黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

【鎌倉殿の13人】政子も義時も「無私」の人だった

出演者とスタッフに大感謝、泰時&トキューサ待ってます

 2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の「グランドフィナーレ~『鎌倉殿』の最後の一日~」が12/27に放送された。ああもう、本当に終わってしまったんですね。予想できたこととはいえ、どっぷりロス中だ。

 最終回「報いの時」については、ちょっと都合でブログが書けなかった。でも、グランドフィナーレを見てしまったら、ケジメとしてやっぱり書こうかなと思った。ここのところは毎週のようにダラダラと鎌倉殿について書いてきたのに、最終回を放りっぱなしってこともないだろう。

 さて、今年の大河ドラマはとにかく面白かった。毎週日曜、夢中になって拝見した。出演者とスタッフの皆様、そして何より脚本を書いてくださった三谷幸喜様、イチ視聴者から大感謝申し上げます。

 既に人生の折り返しも過ぎた身の上を考えると、見る方も最終回まで全うできたことがとても嬉しい。先ほど「都合」と書いた件だが、実は、最終回放送翌日の月曜に胆石症の発作に襲われ痛い目に遭った。前日じゃなくて良かった。楽しみにしていた「真田丸」を全うすることなく亡くなった父を思えば、人の運命などわからない。この「鎌倉殿の13人」という傑作を、見終えることができて本当に良かった。

 こんな傑作ドラマを作る側は大変だ。三谷さん、命を削って脚本を書いていただろうけれど、またいつか大河ドラマを書いてくださいね。その前に、義時死後の伊賀氏の変や大江殿・政子を冥土に見送って泰時とトキューサが鎌倉を引き受けるまでの流れを、特別編として書いてくださるなら、きっと多くの鎌倉殿ファンが歓迎しますよ。

 そういえば最終回でのトキューサは、格好良かった。宇治川の戦いの場面で、人前では甥の泰時を「総大将、ご決断を」「かしこまりました、お任せを!」とキッチリ立てる一方で、泰時を含め身内の若手をまとめる役割も果たしていた。

いいかみんな、もはや朝廷を頼る世ではない。これからは武士を中心とした政の形を長く続くものにする。その中心にいるのが我ら北条なんだ。よろしく頼むぞ。

 「武士を中心とした政」は明治維新まで長く続く。徳川家康が「戦のない世」を実現した約400年も前に、この承久の乱で武士の世が定まり、泰時世代のやり方で戦のない世が実現した。「父上が死に物狂いでやってきたことを無駄にしたくないだけです」と言う泰時は、父の苦しみも理解している。長沢まさみの最後のナレーションには、胸が熱くなった。

やがて泰時は江戸時代まで影響を及ぼす法を制定する。御成敗式目。これにより、泰時が政治を行う間は鎌倉で御家人の粛清は一切起こらない

 トキューサに話を戻すと、セリフの最後は毒薬の盗み飲み(!)のせいでレロレロになってしまって〆が「うがいしてきます」だったところがトキューサらしいご愛敬だったが、物の見え方、バランス感覚がすばらしいキャラ。だから、続きでトキューサと泰時のバディが見たいのだ。

 武士の鑑・畠山重忠の生まれ変わりらしい「のえ」の息子・政村と、伊賀氏の変後に弟を許す泰時の場面も見たい。その許しがあったからこそ、政村は泰時の得宗家を支えていく存在になるんだろう。美しい。朝時だけでなく、弟の重時も見たい。義時の子どもたちを見たいのだ。

 特別編、待ってますよ~😊もちろん、山本耕史の三浦義村も出てほしい。

「無私」の人だから政子は強い

 さて・・・タイトル「鎌倉殿の13人」の13人の意味が、終わり近くで義時と政子の会話によって明かされた。背筋がゾッとしたが、まさか、源頼朝が死んで以降、流された血の人数だったとは。

