黒猫の額:ペットロス日記

狭い場所から見える景色をダラダラと。大河ドラマが好き。

【べらぼう】#36 自裁した春町を惜しむ喜三二の涙に泣く😢図らずも推しを追い詰めてしまった空回り中の定信、きっと反省しない

理解するに難しいサブタイトル💦

 NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」第36回「鸚鵡(おうむ)のけりは鴨(かも)」が9/21に放送され、岡山天音演じる恋川春町が最期を迎えた。まずはあらすじを公式サイトから引用する。

≪あらすじ≫ 第36回「鸚鵡(おうむ)のけりは鴨(かも)」

 蔦屋の新作『鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)』『天下一面鏡梅鉢(てんかいちめんかがみのうめばち)』が飛ぶように売れる。定信(井上祐貴)は、蔦重(横浜流星)の本に激怒し、絶版を言い渡す。喜三二(尾美としのり)は、筆を断つ決断をし、春町(岡山天音)は呼び出しにあう。そして蔦重は、南畝(桐谷健太)からの文で、東作(木村 了)が病だと知り、須原屋(里見浩太朗)や南畝とともに、見舞いに訪れる。(【大河べらぼう】べらぼうナビ🔎第36回 - 大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」 - NHK

 ・・・えーと、今回のサブタイ「鸚鵡(おうむ)のけりは鴨(かも)」なんだが、また分かりにくい。「鸚鵡」は松平定信の「鸚鵡言」から、恋川春町が茶化した黄表紙「鸚鵡返文武二道」が問題になっているのが関係するのは分かるけど、「けりは鴨」は、はてさてどうなってる?

 「けり」は春町の辞世「我もまた 身はなきものと おもひしが 今はの際は さびしかり鳧(けり)」の末尾に出てきた。それをいつもめっちゃ人が良い絵師の北尾重政が「鳧は鴨。鸚鵡のけりは鴨でつけるっていう捻りですかね」とちょっとだけ解説してくれた。

 それでも「はて?」と思ってしまった。鳧はそのまま「けり」で良くない?なんでわざわざ鴨を出す・・・と混乱したからだが、鳧は「かも」とも読むんだね。「かも(鴨)」と「けり(鳧)」、全く別の鳥かと思っていた。

鴨・鳧【かも】とは
1.カモ科の鳥のうち、比較的小形の水鳥の総称。首が長く手足は短い。嘴(くちばし)は横に平べったくで櫛(くし)の歯状の板歯がある。冬に北から来て、春に帰るものが多い。種類が多くて、肉は美味。「鳧」は「ケリ」と読めて、チドリ科の鳥である「ケリ」を指すこともある。
2.1の味がいいことから、いい獲物。いいもうけの対象として利用される相手のこと。(鴨・鳧【かも】 の意味と例文(使い方):日本語表現インフォ

 アンダーラインはこちらで付けた。ちょっと検索したら鳧の写真を載せているページがあったので、もうひとつ引用させていただこう。やっぱり鳧と鴨とでは、私の頭の中でのイメージが大いに異なる。このページでは、作家の沢木耕太郎の小説「春に散る」での鳧に関する表現にも触れている。

朝日新聞の連載小説、沢木耕太郎作「春に散る」の中に、「けりをつける」ことが書かれていましたが、昔の人は「けり」に鳥の「鳧=ケリ」という字を当てたそうです。ケリという鳥のいることも知りませんでした。
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昔の人は、ケリをつけるのケリに鳧という字を当てた。鳧は日本の田圃などに巣を作る鳥だが、田起こしの時期とぶつかっては、せっかく作った巣を壊されてしまう。それでも鳧は諦めずに二度、三度と巣を作りつづける。鳧は簡単にケリをつけようとしないのだ。   (文中より)

鳧(けり)=チドリ目チドリ科タゲリ属~チドリの仲間です。
画像検索にて、保存させていただきました。

辞書をひいてみましたが、(めんどうなことがらについて)しめくくりをする。終わりにする。と出ていました。

けりをつけるの“けり”は、助動詞の“けり”から来た語だが、「鳧」の字を宛てることがある。   (と検索では・・・)
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時によっては、簡単にけりをつけるのではなく、鳧のように粘り強く努力をしなくてはいけないときもありそうです。(「けりをつける」の“けり”とは? - 気ままな思いを

 ちょっと「鴨」が引っかかってしまったので、のっけからこだわってしまって失礼。しかし、鴨ってカモになるとかカモネギとかそちらを考えちゃうと、鸚鵡騒動のけりは鴨でつけるって言われても、やっぱりピンとこないし分かりにくい。鴨に持って行かなくて良かったよね、鳧(けり)のままで。

 毎回のサブタイトル、作る側の独りよがりの格好つけと言うか、考え過ぎと言うか、空回りして定信状態な気がするのは私だけか?(今更)誰のためのサブタイトル?視聴者のためになってる?

