黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

【どうする家康】#7 瀬名も門徒も心のケアが欲しい

皆が気遣う瀬名、やり方はどうあれ

 NHK大河ドラマ「どうする家康」の第7回「わしの家」が2/19に放送された。まずは公式サイト「あらすじ」から引用する。

元康(松本潤)は、家康と名を改める。国をまとめたいと願う家康だが、三河内の争いも絶えず、三河統一は遥か先の話。そんな中、民衆の間で一向宗が人気と瀬名(有村架純)から教えられる。家康は宗徒が集まる本證寺に潜入すると、そこには寺内町という巨大な町がつくられ、住職の空誓(市川右團次)は「民が苦しむのは武士のせいだ」と説いていた。家康は一向宗への対抗を命じるが・・・。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 公式サイトの「略年譜」(略年譜 | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK)を見ると、永禄6(1563)年の数え22歳の項に「7月、『家康』と改名する」。と書いてある。そして、1つ前には「今川氏との人質交換により、駿河にいた嫡男・竹千代(信康)を取り戻す」と竹千代の事だけが記述されている。

 桶狭間の戦い後には瀬名と亀姫が元康のいる岡崎へと送られ、人質として竹千代だけが駿府に残っていたと脚本完成後に史料からはっきりしたとか聞いたので、それに沿って略年譜では記述されているのだろう。

 とはいえ、今ドラマでは瀬名も亀姫も竹千代と一緒に駿府に残っていた設定で、前回までに「奪還作戦」が成功して岡崎に彼女ら3人はやってきた。関口家の両親は今川方に残り、彼らの最期までは描かれなかったから今作ではいつの時点で関口氏純とその妻が命を落としたのか判然としない。が、彼らがあの場で死んだとしても、もっと生き永らえたとしても、結局は娘の瀬名とは今生の別れとなる。

 何が言いたいかというと、どう考えても、岡崎に来たばかりの頃の瀬名の心の傷は、例えるならちょっと触れるだけで瘡蓋が破けて鮮血が迸るほど深く深く抉れていただろうということだ。

 心身ともにとことん痛めつけられていた瀬名。罪人の家族として日々、死に直面した暮らしだった。簡単に胃に穴がいくつも開きそうだ。メンタル的にも崖っぷち。瀬名は、竹千代と亀姫に「あっぷっぷ」と笑顔を見せて笑ってもらえることだけが救いだったと思うが、その子らを目前で殺される寸前まで行ったのだ。

 前回の人質交換で岡崎にやって来てから半年~1年程度は経過して身体の傷は目に見えて癒えても、瀬名の心の傷はまだまだ残っているはず。両親を見捨てた悔い、サバイバーズギルトは彼女の心中から簡単には拭えないだろう。

 そういった事柄が下敷きになっていると考えると、岡崎の家臣たちがあの手この手で瀬名にお裾分けを持ってくる描写(しかし、野菜や卵ならともかく、真ん丸いからって石まで持ってくるとはw)は、単なるコミカルな「御方様ファンの家臣の皆さん」「岡崎にウェルカムされた瀬名」を示す場面に止まらない気がした。

 そんな温かさの中で、瀬名は感謝してこう言う。

皆、ありがとう。私はここが大好きです。何だかみんなが一つの家におるようで。私も早う、この家の一人になりたい。

 この言葉に触発されて、元康は「家康」の名を思いつく、という流れだった。うまいな、なかなか。

 意地悪しているように見えた於大の方も、モーレツ烈女な彼女なりに「私にはこのお瀬名殿を一人前の三河の女にする務めがあるのです」と瀬名を思って上ノ郷からやってきているのだろう。忙しくしていれば、気が紛れることもあるから。

 実際のところ、於大が瀬名にやらせていた「鍋磨き」は、やってみると無心になれる。ピカピカになり、気持ちも結構スッキリするものだ。「心のおまじない」として鍋磨きを挙げている人もいて、何かムシャクシャしたら鍋を磨くと言っていた。

 於大は元康が「母上。瀬名は長く辛い思いをしてきたのです」と庇った時に「つらい思いをしたおなごなど五万とおります」と返した。戦国時代、大切な人でも呆気なく命を奪われ、まさに現代の心持ちの人間などにはとてもとても渡っていけない世の中。そういう人たちが現世の憂さを忘れて集う場が一向宗の寺だったのだろう。

 周りが瀬名を連れて行きたがるのも、そういうことだった。当時の民衆にとってのメンタルケアの場だったのだろう。

説得力がすごい、市川右團次による空誓上人

 ここで有力な一向宗の本證寺(今度は、モンサンミッシェルみたいに見えた)御住職・空誓上人として登場したのが、歌舞伎役者の市川右團次だった。ネットで見かけたが、この蓮如上人のひ孫だという空誓上人は当時だと御年19歳(!)だったそうで、家康よりもなんと年下。とてもそうは見えなかったが。