 「これだけで13人」と義時が言ったところで「一幡は?せつ(若狭局)は、道は」と言いたくなったが、女性キャラにはオープニングで「政子」でさえ名字を付けない扱いのこのドラマ(例外は藤原兼子)、「女子供」は頼家様、比企殿とセットなんだな。

 アサシン善児、「#明日は原始人」のハッシュタグでおなじみの江間次郎も、雑色とか家人だったから「ここで義時が数えるのもおかしいぞ」となったのか、名が呼ばれなかった。

 この時、政子が「待って、なぜ頼家が入っているの」「だっておかしいじゃない、あなたは頼家は病で死んだと」と言い出し、義時は頼家を殺害した顛末を政子に白状することになった。政子は優しく「ダメよ、噓つきは自分のついた嘘をおぼえてないと」と義時に言い、さらに「ありがとう、教えてくれて」と礼まで言った。何という強さ、優しさだろう。

 しかし、義時は、姉のもう一人の息子・実朝が殺されようとしていたのを知っていて見殺しにした不作為までは、姉に言うことはなかった。

 政子は、このことも「薄々分かっていた」のだろうか。何かのインタビューで、政子について「静かに壊れていった人」だと中の人・小池栄子が言っていたとネットで見たが、だとしても今作の政子は、本当に強い人だ。

 よく葬式の場面などで「気丈に振る舞っていた」遺族が、実は解離していただけという話は聞く。政子も、壊れていった内面・ズタズタな心のうちを抱えて、解離していたとしても御家人たちを前にあの大演説を行えるのか・・・そんなこと、常人にはできない気がする。

 政子はやはり強い。実衣に対してそうしていたように、攻撃されてもグッと自らの痛みは呑み込んでしまい、人のためを思って誠実に振る舞える人物だった。表向き明るくて強かったのは、彼女が自分よりも他を優先する「無私の人」だったからと言っても良いのかもしれない。

 実衣が政子を評してこう言っていた。「姉上は一度も偉くなりたいと思わなかった。姉上は偉くなって、狙っていた人たちはみんないなくなった。皮肉な話」「誰だってね、一生に一度は人の上に立ってみたいと思いたくなるものなの。姉上には分からないようですけど」そう、わからないのが今作の政子、基本の立ち位置が「母」なのだ。

義時は自分の人生でなく、役割を生きている人

 その「無私」という点は、政子に育てられた弟の義時もそうかもしれない。無欲というのではない、北条のため、泰時のため、鎌倉のためという欲はある。でも、それは自分個人のためではない。最近の言い回しで言うところの、「自分の人生を生きていない、役割を生きている人」なのかもしれない。

 自分の事なんかどうだっていい感じは、時政パパ追放後、ぐずぐず引き延ばして執権を名乗りたがらなかったことや、義時追討の院宣が出てからさっさと自分の首を差し出そうと決めたり、「この世の怒りと呪いを全て抱えて私は地獄へ持って行く」と言うあたりからそう見える。

 あと、「のえ」に毒殺されそうになったとわかって「執権が妻に毒を盛られたとなれば威信に傷がつく。離縁はせぬ。だが2度と私の前に現れるな、出て行け」という場面も・・・言葉では威信に傷がつくからと言ってはいるのだけれど、本当にそうかな?と思う。傷つけられても、不出来でも「のえ」を「自分のためになんか」殺したくなかったのではないか、と思えてしまう。

 毒薬を手配した三浦義村についても、自分のことなんかでは殺そうとせず、ある意味受け入れているのだ。のえが「私に頼まれ毒を手に入れてくださったのは、あなたの無二の友の三浦の平六殿ね」「夫に死んでほしいと相談を持ち掛けたらすぐに用意してくださいました。頼りになる御方だわ」の言葉には、ひどく心がえぐられていた様子だったのだが。

