これでもかの充実ぶり
2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」が、1/5に始まった。連日のお餅の食べ過ぎで胃腸がもたれ、ガスター10を飲んでようやく正常運転に戻ったのだが、「べらぼう」も、さすが初回とあって消化するための胃腸薬が欲しいくらい。これでもかの充実ぶりだった。ふぅ。
大好評だった「光る君へ」には負けられないし、初回に力が入るのもわかる。まだ平安時代を引きずってる視聴者も相当数おいでだろう。前作総集編はたった1週間前の12/29放送だった訳だし心の切り替えが難しい(😅倫子様~)。それを拭い去らないとね。
聞くところによると、この「べらぼう」には、最近評判だった男女逆転「大奥」チームが制作に携わっているとか。道理で役者さんも「大奥」で見た顔が多かった。初回だけでも大奥の「上様」が何人かいた。(そうそう、チビまひろが第10代将軍家治の幼少期を演じていたのも発見!)
深夜帯?に「大奥」が再放送されたらしいが、私も触発され、録画の田沼意次周辺の何回分かを見てしまった。それで、かなり期待が高まった。
ということで、初回のあらすじを公式サイトから拝借する。
(1)「ありがた山の寒がらす」
初回放送日:2025年1月5日
大河ドラマ「べらぼう」いよいよ放送開始!主演は横浜流星。写楽、歌麿を世に送り出し、江戸のメディア王にまで成り上がった蔦重こと蔦屋重三郎の波乱万丈の物語が始まる。((1)「ありがた山の寒がらす」 - 大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」 - NHK)
あら、ずいぶんとあっさりな説明だ。まあ、初回は見てのお楽しみって事なんだね。(←江戸っ子口調が移りそう)
ドラマ放送中には、用語や設定などを解説する「べらぼうナビ」というものがXで発信されているようだ。そのナビには、もう少し丁寧な「あらすじ」が書いてあった。(公式サイトでのナビまとめ:【大河べらぼう】べらぼうナビ🔎第1回 - 大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」 - NHK)
≪あらすじ≫ 第1回「ありがた山の寒がらす」 明和の⼤⽕から1年半、蔦重こと蔦屋重三郎(横浜流星)は、茶屋で働く傍ら貸本業を営んでいた。ある日、幼なじみの花魁(おいらん)・花の井(小芝風花)から、朝顔(愛希れいか)に届けものを託される。しかし蔦重が、浄念河岸(じょうねんがし)の二文字屋を訪れると、ひどく衰弱した朝顔の姿があった…。吉原の場末である河岸見世(かしみせ)の女郎たちの酷い惨状をみて、思い悩む蔦重。そんな中、吉原で付け火の事件が起き、騒然となる…。
こちらのページには、花魁道中とか引手茶屋、百川、田沼意次といった用語の説明もあった。また、別ページで第1回のまとめもある(【大河べらぼう】第1回「ありがた山の寒がらす」まとめ - 大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」 - NHK)。
公式サイトも、微妙に「光る君へ」から変化が。「どうする家康」の時のような年表があると理解の助けになるんだけど、それは無いみたい。まあ、色々これから慣れましょうかね。
え?クロスケ?!クロスケ稲荷!
