黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

「おかえりモネ」支える側に立つ覚悟

話すことは、だいじ

 NHK朝ドラ「おかえりモネ」が佳境だ。人の気持ち、傷つきについて誠実に取り組んできた見ごたえのあるドラマだと思う。

 私はいつも、前作の余韻に引っ張られてなかなか新作朝ドラに入って行けないようなところがあるのだけれども、今作のモネの場合、オープニング曲が気に入ってしまって、毎朝あの曲を聴きたくて見始めがモタモタせずに済んだ。音楽の力は偉大だ。

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 それなのに・・・主人公は「音楽なんて何の役にも立たない」と序盤で言い放っていた。こちらも最終回までに回収してくれるかな? 脚本のすばらしさを日々感じているので、きっと音楽の力にもさらに言及するラストになってくれると信じたい。(追記:元アリキリの石井正則さんのホルンエピソードがいまいち私にはパンチが足りなかったので。)

 それにしても、東日本大震災の被災者の苦しみに真っ向から取り組んだというのは、やっぱりあれから10年ということなんだろう。区切り的な。それで被災地が舞台の朝ドラ制作が決まったのかと思う。

 ただ、周囲が勝手に○周年だ、区切りだ区切りだ言いたがっても、例えば被災者・被害者本人の心境からすると、ただ年数を重ねて○年になった、それがどうした?と感じる人も多くいると常々感じてきた。何も変わらない、苦しいまま、ということだ。

 もちろん、そうでない人もいる。人それぞれだ。

 そんな風に区切りを付けたがる周囲の空気が圧力になることもある。大事な人を失って粉々になった心をようやく繋ぎ止めて、どうにかバランスを保っているところに余計な傷つきを避けたいのは当たり前のことだ。

 だから、踏み込んできそうな相手には「大丈夫、あっちに行って」と笑顔でバイバイして遠ざけたくなるんだろうなと思う。亮親子のように。

 信頼していただいてお話を伺うのは大変なことだと、私も緊張する。相手を気遣う優しさがあるからこそ、簡単には心を開いてもらえるものではないともいつも感じる。

 でも、口に出すことで、いっぱいだった頭に余裕ができて、ぐちゃぐちゃだった考えが整理できる。思わぬ視点に気づくこともできる。心の内を話すことは、新たな道を見出すためには必要なことだと、私は信じて精神対話士の資格を取った。

地元を支えたいモネ

 脚本家の安達奈緒子さんは、絶対に支援の基本を執筆前に学んだ人だろうと感じる。

 対人支援に少しだけ関わってきて煙たがられてしまったこともある私は、時々痛いところを突かれる思いで見ている。被災地にボランティアに来ていた大学生の姿に、自らの苦い失敗を重ねて思い返す。

 私の場合、体力が足りなかった。病気ばかりで。そうすると、寄り添いたくても傍にいることができない。相手の期待に沿えないのは心苦しい。

 モネは、しぶとく、ちゃんと苦しさを突き抜けて被災地の支援者として踏みとどまれるかどうか、問われている局面にあるけれど、もう光は見えているような気もする。ともするとベテラン支援員さんかのような振る舞いにも既に見える、落ち着きもモネにはあるのだし。

 宇田川さんに寄り添う東京編での大家さんの菜津さん、りょーちんの傍に居続けたみーちゃん、もちろんふたりとも中途半端にできないけれど、男女の関係性が「恋愛」として理解され、周囲にも受け入れられやすく、応援されやすい側面はあるのではないか。

 でも、モネの場合。東京でテレビに出ることで、地元から認識されやすい成功者になってしまった。毎日、テレビに出ている気象予報士の人気ぶりは、スタート時の朝岡さんが登米で歓待されていた様子や、母・亜哉子さんが「モネが地元に帰れば島中の船に大漁旗が上がる」みたいなことを言っていたことからもわかる。

 「地元の誇り」に近い存在になってしまったのだろう。普通の朝ドラは、この東京での成功でめでたしめでたしとなるのではなかろうか。登米から東京に戻った菅波先生と結婚してのハッピーエンドを想像するところだ。

 ところがモネは、その立場を捨てて地元に帰ってきた。地元はガッカリだ。「何なの?」と地元スターの東京での活躍を少なからず応援して期待していた地元民は、モヤモヤ思うだろう。恵まれた立場を理解せず簡単に捨てたように見えるモネに、反感すら覚えるかもしれない。

 「なんで帰ってきちゃったの?」との市役所の課長(山ちゃん)の反応や、三生の言葉「モネは東京にいた方が良かった」にも、モネの「地元にいて、地元に貢献したい」思いへの理解の薄さが滲んでいる。

 その分かりにくさを突き破るには、そこに共に居続けて、行動によって徐々に理解を得て馴染んでもらうしかない。

 ドラマでは、りょーちんが乗った船が嵐に巻き込まれ、その危機を脱するのにモネの気象予報士としての「科学的データの集積とそれを分析する力」が寄与した。それによって、周囲との軋轢は、解消の方向に大きく1歩前進した。

