黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

公式「否定」なければ民意が食われる

ようやくの方針転換

 天皇家敬宮愛子さまが成年を迎えられた。今朝、テレビで拝見したローブデコルテ姿はお美しかったし、実に大人の表情をされているように見えた。怜悧ながらも温かいお人柄にも見えた。おめでとうございます。

 先日の記事「丸腰の内親王、名誉を守るには - 黒猫の額:ペットロス日記 (hatenablog.com)」の中で、元内親王の小室眞子さんのケースについて、以前『被害者ノート』に書いた報道対応の部分を念頭に、触れてみた。

このネット・SNS時代に、皇族を守る仕組みがあまりに古くて手薄で、お母さんの元婚約者側(に付いた週刊誌)の情報操作に負けた、ということではないか

 報道などについて「反論も否定もしない」という昔ながらの「有名人の有名税」対応では、もう皇族を守るにはあまりに不十分だと、一般人の私の目には見える。

 常に渦中の、まさに衆人環視の人生を送ってきているのだ。そこにSNSやネットでのバッシングもあれば、メンタルをやられない方が難しい気がする。

 上皇后さまの失声症、皇后さまの適応障害愛子さまの拒食症、そして眞子さまPTSDと、傍から見て知られているだけでもこれだけ惨憺たる女性皇族の被害者を出してきた皇室。ようやく、古い「反論も否定もしない」というその方針から、転換がはかられそうなのだと聞く。

 ちょうど先の誕生日会見で秋篠宮さまが言われた中に関連の話があったので、文字起こしをしている媒体から、少し長いけれど引用してみたい。

秋篠宮さま】
いろいろな報道がなされて中にはバッシングと取れるものもあります。

それらのことについて1回ごとに対応しないというのは、記事というのはある一定の長さがあるわけで、その中の一つだけをこれは違うというふうにして、例えば宮内庁のホームページに載せたりとかそういうことをした場合に、それではほかの事柄については全て正確なことですねということになり得ると私は思います。

一方で先ほども少し近いお話をしましたけども、記事の中にはもちろん創作もあれば正確なことを書いていること両方混ざっているわけですね。

一つを採り上げてそれは違うと言うこと、もちろん言うことはできますけれども、そうしたらやっぱり、ここも違うし、これは正確だしというのを全部説明していかないと本当はいけないのではないかなと思うのですね。

ただ、それは大変な労力を費やすと思います。

一方でもし、そういう今言われたような関係の記事に対して反論を出す場合にはですね、何かやはり一定のきちんとした基準を設けてその基準は考えなければいけないわけですけれども、それを超えたときには例えば反論をする、出すとかですね。

何かそういう基準作りをしていく必要が私はあると思います。

今、おっしゃったように今後もこういうことは多分続くでしょう。

その辺も見据えて宮内庁とも相談しながら何かその今言ったような基準であるとかそういうものをですね、考えていくことは私は必要だと思っております。

雑誌やネットでの誹謗中傷「許容できない」 秋篠宮さまの会見全文:朝日新聞デジタル (asahi.com) 2021年11月30日付)

誤報に浸食される民意

 大変失礼ながら・・・軽く考えすぎなのではないだろうか? 何をのんびりしたことをおっしゃるのだろう。あのような、娘の鬼気迫る会見を目の当たりにしたばかりの父の言葉とも思えない。

 誤報の否定は、最低限、皇室のパブリックイメージを守っていくためには欠かせない、大切な仕事だ。

 一般国民は、誤報なのか事実なのか確かめようがなく、真偽が分からず迷う。だから、迅速に×を表示してほしい。これを軽視し疎かにしたままでいれば、正誤が不明なまま放置された民意は、長期的には誤報の側に浸食されていくだろう。

 主権者は国民なのだから、民意が誤報に影響されて皇室から離れていけば、今後の皇室の存続にもかかわることになりかねない。それが心配だ。

機械的に「ちがいます」

 だから、どんなに労力が必要となろうとも、降りかかった誤報の火の粉は丁寧に1つ1つ「ちがいます」と言い続ける必要があると思う。面倒がっている場合ではない。宮内庁に専門の職員を複数人置いて、本腰を入れてきちんとやるべき事柄だろう。

 何も、毎回ご丁寧な説明を加えなくてもいい。とにかく、誤報をまずは否定。誤った報道なりが見つかるたびに機械的に「事実ではない報道等」として、ウェブサイトに片端から掲載していけばいい。

 掲載すべきは年月日、媒体名、見出し、事実ではなかったり誤解を招く部分。オプションとして、必要なら備考で説明を。否定しても誤報が継続するようなら反論。それをやってみたらいいのでは。

 秋篠宮さまが危惧している「それ以外は正確なんですね」と取られる点についても、表の冒頭に断り書きを1行書けば済むことだ。「必ずしもそうではない」「見つかり次第掲載する」と。そんな心配をするよりも、まずはやることだ。

「否定」は国民への情報提供

 こうした「否定」の作業に対して「言論の自由を慮ってやらない方が」などという声が出るようであれば、それは違うと言っておきたい。これは、メディアに対しての敵対行為ではなく、単なる「皇室から国民への情報提供」の一環だ。見ている方向が違う。

 情報は、質の良いものが迅速に出されれば、質の悪い信頼できないものは消えていくものだ。SNS時代だから悪貨も残りがちだとは思うけれども、だからこそ、伝播させる前に迅速に、公式に情報提供することが必要だろう。

 この1つ1つ火の粉を払う行為が手間がかかるのはその通り。でも、それをやらないと、皇族方、特に女性皇族の心の健康は守られないだろう。少なくとも「ちがいます」と公式に情報提供があるだけで、ちょっとは安心できるのではないか。

 私は、同じ世代の紀子さまが心配だ。彼女が心配したであろう通りに、娘は満身創痍で家を出て行った。内親王の結婚なのに、悲しすぎる。

 もう、般若のような表情で(元)内親王が記者会見する姿など見たくもない。結果的に、国民を敵に回してしまったとの指摘もあるくらいだし。

皇室情報の交通整理は宮内庁の仕事、環境づくりを

 あそこまで眞子さんを追い詰めたのは、宮内庁が適時適切に否定するべきをそうしてこなかったからだと、勝手ながら思っている。未だに、週刊誌情報のどの部分が眞子さんの指摘した真実ではない作り話なのかが、私にはわからない。

 秋篠宮さまもそうだけれど、宮内庁も、自分が強い立場でいざとなればご自身で発言できるから想像ができないのだろうか。いや、そんなことはないはず。最悪、皇室から自殺者が出たらどうしようと恐れおののいているはずだ。

 今後も、皇族のお相手がスキャンダルまみれになっても宮内庁が黙ったままでいるようでは、誰も皇族とは結婚したいと思わないだろう。

 「そもそも、スキャンダルにまみれるようなお相手を選ぶからいけない」との声は当然あるだろうけれど、この世の中、聖人君子や神様だけが生きているとは思えない。過ちを犯すから人であり、お相手ともなれば、過去から洗いざらいさらけ出される中で、針小棒大に伝えられることもあるだろう。それに乗じて作り話も。

 国民に対して、皇族が巻き込まれた事がらの情報を整理整頓することは、宮内庁の役目であることは間違いない。彼らがちゃんと仕事をできるように、法規的な環境づくりは待ったなしだ。