ドラマが始まり、個人的にいきなり狐につままれた状態でテンションが爆上がりしたのが、語り役の綾瀬はるかの登場。ナニナニ、設定がクロスケ稲荷なの?うちの亡き愛猫と同じ名前のお稲荷さんが吉原にあったなんて、全然知らなかった。九郎助稲荷については、番組最後の紀行で吉原神社にまとめて祀られていると言っていたようだったから、ぜひ訪ねてみたいものだ。
まあ、どういうスタンスで女人の苦界である吉原を描くつもりなのかと警戒していたものだから、ジョン・グラムの音楽はやたら前向きで明るく響くし、語りが綾瀬はるかという点で、ちょっと警戒心が強まった。
スタイリッシュで明るい音楽を背景に、吉原は「男が女と遊ぶ場所」と彼女は説明した。そう、楽しむ側は偏っているんだよね。
舞台が吉原だから、必然的に出てくる女性キャラには女郎が目立つ。綾瀬はるかを、花魁仕立てのお稲荷さん設定のナビゲーターとしてカラフルでキャピキャピと明るく前に出すことで、女が搾取され尽くされる吉原の闇は描くつもりがないのかなと心配になった。
蔦重こと蔦屋重三郎は、江戸のメディア王だと言うのだけれども、失礼ながら、次回やることは現代で言えば風俗のご紹介なのでしょう?苦界で涙を流す女の子たちを食い物に稼いでいくようで、その彼を主人公として持ち上げて描くのか・・・と。
ジェンダーなんかどうでもいい時代の話だから仕方ないけれど、題材まで。そういう、本質的にどうにも受け入れにくく居心地の悪い感覚で、1年間もドラマを見続けられるだろうか、とも思っていた。
ところが、そうじゃない方向にドラマは進展したっぽい。
朝顔姐さんは、蔦重の直秀
明暗の暗抜きのキラキラ吉原だけが描かれるのかとの心配は、杞憂になるのかもしれない。蔦重と、幼なじみの花魁花の井が「姐さん」と慕う、元花魁の朝顔(「大奥」の13代家定の中の人が演じていた。12代将軍に性的に搾取されていたね😢)が病で死に、他の死んだ女郎と共に身ぐるみ剥がされた裸で「投げ込み寺」浄閑寺に、文字通り投げ捨てられていた件は息を飲んだ。
NHKでこれを午後8時に放送するかと思うぐらいのショッキングな描写だったが、あれが当時の遊女の現実だと聞く。それを描き、主人公蔦重の大きなターニングポイントとしたことで、NHKも吉原を変な上っ面のきれいごとで誤魔化すことなく本腰を入れて描くつもりなのだよね。
当時は女を買うのが全肯定されている。「岡場所、宿場とは無許可の風俗街。吉原のライバルでした」と九郎助稲荷様もシレっと言うぐらい。そば屋のおじさんも「ひとっ風呂浴びるついでに女買えるのに、わざわざ吉原まで来ねえよなって話だ」と気軽に言う。
庶民にとっては至極当たり前の存在であっただろう色街。それを描かないままでは、むしろ当時の庶民を描けない、嘘っぽくなるかとも思う。でも、描き方には当時の男側からの視点・極楽だけじゃ現代では通用しない。女側からの視点・地獄の両方を兼ね備える工夫がどうしても要る。
その地獄の一片を体現したのが朝顔姐さんなのだが・・・あの朝顔姐さんの死に様を見て、「光る君へ」の直秀を思った。直秀の死は、まひろと道長に強烈なインパクトを残し、「道長は偉くなって民のための政を行うべきなのだ、まひろはそれを見つめ続ける」とのふたりの誓いにつながったのだったね。
蔦重:(遺体となって捨てられた朝顔の手を取って)吉原に好き好んでくる女なんていねえ。女郎は口減らしに売られてきてんだ。きつい勤めだけどおまんまだけは食える。親兄弟はいなくても、白い飯だけは食える。それが吉原なんだよ!それがろくに食えもしねえって・・・そんなひでえ話あっかよ・・・。(涙)
蔦重も、朝顔姐さんの死で心が動かされ、「女郎のために」働こう、何かしようと行動しだした。
まずは美食に現を抜かし、空腹の挙句に付け火をした女郎を笑う「忘八」(仁義礼智忠信孝悌の8つの徳を忘れた外道)の吉原の店主たちに炊き出しを頼み込み、当たり前のように断られ、とうとう老中田沼意次にまで岡場所などの取り締まり「警動」を直談判。その結果、店主らに大樽に閉じ込められる折檻を受けたが、暗闇でアイデアを思いつく。次回、それが動き出すようだ。
