黒猫の額:ペットロス日記

狭い場所から見える景色をダラダラと。大河ドラマが好き。

【べらぼう】#1 新規情報過多の初回、「直秀」が早くも死に蔦重を駆り立てる。吉原を、男の極楽&女の地獄としてきっちり描けるか

これでもかの充実ぶり

 2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」が、1/5に始まった。連日のお餅の食べ過ぎで胃腸がもたれ、ガスター10を飲んでようやく正常運転に戻ったのだが、「べらぼう」も、さすが初回とあって消化するための胃腸薬が欲しいくらい。これでもかの充実ぶりだった。ふぅ。

 大好評だった「光る君へ」には負けられないし、初回に力が入るのもわかる。まだ平安時代を引きずってる視聴者も相当数おいでだろう。前作総集編はたった1週間前の12/29放送だった訳だし心の切り替えが難しい(😅倫子様~)。それを拭い去らないとね。

 聞くところによると、この「べらぼう」には、最近評判だった男女逆転「大奥」チームが制作に携わっているとか。道理で役者さんも「大奥」で見た顔が多かった。初回だけでも大奥の「上様」が何人かいた。(そうそう、チビまひろが第10代将軍家治の幼少期を演じていたのも発見!)

 深夜帯?に「大奥」が再放送されたらしいが、私も触発され、録画の田沼意次周辺の何回分かを見てしまった。それで、かなり期待が高まった。

 ということで、初回のあらすじを公式サイトから拝借する。

(1)「ありがた山の寒がらす」

初回放送日:2025年1月5日

大河ドラマ「べらぼう」いよいよ放送開始!主演は横浜流星。写楽、歌麿を世に送り出し、江戸のメディア王にまで成り上がった蔦重こと蔦屋重三郎の波乱万丈の物語が始まる。((1)「ありがた山の寒がらす」 - 大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」 - NHK

 あら、ずいぶんとあっさりな説明だ。まあ、初回は見てのお楽しみって事なんだね。(←江戸っ子口調が移りそう)

 ドラマ放送中には、用語や設定などを解説する「べらぼうナビ」というものがXで発信されているようだ。そのナビには、もう少し丁寧な「あらすじ」が書いてあった。(公式サイトでのナビまとめ:【大河べらぼう】べらぼうナビ🔎第1回 - 大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」 - NHK

≪あらすじ≫ 第1回「ありがた山の寒がらす」 明和の⼤⽕から1年半、蔦重こと蔦屋重三郎(横浜流星)は、茶屋で働く傍ら貸本業を営んでいた。ある日、幼なじみの花魁(おいらん)・花の井(小芝風花)から、朝顔(愛希れいか)に届けものを託される。しかし蔦重が、浄念河岸(じょうねんがし)の二文字屋を訪れると、ひどく衰弱した朝顔の姿があった…。吉原の場末である河岸見世(かしみせ)の女郎たちの酷い惨状をみて、思い悩む蔦重。そんな中、吉原で付け火の事件が起き、騒然となる…。

 こちらのページには、花魁道中とか引手茶屋、百川、田沼意次といった用語の説明もあった。また、別ページで第1回のまとめもある(【大河べらぼう】第1回「ありがた山の寒がらす」まとめ - 大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」 - NHK)。

 公式サイトも、微妙に「光る君へ」から変化が。「どうする家康」の時のような年表があると理解の助けになるんだけど、それは無いみたい。まあ、色々これから慣れましょうかね。

え?クロスケ?!クロスケ稲荷!

 ドラマが始まり、個人的にいきなり狐につままれた状態でテンションが爆上がりしたのが、語り役の綾瀬はるかの登場。ナニナニ、設定がクロスケ稲荷なの?うちの亡き愛猫と同じ名前のお稲荷さんが吉原にあったなんて、全然知らなかった。九郎助稲荷については、番組最後の紀行で吉原神社にまとめて祀られていると言っていたようだったから、ぜひ訪ねてみたいものだ。

 まあ、どういうスタンスで女人の苦界である吉原を描くつもりなのかと警戒していたものだから、ジョン・グラムの音楽はやたら前向きで明るく響くし、語りが綾瀬はるかという点で、ちょっと警戒心が強まった。

 スタイリッシュで明るい音楽を背景に、吉原は「男が女と遊ぶ場所」と彼女は説明した。そう、楽しむ側は偏っているんだよね。

 舞台が吉原だから、必然的に出てくる女性キャラには女郎が目立つ。綾瀬はるかを、花魁仕立てのお稲荷さん設定のナビゲーターとしてカラフルでキャピキャピと明るく前に出すことで、女が搾取され尽くされる吉原の闇は描くつもりがないのかなと心配になった。

 蔦重こと蔦屋重三郎は、江戸のメディア王だと言うのだけれども、失礼ながら、次回やることは現代で言えば風俗のご紹介なのでしょう?苦界で涙を流す女の子たちを食い物に稼いでいくようで、その彼を主人公として持ち上げて描くのか・・・と。

 ジェンダーなんかどうでもいい時代の話だから仕方ないけれど、題材まで。そういう、本質的にどうにも受け入れにくく居心地の悪い感覚で、1年間もドラマを見続けられるだろうか、とも思っていた。

 ところが、そうじゃない方向にドラマは進展したっぽい。

朝顔姐さんは、蔦重の直秀

 明暗の暗抜きのキラキラ吉原だけが描かれるのかとの心配は、杞憂になるのかもしれない。蔦重と、幼なじみの花魁花の井が「姐さん」と慕う、元花魁の朝顔(「大奥」の13代家定の中の人が演じていた。12代将軍に性的に搾取されていたね😢)が病で死に、他の死んだ女郎と共に身ぐるみ剥がされた裸で「投げ込み寺」浄閑寺に、文字通り投げ捨てられていた件は息を飲んだ。

 NHKでこれを午後8時に放送するかと思うぐらいのショッキングな描写だったが、あれが当時の遊女の現実だと聞く。それを描き、主人公蔦重の大きなターニングポイントとしたことで、NHKも吉原を変な上っ面のきれいごとで誤魔化すことなく本腰を入れて描くつもりなのだよね。

 当時は女を買うのが全肯定されている。「岡場所、宿場とは無許可の風俗街。吉原のライバルでした」と九郎助稲荷様もシレっと言うぐらい。そば屋のおじさんも「ひとっ風呂浴びるついでに女買えるのに、わざわざ吉原まで来ねえよなって話だ」と気軽に言う。

 庶民にとっては至極当たり前の存在であっただろう色街。それを描かないままでは、むしろ当時の庶民を描けない、嘘っぽくなるかとも思う。でも、描き方には当時の男側からの視点・極楽だけじゃ現代では通用しない。女側からの視点・地獄の両方を兼ね備える工夫がどうしても要る。

 その地獄の一片を体現したのが朝顔姐さんなのだが・・・あの朝顔姐さんの死に様を見て、「光る君へ」の直秀を思った。直秀の死は、まひろと道長に強烈なインパクトを残し、「道長は偉くなって民のための政を行うべきなのだ、まひろはそれを見つめ続ける」とのふたりの誓いにつながったのだったね。

蔦重:(遺体となって捨てられた朝顔の手を取って)吉原に好き好んでくる女なんていねえ。女郎は口減らしに売られてきてんだ。きつい勤めだけどおまんまだけは食える。親兄弟はいなくても、白い飯だけは食える。それが吉原なんだよ!それがろくに食えもしねえって・・・そんなひでえ話あっかよ・・・。(涙)

 蔦重も、朝顔姐さんの死で心が動かされ、「女郎のために」働こう、何かしようと行動しだした。

 まずは美食に現を抜かし、空腹の挙句に付け火をした女郎を笑う「忘八」(仁義礼智忠信孝悌の8つの徳を忘れた外道)の吉原の店主たちに炊き出しを頼み込み、当たり前のように断られ、とうとう老中田沼意次にまで岡場所などの取り締まり「警動」を直談判。その結果、店主らに大樽に閉じ込められる折檻を受けたが、暗闇でアイデアを思いつく。次回、それが動き出すようだ。

 直秀も朝顔姐さんも、その死によって主人公のプラスの原動力になったという点で共通している。当時、「女郎のために」とお題目を掲げても何を笑わせると言われただろうけど、諦めなかったってことだね。

 ところで・・・吉原の女将さん達が軒並み眉毛無しで出てくるものだから、ギョッとさせられた上に正体不明というか誰だか分からないし怖い。とりあえず、安達祐実(「大奥」では松平定信を好演)、水野美紀、かたせ梨乃は辛うじて分かったが、飯島直子は名前を見てもまだ半信半疑だ。ええ?あれが癒しの飯島直子?状態。

 当時は既婚女性は眉を落とした上に鉄漿もしていたと聞く。女ばっかり、バケモノメイクだよね。さすがに全部は再現しなくて正解だと思う。

新規情報てんこ盛り、解説・文字抜きでは分からない💦

 療養中、時代劇専門チャンネルが好きでよく見ていた。「御家人斬九郎」「藤枝梅安」「剣客商売」「大奥」あたりは馴染みがある。NHKでも「大岡越前」「雲霧仁左衛門」あたりはたまに見ていたし、江戸を題材にした時代劇も放送されている。

 だから「べらぼう」も、大河ドラマで扱うのは初の時代だと言うが、見慣れない世界でもない。ただ頭がまだ強烈に平安ボケ。蔦重等が色々と説明するセリフには気を付けていたつもりだったが、とにかく新規の情報量が多くてスッとは見られなかった。

 設定などちゃんと理解したいので副音声の解説も聞いてみたが、「これ、解説抜きじゃ何のことやら分からなかったな~」という場面が結構あった。さらに、解説や九郎助稲荷様のご神託があっても、分からないのもあったけど💦

  • 明和九年(1772年)の明和大火の際、蔦重が「よし、燃えなきゃいいんだな!」と言った後、狐の石像が水にどぼーんの絵が出たが、あれは解説によると「どぶに放り込まれる狐」だった。投入先は、吉原を囲うお歯黒どぶだったんだね。その後、蔦重は背負子で「祠」を背負って逃げた。
  • 火災で水を被ってくぐったのは、吉原の「大門」だった。つまり、一行は吉原の外に出て逃げた。(裸足になったのは、転ばないように?散乱している物を考えると、余計に危ない気がするが。)
  • 「駿河屋のような引手茶屋が左右に並ぶ、吉原の大通り・なかのちょう(字が分からない)。角を曲がると、女郎屋の松葉屋」と解説。○○屋の看板だけを見せられても、引手茶屋、女郎屋が異なる形態のものである事まで、最初なので分からなかった。また「和泉屋様から呼び出し入ったよ」の意味が、何のことやら?となった。花の井が「お受けしんす」と答え、つまり客が来たって事だったかと分かったが、「お馴染みの」とか「上客の」ぐらい言ってよ、みんな○○屋だよ!と思った。
  • 「客が残した、手つかずの豪勢な料理を食べる女郎や禿たち」と解説。花の井らは単に豪勢な料理を食べているようにしか見えなかったが、客の残り物だったんだね。
  • 浄念河岸の「女郎たちの揚代は、線香1本燃え尽きる間、一切(ひときり)で百文」で、一晩で十両以上も稼ぐと言われていた花の井ら大見世の女郎とは格段に安いと、九郎助稲荷が解説していたが、「ひときりで」と立て板に水で言われても…線香1本のことかな?と立ち止まってしまった。
  • 「手を出したらここに居られなくなっちまいます」と浄念河岸の女郎に言っていた蔦重。どうやら商品である吉原の女郎とは恋愛関係に陥ってはいけないようだ。吉原の男衆は、みんな千住に行くとのこと。「千住はもう連れてってもらったか?」と少年の唐丸がつるべ蕎麦の半次郎に聞かれ、「まだ早えよ」と蔦重が返していた。
  • 蔦重が朝顔に読んだ「背に角おうて一文字になって来るものは、さざえにてぞありける。是も忍びの役人なれば龍王見給い、人間界の様子いかにいかにとせめ給う。その時、さざえにじり出でて申しけるは、私は小田原町から通り筋をいっぺん廻り候が」の説明がない。ググったところ、平賀源内のベストセラーだと分かった。こちら(↓↓↓)に引用させていただいたサイトが詳しく解説していた。「光る君へ」の時にも度々参考にさせていただいたサイトだ。確かに言われてみれば、蔦重が茶屋勤務の傍らやっていた貸本屋は、籠の鳥の遊女たちに限られた娯楽だけじゃなく必要な教養も提供していたのであり、それで女郎屋・松葉屋の主人も、蔦重の出入りを「おお!よろしくな~」と受け入れていたのだろう。

平賀源内のベストセラーも読む遊女

病床の朝顔に、せめてもの恩返しと蔦重が読み聞かせをするシーンは泣かせました。蔦重が手に取っていたのは、ドラマでも重要な登場人物となる平賀源内のベストセラー「根南志具佐(ねなしぐさ)」です。こちらも歴史的に重要な書籍です。

平賀源内 (風来山人) 著『根奈志空佐』前篇 上 霊湖堂 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/879401

宝暦13年(1763年)の発刊。この年、実際にあった歌舞伎役者の溺死事件を材料にして、面白おかしく小説化しました。「談義本」と呼ばれるタイプの読み物です。

背に角をおふて一文字に成つて來るものは、拳螺(さざえ)にてぞありける。是も忍びの役人なれば、龍王見給ひ、「人間界の様子いかにいかに」とせめ給ふ。其時さゞえにじり出で申しけるは、「私は小田原町から通り筋を一ぺん廻り候が」(岩波書店 日本古典文学文學大系 55 風来山人集「根南志具佐」三之巻から)

滑稽な表現をまといつつ、同時代の風俗を描いて世相を風刺する内容です。今作では地獄の閻魔王や竜王が住む竜宮城が登場し、竜王の手下のシジミやサザエ、エビなどが人間世界を偵察してくるなど、荒唐無稽もいいところですが、そうした馬鹿馬鹿しさの中に同時代の世相を巧みに織り込みます。源内独特の文章が冴えわたっています。

内容的にも李白や杜甫、孔子、論語などの漢籍や仏典、枕草子や方丈記など古今東西の古典の引用が華麗に散りばめられていて、源内の博覧強記ぶりと、それを楽しんでいた江戸の人たちの知的レベルの高さが伺われます。そうした読者層の中には吉原の女性たちも含まれていたのです。

【大河べらぼう】第1回「ありがた山の寒がらす」回想 蔦屋重三郎の背中を押した朝顔姐さんの死と意次の言葉 「吉原の女たちのために働く」蔦重の覚悟 女郎の教養の高さ随所に – 美術展ナビ

  • そば屋のおじさんが「昼見世とはいえ、これだもんなあ」と言った「これ」が何を指すのか、一瞬迷った。人通りが皆無なことを言いたかったのだが、まず昼見世という言葉に馴染みがないこちらとしては、何か店頭にあるのかと思ってしまった。「これ」じゃなくてさ、面倒くさがらず「客ひとり通らないもんなあ」ぐらい言ってほしい。
  • 「吉原の目抜き通りをゆったり進む、花の井の花魁道中」と副音声の解説があり、続けて「俗に吉原は日に千両の金が落ちたと言われますが、稼ぎ頭となったのが、この花の井のような呼出の花魁です。客は大通とと呼ばれる身元も財布も確かな選ばれた金持ちばかり。客はまず引手茶屋で一席、その後女郎屋でも一席。芸者、幇間などを呼び、宴席を張ります」と九郎助稲荷様がご説明。ここで、花の井が、和泉屋に「おお、花の井!」と迎えられて、副音声が「女郎と禿を引き連れ、花の井がやってくる」と解説。「最低でも一晩十両、中には百両張り込む方もいたとかいないとか」と、座った花の井の艶やかな姿に九郎助稲荷様の説明が被さった。そして、え?またここで花魁道中?その際に未来の鬼平に見初められ、ニッコリ笑顔で一発ノックアウトしたのだが・・・ん?そうか、花魁はつまり、引手茶屋の座敷で花の井を待ってた和泉屋を、2度目の花魁道中で女郎屋に連れ帰っていたのだね。うーん、基本的な花魁の動き「客を引手茶屋まで迎えに行き、女郎屋に戻ります。その往復が花魁道中と呼ばれます」を、まず説明に入れてほしかったかな。
  • 忘八オヤジのうちの1人が「丑寅門の人でなし、午の出入りはなき葦の原」と狂歌を詠み、「うまい!」「うまだけに」と他の店主から誉めそやされていた。・・・はあ?何のこっちゃ。そうしたら、先ほど引用させていただいた「美術展ナビ」に読み解きがあった。

この顔役たちの寄合で、大見世の主で、教養人としても知られた扇屋宇右衛門(山路和弘さん)が自らを揶揄する狂歌をひとつ捻っていました。

忘八は 丑寅門の 人でなし 午の出入りは なき葦の原

吉原、そして出入口の大門とも、江戸の中心部から見て鬼門とされる「丑寅」の方向にあります。というわけでオレたちは「人でなし」。一方、「午(ウマ)」=南の方角=に出入り口はなく、そこは葦の原(吉原)ですよ、ぐらいの意味でしょうか。読み解きにちょっと自信はありませんが、このぐらいの即興のクリエイションが当たり前にあったのが吉原。「光る君へ」に続き、「文芸ドラマ」としての薫りも漂ってくる「べらぼう」です。

(美術展ナビ編集班 岡部匡志)

【大河べらぼう】第1回「ありがた山の寒がらす」回想 蔦屋重三郎の背中を押した朝顔姐さんの死と意次の言葉 「吉原の女たちのために働く」蔦重の覚悟 女郎の教養の高さ随所に – 美術展ナビ

有名人・田沼意次、平賀源内、鬼の長谷川平蔵

 申し訳ないけれど、蔦屋重三郎の名前はどこかで聞いたけどな、程度でほぼ知らないと言っていい存在だったので、ドラマに歴史上の有名人が出てくると少し安心する。位置確認と言うか、目安になる。

 その有名人をドラマでどう描くかも楽しみなのだが・・・今回、未来の火付盗賊改め方長官の鬼平が、なんと吉原デビューでの痛い振る舞いで笑わせてくれ、蔦重に手玉に取られていた。え?まさかの鬼平が?

 やっぱりどなたか先輩に連れてきてもらった方が良かったみたいだよね。池波正太郎の小説では、若い頃には悪所通いで知られた「本所の銕(てつ)」だったが、その最初の苦労が見られるとはね。

駿河屋市右衛門:極上吉のカモ?

蔦重:ええ。粋がっちゃいるが、ありゃ今までロクに遊んだこともねえ血筋自慢の嫡々野郎でさ。いい年した世間知らずが親が死んで遊びまわってる手合いかと。

駿河屋:あの長谷川様のってのは本当かよ?

蔦重:腰の物は格別だったんで間違いねえかと。

駿河屋:(座敷を覗き見て)極上々吉。

蔦重:でしょう?

駿河屋:(勢いよく襖を開けて、これ以上ない笑顔)長谷川様!この度はお越しいただき恐悦至極。引手茶屋の駿河屋市右衛門にございます。(深々と礼。長谷川平蔵は満足そうに笑顔で頷き、平身低頭の蔦重はニヤリ)

 こんな風に若き日の鬼平が面白おかしく出てくるなんて思いもしなかったが、時代的にピッタリなんだね。この15年後ぐらいに火付盗賊改方に就任するらしい。(長谷川宣以 - Wikipedia)演じているのが、「大富豪同心」の中村隼人というのがまたピッタリ。いい人を持ってきた。笑わせてもらえそうだ。

 次に、平賀源内がまだ名乗り前で「厠の男」という表記で出ていた。第2回でクローズアップされるようだが、前述の通り、既に彼の著作物は初回で登場、主人公が読み上げている。

 平賀源内というと「大奥・医療編」での悲しい結末を思い出してしまう。鈴木杏も「べらぼう」のどこかで出てこないかな?黒木は昨年の道兼役で出ていたから、青沼が出てこないかな。

 そして・・・超大物渡辺謙が演じる田沼意次。さっそく蔦重との「警動」という、無許可の岡場所や宿場への取り締まりを巡る対話があった。目的は達せられなかったが、意次の言葉に目から鱗が落ちた蔦重は「ありがた山の寒がらす」と、蔦重なりの精一杯の感激を伝えていた。

 今回の見せ場、記録しておこう。蔦重は、田沼意次の屋敷前で吉原の上客・和泉屋を見かけ、うまく荷物持ちになって田沼と対面する座敷に入ることに成功した。それだけでも、なんて才覚だ。

田沼意次:フッ。これはこれは。実によう効きそうな肥やしじゃの。(壺の中は小判)

和泉屋:たわわに実りましょうぞ、山吹の実が。取り入れが成りましたら、相応の運上冥加はお納めいたします。

蔦重:恐れながら、吉原も運上冥加を納めております。

和泉屋:はあ?

蔦重:私もぜひ、田沼様にお聞き届けいただきたい話がございます。

和泉屋:お前!

意次:構わん。手短に申せ。

蔦重:ありがとうございます。吉原は天下御免を頂きました時分より莫大な運上冥加をお納めし、課せられた街役にも励んでおります。一方で、運上も冥加も納めぬ不逞な岡場所は増えに増え、宿場も憚りもせず色を売る始末。そのせいで吉原の末端の女郎たちは腹を満たすことすらも出来ぬ有様。これはどう考えても道理に合いません。つきましては警動をお願いできませんでしょうか。

意次:警動を行うことはできぬな。

蔦重:吉原が持ち直したら必ずお礼を献上いたします!

意次:吉原のためだけに国益を逃すわけにはいかぬのだ。

蔦重:国益?

意次:お前、名は。

蔦重:蔦屋の重三郎と申します。

意次:うん。蔦の重三か。宿場町と言えば千住、板橋、品川、内藤新宿辺り。その、江戸へ入る五街道沿いの宿場町がもし1つでも潰れたら、どうなると思う?

蔦重:宿場町から宿場町の間が長くなりますから、旅が大変になり、商いの機会も減ったりしましょうか。

意次:そうだ。宿場が潰れれば商いの機会が減り、それによる大幅な利益、つまり国益を逸することになる。裏を返せば、宿場が栄え、商いの機会が増えれば莫大な国益を生む。では、宿場を栄えさせるのは何だ?・・・何だ?

蔦重:女と博打にございます。

意次:そうだ。然様な訳で、ここのところの宿場町での飯盛女の大幅な増加を認めてきた。そのおかげで宿場は栄え、運上もつつがなく上がるようになった。それを棒に振って、吉原だけを救うために警動を行うわけにはいかんだろう。

蔦重:では・・・!岡場所だけならいかがでしょう。そもそも吉原が天下御免を頂いたのは、得手勝手に色を売り、危ない目に遭う女が多かったゆえ!そこはよろしいので?!それに、天下御免の色里が廃れたとあっては、お上のご威光に関わるのではございませんか?

意次:(立ち上がる。目を逸らさず、重三郎に近づく)・・・百川が、吉原の親父たちは上得意だと言っておった。

蔦重:・・・え?

意次:吉原の女郎たちが食えぬのは、何も岡場所や宿場のせいばかりではなかろう。警動を願う前に正すべきは、あの忘八親父たちの不当に高い取り分ではないのか?

蔦重:それは・・・!

意次:さらに言えば、吉原に客が足を運ばぬのはもはや吉原が足を運ぶ値打ちもない場に成り下がっているのではないか?

蔦重:女郎は懸命に勤めております!

意次:では、人を呼ぶ工夫が足りぬのではないか?お前は何かしているのか、客を呼ぶ工夫を。

蔦重:(言葉を失い、うなだれる)

意次:和泉屋。商いの件は承知した。ではな。

和泉屋:ありがたき幸せ!

蔦重:田沼様!田沼様!お言葉、目が覚めるような思いがいたしやした!(去る意次)まこと、ありがた山の寒がらすにございます!(頭を下げる。庭から見ていた意次の息子の意知が笑う)

 いや勉強になりますなあ。意次の問いにちゃんと正答を出し続けた蔦重もさすが。謙さん、出てくるたびに重いシーンで大変だろうなと思うけど、迫力満点だった。しかし蔦重は、老中田沼意次に強い印象を残しただろう。そして庭にいた息子の意知にも。蔦重には、今後は息子が絡んできそうだ。

 ちなみに、蔦重を袋叩きにした警動をされては困る忘八親父らの理屈はこうだった。

チビノリダー:あのな、警動なんか頼んだら、こっちが岡場所の女の面倒見なくちゃいけなくなんだよ!この左前の時に、んな余裕ねえんだよ!

 あんなに高級な食事をしていたくせにね・・・しかも高級料亭の上得意。「御家人斬九郎」の主人公(演・渡辺謙)の母(演・岸田今日子)が、斬九郎の稼ぎを全部八百善につぎ込んで息子を泣かせていたっけ。それを思い出した。いやはや、正すべきはこの者どもの不当に高い取り分。田沼意次(こちらも渡辺謙)は正しいね、そんなことを蔦重が言えそうもないけど。

(ほぼ敬称略)

大晦日の不思議

クロスケの髭が、なぜここに?

 明けましておめでとうございます。昨年の正月は能登地震や航空機事故があったりでショッキングな年明けだったが、個人的にもコロナを貰って発症したのが1/1、翌1/2には救急車で運ばれる事態になったので、今年は穏やかな正月になってほしいと願っている。(ついでに、11月にも救急車。年に2回は初、もうやめたい。)

 さて、このブログ。タイトル「黒猫の額:ペットロス日記」にはイマイチ合わない、NHKの大河ドラマのことばかり書くのが最近は常のことになっている。ペットロスの私の一番の慰めになっているのが大河ドラマなのだから良いんだ!とも思うけれど、たまには猫話も書こうと思う。

 少し前の話だ。たぶん12/26~27前後だと思うが、その頃になってようやく年賀状印刷を終え、いざ書き始めようと思った私は、あることにハタと気づいて困った。まだ前年やそれ以前の年賀状が引っ越し荷物の中なので(まだ開けていない段ボール箱が10箱ぐらい残😅)、宛名が書けないのだ。

 私の場合、年賀状は忘れそうな漢字を書く貴重な機会だと思っているので、裏はともかく、表の宛名は手書きにしている。パソコン等に住所のデータを残してない関係で、これまでに頂いた年賀状が無いと、書くべき住所が分からないのだ。

 それで慌てて残っている段ボール箱を開けて、年賀状の束を探すことになった。

 幸い、3~4箱開けて年賀状は見つかり、宛名書きを無事に済ますことができた。その際、年賀状を探す過程で見つかったのが、亡き息子(猫)用に使っていたいくつかの手提げ袋だった。

 おお!と思わず手に取って見た。カラフルなベネトンは、息子のタオルやら薬やら、旅行に行くときの息子必携の物をよく入れていた。その袋の内側にある、透明な内ポケットを見たら・・・なんと、亡きクロスケのつやつやとした立派な髭が1本、納められていたのだった。

 久しぶりに見た、息子の髭。髭については、集めに集めて筆を作ってもらっていたので、何でこんな分かりやすい所に探索の目からこぼれた髭が見つかるのか、不思議だった。

 見つけた時は嬉しくて、帰宅した家族にも喜々として見せた。家族も、おおお!と喜んだ後、私は家族が見ている所で、円形の直径5㎝弱の、チョコレートが入っていた小さな缶に髭を大事に入れ、その丸い缶を、長方形の大き目の缶の中に入れてしまっておいた。

 繰り返すが、家族もそれを見ていた。

大晦日の大掃除中、なぜここに?

 そして、大晦日を迎え、朝からの大掃除でトイレ担当の私は、念入りに掃除をしていた。トイレ部屋全体のホコリ落しをしてから、手袋をしてトイレと手洗いに洗剤をかけてお掃除。ここまではトイレのドアを閉めたままで、最後に床を拭き掃除する時になってドアを開けた。

 そしたら・・・ドアを開けたら、目の前の廊下の床に、クロスケのあの髭が落ちていたのだった。

 ええええええええ!なんでなんで、あんなにしっかり缶の中に二重にしまったのに?まるで、生前のクロスケが、トイレ中の私を外で待ち構えているポジション。そんなところになぜ、しっかりしまった髭が?

 そんな悪戯をする人ではないと知りながら、一応家族に髭がここに落ちてるのだけど・・・と告げてみたら、家族もええええええええええええ!と大ビックリ。それで、一緒に缶を開けて中を確認した。

 缶の中からは、髭が無くなっていた。代わりのように、1本長めのクロスケの黒い毛が入っていた。そんなの入ってなかったのに!

