黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

被告人の笑み

一瞬、何かの見間違いかと思った。
 
昨日の2月1日、知り合いの被害者の方に声を掛けられ、ある刑事裁判の地裁での公判を傍聴した。検察側の論告求刑が始まり、膨大な量の書類を検察官が早口で読み上げていく。論告要旨を読み上げている検察官はもちろん、3人いた裁判官、被告人、被告人側の弁護人数名、そして特別傍聴券を与えられて最前列に座っていた被害者の父親もたぶんそうだが、論告要旨の書かれた書類に集中して目を向けていた。無論のこと、傍聴席にいた私を含め、一般傍聴席にいた人間にはそのような書類の配布は無いので、私はメモをとりつつ、法廷の様子を見ていた。
 
そのときのことだ。それまで、ずっと書類に目を落としていた被告人が急に目を上げ、検察官をばかにしたように薄ら笑いを始めたのだ。声は出さず、無言である。
 
最初は、「え?」と私も思い、メモを取る手が止まった。そのにやにや顔が段々はっきりしていき、明らかに検察官に侮蔑の視線を送っているのがしばらく続いているのを見ているうちに、背筋がゾッと凍りつく思いがした。慌てて、論告のどの部分で薄ら笑いが始まったのかを書きとめた。
 
何という豹変振りだろう。それまで、私はこの日初めて見たこの小柄で細身、さっぱりと短髪の被告人が、ノーネクタイながら白いワイシャツに黒っぽいスーツに身を包み、色白の頬をやや紅潮させながら真剣なまなざしで論告要旨に視線を向けている姿を見て、外見の印象だけでは普通の真面目な若いサラリーマン、むしろ体力的には弱い側の人間に見えるな・・・と思っていた。それが、段々とはっきりしていく目のギラリとする輝き、口元が明らかに緩んでいく様子は、どうだろう。
 
よく、DV加害者が逃げている被害者の逃走先を探すときに、役所や郵便局の職員が、その加害者のソフトな問いかけぶりに「まさかこの人が配偶者に暴力的なわけがあるまい」と考え、ついうっかりと避難先の住所を教えてしまって責められる話があるとは以前も書いた。この「加害者の二面性」に気づかず、いくら被害者が加害者の仕打ちを周囲に相談しても、外面の良さの方だけが加害者の印象になっている人たちには「まさか」と言われてしまい、被害者は孤立して必要な助けが得られないことも多い。
 
私が傍聴していた昨日の裁判は、DV裁判ではなく殺人・死体遺棄事件であり、念のため書いておけば、裁判中で当然ながら判決が確定しているわけではないので、有罪だと決まったものではない。当初の一審判決は有罪判決が出ているが、無罪を主張する被告人が控訴した控訴審の判断では原審の判決の破棄差し戻しとなっての2回目の地裁での裁判ということのようだったので、単純な裁判ではなく、いくら私が被害者にどっぷり肩入れをしている立場とはいえ、慎まなければならない部分があるのは、分かっている。
 
そうではあるが、聞かされていた加害者の二面性をまざまざと見せられたような気がして、ショックだった。あんなに人間は表情を変えられるのか・・・こんな場面に法廷で遭遇したのは、初めてだった。私の横に座っていた知人も気づき、ゾッとして震えたそうだ。
 
しかし、被告人の検察官への侮蔑の表情・見下すような笑い顔は、しばらくすると消えてしまった。裁判官3人は、書類を読むのに忙しく、気づかなかったのではないだろうか。でも、裁判官が被告人に対する心証を形成していくのには、とても重要な非言語情報だったのではないのか。書類などは後でも読めるのに、なぜ見ていてくれなかったのか・・・と思った。
 
検察官も知らぬが仏、まして背中を向けられている弁護人たちは分かるわけもない。法廷の出入り口付近に固められていた記者席からも、見えにくい場所だったように思った。後で被害者の父親に尋ねたところ、やはり被告人の表情の変化には書類を読んでいて気づかなかったそうだから、傍聴席の真ん中から奥寄りの席に座った一部の傍聴人しか気づかなかったのかもしれない。
 
