黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

【どうする家康】#11 募る瀬名の寂しさ・・・刻まれる悲劇への道

両家老が優秀で良かったね

 NHK大河ドラマ「どうする家康」の11回「信玄との密約」が先週3/19に放送された。その前の10回は、体調不良でおやすみしてしまったこちらのダラダラ雑感。まだ全快したわけではなく薬のせいで頭がボーっとしているのでボンヤリ雑感の短縮版になりそうだけれど、ちょっとだけでも12回の放送前に書いておこう。

 まず、11回のあらすじを公式サイトから引用させていただく。

三河国守となり、姓を徳川と改めた家康(松本潤)は、今川領の駿河・遠江を狙う武田信玄(阿部寛)と談判することになる。意外な形で信玄との交渉に臨んだ家康は、双方が今川領を攻め、切り取り次第で己の領地にするという密約を交わす。恩ある今川と戦うことに抵抗を感じつつも、家康は遠江の引間城へと兵を進める。しかも引間城主は、瀬名(有村架純)の親友・田鶴(関水渚)。田鶴の身を案じた瀬名は、文を送り・・・。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 ブログを1回飛ばしてしまったので改めて「略年譜」を確認したところ、あの三河一向一揆平定が1564年、その時に数え23歳だった家康は、今回の遠江に兵を進めた段階で1568年12月とのことで、27歳を超えた。数えなら正月には28歳か。その間、三河の平定も済ませた。それで家康は最近評判らしいよね、榊原康政の言葉によると。

 しかし、相変わらずの脇の甘い軽いノリのキャラのまま。えー、そうなの?20代の後半にもなってもしっかりしないボンヤリ坊ちゃんだ・・・誰(信玄)に出されたかわからんものをグビグビ飲んじゃうし、もし毒入りだったらどうするのよ、家康よ。信玄を守る忍びの者たちが林の上から十人単位で狙っている中、本多忠勝と康政と3人でおちゃらけてはしゃいでましたがね・・・自らの忍び集団・服部党を連れてこずに武田側と会うなんて、それでいいのか。面白いシーンだったけど。

 今作の「どうする家康」を見ていると、本当に松平家というか徳川家は、酒井忠次・石川数正の両家老が優秀で良かったね、そうか、そのふたりのお陰で草創期は回してこられたんだねとの感想が大きく膨らむ。リアルの家康は泉下で「俺、もうちょっとしっかりしてたよ」と地団太を踏んでるかもしれないとは思うのだけれど、まあ、今作はそういう作りなんだからしょうがない。

 略年譜を見ていたら、大きな項目がスルーされていることに気づいた。1567年5月の数え26歳の時、家康の嫡男・信康が信長の娘・五徳と結婚していた。これはスルーするにはあまりにも大きな話だ。

 後でまとめて振り返る形でとか、何らかの形で信康と五徳の結婚についてはやるに違いないとは思う。成長著しい若夫婦が、いきなりニョキッと岡崎城に出現するんだろうけれど、今回、1568年9月の織田信長の上洛に触れていたので、鷹狩の時に家康に愛情たっぷりをお示しだった魔王様が、その1年前に嫁いでいた娘について家康と何も話さないのも不思議な話だ。

毒茶も無し、「直虎」ファンとしては寂しい

 その分、今回時間をたっぷり割いていたのは田鶴の話。昔の駿府で雪が降った日にはしゃぐふたりとか、お団子を食べるとか、椿にまつわる話とか、田鶴と瀬名との古くからの心情的な積み重ねがたーっぷり描かれた。

 そして同時に、お田鶴が夫・飯尾連龍の徳川家康への接近を許せず今川氏真に密告するほどに、厚く今川家に傾倒していた人物であり、夫と家康は誤ったとの考えを曲げられず死んでいった姿が前回から時間をかけて描かれた。彼女の頭の中では、過去の平和をもたらしていた今川家が絶対正しく、だから平和を求める強い気持ちがイコールで今川支持になったのだろうか。