 こんな不思議があるのか・・・💦どう考えても、通常では説明がつかない。家族も証人、私の思い違いじゃない。

 結論としてはこれしかない。「つまり、クロスケが居るってことだよ。ちゃんと引っ越し先についてきているってことだ」と。それで、私のトイレが長いと思って、心配して出てくるのを待ちかねていたんだね。

 猫は家に付くと言うから、東京のマンションに息子を置いてきちゃったかとちょっと気がかりだった。9/26の引き渡しで最後にマンションを出る時、心の中で「クロスケ、行くよ!しっかり付いてきて」と声を掛けたのだが、ちゃんと分かってたね。

 良かった、これで安心して伊豆暮らしが楽しめそうだ。思ってもみない、良い2024年の締めくくりだった。😻

【光る君へ】#48 最終回!心広く潔い敗者の倫子様に涙😢 道長が守った泰平の世、まひろはその後の嵐(武士の世)到来を予感する旅へ

ロス決定!初回からのスゴイ仕掛けにも溜息

 NHK大河ドラマ「光る君へ」最終の第48回「物語の先へ」が、1週間以上前の12/15に放送された。ずっと見続けたいのに、とうとう来てしまった最終回。ああ・・・そんなに簡単に気持ちが終われないってば・・・12/29の総集編を見ないと終われないな。いや、見ても終われない。ロス決定です。

 最終回から1週間後の12/22(日)はちょうど忘年会だったので、「光る君へ」があるはずの時間帯を穴埋めするように放送された「ダーウィンが来た」のスペシャルを呆然と見る必要も幸いなかったが、もう「光る君へ」の放送が無いと思うと、ああ~と心の中で勝手に打ちひしがれてしまった。

 余韻のままに、録画してあった「光る君へ」初回と2回目を見始めてしまったら、子役ちゃんは可愛いし、まひろも道長も為時パパもいとも惟規も乙丸も、出演者がちゃんと皆さんお若いのにも感心するし、何と緻密で面白いドラマだったのかと改めて思った。(←ここでもう泣いてる)

 本当に楽しく豪華絢爛な平安ドラマを見せてもらった1年間だった。美術が素晴らしくて、思わずアートブックを買っちゃったもんね(再度自慢)。音楽の方も買いたいなあ。できればDVDも。しっかり大河ドラマ商戦に取り込まれている。

 そういえば、今年の大河ドラマの初回は、長年の大河ドラマファンを自認する私が、三谷幸喜作の「真田丸」「鎌倉殿の13人」を越えるくらい特に楽しみにしていたのに、思わぬアクシデントに見舞われたのだった。

 家族からうつされて元旦にコロナ発症、翌2日は高熱でバッタリ倒れ救急車のお世話になったので、放送日の7日にはテレビ画面を眺めるのが精一杯。何とか起き上がって見たのだけれど、夢うつつでほぼ意識が無かった(当然、回復してから後日、改めて見直した)。

 初回の始め、安倍晴明が天体観測をしている場面で「雨だ」と降雨を告げていた。それが、今回の最終回の最後に、まひろがつぶやく「嵐が来るわ」という、道長が維持し続けてきた泰平の世が終わって武士の時代到来を予感させる言葉と呼応していて見事、という話をネットで見た。

 確かに、時代の移り変わりを天候で示していたのはおしゃれ。それにも感心しつつ、もうひとつの仕掛けとして今更ながら書いておきたいのが音楽だ。

 初回冒頭場面のBGMは、どこかで聞いた音楽で始まったよ・・・と思っていたら、フィギュアスケートのプログラムでよくかかるリムスキー・コルサコフの「シェヘラザード」に似ていると気づいたのは、コロナから回復してしばらく経ってからだった。千夜一夜物語の、王の興味を引いて殺されないように「続きはまた明日」と毎夜物語を紡ぐヒロインと、千年前に源氏物語という大著作をものにした紫式部と、物語る2大ヒロインを重ねているのだねと、その時は思った。

 そしたら・・・最終回、まひろは「続きはまた明日」と、シェヘラザードのように毎晩つづく物語を道長に語り出したではないか。シェヘラザードの場合は自分の延命のためだが、まひろの場合は道長の命をこの世に繋ぎ止めるため。が、どちらも文字通り、命を懸けて創作している。

 凄い仕掛けだよ・・・最終回でまひろが千夜一夜をやるのを見越しての、初回のシェヘラザード始まりだったのだよね?これは壮大な仕掛けと言っていいよね。考えられてるなあ、溜息が出る。

 ということで、今回はいつにも増してダラダラ書き連ねてしまいそうだが、先に行く前に、公式サイトから最終回のあらすじを引用する。これで「光る君へ」のあらすじ引用も最後か・・・(何かにつけて「最後か」と言ってしまう)。

(48)物語の先に

初回放送日:2024年12月15日

まひろ(吉高由里子)は倫子(黒木華)から道長(柄本佑)との関係を問いただされ、2人のこれまでを打ち明ける。全てを知った倫子は驚きと共に、ある願いをまひろに託す。その後、まひろは「源氏物語」に興味を持った見知らぬ娘と出会い、思わぬ意見を聞くことに。やがて時が経ち、道長は共に国を支えた公卿や、愛する家族が亡くなる中、自らの死期を悟って最後の決断をする。まひろは道長が危篤の知らせを聞き…。((48)物語の先に - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK

手に汗握る、倫子様とまひろの対話

 死に臨む道長相手に、シェヘラザードのように、まひろ版千夜一夜物語を語る場面を実現するとしたら、どういうシチュエーションなら許されるのか?と考えると、まず道長の嫡妻・倫子様の許し抜きにはそんなことは不可能だと分かる。

 全て、倫子様の気持ち次第だ。それをまひろに許した倫子様の心の広さよ。感嘆する。しかも、道長の命を繋ぎ止めてくれと、まひろに頭を下げてお願いしたのは倫子様の方だった。道長への愛が海のように深い。

 形の上ではともかく、真の愛情は自分には返してもらえないと分かっているのにね・・・推しのために無償の愛を捧げる人たちと似ている気がする。

 その倫子様と、前回終わりにまひろは対峙した。ひえー😱と見ている側は手に汗握って1週間待ち、最終回になだれ込んだわけだが、第1ラウンドはふたりの会話は痛み分けで終わったのではないか。ひとりの男を巡って争っただけじゃない、母としての側面が双方にあり、相手に易々と譲る訳にはいかなかったのだよね。

源倫子様:それで・・・あなたと殿は、いつからなの?私が気づいていないとでも思っていた?あなたが屋敷に来てから、殿のご様子が何となく変わってしまって。あなたを見る目も、誰が見ても分かるくらい揺らいでしまって・・・全く(穏やかに笑う)・・・あなたが旅に出たら、出家までしてしまったんだもの。

 まひろさん。殿の妾になっていただけない?(まひろの眉がピクリ)そしたら殿も、少しは力がお付きになると思うのよ。どうかしら?(まひろ、無言で下を向く。明らかに不服そう)

 いつ頃から、そういう仲になったの?

まひろ(藤式部):・・・初めてお目にかかったのは、9つの時でした。

倫子様:(笑顔が消えて)9つ・・・。

まひろ:道長様は、三郎と名乗っておられました。

倫子様:身分も違うのに、どうやって?

まひろ:飼っていた鳥が逃げてしまい、追いかけて鴨川のほとりまで行きました。そこで。

倫子様:家を出ることなぞ許されたの?

まひろ:このような立派なお家ではありませんので・・・。

倫子様:(はあ、と息を吐き下を向く)

まひろ:泣いていた私に、三郎と名乗る男子(おのこ)がお菓子をくれました。優しくておおらかで、背が高くて。また会おうと言われましたが、約束の日・・・母が殺されてしまい、会いに行くことができませんでした。

倫子様:・・・殺された?

まひろ:母を殺した男は、道兼と呼ばれていました。心惹かれた男子が、母の敵の弟だと知った時は、心が乱れました。

倫子様:それなのに、あなたたちは結ばれたのね・・・そうでしょ。

まひろ:道長様と私が親しくしていた散楽の者が殺されて、ふたりで葬って・・・道長様も私も、悲しみを分かち合えるのはお互いしかいなかったのです。

倫子様:・・・あの漢詩の文は、あなたのものだったのね。

まひろ:(深く頷いて)・・・はい。

倫子様:(ゆらりと立ち上がり、まひろに背を向ける)・・・彰子は知っているの?あなたは・・・どういう気持ちであの子のそばにいたの?何も知らずにあの子は、あなたに心を開いていたのね。あなたは本心を隠したままあの子の心に分け入り・・・(悔しそうに)私からあの子を奪っていったのね。(見開いた、まひろの目に涙)私たち・・・(必死にこらえながら)あなたの掌の上で転がされていたのかしら。

まひろ:そのような・・・。

倫子様:それで全て?(まひろを見る)隠し事は、もうないかしら?

まひろ:(倫子の顔を見上げ)はい。

倫子様:(厳しい表情)このことは死ぬまで胸にしまったまま、生きてください。

まひろ:はい。(一礼し、倫子の前から下がる。廊下を行く)

賢子(越後弁):どうしたのですか?そんなに浮かない顔なさって。

まひろ:何でもないわ。あなたはどうなの?

賢子:太閤様にも、太皇太后様にも良くしていただいてるから、安心してください。

まひろ:そう・・・。(笑顔で一礼し、去っていく賢子を目で追う)

彰子の話で倫子様のダム決壊

 ああ、倫子様!せっかく嫡妻の余裕を見せて「妾にならないか」と持ち掛けたのに、完全に想定外の話をまひろにされ、道長との絆を嫌というほど見せつけられて・・・倫子様ファンとしては滂沱の涙だ。また、例の漢詩に騙されていたと気づいて、まひろには不信感で一杯になったのだよね。

 まひろも「妾になって」と北の方・倫子様に言われ、当時の普通の女なら喜んでお受けする話なのかもしれないが、まひろは道長にさえ妾の話は拒み続けたわけだし、簡単に倫子様に言われてムッとしただろう。「耐えられない、そんなの!」と、言いたげな表情だった。

 そして、まひろは道長(三郎)との歴史を語った訳だけど・・・心の中で大事にしてきた一連の「隠し事」に、ずけずけと入ってこられる不快さは拭えなかっただろうな、言いたくも無いのに言わされている感じ。

 倫子様にしても、まひろから聞かされる話は、裏切られたような不快な自慢話にしか聞こえない可能性大だ。だから、まひろが簡単には言いたくない気持ちには、道長との大事な思い出を守るだけでなく、倫子様への気遣いもあったはず。ふたりの状況を考えると、つらいところだなあ・・・。

 そんな話を聞かされるとは思わず、「いつから?」と詰めてしまった倫子様。「妾になって」だけで収めておけば、倫子様にとっても知らぬが仏でよかったのに。潔癖なのか、嫡妻としてここはきっちりさせたいと思ったか。

 まひろは倫子様に妾話を断りたくて、言っちゃえ!となったのかな。周明の件で精神的に耐性も無い。頭がボーっとして「もう言っちゃえ」感に浮かされていたのがハッと表情が変わったのは、彰子の話が倫子様の口から出てからだった。

 彰子についてはね・・・私も、仕え始めた当時から、まひろの心情が知りたいと思いながら画面を見ていた。まあ、道長の力になりたい、彰子自身も哀れに見えて助けたいのが動機として始まりなんだろうけれど、倫子様の娘であることを考えたら、行き着く地獄は見えていたと思うのだ、頭が良いのだから。

 どちらにしても、傷つく未来。倫子様とまひろの間には、それしかなかった。

 自分には手が届かない、道長との深く長い縁をまひろに思い知らされた倫子様。それだって耐え難い。更に、彰子の母としての傷つきの方が我慢ならなかったようだ。明らかに心のダムが決壊し、上流の姫育ちとしては珍しく、まひろに感情を露わにした。

 「このことは死ぬまで胸にしまったまま生きて」と、まひろに厳命するのも、娘の彰子まで良いように転がされていたと怒りが湧いたからだろう。まひろにすっかり傾倒している娘を傷つけないためには、黙っていてくれとまひろに願うしかない。

 まひろも母だ。だから倫子様の願いを理解したはず。

 まひろも、周明ショックで心がボロボロなのに倫子様に攻め込まれ、道長との関係を白状させられるに至ったが、賢子だけは守り抜いた。「隠し事はもう無いかしら」と聞かれて、間髪なく「はい」と答えたまひろに、娘を思う必死さを感じた。

 圧倒的権力を持つ倫子様に「賢子は道長との子だ」と真実を言ってしまったら?賢子の将来は潰されるかも、道長亡き後は身さえ危ないかも・・・それぐらい、まひろは考えただろう。まひろも倫子様も、子を守りたい母だよな。

 それでも、呪詛の影もないみたいだし、坊主(まひろ)憎けりゃ袈裟(賢子)まで憎いとの行動には、倫子様は出なかったっぽい。倫子様の理性が勝っているのか、その後の賢子には影響が見えない。今は道長と彰子の存在が賢子を守っているから、倫子様が手を出せないだけかもしれないが、やはり「倫子様、なんてできた人!」と思った。ファンとしては、そう思いたい。

 (そういえば、賢子は明子長男の頼宗とラブラブだったのだが、禁断の異母兄妹だよね・・・平安の当時は許される関係だったのだろうか?飛鳥時代の皇族の婚姻を見ると、異母きょうだいならOK!とばかりに多くのカップルが生まれていたようで、「日出処の天子」を読んだ頃は腰を抜かした。それでも蝦夷と刀自子の同母きょうだいは禁忌だったね。)

 まひろとの対話の後、倫子様は道長の下へ行った。道長は気が気じゃなかったんだろうな、ずばり「藤式部と何を話しておったのだ?」と倫子様に聞いた。

 道長は、土御門殿でバッタリ会った途端、まひろが倫子様から呼ばれて話も出来ずじまいだった(まあ、土御門殿じゃ、三郎としての気持ちはまともに話せないか)。しかし、こんなに分かりやすかったら、嫌でも倫子様にも気持ちが伝わるというものだ。

 道長の疑問に、倫子様は「取り留めも無い昔話を」と軽くいなし、話を変えて末娘について「嬉子はもう裳着も終わっておりますゆえ、いつでも東宮様に奉れます」と言った。

 「どうしたのだ、様子がおかしいぞ」と、さすがの鈍感道長も尋ねたが、それには答えず「次の帝も我が家の孫ですけれど、その次の帝も、そのまた次の帝も、我が家からお出ししましょう」と倫子様は宣言。「あなたの政をこうやってお助けするのは、まひろにはとてもできないことでしょう?」と言わんばかりで、倫子様の嫡妻としての意地を感じた。

 ふーっ。ここまで書いて、息が詰まる思いがする。倫子様は、まひろの最初の女友達と言っていい存在。こんなことで争いたくない、まひろにも大事な相手だったと思う。だからこそ、まひろだって身を引いたのに、いやいや、鬼脚本だよね。

 とはいえ、この三角関係の要素が無かったら、ここまで楽しめなかっただろうね。

道長の死を目前に、まひろに頭を下げる倫子様

 大宰権帥だった隆家が来る前、紅葉の降る中まひろが広げて読んでいるのは何だろうかと思って画面を止めてみたら、白楽天の長恨歌だった。有名な「比翼の鳥」「連理の枝」というフレーズが、落ちた紅葉の近くに見えた。

 まひろが倫子様と対峙した第1ラウンドから、ずいぶん経つ。7~8年は経っているか。倫子様とは決裂し、この間、道長にも会えなかった訳だが、長い・・・まひろも長恨歌を読み、道長を思いたくもなる。

 また、続きに「婦人苦」というタイトルも見えたのだが;

ドラマ「光る君へ」の中でまひろが読んでいた白楽天の「婦人苦」。1200年以上も前に書かれたこの詩は、男女間の不平等を嘆き、女性の苦労を述べたものです。「女性ばかりが犠牲を強いられる社会」に対する批判が、この詩には込められています(「女ばかりが苦労する」─歴史に見る女性の生きづらさと変わらぬ課題 | 希望が丘|やまぐち呼吸器内科・皮膚科クリニック

・・・と、お医者さんが書いていた。なるほど、深い。まったく、このドラマの仕掛けには気が抜けない。だけど疑問に思ったことをググると、ファンの皆さんがちゃんと何かしら書いてくれていて、本当に助かる。

 さて、隆家はまひろ宅を訪ね、「太閤様のお加減が悪いそうだ」と、道長の近況を伝えた。「我が子を道具のように使うた因果だ」と嫌味も。その後、道長の容態が悪化、百舌彦が使いに来て「北の方様がお呼びでございます」と言った。最終回のまひろvs.倫子様の第2ラウンドだ。

倫子様:殿は、もう祈祷は要らぬ、生きることはもうよいと仰せなの。私が殿のために最後にできることは何かと考えていたら、あなたの顔が浮かんだのよ。殿に会ってやっておくれ。殿とあなたは、長い長いご縁でしょ。頼みます。(頭を下げて)どうか、殿の魂を繋ぎ止めておくれ。(まひろ、小さく頷く)

 倫子様の表情は穏やかだったが、以前のようにまひろを包み込むような笑顔は、もう見られない。まひろの第1ラウンドでの告白に、どれだけ倫子様が傷ついたかが分かる。それなのに・・・死に瀕した道長のためにまひろを呼ぶなんて、頭を下げるなんて、なんと寛大。心が海のように広い。

 それなのに、まひろってばいつも返事にもったいを付ける気難しさがある。相手を焦らしているみたい。声に出してさっさとハイと言わなきゃ!・・・倫子様びいきのあまり、ヒロインに厳しくなっちゃってるね。

(まひろ、百舌彦に導かれ廊下を行き、部屋の前で立ち止まる。一礼し、下がる百舌彦。御簾の中に入るまひろ。ぼんやり目を開ける道長が、顔を向ける)

道長:誰だ?

まひろ:・・・・・・まひろにございます。

道長:(顔を逸らし)か、帰れ。

まひろ:(そばに座る)お方様のお許しが出ましたゆえ、ご安心くださいませ。全てお話しました。・・・お心の大きなお方であられます。道長様。

道長:ん?

まひろ:お目に掛かりとうございました。

道長:(まひろに痩せた顔を向ける。褥から、まひろに左手を伸ばす。手がパタンと落ち、だらりと垂れる。細くなった手が、まひろの両手で包まれ、ハーッと息を吐く。)

まひろ:(泣くのを堪える)

道長:(焦点の、ぼやけた目)先に・・・逝くぞ。

まひろ:(イヤ、イヤと首を振り、涙を流す。ほほ笑んで)光る君が死ぬ姿を描かなかったのは、幻がいつまでも続いてほしいと願ったゆえでございます。私が知らないところで道長様がお亡くなりになってしまったら、私は幻を追い続けて・・・狂っていたやもしれませぬ。

道長:晴明に寿命を十年やった。やらねば良かった・・・幾度も悔やんだ。いや・・・そうではない。俺の寿命はここまでなのだ。(痩せた頬に涙が流れる。空には三日月)

まひろ:(道長の体を起こし、後ろから支えて白湯を飲ませる)

道長:この世は何も変わっていない。俺は一体、何をやってきたのであろうか。

まひろ:戦の無い、泰平の世を守られました。見事なご治世でありました。それに、「源氏の物語」は、あなた様無しでは生まれませんでした。

道長:もう、物語は書かんのか?

まひろ:書いておりません。

道長:はあ・・・新しい物語があれば、それを楽しみに生きられるやもしれぬが。

まひろ:では、今日から考えますゆえ、道長様は生きて、私の物語を世に広めてくださいませ。

道長:フフフフフ・・・お前はいつも俺に厳しいな。(まひろ、微笑む)

倫子様:(廊下を来る。御簾の外で)・・・そろそろ。

まひろ:(胸にもたれた道長に、口を近づけて)明日、また参ります。

道長:うん。

倫子様:(御簾から出たまひろに頭を下げ)ご苦労様。

まひろ:(一礼する)

 ここから、まひろのシェヘラザード生活が始まるのだが・・・道長を演じる柄本佑は、瞳の揺らぎや口の開け方など死にそうな仕草が秀逸で、亡父の死に際を思い出した。まひろが涙を堪えて務めて微笑もうとするところも、家族のそれを思い出させた。

 そうか、柄本佑はお母さんの角替和枝さんを亡くしていた。しっかり記憶に残っているのだろう。そもそも、脚本の大石静ご自身がパートナーを今作執筆中に亡くされているのだから、この回は生半可な思いでは書けなかっただろうし。

 それで・・・まひろは、道長が褒美としてくれた檜扇を手に、道長への特別な物語を語り始めた。檜扇に描かれているのは少年と少女と小鳥。出会いの頃の道長とまひろだ。

まひろ:「昔、あるところに三郎という男子(おのこ)がおりました。(まひろに顔を向ける道長)兄がふたりおりましたが、貧しい暮らしに耐えられず、ふたりとも家を飛び出してしまいました。父は既に死んでおり、母ひとり子ひとりで暮らしていました。・・・続きは、また明日」

 「うん」と頷く道長。この、まひろの語る三郎は、当初、まひろが想像していた三郎の境遇であっただろう。自分の方が中・下級だけれど貴族であり、三郎のことを庶民だと勘違いしていた。そうであったなら、まひろと結ばれる未来が、この三郎にはあったのだろうか。

まひろ:「三郎は、これまでに味わったことのない喜びを感じていました。散楽の者たちは、都を出ていく事に決めました。続きはまた明日」

 散楽の者たちが、安全なうちに都を出ていっていたら、直秀も死ぬことは無かった。道長の「そうであったら良いのにな」が散りばめられているパラレルワールドの物語を、まひろは語っているようだ。

 これが数日続いたのだろうか。雪が降った日、道長は「生きることは、もうよい」とまひろに言った。涙を無理やり飲みこんで、まひろは微笑み、物語を続けた。

まひろ:「川のほとりで出会った娘は、名を名乗らずに去っていきました。(口を開けて、やや苦しそうな道長。廊下の百舌彦も、涙を堪えている)・・・三郎がそっと手を差し出すと、なんとその鳥が手のひらに乗ってきたのです。(目を閉じ、動かない道長。心配そうに見つめるまひろ)・・・続きは、また明日。(目を開ける道長。道長の、動かない瞳が微かに潤む。まひろ、小さく微笑む)

 そして、この夜だった。倫子様は道長の部屋の御簾内に入り、褥からはみ出した道長の左手を見つけた。その手に触れて、ハッとしたように道長の顔を見た倫子様は、左手を包むように撫でて、褥にしまったのだった。

 まひろの物語にあるように、道長は手のひらに小鳥を乗せようとしたのだろうか。そうでなければ、この左手は、当然まひろに向けて差し出された手だろう。そう分かった上で、大事そうに包み込み、倫子様は「殿・・・」と穏やかに道長に声をかけ、頭を下げた。務めを終えたと言ったような、穏やかな倫子様だった。

 倫子様は、道長を巡る恋の敗者なのかもしれない。だが、嫡妻として潔く立派だった。倫子様の気持ちに、涙を誘われた。

終幕は、旅立ち

 物を書こうとして文机に向かっていたまひろは、「まひろ」と呼ぶ道長の声を聞いた。それが、道長の死の時だったのだろう。

 同じ日に、雪空を眺めていた行成が廊下で倒れた。そのまま事切れ、「俺のそばに居ろ」と言われただけあって、道長と黄泉の道を同道したらしい。それを、黒光る君の実資が涙を流しながら日記に記し、残された公任と斉信が献杯して悼んでいた。

 そして、まひろ。軒先の古い鳥籠を撤去しようとして、鳥籠が落ちた。ずっと道長に心が囚われていたのか?「私が鳥になって、見知らぬところに羽ばたいていこうと思って」と言い、旅への出立を決めた。

 自分の人生はもう終えても良いと思っていたとか、「川辺の誓い」でも道長に言っていたが、その時のような、やや捨て鉢な、ちょっとやさぐれた感じは無い。今はまひろの、何からも解放された気持ちだけが感じられる。

 賢子には「私の歌を集めたもの」という歌集を、「あなたの手元に置いてちょうだい」と渡した。賢子が内裏で参考にできるように?しかし、この「紫式部集」は遺言のようでもあるよね。

 賢子は歌集を広げ、紫式部の有名な歌「めぐりあひて 見しやそれともわかぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな」を読み上げ、「幼友達を詠んだ歌なのですね」と言った。

 幼友達・・・それは、あなたの実の父、藤原道長(三郎)のことですよ、と今となっては全視聴者が言いたいよね。この歌に行きついて、息を飲む思いだった。

 旅姿で乙丸と2人、歩みを進めるまひろは、晴れ晴れとしている。どこか旅先で死んでも構わないやと、客死の腹は決まっているのだろう。草原で行き会った騎馬武者が、なんと双寿丸。何をしているんだと聞かれ、まひろは答える。

まひろ:何にも縛られずに生きたいと思って。

 籠から飛び出した小鳥のように、自由に。まひろは、古い鳥籠を落とした時と同じことを言っている。

双寿丸:東国で戦が始まった。これから俺たちは朝廷の討伐軍に加わるのだ。

 この戦は、平忠常の乱とのことだ。道長が死んでそういう乱が起きるのだもの、道長の存在が地方でも重しになっていたのだろう。頼通は甘く見られて悔しいね。

youtu.be

 このドラマを見るまで、貴族のイメージは優雅に遊んでばかりで、文化の発展には精を出していたのだろうなと思っていたけれど、毎日内裏で仕事にも追われていたと分かったのは新鮮だった。リアル道長も、国を背負う丞相として頑張っていたんだよね。

 この「光る君へ」で描かれた、豪華絢爛で雅で武力行使を朝廷が否定するぐらい平和だった平安中期が、「炎立つ」の血みどろの戦いの時代へと変遷していくのだなあ(「炎立つ」が、めちゃくちゃ面白いので、まだ見ていない人には是非お勧めしたい)。そして、「平清盛」「鎌倉殿の13人」「北条時宗」「太平記」へと、また続きの歴史の中の人間ドラマを見たくなっている。時間が足りない。

 本当に大河ドラマは飽きない。

最終回だけに、次々とお亡くなりに・・・

 道長と同じ日に逝った行成だけでなく、居なくなった人たちは多くいた。何しろ最終回だし、今回だけで1020年から1028年までも一気にカバーしていたのだから。まひろも終わりごろは一気に老けていたもんね。

<きぬ> まひろと倫子様の対話・第1ラウンドは寛仁四年(1020年)のことだった。この時、琵琶を弾くまひろを「何かあったのかしら」と真ん丸顔で心配していた「きぬ」。その後1027年には姿が消え、乙丸は彼女に似た福々しい仏像を彫っていて、まひろ宅には別の下働きの女たちの姿が見えた。ということは?

