黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

「カムカム」るいの「天下御免の向こう傷」

荒唐無稽な不幸のもたらし方

 NHK朝ドラ「カムカムエヴリバディ」第12週が終わった。2代目ヒロイン「るい」の運命が、また動き出しそうだ。

 どうやら恋人のトランぺッター・ジョーは、場面緘黙症みたいな感じなのかわからないけれど、体に不調はないのに得意のトランペットを吹けない設定で、せっかく関西一のトランぺッターに選ばれた栄誉をふいにしてしまった。

 あのトミーとの最終セッションのシーンは素晴らしかった。実際はプロのジャズメンが演奏したのだと思うけれど、NHKプラスで何回か聞きなおしたほどだった。

 さて、東京でのレコーディングとデビューコンサートを控えて「るい」にプロポーズしていたジョー。彼の、戦災孤児からトランペット1本で身を立ててきた生い立ちを考えると、そのジョーからトランペットを奪ってしまうことが何を意味するのか。

 しかも、ジョーの幼少期を支えて戸籍まで世話したのは「安子編」で初代ヒロインカップルを見守った定一さん。視聴者はジョーの成功を願い、応援したくなる仕掛けがバッチリだ。

 (当時の戸籍は手書きでは?というツイートを見た。かつて和文タイピストでジョーと同い年の母が、法務局の仕事で大量に手書きから打ち直していたのは30代~40代だったように思うので、ジョーが20代前半なら手書きなのか? でも、戦後新たに戸籍を作った場合だから、タイプ打ちなのかも・・・どっちだろう。)

 人生とイコールであるだろうトランペットを失ったジョーには絶望しかないだろう・・・と思ったら、次週(第13週)予告では想定通り、彼が海に身を投げるかのような&トミーの車で駆け付けた「るい」が身を挺して止めに入るようなシーンがあった。

www.nhk.or.jp

 「人の不幸が好きなんですね」と誰かがつぶやいていたけれど・・・この朝ドラ、本当にそうだ。

 「カムカム」の、安子とるいにとって「良い人」キャラたちに、どうも定型的なお決まりの記号のような、現実味の薄さを感じてきたのだけれど、それは、100年を描くためのスピーディーな話運びでどうしても平板になるせいかと思っていた。

 しかし、そうではないのかも。この脚本家が描きたい本質は、ヒロインの幸せにはなく、むしろ幸せから不幸に落ちて苦しむ部分ではないだろうか?

 だから、良い人キャラたちの担う部分が、不幸の前振りにヒロインにちょっと幸せをもたらすだけのおもちゃ箱の住人のような役割に終始していて、どこか深みを感じられずに記号のように見えたのかもしれない。

 動物番組で「かわいいな~」と思って見始めた頃に天敵に捕食されるシーンが流れて言葉を失うような・・・感情移入する視聴者を嘲笑うかのような、主人公の幸せが不幸に暗転する状況をバンバン提示して「どう、面白くなってきたでしょ」とか? 

 ということで、荒唐無稽なほどに不幸を持ってきますよね。トランぺッターだから、右手の指が痙攣でもして操れなくなるのかな?と思ったら、あの原因不明ぶりでは・・・現代のお医者さんの見解を聞いてみたい。

 「安子編」の後半が不幸の連続になったことを考えると、「るい編」でもここから不幸のオンパレードになるのかもしれない。「はい、みなさんお待ちかねの・・・ルンルン」じゃない。朝ドラなのに。

 いやはや、脚本家って大変なご職業だ。人の不幸を面白がらねばならないとは。

「適切な距離」を保つクリーニング店夫妻

 先ほど、「土曜スタジオパーク」に竹村平助・和子のクリーニング店主夫妻を演じている村田雄浩と濱田マリが出演していた(敬称略)。「ふたり合わせて平(助)和(子)です~」だそうだ。

 なるほど、店主夫妻のご登場は平和な場面が主。夫婦漫才は楽しめた。トミーと「るい」の会話の再現は大笑いした。

 でも、土スタに出るということは、来週はもう退場なのか? 確か、安子役の上白石萌音もそうだった。今までの流れではそんな感じがするが・・・だとすると大いに残念!