直秀も朝顔姐さんも、その死によって主人公のプラスの原動力になったという点で共通している。当時、「女郎のために」とお題目を掲げても何を笑わせると言われただろうけど、諦めなかったってことだね。
ところで・・・吉原の女将さん達が軒並み眉毛無しで出てくるものだから、ギョッとさせられた上に正体不明というか誰だか分からないし怖い。とりあえず、安達祐実(「大奥」では松平定信を好演)、水野美紀、かたせ梨乃は辛うじて分かったが、飯島直子は名前を見てもまだ半信半疑だ。ええ?あれが癒しの飯島直子?状態。
当時は既婚女性は眉を落とした上に鉄漿もしていたと聞く。女ばっかり、バケモノメイクだよね。さすがに全部は再現しなくて正解だと思う。
新規情報てんこ盛り、解説・文字抜きでは分からない💦
療養中、時代劇専門チャンネルが好きでよく見ていた。「御家人斬九郎」「藤枝梅安」「剣客商売」「大奥」あたりは馴染みがある。NHKでも「大岡越前」「雲霧仁左衛門」あたりはたまに見ていたし、江戸を題材にした時代劇も放送されている。
だから「べらぼう」も、大河ドラマで扱うのは初の時代だと言うが、見慣れない世界でもない。ただ頭がまだ強烈に平安ボケ。蔦重等が色々と説明するセリフには気を付けていたつもりだったが、とにかく新規の情報量が多くてスッとは見られなかった。
設定などちゃんと理解したいので副音声の解説も聞いてみたが、「これ、解説抜きじゃ何のことやら分からなかったな~」という場面が結構あった。さらに、解説や九郎助稲荷様のご神託があっても、分からないのもあったけど💦
- 明和九年(1772年)の明和大火の際、蔦重が「よし、燃えなきゃいいんだな!」と言った後、狐の石像が水にどぼーんの絵が出たが、あれは解説によると「どぶに放り込まれる狐」だった。投入先は、吉原を囲うお歯黒どぶだったんだね。その後、蔦重は背負子で「祠」を背負って逃げた。
- 火災で水を被ってくぐったのは、吉原の「大門」だった。つまり、一行は吉原の外に出て逃げた。(裸足になったのは、転ばないように?散乱している物を考えると、余計に危ない気がするが。)
- 「駿河屋のような引手茶屋が左右に並ぶ、吉原の大通り・なかのちょう(字が分からない)。角を曲がると、女郎屋の松葉屋」と解説。○○屋の看板だけを見せられても、引手茶屋、女郎屋が異なる形態のものである事まで、最初なので分からなかった。また「和泉屋様から呼び出し入ったよ」の意味が、何のことやら?となった。花の井が「お受けしんす」と答え、つまり客が来たって事だったかと分かったが、「お馴染みの」とか「上客の」ぐらい言ってよ、みんな○○屋だよ!と思った。
- 「客が残した、手つかずの豪勢な料理を食べる女郎や禿たち」と解説。花の井らは単に豪勢な料理を食べているようにしか見えなかったが、客の残り物だったんだね。
- 浄念河岸の「女郎たちの揚代は、線香1本燃え尽きる間、一切(ひときり)で百文」で、一晩で十両以上も稼ぐと言われていた花の井ら大見世の女郎とは格段に安いと、九郎助稲荷が解説していたが、「ひときりで」と立て板に水で言われても…線香1本のことかな?と立ち止まってしまった。
- 「手を出したらここに居られなくなっちまいます」と浄念河岸の女郎に言っていた蔦重。どうやら商品である吉原の女郎とは恋愛関係に陥ってはいけないようだ。吉原の男衆は、みんな千住に行くとのこと。「千住はもう連れてってもらったか?」と少年の唐丸がつるべ蕎麦の半次郎に聞かれ、「まだ早えよ」と蔦重が返していた。
- 蔦重が朝顔に読んだ「背に角おうて一文字になって来るものは、さざえにてぞありける。是も忍びの役人なれば龍王見給い、人間界の様子いかにいかにとせめ給う。その時、さざえにじり出でて申しけるは、私は小田原町から通り筋をいっぺん廻り候が」の説明がない。ググったところ、平賀源内のベストセラーだと分かった。こちら(↓↓↓)に引用させていただいたサイトが詳しく解説していた。「光る君へ」の時にも度々参考にさせていただいたサイトだ。確かに言われてみれば、蔦重が茶屋勤務の傍らやっていた貸本屋は、籠の鳥の遊女たちに限られた娯楽だけじゃなく必要な教養も提供していたのであり、それで女郎屋・松葉屋の主人も、蔦重の出入りを「おお!よろしくな~」と受け入れていたのだろう。
