黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

「鎌倉殿の13人」なぜ曽我兄弟は石を投げた?

山の神は金剛(泰時)を祝福した

 今期のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、6/12に23回「狩りと獲物」が放送され、有名な「曾我兄弟の仇討」が重要なモチーフになって話が展開した。(以下感想、がっつりネタバレです。ご注意を)

 頼朝が自分の後を継がせて二代目鎌倉殿にしたい嫡男・万寿。そのお披露目の場として催された富士の巻狩り。しかし、万寿は狩りの方はてんでダメで、軽々と猟の成果を挙げたのは義時の長男「成長著しい金剛」の方だったわけだが、この「成長著しい」というテロップには笑った。

 それもそのはず、前回の子役からいきなり、大人の役者・坂口健太郎(30歳)になったから、違和感はありあり。当時、金剛はリアルで満9歳だったそうだし、本当にNHK大河は役者にも視聴者にも無理をさせる。で、その言い訳にも見えたテロップだった。

 古くは「江」の上野樹里とか・・・幼い江は上野樹里が別番組で演じていた「のだめ」のようで、見ている方が困ったのを思い出す。

 しかし、頼家と泰時の行く末を考えると、狩りの成果の描き方は感慨深かった。

 一方の万寿・頼家は、はかばかしい実績もなく悲劇的に歴史から退場していくから、狩りでも苦戦。もう一方の金剛・泰時は、御成敗式目の制定を始め多くを成し遂げる3代目執権となるから、獲物も面白いように獲れていた。

 ということで、ドラマでは、山の神は名宰相となる金剛の未来を盛大に祝ったことにしたのかな。なるほど。

 また、万寿が放った流れ矢が、比企能員に命中したのも何か暗示的だった。これから暗躍しようとする比企を、神がやめろと止めたのか。万寿も比企も気づかないけど。

 この巻狩りパートは、周囲が大人の事情で万寿を成功させようと四苦八苦、右往左往して、また「俺たちの」金剛がマイペースで、色々と笑えた。梶原景時の「死屍累々」が義経ロスを病み過ぎてて良かった。

 そうそう、万寿は事件後の采配は「お見事」だった。今後、ドラマでは暗君とは描かれないようだ。それなのに抹殺されるんだね、その運命を考えると悲しい。

 では、幼い曽我兄弟は、なぜ工藤祐経に石を投げた?

 さて、曽我兄弟の討ち入りの話は・・・ドラマでは、表向きは坂東武者として誉である親の敵討ちのはず(北条時政パパが騙されて手を貸した)が、実のところ曽我兄弟が狙っていたのは源頼朝の暗殺だった、という内容になっていた。

 この兄弟の暗殺未遂事件を、「敵討ちを装った謀反」ではなく、「謀反を装った敵討ち」であると転換させて幕引きする策を持ち出したのが主人公・義時だった。兄弟の決死の志を踏みにじって。

 こういう策士ぶりが、頼朝に似てきたところ。義時が、ポーカーフェイスで繰り出した策、その息子の「成長」を信じられない思いなのか、厳しい目をして無言で見送った時政パパの表情が印象的だった。

 この脇の甘い情の深いパパが、いつ変貌していくのだろう。今回、烏帽子親だからと曽我五郎に情けをかけたことでまんまと利用されて北条を危うくしかけたことが、心境の変化につながるのか。

 そういえば、頼朝が平泉で主人・藤原泰衡を裏切った河田次郎をすぐに斬首させて「これからは忠義が大事」と言っていたことは、今回の事件処理策の伏線だったのかもしれないと思った。

 頼朝は当然ながら不名誉な謀反が起きたことにされるよりも、忠義の流れに沿った敵討ち事件が起きたことにする方がいいに決まっている。曽我兄弟にとっても敵討ち成就とする方が、名誉であるはず。義時の策は双方ウィンウィンだった。

 しかし、討ち入り後に「稀なる美談として末代まで語り継ごう」と頼朝に言われた際、弟の曽我五郎時致は「ちがう」と大声で反論し、「(没落した伊東家の長だった祖父の)祐親を死なせたのも、坂東をおかしくしたのも頼朝なんだ」と、あくまで狙いは父を殺した工藤祐経ではなくて頼朝の方だったと言い張った。

 でも「そうすると、なんで子どもの頃に工藤祐経にしつこく石をぶつけていたんだい、君たち兄弟は・・・」と見ていたコチラは突っ込みたくなってしまった。第何回だったか。

 だとするならば、むしろ幼少期の兄弟が工藤祐経に逆に懐いているシーンでも出しておけば良かった。それを見た八重さんが「父の仇なのに」と思いながら眉を顰めて小四郎に愚痴るとか。それなら「祐経には大して恨みもなく育ち、伊東を没落させた黒幕は頼朝の方だとして憎悪を募らせたんだねー」と納得もするんだけれど・・・。

 やっぱり通説の言う、祐経も第1のターゲットになり、そして第2のターゲットは頼朝だったという方がしっくりくる。ドラマのような、偶然に工藤祐経を討てたという解釈にしたことについて、泉下の曽我兄弟は怒らないかな?