 土スタは終わりまでは見なかったが、濱田マリが気になることを言っていた。竹村夫妻は、「るい」と適切な距離を保っている、そんな話だった。

 そうだよね、おもちゃ箱の良き住人は、ヒロインには無闇に立ち入らない。事情なんか聞かないで、ただ受け入れる。前述したように、これから迫りくる不幸に備え、ただ距離を取って便利にかわいがるのが役割だから、決して入り込まない。

 そういう表面的な関係をキープできる状況は、何か都会的で現代的だ。何でもかんでも詮索されがちな、プライバシーお構いなしの昔の濃厚な人付き合いとは、ちょっと異質な感じ。そこが現実離れしておもちゃ箱に見えるのかも。

 「カムカム」では、そうやって「人と人との間の境界線」を弁えている良き人ばかりが周りを固める世界が展開されているのだが、そうあってほしいという脚本家の願いなのかもしれない。

るいの「向こう傷」は境界線にある踏み絵

 その境界線上で、踏み絵の役割を果たしているのが「るい」の額にある傷だ。いわゆる、相手を怯ませる「天下御免の向こう傷」に正になっているんだなあと、チャンバラ映画のシーンを見ていて思った。

 彼女は、小さい頃から誠に有効にあの傷を利用している。人を攻撃する能力があることは、母親・安子を撃退した時に実感したのではないか。

 「I hate you」と言いながら向こう傷を見せた「るい」。いったいどこで、人の自責感を刺激するというアザトイ卑怯な振る舞いを学んできたの?と思う。

 弁護士の卵は、「るい」が望んだわけでなく偶然だったけれど、あえなく撃退されていた。そして「るい」の心の境界線にムリムリ踏み込もうとしたベリーも、やっぱり傷をチラ見せされる反撃を食らったことで「ごめん」と素直に謝罪するはめになり、引き下がった。

 向こう傷によるPA攻撃炸裂だ。

 その間、「るい」は無言だったような?すごい効力だ。その後、優しい素直なベリー(すっかり推し)は、サッチモ!と呼び捨てしながらも応援する側に回った。

 そうそう、クリーニング店の和子さんも、傷を見せられて「大事にしてあげような」と一撃されていたし、ジョーも、優しく「るい」を抱きしめることになった。

 そうやって、自分に安全な人なのかそうでないのか、踏み絵を踏ませることができる、ふるいのように機能する向こう傷。前のブログで触れた時に「そんなに見られたくないならハチマキでも巻いておけ」と書いたけれど、実は、こんなに有効なPA攻撃のできる武器を「るい」がしまい込むわけがない。

toyamona.hatenablog.com

 おじいちゃんに勧められても「雉真家に縛り付けられるようで」手術を拒んだという話だったと思う。

 確かに金銭的に縛り付けられ自由を失うのを恐れたのかもしれないけれど(そんな子どもがいるのかな・・・)、安子を撃退した効力を見て、孤独に生きる「るい」は天下御免の向こう傷を手放したくない気持ちもしっかりあったのではないか。

 それは、弱い立場にあったのだから自然なことだろう。PA使いすぎはどうかと思うが、責められないのかも。

   もちろん、全て「るい」のような人がリアルに生きていたとしたら、の話だ。

 弱みを見せた人を攻撃すると社会から「人でなし」扱いが待っているので、傷を見せられれば大抵は人は怯み、攻撃を止める。今は変わったかもしれないが、実際に女性の顔の傷は賠償請求する時に男性よりも等級が高かったような?社会的にも、そう評価されたものだったわけだ。

 幼少期を除いて「るい」が岡山を出るまでの人生はドラマでは描かれていないけれど、「るい」は、ここぞという時には額の髪をまくり上げて傷を見せ、「どうだ!」とばかりに敵を追い払って黙らせてきたのではないか。

 「日本はPAの国」と、昔ブログのどこかで書いた。ベリーのような気持ち丸出しの振る舞いは馬鹿を見る。むしろ自責感を突かれてモヤモヤさせられるPAの方が、控えめで賢い振る舞いとプラスに評価される。

 個人的にはPAを繰り出す人は信頼できないけれど、社会はそうだから仕方ない。

 「るい」のようなPA攻撃に遭遇したら逃げるが勝ち、優しい常識的な人たちはみんな「るい」の味方になるのだから。反撃すれば不利なだけだ。身を引いて喝さいを浴びたベリーはさすがだ。「るい」の思う壺ではあるけれど。

英語講座はどこに・・・?

 さて、来週からはまた「あんこ」が出てきて和菓子店に行きたくなるような今川焼らしきお菓子「大月」が登場するらしいが、英語講座はどこに行ったのだろうか?

 安子のこともあるので、余程のことが無ければ「るい」は、未来永劫英語講座になど関わりたくないだろう。英語を学ぶ必要性が出てくるとすれば・・・ジョーがアメリカに行くのではないか?

 佐々木希が彼氏(?)のことを簡単にあきらめるはずがないので、アメリカ帰りの医者にも相談していたようだし、ジョーがアメリカに渡って治療を受ける算段を付け、渡米するように誘ってくるのではないだろうか。

 ジョーの治療のためにと考えて渡米を勧めるも、「るい」は子ども(ひなた)と日本に残るのか?そうだとしたら・・・まだベリーは出てくるようなので彼女に注目しつつ、「るい」と英語講座の関わりを横目でながめていようと思う。