黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

【ちむどんどん】【芋たこなんきん】また比べてしまった

平日朝のNHK総合にはもう近寄れない

 NHKの朝ドラ「ちむどんどん」を毎朝見なくなったので、朝のテレビ視聴習慣が変化した。特に頭痛を連れてくるハチャメチャな賢秀ニーニー、主人公の相手役である倫理観のない新聞記者・和彦(優柔不断を発揮しているうちに要らない女は都合よく去り、好きな主人公はその日のうちに告白してくれる)に嫌悪感が大きく、見るに堪えないので、うっかり目に入れないように朝ドラだけでなく「あさイチ」も見なくなった。

 つい先日も、放送は見なかったけれど「ちむどんどん」は一炎上した。「母親の不幸は息子と結婚できない事って言うからな」と訳知り顔に和彦の上司に言わせてしまって、世の母親の「そんなことあるか、気持ち悪い」「逆(父親の不幸は娘と・・・)だったら大問題」等といった大合唱を引き起こしたとか。

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 なぜそんなに生理的に気持ち悪い事柄が、真実のように語られているのか不思議だ。作り手はいったいどんな偏見を持ってドラマを作り、それを広めているのだろう。世の母親には迷惑な話だ。平日朝のNHKには近寄りたくない。

 「カムカムエヴリバディ」が放送されていた昨期は「カムカム」から続けて「あさイチ」を見ていた。それがルーティンだったが、今は、朝ドラ前のニュースが終わりそうになると、時計代わりのテレビを大慌てで消すかチャンネルを変えるように、いつの間にか、なった。

 「あさイチ」については、どうしても見たい特集はNHK+でチェックすればいい。そうすると倍速で見られるし、かえって助かる。

 で、その「ちむどんどん」は相変わらずみたいだ。実は、話の流れをざっと把握するため、土曜日の1週間まとめだけ見るようになった。ジョンカビラのイケボイス解説は、少しはオブラートに包んでくれる。

 とは言うものの、失礼ながら・・・「ちむどんどん」は主人公・暢子を始め、登場人物の成長や深みがあまり感じられないままだ。

 総じて勝手、自己中な人間たちがいつまでも「アキサミヨー」と単純に叫び合っているような世界。「え?これが沖縄あるあるなの?」と、見ているこちらは唖然茫然だ。小学生の子役が演じていた人物を、中身が幼いままで大人の役者が演じるチャレンジなのかな? 暢子もニーニーも良子ネーネーも、いったいいくつになったのだろう?

ちむどんネーネーキャラ設定に違和感大

 そして、前から違和感があった、主人公の姉・良子の「料理が苦手」問題が先週はクローズアップされていたようだった。

 ひとり親である母親が働きに出ていて妹2人がいる長女で、そして他人の事情などお構いなく、自分の空腹だけに忠実に「腹減った」と大暴れしそうなニーニーまでいる彼女の立ち位置。そう考えると、当時、彼女には料理は必須だっただろう。

 苦手だろうが何だろうが、四の五の言わずにとにかく食事の用意はしてニーニーを黙らせ暴れさせないようにして、面倒を避け安全に過ごすには選択肢は無かったはずだ。それを・・・苦手だ?そんな寝言をのんびり言えた状況なのか疑問だ。

 暢子という料理の申し子みたいな妹がいたとしても、火や包丁の危険性を考えたら、妹が成長してバトンタッチするまでの間は姉の良子がやらざるを得なかったはずで、あそこまでできない設定にしてしまうのは現実離れしている。良子を料理下手のままにして放っておくそんな余裕、極貧のはずの比嘉家のどこにあったのか。

 背景には、どうも作り手側の変なステレオタイプがあると感じる。女は勉強ができると料理はできないと頑なに信じてバカにしてかかる男ども(自分は作りもしないのに)が、ある世代には一定程度存在すると私は経験上知っている。それは考え違い。母なり妻なりコンビニなりに任せきりで実生活から遠く生きている人は、平気でそういうことを言う。

 端的に言って、料理は化学。フワフワした魔法でも何でもない。化学の実験をやるのと同様に、正確に手順を実行できる頭さえあれば、最低限の料理はできる。残るは慣れの問題にすぎない。

 桐島洋子の名著「聡明な女は料理がうまい」を読んでみたらいい。

 良子はクラス委員で勉強ができる設定だった。しかし、生活感のないガリ勉の秀才ではいられない。家事から無縁どころか家事をかなり期待される環境にいた。設定から、生活上のスキルとして料理はチャチャッと手際よくできるように成り行き上なっていたと考えるのが自然だ。