 きぬが亡くなったとナレーションやセリフがあった訳ではないが、乙丸が旅に出るまひろに「姫様、私を置いて行かないでくださいませ」と懇願する理由にはなるだろう。

 不確かだが、いとの良い人・福丸も姿が見えない。それで、まひろが道長に言ったように、福丸の幻を追って気が触れてしまったのかな、いとは・・・今で言う認知症だろうと思うけれど。亡き「若様」惟規を探す、いとの話を否定せずに乗る為時パパとまひろの対応は、さすがにアップデートしている。

<藤原道綱> 少しでもいいから大臣にしておくれ、と道長に懇願していた兄道綱。「ちょっとだけでいい、すぐ辞めるから」と言っていた1020年には亡くなっていた。

 「25年大納言であったという事は大臣なぞ所詮無理だという証」と弟に言われても食い下がり、「俺を嫌いにならないで~」と道長のほっぺたを両手で挟んでいた。予告で見た時、誰だ、こんなことを道長相手にできるのは?と驚いたが、なるほど道綱なら・・・このドラマでは、本当に可愛らしい道綱になっていた。上地雄介ならではだ。

<嬉子(と寛子)> 1020年に倫子様が「いつでも東宮様に奉れます」と言っていた倫子の4番目の娘(道長六女)嬉子は、5年飛んだ1025年には皇子を産み2日後、19歳の若さで産褥死。はしかにもかかって体力が持たなかったらしい。

 高松殿明子の長女(道長三女)で敦明親王(小一条院)女御の寛子もこの1025年に亡くなっているはずだが、ドラマでは登場しなかった。娘に2人も死なれているのだね。

<源俊賢> そして万寿四年(1027年)、道長の少し前に、四納言のひとりで源明子の兄の俊賢が死んでいるが、道綱と同様、特にその死のアナウンスはドラマでは無し。

 明子に「道長様を恨んではならぬぞ」「俺が出世できたのも明子のお陰だ。礼を言う」と言い残し、他の四納言&道長と酒を酌み交わした際には、厠は近くないのかと問われて「まーったく平気にございます!」と意気軒昂なところを見せていた。

 ついでに書いてしまうと、明子はまひろと直接絡むのかと思って期待していたのだが(確か、まひろの存在が気に食わないみたいなことが、始めの頃の人物紹介に書いてあったと思うんだけど)、見どころは兼家の呪詛、顕信の出家ぐらいで活躍が少なかった。残念。

<顕信、妍子> 道長の子ども2人(三男顕信、次女妍子)も、この1027年に落命。その死はナレ死で「嬉子に続き、顕信と妍子も亡くした道長は、11月になって病が重くなり自ら建立した法成寺に身を移した」と、道長にはインパクト大だったことを伝えていた。

生き残る人たち

 太皇太后彰子は、道長の死の前年の1026年に出家。2人目の女院様(1人目は道長姉の詮子だったね)になっていた。

 1028年、弟の関白頼通が、皇子のいない後一条天皇に新女御を迎えようと進言したが、きっぱり拒絶。「他家を外戚としてはならぬ」「お上の后も、我らが妹。東宮の亡き后も我が妹。東宮には皇子がおられる。それで十分なはず」と言い切る彰子が、入内した頃の情けない少女と同一人物とは。とても信じられない成長ぶりだ。

 最終回になって新キャラ菅原孝標の娘(ちぐさ、「更級日記」作者)が登場していた。まひろを作者だと知らず、源氏の物語を当のまひろに読み聞かせに来る設定。まひろが、ききょう(清少納言)にそう言っていた。

 え~💦本当のことを言ってあげないなんて。で、ちぐさが一生懸命なのを見て楽しんでいるなんて・・・なんかヤダなあ。こんなことをされてると知ったら、ちぐさは顔から火が吹く思いになるだろう。

 まあ、滔々と説明したがる人に、何も知らないふりをして聞いてあげる役回りって、不本意ながら女だと有りがちだ。相手が幸せならいい、と広い心で割り切れるか。

 ところで、ちぐさが読んでいたのは源氏物語の「幻」の終わりだった。光る君=道長の死とリンクする。

ちぐさ:「物思いばかりして月日が過ぎたことも知らぬ間に、この年もわが生涯も今日で尽きるのか。一日からの行事を・・・(中略)大臣への御引出物、様々な身分の者たちへの禄など、またとないほどご用意されたという事でございます、とか」

 こんな所で終わってしまうなんて、おかしくありません?(まひろ:そうかしら)光る君の最期を書かなかったのはなぜだとお思いになります?(ま:さあ?)この作者の狙いは、男の欲望を描くことですわよ、きっと。(ま:え?)それゆえ、男たちの心も惹きつけたのです。(ま:なるほど)男たちに好評でなければ、これほど世に広まりませんもの。それと、読み手の女たちが作中の誰かに己を重ね合わせられるよう、様々な女を描き出したのでしょう。そのために女たらしの君が次から次へと女の間を渡り歩くことにしたのです。つまり、光る君とは、女を照らし出す光だったのです!(ま:フフフフフ)

 あ~、やっぱり意地悪だよね、まひろ💦

 まひろは、ききょうとはどうやって仲直りをしたのやら。もしかしたら、隆家が取り持ったのか。平安二大女流作家が、ああやってこっそり自慢話に興じるなんて想像するだけで楽しい。

 今作で一番私が心をつかまれたのは「枕草子」誕生シーン。心底傷ついた皇后定子(高畑充希)の朗読に、四季の映像。定子の心の傷に優しく沁み込んで修復していくような。あれは凄かった。申し訳ないが、主役の「源氏物語」誕生の場面も感動したけれど、「枕草子」の方がより心に残っている。

 ああもう、キリがない。ここらへんで取り留めなくダラダラ書くのは止めよう。今年は、もうこれまで。

 ここまで読んでくださった方々は、よほど「光る君へ」がお好きなのだろう。何でもいいからその世界に浸っていたい気持ち、良く分かる。関連の物なら、何でも読んでいたい。しかし、よくダラダラにお付き合いくださったよ。

 総集編の放送まで待てず、これまでの録画を見てしまいそうだ。スピンオフ、できないかなぁ。1年間、楽しかった。作り手の皆さん、ありがとう。

(ほぼ敬称略)

【光る君へ】#47 乙丸、渾身の「帰りたい」連発でメンタルボロボロまひろを動かす大活躍。「あと1回」には悲鳴😢終わらないで~

周明の死が悲しくて、私も迷走

 NHK大河ドラマ「光る君へ」第47回「哀しくとも」が12/8に放送された。前回終わりで賊の矢を左胸に受けた周明は、やはり絶命。か細い声で、泣き叫ぶまひろに「逃げろ」と言う、切ない最期だった。

 乙丸に引っ張られ逃げなかったら、まひろは周明のそばで泣き続けて同様の害を被っただろう事は容易に想像できる。乙丸、姫様を守り切ったね。ナイス。いつも役立たずみたいに書いてゴメンよ。今回、乙丸はきぬとの約束通り、まひろを守り切り、京に連れ帰った。大活躍だ。

 公式サイトからあらすじを引用する。

(47)哀しくとも

初回放送日:2024年12月8日

まひろ(吉高由里子)たちは異国の海賊との戦いに巻き込まれ、敵の攻撃で、周明(松下洸平)が倒れる。一方、朝廷にも攻撃による被害状況が伝わり、動揺が広がる中、摂政・頼通(渡邊圭祐)は対応に動かず、太閤・道長(柄本佑)への報告も止めてしまう。そんな事態を歯がゆく思う実資(秋山竜次)の元に、海賊との戦いを指揮する隆家(竜星涼)から文が届く。やがて異国の脅威を知った道長は、まひろの安否が気になり…。((47)哀しくとも - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK

 まだしつこく書くと、私的には、まひろが周明とどこかに逃げちゃっても全然良かった。紫式部の最期ははっきりしないらしいので、まひろに思いきって周明との人生を用意してあげても、罰は当たらなかったのでは?

 でも、そんなことをしたら、まひろ大好き道長が、倫子様が止めるのも聞かず、まひろ探しの旅に出るのは必至。テレビの水戸黄門みたいに全国周遊、あちこちに道長が出没する。その時、道長は半泣きの三郎の顔をぶら下げていて・・・それじゃ可哀そうすぎるか。

 妙な妄想はここらへんで止めておこう。周明の死骸がそのまま海辺に晒されている様がわざわざ映ったのが悲しくて、無理くり変なことを考えてしまったよ。当時の庶民の葬られ方って基本的にどこかに放置だったらしいので、仕方ないのだね。

 しかし直秀のように、まひろが手掘りで周明を土葬する流れじゃなくて良かった。最近、私は庭を小さい畑にしようと少し掘り返しただけで、縦横無尽に張ったススキの強力な地下茎ネットワークに手を焼いた。改めて考えても、道長とまひろは直秀の一座を葬った時には、どこかで「ご自由にお使いください」の道具を見つけて使ったとしか考えられない。

まひろの哀しみを見守る隆家

 さて、まひろ。演じる吉高由里子の表情は毎度本当に自然で、演技をしているとは思えない。矢が刺さるのを目の当たりにして叫び、死んでいく周明から引き剥がされて号泣しながら去っていく様子など、心揺さぶられる。

 まひろは初回で母ちやはの殺害を目にして、またここで周明の死を間近に見るのか・・・なんと厳しい運命の主人公。もう最終回前なのに、容赦ない。それを吉高が演じているのがオーバーじゃなく説得力があるのだよなあ、ずっと思っていたけれど。これだから1年を通じて「光る君へ」の物語にも没入できたのだよね。道長役の柄本佑の演技力をくれ~と言っているのをどこかで見たけれど、あなたこそ本当に実力のある女優さんだよと私は思ってるよ。

 その表情豊かなまひろが、ぎこちなく暗い表情が基本のまま、半年以上を大宰府で過ごしていた。刀伊の入寇で博多が襲われたのは4月上旬、そして隆家が太宰権帥を辞めて帰京するのが12月とのことだから、春から冬へと季節は移り変わった。

 画面でもその移り変わりが、まひろの背後で丁寧に表現されていた。双寿丸が「調子はどうだ?」と顔を見せた時には、まひろは着た切り雀だから衣装はそのままなのだけれど、背後にはセミの声が大きく響いていた。夏なんだよね。

 この時に、まひろは「武功を立てるとは、人を殺めることではないの?」と双寿丸に固い表情で聞いた。彼は「殺さなければ殺される。敵を殺すことで、民を守るのが武者なのだ」と落ち着いて答えていた。

 まひろにはアッと言う間なのだろうな。というか、周明に矢が刺さった瞬間から、今でも時が凍って止まっているのだろうと思う。

 でも、まひろは、突かれればすぐにワッと泣き崩れる状態で、こんなにも大っぴらに周明の死を嘆き悲しんでいても差し支えない存在なのか?とちょっと心配になった。大宰権帥の隆家が優しくて良かったよね。

 太閤様の訳アリの女人かと思ったら、周明の良い人だったのか・・・「そんな仲ではありません」と周明は否定していたけれど?と、隆家を始めとして大宰府では混乱したかもなあ。

 ま、そんな野暮で杓子定規なことを言わず、泣くまひろを見守る今作の隆家は、かなりカッコイイ。

副音声:大宰府の宿所。御簾を下した部屋に、まひろ。

藤原隆家:邪魔をするぞ。

副音声:隆家が来る。

隆家:どうだ?調子は。(無言のまひろ)前よりだいぶ顔色は良くなったようだが・・・(溜息をつき、座る。乙丸が外に控える)俺も色々あったが、哀しくとも苦しくとも、人生は続いてゆくゆえ仕方ないな。

まひろ(藤式部):(生気がない)周明と一緒に、私も死んでおればよかったのです。

隆家:周明のことは、無理に忘れずともよいのではないか。ここで菩提を弔いたければ、ここにずっといても良い。好きにせよ。

まひろ:(声を出して泣きだし、とめどない。心配そうに見て、顔を伏せる乙丸。出ていく隆家)

 泣いている人に「泣くのを止めて、早く忘れて」と声掛けするのがこれまで一般的(で害悪)だったと思うが、さすが多くの悲しみを経験済みの隆家は違う。「哀しくとも苦しくとも人生は続いてゆくゆえ、仕方ない」「無理に忘れずともよい」と言えるのは、そういうことだよね。栄華を極めていた一家なのに、自分以外は悉く、父没後に反転した運命に苦しみ死んでいったのだ。自分だって、気を緩めれば危なかっただろう。

 大体、泣くのを止めろだの早く忘れろだのは、いくら優しげに言ったとしても、全然泣いている人を思って言っている言葉じゃない。自分が煩わしいからだ。泣いている人を見たくないからだ。それで泣く人を黙らせようとしている自己中なだけだ。

 そういう自己中心的じゃない、真に泣く人を思いやれる言葉を掛けられるまでに人間的成長を遂げているのが、今の隆家であると思った。

まひろを動かしたのは乙丸

 周明(と、周明と紡がれるはずだった自分の新しい物語)の死を哀しみ続けていたまひろの殻を破り、動かすことになったのは、乙丸だった。

 双寿丸が夏にまひろの見舞いに来た時「あんたも早く健やかになってくれ。そうでないと、周明とて成仏できないぞ」と言った時、まひろは突けば泣く状態を少しは脱したのか、周明の名を聞いてもウンウンと頷いてはみせた。でも、それは真意を示してはいなかった。

 雪の降る師走に入って、隆家がまひろに話をしに来た。

隆家:大宰権帥の役目を終えるゆえ、都に戻る。そなたはどうする?共に帰るか?(目を伏せるまひろ)ここに居りたければ、次の権帥(行成)に頼んでおくが。

乙丸:(廊下に控えていたが、まひろに向き直る)お方様!私はきぬに会いとうございます!

まひろ:表情無く)ならば、乙丸だけお帰りなさい

乙丸:おお・・・お方様!お方様も一緒でなければ嫌でございます!あんなことのあったここに居ては、なりませぬ!帰りましょう!帰りたい・・・私は帰りたい!都に帰りた~い!(横目で乙丸を見るまひろ)きぬに会いた~い!会いた~い!帰りた~い!帰りた~い!帰りた~い!(べそをかきつつ)帰りた~い!帰りた~い!(乙丸に驚きつつ、まひろを見る隆家)会いた~い!きぬに会いたい!(まひろ、うるさい→しょうがないわねという表情になってきている)お方様、帰りましょう!ねっ!帰りましょう!会いたい!帰りたい!帰りた~い!会いたい!帰りたい!お方様と帰りたい!(まひろ、顔に微笑みが浮かんで隆家と視線を交わす)帰りたい!帰りましょう!ねえ!(まひろ、隆家に頷く)

 「(きぬに)会いたい」もあるのだけれど、「(お方様と)帰りたい」がなんと13回。乙丸の駄々こね力技でもぎ取った、お方様まひろとの帰京だった。今回のクライマックスというか乙丸はMVP、これは面白かった。乙丸の「帰りた~い!」を聞きながら、徐々にまひろの顔に生気が蘇っていくのがはっきり見えた。乙丸の自分を案ずる心情が伝わったのだろう。

 「(お方様)帰りましょう!」は、いつも乙丸が口にしていたことだったけれど、まひろは少女期からほぼスルーして興味の向くまま散楽一座の基地などに突撃していたから、50歳にもなってようやく乙丸の言葉をまひろが聞き入れたのだなあと感慨深い。「民を思う心」を道長には言っていたのにねえ、灯台下暗しと言うべきか。

 まひろが隆家と乙丸と共に帰京したのが年が明けての寛仁四年(1020年)。乙丸のこの上なく嬉しそうな「お方様のお帰りでございます!」に「お帰りなさいませ」「よくぞご無事で」と集まる、きぬ、いと、為時パパ、賢子がいるのだもの、「私は終わりなの」「居場所が無いの」との思い込みも、弱まっていくだろうか。

 少なくとも、まひろは顔と目をまっすぐ上げて、家族の出迎えを受けていたのは進歩だった。その後、ハーッと息を吐いていたが。

 まひろが帰京したことで、トラウマ体験から回復して一切OKになったかというと違う。そこら辺を、ドラマでは丁寧に扱っていると思った。さすがに脚本家の大石静がパートナーを亡くし、書けなくなった時期もあったというだけある。

 まひろは為時パパが「彼の地では恐ろしい目に遭ったのか?」という問いには答えられない。まさにそうだったから。答えを逸らして双寿丸のことを賢子に伝えたりしている。自室に戻り、硯と筆の入った箱を見る時も、何か呆然としている。

 心配していた彰子に呼ばれて面会しても、歯切れが悪い。

太皇太后彰子:久しいのう・・・よく来てくれた。

まひろ(藤式部):太皇太后様にはご機嫌麗しく祝着至極にございます。

彰子:旅の話を聞かせておくれ。大宰府で起きたことも。

まひろ:ああ・・・旅でのことは、まだ気持ちがまとまらず(瞳がオドオドとさまよう)・・・お話しできません。お許しくださいませ。

彰子:そうか・・・ならば、いずれ物語にすればよい。それを読ませてもらおう。

まひろ:もう、そのような力は残っておりませぬ。

彰子:早速呼び出して、悪かった。旅の疲れを癒してからで良いゆえ、再び女房として私に仕えておくれ。

まひろ:えっ・・・賢子はいけませんでしたでしょうか。

彰子:越後弁は優れた女房である。されど、まだ若く私の相談役とまではいかぬ。そなたにそばに居てもらいたいのだ。

まひろ:考える時を賜りたく存じます。

彰子:それで良い。待っておる。

 太皇太后様を前にしても、まひろはかろうじて会話が取り繕えているような状況で、心の傷が丸出しだと言ってもいい。それを見て取って、対応している彰子が優しい。

 元々が気難しい性格のまひろ。そこに周明の死の目撃と別れ。幼少期に母が殺害されたのは「自分のせい」と思った心の傷もぶり返したのかもしれないよね。こうなったら時間が要るよ。ここら辺が本当に丁寧に描かれている。

 書くことで心を癒せるのだよね、まひろ。それを思い出してほしい。

 そうそう、乙丸が無事に帰ってきぬにお土産の紅を渡すことができていた。まさに前回のブログで望んでいたことだったが、叶って安心した。オリキャラが簡単に無残に死ぬのは勘弁、と書いたのだが、本当に良かった。

京に居る道長は

 刀伊の入寇での隠岐対馬の甚大な被害は、大宰権帥の隆家が都に急報していた。行成が摂政頼通に促され、報告書を読み上げた。

蔵人頭?:(早足で捧げ持ってくる)ただいま大宰府より飛駅にて、解文が届きました。

摂政頼通:大宰府?何事だ。(行成に目配せ)

行成:失礼。(文を受け取り、朗読)「刀伊の賊、対馬壱岐に来着、殺人や放火を行う。船50艘、50~60人が乗っており、人ごとに楯を持ち、前陣は鉾、次陣は太刀弓箭である。馬牛を斬っては食い、老人子どもは全て殺され、男女を船に乗せて穀物と共に運び去った」とのことでございます。

頼通:対馬、壱岐の者がどれほど殺められたのか・・・。

行成:この解文では人数は分かりませぬが、多くの民が殺されておるやもしれませぬ。このこと、すぐに太閤様にもお知らせいたします!

頼通:待て!父は、もはや政に関わってはおらぬ。心配をかけてはならぬ。

行成:されど・・・!

頼通:黙っておれ!

 この後のシーンでは、実資が自分への隆家の急報を、道長に見せに来ていた。隆家は報告を握りつぶされるのを恐れ、九州に権益のある実資に送ったのだろう。

 この時のドラマの頼通に見えていたのは、偉大な父道長と、常にまだまだと評価されている新米摂政の自分の姿だけのようだった。意識はそこにあるので、大宰府が訴える被害を真に考えられないでいる。それで、行成が道長にも伝えようとしたのに却下している。

 とはいえ、その行成は北九州の危機に的確に敏感だったわけでもなさそう。大宰府のチーム隆家への褒美について、朝廷から討伐の命を下したのは戦いの済んだ後だったのだから、その前の私的な戦いには褒美は無用、という四角四面なことを陣定で言いおった。

 史実でもそうだったようなので、彼が隆家の後任の大宰府の長だったと聞くと、現地の武者の活躍を軽んじた彼への反発はすごかったのではないかと心配になる。もしもここから朝廷が適切に褒賞で報いていく伝統ができあがっていったら、武士の世の出現は遅れたのだろうか。

 そして、もしも乙丸の「帰りた~い」の奮戦空しくまひろが大宰府に残ることを選択していたら・・・そう考えるとちょっと面白いな。

 道長の特命によって大宰府庁舎内に宿所を与えられている太皇太后様の元女房(まひろ)が居ると知ったら、その元女房の道長との仲を推測して行成は涙にくれるかもしれないね。隆家のように、まひろに優しく見守りケアをしてくれるかどうか。

 脱線した。行成に続き、公任が陣定で、大宰府のことは大宰権帥が解決すべきとか、大宰府で奮戦したチーム隆家には褒美をやらずに放っておけと冷たい発言をするに至ったのも、ドラマでは道長の対抗馬としての隆家に手柄を立てさせるまい、道長のために潰そうとの意識が公任に強く働いたためという設定だった。

 実際に、隆家が大宰権帥の職を解かれて帰京したのも、在地武者とのつながりが強固に形成されるのを恐れてのことらしい。その決定にリアル公任がどこまで関与したかは知らないが、ドラマの公任には壱岐対馬の民の被害という視点は薄れ、焦点は隆家vs.道長になってしまっている。

 そして、そのために動いた自分だったのに、道長は裏で実資と通じていたと・・・で、裏切られた!と嫉妬でいっぱい。ああ、公任が何たること。このドラマではいつの間にか行成のような道長ラブの立ち位置になっている。

 確かに公任の言動に「あれ?」と思わないでもなかったこともあった。道長が出家して、泣いている行成に、俺までもらい泣きするとか何とか言っていた。公任の反応を見て、当時の出家の捉え方は自殺ぐらい深刻なものかと思って見ていたけれど、別の意味があったのかな。

 道長に対して平静を失なわず、常に風見鶏のバランサーは斉信だけだ。

 さて、道長は、侵略者襲来の知らせを受け取った時に、百舌彦と共に「大宰府?」と敏感に反応していたが、それはまひろの行き先だから。しかし、内心でまひろの安全をかなり心配しつつも(実は大部分そっちだったかもしれないけど)、それだけじゃなかった。まひろと直秀に誓った通り、民のことも忘れていなかった。

副音声:頼通を座らせる道長。

道長:この一大事に、お前は一体何をやっておるのだ。

頼通:私とて考えております。

道長:何を考えておるのだ。

頼通:山陽道、山陰道、南海道、北陸道まで警固するのはやり過ぎでございます。武者とて、容易には集まりませぬ。今少し様子を。

道長:民が!(庭から頼通へと視線を移し、立ち上がる)あまた死んでおるのだぞ!お前はそれで平気なのか。

頼通:(まっすぐ道長を見て)私は、摂政でございます!父上であろうと、そのようなことを言われる筋合いはございませぬ!これにて御免を被ります。(立ち上がり、去ろうとする)

道長:父は・・・(頼通、歩みを止める)口を出さぬゆえ。とにかく、備えは固めてくれ。それだけは頼む。

副音声:頭を下げる。去っていく頼通。

 道長は、頼通に民の大切さを教え込んできたような場面が無かったし(御嶽詣でちょっと言ったぐらい)、自分だって川辺の誓いの時に、まひろに言われて鈍く反応していた程度だったのだから、今更ねえ・・・もう内裏という狭い中での肩意地の張り方で頭がいっぱいらしい頼通に言っても遅い気がする。

 地方での国際的な一大事に対する中央での反応という点で、頼通、公任、実資、道長の違いが面白かった。もちろん、陣定で居眠りをする左大臣顕光(宮川一朗太)が最高にボンクラだ。老害をなかなか辞めさせられないのは昔も今も変わらない。

 陣定で、朝廷による武力行使をはっきり否定しながら当時の公卿たちが政をしていたのは興味深かった。武力がいけないと言うのはこれも現代のようで、実はシビリアンコントロールのようなものが利いていたはずの時代だったのかなとも思った。

 しかしもう、祈祷するばかりの政では機能しなくなる。隆家は、武力の重要性を語り、さらに武者を国守として取り立てるように働きかけていくと語っていた。次の、長きに渡る武士の世に繋がる、これが武士の台頭の萌芽なのだろうね。

父道長と娘賢子、母まひろと娘賢子

 土御門殿ですれ違う道長に、頭を下げて控える賢子。完全に仕える立場の振る舞いだ。

道長:藤式部から・・・(賢子、振り返る)便りはあったか?

賢子:はい。先頃、まだ大宰府に居ると文が参りました。

道長:(背を向けたまま目を閉じて、安堵したように溜息をつき)ああ・・・そうか。(振り返り、賢子を見つめて)太皇太后様には、お目をかけていただいておるか?

賢子:(一瞬戸惑うが、笑顔になって)はい。

副音声:可憐な微笑みに、道長の頬も緩む。

道長:(笑って、満足そうに)うん。(去る)

副音声:道長の背を目で追い、一礼する賢子。

 こんなに娘に優しい目を向けている道長、すぐにバレちゃいそう。他の子どもたちに知られたら、妬まれるだろうぐらいの目をしていた。

 逆に、道長を見送る賢子の目は不思議そう。そうだよねー。まだ実父とは知らない様子。このまま最後まで知らずに行くのか?それとも、為時ジイジ辺りが伝え、そうと知って腹違いの兄との恋愛をストップさせるのだろうか。

 道長は、一度は実資に聞いてもらおうと思って諦めた、まひろの消息をやっと聞けて安堵したようだった。賢子に聞くのが一番正しいよね。それで機会を待っていたのかな。三郎、本当に一途。

 賢子とは、いつか父娘の名乗りを(秘密裡にでも)するのだろうか。賢子の出世は道長の娘だからと考えると腑に落ちるような気もする。太皇太后彰子とも、実は腹違いの姉妹だと分かりあう日が来るのだろうか。

 一方、まひろは京に帰って賢子にも迎えられた。まだ、まひろは心の傷を受けてから本調子ではない。

賢子:母上の物語、読みました。幾度も。

まひろ:帰ってきたらどう思ったか聞かせてと言ったこと、覚えていてくれたのね。

賢子:人とは何なのであろうかと、深く考えさせられました。・・・母上は私の母上としてはなっていなかったけれど(笑)、あのような物語を書く才をお持ちなのは、途方もなく素晴らしいことだと敬いも致しました。

まひろ:(嬉しそうに下を向く)

賢子:されど、誰の人生も幸せではないのですね。政の頂に立っても好きな人を手に入れても、良い時は束の間幸せとは幻なのだと、母上の物語を読んで知りました。どうせそうなら、好き勝手に生きてやろうかしらとも思って、さっき、光る女君と申したのです。

まひろ:よいではないの。(驚く賢子。まひろ笑って)好きにおやりなさい。ウフフ。

 乙丸が一点突破しておいてくれたおかげで、かなりバリアが破けてきている感じ。まひろは自然な笑顔を賢子に見せた。波はあるだろうけれど、こうやって行ったり来たりしてメンタルが治っていく様子がリアルに見える。

 これまでの映画などでは都合よくスパッと心の傷が治り過ぎていて、登場人物は鋼のメンタルばかりかと違和感があったものね。人間、そんなに簡単じゃないと思う。

倫子様あればこそ

 土御門殿に呼ばれて太皇太后彰子に会ってから、まひろは道長とバッタリ出くわし無言で視線を交わした。

 その時の道長は、まひろを見て生存確認ができた途端に、おおおーっと内心の強い喜びの盛り上がりが感じられたが、「お方様がお呼びでございます」と、まひろを呼ぶ女房の声が聞こえ、嫡妻倫子様の存在を知らしめられた途端、パッと顔にバリアーが張られたというか、そんな見え方がした。

 そして、まひろが導かれていった先には倫子様が立っていた。初めて出会った時を思い出すな・・・と見ているこちらが思わされた時に、倫子様がまさにそのような昔話をまひろに言い出した。

副音声:廊下を行くまひろ。庭越しの縁に倫子を見つけ、笑顔で一礼する。穏やかな笑みで、まひろを迎える倫子。

倫子様:お帰りなさい。

まひろ:ご心配をおかけしたこと、娘から聞きました。

倫子様:今、あなたが初めてこの屋敷に来た日のことを思い出したわ。(座る)誰よりも聡明で、偏つぎを一人で皆、取ってしまって。フフフフフ。

まひろ:(座る)ご無礼致しました。世間知らずでお恥ずかしゅうございます。

倫子様:五節の舞にも、私の代わりに行ってくれたわね。倒れたと聞いて、申し訳ないことをしたと思ったものよ。懐かしいわね。

まひろ:は・・・。

倫子様:それで・・・あなたと殿はいつからなの?(まひろの笑顔が固まる。穏やかに)私が気づいていないとでも思っていた?

 これはイカン。メンタルが本調子じゃないのに、倫子様の優しい罠に対抗できるはずもない。まひろ、とても抗えないだろうな。予告を見ても、素直に白旗を揚げるようだ。

 興味深いことに、まひろ役の吉高由里子のインタビューが、最終回を前にたくさん出てきていた。その1つをご紹介したい。

ーーところで、まひろと道長を語る上で欠かせないのが、道長の嫡妻・倫子(黒木華)の存在です。

 倫子は、まひろにとって初めての女友だちで、身分差を気にせず自分を屋敷に招いてくれた恩人でもあります。倫子がいなければ、まひろは内裏で働くことはできなかったでしょうし。そう考えると、すべては倫子の存在があればこそなんですよね。そういう人と同じ男性を好きになってしまったことに対して、まひろの中には苦しさや後ろめたさもあったと思います。同時に、倫子から嫌われることを恐れてもいたのかなと。

ーーその倫子から、第四十七回のラストでついに「あなたと殿はいつからなの?」と、道長との関係について尋ねられました。

 まひろも「気付かないわけがない」と思いながらも、打ち明ける機会もないままここまで来てしまった、というところだったのではないでしょうか。とはいえ、直球で質問されたときは、さすがに「ギクッ!え、今ですか!?」と驚いたでしょうね(笑)。その上で、まひろがどう答えたのか…。それはぜひ、最終回を楽しみにしていてください。

吉高由里子「まひろが『源氏物語』を書き上げたときは、涙が溢れました」最終回直前、長期の撮影を振り返る【「光る君へ」インタビュー】

 まひろを演じていた本人の言葉だ。そうだよねえ、気づかない訳がない・・・。初めての女友達で恩人で、同じ人を好きになって苦しく、後ろめたい。倫子から嫌われることを恐れてもいた、と。

 優しく懐の深い大物の倫子様だ。まひろとは次回、煽られているような対決!みたいな形とは違う対話になるのではないか。道長とまひろの仲に気づいてから、長い時間をかけて諸々の気持ちを醸成して昇華させ、だけれども残ってしまった疑問だけは聞きたいってことじゃないのかな。

 まひろは、涙で真正直に飛び込むしかないのでは?それしか突破口は無い気がするし、それしかできないでしょうね、取り繕う気力も無くて。

 残るはあと1回、最終回では道長は最期を迎えるのだろうが、まひろの人生の締めくくりはどう描かれるのだろう。このままの調子で名作大河の仲間入りをしてほしいものだ。あと1回!

(ほぼ敬称略)

【光る君へ】#46 隆家大活躍の平安最大の対外危機・刀伊の入寇の場にまひろ?再会の周明に心境吐露も束の間、悪夢再び

まひろが「ここ」にいる違和感

 NHK大河ドラマ「光る君へ」第46回「刀伊の入寇」が12/1に放送され、かつて長徳の変でやらかした藤原隆家が、日本を救うヒーローとして大活躍した。合戦シーンも満載で、平安大河で初、だけれど通常大河では見慣れた「首」も登場した。

 隆家が外国からの侵入者に対して鏑矢をつがえる姿を見て、花山院の御車に矢を放ったあの姿(ノリノリの若気の至りの表情が最高だった)を思い出した視聴者は多かったのでは?隆家にとっては、あれは一族の没落を引き起こした取り返しのつかない一矢、当人も後悔しきりだったようだが。同じ行為なのに、今回はもたらす結果がだいぶ異なる。

 隆家役の竜星涼は、「ちむどんどん」のニーニーの悪夢を払拭できたのではないか。代表作が平安日本を救うこっちになって良かった!

