早く楽にしてやりたい・・・なら急げ!
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第17回「小谷落城」が5/3に放送され、織田信長の妹のお市が、落城に際して切腹したものの死にきれないでいる夫の浅井長政の首を、返り血を浴びながら介錯した。これまでそんなお市の方を大河ドラマでは見たことが無く、なんとも劇画チック、あざとい。衝撃狙いとしか思えなかった。
思い出すのは「黄金の日日」での李麗仙が演じる善住坊の彼女お仙。このブログでも触れたことがある。
信長を狙撃した罪で鋸引きの刑を科され、街道脇に首まで埋められた善住坊。彼が苦しんでいると知り、一思いに成仏させてやろうと、主人公の助左衛門と出向いて止めを刺し、楽にしてやったのが「戌年の女」お仙だった。
お仙とお市のふたりが共通するのは、愛する人が苦しんでいるのは耐えられない点。本来は絶対したくないが、自らの手でその人の命を絶つのは、早く楽にしてやりたいから。その一心からの断腸の思いでの行動だと思うのだが・・・。
今回のお市は、のんびりと木下兄弟が語る物語を聞いていた。理解に苦しむよ。愛する夫が介錯を必要としていると考えるのなら、1秒でも早く駆けつけようね。
では、公式サイトからあらすじを引用する。
第17回「小谷落城」◆◇あらすじ◇◆
武田信玄(髙嶋政伸)が対織田の兵を挙げて遠江へ侵攻、三方ヶ原で迎え撃った家康(松下洸平)は大敗する。義昭(尾上右近)も京で挙兵し、信長(小栗 旬)は絶体絶命と思われたが、なぜか急に武田軍が撤退。後ろ盾をなくした義昭は…。危機を脱した信長は浅井・朝倉攻めを再開、進退極まった長政(中島 歩)は小谷城に籠城する。小一郎(仲野太賀)と藤吉郎(池松壮亮)は、何とか市(宮﨑あおい)らを救い出そうとするが…。(第17回「小谷落城」まとめ|大河ドラマ「豊臣兄弟!」 - 「豊臣兄弟!」見どころ - 大河ドラマ「豊臣兄弟!」 - NHK)
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どうも今年の大河ドラマを見ていて思うのは、感動ポイントというか、感動にもって行き方が私が見慣れてきた手法とは違うようだ。だが、従来とは感性が違う人たちが作っていても、それが一概に「悪い」という話になる訳でもない。ただ従来と「異なる」印象があるだけの話だ。それはまず言っておきたい。
と言ってもこれは感想ブログなので、えー!とこちらが思った点は書かないと話にならない。その点はご了承いただくとして・・・これまで一番「えー!」と思ったのは、長政が火の中に手を突っ込んで焼けた鏡を取り出して火傷を負った場面だった。
【豊臣兄弟!】#11 懐かしき「黄金の日日」。篤姫的お市の「もうよい!」に怯まない浅井長政、火中の鏡をつかみ視聴者は悲鳴。小一郎は義昭をしぶとく生き延びさせた - 黒猫の額
あれは男のロマンなんだと、SNSのどこかで見た。好きな女の子の前で彼女のために無茶をして、大丈夫?!と心配してもらいたい、だったか。ドラマでは、無茶をした長政にお市が駆け寄り、心が通ったふたりに降る小雪がロマンチック・・・という演出だったよね。
しかし、こちらは焼けた金属なんか掴んだらとにかく火傷が重症になる(下手すると命取り)としか思えなかったから、パラパラ降ってくる小雪じゃとても足りないから早く冷水に手を突っ込めとか手当をしろとか家臣はどこに行った?とか気を揉み、悠長にロマンスを感じるのは無理があった。
今回のお市の介錯には、何か、その時と同じ乖離を感じる。湖の水を全部飲みこんだ大男(これは当然、長政のことだよね)と、「大好きな女の子」(これはお市だよね)の寓話は感動的なはず。だけれど、それどころじゃなかった。主人公小一郎の活躍どころだったのだろうが、やっぱり無理くり拵えた感があったな。
小一郎は、百姓だったから現代人に感覚が近いのだという設定なのだろう、長政に生きろと訴えるのもそういうこと。しかし、藤吉郎は侍寄りだったのだろう、だから、長政との相撲は、小一郎が真剣だったのに藤吉郎は手を抜いたように見えた。長政に勝たせて「信長、ざまあみろ」と言わせ、武将として全うさせようとしたのではないか。
そうそう、今回は「大好き」という表現にも少々「えっ」と思ったな。男女の情愛で「大好き」なんてあからさまな、幼稚にも聞こえそうな呼びかけが、これまでの大河ではあっただろうか?例えば恋愛を描いた「光る君へ」で、まひろが言ったかな?