 そうじゃないと、家庭科でも優秀な成績は取れないし・・・。学校の成績が良いというなら家庭科でもそうだろうし、「化学の実験」はできたはずだ。

 それなのに、変な現実離れしたキャラ設定をしたものだ。先週のような「御三味(うさんみ)料理」という伝統料理を作るのは大変で見栄え的な部分は難しかったとしても、信じられないほどマズい物を作るのは普通はかえって難しいだろう。

 良子を暢子のようなプロと比べるのはかわいそうだとしても・・・確かに、ひとり家族にプロがいると他の人は手を出さなくなる可能性はあるかもな、とは思わないでもないが、姉妹でひとりはプロでもうひとりは普通でもなく全く作れない状態にあるというのは考えにくい。良子という姉キャラが不当に貶められているようにしか見えない。

 なんでそんなことをするのかな。何でもできる頭のいいネーネーにしておいても何の問題もなさそうなのに。暢子を上げるために良子を下げたか。

暢子の料理は、本当に美味しいのか

 それにしても、和彦母(鈴木保奈美は見て良かった)に認めてもらうために「美味しいものを食べさせる作戦を思いついた」と小学生のようにはしゃいでいた暢子。暢子はプロの料理人なのだし、一番の強みを発揮できるのが料理なのは言うまでもない。あまりにも当然な話で、何が緊急会議で何が思いついた作戦?

 いったい何を見させられたのか。暢子の単純さか、幼さか。

 お弁当作戦も、お母さんの好みについてのリサーチはしたのだろうか?土曜日のまとめには出てこないだけか。それもなくいきなり思い付きの物を押し付けで作ってくるのであれば、小学生ならかわいい微笑ましい話だが、いい大人がやればまるで押し売り、コワイ。

 そういえば、こんな記事も見た。

news.yahoo.co.jp

president.jp

 本当に、侮辱的だと沖縄県人に言われても仕方ないと私も思う。正直なところ、料理人なのに髪の毛はまとめないでバサバサ、いつまでも素人っぽく他人への気配りに欠ける暢子が作る料理は、本当に美味しいのだろうか?

 確かに鈴木保奈美がお弁当を食べてのリアクションからは美味しそう。それは鈴木保奈美の演技力の賜物で、でもね・・・作っている姿が全然上手そうとかヒントになるとか真似たいとも思えないし、暢子の料理に対する「聡明さ」は少しも感じられない。

 「ちむどんどん」に出演している役者さんたちには、同情的になる。特に暢子役の黒島結菜、「アシガール」で好きになったのに。ニーニー役の竜星涼も「ひよっこ」の巡査さんは良かった。ふたりには、「ちむどん」クランクアップと同時にNHKが責任を持って大河ドラマ等での特別良い役をオファーしないとかわいそうだ。

毎朝の楽しみはBS放送の「芋たこなんきん」

 もう「ちむどんどん」はどうでもいい。「平日朝のNHKには近寄れない」と先ほど書いたばかりだが、それは地上波のNHK総合の話。衛星のNHKプレミアムで放送中の「芋たこなんきん」については以前もブログで書いた通り、毎朝7:15からのお楽しみになっている(7:30には「ちむどんどん」がスタートするので消す)。

 血のつながりだけで、誤りがあっても正さずに「何があっても家族」と言い張って問題に向き合わないのが気持ち悪い「ちむどんどん」。正義や倫理観はどこへ。それとは対照的に、「芋たこなんきん」では、再婚相手の健次郎さんの、血のつながらない連れ子たちとも「おばちゃん」として主人公が細やかに生活をしていく。作家の田辺聖子をモデルに、藤山直美が演じている。

 健次郎は、今週もここぞというところできちんと義理の姪を諭している。きちんとした大人が存在することの、その幸せなことよ。視聴者は安心する。(「ちむどんどん」離脱組には名作「芋たこなんきん」 - 黒猫の額:ペットロス日記 (hatenablog.com)

 7/25からの「芋たこなんきん」第19週は、サブタイトルが「カーテンコール」。健次郎の医院で働く看護師(当時は看護婦さんか)鯛子のお見合い話、落語の師匠への癌告知、町子の古い知人が発行する雑誌「上方文化」の廃刊、町子の秘書の矢木沢さんの父の心配といったところが描かれた。

