黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

今は無理

昨日、何気なく見たスマホの占いに、こうあった。「大切な人たちのためにあなたができる最大のことは、自分自身が幸せになって、幸せなエネルギーを周囲にプレゼントすることですよ。自分を犠牲にすることなく、人の役に立つことを考えてみましょう。」
 
自分を犠牲にすることなく、人の役に立つ・・・最近、考えていたこと。私の場合「犠牲」とまではとても言えないのだけれど、最近よく考えることは、今、私には支援者として在ることは難しいなということ。身内が被害者になったら、2年(3年?)は支援者としての活動から離れるもの、とある先輩がおっしゃっていたのも、ナルホド納得だ。
 
グリーフ反応なんだなあ、きっと。全然使い物になりませんよ、私。
 
つい先日知らせがあったことだが、自賠責の方は、医療調査の結果まったく納得できない結果が出て、父を一番苦しめた高次脳機能障害が否定されてしまった(とはいえ、まだやれることはある)。そして、父を轢いた運転手の刑事裁判は、初公判まで2週間を切った。
 
ちょうど父の新盆ウィークの真っただ中、法要の翌日に裁判所に行くなんてナンテコッタとは思うが、父があの世から戻って見届けたいのかと思う。
 
とりあえず、私は刑事・民事の手続きに全力投球することを決めた。いつも8月は台風も来るし持病3兄弟がうまく調節できずに寝込むことが多い時期だけれど、亡くなった父と、家族のため、そうも言っていられない。占いの「自分を犠牲にしない」は、無理するなってことかもしれないが。
 
父が事故に遭って亡くなったことで、被害者のサポーターから被害者側の立場も併せ持つようになったことについては「何か考えるところはあったか」と、たまに聞かれることがある。
 
ある程度の知識や情報が頭に入っていたことは、素直に感謝する点だ。それだけでも大きな違いで、それ無しで被害に遭えば(普通そうだ)、どんなにか辛くしんどく、目の前が真っ暗になることだろう。司法制度や、家族がどんなことで衝突しがちかとか、誰にどう助けを求めれば良いか等々、知っていた私は恵まれていた。
 
しかし、知識や情報があるから良いというものでもない。忙しなく落ち着かない気持ち、腸がじんわり常に捻られているような重い心地はするものだから。悲しさ悔しさから来る気分なのだろう。
 
それに、被害者関連のニュースも、重要な内容が報道されていても、以前のようには頭に入らないというか・・・暑さでバカになってきてるのかとも思うが、やっぱりねー。グリーフなんでしょう。
 
もう10年以上前になるが、初めて被害者支援のセミナーを受講して、それをきっかけに支援の勉強を始めさせていただいた時は、正直「支援者ってそこまで被害者のためを考えて終始行動しなければならないのか」と面食らった。支援者の皆さんがこんなことまで気を配るのかとか、倫理的にも自分を律するのかとか「そこまでしなくても」と疑問に思ったこともあった。
 
なぜかと言えば、社会で多くの市民が被害者を支えられるようになれば、より被害者のためにはなるのではないかと考えたからで、そこにそんなにハードルを高くしたら、支援者のなり手がいなくなるのではないか?と思った。
 
けれども、そうでもしなければ、人生最大の危機に遭遇している人に二次被害を与えてしまいかねない(注意を払っていても、不幸なボタンの掛け違いが起きることもあるし)。だから生半可な気持ちではダメで、徹底的に「私」を抑えて接するしかないと、皆さん腹をくくって支援をしているんだなと思った。
 
省みて、そんなに厳しくできていたかと言えば、教えてくださった方たちにはまったく申し訳ない限りで恥ずかしいけれど、私が至らなかったのは知っている。でも、できるだけ、教えてくださったエッセンスは大事に、これまで被害者さんたちに接してきたつもりだ。
 
その程度であっても、今は全く無理。そう、自己中なんですよ、今の私は。支援者でいられるわけがない。
 
それから、グリーフワークのファシリテーターをする際に「自分で自分を大事にしましょう」「嫌なものにはにっこり笑ってNOと言ってみましょう」等と伝えてきた私だが、私自身、全然できていなかったなと思う。
 
元々、私の世代の日本人あるあるかと思うが、大事にされてきた実感に乏しく、そうされると慣れてなくて照れてしまう。嫌なことを言われても、感情をオフにして抑え込み、「私は平気」だと言ってきた。それが仇になっている。周りに「こいつには何を言ってもいい」と扱うようにメッセージを発信し続けたも同然だ。
 
そうやって、自分に居心地の悪い環境が形成されるのを許してきたから、まさに自業自得なんだけれども、今になってみると居心地の悪さが倍に感じられる。堪忍袋が極小サイズになってしまっている今は・・・。
 
そんなこんなで、先輩がおっしゃる通り、人様の支援などは所詮、今の私には難しいことだと実感するばかりだ。
 
占いには「遠く離れた場所にいる誰かの幸せを心から祈るのは忘れないで。その思いは必ず伝わる」とも書いてあった。それぐらいなら、自己中の私にもできそう。世界平和は荷が重いが、私に関わってくださっている方々の幸せを、改めて祈りたい。
 
とりあえず、刑事裁判を乗り切るぞ!と気合も入れつつ。