黒猫の額:ペットロス日記

狭い場所から見える景色をダラダラと。大河ドラマが好き。

【光る君へ】#39 癒しのまひろ弟・惟規が越後で涙の急死。呪詛返しの伊周も去り、道長の世は盤石

選挙での放送休止を免れた

 NHK大河ドラマ「光る君へ」第39回「とだえぬ絆」が10/13に放送された。選挙の関係で次々回の10/27の放送は、もしかして・・・と東京都知事選(たぶん)の前科があるから危ぶんだが、ちゃんと放送するようだ。時間は早めだが、とにかく放送があるだけ良かった。

 今年の「光る君へ」が48回まであるとして、もう残り10回を切っている。そうそう簡単に放送休止にしてもらっちゃ困る。編成会議でドラマ部門が頑張ったかな?とにかくNHKありがとー!

 ということで、今週は時間も無いので慌て気味に公式サイトからあらすじを引用する。

(39)とだえぬ絆

初回放送日:2024年10月13日

中宮・彰子(見上愛)が二人目の皇子を出産。次期皇位をめぐり公卿たちの思惑が交錯する中、道長(柄本佑)は自身の血を引く天皇の誕生を意識し始める。そして道長と敵対していた伊周(三浦翔平)の体調悪化の噂が宮中で広まる。一方、帰省中のまひろ(吉高由里子)が久々の家族団らんを楽しんでいると、賢子(南沙良)の父親が道長であることを、惟規(高杉真宙)が為時(岸谷五朗)にバラしてしまう。真実を知った為時は…((39)とだえぬ絆 - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK

惟規、君も光だったのに

 まひろの弟としてグニャグニャ登場し笑わせてもらって以来、いつもまひろ&為時家を明るく照らしてくれた惟規。その彼が、知ってはいたけれど、今回の終わりで若くして越後の地で死んでしまった。寛弘八年(1011年)のことだ。

 当時は「物の怪にいきなり襲われた」等といった説明で皆納得だったかもしれないが、現代人にはその答えじゃ困る。いったいなぜ死んでしまったのだろう?越後守への就任で、旅立ちに当たり「もう会えぬかも」と口にしていた為時パパじゃなくて、付き添いでパパを送りに行った若い方の惟規が急死するなんて意外過ぎる。

 旅の前に用事を片付けておこうと睡眠不足が重なり、過労で急な心筋梗塞を起こしたとか?食あたり?盲腸になったとか?寒くて肺炎とか?喘息持ちだったら発作も怖いよな・・・あれこれ考えても詮無いことだが。若い彼の死に、家族皆が涙涙になるのも致し方ない。

 私も泣いた。今回を締めくくった辞世の歌「都にも 恋しき人の多かれば なほこのたびは いかむとぞ思ふ」の最期の一文字「ふ」だけが惟規は書き切れなくて、為時パパの筆で加筆したものと「今昔物語集」には書いてあるとか・・・それを、ドラマでもやってくれた。

 結末が見えているだけあって、今回は惟規絡みのシーンが多かったね。

 まず、賢子の父が道長、という話。寛弘六年末(1009年末)の時点で、家族の中では為時パパと賢子だけが(乙丸夫婦も知ってるだろう)事実を知らなかった。それを惟規がバラした。

 惟規にはいとが告げたことになってたが、その場面はドラマでは無かった。そういうのも見たかったんだけどな。

まひろ:左大臣様からの賜り物です。正月用のお酒と米とお菓子と、これ(織物)は賢子にと。

惟規:おお・・・。

為時:このような贅沢な物を。

いと:ちょっと近くで拝見してもよろしいでしょうか?

まひろ:ええ。

惟規:やっぱり自分の子は可愛いんだな。

まひろ:賢子の裳着に何か頂戴したいと申し上げたら、この織物を賜ったの。(訝し気な為時)

惟規:中宮様がお召しになるような物でしょう、それ。

為時:ちょっと待て、惟規・・・今、何と申した?