 思いやりある人々のやりとりの機微を、安心して見ていられた。

 鯛子のお見合い話については、近所のおじさんたちがしょんぼりしているのが笑えた。町子は「女が独身でいるとどうして騒ぐんでしょうね」「(自分も結婚して)雑音から逃げられた」と言う。おじさんたちは、「寿退社したら寂しいがな」「(独身の花が結婚すると)1つ電球が消えたみたい」だと。例えも面白い。

 健次郎も、おじさん連中のように言葉にして発することはしないが、妙な表情をしている。ガッカリ感が出ていておかしい。

 健次郎は鯛子のことを、看護師として頼りにしているのがわかる。連れ合いの町子に対しては医者としての守秘義務から言えないことも、同僚の鯛子には(妹の外科医・春子に対するのと同じく)当然ながら真っすぐ伝え、患者の前では目くばせの会話をする。落語家の笑福亭米春の胃癌を見立てた時の話だ。

 「結婚がピンと来てへんのですよね」と言っていた鯛子。健次郎に「新しい人と出会うのはおもろいもんやで」と言われ、「憧れてる人やったらいてます」と答えた時、健次郎は「どんな?どんな人?」と聞くが、鯛子は答えなかった。

 後に「私、憧れている人がいるって言いましたでしょ、先生なんです」と鯛子に言われた時の健次郎の戸惑った顔。すぐに鯛子は「正確に言うと先生と町子さんの姿を見て、こんな夫婦やったら毎日毎日楽しいやろなと・・・」と軌道修正した。また、健次郎は「自分たち夫婦に憧れているんだってよ」というノリで、町子に飲みながら鯛子の話をした。

 一連の話運びを見ながら、「鯛子は本当は健次郎が好きだったんだなぁ」「健次郎も、自分の鯛子への気持ちを昇華させてケリを付けたな」と見ている側は理解してドキドキ。比べるのは余計だが、人を踏み台にして恋を成就させた(それも、全然恋のときめきが感じられない)「ちむどんどん」の主人公・暢子と和彦の告白シーンよりもずっと心に響いた。

 次に、作家として駆け出しのころからお世話になった編集者に対して、資金援助をしたいとなかなか言い出せない町子。相手は町子の気持ちを察して、潮時を理解して雑誌廃刊を決めた。その時の、町子と編集者の会話。互いへの気遣いと尊敬が感じられる。

 健次郎の方も、お忍びで受診した人気落語家の笑福亭米春に「腫瘍ができています。かなり大きい。私は胃癌を疑っています」と相手を思って告知した。

 気がかりだった患者。健次郎としては当初、その当時のやり方として家族に来てもらって家族に病名やらを伝えて入院してもらって・・・という手順を取りたかったが、いつも同道するのは一番弟子。しかも彼は健次郎の幼い頃の遊び仲間だ。それで、奥歯に物が挟まったような言い方に終始した。

 ある夜、大舞台を控えて真実を知りたいと診療所にひとり訪ねてきた笑福亭米春が、健次郎を口説こうとした言葉に含蓄があった。その言葉で、健次郎は本人への告知を決めたのだ。一番弟子も、実は師匠にこっそり付いてきていた。

 告知後の米春の言葉を、少しだけ書いてみる。

「噺家というのはサラリーマンとちごうて引き際がむつかしい。自分でどないして決めたもんやろかとずっと考えとりましたけど、その心配もあらへんみたいですな。こっちで決めんかてあっちから来てくれはった。おおきに、ほんまのこと言うてもらって良かった。高座に上がるたんびに1回1回これっきりやて言い聞かせてきましたけど、今回は心底そないに思て上がることができます」(第107回)

 引き際を見極めた編集者と落語家のふたり。ふたりを心配するそれぞれの周囲の気遣い。しみじみと考えさせられる会話の数々。「アキサミヨー」と荒唐無稽の事柄に出くわして叫んでばかりいる世界とは違う。やっぱり「芋たこなんきん」は名作だ。

 ちなみに、土曜日の〆で前述の鯛子は、既に見合い相手を振っていた。見合いでは、胃痙攣になるほどケーキを追加して食べたという鯛子。健次郎への思いを吹っ切ったか何かヤケというか覚悟じゃないけれど、見合いに臨んで考えることがあったためだったことが感じられる。

 その鯛子が見合い相手を振ったことで、自分たちが相手になれるわけじゃないけれど、おじさん達はホッとしたことだろう。

 昔放送していた頃も楽しんで見ていた「芋たこなんきん」。ほぼディテールは忘れているせいで、こんなにも今も楽しめている。喜ぶべきか、悲しむべきか・・・ありがたいこと、ということにしておこう。(敬称略)