 運慶を殺さなかったのもそうだ。「殺すまでもない」と言ってはいるんだけど。義時は、自分なんかのためには他人を殺さない。そんな場面が思い出せない。義時自身が、自分を罰して殺したいほどの罪の自覚をずーっと抱えてきていたから、他から悪意を向けられて当然と思っているのでは。そこが保身のために物を片付けるようにサクサク邪魔な人たちを殺していく三浦義村と違う。

 だから、そんな義時の在りようを見て、前回ブログでは先走って「人気ドラマの主人公の自殺だけは勘弁して」と書いたのだった。自害が杞憂で終わったことは良かった。最終回の義時は、体は毒薬で病んでも生きる気満々だった。

 家事やお片付けはキリがない。政子によって命を絶たれていなかったら義時は、実は体は弱りつつも薬で騙し騙しして「太郎のため」と言って際限なく次の目標を見つけ、生き延びたタイプだったのかもしれない。

政子はただの姉じゃない。「家庭と弟妹を支える主婦」だった

 義時は、政子によって生を終えた。解放されたと言ってもいい。グランドフィナーレでは、宮沢りえが「政子の愛にしか感じなかった。これ以上もう罪を作らせないっていう愛しかなかったよ」と政子の行動を読み解いた。

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 政子と義時、この姉と弟の関係性を確認したくて、物語の初回を見直してみた。

 1175年、京での大番役を終えて時政パパが帰ってきたところからドラマは始まった。義時は満で12歳、数えだったら13、14歳(ただの少年にしか見えない!中の小栗旬ホント凄い)のはず。政子はその6歳上だから満18歳、数えではほぼ20歳。政子は確かに当時だったら嫁ぎ遅れている感じだ。

 時政パパは京にいた間に3人目の妻に「りく」を迎えることを決めていた。「鶴母上が亡くなってからまだ日が経っておりません」と小四郎が指摘するぐらい素早い嫁取りであり、それに対して「寂しかったんだよ~」と子どもにも臆面なく言ってしまうぐらいにお子ちゃまのパパ。

 ふたり目の妻・鶴さんは彼のお産によって亡くなったのか、トキューサは乳母に抱かれてまだ乳飲み子。そして「ちえ」「あき」の幼児が並んであどけなく座っていた。色々とかき回していた実衣も、ああ見えて初回では10歳前後だったはずだ。

 鶴さんはパパに帯同し京でトキューサを産んだのかもしれない。ということは、父も家庭の主婦も3年不在。ならば15~18歳の適齢期にあった長女の政子が、やむなく主婦となって伊豆の北条の家の奥を取り仕切り、幼い弟妹の面倒を見ていたと考えるのが普通だ。政子が「お客様をお待たせしないで」と家人に号令をかけていたのも板についていた。

 気の回らない時政パパは、政子の立場を考えずに娘に寄りかかっていたのだろう。娘の縁談よりも、自分の寂しさを癒す後妻を先にしても「あのパパならね」と納得する。

 でも、ここでもし政子が「私、いきおくれになっちゃう」と自分の立場を強硬に主張する性格だったら?さすがにパパも考えて、速攻で嫁入りさせたのではないだろうか。でも、政子はそうしなかった。

 自分の事より「家族のため」を先に考える優しさ、無私の態度は、その時に既に政子の根幹にあったのではないか。

 9歳から12歳という多感な少年期に、義時は政子を母代わりとして育った。「のえ」が妬いて「死に際は、大好きなお姉さまに看取ってもらいなさい」と嫌味を言うぐらい強い絆が姉弟の間に育つのは自然だった。そして、不在の父に代わるのは兄宗時。義時を含め、北条きょうだいにとって宗時と政子の兄姉は、幼い自分たちを実の父母に代わって養育してくれた「恩ある保護者」だったのだと思う。影響力は大きい。

 兄と姉の「父がいない間、北条を守らねば」の強い気持ちは弟妹にも伝わって絆も強まっただろうし、だから義時も「私は兄上とは違う」と言いながらも、結局は「坂東武者の世を作る。そのてっぺんに北条が立つ」との兄の言葉にあんなに縛られたのでは。