惟規:中宮様がお召しになるような物・・・

為時:そ、その前だ。

惟規:その前?何だっけ?(ハタと気づく)・・・父上、知らないの?

まひろ:(いとの顔を見て)ご存知だと思うけど・・・。

いと:若様にだけはお話したような・・・。

為時:・・・賢子は・・・左大臣様の子なのか?(遠くで鐘が鳴る)

惟規:言ってしまって良かったよね?父上にも伝わってようございました!

為時:黙れ・・・そうなのか?(まひろを見るが、まひろは無言。為時パパ、息を飲む)何という事を・・・宣孝殿は何も知らずに逝かれたのであろうな。

まひろ:いえ。何もかもご存知でした。その上で、一緒に育てようと仰せ下さり、本当にかわいがってくださいました。

為時:はあ・・・左大臣様はご存知なのか?

まひろ:いいえ。

為時:これは良い折ゆえ、お話したらどうだ?

乙丸:姫様のお帰りにございますー。

賢子:おじじ様、ただいま帰りました。(成長著しい賢子登場)

為時:うん。

賢子:ああ、叔父上いらっしゃいませ。

惟規:うん。

賢子:どうかしたの?

為時:いや・・・今、左大臣様からのお前への贈り物を見ていたのだ。

賢子:要りませぬ。そんなの。(立ち去る)

惟規:まさか、もう知ってるの?

まひろ:(激しく首を振る)

 大河名物、成長著しく出てきた少女のはずの賢子が、徹底的にまひろを無視している。わざわざ「おじじ様」と声を掛けて「ただいま」を言っていて、まひろ関連だとカテゴライズされた「左大臣様」というワードも一刀両断、嫌っている。

 賢子の実父が道長であることについて、為時パパが「良い折ゆえお話しては」と言った。パパは、翌年正月の子の日の宴に招かれた時、それでじーっと道長を見ていたかと思うと、途中退出するという挙動不審な態度に出て、「何を言いたかったのであろう」と道長が怪しんでまひろに会いに来た。(これも紫式部日記だったかの記述のアレンジがとても自然だった。うまいなー。)

 ただ、肝心なまひろは煮え切らない。道長が自分の局にいきなり立っていて話に来たぐらいだから伝えるチャンス到来!にも見えたが、壁に耳あり障子に目あり・・・どころか、隣とは壁や障子さえも無く布がぶらさがっているだけじゃ、意地悪な女房にも筒抜けだもんねぇ。

 まひろがちょうど書いていたのが、源氏物語で女三宮の不義が光源氏にも露見したあたりだった。現実世界を余すことなく物語の種にするまひろだ。

 惟規は、昔、自分が似顔絵を描いて探したこともあった「三郎」=道長だと知っていたのだろうか。道長=姉の想い人だという話なら、悲田院でまひろが倒れて道長が助けた時に、いとやパパから聞いてもおかしくない。しかし、それが「三郎」と結びついただろうか。だとしたら、2人が長い仲だと惟規は知っていることになる。

 どこまで分かっていたのか、きょうだいでも恋バナを全部を知っている訳じゃないとは思う。知ったら驚いただろうね。だが、そういう彼の驚きを伝えるような場面は省略されて描かれては無かった(と思う)。

 今回、道長に贈られた織物を上着に仕立て、まひろ娘・賢子が成人式の裳着を迎えた時には、叔父の惟規が腰結いを務めた。「これでお前も一人前だ。婿も取れるし子も産める」との彼のセリフは、まひろの裳着でやはり腰結いだった宣孝が言ったのと同じだ。

 このリフレイン。しかし、宣孝がまひろを見守ったのと同様、賢子を叔父として末永く・・・という訳にはいかなかったね😢

 裳着に先だち、惟規は従五位下に昇進した。「いや~信じられないな。そんなに真面目に働いたわけでもないのに」と言いながら、姉上の七光りであり左大臣様のお陰と理解していただろう。

