黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

【鎌倉殿の13人】全成誅殺、実衣の演技に涙した

宮澤エマの、圧巻の泣き笑い演技

 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は毎週日曜夜の放送。それなのに、土曜昼の再放送を見てからのタイミングでブログを書きたくなるのは、一体どういうことなんだろう。

 正確に言うと、今回は少し前の回も見たくなって再放送じゃなくて録画分をまとめて見た。さっさと日曜の放送を見た時点で書けばいいのだが、そういう気分になるのが毎度遅くて・・・読んでくださる方には、どうも失礼しています。

 「鎌倉殿の13人」はさすがの三谷幸喜作で作り込まれて情報量が多く、私のぼんやりした頭の中で咀嚼するのに時間がかかっているのかも。それが土曜の再放送を見た時点で、ようやく混沌とした中から何事か言葉が湧きあがって来る。

 テキパキと放送直後から時間を置かずにブログを書いたりYouTube解説を出したりする方々、尊敬する✨✨

 ということで、トキューサが無ければどうにも救いようの無い阿野全成の誅殺回になるかと思いきや、第30回「全成の確率」は妻・実衣の晴れやかな泣き笑いが描かれた。

 宮澤エマはすごい役者だ・・・夫を喪っての悲しみと、斬首直前に雷鳴を轟かせて嵐を呼んだ夫に対する誇らしい気持ちが綯い交ぜになっての、あの泣き笑い。「あの人はそういうお方なんです。私には分かってました。やってくれましたね、最後の最後に」と言う演技には、もらい泣きした😢

 朝ドラ「おちょやん」の栗子さんも良くて、いい俳優さんだと感じたはずだったけれど、この「鎌倉殿」で確信した。いつか彼女のミュージカルも見てみたい。「祖父の七光り」とかSNSで書いていた人は、彼女の演技をちゃんと見たかな?

toyamona.hatenablog.com

 この「おちょやん」で書いたブログを読み返してみると、宮澤エマ演じる栗子さん(主人公の継母)の、若い頃の主人公に対する仕打ちに関しての老いてからの謝罪について、いたく感動して書いていた模様だ。たった1年と少し前のことだが、何とあいまいな私の記憶。

 千代は、そういう心の底からの謝罪をストレートに表明されたからこそ、許しがたいことも受け入れて「だんない」と言えて、現実の人生を「これがすべて」と受け止めることができたんではないかと思う。波風立てず、何となくの有耶無耶では、皆が笑顔になることはできなかったと思う。離れて行った人と和解したいなら、やっぱり謝り上手にならなきゃね。

 ちょうど今回の「鎌倉殿」にも、政子と実衣姉妹の和解の場面があった。「おちょやん」とは対照的に「何となくの有耶無耶」な和解の在り方で、宮澤エマは小池栄子演じる姉・政子に言葉では謝らない。直前まで「あの人のお世話になりたくないの」と、それどころじゃない危機なのに、姉の庇護を受けることに抵抗を示していた。

 でも、たぶん義時の命を受けた泰時に引っ張ってこられたのか、尼姿の姉に相対して「そのお姿、板についてきましたね」と、謝罪などすっ飛ばし、とぼけて言う実衣。「なかなか楽でいいわよ」と答えた政子が続けて「大丈夫、あなたは私が守ります」とキッパリ言うと、実衣は笑顔のまま思わぬ安堵の涙(これがまた上手い)。なのに会話は、そちら方向には流れない。

 「中はどうなってるの?」と姉に聞く実衣。「尼削ぎ」「蒸れないの?」「誰も見ていない時にたまにこうやって(パタパタ)」と笑い合う姉妹・・・という運び。姉が尼御台だろうが、いつまでもイーブンでいたい妹が姉に甘えてする会話だと思った。頼りになる姉を持つ私には、よくわかる。

 そして、妹を危機から絶対守ろうとしている姉の方は、過去のいざこざなど、もうとっくに飲み込んでいる。政子は頼りになる懐の深いお姉ちゃんだ。

 この姉妹の和解については、私のイチ押しの「かしまし歴史チャンネル」でも絶賛していた。本当に女の会話をよく見てる、三谷幸喜。

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見届けたい気持ち。中途半端は不安が残る

 そして、全成が亡くなった時の様子を、兄・義時に聞こうと畳みかける実衣(の演技)が素晴らしかった。

  • 「立派なご最期」と兄に言われても納得せず「詳しく話して」。
  • 「もう止しましょ」と姉からストップが入っても「聞いておきたいの」。
  • いよいよ夫が命を落とす無残な場面に差し掛かろうと「聞かせて!」。