この際「筆を折り国に帰る」が最善策

 寛政の改革を進める松平定信が、多忙の余り、心ならずもお目こぼし状態になっていた黄表紙だというのに、調子に乗ってしまった蔦重。さらに茶化しを過激化させたことで「謀反も同じ」と逆鱗に触れ、とうとう定信側も動き出してしまった。

 当初定信は、腹心の水野為長(永?)に「茶化されているとの見方もできる」と言われても、後押しされていると勘違いしてすっかり嬉しくなっちゃって「蔦重大明神」とか言ってたのにねえ・・・なんか気の毒。

 ドラマでは定信の猪突猛進ぶりを諫めたいらしい人たちが「世の見方はこうですよ」と、あっちからもこっちからも黄表紙を出してきた。直接は言いにくいものだからね。その時に、裃の懐って深い、あれもこれも入るんだ、みんな懐に隠し持って暇があれば読んでるんだなんて思ったりした。

 しかし、定信の水野配下の隠密は何をやってる?黄表紙について、あれだけ大流行だったのだから、もっとしつこく世間での反応のされ方を(ネガティブだけど)報告しても良かったのに。それとも言うに忍びなかったか、「まー、うちの殿も仕方ないよね」と、陰で一緒になって笑ってたか。なんて。

 それで、自分の政策を茶化されているとようやく気づいた定信は、耕書堂出版の3作を絶版だと言い、役人が耕書堂に踏み込んできた訳だ。3作とは、こちら。

  1. 文武二道万石通(ぶんぶにどうまんごくどおし)天明八年(1788年)朋誠堂喜三二作
  2. 鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)寛政元年(1789年)恋川春町作
  3. 天下一面鏡梅鉢(てんかいちめんかがみのうめばち)寛政元年(1789年)唐来三和作

 唐来三和は、既に武士を辞めて「江戸本所松井町の娼家和泉屋の婿養子になった」という町人身分だから(唐来参和 - Wikipedia)、一時身を隠すとかすれば大丈夫な気がする、そんなに目の仇にはされにくいかも。

 武士の喜三二と春町は陪臣であり、直臣の大田南畝のように直接睨まれたりする風当たりを気にしなくてもいいとはいえ、盾になる主君が定信に怒られる訳だから、それはそれでやりにくい。それで、喜三二は筆を折ると言って、国に帰ることになった。帰るといっても、江戸の武士だから、国元に行くのはチャレンジングだったろうね。

喜三二:殿に怒られちまってさ。黄表紙は言うまでもなく、遊び回っておったことが嗅ぎつけられてなあ。お家の恥だ、ご先祖に申し訳が立たぬって、顔真っ赤にして涙浮かべて怒られてさ(略)まあ、遊びってのは、誰かを泣かせてまでやるこっちゃないしなあ。

 この言葉に、蔦重も「わかりました」と言うしかない。

 秋田藩(久保田藩)は、佐竹氏が治める表高20万石、実高は40万石の大藩であり(ちなみに定信の白河藩の石高は11万石だったそうな)、その江戸留守居役の筆頭の喜三二(勤めの「気散じ」に書いてたんだよね)は、実は大物だ。筆を折って国に帰るという手は、この際、何よりの解決策だったのでは。

 江戸にいたら目障りだし、定信の隠密のターゲットになってアレコレ難癖も付けられやすいだろう。国元の秋田ならば、定信といえど、そう易々と手を突っ込めないだろうから。ほとぼりを冷ますには距離を置くのが一番だ。