 まあ、ゴジラ松井秀喜だって甲子園に出ていた高校生当時にとてもそう見えず、「マグロの遠洋漁業にでもずっと行ってたぐらいに見える」と誰かが言い出したので噴いたのだった。若くても貫禄のある人はいるものだから、まあ良しだ。

 ということで、門徒の感情を面白いように糾合する上人の法話を聞いて、さすが人を上手にたぶらかす「コンフィデンスマンJP」の脚本家だなと思ったけれど、同時にそれを「ドラマを見て入信しちゃう人がいるんじゃないの?」と心配になるぐらいの出来に右團次が持って行ったと感じた。

 完全に空誓ワールド、魔法のようだ。巫女が鈴を振り、高まる鐘の音、笛の音に誘われて老若男女が跳ね踊り、そしてお堂へと誘われる。その法話の場面をちょっと引用しておこう。

空誓:みんな座りん、座りん、座りん。ハハハハハ。こないだ法事の帰りにな、どうしても小便がしとうなってな、藪ん中入って、こっそりやっとったんじゃ。(笑い声)ガマンした後の小便程気持ちええもんはねえのう。(笑い声)

 どうも後ろから見られとるような気がしたで、ひょいと見ると、小さな女の子がじっとわしを見とる。おお、慌てて小便切り上げてナニをこう隠しながら「こんなところで何しとる」と聞いた。トトとカカがここで待っとれちゅうで待っとるんじゃと。まだ4つか5つの瘦せこけた子でのう。え~、いつから待っとる?と聞いたらゆんべじゃと。

 捨てられたんじゃ。わしは寺に連れて帰ろうとしたが「トトとカカがここで待っとれちゅうで待っとる」っちゅうて聞かん。しまいには無理やり連れ帰っての、他の僧たちに預かってもろた。酷い親じゃ・・・。ああ、酷い親じゃのう。

 ほいでもな、わしはこの子を捨てた親を憎む気にはならん。誰が我が子を捨てたくて捨てるか。どんな思いで我が子を藪ん中置いてったか!それを思うともう、わしは泣けてくる。なんでこんなことをせにゃならんのじゃ。何でじゃ。おまんまが食えんからじゃ。何で食えんだら?みんな一生懸命に働いとるだら?

一同:はい。

空誓:なのに何でおまんまが食えんだら?戦ばっかりやっとる阿呆どものせいじゃ!

一同:そうじゃそうじゃ!

忠勝、家康:(家康の顔を見る忠勝、家康も忠勝に視線を向ける)

空誓:今年も実りが悪い・・・仏さんがええかげんにしりんと悲しんどらっせるかもしれんのう。ほいだが、ここには蓄えがようけあるで皆の衆は心配しんでええ。この寺内は助けあって支えあって、みんなでくらしてくんじゃあ!ええのう?お、そうじゃそうじゃ、憂い事あるもんは聞いてやるぞ。

男1:上人様!あ、私は戦に出て女子供を幾人も斬ってしまいました!
男2:わしもじゃあ。
女1:私は銭欲しさに亭主ではない男たちと・・・。
男3:俺は年寄りを殺してヒエを奪いました!
女2:私は・・・私は・・・(号泣)

空誓:ええか。よう聞き。人は誰でも過ちを犯す。みんな悪業をもっとる。ほいでもな、そんな愚かなワシらでも仏さんはお救いくださるんじゃ。阿弥陀様は必ず皆を極楽浄土へお迎えくださるぞ!ありがたいことじゃて。手え合わして南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と唱えようじゃないか。南無阿弥陀仏。

一同:南無阿弥陀仏。(康政、率先して手を合わす。忠勝、家康も)

空誓:南無阿弥陀仏。ありがたいことじゃのう、みんなお救いくださる。お迎えくださるぞ!南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏(歩き始める)。

一同:(立ち上がって空誓に向かって手を合わせる)(鐘がなる)

空誓:現世の罪は現世限りじゃ!