 さて、公式サイトからあらすじを引用する。

(46)刀伊の入寇

初回放送日:2024年12月1日

まひろ(吉高由里子)は念願の旅に出て、亡き夫が働いていた大宰府に到着。そこでかつて越前で別れた周明(松下洸平)と再会し、失踪した真実を打ち明けられる。その後、通訳として働く周明の案内で、政庁を訪ねるまひろ。すると稽古中の武者達の中に、双寿丸(伊藤健太郎)を発見する。さらに大宰権帥の隆家(竜星涼)に、道長(柄本佑)からまひろに対するある指示を受けたと告げられる。そんな中、国を揺るがす有事が…。((46)刀伊の入寇 - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK

 「失踪した真実を打ち明けられる」だと?誰が失踪してた?周明?・・・今年の話なのに、既に記憶が薄い。まあいいか。

 まひろは亡き宣孝が赴任していた大宰府を経て、親友さわが落命した松浦を目指して旅立ったが、折悪しくその途上で刀伊の入寇に巻き込まれ、上陸してきた侵入者に襲われることになってしまった。

 源氏物語の作者・紫式部が刀伊の入寇に出くわすなんて?刀伊の入寇を「光る君へ」で描くと知り、当然まひろは京に居て、九州で起きた事件を耳にする側なのかと思っていた。ところが、だ。

 大河ドラマの「江」は、「主人公は歴史的イベントなら何でもどこでもしゃしゃり出ます」というRPG的な有様で、大河ドラマファンを自認する私でも付いていけずに途中で脱落した。江が家康の伊賀越えに同行していたのはどう考えてもおかしいよ。

 その「江」に追随する真似だけは止めてほしいと思った。それで、まひろが刀伊の入寇の現場にいるなんて違和感たっぷり、と書こうと思ったが・・・「光る君へ」の場合は、まだ納得できるかも。

 まず、まひろは、下級といえど一応は貴族の姫なのに、昔から京の町中を疾走していた有り得ない程のお転婆気質だと描かれてきた。宣孝が大宰府に赴任していたのは本当だし、さわも松浦で死んでいる。だから、はるばる離れた九州まで旅に来るのも、彼女なら無いことは無い・・・と舞台装置は整っていた。

 ただ、やっぱり普通は御簾内に居る貴族の女がひとりで(供はいるけど非力な乙丸💦)大宰府をフラフラ見に来るなど、セキュリティを考えても当時はかなり素っ頓狂な特別なことなのでは?

 大宰府で会った双寿丸が、まひろに「へぇー、ただの女ではないと思ってたけど、すごいな」と驚いてみせ、大宰権帥の隆家も「大宰府に居たいだけおれ。いくら夫が居た場所が見たいからといって、女子がこんな所までやって来るのは何か訳があるのだろう」と言うぐらいだもの。

 こういった「普通の事じゃないよ」という周りの反応の積み重ねが、主人公が刀伊の入寇前夜の大宰府までシレッと物見遊山に来ちゃってる違和感を、丁寧に消すことにもなっているのかもしれない。

周明絶体絶命ラストに茫然自失

 ヒヤヒヤするような、こんなにも危ない現場に乗り込んできたまひろ。その傍らには、なんと大宰府で再会した周明がいる。前回終わりに再会を果たした2人については、ご都合が過ぎる気もしないではないが、私は大いに喜んだ。

 周明は、この刀伊の入寇のために仕込まれていたオリジナルキャラだとは薄々分かっていた。乙丸だけじゃなくて(「姫様に何をするー」と立ち向かうけどいつもやられるから💦)周明がいて良かった。

 この危機を共に乗り越えることで、まひろは真に道長のソウルメイトとしての役割を終え、周明と次のステージに行くことになるのか・・・残り数話でずいぶんと慌ただしいけどな・・・と、ちょっと期待したが、そうは問屋が卸さなかった。

 襲われ、足場の悪い岩場を逃げる際に倒れたまひろの手を取り、立ち上がらせようとした周明の左胸に、矢がブスリ!白い服に血が赤く滲み、スローモーションで倒れる周明・・・驚くまひろ、で「つづく」となった。

 どういうこと?!手に手を取った2人に未来が見えるかと思ったのに?やっぱりまひろは道長との特別な絆を断ち切れない。「最愛」の松下洸平をもってしても、道長からは逃れられない運命的ソウルメイトなんだと、彼女と視聴者に思い知らせるための仕掛けなのだね。

 直秀の時もそうだった。「私をどこかに連れて行って」という、まひろの現実逃避の気の迷いを実現してくれそうなオリキャラは、盛り上げの後にあっけなく殺される。ドラマはどこまでも道長の味方、ふたりはソウルメイトと決まっている。それ以外に変な虫はつかないのだ。

 周明は、あれだけきれいに矢が左胸に命中しているのだもの、絶命するのだろう。左胸に実は鉄板が仕込まれていたとか、偶然小さな盾となってくれる何かを入れてたりはしないか?乙丸に倣い、こっそりまひろの紅でも買ってあったりする?昔、まひろを脅した思い出の陶器の破片でも大事に胸にしまってたり?(いや、そうしたら更に陶器が砕けて胸に刺さりそう💦)

 いくら薬師でも、周明が自分自身を治療できそうな浅手でもなさそう。戦いで混乱しているし、彼とはお別れなのだろうな😢切ない。

 直秀にも周明にも、文字を教えていた少女たねにも、大石静はオリキャラに冷たい。死ねば、そりゃインパクトは大きい。

 だけれど、人間、悲劇的に死なないと何かを残せない訳じゃないと思うんだけどな。オリキャラは不遇の死を遂げる運命なんでヨロシク、というのは受け入れ難い。どうか、おみやげの紅を持った乙丸を、京のきぬの下に無事に帰してほしい。

 (書いている今、往年のトップアイドル中山美穂の急死でもちきりだ。ヒートショックの疑いもあるそうな・・・残された人に「入浴の際には室温に気を付けましょう」という学びはあるだろうけど、まずはミポリンどうぞ安らかにと祈る。)

まひろ、周明に本音を打ち明ける

 再会した周明は、大宰府で通詞をしていたところ腕の良い薬師(目の名医・恵清)が宋からきて、今はその人に付いて薬師の仕事も再開したと言った。当然、隆家の目を治療した薬師だ。周明自身がその名医として再登場するかと思ったが、そこまで厚かましくはなかった。

 そして、周明は「まひろは何しに来た?」と聞いた。

まひろ:亡き夫が働いていた大宰府を見てみたいと思ったの。

 当たり障りのない表向きの答え。そして、亡き夫は周明にも会ったことがあると告げたところ、越前の海辺に馬で来たかなり年上の男(=宣孝)を周明も覚えていた。

まひろ:そうなのだけれど、越前から都に戻って妻になったの。でも、2年半で私と娘を置いて旅立ってしまったわ。周明は?

周明:ん?

まひろ:妻はいるの?

周明:いない。

まひろ:そう。

 みんなに「妻はいない」と言ってやしないか、周明・・・と過去の実績から突っ込んでみたくなるが、まひろに謝罪し、ピリピリ感の失せた周明の笑顔はいいね。今度こそ大丈夫そうだ、演じてるのは「スカーレット」で「八郎沼」を出現させた松下洸平だもんね。

 周明に連れられて大宰府政庁に行ったまひろは、宋の商人たちが居るのを見た。そこで「今でも宋に行ってみたいか?」と周明に聞かれたまひろは「もう年だもの。そんな勇気も力もないわ」と言った。

 そうしたら周明は「そのような年には見えぬが」とニッコリ。すっかりふたりはリラックス、口説いてます?

 まひろは、大宰府政庁で武術の鍛錬に励む双寿丸にも会い、大宰府権帥の隆家にも会った。そこで、まひろは道長の自分への計らい「太閤様から、そなたを丁重にもてなし旅の安全を図るようお達しがあった」を知らされた。

 続けて「俺たちを追いやった源氏の物語を書いた女房をもてなせとは酷なお達しだ」と笑って言う隆家。これが呪詛が得意の兄の伊周・ジュソチカだったら、まひろの茶には毒が入っているよね。

 隆家からはさらに、京を離れて間もなく道長が出家したことを知らされた訳だが・・・当時だから、大ショックだよね(今でもそれなりのインパクトはありそう)。

隆家:太閤様はご出家あそばしたそうだな。知っておったか?

まひろ:いいえ、旅立つ前はまだ・・・(目を見開いて顔色が変わる)。

隆家:お体もかなり悪いらしい。いくら栄華を極めても、病には勝てぬ。それが人の宿命だ。

 道長の出家は、自分が道長に別れを告げたことと無縁ではないと当然思っただろう。自由に飛んでこそ鳥、とばかりに道長との物語から羽ばたいて自由を満喫していた気分に、突然冷水を浴びせられたようだったのでは。

 その後、大宰府を出て松浦に向かう道中、雨に降られて一緒に泊まった小屋で(乙丸もいるけど)、まひろは周明に心の内を明かした。周明が聞き出し上手なこと、ちょっとカチンとさせ、まひろがムキになって話し始めていた。分かってるねー。

 抱えてきた気持ちを話し、まひろは涙をぽろぽろ。出家した道長が心配だよね、当時は死に際に出家する人が多かった訳だから、もしかしたら相当体が悪いのではないかと心配にもなるだろう。

 それに、道長に「源氏の物語も、もはや役には立たぬ」と言われたことも、あの扇を貰って以来2人の物語を書いていると思っていたまひろには、深く心の傷になっていたのでは?自分はもう道長の役に立たぬのだと、思いつめていたんじゃないのかな・・・。

周明:(雨宿りの小屋に戻ってくる)はあ・・・干しいいを分けてもらった。

まひろ:周明が一緒でよかった。

周明:筑前に来てもう20年だ。この辺りのことはよ~く分かってる。

まひろ:20年か・・・。

周明:(濡れた服を拭いながら)20年前の左大臣は、今の太閤か?お前の思い人か。(頷くまひろ)なぜ、妻になれなかったのだ?(首をかしげるまひろ)弄ばれただけか。

まひろ:・・・あの人は、私に書くことを与えてくれたの。書いた物が大勢の人に読まれる喜びを与えてくれた。私が私であることの意味を与えてくれたのよ。

周明:ならば、なぜ都を出たのだ。

まひろ:・・・偉くなって世を変えてとあの人に言ったのは私なのに、本当に偉くなってしまったら・・・空しくなってしまったの。そういうことを思う己も嫌になって都を出ようと思ったの。

周明:それだけ慕っていたのだな。

まひろ:でも、離れたかった。

周明:捨てたか捨てられたかも分からないのか。そんなことをしてたら、俺みたいな本当の一人ぼっちになってしまうぞ。

まひろ:(目を逸らす)もう、私には何もないもの。

周明:ん?

まひろ:これ以上、あの人の役に立つことは何もないし、都には私の居場所も無いの。今は、何かを書く気力も湧かない。私はもう、終わってしまったの。終わってしまったのに、それが認められないの。(涙が流れる)

周明:(正面に座り直して)まだ命はあるんだ。これから違う生き方だってできる。

まひろ:書くことが全てだったの。違う生き方なんて、考えられないわ。

周明:・・・(考えて)俺の事を書くのはどうだ?親に捨てられて宋に渡った男の話は面白くないか?(泣き笑いのまひろ、周明も笑う)ダメか。

まひろ:どうかしら。

周明:だったら、お前がこれまでやってきたことを書き残すのはどうだ?

まひろ:残すほどのことはしていないけれど・・・。

周明:松浦にまで行きたいと思った友のこととか、親兄弟のこととか。何でも良いではないか。そういう物を書いている間に、何か良い物語が思い浮かぶかもしれない。書くことはどこででもできる。紙と、筆と墨があれば

まひろ:どこででも・・・。

周明:都でなくても

まひろ:・・・(ウンウン肯いて、明るく)そうね。

副音声:体勢が崩れても、眠りこける乙丸。

まひろ、周明:(乙丸を見て笑う)

 周明に「俺の人生を書かないか」と言われたまひろは笑っちゃっていたけど、言葉の端々がプロポーズに聞こえた。これまでは道長との物語を綴ってきたまひろ。そのまひろに、今度は周明との物語を紡げとか、都でなくてもどこでも書ける(から大宰府に居てね)と言っていた。

 書くことで道長の役に立ってきたまひろだけれど、「2人の絆=書くこと=自分の人生」だと、決めつけ過ぎなのではないか。書くことが無くなったから2人も終わり、自分も終わり、自分には何も無い、居場所も無い、それが認められないと泣くだなんて、思いつめ過ぎだよ・・・どうしてそう思っちゃうのかな。

 この辺りのまひろのセリフ、聞きながら脚本の大石静が、今回の脚本の仕事に取り掛かる頃にパートナーを亡くしたことをどうしても想起させられた。「まだ命はあるんだ。これから違う生き方だってできる」という周明のまひろへの言葉は、亡くなったパートナーさんから降ってきたものなのでは?

 ところで、周明。思えば数奇な運命だ。周明は十分物語になりそうな人生を歩んできている。

 口減らしのために生まれ故郷の対馬の海に親に捨てられ、宋に連れていかれて奴隷になりそうなところを薬師の師匠に救われた・・・だったか。その後、薬師の助手をしながら通詞として働き、宋のためにスパイ行為と言うかロマンス詐欺を働こうとした相手(最高権力者の左大臣の恋人・まひろ)に恋をして、20年ぶりに再会して思いを遂げる、となれば・・・壮大なラブストーリーだよね。

周明:(まひろに)松浦に行って、思いを果たしたら必ず大宰府に戻ってきてくれ。その時に、話したいことがある。

 何を語りたかったのか、周明は。松浦から戻ったら話したいことって・・・実は、まひろのためにずっと妻を持たなかったとか?過去を悔いて、今度こそ一緒に大宰府で暮らそうとか?

 この言葉が巷でフラグだと言われているように、いやーな予感で背中がゾクッとしたけれど、すぐあんなことが起こるなんてなんとあっけない・・・こんな幕切れは、切ないな。

刀伊の入寇で大活躍!隆家と仲間たち

 隆家は、まひろに宋の抹茶のような茶を飲ませて驚かせていた。目にも良いと、薬のように飲んでいた。その後、こんな会話をしていた。

隆家:目が再び見えるようになったら違う世が見えてきた。内裏のような狭い世界で、位を争っていた日々を、実にくだらぬことであったと思うようになったのだ。ここには仲間がおる。為賢は武者だが、信じるに足る仲間だ。

為賢:隆家様は、この地の力ある者からのまいないもお受け取りにならず、何事にも自らの財を用いられる身ぎれいなお方で、それも皆がお慕いし懐いている所以でございます。

隆家:富なぞ要らぬ!仲間がおれば。

 いい感じで吹っ切れた様子。ヤンチャな彼には、内裏での公卿生活は向いていなかったのだろうね。この時、隆家と仲間たちは踊りを共に踊ったが、京の雅なそれとは違う。何を歌っているのやら。

大蔵種材:🎵やすみしし 我が大君の こもります 天の八十蔭(あめのやそかげ) 出で立たず 御空を見れば 万代(よろづよ)に (おー!)斯くしもがも(おー!)千代にも 斯くしもがも(おー!)(略)拝みて(をろがみて)(おー!)

 藤原友近、藤原助高に「さあさあ!」と促されて隆家も共に踊った。何だこれ・・・と、書きとれた詞をサーチしたら、ちゃんと答えが出てきた。サイトにアップしてくれた方に感謝して引用する。

即位20年。春1月7日。酒を置き、飲んで、群卿(マヘツキミタチ=臣下たち)と宴会をしました。この日に大臣(オオオミ=蘇我馬子)は寿(オオミサカヅキ=天皇からの杯)を奉って歌を歌って言いました。
やすみしし 我が大君の 隠(カク)ります 天の八十陰(ヤソカゲ) 出で立たす 御空を見れば 万代に かくしもがも 千代にも かくしもがも 畏みて 仕へ奉(マツ)らむ 拝(オロガ)みて 仕奉らむ 歌(ウタ)献(ヅ)きまつる

歌の訳(やすみししは「我が大君」の枕詞)私の大君が、住んでいる大きな影ができるほどの立派な御殿。出て、空を見れば、万代にわたり、立ち続け、千代にわたり、立ち続け、かしこみ仕え奉りましょう、拝み、仕え奉りましょう、と歌を献上いたしましょう!(推古天皇(三十五)蘇我馬子との歌い合い

nihonsinwa.com

 へぇ!蘇我馬子と推古天皇だって!後述するが、赤染衛門が「藤原を語るなら大化の改新から」と言っていた。645年を「蒸し米(645)炊いて、大化の改新」と覚えたのは記憶にしつこく残っていて、おかげで年号がすぐに思い出せたが、道長が出家したのは1019年だ。

 ウィキペディア先生によると(推古天皇 - Wikipedia)、推古天皇の即位は593年。即位20年なら、613年か。まひろから見れば、もう406年も昔の話だ。平安の都では廃れているかもしれない飛鳥時代の歌を、大宰府で武者が歌って踊るというのが面白い。

 (ちなみに、放送日12/1は愛子内親王のお誕生日。この日に日本初の女帝推古天皇を寿ぐ歌を持ち出すNHKの意図は?SNSで目敏く指摘している人が居て、そういうこと?とちょっと驚いた。気づく人スゴイね。)

 踊りを踊っていた人たちだけじゃなく、隆家の仲間はこの後大活躍。私が中途半端に刀伊の入寇(刀伊の入寇 - Wikipedia)あたりを書いてもな・・・と思うので、良さそうな説明をお借りして張り付けておく。まずは公式サイトの用語集(用語集 大河ドラマ「光る君へ」第46回より - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK)から。

【刀伊の入寇(といのにゅうこう)】

平安時代中期の寛仁3年(1019)3月末~4月に、中国大陸北東部を拠点とする民族「東女真(じょしん)族」とされる賊が大宰府管内に侵入した事件。

www.nhk.jp

www.nhk.jp

youtu.be

 こちらの動画👆は勉強になった。ところで、隆家から独自ルートで情報を得ていた実資が「小右記」にたくさん刀伊の入寇について書いていると知り、公式サイトの「ちなみに日記には」のコーナーをワクワクして見たところ・・・あれ?公式サイトには第46回の日記紹介コーナーが無い?えーなんで、とガッカリした。それはないよ。

赤染衛門に火が点いた

 北九州の戦が多く描かれたので、今回京パートは少なめ。道長なんか一言しかセリフが無かった。倫子様が前回、道長の栄華を書いてほしいと依頼して「衛門が良いのよ」の言葉にウルウルしていた赤染衛門。あれ以来、歴史好きな心に火が点いて、創作に励んでいたようだ。

副音声の解説:土御門殿。赤染衛門を前に、物語を読む倫子。

倫子様:(腑に落ちない顔で、しばらく赤染衛門を見て)殿の栄華の物語を書いてほしいと申したと思うが・・・。

赤染衛門:そのつもりで書いておりまする。

倫子様:でもこれ、宇多の帝から始まっているわ。殿がお生まれになるより、はるかに昔だけれど・・・。

赤染衛門:お言葉ながら、藤原を描くなら大化の改新から書きたいくらいにございます。とはいえ、それでは太閤様の御代まで私が書き切れないと存じまして、宇多の帝からに致しました。

倫子様:殿がお生まれになった時は村上の帝の時ゆえ、そこからで良いのではないかしら?

赤染衛門:(ムッとして)「枕草子」が亡き皇后定子様の明るく朗らかなお姿を描き、「源氏の物語」が人の世の哀れを大胆な物語にして描いたのなら、私が成すべきことは何かと考えますと、それは歴史の書であると考えました。仮名文字で書く史書は、まだこの世にはございませぬ。歴史をきちんと押さえつつ、その中で太閤様の生い立ち、政の見事さとその栄華の極みを描き尽くせば、必ずや後の世までも読み継がれる物となりましょう!

副音声:ふたりのそばで、毬を転がす(子猫の)こまる。

倫子様:(圧倒されて)・・・もう、衛門の好きにしてよいわ。(微笑む倫子様。猫の鈴の音と、泣き声が聞こえる)

 大化の改新から書きたい赤染衛門の気持ち、ちょっと学校で習った歴史を思い出せばよく分かる。そうだよねー、大化の改新で活躍した中臣鎌足だよね!藤原の祖は。そして、宇多天皇の御代から書いているというのも、ちゃんと倫子様の家系を考えている。倫子様の曽祖父が宇多天皇だもんね。

 それにしても、この2人の会話は戦が中心に進む今回の中で癒される。昔から学問に興味の無かった倫子様。歴史に造詣の深い赤染衛門に口出しせず、お任せするのが正解だよね。

 この赤染衛門が書いた「栄花物語」(栄花物語 - Wikipedia)を私も読んでみたい。図書館で借りたいけど予約がいっぱいかも。山本周五郎の小説の方だったら、家にあるんだけどなあ(無関係)。

 え?もう残り2回?信じられない・・・。

(ほぼ敬称略)

【光る君へ】#45 道長、失恋➡出家!まひろと道長の物語は終わりを迎え、まひろは自立の旅へ

望月の歌を四納言が解説

 NHK大河ドラマ「光る君へ」第45回「はばたき」が11/24に放送された。源氏物語を脱稿したまひろ(藤式部)は、これまでの道長との生き方に別れを告げ、羽ばたいていった。まずは公式サイトからあらすじを引用する。

(45)はばたき

初回放送日:2024年11月24日

まひろ(吉高由里子)の源氏物語はいよいよ終盤を迎えていた。ある日、まひろは娘・賢子(南沙良)から、宮仕えしたいと相談され、自分の代わりに太皇太后になった彰子(見上愛)に仕えることを提案。まひろは長年の夢だった旅に出る決意を固める。しかし道長(柄本佑)の反対にあい、ついにまひろは賢子にまつわる秘密を明かすことに。旅立つまひろを思わぬ再会が待ち受けていた。一方、道長は出家を決意する。((45)はばたき - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK

 すぐにも主人公ふたりの別離に話を持って行きたいところだが、まずは望月の歌から。道長の娘3人が后の座3つを独占し一家三后となり、権力絶頂の驕る気持ちから道長が詠んだとされてきた歌についてだ。

 しかし、前回のドラマで描かれた望月の歌は、得意満面ではなく、何か寂しげな気配も漂った。現在では解釈の分かれるところを、四納言が今回の冒頭で解説してくれた。

藤原道長の歌の回想:「(このよをば 我がよとぞ思う) 望月の 欠けたることも なしと思えば」

藤原斉信:昨夜の道長の歌だが、あれは何だったのだ?

源俊賢:「この世をば・・・」栄華を極めた今を、謳いあげておられるのでありましょう。何もかも、思いのままであると。

藤原公任:今宵はまことに良い夜であるなぁ・・・くらいの軽い気持ちではないのか?道長は、皆の前で驕った歌を披露するような人となりではない。

藤原行成:私もそう思います。月は后を表しますゆえ、3人の后は望月のように欠けていない、良い夜だという事だと思いました。

俊賢:うん。

斉信:そうかなぁ・・・。

 まだ納得できない様子の斉信。彼のような人のために、NHK+はちゃんと解説を用意していた。

清泉女子大学藤井由紀子教授:「このよをば」の「よ」なんですけれども、世の中の「よ」と、「夜」の「よ」がかけられているというふうに考えられていて、「この世が私の世の中だ」っていう風に言っている訳じゃなくて、「今夜は本当に良い夜だな」っていう風に言っているんじゃないかって新しい解釈は言っています。

 月は文学的な比喩では后、皇后を表します。この夜、道長の娘たち3人も揃っていて、全員が后の地位に就くっていう、前代未聞の栄華が達成されて、その情景、背景を表しているっていう風に言われています。

 望月の「月」にも杯の「ずき」がかけられていて、ドラマでも貴族たち皆で杯を回してお酒を飲んでいるシーンが描かれていましたけれども、誰ひとり重要な人物が欠けることなく、皆で杯を回して皆でこの栄華を達成したんだっていうことを歌っている。皆ありがとう、本当に今夜は良い夜だよねっていう、そういう素直な歌。今夜の喜びを歌った歌だっていうのが新しい解釈になっています。(11/25 話題!リアル道長を深掘り ニュースーン* - #大河ドラマ 光る君へ - NHKプラス

 やはり、これまでの解釈は道長を悪く見過ぎていたようだ。既に結構体調も悪かったらしいこの頃、リアル道長もそんなに誇らしげにイケイケとは詠えない気もするし。気弱になって、みんなありがとう~(泣)の方が納得できる。

 その陰には、今回「道長によって奪い尽くされた生涯であった」とナレーションも説明した敦康親王、道長の剃髪の時に仏頂面で参列していた敦明親王がいる。道長に結果的に丸め込まれ蹴散らされ、皇位に就けなかった皇子たちだ。

 敦康親王の21歳という若い死の後、道長は灯に映し出された己の影を見ていた。次兄の道兼がまだ荒れて一族の闇を背負っていた頃、掃き清められた道を歩む道長に影を見せた場面があった。それを思い出した。

道長との物語を終える決意のまひろ

 その時、縁に出て道長が眺めた月は、雲に隠れていた。たぶん同じ頃、まひろは文机に向かい、長い長い源氏物語に終止符を打とうとしていた。

まひろが書く物語:小君がいつ戻るのかとお待ちなされていたのですが、このように訳の分からないまま帰ってきましたので、がっかりした薫の君は「かえって遣らない方が良かった」などと様々思い、「誰かに隠し置かれているのではないだろうか」と思い込んでしまわれたのは、自ら浮舟を捨て置いたことがおありになったからとか、元の本には書いてあったのです。

 ここで脱稿。まひろは心の中で「物語は、これまで」と思い、こぼれそうな涙をこらえて笑顔になった。縁に出たまひろは、満足そうに息を吐き、雲ひとつない半月を空に見上げた。道長の曇った半月とは対照的な、きれいさっぱりのまひろの半月。それをまひろは、しばらく見つめていた。

 こんなにも長い物語の原稿を書いたことが無いので、書き終わったらどういう感情になるのだろうかと想像するしかない。本を書いた時、私はむしろ怖くなり、緊張して間違いがないか何度も読み返したものだが、そうか、まひろは泣きそうになりながらも笑うのか・・・そこは脚本家大石静の経験によるのだろう。そんな風に初見では思った。

 しかし、一旦最後まで日曜の放送を見終わり、土曜日の再放送を見て、ただ物語を書き終わっただけの感情じゃないと気づいた。そもそも、これは道長に懇願され、まひろが書いたふたりの物語だった。まひろが道長に、出会った頃のふたりを描いた檜扇を貰ったのが大きかった。以前のブログでも書いていた。

 まひろは、道長から贈られた檜扇を手に取った。出会った頃の道長、まひろ、追いかけた雀が描かれている。眺めるたび心が喜びで満たされる一品だろう。思いは当時に飛び、まひろは考えた。

まひろの心の声:小鳥を追って行った先で出会ったあの人・・・あの幼い日から、恋しいあの人の側でずっとずっと一緒に生きていられたら・・・いったいどんな人生だっただろう。

 近くの雀を目にし、庭にいた女の子は誰?まひろは宮仕えをする女童でも見たのだろうか。それとも、まひろの物語の中に生きる幻影か。

 そして、まひろは物語の本筋に目覚めた。ヒロイン紫の上が登場する若紫の帖だ。ただ一人で勝手にストーリーを思いつくのではなく、道長から贈られた檜扇にインスパイアされて、というところが2人の物語らしくて素敵だ。(【光る君へ】#34 まひろ、道長から贈られた檜扇にインスパイアされ、もう1人の自分「若紫」を書き始める - 黒猫の額:ペットロス日記

 この時、「雀」と私は書いているけれど違うらしい。「小鳥」とドラマでは呼ぶので何の鳥か分からないが、丘の上に移住してみたら、日常的にその鳴き声が耳に入る。そのたび、「光る君へ」の幼い2人を思い出す。

 今回のドラマでは、古くなった鳥籠も映っていた。なぜ小鳥も飼っていないのに、古くなった鳥籠をまひろの家ではずっとぶら下げているのか・・・誰も片づけないのが不自然だ。まひろが命じて、そのままなのか。彼女の自由ではない「籠の鳥」意識があって、捨てられないのかな。

 さて、紫の上が死んだときに、まひろは一旦筆を置き、「終わった」と言って物語を締めくくろうとしていた。でも、宇治で弱った道長に会い、また書いたのが宇治十帖。紫の上は、自分の成仏を諦めても光源氏に手を差し伸べ、だが、宇治十帖の浮舟は、出家によって薫から決然と離れていく。浮舟を探して縋りつくような薫と、対照的な浮舟。

 紫の上も浮舟も、まひろの分身。道長は、女の言い分にピンとこない薫のようだ。

 まひろは浮舟の自由になる生き方を書き切った時には、今度こそ道長との物語を終える、つまり道長との別れも自然に心が定まったのかもしれない。それで、脱稿した時に涙が溢れそうにもなりながらも、自由になる喜びがあって笑顔も出たのかな。

 その気持ちをさらに後押ししたのが、賢子の宮仕え宣言だったのかも。もう賢子も21歳なのだね。まひろは、宮仕えに上がった賢子に、源氏物語と、書き上げたその続きの原稿を全て託していた。宇治十帖を賢子が書いた説が出るのも納得の描き方だった。

 その時、賢子が「そんな、形見みたいに言わないで」と言って、まひろが笑ったのが大いに気になった。どうみても伏線?もうラスト3回、まひろの死まで描くか?リアルでは没年不詳だから、彼女がどうこの世を去っても脚本家の自由だ。

 まひろは「これを読んでどう思ったか、帰ってきたら聞かせておくれ」と賢子に笑って言った。後に世を去ったまひろを想い、空の月に向かって賢子が物語の感想を語り掛けそうじゃない?妄想しちゃうな。

まひろの決断、受け入れられない道長

 まひろと道長の別れの会話も記録しておこう。まずは、倫子様も臨席の表立っての会話から。

まひろ(藤式部):太閤様、北の方様。娘の賢子でございます。(道長、チラリと賢子を一瞥、サッとまひろに視線を戻す)太皇太后様の御為に、精一杯努めることと存じます。何卒、お引き立てのほどよろしくお願い申し上げます。(道長に贈られた織物の上着を着た賢子、まひろと揃って頭を下げる)

倫子様:藤式部はこれからどうするのです?