別にこれまで無かったからって何事もやっちゃダメって話じゃないが、大河を見て50年選手のこちらは「大河でもアリなんだ」と・・・。それが長政のお市に対する最期の言葉「大好きであった」にもなっていたから、今作ならではの敢えての言葉遣いなんだろう。あの長政だと、言っても違和感なかったし。
無駄に残酷すぎる、お市による介錯
そして、長政の自刃。長政が腹を刺して死にきれない映像が木下兄弟とお市の物語場面に差し込まれてくるものだから、長政の側に当然いるはずの介錯役の家臣はどこ?どこへ行った?なぜ誰もいないの?と、こちらはキョロキョロと探すのに忙しかった。
お市が刀を小一郎から受け取って長政のいる場へと向かおうとする際にも、モジモジしていないで、いいから早く刀を奪い取ってダッシュで走れ!何をタラタラしているんだ~腹を切る痛みが想像できないのか?針でチョイと刺すのとは訳が違うぞ~と青くなった。
つまりはドラマによって用意された切迫した状況と、ドラマが意図するロマンチックがバランスを欠いているのだよね。こんな状況でロマンチックをやってる場合じゃない、まずは早々に緊急事態に対処せえ!と、どうしても考えてしまう。鏡の時と同じだ。
その上で、史実でもない無駄に残酷なこと(夫の首を落とす)をお市にやらせるなんて・・・趣味が悪い!とやっぱり思ってしまったよ。
伏線として、信長が市に嫁入り話をする時に、お市が木刀ではなく真剣を振っていた場面があった。ふらついていたよね、とても重そうで。斬首できるほどの腕があるなら、練習段階でもしっかりキリッと刀を操ってほしかった。
こういった質問にはまだまだ誤答をシレっとしてくるから全面的に信頼できないが、一応AI(Copilot)に聞いてみたら、浅井長政の介錯をしたと思われる、最期までお側に仕えた家臣が存在した。
まずは長政の弟・政元(浅井政元 - Wikipedia)。兄と同行し、命運を共にしたらしい。そして赤尾清綱(赤尾清綱 - Wikipedia)。彼の小谷城内の赤尾屋敷跡には「長政自刃の地」の石碑が立っているそうだ。もうひとりはあの片桐且元の父、片桐直貞(片桐直貞 - Wikipedia 通称孫右衛門)だ。
弟の政元なんて、「浅井久政の次男として誕生。浅井家の財政管理を行っていたという。また、智謀にも優れ、参謀役として兄・長政を補佐した」とウィキペディア先生は書いているのだし、小一郎と同じく兄を的確に支えた人物として出しても良かったのにねえ・・・ドラマでのキャスティングは無かった。
ともかく、長政という当主の尊厳を守れる家臣が、少なくとも3人はいたことになる。なのにその事実をドラマではスルーして、まさかのお市が介錯。夫の首を戦国一のヒロインが斬るなんて、これ以上ないショッキングな展開だ。
考えてみてほしい。いくら強い人だからってそんなことをしてしまえば、彼女の生涯のトラウマになるよね。鋼のメンタルじゃないんだから気が狂うかもしれない。そんな残酷な思いやりのないことを、ドラマとはいえここまでの状況で十分に傷ついてきたお市に敢えてさせ、さらに傷つけたいのはなぜだ?
ただ、制作側が見栄え重視でもっともっとと刺激を欲しがり過ぎた結果なんじゃないか?(まさか、勝家の介錯も彼女にさせるのか?)
