、由来が年月が下って判然としなくなり、人々が想像から若狭局を大蛇にしてしまったのでは?

 蛇苦止観音は、こちらに今も伝わっている。扇谷山宗悟寺(せんこくさんそうごじ) – 一般社団法人東松山市観光協会 (higashimatsuyama-kanko.com)

ひとつ気になる「頼家の外戚」

 この東松山市観光協会のホームページを散々引用させていただきながら、1つ気になったことがある。こちら↓を読んで、違和感を覚えないだろうか。

比企氏が将軍頼家の外戚として力を付ける事を恐れた北条時政は策略を巡らします。ついに建仁3年(1203年)頼家が病にかかると、同年9月2日、比企氏を倒すため北条邸で薬師如来の法要があると偽り、比企能員を自分の屋敷に招き殺してしまいました。北条氏の軍は比企が谷の比企邸も襲い、比企一族は滅亡したのです。

 北条時政は、頼家の将軍職を解き、修善寺に幽閉、北条氏が乳母をした実朝を三代将軍にし、後見人として権力を握るのです。
 頼家は、翌年7月18日に北条氏により殺されてしまいました。この時、頼家の側にいた若狭の局は、夫頼家の位牌(遺骨説もあり)を持ち、武蔵国大谷村に逃げてきたと云われます。
 この争いは比企氏の陰謀(比企の乱)と呼ばれていますが、京都の公家や僧侶の日記などから、比企氏から権力を奪取するための北条氏の陰謀とみても良いようです。
修善寺より逃げてきた若狭の局は、大谷に村の名と頼家の法号「寿昌」を用いた大谷山寿昌寺(たいこくさんじゅしょうじ)を建立し、頼家の菩提を弔ったと伝わっています。(鎌倉幕府立の立役者 比企氏 – 一般社団法人東松山市観光協会 (higashimatsuyama-kanko.com))

 比企家が頼家の「外戚」って書いてしまうのか・・・比企は頼家の乳母を出している。一族挙げての頼家のサポーターだ。「頼家の後見人」なら比企家に使うのは正しいが、「外戚」は母方の親戚を指すのであり、北条であって比企ではない。頼家も実朝も政子の子たち。どちらも外戚は北条だ。

 こちらのような公式ページも外戚と書いてしまうぐらいだから、YouTube解説を見ていても同様に「頼家の外戚」について混乱している人が見られた。

 ちなみに、ウィキペディアでの頼家の乳母についての説明はコチラ↓

頼家の乳母父には頼朝の乳母であった比企尼の養子である能員が選ばれ、乳母には最初の乳付の儀式に比企尼の次女河越尼河越重頼室)が呼ばれた。その他の乳母として梶原景時の妻の他、比企尼の三女平賀義信室)、能員の妻など、主に比企氏の一族から選ばれた。(源頼家 - Wikipedia

 「鎌倉殿の13人」の中で、あれだけ佐藤二朗の比企能員が熱弁を振るっていたのだから(頼家なら乳母に過ぎないが、一幡なら外戚として権力を振るえると言っていた)、多くの鎌倉殿のファンが今は「頼家の外戚」について知っている。

 ところで、頼家の①乳母父か②乳母夫か・・・能員についてはどちらも書いている場合があり、意見が割れているようだ。これはどちらが正しいのだろう。ウィキペディアは①、NHK土スタの表は②だった。気になる。

 さて、今夜は33回「修善寺」だ。「おんな城主直虎」では、33回はあの高橋一生演じる家老・小野但馬守が磔になり、直虎自身が刺殺すという大河ドラマ史上でもトップ3(?)に入ろうかというトラウマ回。また33回のトラウマ回となるのは決まりのようだが・・・必ず見る。

(敬称略)

【鎌倉殿の13人】父・義時をなぞる二十歳の泰時

顔の大きい佐藤二朗

 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第31回「諦めの悪い男」。今回もまたまたすごかった。8/14に放送され、ここぞという時の思い切りの悪さ&先見の明の無さが尾を引いて、比企能員が死んだ。おもしろおじさんのイメージの強かった佐藤二朗が、笑顔の怖ーい悪役・比企能員を演じて、最期まで小物らしくジタバタして素晴らしかった。

 当主の戻らない比企家で、「兵を整え迎え撃て!」と息子に叫ぶ妻の道、不幸にもまだ健在だった比企尼(何か投げてましたね)、そして一幡をかばってトウに瞬殺されたせつ・・・切ない。この女優陣にも涙。拍手を送りたい。

 佐藤二朗は顔が大きい。義時や頼家と見合っているシーンでは、見ているこちらの遠近感がおかしくなるほど。どう見ても、小栗旬や金子大地が遠方に居て、佐藤二朗が手前に居るように感じるほど顔が大きい。

 その顔の大きさに比して、感情と裏腹に不気味に笑った時に見える並んだ歯が小さくて、八重歯もキラリと光ってそれが怖いのだ。最近は悪ーい顔をして歯を見せながら笑うことが多かったように思うが、歯の不気味さまで計算した演技だったのだろうか。すごいなー。

「比企能員の乱」=北条時政のクーデターでしょ

 前のブログにも書いたが、比企一族というのは実は危機感が薄かっただけで、そんなに悪い一族だったようには思えない。北条家に都合のいい幕府の正史「吾妻鏡」でなくて慈円の書いた「愚管抄」の記述の方が信憑性があるような気がする。

 つまり、比企は謀反を起こした側じゃなく、北条が仕掛けたクーデターによって滅ぼされた側では? しかし、鎌倉のことはなんでも悪く言いたい京都側に影響された慈円の書きぶりだったのかもしれず、真実はどうだったのだろう。

 いずれにしても、既に抜き差しならない両家の関係を見れば、先見の明というか己の信じるところに向かって先手を打つしか生き残る術はなかったよねと、結果を知っている立場からは見える。でも渦中に立つと「まさか、ね」となってしまうのだろうね。

 前にも書いたように、北条と比企と、それぞれが手駒として持っていた源氏の御曹司は2:2(頼朝&全成:範頼&義経)。比企側は早々に義経を喪い、舅として一族の河越重頼と嫡子までもが誅される憂き目にあった。そして引き続き範頼も抹殺された。

 頼朝が死に、2代将軍の頼家は比企がしっかり抱き込んでいる。比企の「せつ」若狭局が産んだ一幡が嫡男として鎌倉殿を継げば、比企は北条を源氏を巡る力関係で逆転する。

 30回で義時と対峙した時の能員のセリフにあったように、鎌倉殿が頼家だと乳母夫に過ぎないけれど、一幡ならば鎌倉殿の外祖父として朝廷とも直に渡り合えて力を振るえるようになる。だから、残るは念のために北条側の源氏の手駒、全成(と息子たち)を消しておき、比企の力を北条に見せつけておけば一安心、と考えたのだろうか。

 己が政治的リードを積み重ね、相手への配慮が無ければ相手の破れかぶれ、一発逆転の実力行使を引き起こすもの。比企家は、そんな切迫した危機感を持てなかったのか・・・息子を殺された実衣はブチ切れていたし、そんな彼女の感情は北条家に火を点ける。(「大きい順に並べて」=最初は佐藤二朗だよね、と思った。)

 やっぱり、物事の解決に最終的には武力に訴える坂東武者の危険性を、京都から来た一族は読み切れなかったってことなんだろうか。

 そりゃ、坂東武者の神輿にもならないレベルの余所者・比企家が源氏と一体化してのさばってしまえばさっさと片づけたくなるだろう。(そして、源氏に纏わりついてくるさらなる比企家を出さないために、後々、義時は源氏までも片付けてしまうことになるのだね。)

 30回終わり近くでの義時のセリフ「ようやくわかったのです。このようなことを二度と起こさぬために何をなすべきか。鎌倉殿の下で、悪い根を断ち切る。この私が!」・・・いやー、カッコ良かった小栗旬。「坂東武者の世を作る。そして北条がてっぺんに立つ」との兄・宗時の言葉がリフレインして分かったのかな。

 京都出身の歴史学者の先生が、当時の鎌倉は、京都人から見たらまるで暴力団抗争の地みたいでおっかない、みたいな話をしていた。NHKBSの磯田道史司会の番組「英雄たちの選択」だったか。御家人同士の争いは、まさにマル暴の抗争だが。

www.nhk.jp

「てっぺんに立つ」者の眼

 この31回「諦めの悪い男」は、前後の30回「全成の確率」と32回「災いの種」を含めて、主人公の義時は40歳。息子の泰時(どうしても若き菅波先生に見える坂口健太郎)が20歳の頃の話だ。時系列を見ると、義時は1163年生まれ、泰時は1183年、そして物語の舞台は1203年。

