黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

【どうする家康】#20 岡崎を救うためのクーデター、瀬名を地獄に誘う

岡崎組のクーデターだった弥四郎事件

 NHK大河ドラマ「どうする家康」第20回「岡崎クーデター」が先週5/28に放送された。いわゆる「大賀弥四郎事件」として知っていた話だったが、今作では「大賀」ではなく「大岡」と。最近の知見によると、そうなるらしい。まずはあらすじを公式サイトから引用する。

信玄(阿部寛)亡きあとも武田軍の強さは変わらず、勝頼(眞栄田郷敦)は徳川領に攻め込んだ。総大将の信康(細田佳央太)は数正(松重豊)らと応戦するが、苦戦を強いられ、瀬名(有村架純)や亀(當真あみ)も、負傷兵の手当てに走り回る。病で浜松から動けない家康(松本潤)は、忠勝(山田裕貴)らを援軍として送る。そんな慌ただしい状況の裏で、岡崎城ではある陰謀が仕組まれていた・・・。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 今回、家康は病に倒れ、大切な時期に床に臥せっていた。酒井忠次が誠に優秀で、危機でのやるべき指示は的確に済ませていたから良かったが、家康は井伊直政を小姓に取り立てるぐらいしか見せ場がない。忠次から「明日にも岡崎に武田勝頼が攻めてくる」と伝えられても「こんな時に動けぬとは、我ながら情けない」と悔しがりつつ、寝ていることしかできない。

 今作の家康にはあまり思い入れを持てないでいるが、ポンコツ体質で何かと熱を出し寝込む私は、この虚弱体質の点ばかりは同情する。「都合のいい時に寝込む」とか言われちゃうんだよなあ。

 さて、戦国時代を終わらせたという日本史上最高の結果を出しているだけに、あの徳川家康がこんなにも苦しい、薄氷を踏む思いの時期を経験していたことなど忘れてしまっていた。天正元年(1573年)4月に信玄が死んでも、天正三年(1575年)5月に長篠の戦いで勝つまではかなり苦しかった徳川家。この間、ちょうど信玄の死を伏せるべき三回忌までの期間に当たるが、徳川の方がもう少しで滅んでもおかしくなかった。死して尚恐ろしい信玄。

 今回の「岡崎クーデター」で描かれた件は、実は譜代の家臣である「大岡」弥四郎が関わっていた大規模な企てだったのに、大岡越前の一族の手前か幕府の意向で「大賀」なる身分低めの人物が起こした小さい話として記録されたらしい。それを、今作ではしっかり「大岡」弥四郎と・・・ちょっとオールド大河ドラマファンとしては戸惑った。

 (大岡越前は弥四郎の従弟の子孫らしいとの話があるらしいが、「全然関係ない」との説も。どっちが正解なんだろう?)

 私の中では「大賀」弥四郎は「徳川家康」での寺泉哲章(今の寺泉憲。「葵徳川三代」の松平忠吉でも印象深い)であり、池上季実子が演じた築山殿と共に強く脳裏に刻まれている。もうそれが私の中でのスタンダード。

 そして度々ブログで名前を出している、昔読んだ懐かしい杉本苑子著「長勝院の萩」の「大賀」弥四郎。欲にまみれた悪党として描かれ、家康は、築山殿もお万の方も両方寝とられ怒り爆発。その結果、酷い処刑(「黄金の日日」の杉谷善住坊で初めて知った鋸引きの刑)の上を行く始末のされ方だったから、忘れられなかったんだろう。

 しかし、「どうする家康」の弥四郎は欲にまみれた人物ではなかった。「まんぷく」塩軍団の毎熊克哉が弥四郎役かと内心気の毒だったから、弥四郎が人でなしに描かれていなくてホッとした。それが本来の姿だったかもしれないね。

平岩親吉:大岡弥四郎、城に残れ。留守を任せる。

大岡弥四郎(岡崎町奉行):大岡弥四郎、命に代えて岡崎を守りまする。ご一同の御武運、お祈りいたしまする。

 弥四郎のセリフを最初聞いた時は「またまた心にも無いことを」と思ったが、弥四郎なりに、前半は本当、後半は嘘だったのかな・・・と見終わって思うようになった。まず、弥四郎は同志にこう言っていた。

大岡弥四郎:(集まった同志を前に、連判状を確認して)勝頼様からお指図あり。明日、武田勢が攻めて参る。よって、我らは今宵、事を成す。時は寅の刻じゃ。ご一同!恐れるな。これは、岡崎を救うためになすことじゃ。狙うは、まず松平信康。次いで、築山殿。岡崎城を乗っ取り、武田勝頼様をお迎えいたす!