 だから、道長へのお礼言上の際に「恐れながら左大臣様、姉もお世話になっておりまする。あの・・・恐れながら、姉は気難しくて人に気持ちが通じにくいのでございますが、どうぞ末永くよろしくお願いいたします」なんて言っちゃったんだろうね。為時パパは「お前、何を言い出すんだ」という風に焦っていたけれど、姉を思う惟規の精一杯の気持ちが伝わってきた。

 その前、昇進の朝廷の使者を迎えた時、浅葱色の袍を着ていた惟規に、いとがこう言い出した。

いと:若様の赤い束帯、ご用意してございますよ。

惟規:え?

いと:いつかこういう日が来ると思って、密かにご用意しておりました。

惟規:いとは、俺が赤い束帯を着るほど偉くなると思ってたんだな。

いと:幼き日より、私がお育て申し上げたのでございますよ。

惟規:そうだな。

いと:(ウルウルが止まらない)若様!

惟規:いと!(抱きしめ合う)

いと:上向いて参りましたよ、ご運が。若様~(泣く)

惟規:ハハハハハハハハ!

 いと、嬉しそうだったな~そして、照れているけれど惟規も。乳母だもんなあ、まさに母代わりとして育てたんだものなあ、彼こそが光だっただろう。彼の運は上向いているはずだったのに・・・なんて残酷な。

 今わの際の惟規は、「左大臣様に・・・賢子のこと・・・」と姪の行く末を気にしていた。今回のサブタイトルは「とだえぬ絆」、死んでも途絶えぬ絆が家族にはある。姉が超絶出来るばかりに、比較されて出来の悪いようにも見えていたが、勅撰和歌集に採録されて後世に残るような和歌も詠めるし、しっかり姉と姪、乳母を気に掛けていた優しい弟だった。(藤原惟規 - Wikipedia

伊周退場

 伊周も36歳で最期を迎えた。前回、道長の前で直接の呪詛に及び、笑い方から完全にあっち側に行ってしまわれたか💦と思ったが、興奮の余りの一時的なものだったか。

 今回、伊周が「俺が何をした」と言ったものだから、ちょっと吹いた。全視聴者が「あなた、めっちゃ呪詛してたよ」と突っ込んだ瞬間だったろう。割と冷静につぶやいていて、見た目は正気に返ったように見えたが、左大臣相手に呪詛しまくったことを憶えていないなんて。

 いや、そんなことないか。「呪詛程度のことじゃ何もしてないと同じだ」ぐらいに思ったか。奪い尽くされた人生、それが道長のせいだと思っているんじゃね。

 人を呪わば穴二つというのは、やはりやられる方も人の恨みは怖いけど、呪詛する側に相当の精神的負荷がかかるからだろうね、それで体調まで崩すという。それに貴族あるあるの飲酒。リアルの伊周は、父親・道隆の糖尿病体質を受け継いで飲酒し過ぎて短命だったのかもしれないと想像したりするが、ドラマの伊周はメンタルをやられ体まで蝕まれた口だった。

 前回で伊周はクライマックスを迎えたと言っていい感じで、退場は割とあっさり。娘2人への遺言はドラマではやらず(と言うか、宮仕え厳禁と言い渡されるはずの后がねの娘2人ともが出てこなかった)、嫡男道雅だけだった。

 道長に従うな、低い位に甘んじるぐらいなら出家せよと呪いの言葉を授けられ、息を飲んで「分かりました」と答えた道雅。ああ悲劇が続く、そんな目で母の幾子、道雅叔父の隆家が見ていた。こんなところにも、とだえぬ絆が。

 伊周の死を受けて、供養の品へのお礼と共に、敦康親王の後見を引き継ぐべく道長に挨拶した伊周弟の隆家。会話は一瞬ピリッときたが、隆家は賢く「私と兄は違います。敦康様の後見となりましても、左大臣様にお仕えしたいと願っております」と宣言、道長を安心させた。