特集 略年譜 | NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」

 比企との一戦を前に泰時は「そんなに北条の世を作りたいのですか」と父・義時を諫めたかったようだが、義時は「当たり前だ!」と怒鳴り返し息子を黙らせた。兄の言葉「そのてっぺんに北条が立つ」を頭に思い浮かべながら廊下を行く義時は完全に目が座り、あの上総介を誅殺した時の頼朝(大泉洋)の血走った眼を思い起こさせた。

 あの時、義時はまさに20歳だった。第15回「足固めの儀式」の話だ。頼朝は義時よりも16歳上になるので、36歳ごろか。

 御家人の宿老を中心に頼朝追放計画が持ち上がり、頼朝の側近だった義時は、上総介の協力を得てその「謀反」を収めたつもりだった。ところが、義時の知らないところに頼朝の策が隠れていた。義時も騙され、協力者だったはずの上総介は、謀反の責任を取らされる形で御家人の前で無残に斬り殺された。

 久しぶりにこの15回の録画を見た。佐藤二朗演じる比企能員は、この回でも鎧を隠して着こんでいた。細部は結構忘れているもので、改めて全演者熱演の力の入った回だと見て思った。死ぬまでもそうだが、死後の上総介を演じた佐藤浩市の「骸っぷり」が凄かった。偶然にも、こちらも乗り越える相手は佐藤さんが演じた。

 そして、小栗旬の義時は、本当に二十歳に見えるので録画のある方は是非見てほしい。頼朝、安達藤九郎、大江広元と話している場面などは、たったひとり若者がその場に混じって突出している感じがよく出ている。地域のおじさん達のプロジェクトに、ひとり参画している大学生みたいな。

 15回を見たリアルタイムではそこまでの格差を残り3人と感じなかったのだけれど、今、40歳の義時を見てからだとよくわかる。すごいなー小栗旬。全然違う。

 この上総介斬殺の前日、「なりませぬ」「承服できませぬ」と正義感全開で頼朝に対して頑張っていた若い若い義時も、いざその場では「小四郎!来ればお前も斬る」と頼朝に脅しつけられ何もできず。そして頼朝が「今こそ天下草創の時、儂に逆らうものは何人も許さん。肝に銘じよ!」と大声で宣言し、その場にいた御家人全てが跪く。義時も涙でぐしょぐしょになりながら最後に跪いた。義時の思惑を軽く超えて、頼朝が御家人のてっぺんに立った瞬間だった。

 そして、このシーンの頼朝の目。これが31回の比企との戦いを心に決めた時の義時の目と同じに見えたのだった。これが「てっぺんに立つ」と覚悟した者の目なのか。

まだまだ青い泰時。これもどこかで見た 

 15回の若い義時は頼朝の策にすっかり騙され、頼朝について「御家人あってのご自分だと良く分かっておられます」なんて御家人に対して言い、かばっていた。みんなと和気藹々、一緒にうまくやる範疇でしか物を考えられていなかった。これがまた、31回の泰時の「青さ」とシンクロした。

 泰時は、父・義時の考え方について行ってなかった。確かに29回「ままならぬ玉」の時点で、義時はこう言っていた。

 「梶原殿が居なくなって、この先は嫌が応にも北条と比企がぶつかることになる。その間に立って丸く収めるのが私の役目だ」

 泰時は、「間に立って丸く収める」からまだ変化できていなかった。全成が殺され、全成の息子(つまり泰時のいとこ)の頼全までが殺されても、現実の変化を呑み込めなかったのか、信じたくなかったのか。もう丸く収まるタイミングはとっくに過ぎたのにね・・・もう父ちゃんは、てっぺんに立つ気になったのだよ。

 さて、そんな北条と比企とのぶつかり合いを引き起こした2代目鎌倉殿頼家の危篤騒動。頼家が蘇ってさあ大変だ。頼家の悲劇の前に、ああ、仁田忠常の悲劇が迫って来る。それから一幡の悲劇も。そこで主人公の覚醒のダメ押しか。とにかく演者全員の熱演が凄い。

(敬称略)

 

今日は「黒猫感謝の日」だそうで

故クロスケには毎日感謝しているけど

 本日は黒猫に感謝する日なんだそうで、思わず反応してる。うちでは夫婦ともども亡きクロスケ・黒猫の息子に感謝しない日はないので、毎日が実質的に「感謝する日」になってるけど。

 2001年7月末に家族の一員になって以来、2020年2月4日に天国にお返しするまでの18年半の期間に、うちの黒猫には幸福と愛情だけをもらった。もう後悔することが無いくらい、かなり幸せな人生にしてもらった。ありがとうね、クロスケ。

 この「黒猫感謝の日」は、どうやら海外発の記念日のようだ。こちらの記事を読ませていただいて、知った。

nekochan.jp

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 黒猫が「魔女の使い」と呼ばれ、ヨーロッパで悲しい歴史を歩んできたことは、よく知られている話だ。「魔女」の方は、精神的に不安定で腫れもの扱いだった女性たちが、実は性的な虐待や性暴力の被害者で、長年の救われない被害によってメンタルをやられ、それを疎まれて魔女として処刑されたのだという。ジュディス・ハーマンの著書による。

 こんな、加害者にとって誠に便利な話が昔は罷り通っていたと知った時は、本当にはらわたが煮えくり返る思いだった。黒猫は、そんな被害者たちの心の支えになっていた、賢い優しい猫ちゃんたちだったのだろう。

 日本では元来、黒猫は福の神との話もあるようだ。だったらそっちがいいに決まってる。本当に賢くて、付きあい甲斐のあるパートナーになりますよ、お勧めだ。今後はずっと、黒猫が可愛がられていってほしい。

 この写真は、クロスケが亡くなる1週間前の物。この頃、よく空を見上げるようになっていたのも、意味があったのかな・・・。

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【鎌倉殿の13人】全成誅殺、実衣の演技に涙した

宮澤エマの、圧巻の泣き笑い演技

 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は毎週日曜夜の放送。それなのに、土曜昼の再放送を見てからのタイミングでブログを書きたくなるのは、一体どういうことなんだろう。

 正確に言うと、今回は少し前の回も見たくなって再放送じゃなくて録画分をまとめて見た。さっさと日曜の放送を見た時点で書けばいいのだが、そういう気分になるのが毎度遅くて・・・読んでくださる方には、どうも失礼しています。

 「鎌倉殿の13人」はさすがの三谷幸喜作で作り込まれて情報量が多く、私のぼんやりした頭の中で咀嚼するのに時間がかかっているのかも。それが土曜の再放送を見た時点で、ようやく混沌とした中から何事か言葉が湧きあがって来る。

 テキパキと放送直後から時間を置かずにブログを書いたりYouTube解説を出したりする方々、尊敬する✨✨

 ということで、トキューサが無ければどうにも救いようの無い阿野全成の誅殺回になるかと思いきや、第30回「全成の確率」は妻・実衣の晴れやかな泣き笑いが描かれた。

 宮澤エマはすごい役者だ・・・夫を喪っての悲しみと、斬首直前に雷鳴を轟かせて嵐を呼んだ夫に対する誇らしい気持ちが綯い交ぜになっての、あの泣き笑い。「あの人はそういうお方なんです。私には分かってました。やってくれましたね、最後の最後に」と言う演技には、もらい泣きした😢

 朝ドラ「おちょやん」の栗子さんも良くて、いい俳優さんだと感じたはずだったけれど、この「鎌倉殿」で確信した。いつか彼女のミュージカルも見てみたい。「祖父の七光り」とかSNSで書いていた人は、彼女の演技をちゃんと見たかな?

toyamona.hatenablog.com

 この「おちょやん」で書いたブログを読み返してみると、宮澤エマ演じる栗子さん(主人公の継母)の、若い頃の主人公に対する仕打ちに関しての老いてからの謝罪について、いたく感動して書いていた模様だ。たった1年と少し前のことだが、何とあいまいな私の記憶。

 千代は、そういう心の底からの謝罪をストレートに表明されたからこそ、許しがたいことも受け入れて「だんない」と言えて、現実の人生を「これがすべて」と受け止めることができたんではないかと思う。波風立てず、何となくの有耶無耶では、皆が笑顔になることはできなかったと思う。離れて行った人と和解したいなら、やっぱり謝り上手にならなきゃね。

 ちょうど今回の「鎌倉殿」にも、政子と実衣姉妹の和解の場面があった。「おちょやん」とは対照的に「何となくの有耶無耶」な和解の在り方で、宮澤エマは小池栄子演じる姉・政子に言葉では謝らない。直前まで「あの人のお世話になりたくないの」と、それどころじゃない危機なのに、姉の庇護を受けることに抵抗を示していた。

 でも、たぶん義時の命を受けた泰時に引っ張ってこられたのか、尼姿の姉に相対して「そのお姿、板についてきましたね」と、謝罪などすっ飛ばし、とぼけて言う実衣。「なかなか楽でいいわよ」と答えた政子が続けて「大丈夫、あなたは私が守ります」とキッパリ言うと、実衣は笑顔のまま思わぬ安堵の涙(これがまた上手い)。なのに会話は、そちら方向には流れない。

