黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

「鎌倉殿の13人」政治家の妻の悲しみ

大河ドラマを思い起こす、安倍晋三氏の死

 先ほど、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第26回「悲しむ前に」の土曜昼の再放送を見た。昨日、元首相の安倍晋三氏が亡くなったと知ってからこのドラマを見ると、フィクションの世界だけれど、不思議なデジャブを日曜夜に見ていたような気がした。

 安倍氏は、7/8の昼少し前に参院選の応援演説中に狙撃され、夕方5時過ぎに亡くなったと報道があった。信じられない。元自衛官(41)が、手作りの散弾銃を使い、SPに厳重に守られていたはずの安倍氏をスナイパー張りにあっさりと銃撃したのだった。

 襲撃時の様子を画像で見ると、犯人は直前まで聴衆に溶け込んで拍手なんかもしていて、そこら辺にたくさんいる望遠レンズ付きカメラを持ったカメラマンと変わらないたたずまい。ゆっくり円を描くように歩き安倍氏に近づく様が自然で、殺気も感じられないまま5メートル程度にまで近寄っていたように見えた。そこからの銃撃だった。

 鎌倉殿の26回「悲しむ前に」では、25回「天が望んだ男」の終わりで落馬した源頼朝が、妻・政子の祈りや看病の甲斐もなく死んでいった。

 鎌倉殿という為政者の死を目前にして、姉の政子の心情を慮りながらも、陰でその死後の弔いの準備を粛々と進める主人公・義時。彼は、「大丈夫、顔色もいい。きっと持ち直されます」と政子には言いながら、裏では文官の大江広元らに鎌倉殿を頼家に継承させるための手続きを確認し、鎌倉の土木屋・八田知家に密かに焼き場の設営をさせていた。

 ドラマで心から嘆き悲しんでいたのは、政子と、幼少期から従者を務めていた安達藤九郎盛長、そして「この身を捧げて」一心に仕えてきた義時だけのように見えた。義時も、頼朝を憂いなく旅立たせるまではと心に決めて、涙をこらえていた。

 その他の登場人物たちは、身の処し方の算段に忙しい人たちばかり。時政パパが真冬なのに頼朝の回復を祈って水垢離を敢行し、あえなく頓挫したのがパパらしくてホッと和んだけれど、パパらしいのもそこまで。多くが、政治的にできる大きな空白、それを誰かが継いで安定するまでの変動期に、自分たちに少しでも有利な流れを引き寄せようと頭を働かせて動いていた。

 このように、ドラマの中で大政治家が瀕死の状態に陥り、政権移譲が進んでいく様をフィクションの世界で見たばかりだったのは、昨日の事件を思うと何という不思議な成り行きだったのだろう。

 安倍氏はもちろん現職総理ではないけれど、史上最長期間に渡り総理であった人物なのであり、影響力の大きい政権与党の実力者。党内最大派閥の長である。この派閥はリーダーを失って、どう変化していくのだろう。

 そもそも暴力や殺戮が当たり前の鎌倉時代でもあるまいに、著名な政治家が令和の現代に易々と暗殺されるだなんて、おかしな話だ。鎌倉時代と同等の、暴力のはびこる生臭い時代に実は我々は生きているのかもしれない事実を突きつけられたようで、私自身混乱して、受け止められない部分がある。

 むしろ、大河ドラマの頼朝は暗殺者に謀殺されたのではない。作中で比企能員が身構えたように、そう描かれる可能性はあったのだろうけれど、静かに死なせたいと脚本家の三谷幸喜は考えたそうで、病死路線が描かれた。

 頼朝は「糖尿病からの脳梗塞で落馬」のような、現代人っぽい亡くなり方。だから余計、現代の安倍氏の暗殺がどこか脳の奥で受け止められず、混乱するのだろう。

 いや、ロシアによる暴力が現在進行形のウクライナ情勢を思えば、そんな呑気なことも言っていられないはずだった。プーチンは、安倍氏の死で日本へ遠慮する要素が1つ無くなっただろう。

 安倍元総理が散弾銃で撃たれて心肺停止であることは、消防からの情報として早くに伝わった。昭恵夫人が既に覚悟を決めたかのようなグレーの服を着て病院に行くまでが約5時間。「ご回復を心からお祈りする」と表向き言いながらも、安倍氏が公式に亡くなったと発表のあるその時に備え、陰で走り回ったスタッフがきっと大勢存在していたんだろうなと、「鎌倉殿」の義時の奔走ぶりから想像した。

 安倍氏の死亡は、昭恵さんが病院到着後10分もしないで発表された。やはり、夫人の到着を待っての死亡確認だったようだ。ドラマの北条政子のように、昏睡状態の頼朝を看病する時間が与えられたわけでもなく、「これは何ですか?」と出会いの頃を思い出させるような言葉を夫の口から聞くことも、昭恵さんは叶わなかっただろう。全てがいきなり、何ときついことだ。涙涙だ。

 安倍氏の陰の部分をここでは触れないが、なんだかんだ言われながらも、仲の良いご夫婦だったと聞く。誰かが昭恵さんに無言で寄り添って、たくさん泣かせてあげてほしい。

 政治家の妻として、今は泣けないかもしれない。悲しむ前に、やるべきことが山積みだろうが、朝、家を元気に出て行った家族と、無言の対面をする悲しさは筆舌に尽くしがたい。夢中で物事をこなしている間はまだいいが、後から悲しみは押し寄せる。