まひろ:私はこれから旅に出ようと存じます。(道長、顔が不自然に無表情)

倫子様:旅・・・誰と行くの?

まひろ:ひとりで参ります。

倫子様:何故、そのような心持ちに・・・。

まひろ:太皇太后様はすっかりご立派になられ、私がお役に立てることはもうありません。それで、物語に出てきた須磨や明石をこの目で見てみたいと思いまして。

倫子様:まあ、すてきだこと。

まひろ:亡き夫がかつておりました大宰府にも、行きたいと思っております。

倫子様:私と殿も2人で旅に行きたいわねと語り合っておりましたのよ。ねえ。(道長を見る。笑顔で頷く道長)

道長:大宰府への使いの船があるゆえ、それに乗ってゆくが良かろう。気を付けて参れ。

まひろ:はい。

 表の顔はここまで。その後、もじもじした道長が、完全に三郎の顔でまひろの局を訪ねてきた。賢子が去るのを廊下で待ちかね、局に入ってくるやご丁寧に御簾を自らの手で下すのがおかしかった。女房を呼んで下げさせている場合じゃないってね。

道長(三郎):(まひろだけになった局にズカズカ入る。手早く、全ての縛りを解いて御簾を下す。まひろの前に座る)何があったのだ?

まひろ:私の役目は終わったと申しました。

三郎:(強く)行かないでくれ。

まひろ:船に乗って行けと仰せになったではありませんの。(むくれた顔全開の三郎)これ以上、手に入らぬ御方のそばにいる意味は何なのでございましょう。(拗ねた目でまひろを睨む三郎)

 私は十分やって参りました。その見返りも、十分にいただきました。道長様には、感謝申し上げても仕切れないと思っております。されど、ここらで違う人生も歩んでみたくなったのでございます。・・・(道長を見つめて)・・・私は去りますが、賢子がおります。賢子はあなた様の子でございます。(一瞬、目を見開き、まばたきが激しくなる道長。道長の揺れる瞳がぴたりと止まる)賢子をよろしくお願いします。(頭を下げる)

三郎:(まひろの腕をつかむ)お前とは・・・もう会えぬのか?(みるみる涙が目に溢れそうに。見つめあうふたり)

まひろ:・・・(道長の手を押さえながら)会えたとしても(道長の手を解く)・・・これで終わりでございます。(立ち上がり、局から去る)

三郎:(呆然と1点を見つめ、浅く息をする)

 道長は振られた。愛人の座に疲れた有能な女秘書が、社長を振って退社するみたいな感じかな。愛人の自立は、まったく予想外だったようだ。

 退職を望む秘書を裏でどんなに慰留しようとも、社長は、莫大な資産を持つ社長夫人と別れる気はない。資産によるバックアップで、自分の地位を築いてくれたに等しい夫人には感謝するしかない婿だから。自分の地位はそのままで秘書にも僕を支えてずーっと居てもらいたいだなんて、虫が好過ぎる話だ。

 秘書はよくやったよ。50歳にもなろうというところまで心血を注いで命じられた作品を期待以上の、千年後の歴史にも残るほどの素晴らしい物に仕上げ、裏でも社長の長女を精神的に開花させ国を支える女丈夫に育て、最近は瀕死の社長のメンターとしても見事に社長を返り咲かせた。陰に日向にここまで支えてきたのだから、もう十分。なんて有能なの!

 こういう例えで考えると、まひろの気持ちも十分共感できる。しかし、柄本佑の道長があまりにも良いのでねえ・・・涙が溢れそうな姿を見て、道長に大いに同情して「可哀そう、三郎の頃から純粋にまひろを好きなのに」みたいな気持ちに、最初はなった。

 所詮、身分を超えられない2人だった。まひろ、苦しかったね。道長は、まひろの苦しさを十分には理解せず、その上に胡坐をかいてしまったのではないかな。ボーっとした三郎だし、貴族のボンボンだし。

 そして、まひろはここで、ようやく賢子の真実の父は道長だと告げた。

 自分が去っても、羽ばたいていく賢子を見守ってほしいと託す気持ちだったのだろう・・・と思ったら。賢子に手を出さないよう釘を刺したのでは?という説をネットで見て、なるほどと思った。

 確かにそうだよね、娘だよと言っとかないと、まひろ命の道長が何をするか・・・相変わらず深くまひろを愛する(まひろに依存する?)道長が、まひろが居なくなった後に、たまらず賢子になだれ込みそう。光源氏も、憧れの藤壺の宮ゆかりの姫だと聞くと見境ないところがあった。だから娘のように年の離れた女三の宮の降嫁も断らなかった。まひろの娘=道長の娘だと知らせておかないと危険だ。

 娘だと知って宮の宣旨(賢子を「越後弁」とご命名。今や頼もしいね)が案内する賢子を陰から見る道長が、顔をくしゃくしゃにして涙していた。どういう心境かな・・・と思って副音声の解説を聞いてみた。

副音声:宮の宣旨に導かれ、廊下を行く賢子。

宮の宣旨:あちらにも、我らの勤めの場がある。

賢子:は。

副音声:陰から見ている道長。美しく、聡明な娘の姿。こみ上げる悔しさと、痛みと切なさに、道長の顔が歪む。

 悔しいんだ・・・あと、痛みと切なさと。篠原涼子の往年のヒット曲「愛しさと切なさと心強さと」みたいだが、道長は、愛人の自立が悔しいのか。愛する人が自分の子を産み育ててきたのを20年以上も知らされなかったことが悔しいか。そうさせたのは自分だと分かって心が痛むか。まさか、若くてまひろ似の賢子に手を出せないのが悔しいとかは止めてほしい。

 以前、まひろに「不義の子を産んだのか」と道長がズバリ聞いた時に、自分の子だと分かって聞いたのかと普通は思ったよね。でも、そうじゃなかった。ぼんやりの三郎め。まひろには夫宣孝と自分以外に第3の男がいると考え、猜疑心から聞いていたとしたらサイテーだ。

 いや、それが平安のスタンダードなのかな。まひろには結局、周明もいる。早速大宰府で再会し(脳裏に「東京ラブストーリー」のイントロが流れそうだった)、シューッと吸い寄せられてたもんなあ・・・まひろは良いことしか覚えてないみたいだけど、周明はあなたをひっかけようとしたロマンス詐欺師だったのだよ、思い出してね。

倫子様、どこで気づいたのか😢

 道長と倫子様に挨拶を終え、賢子と廊下を下がるまひろを、最初は倫子様が追いかけてきた。

倫子様:藤式部。(倫子が来る)あのこと、考えてくれたか?

まひろ(藤式部):は・・・心の闇に惹かれる性分でございますので、「枕草子」のように太閤様の栄華を輝かしく書くことは、私には難しいと存じます。

倫子様:あらま。

まひろ:どうかお許しくださいませ。

倫子様:仕方ないわね、旅に出てしまうし。

まひろ:長い間、お世話になりました。(頭を深々と下げる)

倫子様:くれぐれも気を付けてお行きなさい。

まひろ:はい。

倫子様:(柔らかな笑みで応え、廊下を下がっていくまひろと賢子を目で追う)

 まひろに「殿の栄華を書いておくれ」と依頼していた倫子様。源氏物語を書き終えたまひろに、表向き「今度は私の仕事に取り組んでね」と言いつつ、自分の監視下に置こうとする一手か?とも見える動きだったが、あえなくまひろに断られてしまった。

 でも、倫子様はさっぱり、執着しない。「あらま」「仕方ないわね」で終わり。と言うか、まひろが旅に出ると聞いて、むしろ安心したのではないだろうか。まひろの方から殿から離れてくれる、やれやれだと。

 じゃあそれで倫子様の下に道長が帰ってくるかというと、なんとなんと出家希望。現世よりもあの世を選ぶというのだから、倫子様の顔色が変わっても仕方なかった。そこでとうとう心の奥底にしまっていた言葉が漏れた・・・という感じだった。

倫子様:今日はお加減いかがでございますか?

道長:話がある。(人払い)・・・出家いたす。(言葉を失っている倫子様)頼通が独り立ちするためにもその方が良いと思う。

倫子様:殿が、頼通のためにご出家なさるのでございますか?

道長:体も衰えた。休みたい。

倫子様:お休みになりたければ、私の下で、現世でお休みくださいませ。今わの際でもありませんのに、ご出家なぞありえませぬ。

道長:(そろりと動いて、倫子の前へ)気持ちは変わらぬ。

倫子様:(低い声で)・・・藤式部が居なくなったからですの?

道長:(フッと笑って)何を言うておる。

倫子様:(道長の手を取り、強く)出家はおやめください。

道長:(倫子の手を解き、立ち上がる)許せ。

倫子様:お待ちくださいませ!

道長:(廊下を歩き始め)太皇太后様に申し上げてくる。

倫子様:怒りを含んだまなざしで道長の背を見る)

 ああ、倫子様!何と悲しい。まひろが道長の手を解き、道長が倫子様の手を解く。表向きには6人も子を授かったおしどり夫婦の仲なのに、自分には結ばれていなかった道長の心の手。それを思い知らされた瞬間だったのでは。

 ここまで表情を崩さず「オホホホホホ」と笑って何事もいなしてきた倫子様が、あんなにも怒りを露わにしていた。上流貴族の夫人として、耐えてきたのだよね。道長の心に居るのはまひろだと、遅くとも、道長とまひろが宴で歌を公然と詠み合ったあの時に気づいただろう。それを見た倫子様が、不快になって下がってしまった時ね。

 また、道長が(というか、百舌彦が)まひろを宇治に呼んだ時も、誰が呼ばれたのか倫子様の耳に入らないはずがない。その後、道長があっさり生気を取り戻してしまったのだから、一体誰と会ったの?と不思議に思わないはずもない。

 最近になって、昔のように倫子様の手元には猫が戻ってきているのが気になる。猫好きとしては猫様ご登場はいつでも嬉しいのだけれど、まひろに執筆依頼を断られて赤染衛門に栄花物語を書くように頼む場面でも、倫子様は丹念に猫様を撫でている。「猫がいなけりゃ息もできない」(by 村山由佳)くらい、心はズタボロかもね😢

 それでもまひろを貶めたりも意地悪もしない。上流の姫育ちらしく、こんなにも出来た人なのに。貴族の姫でも、人の心はままならないね。

 倫子様の嘆願も空しく、道長は出家した。暗い顔の倫子様の涙が悲しい。でも、まひろの代わりに栄花物語を書くように仰せつかった赤染衛門との強い絆が救いだ。

撮影協力に「下田市ロケーションサービス」

 ところで、旅に出る前のまひろに対して、乙丸の妻のきぬが「お方様。この人がお供いたしますゆえ安心でございますよ。(乙丸に)あんたがお方様を無事に連れて帰ってくるんだよ。私はここで待ってるから」と力強く宣言していたのが、伏線じゃないかと気になる。

 もしかしたら、乙丸は旅先で命を落として帰れないのでは・・・「ここで待ってる」と言ったきぬは、帰らぬ乙丸に涙することになるのではないかと嫌な予感がした。もうドラマも残り3回だし。

 それとも乙丸は京に戻り、まひろは客死するのか宋に周明と旅立って戻らないのか?彰子に「そなたも必ず生きて帰って参れ。そして私に土産話を聞かせておくれ」と言われた時、まひろは「はい」と返事をしなかった。

 ちょっと待て、帰らないつもり?と思ったら、まだ道長とも一波乱あるのだという(NHK+で見た吉高由里子のインタビューによる。)。つまり、帰京するのだよね。良かった。

 まひろが須磨の浜に着き、全てを投げうつように市女笠を外し、杖を捨てて駆け出した、サブタイトル「はばたき」を象徴するシーンは、やっぱり感動した。50歳にもなっているし、じっと座って物しか書いてこなかった運動不足で大丈夫?と余計なことも頭をかすめたが。

 大作も書き終えた。そして、愛しいけれど、これまで自分を縛ってきた存在でもあった道長。そのくびきから逃れ、何もかもから自由になった気分だったのではないか、空を飛ぶ小鳥のように。もう鳥籠は処分したかな。

 感動のシーンだったのだけれど、SNSでは関西方面から「須磨じゃない」「あんな岩は無い」「淡路島が見えない」「海の色が違う」という声が上がっていた。刀伊の入寇でCGチームは多忙を極めていて、須磨どころじゃなかったのかもね。

 あそこは、「龍馬伝」で最終回に出てきた浜辺に似ているような・・・茨城かそこら辺の海だったか、と思ったら、オープニングにそれらしき名前が挙がっていた。

 オープニングテーマで「撮影協力」として挙げられていたのは

  1. 岩手県
  2. 奥州市
  3. 宮内庁京都事務所
  4. 下田市ロケーションサービス

・・・の4団体。④の下田市と言えば、伊豆半島のほぼ南端のあそこだろう。吉高由里子が撮影に来て、開放感いっぱいに浜辺を走っていたのは下田市だったのか。地形もそうだが、太平洋と瀬戸内の海じゃ、水の色は確かに違いそうだ。

 まひろは、自分が浜辺で走っている間に道長が出家して剃髪に及んでいるとは思ってもみないだろうな。剃髪後、道長が言った。

道長:あっと言う間に何もかも過ぎていった。あっけないものだな、人の一生とは。

 ほんとだよ・・・年末にこれを聞くと心が騒ぐ。しかも、もう「光る君へ」が終わってしまう。あっという間の1年だった。

 さてさて、次回はそのものずばりの「刀伊の入寇」がサブタイトルになっている。やれ戦が無い大河ドラマなどは見る気がしないだの不貞腐れていた御仁も、たっぷり平安の武士の戦を楽しめるだろう。

 隆家を演じる竜星涼も、「ちむどんどん」のニーニーの悪評(いや、あれはあれで真に迫っていたから嫌われちゃったのだよね)を払拭し、人気爆上げのチャンス!ぜひ国を救ってね。

(ほぼ敬称略)

 

【光る君へ】#44 最終回?一同揃った豪華絢爛望月の夜、まひろと道長が万感の思いを交わす

三条天皇を譲位へと追い詰める

 NHK大河ドラマ「光る君へ」第44回「望月の夜」が11/17に放送された。残り4回。まずはあらすじを公式サイトから。

(44)望月の夜

初回放送日:2024年11月17日

道長(柄本佑)は公卿らにも働きかけ、三条天皇(木村達成)に譲位を迫るも、代わりに三条の娘を、道長の息子・頼通(渡邊圭祐)の妻にするよう提案される。しかし頼通はすでに妻がいるため、その提案を拒否。道長は悩んだ末、皇太后の彰子(見上愛)に相談したところ…。一方、まひろ(吉高由里子)は父・為時(岸谷五朗)から予期せぬ相談を受ける。さらに源氏物語の執筆を続けていると、ある決意を固めた道長が訪ねてきて…((44)望月の夜 - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK)。

 今回のドラマは1015年からスタート、1018年の望月の歌までが描かれた。前回から激しさを増して、三条帝への譲位運動は続いている。

 なんたって、文芸活動に力を入れて政からはある程度の距離を置いていたんじゃないかと私が勝手に印象付けていた公任が「お上に正しきご判断をしていただけぬとあれば、政は進みませぬ!政が滞れば、国は乱れまする」と大声で伝えている始末なのだ。

 ドラマの始めの頃、公任の亡き父の関白が、小声で喋るものだから「聞こえぬ!」と円融帝に言われていたのを思い出すと感慨深い。(今は、三条帝の方が耳に問題があって、度々臣下に「聞こえぬ!」と言っているのだけれど。)

 四納言のもうひとり源俊賢(明子兄)が公任に続いて「速やかなるご譲位を願い奉りまする。これは公卿らすべての願いにございます!」と言うのは、まあ企みのある所いつも居る俊賢なので、そうだろうなと期待通り。

 これに対して、聞こえていない様子の三条帝が悲しい(中の人が上手)。「その件は、朕が左大臣に厳しく言うておくゆえ安心せよ」と、とんちんかんな答えを返すのだ。可哀そう!でもそうも言っていられないんだよね。

 それで、三条帝が帝位にしがみつく延命策なんだろう、道長を取り込もうと娘・皇女禔子(やすこ)を道長の嫡男・頼通の妻にと言い出すのだが、頼通が拒絶して「嫌でございます」「藤原も左大臣の嫡男であることも捨て、二人きりで生きて参ります」と言うのが、道長にはまひろと逃げようとした昔を思い出させただろうね。頼通、若いな~ピュア~✨

 道長は、自分では兼家パパにそんなことは言えなかったんじゃないのかな。でも、頼通は堂々と自分に宣言している。そこは息子にとって道長の方が物を言いやすくて兼家よりも良きパパなのかもしれない。今作の道長は兼家パパの策を結局なぞっているようにも見えるけれど(この後、頼通に仮病を命じることとかね)、全然兼家パパの怖さは無い。相変わらず、下地は三郎だからだな。

 道長は、むしろ婿入りした先の倫子様パパ(源雅信。益岡徹が演じていたよね)の方に似たかもね。倫子様パパは、娘にほだされて道長を婿にせざるを得なかった。倫子様が何か言うたびにショックを受け、従う時の顔芸が面白かったなあ。

 さて、三条帝は頼通重病と聞いて「万策尽きた」と皇女様の降嫁話が止まる訳だけど、将来、没後に頼通の弟・教通と件の皇女様が結婚することになるそうで(公任の娘の没後に嫡妻になるらしい)、皇女本人のためにはそういう帝位絡みの策略抜きの結婚の方が当然良かっただろう。兄の後始末をする弟みたいだけど。

 ところで、降嫁話について倫子様が「心は隆姫、お務めは内親王様でよろしいではないの」と心の闇を感じさせることを言うのに対して、娘の皇太后彰子が「女子の心をお考えになったことはあるのか?」「この婚儀は誰も幸せにせぬと胸を張って断るが良い」と道長に言うのが晴れ晴れと対照的。倫子様ファンではあるけれど、彰子みたいに言えたらカッコいいよね。

 ということで、三条帝は道長を左大臣のまま准摂政(1015年末)→摂政(1016年)にしてみたりと、まだジタバタ足掻くが、結局は譲位を認め、彰子の息子・後一条帝が即位(1016年)。三条帝は譲位の引き換えに実資のアドバイスに従って敦明親王を東宮にとの条件を出していたが、ナレーションは敦明親王が東宮を辞退したと告げた。しかも三条帝の没後(1017年)、たった数か月のうちにだ。

 三条帝がどうしてここまで粘ったか、父の冷泉系を皇統に残したい思いを息子は分かってたのかな。悔しいだろうね、三条帝。

 ウィキペディア先生によると(三条天皇 - Wikipedia)、ドラマでは似ていないが、リアル三条帝は外祖父の兼家パパに容姿が「酷似」して「風格があった」とか。そりゃ粘りそうだ。リアル道長はやりにくかっただろうなー。

 三条帝のこの悔しさは、後には酒におぼれている妍子が産んだ三条帝の娘が晴らすそうなのだ、なんと数奇な運命。泉下の三条帝が操ったか?やりそうだ。そうそう、愛妻と言うべき皇后娍子との最期のやりとりが泣けた。

三条院:(出家して剃髪している。苦しい息の下で瞳を彷徨わせ)闇だ・・・闇でない時はあったかのう・・・。娍子。

皇后娍子:(涙)はい。

三条院:闇を共に歩んでくれて嬉しかったぞ。

皇后娍子:(三条帝の手を取り)お上・・・お上はいつまでも私のお上でございます。

ナレーション:時勢に翻弄され続けた三条院は42歳で世を去り、後ろ盾を失った敦明親王は自ら申し出て東宮の地位を降りた。そして、道長の孫であり帝の弟である敦良親王が、東宮となった。それから1年、彰子は太皇太后、妍子は皇太后、威子は中宮となり、3つの后の地位を道長の娘3人が占めた。

 今回、ドラマはホップステップジャンプで進む。ここらへんを端折らず、敦明親王を東宮辞退に追い込むところもやってほしかったけどな・・・そうすると、ホワイト道長として描くのが難しくなっちゃうからかな。刀伊の入寇も待っているし。

 三条帝は、百人一首に譲位の際の歌が採録されているのだとか。

三条院:心にも あらでうき世にながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな

 そうなのか・・・公式サイトには、他にもドラマの百人一首勢が紹介されている(『百人一首』に選ばれた「光る君へ」の登場人物! - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK)。ドラマを見てから改めて見ると、これまで良く考えもしなかったが、また深く理解したいような気になった。

「この世」か「この夜」か

 一体どれくらいかけて、あの華やかに一堂に会した道長派のキャラたちの衣装や調度、食事等をNHKは揃えたのだろう。3后の座を占めた道長の娘たちは役の上では2人が仏頂面だったけれど、中の人たちとしたら、あれだけの豪華な衣装を着られて皆うれしかったことだろう。青海波(?たぶん。それしか知らん)を舞った2人の息子・頼通&教通もあでやかだった。

 この威子立后の宴、すなわち一家三后を祝う1018年の宴の時に、ドラマで道長が身に付けた衣装「直衣布袴(のうしほうこ)」については、なんだか見慣れないと思ったら公式サイトに説明があった。なんでも、かなり特別な衣装を身にまとっていたらしい。「選ばれしものでなければ気後れしてしまう、きわめて特別な恰好」だという。それを、満を持して望月の歌の場に着用させたという訳だ。

www.nhk.jp

 道長は太閤と呼ばれる立場。太閤と言えば秀吉と条件反射がほぼ出来上がっている私は、実資に太閤様と称されている道長を見て「へー」と思った。ウィキペディア先生によると(太閤 - Wikipedia)、「太閤(たいこう)は、摂政または関白の職を退いて後、子が摂関の職に就いた者[1]、摂関辞職後に内覧宣旨を受けたものを指す称号[2][3]」だそうだ。なるほど。

 しかし、この宴で目についたのは、倫子様の産んだ土御門系の子どもたちばかり。同じ道長の子でも、明子が産んだ高松系の子どもたちはどこにいった?気づかなかっただけかな。まさか、お呼びじゃなかったのだろうか。明子・・・😢

 かの有名な望月の歌を道長が披露した今回。豪華で見るのもまさに眼福で拝みたいくらいで、それこそこれが最終回だと言われても相応しい程華やかだった。4回を残して、もうドラマのフィナーレがやってきたのかと思うくらい。これでクランクアップの演者も多かったのではないだろうか。

 公式サイトの説明を読むと、道長と倫子様の娘3人が天皇の后となり、威子の立后の儀の後の、二次会とも言うべき穏座(おんのざ)での話だという。そこで、道長は「望月の歌」を詠んだ。

このよをば 我がよとぞ思う 望月の 欠けたることも 無しと思えば

 ここらへんの話は、「原作・藤原実資」と書いた方が良いくらい彼の日記「小右記」の記述を基にドラマの筋立てができているらしい。

 望月の歌が伝わっているのも、実資が書いたから。実資は「このよ」を「この世」と書いた。私もそのように習い、記憶してきた。で、道長=傲慢男との説が私にも漏れなく定着していたが「この夜」説もあるらしい。そうすると話が少々違ってくる。

 素人ながら考えてみる。3人の娘が3后しかない后の座を全て占めるという未曾有の夜に、気分が良くなってのことだろう。月が后を示すことから「この夜は我が夜、望月のように欠けていないと思うので」と、ひとときを喜んで言いたくなってもね、仕方ないだろう。

 実際は、月には満ち欠けがあるのだ。翌日から満月も欠ける(実際には宴の日には少し欠けていたらしい)。それを知っていて、ほんの限られた一晩満月に見える「この夜」だけを大切に喜んでいると思うと、そんなに傲慢にも聞こえないというかむしろ控え目。「この世」とは印象が変わる。

 実資も、道長のイメージを後世まで下げる罪なことをしたものだ。

 このドラマのホワイト道長には「この夜」説の方がぴったり来そうだ。「まひろ、俺ここまで頑張ったよ!満足だよ!」という歌のようだから。

まひろへの返歌(ラブソング)か

 この宴では、道長が盃を見て思い立ち、実資に頼み盃が巡った。実資の記録によると、リアルでの順番は貴族社会の上下にきっちり従っていたらしいが、ドラマでは便宜上少し違っていた。(コロナ禍だったら撮影できなかったことだろう。こういう回し飲みをやっていたから昔は感染症でバタバタ公卿が死んだのか?)

 道長は巡る盃を見てとても満足そうだったが、これって、まひろが詠んだ歌の内容を実際にやってみましたという話なのかな?記憶が正しければ、柱に寄りかかって2人で月を眺めながら、道長が「おぼえておこう」と言った、あの歌なんだけど・・・。

 第36回のことだが、私は寄り添う2人の姿を覗き見ていた「女房は見た」の方に気を取られて、自分のブログではまひろの歌を記録していなかったらしい💦痛恨の極みだ・・・と思ったら、「紫式部日記」を引用してそこに含まれていたので満足したらしい。どこだっけと探しに探して、時間を取られた。

toyamona.hatenablog.com

 紫式部日記』には、若宮様の祝いの席で藤式部が求められて和歌を詠み、道長が歌で返したことが書かれていますが、ドラマの中では月を眺めながらひとり若宮様を祝う歌を口ずさむ藤式部のもとへ、道長がやってきて、ひっそりと一緒に同じ月の下で喜びを分かち合うというシーンになっていました。

いかにいかが数えやるべき八十歳の あまり久しき 君が御代をば
(大意:皇子様の御誕生をお祝いする宴の席の杯は栄月そのもので、下に下ろされることなく次々と手から手へと捧げ持ちながら回されていきます。その様は、望月と同じように欠ける事がなく、皇子の栄光も永遠に続いていくことでしょう)藤式部と道長の和歌のやり取りと察した嫡妻・倫子。『紫式部日記』に描かれた宴会と「猫一瞬カットイン」に思うこと【光る君へ 満喫リポート】36 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト - Part 2

 誕生五十日の祝い(「いか」の祝い)と「いかが」がかかっているそうだ。そして、「今宵はまことに良い夜だ」と言って、今回道長が詠んだのが「望月の歌」だった。

 まひろの歌を公卿を総動員して実演して、歌も唱和してもらって自分の思いに賛同してくれる人がこんなにいるよと示した。望月のように願いは叶えられた、満ち足りているよと詠んだ道長の、まひろへのラブソングだと私は思った。

 まひろも道長の気持ちを投げかけられた視線から受け取り、それまでとは打って変わって表情を輝やかせていた。

 もう1つ、道長の歌の下敷きになったといわれている紫式部の歌が紹介されている記事があった。うろ覚えだったが、道長が褒めたのはこっちだったっけ?たらればさんが言うのなら、そっちの方が正しいよね、絶対。

水野:以前、まひろが詠んだ歌と、道長の「望月の歌」は関係があるのでしょうか?