一同:(歓声。鐘と笛に合わせて皆踊り始める)

 歌舞伎役者はすごいな・・・あんなに説得力を持たせられちゃうんだ。ああ、だからなのか。俳優さんたちは、有名人だから広告塔として重宝されるのかと思っていた。それだけじゃなく、一般人に無い説得力が彼らの話し方にはあるから、宗教団体が引っ張り込みたがるんだと改めて理解した。それだけの力がある。

 昨今クローズアップされている社会事案を鑑みてか、NHKは空誓上人をそんなに神々しく奉っては描かなかった。歩き巫女の千代に「おう、千代か。奥の方でゆるりとしようまい」「千代、後で来いよ」としつこく声をかけ、その時に何か食べながら、指を舐りながら去った空誓。他の宗教なら指導者としてアウトとなりそうな、しかし浄土真宗としてはOKの程度に人間臭く描いたということか。

怪しさたっぷり、歩き巫女の千代

 この本證寺にいた千代だが、鈴を振って踊る場面では「千代様~千代様~」と門徒衆からお声が掛かり、人気抜群だ。「歩き巫女」というと、「鎌倉殿の13人」で大竹しのぶが演じていた婆がそうだった。「天命に逆らうな」と実朝に刷り込んだ彼女だ。

 NHK公式サイトの紹介には、こうある。

乱世を見つめたミステリアスな歩き巫女・千代(古川琴音):本證寺の境内で神秘的に舞う巫女として振舞い、家康と空誓が出会うきっかけをつくる。全国津々浦々を歩いてめぐり、各地の情報を握り、重要人物と通じているが、素性も狙いも、敵か味方かも分からない。家康とは不思議な縁で、長き関係を結ぶ。

 これはもう「彼女は忍びの者です」と言っているに等しい紹介文だ。既に服部半蔵が率いる服部党に属する伊賀忍者、そして伴与七郎率いる甲賀忍者が登場している今作は、忍者研究で名高い三重大学のれっきとした研究者・山田雄司教授が忍者指導でスタッフに名を連ねている。大学設立の国際忍者研究センターの副センター長を務めているそうだ。

 前回にも書いた覚えがあるが、忍者研究は日々進んでいるそうで、その成果がこのドラマには出てくるのかと思うとワクワクが止まらない。この千代も、武田忍びの望月千代女ではないかとネットでは言われていた。なるほど。

 本證寺に潜入した家康らのことも、千代はすぐに訝しんだようだった。「坊やたち、初めて?」と聞いてから三人の中の家康だけ頬かむりの手ぬぐいを直すようにして、まじまじと見た。

 「かわいいのね」と言い繕い、心の中では「この人!もしかしたら」と考えたか。案の定、お堂に移動して家康の隣に座る。新参者を世話する振りをしつつ様子を見ていたのだ。

 家康は彼女に「上人と話したい。伺いたいことがあるんじゃ。頼む」と言い、千代は仲立ちすることになった。

千代:空誓様。
空誓:おう、千代か。奥の方でゆるりとしようまい。
ち:新参の坊やがどうしてもお話を聞きたいって。聞いてやってくださいな。
家康:家太郎と申します。百姓の。
く:千代の頼みなら仕方ねえわ。うん、何が聞きたいだ?
家:あの、その・・・なぜ、なぜ城に年貢をお納めにならぬのですか?
く:あん?ふっ。寺にその務めはねえからじゃ。
家:されど・・・他の宗派の寺々は頼めば多かれ少なかれ・・・。なのに一向宗は、国が困っておるのに自分たちだけ。
く:百姓のう・・・。さっきも言っただら。政をしている連中が阿呆だからじゃ。阿呆に銭を貢いでも、阿呆は戦にしか使わん。死に金じゃ。
家:戦をしたくてしているわけではない!・・・のだと存じます。国を守るために、民を守るために、少しでも豊かな暮らしをさせるために皆、命懸けで。戦をしてはならぬのなら、一体どうすれば良いのですか?戦をせずに済むにはどうしたらいいのか教えてくだされ!
く:知らん。生きとる世界が違う。苦しみを与える側と・・・救う側じゃ。千代、後で来いよ。(何か食べながら、指を舐りながら去る)
ち:(膝を折って挨拶)(その後、立ち尽くす家康を見ている)怖い顔してないで、踊りなさいな。ごらんよ、あのおなごなんかとても楽しそうに踊っておる。声をかけてごらん!
家:あ!あああ、(ぶつかる)相済まぬ。
瀬名:こちらこそ、相済みません・・・(びっくりのふたり)

 百姓が聞くにしては、おかしな問いを空誓にする「家太郎」。千代が最後にやったことは、家太郎と名乗る男の素性を確認するために、城の御方様と当てを付けておいたらしい瀬名とわざと衝突させたとしか思えない。

 この後、鉢合わせた家康と瀬名の二人が言い争うだけでなく、於大や登与、忠勝と康政ら騒ぎは広がり、千代はその様子を櫓の上から眺め、渡辺守綱に人物確認させた。守綱は家康の頭を思い切り叩いただけでなく首まで絞めちゃっていたから「たはあ~!やっぱりそうじゃ!なんで俺は気づかなかったんだ!やっちまった~」と嘆いたが、千代はにんまり。事態を理解したのだ。