平賀源内のベストセラーも読む遊女
病床の朝顔に、せめてもの恩返しと蔦重が読み聞かせをするシーンは泣かせました。蔦重が手に取っていたのは、ドラマでも重要な登場人物となる平賀源内のベストセラー「根南志具佐(ねなしぐさ)」です。こちらも歴史的に重要な書籍です。
宝暦13年(1763年)の発刊。この年、実際にあった歌舞伎役者の溺死事件を材料にして、面白おかしく小説化しました。「談義本」と呼ばれるタイプの読み物です。
背に角をおふて一文字に成つて來るものは、拳螺(さざえ)にてぞありける。是も忍びの役人なれば、龍王見給ひ、「人間界の様子いかにいかに」とせめ給ふ。其時さゞえにじり出で申しけるは、「私は小田原町から通り筋を一ぺん廻り候が」(岩波書店 日本古典文学文學大系 55 風来山人集「根南志具佐」三之巻から)滑稽な表現をまといつつ、同時代の風俗を描いて世相を風刺する内容です。今作では地獄の閻魔王や竜王が住む竜宮城が登場し、竜王の手下のシジミやサザエ、エビなどが人間世界を偵察してくるなど、荒唐無稽もいいところですが、そうした馬鹿馬鹿しさの中に同時代の世相を巧みに織り込みます。源内独特の文章が冴えわたっています。
内容的にも李白や杜甫、孔子、論語などの漢籍や仏典、枕草子や方丈記など古今東西の古典の引用が華麗に散りばめられていて、源内の博覧強記ぶりと、それを楽しんでいた江戸の人たちの知的レベルの高さが伺われます。そうした読者層の中には吉原の女性たちも含まれていたのです。
(【大河べらぼう】第1回「ありがた山の寒がらす」回想 蔦屋重三郎の背中を押した朝顔姐さんの死と意次の言葉 「吉原の女たちのために働く」蔦重の覚悟 女郎の教養の高さ随所に – 美術展ナビ)
- そば屋のおじさんが「昼見世とはいえ、これだもんなあ」と言った「これ」が何を指すのか、一瞬迷った。人通りが皆無なことを言いたかったのだが、まず昼見世という言葉に馴染みがないこちらとしては、何か店頭にあるのかと思ってしまった。「これ」じゃなくてさ、面倒くさがらず「客ひとり通らないもんなあ」ぐらい言ってほしい。
- 「吉原の目抜き通りをゆったり進む、花の井の花魁道中」と副音声の解説があり、続けて「俗に吉原は日に千両の金が落ちたと言われますが、稼ぎ頭となったのが、この花の井のような呼出の花魁です。客は大通とと呼ばれる身元も財布も確かな選ばれた金持ちばかり。客はまず引手茶屋で一席、その後女郎屋でも一席。芸者、幇間などを呼び、宴席を張ります」と九郎助稲荷様がご説明。ここで、花の井が、和泉屋に「おお、花の井!」と迎えられて、副音声が「女郎と禿を引き連れ、花の井がやってくる」と解説。「最低でも一晩十両、中には百両張り込む方もいたとかいないとか」と、座った花の井の艶やかな姿に九郎助稲荷様の説明が被さった。そして、え?またここで花魁道中?その際に未来の鬼平に見初められ、ニッコリ笑顔で一発ノックアウトしたのだが・・・ん?そうか、花魁はつまり、引手茶屋の座敷で花の井を待ってた和泉屋を、2度目の花魁道中で女郎屋に連れ帰っていたのだね。うーん、基本的な花魁の動き「客を引手茶屋まで迎えに行き、女郎屋に戻ります。その往復が花魁道中と呼ばれます」を、まず説明に入れてほしかったかな。
- 忘八オヤジのうちの1人が「丑寅門の人でなし、午の出入りはなき葦の原」と狂歌を詠み、「うまい!」「うまだけに」と他の店主から誉めそやされていた。・・・はあ?何のこっちゃ。そうしたら、先ほど引用させていただいた「美術展ナビ」に読み解きがあった。
この顔役たちの寄合で、大見世の主で、教養人としても知られた扇屋宇右衛門(山路和弘さん)が自らを揶揄する狂歌をひとつ捻っていました。
