黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

【鎌倉殿の13人】心穏やかならぬ、実朝の1日(実は4年間)

「夜」に、とうとうのカミングアウト

 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第39回「穏やかな一日」、土曜日の再放送を見て、これを書き始めた。第3代鎌倉殿・源実朝の心模様が中心に描かれた回で、彼には切なかったけれど救いもあったように思った。

 今39回は、承元2年(1208年)から建暦元年(1211年)の足掛け4年を1日で描く、と語りの長澤まさみがいきなり侍女の姿で言っていたから(ダー子のコスプレにしか見えなかった。オサカナはすっかり魚の腐ったような目をするようになった義時?)、実朝は20歳前のハイティーンの4年間か。今で言えば高校~大学生の多感な、恋愛が盛り上がる時期に当たるのだろう。

 これまでも、実朝はどうも泰時を好きなんじゃないか?という場面はいくつかあったし、頼朝にしろ頼家にしろ「おなご好きはわが息子の証」「ハイ!」のように、鎌倉殿の恋バナは避けずに描かれてきていたので、実朝の場合、どこまでどう描くのか?と考えてはいたが・・・今回は、妻の千世に対してとうとうのカミングアウトがあった。

 千世は実朝の1歳年下。ふたりは1204年末に12、13歳頃(数え年か?)に結婚しており、今回で1日の間の出来事として描かれた1208年からの4年間では、結婚から少なくとも3年程度が経過。カミングアウトは1日のうちの夜になされたので、ふたりは物語上18とか19歳あたりになっていたのかな?こんなやりとりだった。

千世:みなさん、世継ぎができないことを心配されています。私にそのお役目が叶わぬのなら、ぜひ側室を

実朝:あなたは上皇様のいとこ。側室を持っては上皇様に申し訳が立たぬ

千:それは、余計につろうございます

実:あなたが嫌いなわけではないのだ。嘘ではない

千:では、どうして私からお逃げになるのですか。私の何が気に入らないのですか(泣く)

実:(考え、手を取って)初めて、人に打ち明ける。私には、世継ぎを作ることができないのだ。あなたのせいではない。私は、どうしても、そういう気持ちになれない。もっと早く言うべきだった。済まなく思うから、一緒にも居づらかった

千:ずっと、おひとりで悩んでいらっしゃったのですね

実:(泣いて頷く)

千:話してくださり、うれしゅうございました(実朝に抱きつく)

実:私には、応えてやることができない

千:それでも、構いませぬ

実:(千世を抱きしめる)

 書き留めたメモを写しただけで今もじーんとする、感動的なシーンだった。千世は高貴なお育ちに相応しく、自分の苦しみよりも目の前の人の苦しみを慮ることのできる姫だった。「それでも構いませぬ」では千世の女神様的ビッグラブにこちらの涙腺が決壊、ふたりなりの絆が芽生えた瞬間を祝福したい気持ちで一杯になった。

 ふたりは、人と人としての信頼関係にある。「あなたの恋愛感情には応えられないけれど、あなたを信頼しているよ」(実朝)という気持ちが、一方の恋愛感情(千世)に乗っかっているのはズルいとの考え方もあるだろう。でも、「信頼されているのだから永遠の片思いでもいい、傍に居たい」と考える、報われなくても相手に大きな愛を持てる、愛ゆえに茨の道を選べる人もいるのではないだろうか。

 まさに茨の道、忍耐力が要る。普通なら「永遠の片思い」には耐えられず、どこかで自分の恋する気持ちの持っていきようが無くて、逃げ出したくなりそうだ。千世の場合は、そこにお世継ぎ問題がのしかかる。今後、辛いだろうなあ。彼女を支えるのは、上皇のいとこという誇りだろうか。

 (ただ、そういう性的関係を避けられてホッとするタイプの彼女もいる。それだとしたら、プラトニックラブは歓迎かもしれない。)

 同様に、一方の恋愛感情に乗っかる信頼関係にあるのは政子と大江広元もそうかもしれないと気づいた。政子は大江殿がキラキラした目で自分を見ることが分かっていたようだったが、立場上、大江殿の好意に応えることなどは考えられない。「それはそれとして、でもかなり信頼を置いている」関係なのは間違いない。

 人の上に立つってそういうものなのかもしれない。少し勝手だ。多くの好意に支えられているのが当然で、全部に応えることはできず、それをいちいち気にしていたらやってられない。でも、自分は人の好意に甘えているんだという自覚と相手への信頼が、良い鎌倉殿なり良い尼御台なりにしていくような気がする。

 とにかく実朝には良かった、受け止めてくれる千世がいて。頼家のことを考えていたトキューサも実朝を心配していたものね、「いらっしゃいますか?心を開くことができる御方が」と。トキューサは癒しだ。