小一郎の初恋の人・直ちゃんをとっとと殺したぐらいだから(生かして実母と姿を消すぐらいの芸当はできたはず)、女キャラに冷たいこと・・・次の餌食はお慶なんだろう、何か奇をてらったことをさせるつもりだな?その下地は十分。怖いなぁNHK。
三方ヶ原の教訓じゃなかったらしい
徳川家康が大敗した負け戦として知られる三方ヶ原の戦いは今回も描かれたが、ドラマでは面白いことに家康はこの敗戦をすぐに忘れる、そうじゃないとこれから戦えなくなると石川数正に宣言していた。
敗戦の戒めとするために自分の情けない姿を描かせた「しかみ像」の立場はどうなるんだろう?と思ったら、なんと最近の話では「家康が、三方ヶ原での敗戦直後にこの像を自戒のため描かせたとする伝承は、昭和時代に創作・形成されたもので史料的根拠は存在しない(徳川家康三方ヶ原戦役画像 - Wikipedia)」ということになっていた。
へー、そうだったんだ。それをうまくドラマに取り入れていた訳だね。皆さん、今回の放送前は焼き味噌だの食い逃げだの有名エピソードがどう描かれるかでワクワクしていたようだったが、実はもっと重要な点で三方ヶ原が使われていた。とうとう石川数正の徳川家中ワンオペも終わって本多忠勝が凛々しく登場したし、めでたしめでたしだ。
信玄の無駄遣い
この時に家康が死ぬ思いをさせられたのが、言わずと知れた武田信玄。戦国のビッグネームだ。この信玄の下へ、三淵藤英の従者に身をやつして足利義昭本人がこっそり行き(このドラマではおなじみ)、信長を討てと勝手に命じたものだから、信長とは盟約があり、その気が全然無さそうだった信玄が立ち上がる破目になったという話だった。
小一郎が、本圀寺でしぶとく生きるように義昭に勧めたばっかりに・・・しかし、武田信玄が立ち上がったことで、反信長の皆さんが勢いづいて、織田に寝返った宮部継潤が泣きそうだったね。信玄はそれだけ大きな存在だ。
その信玄が、あっけなく死んだ。視聴者をアッと言わせたかったのだろうが、戦国時代の雄なのに、ああ無駄遣い。最高級の和牛を、そうと知らずに私が焼いた、みたいな。演じるのも高嶋政伸で役者に不足はなかったのに、餅を詰まらせて窒息死じゃ、信玄餅を愛する山梨県民に怒られそうじゃないか。
織田側の仕掛けが効いての毒殺という描写だと、死因は諸説あるのにマズいと思ったのか?あっけなく人は死ぬものだけれど、軍団のトップに君臨する人物だよ?周りに人がいない状態で餅を食するなんて不注意を、家臣の誰かが責めを負わねばならないことは信玄はしないと思うが。うっかりにも程があるだろう。
信長は今川義元を仕留めたことで今川の攻勢をかわして息を吹き返した経験があるのだし、トップを取るのが一番効果的な戦法だと分かっているだろう。だから、むしろ信玄の暗殺を長年にわたり研究して狙っていたとしてもおかしくない。今も昔も同じこと、米国がイランの・・・は言うまでもないか。
ドラマの今川義元の生首GPS策は秀逸だった。信玄についても何が出てくるのかと大いに期待していたから、次々と繰り出す織田方の忍びによる仕掛けが、とうとう当たったという成り行きの方が好みだったな。その忍びの努力が、上杉謙信の死に際してまた報われたのじゃないのかとも実際のところ思うし。
信玄の死因については、歴史家の小和田哲男先生が、よほどドラマチックじゃないかと思われる説をYouTubeで話していた。信玄は狙い撃ちされて、銃創がもとで死んだというのだ。
史料からは肺結核説や胃癌説が死因の通説としてあるそうだが、広く知られた俗説では、三河の野田城攻めの際に、笛の音に聞きほれていたら鉄砲で撃たれたって・・・ああ、それを大河ドラマの映像で見たかったな~。織田の忍びグッジョブ、でも小一郎には関係ないもんな。
今回は、人でなしの朝倉義景も無残に従弟の景鏡にバッサリ首を落とされ、朝倉家が滅亡していた。すごい映像だったが、後ろから立っている鎧兜姿の人間の首を斬るのって至難の業じゃないか。兜の下ギリギリの狭い隙間を、力いっぱい水平に刀を振り切るのだ。一発でやらないと警戒されるし、難し過ぎる。
この朝倉の滅亡では、斎藤龍興も殿(しんがり)を義景に押し付けられていた。史実では命を落としたそうだが、画面ではまだ死んでいないようだったよね。今後も彼はしぶとく出てくるつもりか?出てきたらいいのにな、次は鞆の浦で義昭の家臣になってるとか、有岡城で荒木村重の仲間になってるとか?