忘八は 丑寅門の 人でなし 午の出入りは なき葦の原吉原、そして出入口の大門とも、江戸の中心部から見て鬼門とされる「丑寅」の方向にあります。というわけでオレたちは「人でなし」。一方、「午(ウマ)」=南の方角=に出入り口はなく、そこは葦の原(吉原)ですよ、ぐらいの意味でしょうか。読み解きにちょっと自信はありませんが、このぐらいの即興のクリエイションが当たり前にあったのが吉原。「光る君へ」に続き、「文芸ドラマ」としての薫りも漂ってくる「べらぼう」です。
(美術展ナビ編集班 岡部匡志)
【大河べらぼう】第1回「ありがた山の寒がらす」回想 蔦屋重三郎の背中を押した朝顔姐さんの死と意次の言葉 「吉原の女たちのために働く」蔦重の覚悟 女郎の教養の高さ随所に – 美術展ナビ
- そういえば、サブタイトル「ありがた山の寒がらす」って何?ただのダジャレでしょと思わないでもなかったけれど、ちゃんと調べて書いている人がいた。ありがたいねえ。まさか「ありがた山」が実在するとは。
有名人・田沼意次、平賀源内、鬼の長谷川平蔵
申し訳ないけれど、蔦屋重三郎の名前はどこかで聞いたけどな、程度でほぼ知らないと言っていい存在だったので、ドラマに歴史上の有名人が出てくると少し安心する。位置確認と言うか、目安になる。
その有名人をドラマでどう描くかも楽しみなのだが・・・今回、未来の火付盗賊改め方長官の鬼平が、なんと吉原デビューでの痛い振る舞いで笑わせてくれ、蔦重に手玉に取られていた。え?まさかの鬼平が?
やっぱりどなたか先輩に連れてきてもらった方が良かったみたいだよね。池波正太郎の小説では、若い頃には悪所通いで知られた「本所の銕(てつ)」だったが、その最初の苦労が見られるとはね。
駿河屋市右衛門:極上吉のカモ?
蔦重:ええ。粋がっちゃいるが、ありゃ今までロクに遊んだこともねえ血筋自慢の嫡々野郎でさ。いい年した世間知らずが親が死んで遊びまわってる手合いかと。
駿河屋:あの長谷川様のってのは本当かよ?
蔦重:腰の物は格別だったんで間違いねえかと。
駿河屋:(座敷を覗き見て)極上々吉。
蔦重:でしょう?
駿河屋:(勢いよく襖を開けて、これ以上ない笑顔)長谷川様!この度はお越しいただき恐悦至極。引手茶屋の駿河屋市右衛門にございます。(深々と礼。長谷川平蔵は満足そうに笑顔で頷き、平身低頭の蔦重はニヤリ)
こんな風に若き日の鬼平が面白おかしく出てくるなんて思いもしなかったが、時代的にピッタリなんだね。この15年後ぐらいに火付盗賊改方に就任するらしい。(長谷川宣以 - Wikipedia)演じているのが、「大富豪同心」の中村隼人というのがまたピッタリ。いい人を持ってきた。笑わせてもらえそうだ。
次に、平賀源内がまだ名乗り前で「厠の男」という表記で出ていた。第2回でクローズアップされるようだが、前述の通り、既に彼の著作物は初回で登場、主人公が読み上げている。
平賀源内というと「大奥・医療編」での悲しい結末を思い出してしまう。鈴木杏も「べらぼう」のどこかで出てこないかな?黒木は昨年の道兼役で出ていたから、青沼が出てこないかな。
そして・・・超大物渡辺謙が演じる田沼意次。さっそく蔦重との「警動」という、無許可の岡場所や宿場への取り締まりを巡る対話があった。目的は達せられなかったが、意次の言葉に目から鱗が落ちた蔦重は「ありがた山の寒がらす」と、蔦重なりの精一杯の感激を伝えていた。
今回の見せ場、記録しておこう。蔦重は、田沼意次の屋敷前で吉原の上客・和泉屋を見かけ、うまく荷物持ちになって田沼と対面する座敷に入ることに成功した。それだけでも、なんて才覚だ。
田沼意次:フッ。これはこれは。実によう効きそうな肥やしじゃの。(壺の中は小判)
和泉屋:たわわに実りましょうぞ、山吹の実が。取り入れが成りましたら、相応の運上冥加はお納めいたします。
蔦重:恐れながら、吉原も運上冥加を納めております。
和泉屋:はあ?
蔦重:私もぜひ、田沼様にお聞き届けいただきたい話がございます。
和泉屋:お前!