 この辺りは「おんな城主直虎」の録画を併せて見直したいところだが、その元気がないので後で見ることにする。ただ、ここまで今作ではセリフでも何でも、全く井伊家に触れられていないところが直虎ファンとしては寂しい。

 そうか、築山殿と井伊家に血のつながりは今作では無いことになってるのだなとか、そうすると直虎とのやり取りなんかも無いんだなと思うとね・・・故三浦春馬演じる井伊直親は、スケコマシだけれど印象的だった。1563年頃には今川の手によって処刑されていたね、今思い出しても悲しいなぁ。今後、井伊直政が本格登場するところで、その辺の事情は語られるということで期待するとしたい。

 さて、今回のドラマでは、ナレーションで寺島しのぶが言っていたように、飯尾家が未亡人のお田鶴様を中心に親今川で結束したという簡単な描かれ方に終わったのもちょっと残念だったかな。その前の流れで前田吟(じゃなくて井伊直平)がお田鶴様に毒茶で殺されるシーンは出てくるのかなとか(これも1563年)、あと1つの家中でも親今川vs.反今川で割れに割れて争われたと聞く遠州忩劇(1562~1566年)下の今川領での動きが、飯尾家を通じて象徴的に描かれるかも、と少し期待してしまった。難しいか。

大事なのはお瀬名の心象風景を描くこと、かな

 まあ、そんなことはどうでもいいのかもしれない。今作で丁寧に取り組んでいきたいのは、きっと瀬名の際立っていく心の寂しさの方だろうから。徐々に、完全に壊れていく彼女を見ていくことになるんだろう。

 さっきの関連で言うと、今作の瀬名は井伊家との血のつながりもなく、現段階で瀬名には残っている血縁者らしき人物は、自身の産んだ息子・信康と娘・亀姫以外は見えてこない。前回では出産マシーンとして「しまいじゃ」と冷たく姑に言われてしまったり、夫はなんだかんだと言いながらも側室選びを楽しんでいる。民の声を聴くという設定で庵を結び、城から出されている瀬名が、今回では心やすい幼なじみを失ったのだ。(城を出されたのも、実は信康と五徳との結婚のタイミングだと思うんだけどね。)

 彼女を支えるものが、どんどん削ぎ落とされていく薄ら寒さ。欲得抜きで愛情をもって彼女を支える親族や友人が減っていく寂しさが、徐々に彼女の心を蝕んでいくんだろうなあ。今は庵にも出入りしているけれど、多忙な家康がしっかりとは包み切れない彼女の心のスキを突き、代わりに好物の栗を集め、庵に訪ねてくるような人物が出てくるんだろう。こわいなー。

 前回、瀬名が「おなごとしてしまいじゃ」と言われながらもすぐに切り替えて側室を選ぶ正室としての役割を進んで行ったのは、非常に賢い振る舞いだった。正室の役割を担っている以上は、彼女には立ち位置があり、家臣たちにも支持してもらえる。

 だけれど・・・雪の降る築山殿に佇む瀬名は、三河守家康の正室とは思えない貧しい薄ら寒い着物のままだった。よくわからないが、戦国武将の妻が纏う打掛みたいな着物があったと思うのだが。20代後半に差し掛かり、体力が衰え知己を亡くしていく瀬名の後ろ姿を亡きお田鶴の視点で一緒に見ていたら、寂しくなった。

 彼女の残酷な未来を知っているだけに、そう考えてしまうのだけれど・・・今作は奇想天外なこれまでにない家康像を作っているだけに、相思相愛の瀬名をただ殺しはしないのかもしれない。どこかに彼女が生きる道があってほしい、そう思った。

 ただ、一方で思うのは・・・瀬名を殺してしまうことで、ようやく家康はちゃらんぽらんな王子様から脱却できるのかもしれないね。

 さて、まだ回復途上なので、また横になって本日の「氏真」放送に備えようか。今回はこれにて失礼。

(敬称略)