 「中はどうなってるの?」と姉に聞く実衣。「尼削ぎ」「蒸れないの?」「誰も見ていない時にたまにこうやって(パタパタ)」と笑い合う姉妹・・・という運び。姉が尼御台だろうが、いつまでもイーブンでいたい妹が姉に甘えてする会話だと思った。頼りになる姉を持つ私には、よくわかる。

 そして、妹を危機から絶対守ろうとしている姉の方は、過去のいざこざなど、もうとっくに飲み込んでいる。政子は頼りになる懐の深いお姉ちゃんだ。

 この姉妹の和解については、私のイチ押しの「かしまし歴史チャンネル」でも絶賛していた。本当に女の会話をよく見てる、三谷幸喜。

www.youtube.com

見届けたい気持ち。中途半端は不安が残る

 そして、全成が亡くなった時の様子を、兄・義時に聞こうと畳みかける実衣(の演技)が素晴らしかった。

  • 「立派なご最期」と兄に言われても納得せず「詳しく話して」。
  • 「もう止しましょ」と姉からストップが入っても「聞いておきたいの」。
  • いよいよ夫が命を落とす無残な場面に差し掛かろうと「聞かせて!」。

 そうやって夫の最後の法力の発露を確認して、それが前述の晴れやかな泣き笑いになっていくのだが、それを引き出したのも政子の「やはり全成殿には人智を超えたお力がおありだったのですね」という妹を気遣った、姉としての言葉だった。

 麗しい姉妹愛に共感した。というか、最近は政子に共感して「鎌倉殿」を見ている気がする。説得力のある小池栄子の演技。大河ドラマでも人気の三谷幸喜が作る物だけあって、下手な俳優は出てこないな。

 それから、ここで実衣が夫の最期を余さず聞きたいと願うことについても、腑に落ちるところがあった。個人差が大きくありそうなので、あまりひとくくりにしたくは無いけれど、これまで見聞きしたご遺族方の話と合致しているように思ったからだ。

 警察等での亡くなった本人確認の際に、女親だと「無理をしなくても」とか「見ない方が」と気遣われてしまいがち。だが、実は「我が子の最期の姿をしっかり見届けることができたので、ようやく安心できた」と話してくれた方々がいたのだった。

 「安心できた」という感覚が最初は不思議だったが、そうかもしれない。知りたいのに遠ざけられてしまうと、心配事が残ったまま、ずっと不安なままになる。だから、実衣の場合も、夫の最期を聞き届けることは、彼女に必要だったのだろう。中途半端は変な想像力が働くから、確かにいけない。

 もちろん、個人差がある話だから本人の意向が大切だ。男女関わりなく、故人の姿がトラウマになってしまったケースはあるから、丁寧な気遣いが必要な場面だということは確か。実衣のように、姉と兄が守ったように。

比企能員の立場で妄想すると・・・

 さて、ドラマでは全成が死を迎えたことで、既に「抜き差しならないところ」まで来ていた北条と比企の対立は臨界点に達したようだ。次回は比企家の滅亡が描かれるのだろうか。

 今回怖かったのは、比奈が比企家を訪れて能員&道と会話する場面。

「私は頼朝さま肝煎りの比企と北条の架け橋でございます」

「のう、道。橋というのは川のどっち側の持ち物なのかな」

「そうでございますね、木橋なら真ん中で分ければいいでしょうが人ではそうはいきませんね」

 ・・・こんな感じだったと思うが、道の表情が怖かった~((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル。比奈を真ん中で叩き切るんじゃないかという勢いだった。しかし、能員が「もし戦になれば、北条の者は全て滅ぼす」と比奈に言ったが、それって比奈の産んだ義時との間の子どもたちも含まれるということで・・・ドラマには出てきていないけど。よく「かしこまりました」だけで会話が済んだなと思った。

 ここ最近の「鎌倉殿」の比企能員は、ストレスがたまりっぱなしで顔も悪人面。佐藤二朗がイチイチ悪い表情を作っている。蒲殿(源範頼)を焚きつけて死に追いやった時には、仮病を使って保身に走ったことで蒲殿に対して良心の呵責も感じる普通の人だったのに、全成に対する陰謀はあからさま。良心など忘れて悪に染まり切っている。

 流罪先の全成に、妻を守れと称して頼家の呪詛をさせようとするとは。そして、露見したと分かるや、速攻で全成の命を奪おうと動いた。ザ・悪役だ。

 仕方ない、主人公は北条義時なのだから。勝者の歴史である「吾妻鏡」が原作なのだから。敗者の比企家が、これでもかと悪人にされてしまうのもドラマ上、仕方ない。いつかも書いたが、実際の比企家はただ人の善い一族だったのかもしれない。それが、生き馬の目を抜く鎌倉時代の権力闘争の中で立ち回れず、敗れただけかもしれない。

 生前の源頼朝が、権力がどこかに集中しないようにバランスを取ろうと配慮していたとドラマの義時は言っていたが、確かにそう見える。

 頼朝自身が援助を得るために妻に選んだのは、北条家の政子。そして、旗揚げをした頼朝のもとに最初に駆け付けた弟・全成には、政子の妹を娶せている。どちらも北条だ。それで、残る弟ふたり(範頼、義経)には比企家の娘たちを娶せた。北条:比企=2:2とバランスを取ったように見える。

 頼朝は、マスオさん状態にある北条家にだけ権力が偏らないよう、つまりは北条家の良いようにされないよう、あえて信頼できる乳母・比企尼の比企家を引っ張り出して源氏のための盾にしたか? 権力欲の強い北条時政&牧の方(ドラマでは「りく」)に気づき、慌てて比企家でバランスを取ったか?

 それ、比企家には迷惑な話だったかもしれない。比企家にとっては、相手が悪い。

 ともかく、範頼は安達盛長の娘(比企尼の長女の娘)を妻にし、義経は河越重頼の娘・郷御前(「鎌倉殿」では三浦透子演じる「里」、比企尼の次女の娘)を妻とした。

 それだけでなく、河越重頼の妻・後の河越尼(比企尼の次女)は、二代目鎌倉殿・頼家の乳母となった。「鎌倉殿の13人」では比企能員の妻・道が乳母のように描かれていて、河越尼は出てこないけれど。

 この、比企サイドの河越家の婿のポジションにいた義経は、河越家挙げて仕えてもらっていたとのことだが、滅んでしまった。そして、「鎌倉殿の13人」では描かれていない部分ではあるが、連座した河越重頼まで義経のせいで嫡男と共に誅殺されている。考えて見るとすごい話。妻の河越尼は、頼家の乳母だったとしても、力を削がれたはず。

 つまりはこの義経の滅亡は、比企家にとっても相当な痛手になったろう。

 さらに、蒲殿(範頼)も落命。蒲殿も比企側に配されていたのだから、比企能員がせっかくの源氏の手駒2人を守り切れなかったと見える。これは頼朝の生前の話だが、気になる。実は北条がそうするよう頼朝に仕向けたのではないのか?

 頼朝の死についても、時政による暗殺説がある。「吾妻鏡」も頼朝の死の前後の記録が無いそうだし。北条に取ってシャレにならないことしか書いていないからではと思うのだが、もしかして全成以外の源氏3兄弟は、(義経、範頼、頼朝の順で)まとめて北条に片付けられたなんてことはないだろうか。

 そして、頼朝の死後、比企サイドにいる頼家の力を削ぐ意味で、側近の梶原景時も討伐。これも北条の思う壺に見える。ドラマのように、三浦義村を悪者にしている場合じゃないように思えるのだ。

 このように妄想してみると、比企家は権力欲の権化となった北条家によって相当追い込まれていたはずで、気の毒に見えてくる。

 全成は、便利な呪詛要員として北条が温存していたことも考えられる。当時は、お坊さんを無下に扱うと仏罰が怖いし、呪詛までされて下手をすると殺されてしまうのだから、今よりも全然立場が強かったのだろうと想像する。その飛び道具・全成を、たまりかねた比企側が抹殺にかかったのか。

 (それとも、やはり全成も源氏兄弟のひとりとして、実は北条家に抹殺されたのか。子ども(時元)の扱いを見ると、坂東にお飾り以外の源氏の血は邪魔だと考えていたとしたほうが、筋が通っているような気がする。) 

 ということで、全成誅殺に至る前の時点で、既に比企家は北条家にやられっぱなしだったのではないか? 能員があんな悪人顔で憤懣やるかたない表情をさらし、舌打ちばかりしていても、仕方ない状況だったかもしれない。

頼家は呪いにかかったか

 さてさて、30回の終わりで勝負に出た義時は、呼んでおいたはずの頼家不在で肩透かし。「詰めが甘いのう」と比企能員にからかわれる羽目になった。

 頼家は「お倒れになった」とのこと。全成の首(というか頭頂部)を見た時点で、自責の念という呪いがかかったようだった。蹴鞠の鞠を見るたびに、全成の剃り上がった丸い頭を思い出すのだろう。頼家役の金子大地が無言の顔面蒼白の演技、うまかった。

 そうそう、「30回」の冒頭でも、急に倒れた頼家。呪詛のせいだと比企は考えたようだったが、古井戸に落ちた時に飛び出てきたコウモリのウイルスにやられたという設定ではいかが?コロナの起源は、コウモリ由来のウイルスなんて話だったから。それが「俄かの病」につながっていたら・・・タイムリーだなあ、これも妄想だけど。

(敬称略)

【鎌倉殿の13人】北条政子さえ「政子」、なぜ?

