黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

おめでたい話

 ところどころ敬称略で失礼します。TVで顔を見ない日はない、売れっ子の有吉弘行夏目三久のご両人がエープリルフールの4月1日に婚姻届を出したそうだ。おふたりの周りでも驚いた人たちが多かったようで、世間に幸せな空気が広がった。おめでたいなー、本当におめでとうございます。

 ネット上のニュースを見ても、数年前に一時期噂になった頃から耐えてきたってことなんだろうか…。色々と業界の思惑も利害も絡むから、気持ちを諦めてもおかしくなかったのではないかと思うし、そんな周囲を納得させた上でこうやって晴れの日を勝ち取るのは、それはそれは大変だったのではないか。実際、やってみたら数年かかったってことなんだろう。お疲れ様です!良かった!

 おふたりがマツコ・デラックスと共に出演していたテレビ朝日の「怒り新党」は、私も好きで頻繁に見ていたけれども、夏目さんは番組進行に徹していたと言うか、実にお行儀よく弁えた存在で、それがマツコの癇に障っていたのが面白かったというか、マツコと有吉に振られたときにちょこっと話すだけだったから、実はそんなに印象がない。

 私が言うまでもなく、アナウンサーには美人さんたちが多いですよね。記者時代にテレビ局に取材に行くとまさにきれいな人たちだらけで、自分のことは棚に置いて「普通にきれい」くらいではああそう、くらいなもので感覚がおかしくなったが、夏目さんは確かにきれいで有吉が羨ましがられるのもわかる。

 「怒り新党」を見ていた頃は、私も既に記者を辞めて久しく、彼女に直接お目にかかる立場でもなかったが、画面を通しても美人さんだとは思っていた。

 でも、申し訳ないけど中身に対しては? 時代的にも「番組に添えられている花」といった存在だったようにやはり認識していた。

 私が楽しんで見ていたのはマツコと有吉のおしゃべりの方。でも、実は毒舌を誇る有吉でも、夏目さんの前では紳士的だったのかもしれない、なんて思い返したりするのも、いち視聴者としての、こういうハッピーな話での楽しみだ。

 有吉さんと言えば、猿岩石として香港からロンドンまでのヒッチハイクの旅を終えて帰国後、インタビューして記事を書いたことがある。所沢の西武球場で猿岩石のふたりの記者会見が行われるというので、英字紙の放送メディア担当として行ったのだった。

 しかし、普通の記者会見ではなかった。日本での人気ぶりを知らない猿岩石が、多くの人たちが迎える(さくらだと思ったらしい)様子にびっくりするところを収録するために公開記者会見を視聴者に楽しんでもらおうとテレビ局側としては目論んだみたいで、記者席も会場の中に設けられていたのだった。

 そんなこととは聞いておらず、普通に会見を取材するつもりでいた私は、仕事とはいえ「えー、ナニコレ、私まで映りたくないのに」と内心ムッとした、正直に言うと。誰も私なんかに関心もないし見ていないんだけれども、そういうことではなくて、断りもなく舞台装置の1つに急にさせられたのが不満だった。たぶん、会見で猿岩石に質問もしなかったと思う。したかな…?ノリが悪い奴ですみませんが。

 その後、猿岩石のふたりに個別で会って話を聞いた。よく覚えていないのだけれど、たぶん西武球場での会見の後に、個別インタビューの時間が設けられていたのか… それとも、別の日に場所を変えて会ったのかはわからない。どっちだっけ。何しろ1996年の話だ。

 だけれど、とてもよく覚えていることがある。会った時の有吉さんの腰の低い振る舞いだ。

 ヒッチハイクの旅だって最終3日間は食べられずに半分飢えてのゴール、そして帰国してからも取材取材で心身ともに休まらない状態だったのではないかと思うので、相方さんが、はっきり言って「ふてて」しまって、取材に明らかに前向きでない様子全開だった。

 それも無理からぬこと、ましてや以前から特に付き合いもない私が取材相手だし…と私も思っていたのだが、相方のことを気遣って私に謝り、何とか場を持たせ取りなそうとしてきたのは有吉さんだった。

 不機嫌なタレントの取材などは、まあ無いことではなかった。忙しくて寝てないんだろうな、ぐらいにいつも思った。そもそも記者の扱いなんてそんなものだし、むしろ多忙な中、時間をちょっとでも貰ってありがたい限り。だから、相方さんの態度も仕方ないと織り込んでいたので、有吉さんの私への気遣いや「ねえ、そういうことでいいよね?」といった感じで、少し離れて座ってこっちに来ようとしない相方に声をかけてコメントの確認を取ってくれたことは新鮮でよく覚えていたのだ。へー、優しいなあと、こっちが恐縮した。

 記事に書いた有吉さんのコメントはこうだった。"From now on, I will be helpful to others, for we could not have survived without the help we got from people." 英文にしてしまったし、取材メモも残してないので、正確に彼の日本語でのコメントは今はもうわからない。過酷なヒッチハイクの旅が、彼を人にやさしい人間にしたのだったら、かなり乱暴な企画でも、いい経験だったのだろう。

 その後の売れない不遇な時代も、人の優しさを思い出して耐えたのかもしれないし、夏目さんもその人柄を感じ取ったということなのだろう。良かった良かった。

 私も、ちょっとはノリ良くあの時の公開記者会見に貢献してあげたら良かったかもしれないけどな… いや、あれはやっぱり嫌だな。そこが凡人ですね、ご容赦を。

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