被告人の無罪を訴える弁護側の最終弁論を、被告人は満足そうな落ち着いた柔和な表情で聞いていた。テレビでも顔を見たことがある優秀な弁護士たちが次々と立ち上がり、検察官の主張の細かなほころびを突いていっていた。そして、結審前の被告人の発言が、やはり最初の印象通りのソフトな声で法廷に響き渡った。書面の提出を以て私の主張として代えさせてほしい、全くやましいところはない。私の供述とそのほかの共犯者たち(既に服役中)や証人の供述を精査して判断してほしい・・・という内容だった。
 
私が今は被害者の肩を持つと宣言していることを抜きにして、記者時代に感覚を戻してこの事件に接したと仮定するとしよう。急なお誘いだったので、これまでのこの被告人だけでなく、共犯者とされる人たちの法廷を傍聴していたわけではないし、訴訟記録や新聞記事さえも読んでもない。だから、この日だけの記録を読み、文字情報だけを得ていたら、中立の立場から私は、無罪の考えを捨てきれないと思ったと思う。
 
ただ、中立の立場にいたと仮定しても、法廷で実際にあの表情を見てしまったあとでは・・・何か、裁判の限界を感じて、とても虚しい感情に襲われた。
 
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先日、兵庫県加西市の兄弟が皆既月食を見ようとして外に出ていて飲酒運転の車にひき殺された事件で、検察が警察の立件してきた「故意犯」とせず、「過失犯」の自動車運転過失致死罪で起訴した話を書いた。私としても、検察の及び腰を残念に思っていたが、兄弟の親族始め友人など関係者は残念どころではなく、訴因変更(罪名の変更と言った方が分かりやすいか)を求めて署名活動を展開していた。
 
ところが、過失犯での起訴から1か月、何と異例なことに神戸地検は「故意犯」の「危険運転致死罪」へと訴因を変更した。
 
131日の読売大阪の紙面には、こうある。( http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120131-OYO1T00727.htm?from=main1 )
 
危険運転致死に訴因変更 加西兄弟死亡で地検請求
兵庫県加西市の県道で昨年12月、皆既月食を観測していた小学6年の生田敦弘君(12)と弟の同2年汰成君(8)の兄弟が飲酒運転の軽トラックにはねられ死亡した事件で、神戸地検危険運転致死罪での立件を見送り、自動車運転過失致死罪などで起訴した同市の建築業小池巧被告(54)の訴因を、より罰則の重い危険運転致死罪に変更するよう神戸地裁に請求したことがわかった。起訴から1か月での訴因変更は異例。
同地検がいったん危険運転致死罪での立件を見送ったことについては、兄弟の両親が「納得できない」として訴因変更を訴え、兄弟の同級生の保護者らが支援の会を結成して署名活動を展開し、31日午後に同地検に提出する予定になっている。
小池被告は、県警が昨年12月10日、自動車運転過失致死容疑で逮捕した。その後の捜査で、事故当日、複数の飲食店で飲酒を繰り返しながら運転し、逮捕時に呼気1リットル当たり0・4ミリ・グラムと酒気帯び運転の基準値(0・15ミリ・グラム)を大きく超えるアルコール分を検出した点などが判明し、「悪質性が極めて高い」と判断。危険運転致死容疑に切り替えて同27日、送検した。
だが、同地検は同31日、危険運転致死罪での立件を見送って起訴した。判断理由は明らかにしていないが、危険運転致死罪の構成要件となる「アルコールなどの影響で正常な運転が困難な状態」を立証する十分な証拠が起訴段階では得られなかったとみられる。
2012131日 読売新聞)
 
 ・・・とにかく、危険運転致死罪は刑法改正によってできてからまだ10年ぐらいの新しいものであり、ようやく裁判例も段々と積み上がって法律として生かされてきている中、検察だけの後ろ向きの判断で過失犯としての扱いで終わらなかったことは、本当に良かったと思う。故意犯となれば、被害者が死亡しているので、裁判員裁判の対象事件になる。市民の意見を生かすべき事件だと、私も考える。