 そして「母代わり」の政子の結婚によって、義時は源頼朝という「父代わり」をもうひとり得た。兄宗時は死んでしまったし、実父の時政パパは・・・政子よりも年若い新妻「りく」と別の家庭を作り始めてしまった。そう考えると、義時の心理的支えになったのは、トキューサたち下の3人の弟妹とは違って、政子夫婦の方だったのでは。

「小四郎の母代わり」として、政子の決断

 政子が、小四郎義時に対して一般的な姉が弟を見る目ではなく、保護者のまなざしを強く持っていたと考えると、最終回のラストシーンにも深く納得するところがある。

 政子が義時の命を奪うのではないかと、私が大ファンのYouTube解説「かしまし歴史チャンネル」のきりゅうさんはいつだったか予想していた。もともと私は、頼家のように「薄々はわかっていて誰かの手による義時殺害を、政子は止められなかった」というある意味ベタなパターンしか想像できなかったが、きりゅう説を見て「そうかもね!」と賛成に回った訳だ。が、流石にきりゅう説のもっと上を三谷幸喜はやって来た。

 政子が義時の解毒薬を捨ててしまい、命を奪うとは。なるほどこれなら物理的に非力な政子でもできる。また、これなら悪妻「のえ」による毒殺説も上手にブレンドされ活かされている。驚きの主人公の終焉だった。

 「新選組!」で香取慎吾が演じた主人公・近藤勇は「トシ・・・」と土方歳三(中の人は山本耕史!)を思い浮かべながら斬首されて物語がパタッと終わったが、それと似た味わい。余白をたっぷりと残しながらも主人公が死んで物語が終わる。すすり泣く政子。そこにチェロの音が響く。

 (カッコイイのは確かだが、これだと義時以外の主要人物、政子や義村の中の人たちは役を全うできた感覚が乏しいだろうなと思ったら、やっぱりそんなことをグランドフィナーレで山本耕史も言っていた。まだご自身の中で義村が生きてるって。)

 この弟殺害に至る政子の感情の下地になったのは、運慶が彫った仏像だったのだろう。あのような異形の禍々しい仏を見た政子。これが弟の姿とは。兄と姉が引きずり込んだ魑魅魍魎のような政治の世界で、かわいい弟がこのようなバケモノにも似た存在に成り下がったと他人が見ていると思えば、母代わりとしては悲しいし、ショックだし、責任も強く感じただろう。

政子:仏様、見せてもらったわ

義時:運慶に言わせれば、あれは私だそうです

ま:燃やしてしまうんですって

よ:人には見せられない

ま:たまに考えるの。この先の人は、私たちのことをどう思うのか。あなたは上皇様を島流しにした大悪人。私は身内を追いやって尼将軍に上り詰めた稀代の悪女

よ:それは言いすぎでしょう

ま:でもそれでいいの。私たちは頼朝様から鎌倉を受け継ぎ次へつないだ。これからは争いのない世がやってくる。だからどう思われようが気にしない

よ:姉上は大した御人だ

ま:そう思わないとやってられないから(笑い合う)

 政子は、自分でも仏像を見て相当にショックだったからこそ、弟のために気を取り直し、運慶が義時に下した最悪評価を「私たち」と言うことで「あなたはひとりじゃない」と弟の責任を一緒に分け持とうとしている。そして「私たちは頼朝様から鎌倉を受け継ぎ次へつないだ。これからは争いのない世がやってくる」と最大限の評価をして運慶の下した評価を上書きして見せ、弟を励まそうとしていた、と見えた。

 なんと優しく前向きなのだろう、ここまでは政子も頑張っていた。

 しかし、義時はまだ手を汚すと言ってしまう。それで、政子は運慶の仏像が脳裏に蘇って、弟を解放してやろうと考えたのではないか。ここまでだ、と。その感情が、弟の命綱だった解毒剤をこぼす決断をさせたのだと思う。