 なんでも、伊周の長女は道長の次男(巌君の頼宗)の正室として迎えられたが、次女は道長の懇願で彰子の女房となって仕え(!伊周ムキーってなったか)、後に道長四男(能信)に縁づいたとか・・・どちらも明子の産んだ子だ。明子の兄の源俊賢は中の関白家に近い存在だったとも聞く。

 こうやって、長兄道隆の一族・中関白家を足下に置いた道長だった。(藤原伊周 - Wikipedia

 ききょう(清少納言)は「あれほどお美しく尊かった方々が、何故このような仕打ちを・・・」とワナワナしてたね。一条帝は行成に伊周の死を聞いて胸を押さえたが、あの様子は心労で心臓に来たのだろうな。伊周の死で、敦康親王の後見が心細くなり(隆家が気の毒)、親王の立場が追い込まれていくのをヒシヒシと感じている。

 道長に対抗して親王を守ろうとすればするほど、長生きできなさそうだ。それだけ、道長は権力者として盤石になってきているのだね。

 そういえば、今回で敦康親王の成長も著しかった(子役から本役へ)。彰子に対してあの生々しさじゃ、道長も青筋を立てるし、彰子もびっくりだろう。元服後に速攻でご在所の移動も致し方なし、敦康親王と彰子の絆は、道長は断ち切りたいのだね。

兼家パパの野心、道長の目標

 寛弘七年(1010年)の正月に、四納言が揃ったところで道長は「できれば俺の目の黒いうちに敦成様が帝とおなりあそばすお姿を見たいものだ」と心の内を明かした。順当に言ったら今の東宮のあとは敦康親王、その次は敦明親王と公任が口にし、そうだと行成も認めた後のことだった。

 道長の言葉に四納言一同は一瞬沈黙。聡い俊賢がいち早く「お力添えいたします」と答え、斉信が「ちゃっかり自分を売り込むな」と茶々を入れた。

 道長が言っていることは、政では我が家が大事と言い切り、真っ黒だった兼家パパと同じ。だけれど、前回嫡男の頼通に告げていた通り、ドラマの道長の場合は、民のための政をするために盤石な力を持とうとしている。兼家パパの場合は「The 野心」と呼んで差し支えないが、道長の場合はどうなのか。野心じゃないな、ホワイトさから目標と言い替えたくなる。

 ウチは違えど兼家とソトが同じなので、四納言のどこまでが道長の真意を捉えているのだろう。斉信あたりはどっちだっていい、道長に乗っかって出世できればと思っていそうだ。俊賢は分からない。公任と行成は道長のウチも心から理解したいと思っていそうだが。

 こちらも本格的に登場した道長次女の姸子(漢字ギブアップしたい。呪詛予防からか、みんな難し過ぎる)が面白いキャラで、姉の彰子とは似ても似つかない。どう見ても倫子様似。外見だけでなく、母子ともども漢籍を見れば頭痛が起きそうで、道長の心のウチは知る由もなさそうだ。

 昔、姸子はキラキラが好きだと倫子様が東三条院詮子に説明していた。今は宴(豪華な持ち寄りパーティで貴族の皆様が困惑)がお好きだそうだ、「かしまし歴史チャンネル」のきりゅうさんによると。

youtu.be

 だが、また自分は親の道具だなどと不貞腐れているのか・・・まひろの賢子と、あっちもこっちもか。親にワガママいっぱい反抗できる幸せな子どもたちがいるものだ、教育&ステージママ明子の子らに見せてやりたいよね。

 この道長とまひろの2人の娘がどう引っ掻き回すのか、見たいような気もするが残り10回も無いし、本筋でなければちょっともういいかなと思わないでもない。

 惟規が死に家族で号泣する場面で、悲しむまひろを賢子はいたわっていた。良い折ゆえ、そろそろ反抗期から離脱してもらおうか?

 さて、そろそろ行かねば。時間切れなので、今回はここまでにします。

(ほぼ敬称略)