 そうやって夫の最後の法力の発露を確認して、それが前述の晴れやかな泣き笑いになっていくのだが、それを引き出したのも政子の「やはり全成殿には人智を超えたお力がおありだったのですね」という妹を気遣った、姉としての言葉だった。

 麗しい姉妹愛に共感した。というか、最近は政子に共感して「鎌倉殿」を見ている気がする。説得力のある小池栄子の演技。大河ドラマでも人気の三谷幸喜が作る物だけあって、下手な俳優は出てこないな。

 それから、ここで実衣が夫の最期を余さず聞きたいと願うことについても、腑に落ちるところがあった。個人差が大きくありそうなので、あまりひとくくりにしたくは無いけれど、これまで見聞きしたご遺族方の話と合致しているように思ったからだ。

 警察等での亡くなった本人確認の際に、女親だと「無理をしなくても」とか「見ない方が」と気遣われてしまいがち。だが、実は「我が子の最期の姿をしっかり見届けることができたので、ようやく安心できた」と話してくれた方々がいたのだった。

 「安心できた」という感覚が最初は不思議だったが、そうかもしれない。知りたいのに遠ざけられてしまうと、心配事が残ったまま、ずっと不安なままになる。だから、実衣の場合も、夫の最期を聞き届けることは、彼女に必要だったのだろう。中途半端は変な想像力が働くから、確かにいけない。

 もちろん、個人差がある話だから本人の意向が大切だ。男女関わりなく、故人の姿がトラウマになってしまったケースはあるから、丁寧な気遣いが必要な場面だということは確か。実衣のように、姉と兄が守ったように。

比企能員の立場で妄想すると・・・

 さて、ドラマでは全成が死を迎えたことで、既に「抜き差しならないところ」まで来ていた北条と比企の対立は臨界点に達したようだ。次回は比企家の滅亡が描かれるのだろうか。

 今回怖かったのは、比奈が比企家を訪れて能員&道と会話する場面。

「私は頼朝さま肝煎りの比企と北条の架け橋でございます」

「のう、道。橋というのは川のどっち側の持ち物なのかな」

「そうでございますね、木橋なら真ん中で分ければいいでしょうが人ではそうはいきませんね」

 ・・・こんな感じだったと思うが、道の表情が怖かった~((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル。比奈を真ん中で叩き切るんじゃないかという勢いだった。しかし、能員が「もし戦になれば、北条の者は全て滅ぼす」と比奈に言ったが、それって比奈の産んだ義時との間の子どもたちも含まれるということで・・・ドラマには出てきていないけど。よく「かしこまりました」だけで会話が済んだなと思った。

 ここ最近の「鎌倉殿」の比企能員は、ストレスがたまりっぱなしで顔も悪人面。佐藤二朗がイチイチ悪い表情を作っている。蒲殿(源範頼)を焚きつけて死に追いやった時には、仮病を使って保身に走ったことで蒲殿に対して良心の呵責も感じる普通の人だったのに、全成に対する陰謀はあからさま。良心など忘れて悪に染まり切っている。

 流罪先の全成に、妻を守れと称して頼家の呪詛をさせようとするとは。そして、露見したと分かるや、速攻で全成の命を奪おうと動いた。ザ・悪役だ。

 仕方ない、主人公は北条義時なのだから。勝者の歴史である「吾妻鏡」が原作なのだから。敗者の比企家が、これでもかと悪人にされてしまうのもドラマ上、仕方ない。いつかも書いたが、実際の比企家はただ人の善い一族だったのかもしれない。それが、生き馬の目を抜く鎌倉時代の権力闘争の中で立ち回れず、敗れただけかもしれない。

 生前の源頼朝が、権力がどこかに集中しないようにバランスを取ろうと配慮していたとドラマの義時は言っていたが、確かにそう見える。

 頼朝自身が援助を得るために妻に選んだのは、北条家の政子。そして、旗揚げをした頼朝のもとに最初に駆け付けた弟・全成には、政子の妹を娶せている。どちらも北条だ。それで、残る弟ふたり(範頼、義経)には比企家の娘たちを娶せた。北条:比企=2:2とバランスを取ったように見える。

 頼朝は、マスオさん状態にある北条家にだけ権力が偏らないよう、つまりは北条家の良いようにされないよう、あえて信頼できる乳母・比企尼の比企家を引っ張り出して源氏のための盾にしたか? 権力欲の強い北条時政&牧の方(ドラマでは「りく」)に気づき、慌てて比企家でバランスを取ったか?