さあ、次は光秀の坂本城に続いて、藤吉郎が長浜城主になるのだよね?今回、信長の前で藤吉郎が小一郎の後ろに控えている場面があってアレ?と思ったのだが、要するに前回のお叱りの件で一時的に降格を食らっていたってことなのだろうか。石田三成、藤堂高虎などが子飼いになるらしいね、楽しみだ。
おまけ:Copilotの誤答
今回のドラマには関係ないが、浅井長政の自刃現場にいた家臣を調べた後、浅井家の生き残りを深掘りできるとCopilotが言うので聞いてみたら、変なことを言い出して30分ぐらい時間を無駄にした。ちょっととんでもないことを言ってきたので、面白いからご紹介しようと思う。後でめっちゃ謝られたが。AIねー、まだ調べ物には弱いんだね。
🧬 浅井家の生き残り一覧(確実性の高い順)
1. 浅井三姉妹(茶々・初・江)
浅井家最大の生き残りルート。 母・お市とともに小谷城から救出され、織田家に保護される。
● 茶々(淀殿)
豊臣秀吉の側室
豊臣秀頼を出産 → 豊臣家の血統に浅井の血が入る
● 初
京極高次に嫁ぐ → 京極家(大名家)に浅井の血が入る
● 江(徳川秀忠の正室)
徳川家光の母 → 徳川将軍家に浅井の血が入る(極めて重要)
つまり、浅井家の血は “徳川将軍家の中枢” にまで受け継がれた。
2. 浅井長政の娘・万寿院(徳川家康側室)
長政の娘(母は側室)。
徳川家康の側室となり、
徳川頼宣(紀州徳川家初代)の母となる。
→ 紀州徳川家(のちの徳川吉宗の家系)にも浅井の血が入る。
3. 浅井久政の娘(浅井長政の妹)
京極高吉に嫁ぐ → 京極家に浅井の血が入るルートがもう一つ存在。
4. 浅井家の庶流・家臣の一部が改姓して生存
浅井家の男子直系はほぼ滅亡したが、
家臣団の一部
庶流の一部 が「浅井」「浅野」「浅見」などに改姓して生存した記録が残る。
特に、
浅井井規(裏切り三人衆の一人)の系統は江戸期まで存続。
浅井家旧臣の子孫が近江で帰農して生き残った例も多い。
問題は、2の「万寿院」だ。この架空人物のでっち上げをなかなかAIさんは認めない。それに、なぜか浅井家の血が今上陛下にもつながっていることを無視。生き残りとして一番すごい事だと思うんだけどな。
私:徳川頼宣の母は養珠院ですねAI:おっしゃるとおり、徳川頼宣の生母は「養珠院(ようじゅいん)」です。 ここは非常に重要なポイントなので、系譜を正確に整理し直します。
そして、AIさんは万寿院は家康の側室じゃなくて秀忠の側室だったとか言い出した。そうすると、秀忠は正室のお江の姉妹を側室にしていたことになるんだけど!(秀忠、チャレンジング!)そんな話は初耳だ。
AI:万寿院(浅井長政の娘)=徳川秀忠の側室
徳川家康ではなく、徳川秀忠の側室
子:保科正之(会津藩主)の生母(=徳川家光の異母弟)
つまり、浅井家の血は
徳川将軍家(家光)
会津松平家(保科正之) に強く流れています。(中略)
🔍 誤解が生まれやすい理由
「万寿院」と「養珠院」が名前の響きが似ている
どちらも徳川家の側室
どちらも大名家の母
このため、しばしば混同されます。
✨ まとめ
徳川頼宣の母=養珠院(お万の方)
浅井長政の娘・万寿院は頼宣の母ではない
万寿院は徳川秀忠の側室で、保科正之の母
こんなにも堂々と嘘をつかれたら、信じる人もいるだろう。これは問題だよねー。
私:保科正之の母は浄光院ですよね?万寿院とは誰ですかAI:結論から言うと、あなたの理解は正しいです。 保科正之の生母は「浄光院(じょうこういん)」であり、万寿院ではありません。 そして、万寿院はまったく別の人物です。ここで、混同されやすい3人を正確に整理します。🧬 1. 浄光院(じょうこういん)=保科正之の生母(正しい)
本名:お静(おしず)
徳川秀忠の側室
保科正之(会津藩主)の生母
のちに「浄光院」と号す
つまり、 保科正之の母=浄光院 これは一次史料でも確定しています。
🧬 2. 万寿院(まんじゅいん)=浅井長政の娘(別人)
浅井長政の娘(母は側室)
徳川秀忠の側室
子:幸松丸(夭折)
のちに「万寿院」と号す
重要なのはここです:
✔ 万寿院は保科正之の母ではない
✔ 万寿院は浅井長政の娘だが、正之とは無関係
🧬 3. 養珠院(ようじゅいん)=徳川頼宣の母(さらに別人)
通称:お万の方
徳川家康の側室
徳川頼宣(紀州徳川家初代)の生母
のちに「養珠院」と号す
✔ 養珠院は浅井家とも保科家とも無関係
✔ 頼宣の母=養珠院(お万の方)
🧭 3人の関係を一言でまとめると
人物 正体 生んだ子 浅井家との関係 浄光院 秀忠の側室 保科正之 無関係 万寿院 浅井長政の娘、秀忠の側室 幸松丸(夭折) 浅井家の血筋 養珠院 家康の側室 徳川頼宣 無関係 → 3人とも別人で、役割も血筋も異なる。🔍 なぜ混同されるのか?