YouTubeの鎌倉殿解説に相変わらずはまっています

 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は7/31に29回「ままならぬ玉」が放送された。「玉」とは、古井戸へと落ちて行った蹴鞠の玉(たま)を直接には指しているのだろうけれど、オープニングで描かれている蹴鞠の玉は「権力の象徴」らしいので、扱いにくく転がっていく権力を頼家がつかみ切れない様がサブタイトルになっていたのか。

 とはいえ、頼家はもがきながらも少し成長した。もう蹴鞠には逃げないそうだし(逃げている自覚があったんだね)、頼家を信じようとぶつかってきた比企家の「せつ」の言葉に心動かされ、彼女が産んだ一幡を嫡男にすると決めたと義時に言っていたし。

 義時は「良いと思います」と受け止めていた。けれど、一幡が跡継ぎでは時政パパと「りく」は発狂しそう。「何が『良いと思います?』北条を裏切った!」と、りくを好演している宮沢りえの声が聞こえてきそうだ。

 義時&政子側の「鎌倉あっての北条」と、時政&りく側の「北条あっての鎌倉」の対比キーワードは、とてもわかりやすい。

 今回も脚本のすばらしさについては、私のお気に入り「かしまし歴史チャンネル」のきりゅうさんが熱を込めて語っているので、ぜひご覧になってほしい。まだこのチャンネルを見たことがない方も、きりゅうさんのファンになること請け合いだ。

youtu.be

 最終回が終わったらでいいから、三谷幸喜と対談してくれないかな・・・ダメもとで申し込んでみては? ドラマを終えたからこそ言える、こちらが気づいていない脚本の意図等々を語り尽くし、聞き出し尽くしてほしい。というか、その前にきりゅうさんが鎌倉殿ツアーとか主宰してくれないか。参加してうんちくの限りを聞きたい。

 さて、今回の「鎌倉殿」は次回に向けての仕込みが怖かった。阿野全成の次回での悲運を予感して、涙なしには見られない展開だ。源頼朝の兄弟の中で、唯ひとりだけ頼朝よりも長命だった彼。しかし、知られているように、寿命を全うできたわけではない。

 その運命の歯車が、りくや時政の押しの強い手によって回り出した感じ。「大丈夫、全部拾ってきた」と妻の実衣に伝えたはずの頼家呪詛のための木彫り人形が1つ、最後のシーンで誰かの手によって、たぶん御所の床下から拾われてしまった。それによって彼の破滅が決定づけられるのだろう。

 あの手は八田知家かな・・・?

 「かしまし歴史チャンネル」の中でも語られていたが、全成はせっかく「可愛い甥っ子」だと頼家のことを認識し直し、頼家の方でも「父上に似ている」と全成を見て言った。互いに心が通じ合えるきっかけが、あの古井戸端で生まれたかに見えたのに・・・ああ、鬼脚本😢

 ホントに来週は来なくてもいい。いややっぱりダメ、続きは見たいけど見たくない・・・(どっちなんだ)。阿野全成を演じている中の人(新納慎也)は、「真田丸」の豊臣秀次役での死に際も素晴らしかった。またロスを引き起こすのだろうか。

 中の人は「島津氏庶流の新納忠元の末裔」とウィキペディア(新納慎也 - Wikipediaに書いてあった。島津氏の祖は頼朝のご落胤・忠久だそうなので、頼朝の弟の全成を演じるのは思うところがおありだったろうか。

 その阿野全成の子孫について解説しているYouTube動画もある。最近は、ラジオ感覚で作業の合間に流し聞きすることがめっきり多くなったのが「RekiShock レキショック」。登場人物の子孫紹介が面白いのだ。

 現代の意外な人物の名前が出てくることもあり「へ~そうなんだ」と思わせる。プロ野球の中畑清のお名前が、ある坂東武者の流れで出てきた時には「良く調べたね・・・!」とびっくり。ご本人は知っているのかな。

 さて、そのレキショックの阿野全成動画はコチラ↓↓

youtu.be

 この動画で紹介されていた阿野廉子(新待賢門院)は、1991年NHK大河ドラマ「太平記」でおなじみだ。後醍醐天皇の側室で、南朝の後村上天皇の母である。阿野全成から5代下ると皇室につながるとは。兄の頼朝が果たせなかった大姫や三幡の入内を思うと感慨深い。

 「太平記」では、現在悪評高い朝ドラ「ちむどんどん」でイタリアンレストランオーナーを演じている原田美枝子が、印象深い「悪女」廉子を演じていた(そういえば「太平記」のヒロイン藤夜叉は宮沢りえだった。藤夜叉とりく、なんたる差)。その時に、彼女の「阿野」がどこから来るのか調べて、先祖が全成につながることを知った。

 「太平記」の時に、後醍醐天皇は寵姫の彼女を「廉子」と呼んでいて、阿野という苗字は・・・オープニングのキャスト紹介で「阿野廉子」と書かれていたと記憶している。それで「阿野」を調べようという気になったのだった。

北条政子でさえ「政子」、名字は表記しないのか

 「太平記」では、阿野廉子もそうだけれど、足利尊氏の母も「上杉清子」と表記されていた。当初は「足利清子」と書かれ、時代的な風習に従って訂正されたらしい。

 しかし「鎌倉殿の13人」の女性の登場人物は名字表記が無い人ばかりだ。政子の妹の実衣のように、ドラマオリジナルの名前を名乗っている人も多いが、いずれにしても、ファーストネームだけのご紹介ばかりだ。

 現在の選択的夫婦別姓の制度について議論がなされる時にも「源頼朝の妻だけど北条政子」と、引き合いに出されることが多い北条政子。彼女でさえ、登場人物紹介では「政子」・・・他の男兄弟は全員「北条」が冠されているのに。NHKの中にも、壺を買った人たちがたくさんいるのだろうかと勘繰りたくなる。

登場人物 全体相関図 ~第27回より~ | NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」

 そうそう、北条政子の名前については改めて説明している「かしまし」動画が!いやもう、痒い所に手が届くような解説がございましたよ。

youtu.be

 呼び名はあっても公文書に載るような本名を持たない女性が多かった、とのこと。政子の場合も、従三位をもらうに当たって時政パパの政の字をもらって政子となったのが61歳の時のことだと。

 政子の場合、それまでの呼び名は不明だとしても、ドラマで実衣のようにオリジナルネームを付けてしまうと61歳以降の本名「北条政子」が知られ過ぎていて、違う名前では視聴者が混乱するだろう。

 だとしても、弟の義時のように「北条」を付けて「北条政子」「北条実衣」とオープニングでも人物紹介でも書けばいいじゃないかと思う。なぜ、彼女たちから名字を奪うのだろうか。大河ドラマが夫婦別姓を推し進めてるみたいで嫌がられたのか?でも事実なんだからしょうがないじゃないか。

 そして、他の女性キャラたち。巴御前と静御前、丹後局は、知られている呼び名の通りの表記になっていたが、「りく」「比奈」「せつ」「つつじ」「のえ」の皆さん。政子に比べて、柔らかい印象のオリジナルネームが付けられている。

  • りく=牧の方
  • 比奈=姫の前
  • せつ=若狭局
  • つつじ=辻殿
  • のえ=伊賀の方

 この方たちも、一応は知られた呼び名がある。「~の方」で正夫人だと分かるそうだし、「~局」で御所に局をもらっていたことも分かる(女性の呼び名 「御前」と「方」と「姫」と「局」は、どう違うのか | えいいちのはなしANNEX (ameblo.jp))。

 同時代を描いた大河ドラマ「草燃える」では、牧の方や若狭局といった呼び名が用いられていたのを覚えている。にも関わらず、「鎌倉殿の13人」では避ける理由は何だろう。女性名は記録に残っていないことが多く、あやふやなものは避けたいから巻き添えを食ったのか?