 実朝が、ゲイなのかそれともトランスジェンダーなのかは分からない。ただ、LGBTQという言葉が目新しくもなくなった現在、大河ドラマもひとりの恋する人間の話として描き、変に揶揄したり誤魔化したり、際物的な悪い方向での描き方をしなかった。大げさでなく、NHK大河も一歩を踏み出したような。

 これって明らかに、選挙応援に際して「同性婚には慎重に」と自民党候補者に求めていた某教会の教義には沿わない話。もし政治的・思想的に国を乗っ取られていたら、こんな実朝の描き方は変更を余儀なくされていたのかな。

 第35回「苦い盃」で、大竹しのぶが演じた歩き巫女の「お前の悩みはお前ひとりの悩みではない。遥か昔から同じことで悩んだ者がいることを忘れるな」「お前ひとりではないんだ、決して」というセリフが思い出される。実朝のカミングアウトに、勇気をもらった人は確実にいるだろう。おめでとう、良かったね。

実朝、義時との対立が深まる

 「夜」には千世と心が通じ、信頼関係を築けた実朝だったが、今回、政治的には「朝」から主に義時(目もどんより、心身ともに黒くなってすっかり悪者の立ち位置の主人公)によって自信をどんどん崩されていく場面が続いた。

  • 疱瘡を患い、「一時は覚悟した」と義時に言われた実朝。後を継ぐ予定だったと義時が言った善哉に「悪いことをした」と口にしながらも、「これからは私が頑張らなければ」と気合を入れて政に臨んだのに、言いかけた言葉を義時に乗っ取られて采配を振るわれ、「私は居ても居なくても同じなのでは」と思わされる。
  • 和田義盛に上総介に任じてくれと頼まれて「わかった、何とかしよう」と実朝は引き受けたのに、義時と大江広元が「上総介の件、忘れてほしい」と和田義盛に伝え、顔を潰されて却下。
  • 弓の技比べで活躍した北条の家人・平盛綱を御家人に取り立ててほしいと義時に頼まれ、断ったところ「どうやら私はもう要らぬようです。後は鎌倉殿のお好きなように進められれば良い。伊豆へ引き下がらせていただきます」と脅されることに。「私が・・・間違えていた。その者を御家人に」と謝るも、「鎌倉殿が一度口にしたことを翻しては、政の大本が揺らぎます。私のやることに口を挟まれぬこと。鎌倉殿は見守ってくださればよろしい」と釘を刺されるに至った。

 これはもう、実朝にはタイミングが悪かった。平盛綱と抱き合って喜ぶ泰時の姿を見せられ、盛綱に対して嫉妬心が疼くところに盛綱を御家人にするように言われたのだ。その結果、拒否する言葉が強くなった。視聴者には誠に分かりやすいが、義時はそんなことは知らない。

 (ところで、「これからも太郎(泰時)の命綱となってほしい」との思いを込め、義時が鶴丸に名付けた「盛綱」という諱。実際のところもしかしたら、頼朝に生涯忠実に使えた安達藤九郎盛長をイメージして「盛」を貰ったのだろうか?)

 若い頃は調整型に励んでいたのに、兄・宗時の言葉が至上命題になり、力で抑え「てっぺん」に立ちたがるプーチン型・習近平型の政治手法になってしまった義時。主人公なのに、この邪悪さ。いや、兄の言葉に従っているだけで、義時本人には自覚が無いかもしれない(何で回りが見えないの?)。この頃は40代半ばから後半の脂の乗り切った状態で、20歳前の実朝が太刀打ちできるわけもない。今後、実朝と義時の間は不穏だ。

そして、朝→昼→夜と泰時は悩みを深める

 親族の近いところばかりで何をやっているんだろうと思わないでもないけれど、言うまでもなく実朝と義時は甥と叔父の関係にある。実朝が恋する泰時は義時の息子、実朝の従兄だ。

 その泰時。「私は居ても居なくても同じなのでは」と自信を失った実朝に「そんなことはありません」と物静かに泰時が伝えた時、実朝の顔はパッと輝いた。恋してるんだね、と見ているこちらがいじらしくなるような笑顔だった(役者さんってすごい)。

 泰時に和歌を一首手渡して、返歌を「楽しみにしている」とニヤニヤして言った実朝は、もしかしたら疱瘡に罹って死ぬかもしれなかったのに助かったことで、泰時にアプローチしてみる勇気を持てたのかもしれない。