意次:構わん。手短に申せ。
蔦重:ありがとうございます。吉原は天下御免を頂きました時分より莫大な運上冥加をお納めし、課せられた街役にも励んでおります。一方で、運上も冥加も納めぬ不逞な岡場所は増えに増え、宿場も憚りもせず色を売る始末。そのせいで吉原の末端の女郎たちは腹を満たすことすらも出来ぬ有様。これはどう考えても道理に合いません。つきましては警動をお願いできませんでしょうか。
意次:警動を行うことはできぬな。
蔦重:吉原が持ち直したら必ずお礼を献上いたします!
意次:吉原のためだけに国益を逃すわけにはいかぬのだ。
蔦重:国益?
意次:お前、名は。
蔦重:蔦屋の重三郎と申します。
意次:うん。蔦の重三か。宿場町と言えば千住、板橋、品川、内藤新宿辺り。その、江戸へ入る五街道沿いの宿場町がもし1つでも潰れたら、どうなると思う?
蔦重:宿場町から宿場町の間が長くなりますから、旅が大変になり、商いの機会も減ったりしましょうか。
意次:そうだ。宿場が潰れれば商いの機会が減り、それによる大幅な利益、つまり国益を逸することになる。裏を返せば、宿場が栄え、商いの機会が増えれば莫大な国益を生む。では、宿場を栄えさせるのは何だ?・・・何だ?
蔦重:女と博打にございます。
意次:そうだ。然様な訳で、ここのところの宿場町での飯盛女の大幅な増加を認めてきた。そのおかげで宿場は栄え、運上もつつがなく上がるようになった。それを棒に振って、吉原だけを救うために警動を行うわけにはいかんだろう。
蔦重:では・・・!岡場所だけならいかがでしょう。そもそも吉原が天下御免を頂いたのは、得手勝手に色を売り、危ない目に遭う女が多かったゆえ!そこはよろしいので?!それに、天下御免の色里が廃れたとあっては、お上のご威光に関わるのではございませんか?
意次:(立ち上がる。目を逸らさず、重三郎に近づく)・・・百川が、吉原の親父たちは上得意だと言っておった。
蔦重:・・・え?
意次:吉原の女郎たちが食えぬのは、何も岡場所や宿場のせいばかりではなかろう。警動を願う前に正すべきは、あの忘八親父たちの不当に高い取り分ではないのか?
蔦重:それは・・・!
意次:さらに言えば、吉原に客が足を運ばぬのはもはや吉原が足を運ぶ値打ちもない場に成り下がっているのではないか?
蔦重:女郎は懸命に勤めております!
意次:では、人を呼ぶ工夫が足りぬのではないか?お前は何かしているのか、客を呼ぶ工夫を。
蔦重:(言葉を失い、うなだれる)
意次:和泉屋。商いの件は承知した。ではな。
和泉屋:ありがたき幸せ!
蔦重:田沼様!田沼様!お言葉、目が覚めるような思いがいたしやした!(去る意次)まこと、ありがた山の寒がらすにございます!(頭を下げる。庭から見ていた意次の息子の意知が笑う)
いや勉強になりますなあ。意次の問いにちゃんと正答を出し続けた蔦重もさすが。謙さん、出てくるたびに重いシーンで大変だろうなと思うけど、迫力満点だった。しかし蔦重は、老中田沼意次に強い印象を残しただろう。そして庭にいた息子の意知にも。蔦重には、今後は息子が絡んできそうだ。
ちなみに、蔦重を袋叩きにした警動をされては困る忘八親父らの理屈はこうだった。
チビノリダー:あのな、警動なんか頼んだら、こっちが岡場所の女の面倒見なくちゃいけなくなんだよ!この左前の時に、んな余裕ねえんだよ!
あんなに高級な食事をしていたくせにね・・・しかも高級料亭の上得意。「御家人斬九郎」の主人公(演・渡辺謙)の母(演・岸田今日子)が、斬九郎の稼ぎを全部八百善につぎ込んで息子を泣かせていたっけ。それを思い出した。いやはや、正すべきはこの者どもの不当に高い取り分。田沼意次(こちらも渡辺謙)は正しいね、そんなことを蔦重が言えそうもないけど。
(ほぼ敬称略)