 それ、比企家には迷惑な話だったかもしれない。比企家にとっては、相手が悪い。

 ともかく、範頼は安達盛長の娘(比企尼の長女の娘)を妻にし、義経は河越重頼の娘・郷御前(「鎌倉殿」では三浦透子演じる「里」、比企尼の次女の娘)を妻とした。

 それだけでなく、河越重頼の妻・後の河越尼(比企尼の次女)は、二代目鎌倉殿・頼家の乳母となった。「鎌倉殿の13人」では比企能員の妻・道が乳母のように描かれていて、河越尼は出てこないけれど。

 この、比企サイドの河越家の婿のポジションにいた義経は、河越家挙げて仕えてもらっていたとのことだが、滅んでしまった。そして、「鎌倉殿の13人」では描かれていない部分ではあるが、連座した河越重頼まで義経のせいで嫡男と共に誅殺されている。考えて見るとすごい話。妻の河越尼は、頼家の乳母だったとしても、力を削がれたはず。

 つまりはこの義経の滅亡は、比企家にとっても相当な痛手になったろう。

 さらに、蒲殿(範頼)も落命。蒲殿も比企側に配されていたのだから、比企能員がせっかくの源氏の手駒2人を守り切れなかったと見える。これは頼朝の生前の話だが、気になる。実は北条がそうするよう頼朝に仕向けたのではないのか?

 頼朝の死についても、時政による暗殺説がある。「吾妻鏡」も頼朝の死の前後の記録が無いそうだし。北条に取ってシャレにならないことしか書いていないからではと思うのだが、もしかして全成以外の源氏3兄弟は、(義経、範頼、頼朝の順で)まとめて北条に片付けられたなんてことはないだろうか。

 そして、頼朝の死後、比企サイドにいる頼家の力を削ぐ意味で、側近の梶原景時も討伐。これも北条の思う壺に見える。ドラマのように、三浦義村を悪者にしている場合じゃないように思えるのだ。

 このように妄想してみると、比企家は権力欲の権化となった北条家によって相当追い込まれていたはずで、気の毒に見えてくる。

 全成は、便利な呪詛要員として北条が温存していたことも考えられる。当時は、お坊さんを無下に扱うと仏罰が怖いし、呪詛までされて下手をすると殺されてしまうのだから、今よりも全然立場が強かったのだろうと想像する。その飛び道具・全成を、たまりかねた比企側が抹殺にかかったのか。

 (それとも、やはり全成も源氏兄弟のひとりとして、実は北条家に抹殺されたのか。子ども(時元)の扱いを見ると、坂東にお飾り以外の源氏の血は邪魔だと考えていたとしたほうが、筋が通っているような気がする。) 

 ということで、全成誅殺に至る前の時点で、既に比企家は北条家にやられっぱなしだったのではないか? 能員があんな悪人顔で憤懣やるかたない表情をさらし、舌打ちばかりしていても、仕方ない状況だったかもしれない。

頼家は呪いにかかったか

 さてさて、30回の終わりで勝負に出た義時は、呼んでおいたはずの頼家不在で肩透かし。「詰めが甘いのう」と比企能員にからかわれる羽目になった。

 頼家は「お倒れになった」とのこと。全成の首(というか頭頂部)を見た時点で、自責の念という呪いがかかったようだった。蹴鞠の鞠を見るたびに、全成の剃り上がった丸い頭を思い出すのだろう。頼家役の金子大地が無言の顔面蒼白の演技、うまかった。

 そうそう、「30回」の冒頭でも、急に倒れた頼家。呪詛のせいだと比企は考えたようだったが、古井戸に落ちた時に飛び出てきたコウモリのウイルスにやられたという設定ではいかが?コロナの起源は、コウモリ由来のウイルスなんて話だったから。それが「俄かの病」につながっていたら・・・タイムリーだなあ、これも妄想だけど。

(敬称略)