黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

「おかえりモネ」続きを待ってます

既視感満載の「カムカムエヴリバディ」

 NHKの朝ドラ「おかえりモネ」が終わり、もう今作の「カムカムエヴリバディ」がスタートして1週間経った。

 今のところ、どこかで見たような話が展開していて・・・なぜだろう、この後、第二次世界大戦に突入していくことがどうしても分かっているせいか、これまで見た戦争もので語られてきた悲劇に至る道筋をかいつまんで見ているような。既視感満載というか、そんな印象だ。

 描かれるキャラも、何か記号のように存在している。朝ドラのお父さんお母さんはあんな感じだよね、働き者で。娘が心配で。厳しいけれど孫には甘いおじいちゃん、とかね。不穏な要素は濱田岳の兄ぐらいか。ちょっと気の利く友達が面白いかな。

 村上虹郎はまた海軍に入るのかな・・・そんなことないか。戦前~戦中での報われない幼なじみへの恋+彼となると、思い出すのは「この世界の片隅に」だけれど、切ない感じがぴったりだった。それで今作も彼が選ばれたのかな。

 しばらく見続けないと何とも言えないけれども、一人目ヒロイン・上白石萌音と御曹司の恋も何か戦時下の定石を外さずに進むような気がしている。短命の予感が・・・それもこれも、二人目ヒロイン・深津絵里のストーリーを描くためのプロローグなんだろうか。

まだ「モネ」の話

 さて、まだ私の気持ちは「モネ」の方にある。味わい深いドラマだったな・・・とひとりで思い返している。

 どうしても親世代に共感してしまうのだけれども、モネの父親コージー内野聖陽(漢字がうろ覚え)はやっぱりいい役者さんだ。(こう書いてから、紫綬褒章の受章を知った。おめでとうございます!)

 菅波先生があいさつに訪れたにもかかわらず逃げた上、酔って帰って亜哉子さんに怒られた際の「帰ったー」と答えるグダグダ振りにはクスッと笑ってしまった(「真田丸」での伊賀越えの徳川家康役を思い出した)。

 また、自分が昔、恋焦がれていた相手でもある新次の妻が、震災以来ずっと行方不明という「あいまいな喪失」状態であり、その辛さにのたうち回っている新次を、耕治の側も粘り強く支えようとする姿。キリがないけど、端々で本当にいい役者さんだと思った。

 やっぱりモネと同様、被災当時に島にいなかったことと「何も失わなかった」ことで新次に対して罪悪感を抱いていた、そんな様子がちゃんとにじみ出ていた。

 (ここでは長くなるから書かないけれど、浅野忠信の新次も、被災者の苦しみを体現していて他には考えられないほど素晴らしかった。)

 最後、祖父・龍己さんと海に向かう姿にも、漁師としては全くこなれない雰囲気がうまく出ていて、緊張した顔にも第二の人生への覚悟が見えた。

 最終回で、耕治が新次に、りょーちんの船の初出航を見に行かないと伝えた時のセリフがこうだった。

 「亮が自分で買った船乗って、おまえ(新次)がそれをうれしそうに見送る。そんなとこ見てしまったら、オレたぶん泣く。オレ、見んのが怖いんだよ。見たら、オレが救われてしまうんじゃないかって。おまえたちに、何ができんだって、思ってきた。オレが、胸なで下ろしてしまうんじゃねぇかって。そんなもんじゃねぇだろ。そんな簡単じゃねぇだろ。だから、オレが見て泣くのは、もう少し、先にしときたいんだよ」

 このドラマは本当に取材が深いなと思うのは、こういったところだ。被災者を見守る側の私たちが問われている。そんな簡単じゃねえのだ。

 「早く立ち直って、早く元気になって」と周りは自分たちが安心したいから期待しがちだけれど、当事者には時間が必要だ。「ゆっくりでいいんだ」とのセリフは、たぶん龍己さんがどこかで言っていたようにも思うけれど、「ひよっこ」のラストでやはり家族の祖父ポジションの古谷一行が、家族に同じ言葉を言っていた。

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 個人的にいつも思うのだが「前を向く」という表現も、落ち込んでいる人を追い込むようで引っかかる。「いや、その人が向いている方向が前でしょ、みんな前を向いているよ」とどなたかが名言をおっしゃっていたが、本当にそうだ。

 後ろ向きだの前向きだの、しゃらくさい。歩みが止まっている時間があったとしても、それが必要だからそうなってるんだろうに。

 大きすぎる心の傷をどうにか抱えて再び歩み始めるには、かなりの時間がかかる。焦っていいことはないのに、自分が安心したいだけで苦しみの中にいる相手に「早く早く」言ってしまっていないか、気をつけなきゃいけないと自戒も込めて心から思う。

 こういうドラマでの描き方ができるまでには、どれだけ被災者の話を聞いてきたんだろう。被災者そのものずばりでなく、その被災者の周りで苦悩する人たちに、ヒロイン(とその父)を設定するなんて、なかなか考えている。

 実際に、内陸の方たちは、被災県であっても自分たちを「被災者」と位置付けることにためらいがある人もいたようだった。

 津波を見たか、見なかったか。それがドラマの姉妹をも分断した。

 「お姉ちゃん、津波見なかったもんね」との妹・未知の言葉に、あの日のモネは自分がノックアウトされてしまってその真意がつかめなかったけれど、ちゃんと違和感はおぼえていたから最後の最後に妹に「あの日、何があったの」と尋ねることができた。

 ここで、まさかの「おばあちゃんを置いて、逃げた」。津波を見たからこその闇落ち。こんなにも大きな楔を打ち込まれたまま、みーちゃんは生きてきたのか・・・と呆然とするような展開だった。

 これは辛い。でも、大人たちに助けられておばあちゃんは体育館に避難していた。だから、助かったんだからと誤魔化すこともできたのに、みーちゃんは正面から悩んできたところが切なかった。

 自責の念は厄介だ。私も、亡き息子クロスケの件では今も苛まれている。それを受け止めるモネの言葉「みーちゃんは悪くない」が、支援の場では正解として知られている言葉だったので、ちょっとまたびっくりしてしまった。

 モネは、本当にベテラン支援員さんのよう。

 自責の念にほぼ悩まされると言っていい、性犯罪被害者の方たちにかける言葉として「あなたは悪くない」が提唱されて久しいが、それがこうもすんなりモネの口から出てくるとは・・・。モネ、どこで支援を学んだのだろう?

 いや、モネだけじゃなかった。二次被害、三次被害に困らせられてきた被災地の方たちが見ることを意識すれば、こうやってちゃんと考えたドラマになるんだろう。心の傷に苦しむ人たちに接するにはこうやってみるといいんだよ、という一例を見せてくれるような、本当に難しいことにチャレンジしたドラマだった。

 ドラマが全て正解、という訳ではない。リアルに被災地に生きている方々には、色々と言いたいこともあるかもしれないし、考えることがあって当然だろう。私も、以前にちょっと被災者から話を伺っていた期間があっただけで、実際には何も知らない人間だ。

 しかし、あのモネと未知の姉妹を演じたふたり、清原果耶と蒔田彩珠が、まだ19歳と聞いて本当に空恐ろしい。

 ということで、まだまだモネの世界から離れられない。モネと菅波先生、みーちゃんとりょーちんのそれぞれの未来がまだ見てみたい。スピンオフでも第二弾でも何でもいいから、ゆっくりでいいから、続きをお待ちしています。(敬称略)

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