義時:姉上、今日はすこぶる体がきつい。あそこに薬があります。取っていただけませんか。医者に言われました。今度体が動かなくなったらその薬を飲むようにと。(政子、薬を取りに立つ)私には、まだやらねばならぬことがある。隠岐の上皇様の血を引く帝が、返り咲こうとしている。何とかしなくては

政子:(足を止めて)まだ手を汚すつもりですか

よ:この世の怒りと呪いを全て抱えて、私は地獄へ持って行く。太郎のためです。私の名が汚れる分だけ、北条泰時の名が輝く(手を伸ばして薬を催促)

ま:そんなことしなくても、太郎はきちんと新しい鎌倉を作ってくれるわ

よ:薬を

ま:私たちは長く生き過ぎたのかもしれない(蓋を開け、液体を床へこぼす)。寂しい思いはさせません。私もそう遠くないうちにそちらに行きます

よ:私はまだ死ねん!(立ち上がって倒れ、這って進む)まだー!(床にこぼれた薬を飲もうとする)

ま:(義時が薬を舐める寸前で、袖で拭き取ってしまう)太郎は賢い子。頼朝様やあなたができなかったことをあの子が成し遂げてくれます

よ:(苦しむ)

ま:北条泰時を信じましょう。賢い八重さんの息子

よ:確かに…あれを見ていると八重を思い出すことが…

ま:でもね、もっと似ている人がいます。あなたよ(涙)

よ:あ~姉上~あれを…太郎に(髻観音を指す)

ま:必ず渡します

よ:うん、うん…姉上

ま:ご苦労様でした、小四郎

よ:(死)

ま:(むせび泣きながら義時の頬を撫でる)

 互いに物語の最後の言葉は「姉上」と「小四郎」。鎌倉を次代につなぐという大きな目標があるからこそ、ではあるけれども、やはり息子同然に可愛がってきた弟への、政子の愛情と責任を感じる。それから、やっぱり鎌倉を継ぐべき者が引き継ぐのは不吉なドクロじゃなくて頼朝の髻に入っていた観音様の方がふさわしい。

 はーっ。ラストシーンを書き出してみて、またロスの傷口に塩を塗ってしまったような気がする。年末の用事はまだまだ山積みだが、総集編も絶対見る。

時政不在時、幼なじみの三浦義村は何を感じたか

 やはり三浦義村のことも書いておきたい。まず考えたのは、時政パパの不在時、親のいない北条きょうだいをものすごく心配して面倒を見ただろう義村の父、三浦義澄だ。今作では佐藤B作が演じた。ちょっと妄想も含めて振り返ってみる。

 北条四郎時政パパと三浦次郎義澄は、伊東祐親の娘たちを妻にもらっている相婿同士。時政の妻は先に死んで、義時らが遺されている。四郎と次郎は幼なじみだったらしく、ドラマでは仲の良いところが表現されていた。源平合戦での富士川の戦いの鳥が飛び立つ場面で、ふたり(というか、悪いのは時政の方)がくだらないことでふざけ合って驚いた鳥たちがーーとなっていた。

 だから、義澄も妻も、大番役で時政が不在の間、残された北条の子たちが保護者もない状態に置かれていることを大いに心配しただろう。義澄は、子どもっぽい時政パパを諭したりしていたぐらいだから、置いて行かれた子どもたちに頻繁に顔を出していたのではなかろうか。

 そんな時、義澄の息子の平六義村は・・・きっと寂しくて、ちょっと面白くなかっただろう。自分の父母を北条の奴らに取られている、なんだあいつらは、ぐらい思っても不思議ではない。

 そして、平六のそんな幼少期の恨みを、あの小四郎義時は全然キャッチしていなかったのではないか。年下の平六は、持ち前の怜悧さもあって父母に甘えたい気持ちをガマンしていることを口には出さない分、何か小四郎にイライラしているように見えたし、小四郎は平六に対してあくまで子どもっぽかった。