 渡した歌は「春霞 たつたの山の さくら花 おぼつかなきを 知る人のなさ」。金槐和歌集に「初恋の心を(詠める)」と書いてあるとか。検索したら一緒に出てきた紀貫之(古今和歌集)の「春霞 たなびく山の 桜花 見れども飽かぬ 君にもあるかな」によく似ている。不勉強だが、本歌取り?というのだろうか。「見れども飽かぬ君」とは、泰時かなと想像してしまう。

 史実では後に彼らしい和歌の詠み手になるらしい泰時も、ドラマでの現在は1日中悩んで「春は春 秋は秋」などと書いてストップ。「和歌なんか作ったことないってなんで言わないかな」と鶴丸にからかわれる始末で「参った~」と降参気味だ。弟の朝時が相談に来て、義時がゆっくり和みに来た(妻「のえ」相手では和めなくなったか)時も、全然できていなかった。

 月が出る時刻になるに及んで源仲章に思いがけず実朝作の和歌の解釈を聞けた泰時は、実朝に「鎌倉殿は間違えておられます。これは、恋の歌ではないのですか」と歌を返した。切ない。実朝は間違えてなどいないのに・・・。

 「間違えて渡してしまったようだ」と言い、目を閉じて気を取り直したように渡したのは「大海の 磯もとどろに寄する波 破れて砕けて裂けて散るかも」。私も知るぐらい有名な実朝の歌だが、大失恋を詠んだ歌とのことでいいのか?短歌を解説するサイトでは、ドラマの解釈を否定していた。(大海の磯もとどろによする波われて砕けて裂けて散るかも 源実朝 (tankanokoto.com)

 とりあえず、大失恋の歌として進行する。受け取った泰時は、何でも相談してきた初にも言えず、苦悩してひとり酒をあおっていた。今回は1211年までの4年間が描かれたと考えると、翌1212年には泰時の次男・時実が次の正妻から誕生しているので、初とはすぐにも離縁しないと間に合わない。

 そのあたりはどうするのか・・・次回で取り上げる和田合戦の絡みで、泰時と初は離縁に至るのだろうか。真面目な泰時は、主君である実朝の自分への恋心を知って、忠実であろうとする余りに妻と離縁までするのかも、再婚は実朝の死後?ーーなどと勝手に想像していたが、それだと次の妻との再婚が早すぎる。ちょっと違ったみたいだ。

ラスボスは、やっぱり義村か?

 そういえば、第39回にして三浦義村役の山本耕史がオープニングのトリに躍り出た。いよいよか。

 ブラック義時は、自分の父・時政と義母「りく」について「殺していれば、御家人たちは恐れおののきひれ伏した。私の甘さです」と言って政子を驚かせた。自信に満ちて「政の仕組みを新しくしようと思う」と大江広元に伝え(いつの間にかのタメグチ)、守護は2年で交代、国司はそのままと構想。大江殿は「北条が目立ってしまいますが」と心配するが「構わぬ」と一蹴する勢いだった。

 上総介の件を和田義盛に諦めさせた際、大江殿は「和田殿は御家人の間で人気があります。慎重にかからねばなりませんな。和田には三浦が付いています」と注意喚起していたぐらいだが、義時は構わず義村に「平六、私はこの鎌倉を変えるぞ」と宣言した。

義時:平六、私はこの鎌倉を変えるぞ

義村:いい心がけだ

義時:守護は2年ごとに改めて、御家人たちの力を削ぐんだ

義村:言っておくが、俺も相模の守護だぜ

義時:だからこそ、真っ先に賛成してほしいんだ。他の御家人たちは何も言えなくなる

義村:いいだろう

義時:政所に戻る。ゆっくりしていけ(義村の肩を叩く)

義村:(険しい顔をして扇を投げる)

 義時は、義村の立場も見えていないらしい。いつまでも仲の良い「平六」「小四郎」の仲だと信じ切り、良いように動いてくれると考えているのか。この義村に対する配慮の抜けっぷり、残酷なことだ。

 納得できない義村は、同じく上総介になりそこなったことについて納得できていない従兄の和田義盛と酒を飲み、「俺たち古株の御家人をないがしろにしたら痛い目に遭うってことを思い知らせてやろうぜ」と誘われていた。返答はしなかったけれど。

 次回予告では北条を倒すと雄たけびを上げている面々に義村もいた。和田合戦で義時は専横のツケを払わされる形になるのだろうけれど、義村と義時の仲はどうなっていくのか。義村側の面従腹背か。

 オープニングのトリにずっと三浦義村が居続けるのだったら、前回ブログで書いた最終回予想は変更しないといけないな、と思い始めている。義時のキノコ膳による毒殺、教唆犯は義村、実行犯は「のえ」、共犯は政子。泰時以外の主だった全員がダーク義時を葬ろうと動く、というのはどうだろうか。(敬称略)


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