黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

瀬戸内寂聴さんを悼んで

「源氏」について、25年前にインタビュー

 作家の瀬戸内寂聴さんが99歳で亡くなったと聞いた。現役時代のスクラップをひっくり返して確認してみたら、インタビューをさせていただいたのは瀬戸内さんが74歳の1997年3月か4月。ちょうど四半世紀、25年も前の話だ。

 (以下、四半世紀前の話なので、現代的なLGBTQ的基準には合わない部分があるかもしれないが予めご容赦を。)

 記事は「NHK to feature women of 'Genji'」というタイトルで英字紙に載った。話は日本語で聞いたのだけれど、英文にしてしまったので寂聴さんの言葉そのものが残っていなくて残念だ。さすがに取材メモは処分してしまったし。

 記事は、寂聴さんが現代語訳に取り組まれた関係で、紫式部の「源氏物語」に描かれる女性たちについて3か月のシリーズで語るという、NHK教育(当時)の「人間大学」という30分番組についてのものだった。高校以来「源氏大好き」の私は喜々としてインタビューさせていただいたのだった。

 番組で寂聴さんが取り上げたのは、紫式部桐壺の更衣藤壺の女御、葵の上、紫の上。作者と、作品の主な女性登場人物の面々だ。寂聴さんは、物語が展開する場所も番組で訪ねるという趣向で、幼い紫の上と源氏が出会った京都の鞍馬寺なども行かれたのだった。

 寂聴さんは、「源氏物語」がインモラルでスキャンダラスな単なる光源氏の恋愛遍歴についての話だと儒教的価値観から見做されていたのは不幸なことだとおっしゃり、中国の古典と仏教に精通した紫式部によって多様な人間模様が描かれていることと、平安社会を知る価値ある記録であることを評価されていた。

 権力ある男たちによる表の公式記録は欺瞞に満ちているけれど、女の手によるフィクションの物語には世の真実が書かれていると・・・皮肉だけれども面白い。

 そして、当初番組についてNHK側(ほぼ男性)と話をした時、源氏物語の女性キャラクターを取り上げたいと言ったら興味を持ってもらえず反対されてしまった、なんてこともおっしゃっていた。

 特に個人的に興味深かったのが、寂聴さんが「I noticed one very unusual thing」とおっしゃった点。物語に出てくる光源氏を巡る女性たちは、あの宗教がインパクトを持つ時代に固い決意を持って次々と出家を望んで尼になっていくのに、光源氏は口では出家を望みながらもそうしない。ポーズに見える。

 寂聴さんが出家されている身だけに、気になったのだろう。

 記事中で寂聴さんのコメントとして書いたのは「Lady Murasaki intended to show women how to overcome their unavoidable agony and their unhappy fate, in order to save themselves」という点だ。どんなに身分が高かったとしても、あの時代、生き方が縛られていた女性たち。出家によってその深い苦しみから自由を得られる道を紫式部は指し示したのだ。

 物語の最後、思慮深い薫でさえ浮舟の尼になりたいという苦しい気持ちを理解しない。他に恋人でもできたのか、などと疑うのだ。変な終わり方だという人もいるけれど「計算された皮肉」としてそんな終わり方になっている、と寂聴さんはおっしゃっていた。

 物語を読む限り、当時は、あの世へと無事に成仏するには出家するなり、戒を授かるなりすることが死ぬ前に必要だと信じられていたらしいけれど、私も、紫の上の死に際にどんなに出家を望んでも光源氏がそれを認めようとしないことに対して、紫の上が自分の極楽浄土への往生を諦めて光源氏のわがままを受け止めようとする慈愛に満ちた心が忘れられない。

 話は飛ぶのだけれど、萩尾望都の「トーマの心臓」でのトーマがユーリのために翼を諦めるのと似てる、と思った。相手への深い愛が自己犠牲をいとわない気持ちにさせるのだ。

 トーマの話までは寂聴さんとは多分しなかったと思うけれども、そんな感じで延々と「源氏物語」について話をしたのだった。

 インタビューはマンツーマンで、思えばなんて贅沢な。寂聴さんは、私のくだらない疑問「なんで藤原道長紫式部に書かせているのに『源氏物語』であって『藤原物語』じゃないんでしょうね」にも「あらまあ、考えたこともなかったわ」と面白がってくださり、私も半ば仕事を忘れる楽しい時間だった。

 でも・・・今思うと、寂聴さんの有難みが分かってないインタビュアーだったと反省している。

 何しろ、寂聴さんご自身については圧倒的に勉強不足で、寂聴さんの作品は400もあるというが、インタビューまでに読んでいたのも1つか2つ。「源氏物語」についても、現代語訳でしっかり読んだのは円地文子の手によるものぐらいで、谷崎潤一郎版、田辺聖子版はあまり肌に合わず途中で挫折。寂聴版は未だにちらちら見た程度だ。いつかちゃんと読みたいとは思っていたのだったが・・・。

 寂聴さんは、ご自分の現代語訳を底本に、誰かが新たに英訳源氏を作り上げてほしいと希望されていた。気になったのでググってみたら、英訳どころか、抄訳も含めてモンゴル語、ハングル、アラビア語もちゃんとあるらしい。(『源氏物語』翻訳史 – 海外平安文学情報 (genjiito.org)

 不甲斐ない私以外に、ちゃんと寂聴さんの現代語訳を生かしている方たちがおいでだったことに、何やらホッとした。

 寂聴さん、その節はありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。合掌

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