 ちなみに、男性陣も「小四郎」「四郎」「次郎」「五郎」「平六」等と本名ではない通称名でドラマ上は呼び合っているけれど、表記上はそれぞれ名字付き本名だ。

  • 小四郎=北条義時
  • 四郎=北条時政
  • 次郎=三浦義澄
  • 五郎=北条時房(時連)
  • 平六=三浦義村

 名字の表記が無い男性キャラは、気づいたところでは運慶、文覚、公暁、慈円、鶴丸、善児だった。阿野全成以外の出家者や職人、家人の面々。彼らも女性キャラも、家から超越した存在として描きたいとでも? それとも、女性はまさかの家人扱いか?

 大河ドラマで、「鎌倉殿」のようにわざわざ女性陣と男性陣をクッキリ区別する意図は何だろう。 この時代は、女性も力を持っていたとか何とか制作側は言っていたようだったけれど、ならば彼女らの呼び名も尊重すべきでは。

 少なくとも北条政子は「政子」でなく、名字も付けたフルネームで表記すべきではないのか。今の段階なら「尼御台」とかならまだわかる。

唯一の名字アリの女性キャラ・藤原兼子

 「鎌倉殿」では女性キャラの名字は無視されているのか・・・と思ったら、なんと一人だけ例外がいた。シルビア・グラブが演じる「藤原兼子」だ。通称は卿局(きょうのつぼね)。後鳥羽上皇の乳母なのだという。藤原兼子 - Wikipedia

 彼女は藤原範季の姪。姉とともに範季に引き取られて姉妹で後鳥羽天皇の乳母になったそうだ。範季に養育された蒲殿(源範頼)とは同じ屋根の下で過ごした時期がありそうで、年齢も近い。わあ、面白そう。

 その話は置いておくとして、公的な立場として朝廷側に立つ人物だから名字が書かれているのだろうか。でも、丹後局は本名の高階栄子ではなく、丹後局だった。

 それとも、彼女の通称は難しいから本名を選ぶしかなかったか? 常用漢字チェッカーでチェックしたところ、「卿」は常用漢字ではなく、人名用漢字ではある。でも、そんなことあるのか。

 政子の「北条」は表記しないのに、ドラマで兼子の「藤原」が恭しくも唯一女性で表記される理由は何だろう。藤原兼子の登場が楽しみだ。(敬称略)

 

【ちむどんどん】【芋たこなんきん】また比べてしまった

平日朝のNHK総合にはもう近寄れない

 NHKの朝ドラ「ちむどんどん」を毎朝見なくなったので、朝のテレビ視聴習慣が変化した。特に頭痛を連れてくるハチャメチャな賢秀ニーニー、主人公の相手役である倫理観のない新聞記者・和彦(優柔不断を発揮しているうちに要らない女は都合よく去り、好きな主人公はその日のうちに告白してくれる)に嫌悪感が大きく、見るに堪えないので、うっかり目に入れないように朝ドラだけでなく「あさイチ」も見なくなった。

 つい先日も、放送は見なかったけれど「ちむどんどん」は一炎上した。「母親の不幸は息子と結婚できない事って言うからな」と訳知り顔に和彦の上司に言わせてしまって、世の母親の「そんなことあるか、気持ち悪い」「逆(父親の不幸は娘と・・・)だったら大問題」等といった大合唱を引き起こしたとか。

www.j-cast.com

 なぜそんなに生理的に気持ち悪い事柄が、真実のように語られているのか不思議だ。作り手はいったいどんな偏見を持ってドラマを作り、それを広めているのだろう。世の母親には迷惑な話だ。平日朝のNHKには近寄りたくない。

 「カムカムエヴリバディ」が放送されていた昨期は「カムカム」から続けて「あさイチ」を見ていた。それがルーティンだったが、今は、朝ドラ前のニュースが終わりそうになると、時計代わりのテレビを大慌てで消すかチャンネルを変えるように、いつの間にか、なった。

 「あさイチ」については、どうしても見たい特集はNHK+でチェックすればいい。そうすると倍速で見られるし、かえって助かる。

 で、その「ちむどんどん」は相変わらずみたいだ。実は、話の流れをざっと把握するため、土曜日の1週間まとめだけ見るようになった。ジョンカビラのイケボイス解説は、少しはオブラートに包んでくれる。

 とは言うものの、失礼ながら・・・「ちむどんどん」は主人公・暢子を始め、登場人物の成長や深みがあまり感じられないままだ。

 総じて勝手、自己中な人間たちがいつまでも「アキサミヨー」と単純に叫び合っているような世界。「え?これが沖縄あるあるなの?」と、見ているこちらは唖然茫然だ。小学生の子役が演じていた人物を、中身が幼いままで大人の役者が演じるチャレンジなのかな? 暢子もニーニーも良子ネーネーも、いったいいくつになったのだろう?

ちむどんネーネーキャラ設定に違和感大

 そして、前から違和感があった、主人公の姉・良子の「料理が苦手」問題が先週はクローズアップされていたようだった。

 ひとり親である母親が働きに出ていて妹2人がいる長女で、そして他人の事情などお構いなく、自分の空腹だけに忠実に「腹減った」と大暴れしそうなニーニーまでいる彼女の立ち位置。そう考えると、当時、彼女には料理は必須だっただろう。

 苦手だろうが何だろうが、四の五の言わずにとにかく食事の用意はしてニーニーを黙らせ暴れさせないようにして、面倒を避け安全に過ごすには選択肢は無かったはずだ。それを・・・苦手だ?そんな寝言をのんびり言えた状況なのか疑問だ。

 暢子という料理の申し子みたいな妹がいたとしても、火や包丁の危険性を考えたら、妹が成長してバトンタッチするまでの間は姉の良子がやらざるを得なかったはずで、あそこまでできない設定にしてしまうのは現実離れしている。良子を料理下手のままにして放っておくそんな余裕、極貧のはずの比嘉家のどこにあったのか。

 背景には、どうも作り手側の変なステレオタイプがあると感じる。女は勉強ができると料理はできないと頑なに信じてバカにしてかかる男ども(自分は作りもしないのに)が、ある世代には一定程度存在すると私は経験上知っている。それは考え違い。母なり妻なりコンビニなりに任せきりで実生活から遠く生きている人は、平気でそういうことを言う。

 端的に言って、料理は化学。フワフワした魔法でも何でもない。化学の実験をやるのと同様に、正確に手順を実行できる頭さえあれば、最低限の料理はできる。残るは慣れの問題にすぎない。

 桐島洋子の名著「聡明な女は料理がうまい」を読んでみたらいい。

 良子はクラス委員で勉強ができる設定だった。しかし、生活感のないガリ勉の秀才ではいられない。家事から無縁どころか家事をかなり期待される環境にいた。設定から、生活上のスキルとして料理はチャチャッと手際よくできるように成り行き上なっていたと考えるのが自然だ。

 そうじゃないと、家庭科でも優秀な成績は取れないし・・・。学校の成績が良いというなら家庭科でもそうだろうし、「化学の実験」はできたはずだ。

 それなのに、変な現実離れしたキャラ設定をしたものだ。先週のような「御三味(うさんみ)料理」という伝統料理を作るのは大変で見栄え的な部分は難しかったとしても、信じられないほどマズい物を作るのは普通はかえって難しいだろう。

 良子を暢子のようなプロと比べるのはかわいそうだとしても・・・確かに、ひとり家族にプロがいると他の人は手を出さなくなる可能性はあるかもな、とは思わないでもないが、姉妹でひとりはプロでもうひとりは普通でもなく全く作れない状態にあるというのは考えにくい。良子という姉キャラが不当に貶められているようにしか見えない。

 なんでそんなことをするのかな。何でもできる頭のいいネーネーにしておいても何の問題もなさそうなのに。暢子を上げるために良子を下げたか。

暢子の料理は、本当に美味しいのか

 それにしても、和彦母(鈴木保奈美は見て良かった)に認めてもらうために「美味しいものを食べさせる作戦を思いついた」と小学生のようにはしゃいでいた暢子。暢子はプロの料理人なのだし、一番の強みを発揮できるのが料理なのは言うまでもない。あまりにも当然な話で、何が緊急会議で何が思いついた作戦?

 いったい何を見させられたのか。暢子の単純さか、幼さか。

 お弁当作戦も、お母さんの好みについてのリサーチはしたのだろうか?土曜日のまとめには出てこないだけか。それもなくいきなり思い付きの物を押し付けで作ってくるのであれば、小学生ならかわいい微笑ましい話だが、いい大人がやればまるで押し売り、コワイ。

 そういえば、こんな記事も見た。

news.yahoo.co.jp

president.jp

 本当に、侮辱的だと沖縄県人に言われても仕方ないと私も思う。正直なところ、料理人なのに髪の毛はまとめないでバサバサ、いつまでも素人っぽく他人への気配りに欠ける暢子が作る料理は、本当に美味しいのだろうか?