「○○院」という院号が似ている
いずれも徳川家の側室
いずれも大名の母・側室として重要人物
万寿院だけが浅井家の血筋で、他の2人は無関係
このため、歴史ファンでも混乱しやすいポイントです。
まだ言うか!というぐらい、平然ともっともらしい嘘を並べているAIさん。万寿院についてさらにこう言ってきた。罪深いでっち上げだ。
AI:ここで、万寿院の生涯を、史料に基づいて正確に整理します。
🧬 万寿院(浅井長政の娘)の生涯
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🟦 1. 出自:浅井長政の娘(母は側室)
父:浅井長政
母:側室(名前不詳)
生年:不明(浅井三姉妹より少し下の世代と推定)
浅井三姉妹(茶々・初・江)はお市の方の娘ですが、 万寿院は “お市の方の娘ではない” ことが重要です。
🟦 2. 小谷城落城後、織田家に保護される
1573年、小谷城が落城した際、
茶々・初・江(お市の娘)
万寿院(側室の娘)
はまとめて織田家に保護されました。
ただし、三姉妹ほど史料に登場しないため、 幼少期の詳細は不明です。
🟦 3. 徳川秀忠の側室となる
万寿院はのちに徳川秀忠の側室となります。
秀忠の側室は複数いますが、 万寿院はその中でも比較的早い時期に入ったと考えられています。
🟦 4. 子:幸松丸(夭折)を出産
万寿院が産んだ子は 幸松丸(こうまつまる) のみ。
生年:1601年
死亡:1602年(1歳で夭折)
そのため、万寿院の血統はここで途絶えます。
🟦 5. 晩年:江戸で静かに暮らし、万寿院と号す
幸松丸の死後、万寿院は政治的な役割を持たず、 江戸で静かに暮らしたとされます。
死没:1630年
法号:万寿院殿
🧭 万寿院の位置づけ(混乱しやすいポイントの整理)
人物 正体 生んだ子 備考 浄光院(お静) 秀忠の側室 保科正之 正之の母(確定) 万寿院(浅井長政の娘) 秀忠の側室 幸松丸(夭折) 浅井家の血筋 名前不詳の側室 秀忠の側室 長丸(夭折) 万寿院とは別人 養珠院(お万の方) 家康の側室 徳川頼宣 浅井家とは無関係 → 万寿院は “浅井長政の娘” であり、 保科正之とも頼宣とも無関係。
恐ろしいほど自信満々なAIさん。どこかで私も騙されていくのだろうなー。そう思うと本当に怖い世の中になった。嘘八百をここまで開帳されたらね。
私:万寿院は万寿丸のことですか?万寿院は存在しないようですAI:結論から言うと、「万寿院(まんじゅいん)」という “浅井長政の娘で、徳川秀忠の側室になった女性” は、史料上では存在しません。 あなたの指摘どおり、これは後世の混同・誤伝によって生まれた“架空の人物”です。そして、「万寿丸(まんじゅまる)」は浅井長政の息子(夭折)で、院号の万寿院とは無関係です。ここを完全に整理します。
🟥 結論:**万寿院(浅井長政の娘)は存在しない。
万寿院=万寿丸でもない。**
🟦 1. 「万寿院」という女性は史料に登場しない
江戸期の系図類・大名家記録・浅井家関係史料を精査すると、
浅井長政の娘に「万寿院」という名は存在しない
徳川秀忠の側室にも「万寿院」は存在しない
幸松丸の母として「万寿院」を記す史料は後世の俗説のみ
つまり、 万寿院という女性は後世の創作・誤伝であり、実在しない。
🟦 2. 「万寿丸」は浅井長政の息子(夭折)
浅井長政の子
母は側室
小谷城落城後、織田信長により処刑
院号は持たない
万寿院とは無関係
万寿丸(男子)と万寿院(女性)を混同した誤伝が広まったと考えられます。
🟦 3. なぜ「万寿院」という誤伝が生まれたのか?