 彼なりに、岡崎を守るためという正義はあった。そして捕まってから。

信康:お前らがこのようなことを企てるとは。

数正:お主にも言い分があろう。申してみよ。

忠勝:武田に人質でも取られ、脅されたか?

康政:城を乗っ取った暁には、岡崎城の主にしてやるとでも言われたか?

弥四郎:脅されて、仕方なく・・・つい武田の口車に乗せられてしまいました。悔いております。(頭を下げる)フ・・・とでも言えば満足でござるか?

親吉:何を・・・?

弥四郎:私は、こちらの船とあちらの船をよ~く見比べて、あちらに乗った方が良いと判断したまで。沈む船に居続けるは愚かでござる。

数正:我らは沈む船か。

弥四郎:浜松の殿の才と武田勝頼の才を比べれば自ずと・・・

信康:我が父までも愚弄するか!

弥四郎:ずっと戦をしておる!ずっとじゃ。織田信長に尻尾を振って、我らに戦って死んでこいとず~っと言い続けておる!何の御恩があろうか!

親吉:お前には忠義の心というものが無いのか!

弥四郎:くだらん!御恩だの忠義だのは、我らを死にに行かせるためのまやかしの言葉じゃ!皆、もうこりごりなんじゃ。(前に出ていた信康を忠勝が引っ張って後ろに下げる)終わりにしたいんじゃ。だが終わらん。信長にくっついている限り戦いは永遠に終わらん無間地獄じゃ!遅かれ早かれ死ぬのならば、ほんのひとときでも欲にまみれる夢を見た方がマシじゃ。(忠勝が信康の肩を抑えている)(弥四郎、同志の方を向いて、笑顔で)飯をたらふく食うて、酒を浴びるほど飲んでいいおなごを抱いて!なあ、みんな!

クーデター同志一同:そうじゃ!そうじゃ!

数正:静まれ!静まれ!

弥四郎:(また囲いの外に向け)よう聞け!これが皆の本当の思いじゃ!本当の心じゃ!ハハハ!(何かにドスっと突かれる音)ウッ・・・(咳き込む)

同志一同:弥四郎殿・・・!

五徳:(槍を手に)信康様。このことは我が父に子細漏れなくお伝えいたします。この者たちをしかと処罰なさいませ。この上なく酷いやり方でなあ。(立ち去る)

信康:(怒り、情けなさ?に震え、涙目)

瀬名:(黙って一部始終を見ていた)

 弥四郎の言葉は、虎松の言葉と対になっている。ふたつの船を見比べて、武田を選んだ弥四郎と、徳川を選んだ虎松。

家康:面を上げよ。聞かせてくれんか?わしを憎んでいたお前が、なぜわしに仕官することを願い出たのか。

虎松:我が家と郷里を立て直すためでございます。

家康:なぜわしにと聞いておる。武田に仕えたかったのではなかったか。わしは、このざまじゃ。ずっと武田にやられっぱなしじゃ。民は、わしをバカにして笑っておるらしい。なのに、お前はなぜ。

虎松:だからこそでございます。私は幼い頃より民の悲しむ姿、苦しむ姿ばかりを見てきました。しかし、殿の話をする時は、皆愉快そうに大笑いします。民を恐れさせる殿様より、民を笑顔にさせる殿様の方がずっといい。きっとみんな幸せに違いない。殿に、この国を守っていただきたい!心の底では皆、そう願っていると存じます。

 虎松は「民を笑わせる殿様の方が良い」と徳川を選んだが、それは徳川がこのままでも生き残ると信じられたからこそ。家康も視聴者も、クーデターの後で虎松の言葉には救われたろう。でも弥四郎らは、恐怖に背中を押されて沈む船だと信じていたのだ、責められない。

 決行前、弥四郎は村はずれ(?)の小さい祠にお参りする振りをして置き文を交わすやり方で、武田の歩き巫女・千代と連絡を取っていた。千代は、文の抑えに干し柿を使い、文を読んだ弥四郎は柿を食べ、甘美な甘さを堪能していた。

 砂糖が貴重だったろう当時、自然な甘みの供給源だった干し柿。甘い物なんかふんだんにあるわけじゃないから痺れただろう。今も、私を含めて多くの人間は甘い物につられるが、昔なら尚更。武田からの指令は「甘言」として弥四郎の脳を揺さぶったかもしれない。(しかし、柿を祠に置いた途端、鳥に攫われたり悪ガキに盗まれたりしないか?)