 確かに鈴木保奈美がお弁当を食べてのリアクションからは美味しそう。それは鈴木保奈美の演技力の賜物で、でもね・・・作っている姿が全然上手そうとかヒントになるとか真似たいとも思えないし、暢子の料理に対する「聡明さ」は少しも感じられない。

 「ちむどんどん」に出演している役者さんたちには、同情的になる。特に暢子役の黒島結菜、「アシガール」で好きになったのに。ニーニー役の竜星涼も「ひよっこ」の巡査さんは良かった。ふたりには、「ちむどん」クランクアップと同時にNHKが責任を持って大河ドラマ等での特別良い役をオファーしないとかわいそうだ。

毎朝の楽しみはBS放送の「芋たこなんきん」

 もう「ちむどんどん」はどうでもいい。「平日朝のNHKには近寄れない」と先ほど書いたばかりだが、それは地上波のNHK総合の話。衛星のNHKプレミアムで放送中の「芋たこなんきん」については以前もブログで書いた通り、毎朝7:15からのお楽しみになっている(7:30には「ちむどんどん」がスタートするので消す)。

 血のつながりだけで、誤りがあっても正さずに「何があっても家族」と言い張って問題に向き合わないのが気持ち悪い「ちむどんどん」。正義や倫理観はどこへ。それとは対照的に、「芋たこなんきん」では、再婚相手の健次郎さんの、血のつながらない連れ子たちとも「おばちゃん」として主人公が細やかに生活をしていく。作家の田辺聖子をモデルに、藤山直美が演じている。

 健次郎は、今週もここぞというところできちんと義理の姪を諭している。きちんとした大人が存在することの、その幸せなことよ。視聴者は安心する。(「ちむどんどん」離脱組には名作「芋たこなんきん」 - 黒猫の額:ペットロス日記 (hatenablog.com)

 7/25からの「芋たこなんきん」第19週は、サブタイトルが「カーテンコール」。健次郎の医院で働く看護師(当時は看護婦さんか)鯛子のお見合い話、落語の師匠への癌告知、町子の古い知人が発行する雑誌「上方文化」の廃刊、町子の秘書の矢木沢さんの父の心配といったところが描かれた。

 思いやりある人々のやりとりの機微を、安心して見ていられた。

 鯛子のお見合い話については、近所のおじさんたちがしょんぼりしているのが笑えた。町子は「女が独身でいるとどうして騒ぐんでしょうね」「(自分も結婚して)雑音から逃げられた」と言う。おじさんたちは、「寿退社したら寂しいがな」「(独身の花が結婚すると)1つ電球が消えたみたい」だと。例えも面白い。

 健次郎も、おじさん連中のように言葉にして発することはしないが、妙な表情をしている。ガッカリ感が出ていておかしい。

 健次郎は鯛子のことを、看護師として頼りにしているのがわかる。連れ合いの町子に対しては医者としての守秘義務から言えないことも、同僚の鯛子には(妹の外科医・春子に対するのと同じく)当然ながら真っすぐ伝え、患者の前では目くばせの会話をする。落語家の笑福亭米春の胃癌を見立てた時の話だ。

 「結婚がピンと来てへんのですよね」と言っていた鯛子。健次郎に「新しい人と出会うのはおもろいもんやで」と言われ、「憧れてる人やったらいてます」と答えた時、健次郎は「どんな?どんな人?」と聞くが、鯛子は答えなかった。

 後に「私、憧れている人がいるって言いましたでしょ、先生なんです」と鯛子に言われた時の健次郎の戸惑った顔。すぐに鯛子は「正確に言うと先生と町子さんの姿を見て、こんな夫婦やったら毎日毎日楽しいやろなと・・・」と軌道修正した。また、健次郎は「自分たち夫婦に憧れているんだってよ」というノリで、町子に飲みながら鯛子の話をした。

 一連の話運びを見ながら、「鯛子は本当は健次郎が好きだったんだなぁ」「健次郎も、自分の鯛子への気持ちを昇華させてケリを付けたな」と見ている側は理解してドキドキ。比べるのは余計だが、人を踏み台にして恋を成就させた(それも、全然恋のときめきが感じられない)「ちむどんどん」の主人公・暢子と和彦の告白シーンよりもずっと心に響いた。

 次に、作家として駆け出しのころからお世話になった編集者に対して、資金援助をしたいとなかなか言い出せない町子。相手は町子の気持ちを察して、潮時を理解して雑誌廃刊を決めた。その時の、町子と編集者の会話。互いへの気遣いと尊敬が感じられる。

 健次郎の方も、お忍びで受診した人気落語家の笑福亭米春に「腫瘍ができています。かなり大きい。私は胃癌を疑っています」と相手を思って告知した。

 気がかりだった患者。健次郎としては当初、その当時のやり方として家族に来てもらって家族に病名やらを伝えて入院してもらって・・・という手順を取りたかったが、いつも同道するのは一番弟子。しかも彼は健次郎の幼い頃の遊び仲間だ。それで、奥歯に物が挟まったような言い方に終始した。

 ある夜、大舞台を控えて真実を知りたいと診療所にひとり訪ねてきた笑福亭米春が、健次郎を口説こうとした言葉に含蓄があった。その言葉で、健次郎は本人への告知を決めたのだ。一番弟子も、実は師匠にこっそり付いてきていた。

 告知後の米春の言葉を、少しだけ書いてみる。

「噺家というのはサラリーマンとちごうて引き際がむつかしい。自分でどないして決めたもんやろかとずっと考えとりましたけど、その心配もあらへんみたいですな。こっちで決めんかてあっちから来てくれはった。おおきに、ほんまのこと言うてもらって良かった。高座に上がるたんびに1回1回これっきりやて言い聞かせてきましたけど、今回は心底そないに思て上がることができます」(第107回)

 引き際を見極めた編集者と落語家のふたり。ふたりを心配するそれぞれの周囲の気遣い。しみじみと考えさせられる会話の数々。「アキサミヨー」と荒唐無稽の事柄に出くわして叫んでばかりいる世界とは違う。やっぱり「芋たこなんきん」は名作だ。

 ちなみに、土曜日の〆で前述の鯛子は、既に見合い相手を振っていた。見合いでは、胃痙攣になるほどケーキを追加して食べたという鯛子。健次郎への思いを吹っ切ったか何かヤケというか覚悟じゃないけれど、見合いに臨んで考えることがあったためだったことが感じられる。

 その鯛子が見合い相手を振ったことで、自分たちが相手になれるわけじゃないけれど、おじさん達はホッとしたことだろう。

 昔放送していた頃も楽しんで見ていた「芋たこなんきん」。ほぼディテールは忘れているせいで、こんなにも今も楽しめている。喜ぶべきか、悲しむべきか・・・ありがたいこと、ということにしておこう。(敬称略)

【鎌倉殿の13人】頼家が「助けて」と言えたら

坊っちゃん頼家、人に頼れず空回り

 第2章が始まったNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」、7/17に放送された第27回はタイトルとは微妙に異なるサブタイトル「鎌倉殿13人」だった。

 先ほど土曜日の再放送を見て、日曜日の本放送では見逃していたことに気づいた。頼家、あんなに涙を流していたとは・・・そうか、そうだったか。頼家なりには傷ついていたんだ。

 今日はタブレットで見て気づいたのだけれど、日曜日に最初に放送を見たのはスマホの小さな画面(NHK+)だったか。それで見逃してしまっていた。その後、月曜日に家族と大きなテレビ画面で録画を見たのに、中の人の渾身の涙の演技を見逃していた。「頼家、イヤイヤ期か。困ったお坊ちゃんだな」程度にしか思っていなかった。

 確かに、頼家にしては長いセリフを言っていた。「鎌倉殿を侮るな」「儂にも手足となる者がいる」「儂はそんなに頼りないか。儂なりに精一杯やっている、それが気に入らんのか」・・・。

 頼家については、乳母の比企家で養育され育った。比企出身の比奈が「困った時ほど助けてくれと言えない性分なんですよ。鎌倉殿は待っておられるのでは」と義時に言い、義時がサポートメンバー「5人衆」(その時は)を設える方向に動き出すことになったのだった。

 先日のブログで、政子についてこう書いた。

(略)八つ当たりしても人に味方になってもらえるものでもない。助けてとお願いするしかないのだ。すぐ切り替えて、政子はそうした。

 頭の良い政子は、ちゃんと必要な時に必要な相手に「助けて」が言える。見極められるのは、現代でも社会を生きるには大切な能力だと思う。

toyamona.hatenablog.com

 そう、必要な時に必要な相手に適切な方法で助けを求められる能力。これは今も昔も、生きていく上ではかなり重要な能力だと私は考える。

 人間はひとりでは生きていけない。神のように万能ではなく未熟にできているものだし、他人はそれぞれ自らのことで精一杯になって生きているのだから、「今、助けてもらいたいのだ」と自分のために周囲を説得できるのは自分を置いていない。赤ん坊のようにいつまでも泣いているわけにもいかず、言葉を尽くすしかない。