 しかし、成長するに従い、小四郎も気づいたかもしれない。大事な子ども時代に平六の両親の愛を自分たちに少し頂き過ぎたと。それが平六への基本的な負い目になっていたのでは。だから「お前ってやつは」と言いながらも、何があっても義村を信頼する気持ちを持ち続けたのではないだろうか。

 ドラマでは期待した義村・義胤兄弟の最後のやり取りは見られなかった。「上皇様に取り入るように」義村に言われて動いた弟を、義村は助けなかったことになる。非情なことだ。でも、それも今作のぶれない義村らしい。

小四郎義時:まあ、一杯やってくれ。のえが体に効く薬を用意してくれてな、それを酒で割って飲むとうまい

平六義村:俺はいい、元気は有り余っている。普通の酒にするよ

こ:一口だけでも飲んでみろ

へ:いや、いい

こ:長沼宗政が白状したぞ。また裏切るつもりだったらしいな

へ:そうか、耳に入ったか

こ:お前という男は

へ:もし裏切っていたらこっちは負けていた。つまり勝ったのは俺のお陰。そういう風に考えてみたらどうだろう

こ:飲まないのか

へ:匂いが気に入らん

こ:濃くし過ぎたかな。うまいぞ・・・それとも他に飲めない訳でもあるのか

へ:(考えた末に)では、いただくとしよう(一気に飲む)

こ:俺が死んで執権になろうと思ったか

へ:まあ、そんなところだ

こ:お前には務まらん

へ:お前にできたことが俺にできない訳が無い(義時の肩を掴んで)。俺は全てにおいてお前に勝っている。子どもの頃からだ。頭は切れる、見栄えは良い、剣の腕前も俺の方が上だ。お前は何をやっても不器用で、のろまで、そんなお前が今じゃ天下の執権。(立ち上がってよろける)俺は結局一介の御家人にすぎん。世の中不公平だよなー。いつかお前を越えでやる。おまえをこえでやる。いかーん。口の中が痺れてきやがった。これだけ聞けば(効けば?)満足か!(苦しむ)

こ:よく打ち明けてくれた。礼に俺も打ち明ける。これはただの酒だ、毒は入っておらん(酒を飲む)

へ:ほんとだ喋れる。俺の負けだ

こ:平六、この先も太郎を助けてやってくれ

へ:まだ俺を信じるか

こ:お前は今、一度死んだ

へ:これから先も、北条は三浦が支える

こ:頼んだ

へ:いい機会だからもうひとつだけ教えてやる。大昔、俺はお前に教えてやった、おなごはみなキノコが好きだと

こ:しっかりとおぼえている

へ:あれは嘘だ。でまかせよ

こ:早く言って欲しかった~(酒を飲むふたり)

 ふたりの最後のシーンは、プラシーボ効果抜群のおもしろ場面にもなった。そして、前回ブログで「襟に触れずに格好いいところを見せてくれ」と書いたように、義村は襟に触れずに「北条は三浦が支える」と義時に誓い、笑って酒を酌み交わした。

最終回の台本を読んだときの感想を尋ねると、義時との最後の会話のシーンは「腑(ふ)に落ちた感じがする」と言い、「覚悟をもった会話で、最後の最後で通じ合った。もしくは最初に戻ったようなすてきなシーンになっていると思います」と見どころを語った。(鎌倉殿の13人:「義時であろうとも討つ」 山本耕史が語る三浦義村の“変わらない姿” - MANTANWEB(まんたんウェブ) (mantan-web.jp)

 この場面で、中の人・山本耕史が「最後の最後で通じ合った」と言ったように、公暁の首を差し出した場面と比べると、ふたりの表情は全然違う。あの時の、頭を深々と下げながらのギラギラとした義村の目。義時の目も言葉と裏腹に死んでいた。最終回は打って変わって、互いに苦い思いを呑み込んで幼なじみに戻ることができたシーンだったのだろう。