 弥四郎の鋸引きの刑も映像化は無かった(今のところ)。「私は織田信長の娘じゃ、無礼者!」と姑の瀬名に対して啖呵を切ったキレた気分のままなのか、クーデター実行犯らにこの上なく酷い仕置きをご所望だった五徳、そして、家康に報告する本多忠勝の「一味は皆、死罪にするほかありません」との言葉から、弥四郎らへの処刑は果たされると匂わせ、終わるのだろう。

 そうそう、山田八蔵!中の人は「鎌倉殿の13人」でふくよかなお姿が目を引いた、あの義時の兄上と一緒に善児に殺されたあの人。「すまぬ」の意味がこちらが思った別物になったのは、瀬名が八蔵始め、家中の皆に情けをかけていたからだ。まさに、情けは人の為ならず。瀬名自らを救うことになった。

徳川領は、武田と織田の重みにうずくまる「小さい兎」

 今作の弥四郎には「岡崎を守るため」と、彼なりの正義があった。岡崎の留守を預かる奉行の弥四郎を筆頭に、多数の家臣を巻き込んだ事件の背景にあったのは、「あらすじ」にもあったように、信玄亡き後の武田軍の強さだ。

 前回ブログで「信玄が死んで家康が命拾いしたと万人が思ってる」と書いたが、認識が甘かった。勝頼は信玄が見込んだ器であり、だから眞栄田郷敦だったのだ。彼の力強さには見合わない役不足のように見えて、実は順当だった。「やつは、信玄の軍略知略の全てを受け継いでおる」と家康も恐れを拭えないぐらい。

 その勝頼の強さ無しでは語れない岡崎クーデター。武田軍に追い込まれた岡崎組は、奉行3人の内2人がクーデター側に回るほどに真っ青だったということだ。

 公式サイトの「略年譜」(略年譜 | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK)には簡略化された地図が載っている。その徳川領の縮みようを見て、あれまあ、こんなに!と改めて驚いた。これはまさに滅亡の危機を前に恐怖に震えても仕方ない。

①今川滅亡後、1569~1570年頃

②足利義昭が京を追われた後、1573~1574年頃

 ①が今川が滅んだ家康数え28~29歳(1569~1570年)、そして②が家康数え32~33歳(1573~1574年)のもので、②はたぶん高天神城が落ちる前だ。つまり、高天神城が落ちた後は、青い徳川領はさらに縮んでいる。これは怖い💦

 ①は左側を向いた青い犬のようにも見えるがシッポとお尻部分を失って②となった。②は、偶然ながら小さい徳川ウサギが、武田と織田の重みに耐えかね、うずくまっているようにも見える。白兎じゃなくて青兎だけど。

家中が割れるのは珍しくも無い

 浜松城が対武田の前線基地のはずだったのに、いつの間にか岡崎城目前まで敵が迫っている。前線に立つ兵士が多い浜松よりも、非戦闘員が多い岡崎では、浮足立つのも早いのではないだろうか。だから岡崎だけ武田に寝返って生き延びようとする考えだって生まれるだろう。

 今回、ドラマの弥四郎は信康と築山殿を標的として討ち取り、城まるごとを武田への手土産にするつもりだった。瀬名と信康は裏切られる側で弥四郎との連携はなかった。だが、事件の実際のところは、家臣団だけでなく、家康と不仲な築山殿が信康と共に武田に寝返る手はずだったとも聞く。

 その場合、浜松と岡崎で徳川が割れるのだ。勝頼が「岡崎攻めはまだ始まったばかりよ。あの城はいずれ必ず内側から崩れる」と言うからには、ドラマでも結果的にその道をたどっていくだろう。(まあ、岡崎城を遠目に、このセリフを言う勝頼の横顔の美しきかな。力攻めを主張する山県との意見割れと「大」だけの旗も気になるが。)

 家中が割れるのは珍しくも無い。「麒麟がくる」でユースケ・サンタマリアが演じていた朝倉義景を裏切り、織田方に寝返った一門衆筆頭のいとこ・朝倉景鏡がいた。若き信玄(当時は武田晴信)を擁する家臣たちが、当主の信虎を裏切って追放した例もある。

 また、今作ではネタバレになるが、武田滅亡時に織田に寝返る穴山梅雪もいる。彼の妻は信玄の次女だったり武田一門だ。一族の誰かが生き延びるのが正義だとすれば、そのような選択も致し方ない。

 ただし、お家が苦しい時に家を割る行為だからこそ、失敗した時のツケは重い。だとしたら、後に信康と築山殿のふたりが処刑されるのも納得できる。

 三河の名家出身の西郷の局から後の秀忠が生まれ、その5か月後の信康切腹だったというから、徳川家としては後継ぎの心配はなくなったと安心して信康らを片付けたか。その頃の黒歴史を、後の幕府は矮小化して伝えるしかなかったんだろうな。

気の毒な織田親子

 それにしても、織田信長は気の毒。「信康と築山殿を殺せ」と神君家康公に無体にも無理強いしたのは信長だと、ずっと後世には広く信じられてきた。何度もドラマでもそう描かれてきたが、それも幕府のせいだ。