たらればさん:はい。後一条天皇が生まれた時(道長が「望月の歌」を詠む約10年前)に祝いの席で紫式部が詠んだとされる、こちらの歌ですね。

「めずらしき光さしそう盃は もちながらこそ千代もめぐらめ」

たらればさん訳/新たに加わった若宮(敦成親王=後一条帝)へ捧げるこの栄光の盃(栄月)は、望月(満月)同様、永遠に輝き続けることでしょう。(紫式部集86歌)

水野:ドラマでも道長が「よい歌だ、覚えておこう」と返していましたよね。

たらればさん:道長が「望月の歌」を詠むときに「この歌を参考にしたんだろうな」という研究もある歌です。

水野:そう考えると、ドラマでは「まひろの歌を、俺は今も覚えているぞ」というメッセージもあったのかな……と思えてきました。

こんな雰囲気で道長の「望月の歌」が詠まれるなんて… 「光る君へ」視聴者の解釈もさまざま

 まひろは万感の思いに包まれ、これまでの道長とのことが全て走馬灯のように駆け巡っただろうね。まひろの脳裏には道長と初めて結ばれた廃邸での満月と星屑キラキラが蘇り、振り返る道長が同じキラキラをまとって自分を見つめ立っているという図が、何とも乙女チックだった。まひろ&道長としては、1つの到達点、満月を迎えたのかも。

道長の限界を知り、言葉を贈っていたまひろ

 その宴よりも1年以上前の1016年、道長は翌1017年に摂政を頼通に譲る前に、まひろに左大臣と摂政を辞める件について相談しに来ていた。「何度も先の帝に譲位を促したが、今度は俺が辞めろと言われる番なのか・・・」と、公任に「辞めろ」と直言されて悩んでのことだった。

 道長は「摂政と左大臣、2つの権を併せ持ち帝をお支えすることが、皆のためでもあると思った」と言い、公任に「違うのだ。道長のためを思うて言うておる。考えてみてくれ」と返された。

 あの川原で道長はまひろに、思う通りの政など全くできぬと弱音を吐いていた。民を思う政だ。その目的を果たせぬまま権力だけを集中して握り続けていれば、父兼家の我が家のためだけの政や、それを引き継いで長兄道隆がやっていた栄華を極めるための政と、よそから見れば何の変わりも無い。

 全然話が違うかもしれないが、民主的に皆の声を聞いてにっちもさっちも物事が進められない(若しくは時間がかかる)のと、ひとりの権力者を仰いでその人の思うように政治をスピーディーに進めさせるのと、どちらが良いのか今も世界では迷いがあるようだ。

 民主主義国の方が少数派というし、絶対権力者に政治を委ね楽になりたいと思う人たちは一定数いる。海外に目を向ければそういう強力なリーダーが率いる国は増えているんじゃないかとも思う。そうすると、民主主義の国育ちだと不健全だとか危険だと思う。

 ドラマの道長はホワイトだけど絶対権力者で、民のための政治をまひろと直秀に誓ったが、民の顔は見えているのかと問われる。志を愚直に守っていたつもりにもかかわらず、やり方は兼家パパのそれだから、欲張りにも権力にしがみついているだけと疑われるような目を向けられ、自分では何も変えられないと思うに至ったようだった。空しいよね。

道長:暮れの挨拶に参った。(まひろの前に腰を下ろし、周りの様子を見る)摂政と左大臣を辞そうと思う。

まひろ(藤式部):摂政におなりになって、まだ1年にもなりませんのに。

道長:摂政まで上っても、俺がやっておっては世の中は何も変わらぬ

まひろ:は・・・頼通様に摂政を譲られるのでございますか。

道長:ああ。

まひろ:頼通様に、あなたの思いは伝わっておりますの?

道長:俺の思い?

まひろ:民を思いやるお心にございます。

道長:ああ・・・(首をひねって)どうだろう

まひろ:(溜息をついて)たった1つの物語さえ、書き手の思うことは伝わりにくいのですから、仕方ございませんけれど・・・

道長:俺の思いを伝えたところで何の意味があろう。お前の物語も、人の一生は空しいという物語ではなかったか?俺はそう思って読んだが。

まひろ:されど、道長様がこの物語を私にお書かせになったことで、皇太后様はご自分を見つけられたのだと存じます。道長様のお気持ちがすぐに頼通様に伝わらなくても、いずれ気づかれるやもしれませぬ。(熱心に聞く道長)そして、次の代、その次の代と、一人で成せなかったことも時を経れば成せるやもしれません。私はそれを念じております。

道長:そうか・・・(切り替えて)ならば、お前だけは念じていてくれ。

まひろ:はい。(まひろを見つめる道長)

 メンターまひろとのカウンセリング終了。ある意味、私との約束は己ひとりで成すつもりになっていなくてもいいよと、まひろから許しを得たようなものだったかな。

 だけれど、道長め、直秀を忘れたような会話だったな。民を思いやる心を既に忘れ切っていたような。頼通にもただ1度ぐらいしかドラマでは「民を思う政」が大事なのだと伝えていなかったと思うのだよね。そういうところがボーッとした三郎のまま。まひろもちょっと呆れたかな。

そろそろ物語は締めくくりへ・・・入内は幸せか

 「道長様は大当たり。私に見る目があったって事よ」と清々しく言い切った石野真子演じる倫子様ママ。左大臣だった倫子パパはずっと道長を婿とするのを「不承知」と言って亡くなったものねえ。まさか、自分の曽孫が帝になる日を迎えることが人生で起こるだなんて思わない。なんと幸運、また、それを見届けられ、幸運として受け止められつつ長生きできるなんて、本当に恵まれた人生だ。

 この日、后の座を占めた3人の孫娘を含めて、入内した女性キャラたちがほぼ皆与えられた立場で苦しい人生を生きたのに、入内しなかった倫子ママ穆子さんは倫子様をバックアップし続けた愛され幸せキャラ。倫子様の入内にも反対しての道長の婿取りだったと思うし。

 そんな誰かのセリフがあったような、入内入内と言うけれど、入内する娘たちは必ずしも幸せかと。そういうことだよね。今回も「めでたいのは父上と兄上だけ」とはっきり娘に言われて、道長は口を半開きにしていたもんね。娘たちは父や兄弟のために翻弄されるばかりだ。

 まあでも、彰子については例外とも言えるかも。彰子はまひろの帝王学の英才教育によって開眼したから、不幸だけとも言えない。後一条帝の即位式での表情は引き締まって美しかったなー、かつて女御に立った時の儀式での冠も曲がり、べそ泣きしそうな、やらされてる感が全く無かった。

 (ちょっと話が飛ぶけど、東宮をマッハの速さで降りた敦明親王についても「解放された」ような気分になったのではと、中の人・阿佐辰美が「君かたり」でコメントしていた。帝位とか后とかの地位には、そういう縛られる感覚が今もまつわるよね。お気の毒だが。)

 一方、まひろパパ為時は、出家すると言った。妻のちやはと惟規の菩提を弔うのだそうだ。為時も、2回国司を務め、もう人生を十分やり切った感があるのだろう。「いとには福丸がいる」というセリフには、ちょっと冷や汗だった。いとは為時の召人だったよね、鈍感真面目の為時パパでも福丸のことは分かっていたんだ。

 為時じいじにその気はないのかと聞かれていた賢子も、次回はとうとう彰子に女房として仕えるらしい。それもまひろの代わりに。活躍の様子も見られるかな?最終回の締めくくりに向けて、どんどん片付いていく感がある。

 あと残り4回は、大宰府での刀伊の入寇を描くのだろうけれど、そこになぜか「光る君」道長に別れを告げたまひろが行って、宋人医師の・・・ええと名前がジョウミンだっけ・・・ちょっと今漢字が思い出せないけど、松下洸平が演じるキャラと再会するらしい。前回、行成を抑えて大宰府行きを勝ち取った隆家が、目を診てもらう医師なんだろう。やっぱりの再登場だ。

 今になってなぜ?松下洸平だからかな?まひろ、まさか彼と宋に行くのかしらね?リアル紫式部はそんなことしてた可能性があったの?記録が無ければ何でもOKなのかしらね?

 何か、あの「江」の主人公がRPGのようにあちこち有り得ない場所(家康の伊賀越えとか)に出没して違和感たっぷりだった嫌~な思い出が脳裏に甦っているのだけど・・・😢まさか、残り4回がそんなことになりませんように。紫式部の人生を描く物語として、「望月の夜」が最終回でよかったんじゃないかと思わせないでほしいな。頼みますよ、大石静を信じるのみだ。

倫子様がまひろにお願いしたのは罠か

 前述のように道長は、まひろの局へと1016年に姿を現し、周囲を気にしつつ摂政も左大臣も辞めることを打ち明けた。もう限界だったんだよな。それを背後から見ていたのが倫子様だった。一体いつからそこにいたの?💦キャー。

まひろ(藤式部):(廊下に向かって頭を下げる。道長も目を向ける)

倫子様:おふたりで何を話されていますの?

道長:政の話だ。

倫子様:政の話を藤式部にはなさるのね。(下を向くまひろ)

道長:(やれやれといった表情でまひろの前の席を離れ、倫子の前に立つ)皇太后様のお考えを知っておかねば、すんなりとは政はできぬ。

倫子様:(張り付いた笑顔で)そうでございますわよね。藤式部が男であれば、あなたの片腕になりましたでしょうに。残念でしたわ。

道長:(まひろを見て)そうだな。

まひろ:恐れ多いことにございます。

道長:では。

まひろ:は。(チラリと倫子を見て、去っていく道長)

倫子様:藤式部に頼みがあってきたの。

まひろ:はい。

倫子様:殿の事を書いてくれないかしら。

まひろ:は?

倫子様:清少納言が「枕草子」を残したように、我が殿の華やかなご生涯を書物にして残したいのよ。やってくれるかしら?(息を飲むまひろ)今すぐに答えなくてよろしくてよ。(微笑んで優しく)考えてみて。

まひろ:は・・・。(一礼する。瞳がせわしなく動き、眉がピクリと撥ねる)

 倫子様は、道長の生涯を書いてほしいと、まひろに頼みに来たのだった。「栄花物語」として赤染衛門が書くアレだ。

 政治的に本当に何が大切かをよく分かってらっしゃる倫子様。ネット社会になった今でも、本を出している人となると発言力に裏打ちがあるというか、信頼性が増す気がする。ましてやあの時代。記録に残すことの大切さよ。できた妻だよね。

 とはいえ、実は倫子様の怖ーい企みもあったのではないかと少し思う。殿について藤式部が書けば、怪しいふたりの仲について何かボロが出て、決定的に尻尾をつかむのを期待したのではないだろうか。

 例えば、道長の人生をたどる中で、例の文箱に倫子様が見つけたまひろが書いた漢詩を同じように書かせることもできそう。そこで筆跡を比べたりして・・・(年月による変化はあるだろうけれど)。その他、過去の行動確認もできそうだし。

 追い詰め方としてなんて頭が良い!怖すぎる、物書きに書かせて自滅させようだなんて!

 でも、史実としては書くのは赤染衛門だから・・・まひろはどうやって倫子様の真っ当に見える執筆依頼を断ったのだろう。頼まれたのは1016年とずいぶん前でも、その時はまだ源氏物語を執筆中だった。それで、書き終えて大宰府への旅に逃げるって事かな?

 いよいよ次回、倫子様VS.まひろか?・・・手に汗握る攻防が楽しみだ。あれ?もうこんな時間?次が始まっちゃう!

(ほぼ敬称略)

【光る君へ】#43 鈍感純粋まひろ一筋な道長、実資と議論かみ合わず。倫子様は鬱屈をひとりで昇華させた

「ホワイト道長」だから

 NHK大河ドラマ「光る君へ」第43回「輝きののちに」が11/10に放送された。あと残り5回。ドキドキするなあ。

 ここにきて、私には道長はボーっとした純粋な三郎のままで、まひろ(&直秀)との約束だけを胸に、精一杯真っ直ぐに頑張ってきた、人は良いけどちょっと抜けた人物のように見えてきている。もちろん前回で黒白については片が付き、彼はホワイト決定だ。

 だって「お前との約束を忘れれば、俺の命は終わる」だよ・・・この言いぶりには驚いた。そこまで愚直だったのか、と。まひろ一筋、真っすぐじゃん。まひろも、辛かったね頑張ったねとヨシヨシするしかないよ。

 柄本佑のシュッとした光るルックスに騙されるところだった、というか、騙された。まあ、最初から切れ味鋭いってタイプじゃなかった。あれ?と何か引っ掛かることがあっても「まあいっか」とスルーして済ませている様子も割とあったもんね。

 道長をホワイトに描こうとすると、このように、一途でちょい鈍感で周りも少々見えない抜けた人物にしないと辻褄が合わせられないのだろうな。

 さて、公式サイトからあらすじを引用する。

(43)輝きののちに

初回放送日:2024年11月10日

三条天皇(木村達成)の暮らす内裏で度々火事が起こり、道長(柄本佑)は三条の政に対する天の怒りが原因だとして、譲位を迫る。しかし三条は頑として聞き入れず対立が深まる。その後、道長は三条のある異変を感じ取る。その頃、まひろ(吉高由里子)は皇太后・彰子(見上愛)に仕えながら、源氏物語の執筆を続ける中、越後から帰京した父・為時(岸谷五朗)と再会。さらに娘・賢子(南沙良)から恋愛の相談をされて…。((43)輝きののちに - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK)

 このサブタイトル「輝きののちに」の「輝き」って何だろう。一般的に、道長の輝きは次回の望月の歌の辺りで極まると思われているんじゃないか?なのに、1つ前の回でもう「輝きの後」なの?

 まひろは、「帝にすら、ことさらあしざまに、お耳に入れる人がおりましょう。世の人の噂など、まことにくだらなく、けしからぬものでございます」という孤高に苦しむ道長の耳に入れたい「浮舟」第51帖のくだりを書いていた。となると、宇治での道長との対話から戻って宇治十帖の執筆に邁進中のようだし、まだまだ輝きの「後」じゃない感じ。う~ん、難しい。

 あてはまるとすれば、賢子の双寿丸への初恋に別れが見えて、それがこれまでの「輝き」の後なのかな。それはしっくりくるかも。賢子、この失恋を乗り越えるために女房として出仕するかな?

 あとは為時パパが、越前守の輝かしいお役目を終えて戻ってきたんだよね・・・惟規も亡くして、それで輝きの後って訳かも。

 しかし、三条帝の輝きの陰り・・・これかな、やっぱり。文を上下逆にして見えるふりをしているようじゃ、せっかく25年の東宮生活を終えて位に就いたのに、輝きの絶頂とはとても言えない。

振り回された実資

 三条帝は、いつのまにかお役目を果たして道長次女との間に子を儲けていたが、生まれたのは帝と道長の期待外れ(そう書きたくないが)の皇女。帝位には関係なく、道長との葛藤の解消には役立たずだった。これまたかわいい赤ちゃんだったけど。

 皇子がもし生まれていたなら、一条帝&彰子の子で東宮の敦成親王が位に上る時に、道長の孫の皇子として次の東宮にすんなりなれるはずで、三条帝の望む冷泉系の存続にも資するはずだった。

 三条帝は、目が見えない、耳も聞こえなくなって怪しげな丹薬に手を出していた。これが、例のヒ素だのなんだのを含む、コワイ材料で作られたという長寿薬なのだろう。「麒麟がくる」で駒ちゃんが製造していた薬に見た目は似てたが、チョコ味?

 この帝の症状は脳腫瘍なのだろうか。それで聴神経も視神経も腫瘍に圧迫されているとか?それとも、戦い相手の道長も前回は瀕死の病で倒れたぐらいだから(今回はすこぶる元気だったね)、熾烈な争いの末でのストレスも考えられる。

 政では、この当時の帝は結構細かい指図までしなければならないようだから、視覚と聴覚に問題がある帝の譲位論について「情に流されるな。政がおできにならねば致し方あるまい」と公任が気の毒がっていた行成に言ったのも仕方ないのだろう。現代なら聴覚と視覚に問題があろうが政ができるようにサポートするだろうから事情は違うだろうが、当時のことだ。

 帝ご本人も、無理筋なのは分かっているんだろう。国家のためだと譲位を迫る道長に「そんなに朕を信用できぬなら、そなたが朕の目と耳になれ!」と叫んでいたのが哀れだった。

 道長と三条帝との対立が深まる中、養子・資平を蔵人頭にするという極上のエサを目の前にぶら下げられて三条帝に助けを請われた実資が、道長と話に来た。公式サイトの「ちなみに小右記には・・・」(ちなみに日記には… 大河ドラマ「光る君へ」第43回より - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK)にはそんな記載が見つからないので、この道長との対話はフィクションなんだろう。でも、こういうやりとりが面白く書ける脚本家(大石静)のドラマは、見応えがあるのだよね。

 リアルな実資は知らないが、ドラマの実資はまじめでも、息子が蔵人頭に!となると心が動かされたらしい。真面目と言ってもその程度。そして、その実資との対話時の道長は、良くも悪くもやっぱり三郎を感じさせた。

実資:(道長の執務部屋に来て、道長の前に立つ。人払いで2人になる)帝にご譲位を迫っておられるそうですな。

道長:ああ(そんなことか、といった感じで)、そうだ。目も耳も病んでおられる帝が、まともな政をおなしになれるとは思えぬ。ご譲位あそばすのが帝としての正しき道と考える。

実資:(座り込んで)その考えも、良く分かります。されど、帝のお心は譲位に向かってはおられませぬ。責め立て申し上げたれば、帝のお心もお体も弱ってしまわれるでありましょう。弱らせることが正しきやり方とは思えませぬ。このまま左大臣殿が己を通せば、皆の心は離れます。

道長:フッ。離れるとは思わぬ。私は間違ってはおらぬゆえ。

実資:幼い東宮を即位させ、政を思うがままになされようとしておることは、誰の目にも明らか。

道長:(文書を机に軽く叩きつけて)左大臣になってかれこれ20年、思いのままの政などしたことは無い。したくともできぬ。全くできぬ。

実資:左大臣殿の思う政とは何でありますか?思うがままの政とは。

道長:(少し考え、実資を真っ直ぐ見て)民が幸せに暮らせる世を作ることだ。

実資:民の幸せとは。(道長、無言)そもそも、左大臣殿に民の顔なぞ見えておられるのか?幸せなどという曖昧なものを追い求めることが我々の仕事ではございませぬ。朝廷の仕事は、何か起きた時、真っ当な判断ができるように構えておくことでございます。

道長:志を持つことで、私は私を支えてきたのだ。

実資:志を追いかける者が力を持つと、志そのものが変わっていく。それが世の習いにございます。

道長:ん?(首をひねって)おい、意味が分からぬ。

実資:(目を泳がせて)帝の御譲位、今少しお待ちくださいませ。(一礼し、去っていく。道長がボンヤリ目で追う)

 実資の言う「志を追いかける者が力を持つと、志そのものが変わっていく。それが世の習い」も分かる。現代の政治家にも通用する正論で、いつの世もそうやって人々は青雲の志を抱いて政治家になったはずの人が裏金なんかを受け取ってたと分かり、ガッカリさせられてきたと思うけどね。

 しかし、それは道長には響かない。だって、彼はかれこれ20年も(そんなにやってたのか)左大臣をやってきても、少年の頃のまひろとの約束一筋の気分いっぱいなんだもの。

 まひろが言うから「民の幸せ」をお題目のように心に留めてきたのであって、その中身を具体的に自分で考えることは無かったのか?そうだとしたら、いかにも三郎っぽいのだけど・・・そんなこと無いと思いたい。

 「分からぬ」と道長に言われた実資は、「とにかく待て」と分かりそうな事だけを伝えて去った。実資側は三条帝との約束を守った形だ。カッコいいよな、ここまでは。この後、三条帝に息子を蔵人頭にするとの約束を反故にされ、憤懣やるかたない様子で日記を書いていたのがおかしかった。

 今更だけれど、実資にロバート秋山ってなかなか人選が良い。よく思いついたものだ。道長との対話では、うまく演れるのかと多少ドキドキしちゃったけどね。

 日記を公式サイトから引用しておこうかな。

ちなみに 『小右記』には… 長和3年(1014)5月16日条

◆◇◆◇◆

還御の後、急に民部大輔(みんぶのたいふ/藤原)兼綱を蔵人頭(くろうどのとう)に補された<(藤原)能信を三位に叙した替わり>。式部卿親王(敦明親王)が、今日、馬場に於いて懇奏したものである。

この蔵人頭(くろうどのとう)については、度々、(三条)天皇がおっしゃって云(い)ったことには、「欠員が有る時は、必ず(藤原)資平を補される」と。人を介しておっしゃられ、また、資平にもおっしゃられた。

ところが汗と同じである綸旨(りんじ)は、掌(てのひら)を返すに異ならないばかりである。後々、(三条)天皇の仰せは頼むことはできない。また、数度、おっしゃられた事が有った。今となっては、思い出すことができない。

ちなみに日記には… 大河ドラマ「光る君へ」第43回より - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK

 綸言汗の如しではなかったねー。三条帝も敦明親王の顔が立たないとまで言われたら、東宮にしたい息子の方を優先するしかないか・・・ある意味、実資ならこれぐらい理解してくれると、自分への実資の忠誠心を過大に見積もった結果なのかな。

行成と道長のじゃれ合い

 忠誠心という点では、ドラマの行成の道長へのそれは強固だ。行成のそれは恋愛感情なのかもしれないが。道長もそれを分かってるよね。

行成:お願いがあって参りました。

道長:何事だ。昨夜会ったばかりではないか。

行成:大宰府に参りたく存じます。大宰大弐の席が、2月から空いております。そこに私をお任じ下さい。

道長:私の傍を離れたいという事か。

行成:(道長の方を見てから、視線を落とし)今の帝がご即位になって3年。(道長を見て)私はかつてのように道長様のお役に立てておりませぬ。敦康親王様もお幸せにお暮らしのご様子。ここからはいささか己の財を増やしたく存じます。

道長:・・・そうか。そなたの気持ちは分かった。考えておこう。

行成:よろしくお願い申し上げます。お邪魔いたしました。

道長:うむ。(一礼し、去っていく行成)

 いや、己の財を増やしたいだなんて、行成は嘘ついてるよ。そう道長も思っただろうね。ズバリ言った「私の傍を離れたいという事」が正解、行成の葛藤は言動に出ていたから、鈍感道長も分かっていた。

 その後の2人のやりとりが・・・じゃれ合いが、もう少女マンガっぽくてね。見てられないよ。きゃーって感じだ。

ナレーション:11月、臨時の除目が行われた。

道長:中納言藤原朝臣隆家を太宰権帥に任ずる。(一同礼)

行成:(ひとり席に残り、去ろうとする道長に)道長様は、私を何だとお思いでございますか?(足を止める道長)私の望みを捨ておいて、隆家殿を太宰権帥になさるとは。

道長:行成は・・・(振り返って)俺のそばにいろ。そういうことだ。

行成:(返す言葉なく、拗ねたような顔で去っていく道長を目で追う)

 いやいや、普通に「これは隆家の目の治療に必要な措置なんだ」って説明すればいいだけじゃんね。それを道長はさ、意地悪って言うかさ・・・政の場で何やってる!💦

 この捨て置き方ができるのは、行成の自分への感情を十分理解しているからこそ。そこは三条帝と実資の間のぐらぐらな信頼関係とは全然違う。

 しかし、子犬のような行成だね。かわいそう。隆家の後に大宰府には行くようだけれど、隆家の双肩には日本の未来が懸かっている。許してね。

倫子様はそういう人

 今回、パンドラの箱がとうとう開き、怖い倫子様の一面を見た気がしたが、鬱屈が昇華して何らかの境地に至っている。何かと言われても困るんだけど、やんごとない姫君の中で怒りが醸成されるとこうなる、という1つの形を見せて頂いた。よくぞ気も触れずに、この境地に至ったものだ。素晴らしい、倫子様。

頼通:父上。隆姫にあのようなことを仰せにならないでください。

道長:「あのようなこと」とは何だ。

頼通:子のことです。隆姫も、子が無いことは気にしておりますゆえ。

道長:隆姫を気遣うお前の気持ちは分かる。されど・・・。

倫子様:覚悟をお決めなさい。父上のように、もう一人の妻を持てば隆姫とて楽になるかもしれませんわよ。何もかも一人で背負わなくて良くなるのですもの。できれば、隆姫と対等な尊い姫君が良いのでは?ねっ、殿。

道長:(まじまじと倫子の顔を見ている)うん・・・そう、だな。

頼通:幾度も言わせないでください。私の妻は隆姫だけです。他の者は要りませぬ。(去る)

道長:ますます頑なになってしまったではないか。

倫子様:私は・・・本気で申しております。

道長:そうやもしれぬが・・・。

倫子様:私は、殿に愛されてはいない・・・私ではない、明子様でもない殿が心から愛でておられる女がどこぞにいるのだと疑って苦しいこともありましたけれど、今は、そのようなことはどうでもいいと思っております。(固まっている道長)彰子が皇子を産み、その子が東宮となり帝になるやもしれぬのでございますよ。私の悩みなど吹き飛ぶくらいのことを殿がしてくださった。何もかも、殿のお陰でございます。

道長:そうか・・・(かすれ声)。

倫子様:私とて、色々考えておりますのよ。

道長:・・・うん。

倫子様:ですから、たまには私の方もご覧くださいませ。フフフフフ、フフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフ・・・。(居心地の悪そうな笑顔の道長)

 こんなに空恐ろしい笑いったらない。さすがの黒木華だ。道長は全然太刀打ちできないで固まっているようだった。この柄本佑もさすが。道長は、全部バレてる!と内心では冷や汗タラタラだったかなー。嫡妻倫子様に経済を握られている婿入りの立場だもんね。

 しかし、名探偵倫子様といえど、まひろの名前まではまだ掴んでいない模様。そのXデーが怖いよね。倫子様はまひろに、どう迫っていくのだろう。

 でも、もういいのか。倫子様は思いの外「ランキングさん」で、自分の地位が高められていくことに喜びを感じる人だった。孫が東宮となり、帝となりそう・・・つまり、自分が帝の外祖母になるその時が近づいている今、「全部吹き飛ぶ」って言ってるんだから。それで人生の満足を噛みしめられる。

 また、「全部背負わなくていい」と同様、全部自分じゃなきゃ嫌だと独り占めの我を張らずに、他人と喜びを分かち合える人ってことなんだろう。

 倫子様がそういう意識の人じゃないと、主人公のまひろが道長の正妻相手に泥沼の争いに巻き込まれることになっちゃうもんね。ドラマがきれいに着地するためには、倫子様の性格設定がこうじゃないと・・・ということなのかもしれないけれど、無理し過ぎてない?倫子様。今からXデーが心配だ。

まひろの偏つぎ遊び、まさかの匂わせ?

 今回は、失恋した賢子にいたずらっぽく両腕を広げていたのが印象に残ったくらいで、主人公まひろの影が薄いな・・・と思ったら。彰子サロンに女房として勤めるまひろ(藤式部)が、東宮の敦成親王に偏つぎ遊びのお題を出していたのだけれど、誰がこれ考えたの?いたずらが過ぎません?

 まず、まひろが「交」とお題を出し+親王が「木へん」を選び→「校」との答え。その次からは道長もいる目の前で「會(会)」とのお題+「糸へん」→「絵」の答え、そして「寺」のお題+「日へん」→「時」の答えと進んだ。

 親王様のお答えを校、絵、時と並べても何のつながりも浮かばないが、その前のまひろのお題だけを並べてみると・・・交、会、寺だ。あらま、まひろってば道長にだけ分かるメッセージ!道長が座に就いてからのお題は後ろの2つだもんねえ、「會」「寺」だなんて、石山寺での逢瀬を匂わせているとしか思えない。高度だな・・・ぼんやり道長に通じるか?