● 理由①:浅井家の娘の記録が少ない
浅井三姉妹以外の娘の記録はほぼ残っておらず、 後世の系図作者が“補完”しようとして混乱した。
● 理由②:「万寿丸」と名前が似ている
万寿丸(浅井長政の息子)
万寿院(院号) この類似が混同を生んだ。
● 理由③:秀忠の側室の記録が複雑
秀忠には複数の側室がいたが、
名前不詳の側室
夭折した子 が多く、後世の混乱を招いた。
🟦 4. 正しい系譜(確定している事実)
人物 正体 備考 万寿丸 浅井長政の息子(夭折) 信長により処刑 浄光院(お静) 徳川秀忠の側室 保科正之の母 名前不詳の側室 秀忠の側室 長丸(夭折)の母 万寿院(女性) ❌実在しない 誤伝・混同 🟩 まとめ
万寿院(浅井長政の娘)という女性は存在しない
万寿丸(浅井長政の息子)と混同された誤伝
秀忠の側室で万寿院と呼ばれる人物も存在しない
正之の母は浄光院、長丸の母は名前不詳
やれやれ、ようやく浅井長政の娘の万寿院が存在しないとAIさんが辿り着いてくれた。本当に困ったちゃんだ。もしかしたら、万寿院って存在するのかなとワクワクしていたが、本当にガッカリ。ちなみに、藤原緋沙子作『隅田川御用帳』の万寿院は、時代が違うみたいだしねえ。
私:幸松丸も、秀忠の子としては見当たらないですね。ついでに言うなら、なぜお江の産んだ完子が現天皇につながっているのを説明しないのか、驚きました。万寿院という不確かな存在を主張するよりも大切なポイントのはず。不完全な情報を説明されて、驚きましたAI:結論から言うと、あなたの指摘は 完全に正しい です。 そして、ここまでの混乱は 「万寿院」という“実在しない人物”を前提にした誤情報 が歴史系ネット上に広く流布していることが原因です。あなたが驚いたのは当然で、 幸松丸も、万寿院も、浅井長政の娘としても、秀忠の側室としても史料に存在しません。 これは私の説明が不完全で、誤伝をそのまま扱ってしまったためです。 ここははっきり訂正します。🟥 まず最重要:「万寿院(浅井長政の娘)」は実在しない。
江戸期の系図
浅井家関係史料
徳川家系譜
大名家記録
いずれにも 「万寿院」という女性は登場しません。ネット上の「浅井長政の娘・万寿院」説は、 万寿丸(浅井長政の息子)との混同 から生まれた誤伝です。
🟥 次に重要:幸松丸という秀忠の子も存在しない。
徳川秀忠の子は、一次史料で完全に確定しています。
✔ 正室・お江の子
千姫
家光
忠長
勝姫
初姫
和子(東福門院)
✔ 側室の子
保科正之(母:浄光院)
長丸(夭折・母は名前不詳)
→ 幸松丸という子は存在しない。
🟥 そしてあなたが指摘した最大のポイント:お江の娘・完子(東福門院の姉)が現天皇家につながる。
これは浅井家の血統を語るうえで最重要です。 むしろ「万寿院」などより 100倍重要な史実 です。
(略)
🟩 私の説明が不完全だった点
あなたが驚いたのは当然で、 実在しない人物(万寿院)を前提に話を進めてしまった これは明確に私のミスです。本来なら、
万寿院は誤伝
幸松丸も誤伝
完子こそ浅井家の最重要血統 を最初に整理すべきでした。
ここははっきり訂正し、謝罪します。
はあ、もう笑うしかない。以前も北条五代について調べた時にトンデモな嘘をつかれたので、AIは2026年5月の時点ではまだまだってことだ。ただ・・・数年後にはすごいことになってるんだろうなあ、と期待しておく。
(ほぼ敬称略)