 兄の十郎が、例の「十番切」無しでいきなり仁田忠常との斬り合いに突入してしまったのも(えー、そんなあ)と思ったポイント。あの源義高の従者だった彼が海野行氏になったとすると、十番切の勝負の中でまた見られるのかな?と少し期待していた。残念。

 時政パパに頼まれて頼朝の宿舎を守り、曽我兄弟のグループと戦ったのも、ドラマでは武士の鑑・畠山重忠。そこで戦い始める前に、北条の兵に先ずは「北条殿が引けと言われている」と伝えるとかしないのかなあ。大体、仁田忠常がおかしいと言い出した時に、なぜそのまま北条の兵は五郎に付き従ったのだろう。そこも違和感。

 そうじゃないのになあ、と関係者を先祖に持つ人たちはテレビの前で悔しがったかも? 有名な仇討事件だけに、そんなことを思った。

来週は蒲殿が進退窮まるのか😢

 予告では、頼朝が「儂を説き伏せてみよ、範頼!」と怒気たっぷりに怒鳴り、範頼を演じる迫田孝也がうなだれる顔が映り、義時が「言いがかりにございます」と言っていた。

 その前に文官の大江広元が「正しいことが分からぬまでは動かぬようにと言ったのに、まるで次の鎌倉殿のように」範頼が振る舞っていたと頼朝に報告してしまったのは痛恨の一撃だったはず。

    次回で、範頼は進退窮まってしまうのか?とうとうか。

 富士の巻狩りだって、万寿(頼家)の二代目鎌倉殿として相応しい嫡男であることをお披露目する設定だったわけで、誰が鎌倉殿になるかというのは頼朝の逆鱗に触れる超微妙な重要ポイントだ。

 だから、大江広元、そんな言い方しないでおくれよ・・・もう朝廷に手紙出しちゃったのかな、三善康信・・・おっちょこちょい設定だったよね。ああそうか、これは2代目から3代目に移るときに実際に起きることだよね。まだ死んでないのにそう朝廷に伝えてしまうって。

 とはいえ、こうなってしまったのも、巻狩りでの頼朝の寝所が襲われたことを聞いて「鎌倉が滅びますぞ」と範頼を脅しつけて鎌倉殿就任を煽った比企能員のせい。

 「時が無いのが分からぬか」とまで真剣に悩むに至った範頼。比企のニヤッとした顔が気味が悪かった。比企家の娘をお嫁さんに範頼はもらっているから、万寿が死んでも、一族の婿殿が出世してくれたら安泰・・・という汚い期待があるんだね。

 やっぱりね、歴史は動かせないものね、と義経ロスも治りきらないまま多くの視聴者は悲しく思ったことだろう。蒲殿の退場は近いようだ。

 「真田丸」の三十郎で初めて認識した蒲殿の中の人・迫田孝也は、真田丸以降もあちこちでずいぶんと「出たがり」に見えていたので(失礼!)、今回の蒲殿のように控えめな紳士を演じるのはギャップがあるよな~と思っていた。でも、ちゃんとカバ殿している。良かった。

 それだけに、退場を惜しむ人も多いだろう。既に前回、比企に水を向けられて「兄上あっての私」と担がれるのを否定したカバ殿。義高や義経の末路を見ていて、頼朝に反抗するための神輿を探している人たちにうっかり担がれないように、きっと用心に用心を重ねてきていただろうに・・・鎌倉が滅びるまで言われちゃったらねー。

 そういえば阿野全成も、妻の実衣に「不届きなことを考えるのはやめろ」と警告していた。比企にしろ実衣にしろ、「運を引き寄せたい」と考えて心を躍らせてしまうのだろうけれど、蒲殿や全成の場合は、血筋的に万寿に取って代われる存在だからこそ命の危険に直結する。軽々しく言えることではないのだ。

 ましてや全成夫妻が育てている万寿の弟・千幡はさらに強力だけに危険。全成は二重の意味で危険なのだろう。出家していただけに慎みがあって良かった。

 頼朝の実の弟のふたりは、頼家の世を盤石にするために命を散らすことになっていく。ドラマには登場しないけれど、他にも実際は潰されることになる源氏の血筋もいるそうだし・・・南無阿弥陀仏。

気になる岡崎義実

 前回「義時の生きる道」では、上洛後の飲み会で蒲殿を囲んでいた中に岡崎義実がいた。彼は、曽我兄弟が敵討ちしか知らせずに時政パパから兵を出させ、実際は頼朝を襲撃することで時政パパをはめるつもりであることを、比企に伝えていた。ヤクザの親分が他の組をはめる話をしているみたいだった。

 その時、岡崎義実は曽我兄弟の義理の父・曽我祐信が幼なじみで兄弟を支援しているのだと言ったようだった。それで襲撃事件に彼も1枚噛んでる訳?じゃあ祐信も?・・・それはないよね。その後にも処分されてないし。

 曽我事件の後、蒲殿が粛清され、その関係で処分されたかと噂される御家人も多気義幹などいるそうだ。頼家を安泰にするための、蒲殿を支える御家人に対する頼朝による処分か。その中に岡崎義実もいたということなのだろうか。

 國村準が演じ処刑されていた大庭景親がいたが、その景親の兄・大庭景義は、ドラマには出てきていないのだけれど、討ち入り事件後に義実と同時に出家させられるそうなのだ。ウィキペディアには「建久4年(1193年8月24日に義実は大庭景義とともに老衰であるためとして出家入道した」と書いてある(岡崎義実 - Wikipedia)。

 老衰って・・・何かとても不自然だ。

 こういった点が、来週の蒲殿失脚のプロセスで描かれていくのだろうか。図らずも、曽我事件によって明らかにされてしまった万寿(頼家)のライバルたちや争いの種。それを頼朝が粛清にかかる。天の声が聞こえなくなった頼朝の終焉も見えてきた。ドキドキしながら来週も待ちたい。

(敬称略)