 義時にとって義村は、米蔵で木簡を数えていた頃の小四郎本来の姿に帰れる相手だったはずなのだ。キノコの謎も解けた。平六の言うことは無条件で信じていた小四郎だった。「おなごはキノコ好き」を刷り込んだのは「全てを教えられた」と番組が言うから頼朝かとも思っていたが・・・。

 こういう相手の足を引っ張るような意地悪な嘘を言いたくなった幼い平六の心境は、既に書いた通り、妬ましかったのだろう。平六が昔から何でもできるのは親に振り向いて褒めてほしくて努力したのだろうし。そこまでは小四郎に打ち明けないだろうが。

 そうそう、義村は昔「もう死にました」「もうすぐ死にます」「爺さんは止めておきましょう」の爺さんたちに関する三段活用で笑いを取ったが、今回、若い朝時に「ジジイうるせえんだよ」「訳わかんないんだよジジイ」といじられた。見てくれはずっと若いままの義村にも、「報いの時」がやっぱり来たのかな。

女性陣のこと

 最後に、女性キャラのことも書いておこう。

  • 初=矢部禅尼だったらとっくに泰時とは離縁しているはずなので、いつかいつかとヤキモキしていたが、結局ふたりは離縁しないでカップルのまま終わった。それはホントに良かった。未来への希望の象徴として、ドラマでは離縁させなかったのかな。「かしまし歴史チャンネル」のきりゅうさんが「初さんは三浦義村の別の娘説」を言っていたが、姉妹で同じ男に同時に嫁ぐなんて、そんなことある?
  • 完全創作キャラのトウが、当初予定された悲しい運命から一転、戦災孤児たちに武芸を教えてと政子に頼まれ活躍する未来が与えられた。トウの運命如何が三谷幸喜が鬼かどうかが分かるバロメーター、みたいなことを過去に書いた気がするが、三谷幸喜は鬼じゃなく、心優しい人でした。子どもたちは「トウの13人」として話題にもなっていた。微笑ましい。
  • 久々登場の「りく」。彼女が夫時政の死を9年も知らなかったという設定はちょっとおかしい。だって、彼女は誰と暮らしているのか。自分が産んだ時政の娘「きく」だ。トキューサとは年も近く、一緒に育っていたはず。あのトキューサが、きょうだい間で父親の死を知らせない道理が無い。きくだって尼将軍である姉政子との関係は大切に姉妹でやり取りしていたはず。また、きくが平賀朝雅の後に再婚した夫だって、執権北条義時の妹を妻にしていることは十分に認識していたはず。その夫が「現執権の父の死」を知らない訳が無い。そして、きくが同居する母親りくに、父の死を隠す訳もない。だから、素敵な宮沢りえの演技も、見てて少し白けてしまった。
  • そして「のえ」。最終回冒頭の無表情で髪をとかしている顔で、完全に義時を見切った感じ。そして、猫撫で声で「あんまりではないですか、なぜ一言も無かったんですか」と言って「すまん」と義時に謝らせている承久の乱直前には、もう意思を固めて義時を葬るミッションを発動するつもりになっている感じがする。彼女の猫撫で声は、「あら、バレちゃった」まで続いた。のえは「あの方と太郎殿は、ぶつかればぶつかるほど心を開きあっているように見えるのです、私には。薄気味悪い親子なんですよ」と祖父に言うなど、割と真実が見えていた部分もあるのに、自分本位でしか物事が考えられない愚かだからこそかわいそうな残念キャラだった。義時が「後継ぎは太郎と決めておる」と言った時に「そう思っているのはあなただけ」と返した「のえ」だが、見ているこっちは「いや、そう思っているのはのえだけだってば」と見るたび毎回言いたくなる。菊地凛子はさすがにお見事。

 ということで、終わってしまった。最終回だからダラダラも極まり、見ると1万文字を越えている。良い大河ドラマだった。忙しい年末年始に、ここまで読んでくださっている方ありがとう。良いお年を。(敬称略)