 反対に、この世知辛い世の中、助けを求めずにひとりで何とかしようなんて甘い。どうにかできると考えるなんて、世間知らずなお坊ちゃんお嬢ちゃんとしか思えない。

 政子は、ピンチの時にさらりと助けを求めることができた。政子の手元で育っていたら、頼家も違ったのではないか。もっと周囲の人の支えに感謝して、爺さんたちの話も聞いて、大事にすることを政子は教えたのではないか。そうすると、いろんな局面でも助けてもらえるようになるかもしれない(相手の余裕があるかないかにもよる)。

 それなのに、名のあるお家のお子さんたちは、当時は乳母の手で育てられていたから・・・。特に今作の比企家の設定では(実際には人の善いおっとりしたご家族だったかもしれないと思わないでもない。北条家に対抗して潰されたというだけで史上では悪役扱いになるだろうから)、比企能員の妻・道があの調子でお坊ちゃん頼家を祀り上げるばかりで、人の信頼をどうやって得るべきか、なぜそれが大事か等は教えなかったことが、頼家の御家人への敵対的な行動を見てはっきりとわかった。

 今作の頼家は、生まれた時から周りに大事にされて当たり前に育ってしまったらしい。お膳立ては周りに全部やってもらって当たり前だと考えているように見える。そこがあの手この手で苦労してきた父・頼朝とは大きく違う。

 そして、二代目鎌倉殿として、自分にそれなりの自信もあっただろうけれど、菅波先生の分析・・・じゃない、江間太郎の言った通り、頼家は「経験が無い分、何をどうすればいいのかわからないのだと思います」。

 純粋培養、大事に大事におくるみの中で育てられて、そんな不安な状態に置かれたことが無かったのではないかと思われる頼家。手に余ることが生じた時に不貞腐れるのではなくて、政子や誰かにスッと相談できたら、暗い中で蹴鞠をしながら不安を蓄めていくこともなかっただろうに。

サポーターを敵認定しちゃダメだよね

 義時とのやり取りで頼家は「13人とは増えたものだな」と言った。これは「自分を信じない人の数」だと頼家は受け取めていたのだろう。その中に、「この先何があってもお前だけは私の傍に」と頼りにしていた叔父・義時まで入っていたと知ったのだ。

 そうすると、裏切られたと思うでしょうね。

 番組のオープニング前では、頼家は宿老の支えを「心強いな」と言っていた。その時、義時は「ご自分の信ずるところを大事に、のびのびやっていただきたい」と言っていたのだった。

 だから「己の好きなようにやれと言ったのは誰だ! もう北条の者は信じぬ(涙)」となってしまい・・・サポートメンバーのつもりなんだけどね、周りは。利己的にいっちょ噛みしたい人(それが実の祖父や乳母夫という悲劇)もいるものの基本的には頼家応援団だった。

 それを誤解して受け取った負けず嫌いのお坊ちゃんがとった対抗策が誠にわかりやすい。自分の近習を親衛隊にして披露、13人のサポートメンバーを敵認定宣言してしまった。

 御家人を前に「端から信じておらぬ」と言うこの幼さよ。自分の立ち位置が見えていない。まだ脳が完成していない teen brain の向こう気の強さ、それもとんちんかんな方向に突っ張っているのを見ると、気持ちが萎える。

    敵を味方にできるぐらいでいてほしいよね、仕える側の御家人としては。逆に頼家は、味方を敵にしてしまった。幼い。

 サブタイトルの「鎌倉殿と13人」の「と」は「=vs.」という、頼家側の見方を示したものだった。御家人側が鎌倉の先行きを危ぶんで暗澹たる気持ちになるのも分かる。

 それにしても。いつも説明の足りない主人公・義時だ。薄っぺらな慰めの言葉はスルスル全方位によく出てくるのに、肝心なところで心からの言葉が足りないように見える。言っていることは言っているんだけど、アリバイ作りのようで、相手の不安に寄り添い切っていない。相手に「言いくるめられた」と感じさせていては失敗だろう。

 明日7/24は「名刀の主」。自分を名刀になぞらえていた梶原景時の追い落としが描かれるのだろう。サポートメンバーが1人減り2人減り・・・の最初の1人。こうやって頼家の死が近づいていくのだな。

 ドラマからの教訓。とにかく、周りの支えは大切に。安易な敵認定は自分の味方を減らすだけ、そして誰もいなくなる。止めましょう。

 

グリーフケアの動画・・・涙涙でした

知人からのお知らせで

 最近は全然Facebookを開かなくなってしまった。持病が悪化して以来、その方面の知人にはやむなく失礼したままになってしまったのだったが、ほぼ回復した今になっても、やるべきその他のことに追われ、不義理のまま・・・いけませんね。スミマセン。

 気になってはいました。けれど・・・と、気づけばちょうどメッセンジャーに連絡が。やはり、被害者支援関係でお知り合いになったご遺族の方からだった。

 お兄さんを亡くされて、本格的に被害者支援やグリーフケアについて学びを深めた彼女。大学院の博士課程にも進まれたと聞いた。すごい努力家だ。

 その大学で、学生たちと取り組んでいるプロジェクトなのだそうだが、まず昨年動画を完成させ、それを絵本にするためにクラウドファンディングを始めたのだとか。動画はコチラ↓ 拝見して、亡き息子(猫型だけど)を思い涙涙だった。

www.youtube.com

 あの世で息子クロスケに会えたとして、そこにもし黒猫がたくさんいるような紛らわしいシチュエーションだったとしても、私はみんな真っ黒の中から息子を見分けることができるだろうか。

 いや、見れば絶対わかるはずだ。あのツンデレの、中途半端な尻尾の、鼻の高い愛らしい息子のことをわからない訳が無い。

 そして、私が老いて様変わりしていたとしても、息子の方でもきっと匂いを嗅ぎ分けて気づいてくれるだろう。私よりも前に、きっと見つけてくれるのではないか。私がぼーっとしていれば、私のふくらはぎをガブガブ噛んで、ここだよここだよと手荒にアピールするだろう。

 いつか死んであの世に行く楽しみは、息子に会うこと。そういえば、「鎌倉殿の13人」でも、源頼朝と北条政子の長女、大姫も「死ぬのはちっとも怖くない、義高様に会えるのですもの。楽しみで仕方ない」と非業の死を遂げたいいなずけを思い、死んでいったね。

 人もペットも変わりない。大切なかけがえのない存在をあの世に送り出すと、途端にあの世が身近になるものなのだろう。

 学生たちのプロジェクトにご協力いただける方は、ぜひ以下のクラウドファンディングサイトから。よろしくお願いいたします。

readyfor.jp

 

 

搾取する側を、政治は野放しにしないで

自民党大勝利の陰にいたのは

 7/10に投開票のあった参院選。予想通り、2日前に元党総裁であった安倍晋三氏が暗殺された自民党が、弔い合戦とばかりに大勝利を飾った。(安倍元総理は、秋に吉田茂以来の国葬になるのだそうだ。)

 いつもは大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見ている日曜夜の時間に放送されたNHK開票速報では、東京選挙区の自民党候補が、いの一番に当確とされていた。NHKの出口調査によって、開票が始まった途端に数十人の候補が当確を打たれたうちのお一人だった。

 元オリンピック選手だというこの方は、一期目に1つの質問も国会でしていなかったとツイッターで知ったぐらいで・・・もうひとりの自民党候補、よく知られた有名タレントの彼女よりも先に当確になるとは、失礼ながら思いもしなかった。

 だって・・・きっとファンの数で言ったら、彼女の方がどう考えても。

 それが、考えが浅かったなと今は思う。安倍晋三氏を銃撃した犯人についての報道に触れて、さもありなんと思った。唯々諾々と言われるままに投票してくれる人たちが、彼にはどうやらいたらしいからだ。

 さて、安倍氏を銃撃した41歳の犯人は、言葉に尽くせないほどの辛苦を舐めてここまで生きてきたという。母親の信仰によって家族が経済的にも破綻し崩壊、父と兄が自殺するなどしたからだ。

 母親は、信仰のために頻繁に渡韓していたらしい。犯人も兄も妹も、幼少期からほったらかし。ネグレクトどころじゃない環境で育ったのだという。これは父方の伯父がそう取材に対して言っている。

bunshun.jp

【独自】山上容疑者の母「息子が大変な事件を起こし、申し訳ない」…入信先の宗教団体は批判せず(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース

「統一教会」から5千万円返還させていた……「山上容疑者」が抱えていた教団との金銭トラブル(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース

 母は、旧統一教会に1998年に入信してから1999年には土地や家を売却、2002年には破産。献金総額は1億円を超えるのだという。犯人の伯父は甥姪のために2009年に5000万円を教会から取り返したのに、すぐに犯人母は献金してしまったのだとか。