 喜三二が国元に去る前の送別会で、忘八や女将ら、吉原の面々に久々にお目にかかれたのが楽しかった。吉原に入り浸っていた喜三二だけに、送別会も吉原で、なんだね。次郎兵衛義兄さんの妻も大きな酒樽を会場に運んでいたね。オーミーを探せ!なんて言われたカメオ出演の頃からずっとだから、あれもあったこれもあったが懐かしい。

 その中で、女郎屋にハシゴの居続けで何作も書く話があったが(松葉屋の女将が勇敢にバケモノに立ち向かったりして)、その時の相方の花魁松の井が、年季が無事に明け、手習いの女師匠になって笑顔で今も生きているのが確認できたのは嬉しかった。

 ドラマの序盤、名もなき女郎らの投げ捨てられた遺体が出てきたり、河岸見世の病んだ女郎たちがそれでも体を売り続ける苛酷な状況も描かれた。女郎で年季明けまで完走できる子は果たして居るのか、多くが年季明けまでに命を落とすのではないかと危ぶんでいたが、フィクションでもいい、鬼脚本の中で、ひとりでも幸せになれた子がいたんだ。

 実は、喜三二と古ーい付き合いの姐さんも出てきていたから、もうひとり女郎稼業を完走した人がいたようだったが。

 送別会で懐かしい面々に惜しまれ(蔦重の策)、喜三二は断筆を撤回。「まあさん、まだ書けます!」と宣言した。その時、「春町もまだ書くらしいし」と言っていたが・・・ああ。

殿が春町を慮るあまりに逃げられない

 他方、恋川春町。大藩に勤める喜三二と違い、彼が年寄本役(家老)を勤めるのは小島松平藩という「吹けば飛ぶような」1万石の小藩なのだ。

 絶版になった本を書いた「恋川春町」は、実は当主松平信義ではないかと定信に疑われ、信義は、春町の正体を「家中の倉橋格なる者」だと明かした上で「倉橋、此度のことを心より悔やむあまり病となり、隠居した」と弁明した。

 春町は、直参ではないからこれ以上のお咎めは無いと踏み、隠居で減った収入は戯作で稼ぐつもりでいた。しかし、春町作「悦贔屓蝦夷押領」を読み、田沼意次が立てた手柄を定信が横取りするという、痛烈な皮肉が仕掛けてあることに気づいた定信は怒り爆発(田沼病にかかってるとか何とか一橋治済にからかわれて発火点に引火)。キーっとなってる定信のさらなる呼び出しに、春町は悩む。

蔦重:いっそ呼び出しに応じて、春町先生の考えを腹割って話すってなあ、ねえですか?

春町:あちらは将軍補佐。こちらは吹けば飛ぶような1万石の小名の家来ぞ。

蔦重:けど、黄表紙好きだって話、嘘じゃねえかもしんねえでしょ?許されんなら、共に参りますし。

春町:・・・うまくいけばよいが、うまくいかねばその場でお手討ち。小島松平家がお取り潰しともなりかねぬ。それは打てぬ博打だな・・・。

蔦重:嘘八百並べて這いつくばって許しを乞うんですか?春町先生に、それができるとは思えねえんですが・・・。

春町:・・・あ~!(畳の上に倒れる)そこよな。

蔦重:いっそ、まことに病で死んじまうってなあ、ねえですか?病で隠居で、建前はホントだったってことにして、絵や戯作を生業として別人で生きていくってなあ・・・いや、ねえか。

春町:(起き上がる)いや!いや、それが最善かもしれぬ。(部屋を飛び出す)

蔦重:へ?あ・・・春町先生?え?おお、どこへ行くんですか?

(小島松平家当主と向き合う、裃姿の春町)

松平信義:死んで別人となり、戯作者として生きていく・・・。

春町(倉橋格):はい。某が死んでしまえば、責める先がなくなる。殿もこれ以上しつこく言われることも無くなりましょうし。

信義:しかし・・・然様なことができるのか?

春町:人別や隠れ家など、蔦屋重三郎が万事計らってくれると。支度が調うまで、殿にはしばし「病にて参上できず」と頭を下げていただく労をお願いすることになりますが・・・。

信義:当家はたかが一万石。何の目立ったところも際立ったところもない家じゃ。表立って言えぬが、恋川春町は当家唯一の自慢。私の密かな誇りであった。

春町:殿・・・。

信義:そなたの筆が生き延びるのであれば、頭なぞいくらでも下げようぞ。

春町:(涙を堪えて頭を下げ)ご温情、まことありがたく!