 今作でも、まだ信長は「待ってろよ、俺の白兎」等と家康にねっとりと笑顔を向けて耳攻撃をしていて、第六天魔王的な存在であり、彼の名誉挽回は遠そうだ。

 一方、築山殿は今作で色々な濡れ衣を見直され、そして、築山殿の従来キャライメージは「信長の娘じゃ」の五徳にスライドして引き継がれている。つくづく気の毒な織田親子だ。

 そういえば、今回ドラマの冒頭では信長が光秀にワイン(?)を注がせてふたりで話をしていた。

天正元年(1573年)美濃・岐阜城

明智光秀:信玄めが死によって、もはや殿を脅かす者はおりませんな。徳川様が武田に奪われた所領をしっかりと取り返されることでしょう。

織田信長:果たしてそうかな・・・。武田四郎勝頼。(西洋酒をあおって)恐るべき才覚と、俺は見る。

 この時、信長に話しかける光秀のうれしそうなこと。ふたりの光景が癒しになるとは思わなかった。

瀬名は、家康と違い人に心をさらけ出せないか

 さて、地獄の釜の蓋を開くように、今回の最後で瀬名が行動を起こしてしまった。5月も最終週だったし、6月いっぱいで瀬名と家康は永遠にお別れか。やっぱり、前回のお万に言われた言葉が瀬名の心の中では響いていた、ということになったか。

私はずっと思っておりました。男どもに戦のない世など作れるはずがないと。政も、おなごがやればよいのです。そうすれば、男どもにはできぬことがきっとできるはず。御方様のような御方なら、きっと。

 クーデターを起こされて涙ぐむ信康は、いかにもまだ幼かった。槍を振るう姿も、申し訳ないけど郷敦勝頼に全く及ばず、まるで振りだけ覚えた軽いダンス。妻の五徳にも「甘いところが抜けませぬ」と指摘されていたね。年齢的には今なら中学生~高校生あたりか、反抗期夫婦を残してまだまだ浜松には行けぬ、としっかり者の瀬名が判断してもおかしくない。

 思うに、今作の瀬名には頼りになる相談相手がいない。姑の於大はデリカシーに欠け、弱味を見せて相談などできそうにない。於大の妹で酒井忠次の妻・登与にしても、御方様としてはシャンとしたところを見せなければならない関係にも見える。

 そして家康は、瀬名に一方的にヨシヨシされるばかりで、瀬名の思考に深く寄り添えてはいないように見える。両親の命という大き過ぎる犠牲を払って三河に来て、朋輩のお田鶴も死に、彼女はずっと孤独だったのでは。

 人質交換で川を渡ってきたあの辛い時にでも、家康に泣き顔を見せるのではなく、敢えて笑顔を見せる方を選ぶ賢さを持つ瀬名。ここで泣けなかったから、瀬名の心の奥底に凍った閉ざされた扉ができあがってしまったのかもしれない。

 築山に庵を結び、門戸を開いて広く庶民の声を聞く姿勢を持ち、「そなたらの血や汗ならば本望じゃ」と戦後の負傷兵を手当てするなど家中にも心配りをし、お万のはかりごとも見抜く洞察力満点な御方様だが、瀬名は誰にも心を開くことなく、最終的にいつも一人で考え、決めてしまっているような気がする。

 本證寺での千代の動向に目が留まっても(洞察力のなせる技!)、自分の考えを家康には告げたか?子どもっぽく瀬名の手を引っ張って寺を出た家康には、とても言えそうにない。家康には見えていない。

 今作の描き方として、家康と瀬名は対照的だ。乱暴な言い方かもしれないが、この夫婦は、時代劇で描かれるステレオタイプの夫婦像を男女逆転させたような性格をしている。怒ると手も口も出す負けん気があり、腹が座っていて賢い瀬名。メソメソ泣いてばかりで幼く、甘えん坊で弱音を吐きまくる家康(だから皆が助けてくれるのだけれど)。

 だから、瀬名がひとりで腹を決め、地獄への扉を開けたのも分かる気がする。「家臣に手出しされるくらいなら、私がお相手しようと思って」との重大な決意については、家康か、せめて数正には相談してほしかったが(底の浅そうな平岩親吉は無理だろう)・・・そうして五徳との嫁姑問題も絡んで、瀬名は立つ瀬を失っていく、という描かれ方になるのだろうか。

 お万に言われた「御方様のような御方なら」に励まされて踏み出した一歩だったのに、おなごが政に手を出して失敗していく例になるのは悔しいね、瀬名。あまりにも危険な橋を渡り始めた彼女が、次回以降落ちていくのを見るのが怖い。

(敬称略)