 ドラマでは、長和三年(1014年)と言っていたから、まひろの970年生まれ説を採用だとすると、彼女は40代も半ばに差し掛かろうという頃だ。真面目そうな顔をして、そういうお遊びもしたくなるのかな。

 まひろは、こう彰子に打ち明けた。

まひろ(藤式部):私はかつて・・・男だったら政に携わりたいと思っておりました。されど、今はそう思いませぬ。人の上に立つ者は、限りなく辛く寂しいと思いますので。

 これは、前回の道長の姿を目の当たりにして感じたことなんだろうね。心境の変化。一途に取り組めば取り組むほど、つらく寂しくなる。人の世の常に反するから理解されないからね、実資のように公平に物事を見ようとしている人にさえ。

 このドラマではそういう方向性で描いてきた道長の心境が、次回の「望月の夜」ではどう表現されるのだろうか。楽しみだ。道長が見ていたのとちょうど同じような月が、昨日の11/16の夜は現代の私たちでも見られるとニュースで見た。満月ではなく、実は少し欠けていたんだね。そんな夜の翌日にわざわざぶつけてきたか・・・NHKも力が入っている回になりそうだ。

(ほぼ敬称略)

【光る君へ】#42 道長は、やはりのんびりな三郎のままズタボロになっていた。まひろと道長、互いへの誓いが生きる源

最近アクセス数が増えていたのは、伊周

 NHK大河ドラマ「光る君へ」第42回「川辺の誓い」が11/3に放送された。ラスト2カ月に突入だ。今回も、中年以降の生きる意味を見出すのが難しい世代の悩みをうまくすくい上げたような、心に深く響く素晴らしい回だった。

 いや、中年以降に限らないかな。若い人たちも、小学生でも、生きる意味について悩む場合もあるもんね。まひろ&道長のように、相手が生きていてくれるだけで自分も生きていけるという、深い絆が持てる人に出会える人生は幸福だ。

 ところで、このブログでこれまで最もアクセス数が多かったのは、過去の大河ドラマ「黄金の日日」で石川五右衛門を演じた故・根津甚八を私の中でのベスト五右衛門だと絶賛した回だったのだが、最近になってその傾向が変化した。

 ここのところアクセス数を稼いでいたのは、なんと伊周が呪詛をしまくっていた回について書いたものだった。検索された言葉を見ると、彼が唱えていた呪文を探してここに来た方たちがどうやら多いみたいなのだ。

 このドラマでは、伊周は人生を自ら持ち崩していった感がある。明子が兼家パパに呪詛を仕掛けた時も、流産した。ま、ドラマだからと言えばそうなんだけどね。人それぞれご事情はあるだろうけれど、ご自身の幸せのためには隆家をお手本に、なるべく呪詛からは離れた方が良いと思うんだけど・・・まさかまさかだけどね。

覇権争いに巻き込まれ、道長三男が出家した影響は

 では、今回のあらすじを公式サイトから引用する。

(42)川辺の誓い

初回放送日:2024年11月3日

宮中で、道長(柄本佑)と三条天皇(木村達成)が覇権争い。道長は娘・妍子(倉沢杏菜)を三条天皇の中宮にするも、三条天皇は長年付き添った東宮妃・すけ子(朝倉あき)を皇后にすると宣言。そこで道長は権力を誇示するため、ある計画を立てる。しかし体調に異変が…。一方、まひろ(吉高由里子)は里帰り中に、娘の賢子(南沙良)がケガをした双寿丸(伊藤健太郎)を連れているところに出くわし…((42)川辺の誓い - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK

 前回終わり、明子が道長に食って掛かった大事件。出家してしまった明子腹の三男・顕信について「あなたがあの子を殺したのよ!」と明子が訴えた。出家の重みが、現在の一般人とは全然違うのだな、死と同等なのかと思い知らされる。

 前回も少し書いたが、そう思うと道長の一帝二后の策も致し方なかった。つまり、出家しながら一条帝の后で子どもを儲け続けた定子は、ゾンビが后の座にあるような感覚で見られていた訳でしょう?だったら、道長が権力奪取のために横車を押したとも言えないよね。

 当時の人たちにとっては、ゾンビ定子の存在は恐怖だっただろうね。もしかしたら、だから定子の子・敦康親王は「皇后の産んだ第一皇子」であるにも関わらず、立太子できなかったことを世間が受け入れたのかもしれないよね。

 脱線した。顕信の話に戻ると、倫子様腹の五男・教通を側近にと望まれて、道長は三条帝に家庭に手を突っ込まれ揺さぶられたと前回書いたが、その影響はさざ波程度。道長は収めることができた。

 それで、倫子様の土御門殿ではダメだ、道長を揺さぶるなら明子の高松殿の方だと三条帝は読んだのかもしれないね。

 蔵人頭というエサの効果は、土御門に比べて高松ばかりが不遇を耐えてきたと信じる明子と顕信にはてきめん。三条帝に息子が取り込まれることを恐れた道長が断ったことで、顕信は突然の出家、「顕信を返せ!返せ!返せ!」という明子の絶叫&気絶は、実は心優しい三郎の道長のメンタルに深々と突き刺さっただろう。

 道長は動揺を隠せなかった。明子腹次男・頼宗が倒れた明子を見て駆け寄ってきた時、「何があったのでございますか」と聞いても言葉にならず見返すのみで、ただ明子の頬をなでていた。

 それほど、極上のエサだったんだなあ蔵人頭は・・・明子も表面的には、道長はちゃんと将来を考えてくれていると、道長にも聞こえるように息子たちにずっと言い聞かせてきていたが、そのポーズは完全に崩れ、仮面が外れた。道長も、もう明子との間の信頼など木っ端みじんだろう。

 高松系の子どもたちには皆、動揺が走ったことだろう。土御門系の子たちも息を飲んでいるようだった。ただ、彼らはやっぱり高松系の悩みは共有できないようだ。

頼通(土御門系長男):顕信が出家いたしました。

中宮彰子(土御門系長女):なんと・・・そのような様子は全く無かったではないか。

頼通:それが、昨日にわかに。

彰子:何があったのだ?(まひろ、お側に仕え話を聞く)

頼通:帝より父上に顕信を蔵人頭にしたいとの仰せがあったのでございますが、それを・・・父上が固辞なされたそうでございます。

教通(土御門系五男):無念な気持ちは分かりますが、蔵人頭になれなかったからといって現世を捨てるのはやり過ぎでしょう。

頼通:父上も、傷ついておられます。

まひろ:(そっと彰子を見て、道長を憂えるように瞳が動く)

 落胆した明子を慰めたのは、兄の俊賢だった。

源俊賢:顕信は、残念な事であった。されど、内裏の力争いから逃れ、心穏やかになったやもしれぬ。

明子:(横になったまま)比叡山は寒いでしょう・・・身一つで行ったゆえ、こ、凍えてはおらぬであろうか。兄上。暖かい衣を、たくさん・・・たくさん届けてやってくださいませ。(涙がにじむ)

 この後、土御門殿で顕信のためにフカフカの暖かい綿入れらしき物(ダウンにも見える)を道長が唐櫃に整え、「明日、これらを比叡山に届けよ」と百舌彦らに命じていた。

 この時、道長はやつれていた。夕暮れの庭を見つめる様子もぼんやり。相当のダメージを食らったようだ。三条帝の作戦は大成功だった。

そしてまた揺さぶられた道長

 三条帝は、道長の土御門系次女の女御・妍子を中宮とし、長女の中宮彰子を皇太后とすると言って道長を喜ばせた。そうしておいて、娍子を皇后にすると告げた。「一帝二后をやってのけた左大臣だ。異存はあるまい」と三条帝は言うけどね、誰もゾンビじゃない訳だから一条帝の一帝二后とは話が違うと今になると思う。

 「恐れながら、近年では大納言の息女が皇后になった例はございませぬ」と、娍子の身分からできないと拒む道長に三条帝は、これを飲まないならもう妍子の下には渡らぬ、そうすると子はできぬと脅した。娘を人質に取られたようなもので、道長はお手上げだ。ナレーションも「道長は、三条天皇の術中に落ちた」と帝の勝利宣言だ。

 攻め込まれる一方の道長に、四納言が知恵を出す。娍子の皇后立后の日に、中宮妍子の内裏参入をぶつけろと俊賢。

 三条帝は立后の時刻をずらして対抗してきたが、多くの公卿たちは道長に遠慮して娍子立后の儀には参加せず。娍子が御簾の奥で静かに箸を進める姿が痛々しかった。

 きっと娍子は、この儀式も彼女自身のために耐えている訳じゃない。息子・敦明親王を皇太子とするには母の身分を皇后に上げなければならないと理解して、逆風を耐えているのだろうね。

 三条帝も、娍子を愛しているとしてもそれだけではなくて、敦明親王によって冷泉系の皇統を継がせたいから、娍子を皇后にしたいと思っているのでは。必死だね、三条帝も。

 儀式を務める「上卿」を急遽、黒光る君・実資が頼まれて「天に二日無し、土に二主無し」と言ったセリフは、ドラマ公式サイト(ちなみに日記には… 大河ドラマ「光る君へ」第42回より - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK)によると、実資の日記「小右記」長和元年(1012年)4月27日にちゃんと書いてあった。

 俊賢が進言した策を飲んで三条帝に勝利を収めた形の道長は、やっぱりこういう駆け引きはやりたくないんだろうな。無理してる。「何だよ、晴れの日に浮かない顔して」と斉信に指摘されていたもんね。行成は、その道長の気分に気づいてそうだった。

 その後、現実逃避なのか、次女の中宮妍子は兄弟たちと宴三昧。それを理由に三条帝はお渡りが無い。その催促に行った時、道長はまた三条帝からつぶてを食らった。

三条帝:そういえば、比叡山では僧どもに石を投げられたそうだな。

道長:ああ・・・は。息子の受戒に参列しようとしたら、馬に乗ったまま山に入ったことに腹を立てられまして。

三条帝:(扇で顔を隠し、声をひそめて)石が飛んできただけでも祟りがあるらしい。しっかりと祓ってもらうが良い。

道長:はっ。(頭を下げた顔から笑みが消える)

 出家も死と同等と捉えるなど、当時の人々への宗教のインパクトは大きい。なんでも、道長は臆病だったとか(をしへて! 倉本一宏さん ~病に倒れた藤原道長と噂の5人 - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK)。それで「石が飛んできただけで祟りがある」なんて言われちゃあね、メンタルをやられる。

 この倉本さんのコラムを読むと、俊賢の策を採用したことで妨害工作を道長がしたとなり、道長は反対勢力から怖がらせるような嫌がらせを受けていたのだそうだ。三条帝の言葉も嫌がらせの一環だろう。陰湿な争いだ。

源氏物語はもう役に立たぬ?!

 道長は、三郎らしく気づいてないようだったが、ずいぶんと酷いことをまひろに言った。中宮妍子に三条帝のお渡りが無い、それをまひろに相談した時のことだ。道長はパーティー妍子を心配した皇太后彰子に呼ばれて枇杷殿に来ていた。

道長:実は・・・中宮妍子様のもとに帝がお渡りにならぬのだ。先の帝と彰子様の間には「源氏の物語」があった。されど、今の帝と妍子様には何もない。「源氏の物語」も、もはや役には立たぬのだ。(まひろ、目をしばたたかせ、眉を上げる)何とかならぬであろうか。

まひろ:う~ん・・・私にはどうすることもできませぬ。

道長:それだけの物を書けるお前だ。何か・・・知恵はあるだろう。

まひろ:・・・物語は人の心を映しますが、人は物語のようにはいきませぬ。

道長:つまらぬことを言った。(立ち上がり、去る)

まひろ:(道長を目で追う。筆を構え直し、書き始める)「もの思ふと 過ぐる月日も 知らぬ間に 年も我が世も 今日や尽きぬる」(書き終えて、満足気な顔) 

 光源氏の辞世のような句。この後の夜更けの縁でのシーンで、まひろが物思いをしつつ、それを訳してくれている。「物思いばかりして、月日が過ぎたことも知らぬ間に、この年もわが生涯も今日で尽きるのか・・・」と、まひろ自身が思ったところで、月が雲に隠れた。

 「源氏の物語」はもう役に立たないだと?前回も道長は「まだ書いておるのか」と口にして「ずいぶんな仰り方」とまひろに怒られていたのに。本心からそんなことを道長に言われたら、彼のリクエストで1000年も残るようなあのような大作を生み出した、まひろの立つ瀬がない。源氏物語はまひろ渾身の作。なのに、まひろは、自分自身が彼に役立たずと言われたような気分にもなっただろうね。モチベーションも何もあったものじゃない。

 源氏物語の進行では、光源氏が終焉を迎えるところまできていた。作者としても、紫の上を亡くした光源氏のメランコリックな気分を書いていた訳だから、それどっぷりのはず。そこに道長発言だもの・・・なんとデリカシーの無い・・・三郎なんだよな、ボーっとした三郎!編集者としたら作者のやる気を砕くなんざ最低だ。

 まひろ、道長にもう役立たずと言われたら身の置き所が無く、無力感で一杯になるだろうな。私の人生なんだったのよ、ぐらいには思うだろう。

 この頃にはもう道長は倒れているが、まひろは知らない。父を見舞った後の皇太后彰子の文「いつまで里におるのだ。早く帰って参れ」も、まひろには響かない。文は仕舞い込み、「やることないから」と言って掃除なんかしている。文机の上も、紙も筆も無くきれいさっぱりだ。

 「母上はもう書かないのですか?」「物心ついた時から母上はいつも私のことなぞほっぽらかして何かを書いていたわ。書かない母上は母上でないみたい」と心配する賢子。まひろは「源氏の物語は終わったの」「このまま出家しようかしら。あなたには好きな人もいるし、心配することないもの」と笑うのだ。で、夜中に琵琶なんか弾いちゃって。まひろも、相当傷ついている。

道長が病み、百舌彦が来た。そして宇治の逢瀬

 まひろの局を通りかかった道長は、まひろがおらず、文机の上に「雲隠」の文字を見たところで頭痛に襲われたようだった。こめかみを押さえていたけど、三叉神経痛か?激痛だよね・・・まひろの雲隠れを知って発症するところが、どれだけ道長がまひろを頼っているかが分かる場面だった。

 そこから道長は重く病んだ。平安のおパンツ・烏帽子が取れても気にするどころじゃなく、これは重症だ(バロメーターが烏帽子💦)。倫子様は、道長の額の汗を一心に拭っていたし、左大臣としての辞表は2度も帝に出されたし、皇太后彰子も見舞いに訪れた。(ここで「私のせいやもしれませぬ」と自虐に走るのがまた彰子ちゃんっぽいね。)

 そして・・・意識を取り戻して宇治の別邸で静養中も、道長は百舌彦が差し出す薬湯を飲む気も無い。青白い生気のない道長を見て、まひろの下に、べそをかきそうな顔でやって来たのが百舌彦だった。

百舌彦:ご機嫌よろしゅう。にわかに参じましたことお許しを。(頭を下げる)

まひろ:どうしたの?

百舌彦:実は、殿様のお加減がおよろしくなく・・・(泣きそうな百舌彦。乙丸が心配そうに百舌彦とまひろを見る。言葉を失うまひろ)

 そう聞いて、まひろは宇治に飛んできた。「私の人生なんだったのよ」なんてことも、頭から吹き飛んだことだろう。

(百舌彦に案内されたまひろ、宇治の別邸の道長の下へ。縁の陽だまりに、だらりと座った道長を発見。泣きべそでまひろに一礼し、下がる百舌彦。縁に近づくまひろ、涙が流れる。痩せた体を柱に預け、首を垂らして眠っている道長。鼻をすすり、傍に腰を下ろすまひろ。涙を拭い、気持ちを整える。)

まひろ:道長様。

道長:(微かに目を開け、顔を上げる。ほほ笑むまひろの出現に驚いて、照れ臭そうに笑う)

まひろ:(きょろきょろと周囲に目をやり)宇治は、良いところでございますね。

道長:川風が心地よい。

まひろ:川辺を二人で歩きとうございます。

 えええ?道長は重病人じゃ・・・割と落ち着いたのか、宇治に移れるぐらいだもんね。でもね、まひろ病人相手に無茶言うなあ。弱り切ったら、歩くのだって大変なのに。

(澄んだ空の下、杖を突く道長。側にまひろ。野花の揺れる川辺に立ち、水面を眺めるふたり)

道長:早めに終わってしまった方が楽だという、お前の言葉が分かった。

まひろ:今は死ねぬと仰せでしたのに。

道長:誰のことも信じられぬ。己のことも。

まひろ:もう、よろしいのです。私との約束はお忘れくださいませ。

道長:お前との約束を忘れれば、俺の命は終わる。それで帝も皆も喜べば、それでも良いが。

まひろ:ならば、私も一緒に参ります。

道長:戯れを申すな。

まひろ:私も、もう終えても良いと思っておりました。物語も終わりましたし(振り返ってまひろを見る道長)、皇太后様も強くたくましくなられました。この世に私の役目はもうありませぬ。(まひろを見ている道長)フフ・・・この川で、2人流されてみません?

道長:・・・お前は・・・俺より先に死んではならぬ。(くぐもった声。まひろと見つめ合い、川面に目を戻す)死ぬな。

まひろ:(明るい声から一転)ならば、道長様も生きてくださいませ。(道長、振り返る)道長様が生きておられれば、私も生きられます。(道長、むせび泣く。道長の震える背中を見つめるまひろ)

 まひろとの約束が、道長をきつく縛ってきたのかもしれないね。けれど、約束が彼を無理くり生かしてもきたんだな。道長(ボーっとした三郎)は性に合わない政の世界で、三条帝との覇権争いに心身ともにすり減って、クタクタだったのだろう。怪文書も結構響いていたんだね、誰も信じられないって。それが良く分かった。

 道長は、ホワイトもホワイトだった。なんとまひろに一途なこと!まひろが来たと分かった時も、女神まひろを見るような驚き方、照れ方だったもんね。

 その人に「一緒に流されてみません?(浮舟じゃん・・・ここで着想した?)」と言われても、まだ俺の女神に死なれたら困ると思うということは、まだ道長には生きたい気持ちがあるのでは?それで「お前は俺より先に死ぬな」という平安の「関白宣言」(byさだまさし)が出てきたか。

 まひろは切り返す。だったら道長様も生きて、私も生きられるから、と。一緒に生きていこうって事だ。誰も信じられなくとも嫌われても、この世の役目を終えたとしても、この人とだけは共に生きていく。まひろと道長、互いへの誓いが生きる源だ。涙涙だ。

 この2人、最近は恋愛感情や互いへの気持ちは吹っ飛んで、ビジネスパートナーのつながりだけみたいだったから・・・全てが吹っ切れて、ここまでの心のつながりが復活したようで、嬉しい。倫子様ゴメン。

 まひろは、それこそ生きる気力を失うぐらいの酷いことを道長に言われてダメージを受けていたのにね。違うかもしれないけれど、病を得て出家を望んでいた紫の上が、光源氏の嘆き方を見て「自分はいいわ」と自分だけのあの世での往生を諦め、光源氏に手を差し伸べる感じが似てるかなと思ったりした。

 まひろは宇治の川風に吹かれ、道長と共に生きる絆を確認できたことで書く気が起きた。それでこそ作家まひろ。まっさらな紙に向かい、言わずと知れた宇治十帖が生み出されていく。

まひろの書く物語:「光る君がお隠れになった後、あの光り輝くお姿を受け継ぎなさることのできる方は、たくさんのご子孫の中にもいらっしゃらないのでした」

 「匂宮」か、ドラマとしてうまい持って行き方じゃない?ジーンとした。あの「枕草子」が生み出されていく感動的シーンには及ばないけれど。

 道長も生きる気力を取り戻し、政界に戻るのだろう。三叉神経痛なら、風で冷えるとビリビリと痛みが戻ってくるから、よくよく温めてね。三条帝との戦いも終盤だ。

(ほぼ敬称略)

【光る君へ】#41 道長へのまひろの信頼も揺らいだか。彰子はゴッドマザーの片鱗を見せ始める

あと2カ月、完走するだけ

 NHK大河ドラマ「光る君へ」第41回「揺らぎ」が10/27に放送された。衆院選投開票日とあって、NHK総合での放送は定時の午後8時から早まった。そのせいで番組の視聴率は揺らいだかもしれないね・・・でも、こっちは全然関係ない。残すところ2カ月のドラマを、固唾を飲んでどう着地していくのか見届けるだけだ。

 前回から、すっかり「ああ、良かったな~今年の大河ドラマは」的な噛みしめる気分に浸り始めているのが、我ながらおかしい。放送発表の日から、源氏大河を本当に楽しみにしていたもんね。期待にたがわず、紫式部を取り巻く源氏物語を生んだ平安世界のドラマを、豪華絢爛な美術や衣装と共にここまで堪能させていただきました。ありがとう!

 こうやって、楽しみにしていた大河ドラマを視聴者として完走できることは、とても幸福なことだ。亡父は「真田丸」を楽しみにしていたけれど完走は叶わなかった。2016年は忘れられない。きっと最高に面白かった「鎌倉殿の13人」も見たかっただろう。

 10/30が故人の誕生日だったのでそんなことを考えてしまったが、私のラスト大河は何になるのだろう。それまでは、是非とも大河ドラマをNHKは継続していてほしい。

道長の権力の揺らぎ

 さて、公式サイトからあらすじを引用する。

(41)揺らぎ

初回放送日:2024年10月27日

即位した三条天皇(木村達成)と道長(柄本佑)の間では、早くも水面下で覇権争いが始まろうとしていた。道長の息子たちの序列争いも表面化し…。その頃、まひろ(吉高由里子)は天皇を失った悲しみに暮れる彰子(見上愛)を慰め、和歌の会を催すことに。すると、招かれていないききょう(ファーストサマーウイカ)が現れる。さらにまひろの実家では、娘の賢子(南沙良)と若武者・双寿丸(伊藤健太郎)が仲を深めはじめ…((41)揺らぎ - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK

 融和的で道長に丸め込まれてきた一条帝に代わって、自らが政をしたいイケイケドンドンの三条天皇が登場したことで政情も変化。三条帝に焦る気持ちがあっても仕方ないよね、25年も皇太子の地位にあって、結構なお年なんだから(当時の30代は)。

 ただ、一条帝の四十九日の日(8/11)に内裏に入るのだって、本当なら待てば良いのに・・・後日、一条帝を蔑ろにするから短い在位に終わったんだぞって巷で言われたんじゃないのかな。

 道長にとっては厄介だ。左大臣としてトップに立ってきた身には、これまでの一条帝時代のやり方が嫌われるんじゃ。三条帝に揺さぶられ道長の権力が揺らぐという意味が、主には今回のサブタイトル「揺らぎ」には込められているのだろう。

 何しろ意味深に見えてしまうのが、三条帝が側近に選んだのが道長の兄(道綱)、道長の甥(隆家)、道長の子(教通)だということ。蔵人頭は通任、藤原済時の子で寵姫である娍子の弟らしい。

 道綱の場合は、これまで三条帝の東宮時代に東宮大夫だったらしいから分かる。隆家も、中の関白家の当主だから。そこに、倫子様次男の教通が選ばれ、公の政の話なのに、道長は家庭に手を突っ込まれた形になった。兄弟でザワザワ、道長も困ったことだろう。

 と言ってもね、実のところ三条帝自身が道長の甥で、道綱は道長同様三条帝の叔父であり、隆家は従弟、教通も従弟だ。単に三条帝は、頼りたい身内を側近に選んだだけとも言える。

 個人的には、行成が「敦康様が二度と内裏に上がれぬようにいたせ」と道長に命じられて反論したのが、道長には結構気持ちが揺らぐことだったのではないかと思った。

  • 前の帝の第一の皇子であらせられます。そのようなことはできませぬ。
  • 恐れながら、左大臣様は敦康様から多くのことを奪い過ぎでございます。敦康様がお気の毒でございます。
  • 左大臣様がおかしくおわします。

 3つ目は、ここまで言ったかと、おお!と思った。道長は「お前は私に説教するのか?」と乾いた言葉を行成に返したが、去る行成を目で追っていたね。これまで窮地で助けてくれたのはいつも行成、前回もそうだったのに。

 公任が三条帝からの取り込み→道長チームの四納言空中分解を警戒していたが、行成もこういったタイミングを突かれて、思わぬ勢力に取り込まれたり揺さぶられたり振り回されたりしなければいいね。でも、行成は一条帝のお気に入りだった。三条帝には目を付けられないか。

 これからの終盤は三条天皇との綱引きの展開だね・・・ずっとホワイト道長で輝いていられるのだろうか。

まひろ周辺の揺らぎ・仕事編

 まひろの場合は、伊周菌にすっかり侵されてしまったききょう(清少納言)が、秋の藤壺で穏やかに歌の会をしていた彰子の下にカチコんできたことで、彰子周辺がかなり揺らいだ。あの後、女房総出で塩でもたっぷり撒いたのだろうか。当時はそういう時、誰がお祓いしたのかな。陰陽師か神主か、はたまたお坊さんか。

宮の宣旨:清少納言が参りましたが、いかがいたしましょう。

頼通:今日は内内の会ゆえ、日を改めさせよ。

彰子:よいではないか。通せ。「枕草子」の書き手に、私も会ってみたい。(目を白黒させるまひろ、嫌な予感がしたのか。脇に控え通り道を作る女房達。箱を捧げききょうが来る。彰子は喪服だが、藤壺の女房衆はあでやかな衣装。ききょうは鈍色の喪服。まひろをちらりと見て、御簾の前に控える)

ききょう(清少納言):お楽しみの最中にとんだお邪魔をいたします。敦康親王様から中宮様へお届け物がございまして、参上いたしました。

彰子:(屈託のない笑顔で)そなたが、かの清少納言か。

ききょう:お初にお目にかかります。亡き皇后定子様の女房清少納言にございます。

宮の宣旨:お届け物とは?

ききょう:(箱を彰子の方向に向け直して)椿餅にございます。亡き院も、皇后様もお好きであられました。敦康様も近頃この椿餅がお気に召して、中宮様にお届けしたいと仰せになられまして。

彰子:(笑顔で)敦康様はお健やかか?

ききょう:(キッと顔を上げて)もう敦康様のことは過ぎたことにおなりなのでございますね。このようにお楽しそうにお過ごしなこととは思いも寄らぬことでございました。(全員気まずい雰囲気。そっとききょうを見るまひろ)

赤染衛門:(思案顔から)私たちは歌の披露をしておりましたの。あなたも優れた歌詠み。一首お詠みいただけませんか?

ききょう:(赤染衛門を睨んで)ここは、私が歌を詠みたくなるような場ではございませぬ!(彰子、沈鬱な顔。ききょう、御簾に向き直って)ご安心くださいませ。敦康親王様には脩子内親王様と私もついております。たとえお忘れになられても大丈夫でございます。失礼いたします。(まひろを一瞥、ツンと出ていく。御簾の奥でこらえている彰子)

 ききょう大暴れ。「とんだお邪魔」は有言実行だった。しかし、お健やかかと問うのがなぜに過ぎたこととか忘れたことになるんだ・・・ひねくれてる。伊周菌恐るべし。

 そんなききょうを言わせっぱなしで誰も咎めないのだなあ、と溜息・・・でも、赤染衛門は声を掛けた。行成と清少納言は、身内が立派な歌詠みだったから歌は嫌いじゃなかったか。もしかして赤染衛門は歌を詠むように皮肉を言って「歌なんて嫌!」とききょうが早々に尻尾を巻いて退散することを狙ったか。で、返り討ちに遭ったのか。

 ドラマではこれぐらいやらないと、紫式部日記に後世も残るような悪口はまひろも書けないね。ということで、局に戻ったまひろは「清少納言は、得意げな顔をした酷い方になってしまった」としたためた。

 そういえば、ききょうが持参した椿餅。源氏物語のどこかで食べられてたなと食いしん坊の私は思った。調べたら34帖「若菜上」だった(椿餅の特徴・歴史・味 - 和菓子の季節.com)。光源氏の苦悩の晩年が始まる巻だ。光源氏と道長と、なんとなく行方がリンクされているんだね。

 ききょうの暴言に、御簾内で鼻の頭を赤く染めて堪えていた彰子は、さらに返礼の手紙を受けてやってきた敦康親王が御簾を捲り上げて御簾内に入ってくるという、当時で言ったら女風呂に中学生男子が入ってきちゃったぐらいの事態なのだそうだけれど、騒ぎ立てずニッコリ応対した。自分としては息子と思って長年慈しんできたんだもんね、親王の彰子の顔が見たいという気持ちも分かる気がしただろう。それは行成もそうだった。

 それに関して心配し過ぎという体で敦康排除を強めようとする道長の意志を感じ、彰子は自分なりに対抗しようと考える。「この先も父上の意のままになりとうはない」との宣言、成長してるよね。

 まひろが賢子の下に来ていた双寿丸の話をヒントに、「仲間づくり」を進言。「中宮様には弟君は大勢おられましょう。皆で手を結べばできないこともできます。中宮様がお一人で不安になられることも無くなりましょう」という言葉を受け、弟たちを呼び、父・道長に対抗するチームを作った。側近く仕えるまひろも胸アツだったことだろう。

頼通:どうなされたのですか?姉上。

彰子:私は早くに入内したゆえ、そなたらとは縁が薄い。それも寂しいと、この頃つくづく思うようになったゆえ、こうして声を掛けた。皆、よく集まってくれた。礼を言います。(まひろ、端近に侍る)

ナレーション:彰子はこの日、腹違いの弟たちも藤壺に呼んでいた。

頼宗:我らもお招きいただき、ありがたき幸せにございます。(後方を示して)弟の顕信にございます。(顕信、頭を下げる)

彰子:よう来てくれた。

教通:そういえば小さい頃、姉上とお話した覚えがありませぬ。

彰子:私は口数の少ない子だったゆえ。でも、教通のことはよく覚えておる。かけくらべの好きな子であった。

教通:母上が喜ぶので、そういうことにしておいただけでございます。

彰子:そなたらが困った時は私もできる限りのことをするゆえ、東宮の行く末のために皆の力を貸してほしい。

頼通:もちろんでございますよ、姉上。

彰子:我らは父上の子であるが、父上をお諫め出来るのは我らしかおらぬとも思う。父上のより良き政のためにも、我らが手を携えていく事が大切だ。

弟たち4人:はい。

 ナレーションによると、この後、彰子は枇杷殿という場所に移り、藤壺には三条天皇の女御となった妹の妍子が入った。藤壺を去る挨拶としても、彰子はご立派な事だ。息子の東宮の行く末を弟たちに頼むのはまあ、常道。その後に「父上をお諫め出来るのは我らしかおらぬ」と。道長も驚くだろう成長ぶりの彰子様なのだった。道長の目には、まだまだ守る一方の対象と見えているみたいだから。

 教通の爆弾発言をスルーしたのは、笑うところなのにかわいそうじゃないのとは思ったけどね。教通はこういう目端の利くキャラなんだな。

 彰子に引き換え新女御の妍子・・・自由だよなあ。敦明親王が「風下から音を立てずに近寄って・・・一気に仕留める!」と狩りの話をしている時に、実際にそれを親王相手にやってみて「すき💕」と仕留めにかかったのには大笑いした。

 さらに、そこに母の娍子が「そこまで!」と剣道の審判のように割って入ってきたのも面白かった。声が通るなー。さすがに、立太子が懸かる息子にとって、これ(父の天皇の后にもなろうという女御にちょっかいを出したと見なされる)がどんなにか命取りになるか、事の重大さが分かっている。「我が息子が無礼を働きましてお許しくださいませ」「どうか、このことは帝には仰せになりませぬよう伏してお願い申し上げます」と、女御としては同じでも、下手に出て事を納めようと必死だ。

 それなのに・・・敦明親王は母の懸念に考えが及ばない様子なのは残念。頭の回転はあまりよくなさそうだ。妍子に迫られてデレデレしていて得意なのは学問よりも狩りとくれば、実は妍子とはぴったりなカップルだったのかも。

 三条帝が娍子を妍子と共に女御としたいと望んだことで道長に文句をつけられていたが、実は三条帝の母(道長姉の超子)が女御になったのも、リアルで前代未聞のことだったらしい。

 ウィキペディア先生によると「超子の入内時、父兼家はまだ蔵人頭であり、これが公卿ではない人物の娘が女御宣下を受けた初例となった[1]」とある。(藤原超子 - Wikipedia

 娍子の父・藤原済時は没する時に大納言だったとか。正二位で公卿ではあった訳だ。姉の例を考えれば道長も文句を言いにくそうだけど、「娍子様は亡き大納言の娘にすぎず、無位で後ろ盾も無いゆえ、女御となさることはできませぬ。先例もございません」なんて言ってたね。自分の姉のことは?