 まさか、ここまでとは。宗教が恐ろしいとは思っていた。それでも、本人が信じて心の平安を得て幸せだと思っているのだったら仕方ないと、多少は思わないでもなかった。

 しかし、こんなにも根こそぎ収奪してしまう団体があるとは・・・もしも私の家族が統一教会に入信していたらと考えると空恐ろしい。

 宗教団体「世界平和統一家庭連合」は1954年に韓国で文鮮明氏が「世界基督教統一神霊協会(統一教会)」として設立した。

 文氏の「御言集」には、献金について、「自分の生命、財産を全部はたいてでもしなければならない」との言葉が収められている。

 信者は総収入の10分の1をささげる「十分の一献金」を求められるが、1990年代に信者の調査をした立正大の西田公昭教授(社会心理学)は「実際はもっと多く、財産の全額を献金させられる状況に置かれる人が多かった」と話す。(「どうして兄ちゃん死んだんや」7年前の葬儀、涙を流していた山上容疑者 (msn.com)

 全財産をはたくことを信者に求める宗教って・・・信者やその一族の困窮はどうでもいいのか。

 宗教ですと言われても、財産簒奪目的にしか見えない。取られる側から見れば、オレオレなどの特殊詐欺の方がまだ根が浅くてマシかもしれない。

元信者の語ったマインドコントロールのすさまじさ

 7/14朝のテレビ朝日「モーニングショー」には、10年間も元統一教会の信者だったという悪質商法に詳しいジャーナリスト・多田文明さん、それから、信者の脱会に尽力してきた紀藤正樹弁護士が出演していた。

 多田さん本人は「自己啓発セミナー」に誘われ、統一教会だと知った時には情報を握られて入信せざるを得ない状況に置かれていたのだそう。

 安倍氏の銃撃犯の母は1998年に入信という話だけれど「本部会員になるまでには数か月から数年かかる」と多田さん。正式に入信する前にも多額な献金はしているはずだという。

 「あなたは万物より下の存在、だから献金は天国に行くためのお金」「上の言葉は絶対」「考えてはいけない」「脱会後は病気か事故で死にますよ」等と教え込まれるそうで、謙虚で素直な人は関わると危なそう。自己肯定感を奪い取られる手法は、「ダメな私を叱ってくれる」等と、DV被害者がDV気質の人間の支配下に置かれる状況と似ている。

 DVは、身近な人への執拗なコントロール。精神的な支配でコントロールは完了する。同会の場合、宗教的な権威などを用いる違いはあるが、恐怖を以てコントロールをしかけてくるところはDVと同じかもしれない。

 献金の種類は、月例・礼拝・祝福・建設・先祖解怨の5つが挙げられていたが、これは「しなきゃいけない献金」だそうだ。「本人の信条に基づいて献金」するという教会側の会見での圧力のなさそうな言葉は、多田さんの語る現実とは異なる。

 5000万円を犯人らきょうだいに返還したと、この7/11に行われた世界平和統一家庭連合(旧統一教会)田中富弘会長は会見で説明したが、犯人母の破綻を知りながらまた5000万円を献金として受け入れたのならば、怖すぎる。

 多田さんは、会員だった時に、献金の代わりに人を勧誘して入信させていたそうだ。話をしていくうちに悩みなど精神状態だけでなく財産情報を聞き出し、裏で会議をしてターゲットを絞り、誘導して勧誘したとのことで、恐ろしすぎる。

 私も、駅周辺で「今が転機、2年後に幸せが訪れますよ」と話しかけられたことが若い頃にあった。そもそもお金は持っていなかったけれど、変に興味を持たずにスルーして良かった。

良心の呵責は「サタンが入った」考え方

 印象的だったのは「サタンが入る」という言い回し。相手から全財産を取り上げて、ごはんと梅干だけにまで飢えさせる行為に良心の呵責を感じるのは人間として当然だが、それは「邪なこと」だという。

 多田さんの上にいた人間でも「サタンの入った発言だけど、(人を破綻させる)この教義が間違っていたら、僕はどうにかなってしまう」と言っていたという。

 その教義の間違いに気づくことが、脱会への近道。恐怖感も抜ける。多田さんの場合、教義を深く勉強していた親と、48時間ぐらい集中して話をして分かったそうだ。戻してくれる人がいるかどうか。それが大事だ。

 脱会後、人間関係を求めて戻ってしまう人もいるとか。この、「抜けたはずなのに戻ってしまう」ことも、DV被害者の場合と似ている。

 もし会員が教義から抜けて正気になれば、自分のやったことは絶望的だ。「人を潰す焼き畑農業」と多田さんは言うが、それを家族や友人を巻き込んで実行していた自分・・・いたたまれなくなりそうだ。受け皿が無いと、戻ってしまうだろう。

「貴種」は狙われ、担がれやすいのだから

 多田さんや紀藤弁護士によると、旧統一教会は、信者の名前でクレジットカード等を作らせて金銭を借りまくったそうだ。結果的に信者は破産する。各宗教団体の信者やその家族の破産率を知りたいものだ。団体によっては、恐ろしい数字になるのではないか。

 この手法はヨーロッパ、アメリカ、韓国では摘発されたが日本では摘発が遅れたのだという。問題になって裁判を起こされたりした当時(2009年頃か)、教会側が反省したのは「政治への接近が足りなかった」という点だったそうで、その後政治家に近づいたのだろう。

 狙うは政権与党だとすると、サラブレッドの安倍氏は特に狙い目になりそうだ。

 不思議なのは、アダム国家とイヴ国家の話。政治家の皆さんは、日本人として受け入れられたのだろうか。特に自民党は保守の人も多いのに。

 禁断の果実を食べたイヴに罪があり、アダムに尽くす立場。だから女性は男性に尽くす(なんだそれー)。イヴ国家・日本も、アダム国家・韓国に尽くすべきだという話だ。だから、韓国ではそんなにひどい事はしないのに、日本でとことん信者から搾り取った資金が韓国に送られると・・・。

 ここまで聞いて、本当に胡散臭い。なぜ、自民党の多くの政治家さんたちはそんな教義を掲げる団体に取り込まれてしまったのだろうか。創価学会の票によって盤石な公明党への憧れか。公明党から自立しようとしたのだろうか。

 ちょっと最近の「鎌倉殿の13人」を思い出した。源頼朝が、富士の巻狩りでの曽我兄弟による騒乱で討たれそうになったものの、無事に帰還。その時、既に頼朝と万寿(頼家)が討たれたと信じた弟・範頼は、比企能員に唆されて「鎌倉を守るため」と次期鎌倉殿へと名乗りを上げてしまっていた。

 浅慮を恥じて、範頼は頼朝に謝り起請文も書いたが、頼朝は範頼に言った。「疑われるようなことをしてしまったことが悪いのだ」と。貴種である源氏のプリンスは、旗頭としては効果絶大であり、みんなが担ぎたい。だからこそ、注意深く振る舞い、軽々と担がれてはいけないのだと、視聴者は学んだばかりだ。

 ツイッターで流れてきた写真を見ると、旧統一教会の会報らしき冊子の表紙(!)には、安倍元総理の写真が多く使われていた。それまでは教祖らしき人の写真が使われていたらしいが・・・教会内で、安倍氏は教祖と並ぶほどの位置づけがされてしまっていたのだろうか? 毎回のように表紙に使うのだから、信者や家族が「安倍さんは関係者だ」と考えてもおかしくない。まんまと担がれてしまったのではなかったか。

 多田さんの話によると、選挙では「次はこの人でお願いします」と指令が回ってくるのだとか。やっぱりだ。これまでの話を聞いてみて、考えることを「サタンが入るから」と止めてしまった信者たちは、上の人の言うままに安倍氏などの自民党関係者に投票してきたのだと、簡単に想像ができてしまった。

 今回の参院選でも、そうだったのだろうな・・・物を考えるのを禁じられた信徒がこぞって投票する中で、こちらが考えに考えて1票を投票しても無力に思える。

 あくまで推測に過ぎないが「簡単に手堅く票が取れて献金も期待できるなら、タッグを組んでしまってもいいか」と、安倍元総理を始めとする政治家の陣営は、彼ら旧統一教会に飛びついてしまったのだろうか。危険だ。

 自民党の改憲案には政教分離を緩めるように読める文言があった。そういうことか。公明党の為かと思っていた。

 法治国家において、法律の手が届かないところで苦しんでいる人がいれば、立法府の国会議員には速やかにその人たちを守れるように、解決策となる法律を作ってほしい。庶民から搾取する団体や人を、野放しにしてはいけないだろう。

 それなのに、自民党はむしろ搾取する側に寄り添ってきたように見える。

 アンタッチャブルを作り上げ、搾取させ続けてはいけないのだ。そうでないと、実力行使は止められないのでは。悲劇は繰り返されてしまうだろう。この流れは変えられないのだろうか。