 やっぱりそこで、信頼を得て誰かの力になるためには、ただただみーちゃんや菜津さんのような男女関係に落とし込めるような関係性や、三生が指摘した市役所、お寺さん、漁師、水産試験場といった既存のわかりやすい組織や職種に属さない場合、「そばにいること」だけでは反発されてしまって、なかなか貢献までに道が開かずダメなんだよな、と思う。

 そこで「私は気象予報士です。気象のことはわかります」と胸を張って言える国家資格があるからこそ、モネも踏みとどまれたんだろうし、単に「若いねーちゃんがグジュグジュうるさいことを言ってくる」のが我慢ならんぐらいに感じていたように見える漁業長以下の漁師たちも、まあ聞いてみるかと耳を傾けることになった。

 全面的な信用を勝ち得た訳じゃない旨は、告げられていたけれど。そこは相手のプライドは大事。尊重しないといけないけれどもね。

家族を支えるモネ

 第110話「嵐の気仙沼」でのみーちゃんとりょーちんの決着には、ホッとした。しかし、ふたりの話し合いにモネが関わったことについて、ネットでは「みーちゃんがモネに全部言わせている。自立していない」とか、「モネに依存したふたりは、何かあるたびにモネのせいにしそう」とかの意見があった。

 しかし、りょーちんの被災者としての複雑な葛藤を乗り越えるためには、当事者のみーちゃんだけでは何ともならなかったと思う。当事者だけで全部解決できるものではないのだから、客観的に物が見えている支援者(モネ)が、適切にサポートすることで道が開けるなら、それでいいじゃないの、と思う。

 支援に反発する人がいる(母がそうだった)が、支えあいは生活の知恵であって、恥ずかしいことでは全くない。困った時はお互いさまなのだから。

 人間関係を上下関係でとらえたがる人だと、支援を受けることは自分が弱い立場に立たされることであるかのように受け止めてしまうようだ。支援者に対して「偉そうに」「上から目線」と反発する人までいる。

 そうじゃなく、横の関係での支えあいとして、大らかに考えてもらいたいと思う。

 ところで、「ベテラン支援員さんかのよう」と私が感じたモネの立ち振る舞いは、みーちゃん相手に際立っている。近しいだけに、身内相手の支援は難しいのに。

 モネは、物語序盤でみーちゃんの「お姉ちゃん、津波見てないもんね」の隔てを置く言葉に動揺した(それは当然のことだ)。それを恨むことなく、みーちゃんのつらさを受け止められなかったことを悔やむことができるモネは、さすがNHK朝ドラの主人公だと思うキャラ設定だけれど、さらに、その言葉をバネに、今やみーちゃんに「何でも持ってるじゃん」等と言葉のナイフを投げられても、足を踏ん張って本音を引き出し受け止められるまでに成長している。

 ベテランさんというか、いや「絶対今度こそ支えるぞ」のモネの覚悟がすごい。みーちゃんへの姉妹愛の強さを想う。

りょーちんの背負ったもの

 りょーちんのつらさにも触れたい。

 家族に被害があった場合、それぞれが苦しさを抱えているにもかかわらず、ひとりで一方的に家族を支える立場に立たされてしまうと、自分の被災者としての苦しさを抱えたまま心に蓋をすることになる。そのつらさは、半端ではない。

 つまり、りょーちんは、自分でも被災して母親も亡くしている遺族なのに、「お父さんをよろしくね」「お父さんを支えてあげてね」と、周囲からの良かれと思っての残酷な言葉をかけられ続けたことは想像に難くない。

 それによって、支援者の立場に否応なく押し込められてしまった。

 もし言葉で投げかけられていなかったとしても、少なくとも「あそこは親父が壊れてしまったけれど、息子が頑張ってるから大丈夫だろう」と大いに期待をかけられ、それをヒリヒリと感じてここまで来たのだろうと思う。

 被災地であれば、みんな、自分のことで精一杯。そこで助けを求められる状況ではなかっただろうし。

 ありがちなことだ。「おかあさんをよろしくね」「あなたがしっかりして、おかあさんを支えてあげてね」と言われ、事故で子どもを亡くしたり、パートナーを亡くしたりして悲しみに暮れる親を支えようと、生き残っている子が頑張ってしまうことは。

 その子だって、大きな悲しみを抱えて支援が必要な遺族なのに、周りには都合がいいから、それが忘れられている。つらすぎる。

 だから、りょーちんの場合、第一段階で優秀な支援者モネが「大丈夫」の呪縛を解き放つことが必要だった。さらに第二段階で、幸せになることに逡巡する呪縛を、みーちゃんが蹴破る(実際は亮ちんの手を取る)ことで、ようやくふたりの未来が見えてきたのではないかなと思いながら見ていた。

 最後のシーンは、本当にみーちゃんの横顔がこの上なく美しかった。いつも伏し目がちな彼女が、真っすぐりょーちんを見つめて。彼の顔に光が差していく演出も、にくいなと思った。二人に幸あれ、だ。

 まだ、終わりまでには一波乱も二波乱も控えていそうだ。登米の楽しい森林組合の皆さん、サヤカさんにどんな結末が待っているのかが個人的には気になっているのだけれど、モネと、不器用だけれど誠実な「俺たちの菅波」との、幸せな未来を示唆する物語の終わりを期待している。

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