 昭恵さんは事件被害者の遺族なのだから、ためらわずにプロの手を借りてほしい。警察から被害者支援員も付くかもしれないが、公益社団法人被害者支援都民センター はこういう時こそ頼りになる。

 もちろん、昭恵さんに限らず、都民が無料でサポートしてもらえる団体なので、これを読んだ方が万が一の時のために頭の片隅に入れておいてくれたらと思う。縁起でもない等と言わないで。

りく(牧の方)に踊らされた北条家

 伴侶に先立たれるということが、心理的にどれだけ大きなインパクトを及ぼすかはここで言うまでもない。

 「鎌倉殿」では、政子が「眠っておられるのです。縁起でもないこと言わないで」と昏睡状態の頼朝の回復を願って涙目で行動しているのが、悲しみを誘った。しかし、前述したように為政者の死を目前に、周りは浮足立っている。それが北条家中での亀裂にもつながっていた。

 北条家は、前回は勢ぞろいして餅を丸めるなど、和気あいあいと仲が良かった。それが、政子が人生最大のピンチに至って心を痛めている状況下、権力欲に憑りつかれ、政子への思いやりが家族から消し去られてしまったかのようで恐ろしかった。

 義母の「りく」は、いったいいつからこんなにも好戦的な戦略家なのだろう。宮沢りえが好演しすぎて、本当に嫌な女だ。田舎の武士に嫁いだのが悔しくて、上昇志向に火が付いたか。こんな「ランキングさん」の行き着くところは唯我独尊、他者と共存する道などは有り得ない。彼女にとって横並びは負けと同じだ。

 そして妹の実衣は・・・夫の全成と共に癒しキャラだったのに、闇落ちしてしまった。姉と行動を共にしていたら姉の悲しさ&しんどさはわかりそうなもの。それなのに、「次の御台所」をちらつかされて物事が見えなくなってしまった。何が「お見通し」だ。それまでは「信頼の薄いことではうちの夫も同じ」と冷静に見て、火中の栗を拾うことになりそうな夫の命を心配していたのに。

 全成も舞い上がって頼りにならない。全成は頼朝の実弟なのに、悲しみも薄そう。他の兄弟を殺されてきて、そんな感情は持つこともできなかったのだろうか。考えが浅そうなキャラではあるけれど。

 北条家は「りく」に踊らされてしまった。

「政(まつりごと)の子」と書く政子、後家として立つ

 現代でも、伴侶を亡くした遺族はこれでもかと取り組まなければならない手続きが次から次へとやってきて、おちおち悲しんでもいられないと多くの遺族から聞く。ジェットコースターのようだと言い、通夜葬儀の記憶が無い人もいる。

 平穏な病死でも手続きは目まぐるしいが、事件に巻き込まれたとなると、さらに手続きは増える。犯人が捕まれば、被害者のタイミングなど構わずに司法手続きが始まるからだ(最近は、多少考慮される部分も無いわけではないが)。取材対応もある。

 政子の立場は、想像するに現代の事件被害者の遺族ぐらいせわしないものかもしれない。いや、もっとか。鎌倉の坂東武者のトップに成り代わるのだから。

 鎌倉殿である夫・頼朝の死後、政子はこれまでとは立場が変わり、為政者の「後家」として、政治的な沙汰を下さねばならなくなったと義時は言っていた。タイトルにあった「悲しむ前に」、鎌倉崩壊を防ぐために創業者の妻は立つことを求められている。

 それなのに家族は頼りにならないし、弟・義時まで(これまでたくさん傷つきを心に秘めてきて、頼朝の死を深く悲しんでいることはわかるけれど)伊豆に帰ろうとしてしまう。それは無い。政子は孤立無援になってしまう。

 だから、義時に言われて腹を括ったのだ、卑怯だと弟に言いたくなる気持ちも分かるが・・・八つ当たりしても人に味方になってもらえるものでもない。助けてとお願いするしかないのだ。

 すぐ切り替えて、政子はそうした。

 頭の良い政子は、ちゃんと必要な時に必要な相手に「助けて」が言える。見極められるのは、現代でも社会を生きるには大切な能力だと思う。

 しかも、頼朝が捨てたと言いながら実は髷に忍び込ませていた形見の小さな仏像を義時にサッと握らせるとは・・・これを渡されて断れる義時ではないと、心理的にもちゃんと読んでいる。

 これだけの人物だから、御台所が務まるのだろう。「ふたりがいれば、鎌倉も安泰」と倒れる前の頼朝も言っていた。

 政子が、夫の死をきちんと悲しむことができるのはいつになるのだろう。政治家の妻である前に、ただ愛しい夫の伴侶として悲しみたいのは山々だろうが・・・そう思うと、見ているこちらも涙涙だ。つらい立場だけれど、試練を乗り越えていく政子を見守っていきたい。

 政子が「政(まつりごと)の子」との名前を持つのも、偶然ではなかったのではないかという気がする。「天が望んだ男」の妻は、やはり天が望んだ存在のように思える。

 

 最後に、ふたりの政治家に、合掌を。そして妻にはエールを。

(ところどころ敬称略)