 殿、優しい!こんなにも素敵な言葉をくれて・・・作家冥利に尽きるね。この殿を困らせることは、春町には決してできない。それが彼の決断にも影響していくんだろう。

 信義は「倉橋は麻疹になった」と定信に報告。「治りましたら、必ずや申し開きに参らせますので、しばしお待ちを!」と深々と頭を下げた。しかし、定信の右手は春町の黄表紙をギギギと握りしめて・・・おお怖💦

春町:越中守様(定信)が明日、ここに?

信義:麻疹もいつわりであろうと言ってこられた。

春町:それでは、殿が越中守様を謀ったことに・・・。

信義:倉橋!今すぐ逐電せよ!後のことは私が何とかする。

 ここまで追い詰められたら、終わりだ。これ以上は殿に迷惑が掛かるもんねえ。耕書堂を眺め、豆腐を買って帰るしかない。

 春町は腹を切り、大きな大きな豆腐の角に頭をぶつけて死んだ。駿河屋市右衛門が、春町の人別も用意して蔦重に渡してくれていたのに・・・。

 もし耕書堂前で、蔦重に会えていたら、逃げる気にもなり、他の運命もあったのだろうか?いや、春町の死体が無いのでは、定信が検分に来られても困る。

 春町の死を耕書堂に知らせに来た喜三二。演じる尾美としのりの泣き演技が凄かった。春町の顔にかけられた布を春町の妻しず(いたんだ!)が取った時も、心底から虚を突かれたようにハッとして手を合わせ、本当に泣いている。その後の他の演者の泣きの演技が、申し訳ないけど嘘っぱちに見えるほど、尾美としのりの喜三二は、春町の死を全身で悼んで泣いていた。

 ここで、春町の鬢(音声解説で「髷」って言ってたけど違うよね)に白い何かがぽつぽつ付いていることに気づいた蔦重。それは豆腐だったのだけれど、奥さんもわざと取らずにそのままにしたのかと思うと、よく分かっている奥さんだ。

 また、屑籠の中のちぎった手紙にも気づいた蔦重。許可を得て、それを並べて復元した。

春町:蔦重。いきなりかような仕儀となり、すまぬ。実は例の件が抜き差しならぬこととなってしまってな。殿は逃げよと言ってくださったが、然様なことをすればこの先、何がどうなるかしれぬ。小島松平、倉橋は無論、蔦屋にも他の皆にも累が及ぶかもしれぬ。それは、できぬと思った。もう、全てを丸くおさむるには、このオチしかないかと。

 この手紙は、しかし「恩着せがましいか」と、春町の手で破られたのだった。「なんで本を書いただけでこんな」と歌麿は言った。が、頭に血がのぼっている定信には分からなかったのだね。

 春町が死んだと聞いて、初めて定信は自分がやり過ぎた、追い詰め過ぎたことに気づいたのだろうか?

定信:亡くなった?

信義:はい。腹を切り、かつ・・・ハハハハハ、豆腐の角に頭をぶつけて・・・。

定信:豆腐?

信義:御公儀を謀ったことに倉橋格としては腹を切って詫びるべきと、恋川春町としては、死して尚、世を笑わすべきと考えたのではないかと、板元の蔦屋重三郎は申しておりました。一人の至極まじめな男が、武家として、戯作者としての「分」をそれぞれ弁え、全うしたのではないかと越中守様にお伝えいただきたい、そして、戯ければ腹を切らねばならぬ世とは、一体誰を幸せにするのか、学もない本屋風情には分かりかねると、そう申しておりました。

 この後、布団部屋で白い布団に頭を突っ込み、定信は泣いた。昔の賢丸時代を思い起こさせる幼い泣き方に、「自分は一生懸命なのに、自分で自分の推しを殺してしまった」という悔いはありそうだけれど、だからといってその後悔が彼を変えるのだろうか?

 自分のために「なんでうまくいかないのー」と泣くだけ泣いて、自分の信じる道だからとこれからも突っ走りそうだ。春町が何を思い、なぜ切腹後にわざわざ豆腐の角に頭をぶつけるなんて命を懸けて戯けをやり切ったか、春町の視点で物を考えることはあったのだろうか。

(ほぼ敬称略)