黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

1年前の7月、愛猫に扁平上皮癌が見つかった③

下顎が変形、骨折していた

 専門医で息子が「衝撃のバイオプシー」を受けた翌7月21日は、日曜日だった。家族はボランティアの約束があって後ろ髪をひかれながら出かけ、私がタクシーを呼び、ぐったりするクロスケをかかりつけ獣医に午後1時に連れて行った。

 クロスケは、前日のバイオプシー以降は何も食べなかった。口から出血があり、パンチした下顎は明らかに変形してしまっていた。

 獣医では、検査のために採血をして、消炎鎮痛薬(オンシオール)、鎮痛薬(ププレノルフィン)、止血剤(アドナ)、強肝剤(アデラビン、強力ネオミノファーゲン)、制吐剤(セレニア)、消化管運動改善剤(プリンペラン)、制酸剤(ファモチジン、つまりガスター)、食欲改善効果の期待できるビタミンB12を、まとめて息子に点滴してもらった。

 内服薬でも消炎鎮痛剤(メタカム)、鎮痛剤(トラマール)、食欲増進剤(ペリアクチン)が、通常の処方薬(ウルソ、メルカゾール)に加えて出された。病院用のチュールも出してもらった。

 鎮痛剤だらけ。一気に元気が失われた息子は、やはりかなり痛みがあったのだろう。その日は自宅でおしっこを1度しただけで前日同様お通じは無く、だしカップをほんの少し口にしたが、ミルクは飲まない。食欲どころの話ではなかった。

 翌22日の朝、息子は痛み止めと、チャオちゅーるリキッドを5cc口にした。昼に消炎鎮痛剤を点滴してもらうためにかかりつけ獣医に連れて行き、a/d缶という回復期の缶詰を3/1食べさせてもらった。

 この日の血液検査では、赤血球数(RBC)が560.0(単位は10の4乗/ul)まで減り、基準値に届かず貧血に転じていた。前日21日は779.0、さらにバイオプシー実施以前の15日は781.0と基準値内だったのだが。

 同様に、ヘモグロビン(HGB)も15日から順に10.5g/dl➡10.2➡7.5と、ヘマトクリット(HCT)も33.0%➡32.8➡23.3というように悪化。息子の貧血は、バイオプシーから2日で急激に進行していた。

 なぜ貧血が進行しているのか。それは、バイオプシーのパンチの際に「バチン」とされた拍子に顎の骨が折れたらしく(!)、そこから内出血があるのではないかとの話だった。

 なんてことだ… ただでさえ18歳を超えた老猫、腫瘍が浸潤した骨は専門医でも想定以上に脆かったのだろうか。パンチの圧力で折れてしまったとは…もっと衝撃の少ない方法での組織採取はできなかったのか。

 クロスケの体がバイオプシーの反動で跳ねるほどだったのは、私も見ていた。あの時、息子のかぼそい悲鳴が上がり、目の当たりにした私には大きなショックだった。

 こうなってしまったからには、もう「検査の結果を見て手術するかどうか決めよう」等といった悠長なことは言っていられなくなった。とにかく手術で早く内出血を止めなければ。

 元々は避けたかったはずの手術。痛い・苦しい手術の必要性など猫は理解できないから極力避けて、なんとか穏やかに生を全うさせたかったはずだった。それが、息子を生きのびさせるためには手術が必須になってしまった。

 このまま死なせることは、できなかった。

 息子の手術日は、執刀する専門医の都合もあり、7月31日に設定された。それまでに貧血が改善していないと手術は受けられない。体力が持たず、術中に死んでしまうかもしれないからだ。

 「それより、10日も待っていたらクロスケは死んじゃいますよ」と私は訴えた。

 K医師は、早々に見切りをつけて安楽死に持って行きたい意向が端々に感じられるような話を長々と畳みかけてきた。「口腔癌だと、みんな食べたくても食べられなくなって餓死するんです。」声が冷たく、ねっとり気持ち悪く聞こえた。

 もうひとりのS医師は、この日、投薬をたくさんしたので輸血せずに改善できるか様子を見たいと言う。次の受診は25日、状態が良くならなければ入院、と話が決まった。

 帰宅したら、息子は右後ろ足のつま先をケガして、敷物が10センチ四方も血に染まっていた。病院で処置してもらう時に、キャリーへの出入りか何かで抵抗して踏ん張って爪を少しはがしてしまったのかな。

 貧血なのに、貴重な血なのに…と悲しかった。