 千代を演じる古川琴音は、朝ドラ「エール」で主人公夫妻の娘・華役で出演していたのを初めて見た。そういえば「エール」主人公・裕一の幼少期を演じた石田星空(せら)も、鵜殿兄弟の弟・氏次で出ていたと気づいた。

 喫茶店のマスター役の野間口徹は鵜殿長照だったし、弟子を演じたハナコの岡部大は平岩親吉、馬具職人の吉原光夫も柴田勝家だし、音の姉の吟を演じた松井玲奈も、お万の方で今後出てくる。志田未来も今川氏真室の早川殿だ。

 気のせいかもしれないが、この「どうする家康」は、「エール」率が高いような気がする。おっと、これはどうでも良かった。

 上記の引用にあるように、家康は空誓上人に「戦をせずに済むにはどうしたらいいのか、教えてくだされ!」と問うた。答えは「知らん。生きとる世界が違う。苦しみを与える側と、救う側じゃ」だった。そして、家康は「わしはあのような不浄な寺を仏門とは認めぬ」と年貢の取り立てを始め、それが不入の権を先代から認められていた寺から怒りを買い、空誓からは「仏敵」と見なされることになった。

 寺で千代は「みんな、仲間の門徒宗に触れ回りな!おのおの戦道具を持って寺に集まれと。進む者は往生極楽!引く者は無間地獄よ!」と門徒を煽った。いかにも動きとしては武田忍びの望月千代女らしい。三河内部からの崩壊を狙っているか。

 彼女は、服部党など他の忍びとどのように関わっていくのだろう。今後楽しみだ。

家康、瀬名と民衆の心への無理解が露呈

 家康は、瀬名が寺で踊っていたことが「ふしだら」だと気に入らなかった。踊り狂うほど苦しんできた瀬名の心を、夫としてちゃんと理解できていない。瀬名の手をただ引っ張って連れ出そうとしたのと同様、寺に集まる門徒が癒しをどれだけ求めているか、その傷つきを分かろうとせず、強引に年貢を出せと言う。

 「三河の国にあるならば、わしの言うことを聞くのが道理」というボンクラ領主思考だけで相手が動くものか。無理やりコントロールしようとかかるのでは、情けない。瀬名からも門徒からも、家康は反発を食らって当然だ。

 最後、金陀美具足を身に着けて横たわった家康の目からは涙が・・・1か月後ということで、門徒の恐ろしさが骨身に染み始めている頃なのか。こんなヘタレ家康は、北大路欣也の「こんばんは家康」や、現在BSで放送中の「おんな太閤記」の慈愛に溢れるフランキー堺の家康、「葵徳川三代」の津川雅彦のはまり役とも言われた家康像とはどうも重ならない。

 それだけ、今作は新しい試みなのか。これまでの大河のように、家康とか信長といった有名人だけがなぞる歴史じゃなく、名もない忍者でも、家康を支えていた周囲が史料をベースにした発想で描かれていくスタイルなのか?それなら歓迎だ。

 家康はその人たちの中心に、スーパーマンではなく等身大の人間として存在するだけ・・・となると、人物像としてはやはり人間的な「真田丸」の内野聖陽の演じたキャラが一番近いのかな?

あれは「鎌倉殿」ファンへのメッセージ?

 今回、元康は「家康」へと改名した。冒頭、どの字にすべきか元康がアレコレと頭をひねっているシーンで、子どもたちを外遊びへと連れだしていた瀬名が帰り、元康が「水遊びなんか危ないぞ。なるべく外に出ず城の中におれ。お前たちにはもう少しも危ない目に遭ってほしくないんじゃ」と言った。

 瀬名は「心配し過ぎでございます」と軽くいなしていたが、昨年「善児と水遊びを致しましょう」で震えあがった大河ファンの皆さんは、きっと「確かに危ない」とピピピと来るものがあったのでは?

 しかし、これだけであれば、それこそ「気にし過ぎでございます」と言われそうでもある場面。だが、この後に「泰康」への改名を「易々と事を成せるから泰康!ああ、すごくいい!」瀬名が絶賛して推したところで確信に変わった。

 このシーン、「鎌倉殿の13人」ファンへのサービスですね?みんなの希望・北条泰時の「泰」を持ってくるなんて!確かに父・義時が苦労して成せなかった事を易々と成した御人だ。いいなあ、こういう楽しめるちょっとした仕掛けは大歓迎。またお願いします。

(敬称略)