まひろと道長の仲は揺らいだのか

 ききょうの悪口を書いたのち、まひろは薄雲のかかった半分欠けた月を見上げた。道長も同じ月を見ていたが、雲に覆われて月が消えた。どういうことか。道長は、まひろと語らった理想の政の姿を見失ってホワイト道長から転落するのだろうか。

 それより前、三条帝が即位した後に、道長はまひろの局にやって来た。その時の会話が「ムムム、道長、お主は黒くなったのか」と少し思わせた。まひろは疑念を持ったんじゃないのか?

 三条帝は道長に関白就任を打診➡道長が、それでは陣定に出られなくなり参議らの議論の掌握にも不都合があるとの内心の判断で断った➡三条帝に借りを作った形になり➡引き換えに女御に娍子もと望まれて➡道長が認めざるを得なかった後のことだった。

 「関白のことは分かったゆえ、娍子のことは断るでない」と三条帝は押し切り、即位早々、いきなり駆け引きスタートだった。

まひろ(藤式部):(局で文机に向かって書いている。道長が廊下に姿を見せ、筆を止めて見上げる)

道長:まだ書いておるのか。

まひろ:ずいぶんな仰り方ではありませんの。書けと仰せになったのは道長様でございますよ。

道長:すまぬ。(腰を下ろす)あっ、光る君と紫の上はどうなるのだ?

まひろ:(筆を置く)紫の上は死にました。

道長:え?

まひろ:誰も彼もいずれは黄泉路へ旅立つと思えば、早めに終わってしまった方が楽だと思うこともございます(投げやり)。道長様はそういうことはございません?

道長:今はまだ死ねぬ。

まひろ:・・・(声音が低くなる)道理を飛び越えて敦成様を東宮に立てられたのは、なぜでございますか?(背を向けて座っていた道長、振り返る)より強い力をお持ちになろうとされたのは・・・。

道長:(まひろを見て)お前との約束を果たすためだ。(庭に目を戻す)やり方が強引だったことは承知しておる。されど俺は常に、お前との約束を胸に生きてきた。今もそうだ。(まひろ、無言)そのことは、お前にだけは伝わっておると思っておる。(まひろを見つめるが、まひろは無言のまま。道長、膝を叩く)これからも中宮様を支えてやってくれ。(立ち上がり、去って行く。目を泳がせ、そっと息を吐くまひろ)

 まひろの心情を説明するセリフはない。でも、若い頃のように、まっすぐに道長の言葉を信頼できず、考えあぐねているかのようだ。

 道長が言葉のままに、まひろとの約束を胸に政務に邁進しているのだとしたら、まひろにまで道長を疑う気持ちが芽生えているなんて、道長は何て孤独で気の毒なんだろう、政治家はいつも孤独というけれど、と思う。

 ただ、まひろが無言でいたように、道長の言葉がうら寂しくも聞こえるのだ。年月が経っても、文言は同じなのにねえ。現在は圧倒的な権力の座にあるから、こちらは疑念を抱いてしまうのだ。

 でも、頼通に言っていた通り、権力を掌握し帝を御しやすい孫にしようと望むのも、民のためであって一族のためではないのだとドラマのホワイト道長を信じたい。まひろも、どうか道長を信じてやってよ。

まひろ周辺の揺らぎ・家庭編

 いとの仏頂面全開がとても面白いのだけれど、昔のまひろそっくりの賢子が乙丸を連れて街歩き(まるでデジャブだよね、乙丸は老いたけど)、双寿丸と出会った。前回、「襲われた姫を助ける若武者」という、テンプレートな出会いだった。

 直秀を思い出すよね。ということは・・・悲劇の死が待っているのかな。刀伊の入寇で華々しく散るのかなあ。

 平安時代は街歩きなんて考えられないくらい危険だったと聞くが、とかく若者ご本人というのは、ティーンブレインもあって自分の置かれた状況の危険性に気づきにくいとか。そもそも、越後守の御孫の姫だと、いとが威張るくらいなら、あんな風に出歩くことがまずおかしいらしいから。

 けれど、まひろの代からこの家のスタンダードは貴族の家としておかしくなってるものだから、いとも正面切っては賢子には言いにくい。当然の帰結として、賢子がああいう目にも遭う訳だ。

 乙丸が屈強なお供だったらまだしもなんだが(想像できない😅)「姫様に何をするー(1発でやられて気絶 or 倒れる)」が基本だもんなあ。そこが乙丸の良いところなんだけど。

 乙丸はちゃんと老けている。何歳の設定なんだろう。

 そうやって母娘伝来の街中ぶらぶら歩きが引き寄せた出会い。賢子の好意はあからさま、双寿丸も、ただ飯が食べられるというのが大きな魅力だろうけど、まんざらでもなさそうだ。

 そうだ、後半の双寿丸登場シーンでは、久しぶりに馬上の鎧姿の武者(平為賢)を見た。大河では良く見るシーンなのだが「光る君へ」では珍しい。

 宿下がりで居合わせた、まひろの態度が面白かった。すっかり昔の自分と道長(三郎)に重ね合わせていた。まひろ、親というより友人のよう。いとがいるから、親としての役割はいと任せでも良いのかな。

双寿丸:(いとの不機嫌を尻目に上がり込み、もりもり夕餉を食べる。箸を止めてほほえむ賢子)この家には書物がやたらといっぱいあるのだな。

賢子:(まひろと顔を見合わせ)読みたかったらいくらでも貸してあげるわよ。

双寿丸:俺は字が読めぬ。

賢子:え?

双寿丸:あっでも、自分の名前だけは書けるぞ。

まひろ:足で書くの?(箸を置き)そなたはそのような身なりをして字も書けないなぞと言っているけれど、実は高貴な生まれではない?

双寿丸:(皆言葉を失う)・・・母上、大丈夫かよ(賢子に)。

まひろ:ああ、失礼。今のはひとりごと。

賢子:双寿丸も、字は読めた方が良いわよ。私が教えてあげる。

双寿丸:要らぬ。俺は武者だ。

賢子:そうだけど、人の上に立つ武者になるなら・・・

双寿丸:要らぬ。俺は、字が読めぬ哀れな輩ではない。人には得手不得手がある。俺らは体を張って戦うのに向いている。字を書いたり読んだりするのは向いておらぬ。学問の得意な者らは俺らのようには戦えぬだろ?それゆえ武者であることに誇りを持てって、うちの殿様が言っていた。

まひろ:(賢子はニコニコしている)ふ~ん、そう。殿様のところで武術を学んでいるの?

双寿丸:ああ。一人で戦うのではなくみんなで戦うことを学ぶんだ。弓の得意な者は弓を引く。石投げが得意な者は、弓の射手が矢をつがえている間に石を投げる。弓と石で敵の先手を倒してから太刀で斬り込んでいくのだ。それぞれが得意な役割を担い力を合わせて戦えば、一人一人の力は弱くとも負けることはない。戦をやらずに済めばそれが一番良いけど、そうもいかないのが人の世だ・・・と、うちの殿様は言っていた。それに、仲間を作れば一人でいるより楽しいし、仲間のために強くなろうと思える。

まひろ:・・・と、殿様が言っていたの?

双寿丸:そうだ。

賢子:フフフ。

双寿丸:お前の母上、いちいち絡んでくるな。(笑うまひろと賢子)

 「足で書くの?」は視聴者以外、誰も理解しないよね。三郎との出会いを誰かに言ったことがあったかな?惟規は知ってるか?為時パパや、いとにはそんなことまでは言ってなさそうだ。

 まひろは惟規が逝き、一条帝もお隠れになって「心が持たない」からと宿下がりを許されたと最初は言っていた。けど、双寿丸が来る時はいつも自宅にいる様子。まひろが頻繁に宿下がりできるようになったところにも、彰子の独り立ちできたメンタルの成長を感じる。

賢子は「怒るのが嫌い」?

 賢子は、冒頭で「私は怒ることが嫌いなの」と言って、同じことを口にした少年時代の三郎(道長)を思い出させた。ああ、賢子はやっぱり道長の娘なんだなあと、まひろと視聴者に思わせたいのだろう。

 だが、まひろが「私にはよく怒っていたわよ」と返していたように、そうなんだよ・・・少女時代の賢子は、怒るのが嫌いどころかずーっと怒っていた。ふくれっ面の印象しかなく、子役が可哀そうだなと思ったくらいだった。

 だって、怒った挙句、火まで点けてまひろの原稿を全焼させるという性格の激しさだったからね。かなりの重罪だよ?それが、「怒るのが嫌い」「母上以外には怒っていません」なんて、どの口が言う?あまりにもキャラ変が過ぎやしないか。

 幼少期にあれだけの被害を出して、それ以来、放火した自分が怖くなって怒れなくなったならまだ理解もできるかな。「怒るのが嫌い」は、成長に従って後から出てきた性格って事なのか?

 幼少期の賢子の怒り=まひろへの甘え、ってことだったのだろうけど。だったら泣いて訴えそうだ。心理学者はどう見るのだろう。

道長パパは兼家パパの子

 今回の道長。策士兼家パパの振る舞いによく似ているな、と思える場面があった。三条帝が倫子様次男の教通を側近に選んだ時のことだ。

 教通に「帝のお側近くに上がる者が、なぜ兄上ではなく私なのでございましょう」と聞かれ、「名誉なことではないか。有難く務めよ」と言いながら、長男頼通の疑問「なぜ教通で、私ではないのでございましょう」には「帝に取り込まれなかったことをむしろ喜べ。お前が先頭に立つのは東宮様が帝になられる時だ」と言って頼通を驚かせた。兄弟それぞれによって巧みに言葉を変え、機嫌を取ろうとするところが、兼家パパのそれだ。

 そうだった、今回の終わり、道長には家庭での大きな揺らぎがあったよね!

顕信:父上。私は蔵人頭になりとうございました。

道長:焦るな。今は、帝に借りを作ってはならないのだ。

明子:殿は、顕信よりご自分が大事なのですね。(道長、溜息)参議への近道である蔵人頭への就任を父親が拒むとは。信じられませぬ。

道長:顕信のことは、ちゃんと考えておる。

明子:偽りを申されますな。出世争いにならぬようにと、殿は私の子にばかり損な役割を押し付けて参られました。どの口で顕信のことも考えておるなぞ仰せになるのでございますか。

顕信:私は、父上に道を阻まれたのですね。私は、いなくてもよい息子なのでございますね。

道長:そのようなことは・・・

明子:許しませぬ!帝との力争いにこの子を巻き込んだあなたを、私は決して許しませぬ!(道長唖然)

 道長の話を最初から聞かない人だった明子。倫子様次男の教通といい、いつも三条帝は道長の子弟の「弟」ばかりを自分の側近に引き立てようとし、家族をざわつかせるが、それにまんまと乗せられてしまったように見える明子と顕信だ。

 そして、顕信は突然出家。明子が「あなたが顕信を殺したのよ!」と道長につかみかかり、大爆発していた。出家によって現世を捨てたわけだから、当時としては死んだも同然だね。定子が出家している身なのに敦康親王と内親王2人を産んだのが、当時の人たちには異常な事と見えたのが改めて分かる。

 娍子の弟の通任を、半年前に蔵人頭にしたにもかかわらず、三条帝が参議に持ち上げようとし、その空席に顕信をどうだと言ってきたのが事の発端。道長は、三条帝に恩を売られるのを嫌い、その話を断った。

 そしたら、三条帝からの頭中将の出世コース話を道長が断ったと知って、事情も考えずに顕信は涙の出家。後々、明子腹の兄は大臣にもなっているんだから、弟だって待てば悪くなかったかもしれないのに・・・。

 焦りの余り、自分で自分の行く道を潰すというね。不安なままで居られないんだね、短絡的だよなぁ顕信も。いったい誰似なんだ(言わずもがなの明子か)。ドラマでは道長に「我々が公卿になる日はいつなのか」「いつまで待てばよろしいのですか」と迫り、同母兄頼宗に「控えよ」と制されるという、堪え性の無い人物としての描かれ方をした。そこを三条帝に突かれた。

 ただ、史実では彼、蔵人頭の話がある直前にちょっと悪口でやらかしちゃってたらしい。それが、しゃれにならない悪口というか呪詛絡みと聞いた。さすが明子の子!だ。(藤原顕信 - Wikipedia

 この波乱が、どう次回に繋がっていくのかな。予告で道長はひどく病んでいた様子。明子が呪詛発動で道長を病ませるのか、凄いパワーだ。

 今回は外の嵐のせいで集中し過ぎたのか、ちょっと長くなり過ぎちゃったかな。

(ほぼ敬称略)

【光る君へ】#40 彰子、道長に憤怒!美しき一条帝は崩御して父娘は亀裂、まひろは黙ってばかり

キャラがどんどん退場、どんどん寂しく

 NHK大河ドラマ「光る君へ」第40回「君を置きて」が10/20に放送された。聞くところによると、既に撮了したそうだ。主人公まひろ(藤式部=紫式部)を演じる吉高由里子が報告していた。

 ということは、撮了は一昨日の25日。先日、脚本家の大石静が脱稿したばかりとのことで脱力しつつも晴れやかな顔をテレビで見せていたが、それからずいぶんと撮了が早くない?こんなものなのだろうか。現場に手ぐすね引いて待たれていたかな。

 まだ10月末だけど、ここまで来たら駄作になりようも無いと思うので書いてしまうと、今年の大河ドラマも面白かった。毎週日曜が楽しみだった。源氏物語好きの癖に目を向けることのなかった紫式部の人生にフォーカスしたこのドラマは、こうきたか!と意外に思ったが、時の為政者藤原道長を運命の恋の相手に持ってくることで、政もきっちり描けて厚みのあるドラマになったと思う。

 さて、今回はサブタイトル「君を置きて」を見ただけで、うわ、とうとう一条帝が崩御か・・・と気が重くなった。あのお美しい帝がそろそろ死ななきゃならないのは分かっていたけれど、前回の伊周、惟規と言い、キャラがどんどん死に始めている。どんどん寂しくなっていく。

 では、公式サイトからあらすじを引用する。

(40)君を置きて

初回放送日:2024年10月20日

まひろ(吉高由里子)の書く物語が相変わらず宮中の話題になる中、一条天皇(塩野瑛久)が体調を崩し、不穏な空気が漂い始める。中宮・彰子(見上愛)の前では、気丈に振る舞う天皇だったが、道長(柄本佑)の元に、占いによる不吉な予兆が報告されたことで、次期皇位を巡る公卿たちの動きが加速する。まひろが天皇の容態を心配する彰子に付き添っていると、道長がやってくる。そこで彰子は道長に対して感情を露わにして…((40)君を置きて - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK

 ということで、もう寛弘八年(1011年)だ。冒頭、花吹雪が舞い、藤棚の藤が満開に見える。宰相の君が読み上げていた冊子には源氏物語第33帖の「藤裏葉」と書いてあった。明るいパートの大団円、光源氏も幸福の絶頂だよね。

 その場で、敦康親王はあまりにもストレートな恋のまなざしを中宮彰子に向け、「光源氏を気取る親王と娘彰子の間に何かあったら大変!」と気が気じゃない道長パパにビシッと言われた。道長の、親王への冷たさを感じさせた。

敦康親王:藤式部。藤壺は光る君を真はどう思っておったのであろうか。

藤原頼通:藤壺は、真は困っていたのではありますまいか?とかく光る君は強引すぎますゆえ。

敦康親王:藤式部、教えておくれ。(困ったような顔で無言の藤式部・まひろ)

中宮彰子:私もあれこれ聞くのですけれど、藤式部は教えてくれないのですよ敦康様。

敦康親王:それなら、藤壺は光る君のことを愛おしんでいたと思うことにします。(彰子を熱く見る。彰子、目を逸らす)

藤原道長:たとえ藤壺の思いを得たとしても、光る君は幸せにはなれなかったと思いますが。不実の罪は必ず己に返って参りますゆえ。(驚いたように道長を見るまひろ)

一条帝:左大臣がそのようなことを申すのを初めて聞いた。

あかね(和泉式部):されど左大臣様。罪のない恋なぞつまりませんわ。

赤染衛門:真に、さようにございますね。

彰子:衛門までそのような・・・。

赤染衛門:人は、道険しき恋にこそ燃えるのでございます。(女房達笑う)

 文机に向かう、源氏物語作者のまひろは当然ながら33帖よりも先を書いている。光源氏の嫡妻・女三宮に懸想した、柏木の辺り。ここで先の道長の言葉「不実の罪は必ず己に返ってくる」がヒントになったか、まひろは柏木の運命をはっきり死ぬと決めたようだった。ただ前回、弟・惟規が死んでいるのだから、その影響も大きかったのだろうね。

まひろが書く物語:「誰も千年の松にはなれぬ世では、やがて命が尽きるものなのだから、こうしてあの人に少しは偲んでもらえそうなうちに死んで、かりそめの情けを掛けてくれた人があったという事を、一途な思いに燃えつきた証としよう」(灯芯の火が消える)

まひろ:(独り言)罪を犯した者は・・・(筆の動きが止まっている)

 道長は、あの言葉を発した時には敦康親王を咎める気持ちが大きく、自分のまひろとの仲は考えもしないようだった。だが、まひろは「不実の罪」と聞いて、自分と道長のこと、つまり自分は夫がありながら道長の子を産んだことを思わずにはいられなかっただろう。そんな顔をしていた。

 今後、どんな物語展開になるか全く分からないけれど、道長には「不実の罪は必ず己に返ってくる」って言葉はブーメランで刺さらないか。夫だった宣孝に対して、まひろだけが罪を背負う訳でもあるまい。現代だったら、道長も宣孝に慰謝料請求されてたところだよね。道長とまひろを刺すのは、倫子様か明子か。

一条帝、冷えは体に良くないよ・・・😢

 彰子が「いつも不思議に思っていた」と指摘していたが、一条帝は日頃寒い時期でも暖かい物を羽織らず薄着で過ごし、「火取り」も使わないとか。火鉢とかのことだろうか。

 それで壁がろくに無さそうで、布がぶら下がっているばっかりの寝殿造りの内裏に住んでいたら寒いよなあ。いや、塗籠とかね、そういうのもあるけれど、いつも御簾内程度の場所にじっと座っているばかりに見えるし。

 女性陣が皆髪の毛を長ーく垂らしているのは、腰まで温まってさぞよいだろうと思う。髪が伸び、髪の毛は「ウール100%」で温かいなと実感したので(というか、この夏で暑さを実感させられた)、他方、男性陣は髻にまとめて髪の毛全部を上げているから、うなじも吹き曝し。冬は首がさぞ冷えることだろう。

 帝の足元は長袴だから足首は良いとしても、3つの「首」のうちの、手首も着物だからいつも冷えてそうだし。冷えは良くない。

 そのやせ我慢、何故かと聞かれて「苦しい思いをしておる民の心に少しでも近づくためだ」「民の心を鏡とせねば上には立てぬ」と一条帝は彰子に答えた。まだ若い頃は良かったにしても・・・その気真面目さが命を縮めちゃったかな。

 ただ、ここで彰子はまひろとの勉強の成果が発揮できた。「お上は太宗皇帝と同じ名君であられます」と言って、新楽府の百錬鏡のことを彰子が言っていると一条帝が気づいた。

一条帝:中宮は新楽府を読んでおるのか?

彰子:まだ途中でございますけれど・・・。

一条帝:(笑って)中宮がそのように朕を見てくれていたとは気づかなかった。嬉しく思うぞ。(彰子にっこり)

 このラブラブムードが一条帝の発作で吹き飛んだ。昔の時代劇なら「持病の癪が」と言って胸の痛みに耐える場面が良く見られた。子どもの頃の私は癪って何だ?と思い、癇癪持ちの癪と同じ字だと知って、何となくわかった気になった。狭心症の発作とか、そんな感じが想定されているのかな?

 それが「いつものことだ」と帝は言うのだから、問題だった。徐々に体が蝕まれてきて、それが常の事になっていた訳だ。私も色々とポンコツなのでそうだけれど、自分で塩梅は分かっているからやり過ごせる、大丈夫だと思っちゃうんだよね・・・行動を制限されることが怖いと言うか。

 彰子は、不安をまひろに吐露した。

彰子:帝を失うやもしれぬと思うと怖い。お側にいる時、時々お顔色が悪く、息遣いがお苦しそうな時があったのだけれど「大事ない」と仰せゆえ、薬師に相談もしなかった。こたびのことは私のせいだ。

まひろ:そのようなことお考えになってはなりませぬ。今日はお加減もよろしいようではありませんか。きっとご回復になりましょう。

 まひろ・・・「考えちゃいけない」と否定されたら、もう彰子は誰にも安心して相談できなくなってしまわないか。「きっとご回復になる」なんて、気休めに聞こえるし。まあ、言霊の大事な時代だけどね。

道長、それは意図的?

 かなりびっくりしたのだが、道長は、赤染衛門の夫・大江匡衡に命じ、占いをわざわざ帝に接近した場所で行った。帝の病状の悪化を受けて、譲位について占わせるのが目的だったらしい。

 あんなに近い場所で行ったのは、それを帝の耳に入れ、譲位を促したかったのか。ホワイト道長にしては、えげつないことをする。

大江匡衡:(算木を操って)一六天上水 二七虚空火 三八森林木 四九土中金 五鬼・・・五鬼欲界土。占いには・・・代が変わると出ましてございます。

道長:どういうことだ?

匡衡:豊の明夷、豊卦は不快。恐れながら・・・(威儀を正して)崩御の卦が出ております。

道長:ご寿命のことなぞ聞いておらん。

匡衡:それは重々承知しておりましたが、この卦も出てしまいました以上、お伝えせねばと存じまして。

道長:25年にも及ぶご在位ゆえご譲位はあっても良いと思っていたが、まさか崩御とは・・・。

匡衡:この卦は、醍醐天皇と村上天皇が崩御の時と同じ卦にございます。さらに、今年は三合の厄年。異変の年にございますれば御病のご平癒はならぬかと存じます。

道長:(食い気味に)わかった。もうよい。ご苦労であった。

匡衡:はっ。

 このやり取りを、几帳の陰で当の一条帝が聞き耳を立てていたというね。有り得ないでしょう、何だこの狭い内裏。撮影用のセット並みか。そんなはずない。

 この時代には、占いは死の宣告をがんセンターで受けたようなインパクトなんだろう。メンタルへの影響は計り知れない。それを、あんなに配慮の無い場所で・・・と考えると、道長がわざとやってるんじゃないかと普通は思うところだ。酷い野郎だと思う。

 リアルでは、ちょっと状況が異なっていたようだ。倉本一宏著の『紫式部と藤原道長』219-220ページによると;

  • 5/22 一条帝、彰子ご在所に渡御した際に病に倒れ、
  • 5/25 道長、大江匡衡に譲位に関わる易筮(筮竹を用いる易占い)を行わせた。

 ところが、道長はたいへんな失態を犯してしまった。譲位どころか天皇死去の卦が出たという占文を見た道長は一条の死去を覚悟し、清涼殿二間(一条院内裏北対の南廂)において一条の護持僧である慶円とともに涕泣してしまったのである。隣の清涼殿夜御殿(北対の母屋)にいた一条は、御几帳の帷の継ぎ目からこれを見てしまい、自分の病状や道長による譲位の策動を知って、いよいよ病を重くしてしまった(『権記』)。

 これなら帝と道長の位置関係も納得だ。どうやらドラマの都合か、ドラマの道長の方が、リアルよりもえげつなくなっちゃったか。リアルの道長は、配慮が多少足りなくて抜けてるけど気持ちに正直な人だったのだろうか。

 つづけて『紫式部と藤原道長』から主な日付を拾ってみる。今回のドラマで描かれた部分を重ねる。

  • 5/26 道長、一条帝には知らせないまま譲位を発議(ドラマでは実資が「帝はまだお若い、考えられぬ!」と反対、行成が暗い顔。「私はどうなる」と案じる敦康親王にききょうが「(東宮に)敦康様以外のお方を帝がお選びになることなぞありえませぬ」と言い、「先走るでない」と隆家に窘められた。まひろも「次の東宮は?」と宮の宣旨に尋ね、「控えよ」と制された。内裏が総じて浮足立つ中、四納言が土御門殿に呼ばれ、敦成親王を東宮にする密議。一条帝は寝所で五芒星?とも見える星々を見上げ、差し込む光を掌で受けて微笑む。)
  • 5/27 一条帝、行成を召して敦康親王の立太子について最後の諮問(ドラマでは、一条帝がヨロヨロと道長に譲位を伝えた。道長が東宮と対面、次女の女御妍子にも会って「どうせなら敦明様が良かった」と言われ呆れる。その後、一条帝が力を振り絞って最後の行成諮問、その甲斐なく東宮は敦成と。行成が道長に伝え、道長と彰子対立)
  • 6/2 一条帝、東宮居貞親王と対面、即位要請(居貞親王が言葉とは裏腹にやたら嬉し気。「東宮は・・・敦成といたす」の一条帝の言葉にさすがに息を飲むが、サッサと立ち去る。)
  • 6/13 一条の病状悪化の中、居貞践祚。一条朝に幕、三条天皇誕生(病臥する一条上皇の御帳台から、剣と勾玉を納めた剣璽が運び出され公卿らが見送り、新天皇の下へ。敦成が東宮となり、敦康親王は姉と宿命を嘆く。ききょうが伊周化しそう)
  • 6/14 一条上皇、道長に臨終出家の意志を伝える
  • 6/15 一条上皇、病篤い
  • 6/19 一条上皇出家
  • 6/21 一条院、辞世「露の身の 風の宿りに 君を置きて 塵を出でぬること・・・」を詠み、人事不省(ドラマでは詠んだ辞世は途中まで。一条院は彰子にか弱く手を伸ばしていた。気持ちは彰子にあったという解釈か)
  • 6/22 一条院、死去
  • 7/9 一条院、火葬

 占いの日から、1か月もしないで一条帝は崩御していた。あの占い結果を知った時、ドラマの帝も達観したような目をして黙っていた姿が心に残る。

行成は道長を選んだ

 一条帝は行成を側近として信頼していたため、5/27に敦康親王の立太子を特別に相談したが、行成は賛同しなかった。

 しかし、前夜、四納言を道長が招集した謀議(と言っていいだろうね😅ある意味、クーデターだから)の場で、ドラマの行成は「次の東宮は第一の皇子であるべきと考えますが」「強引なことをやって恨みを買えば敦成様にも道長様にも何が起きるか分かりませぬ」と苦し気ながら、道長の意向に反する意見を言っていた。

 それなのに・・・だ。もしこの謀議がリアルでもあったのだとしたら、本当は一条帝の信頼厚い行成を説得するためのものだったのかも。何とか一条帝を諦めさせるために。

一条帝:病に伏し、譲位も決まり、もはや己のために望むものはない。ただ一つ・・・敦康を東宮に。どうか、そなたから左大臣に・・・。

行成:お上の敦康親王様をお慈しみになるお心、真にごもっとも。この行成、ひたすら感じ入りましてございます。

一条帝:(ホッとして)ならば・・・

行成:されど、お考えくださいませ。清和天皇は、文徳天皇の第四の皇子であらせられたにもかかわらず、東宮となられました。それはなぜか。外戚の良房公が朝廷の重臣であった故にございます。左大臣様は、重臣にして敦成親王様の外戚。敦成親王様が東宮になられる道しかございませぬ。

一条帝:朕は敦康を望んでおる!(咳き込み)

行成:恐れながら、天の定めは人知の及ばざるものにございます。敦康親王様を東宮とすること、左大臣様は承知なさるまいと思われます。何卒・・・(頭を下げる)。

一条帝:(かなりしんどそう、ようやく身を支え、それでも行成を見ている。力が抜ける)分かった・・・下がれ。

行成:ははっ!(一礼し、去っていく)

一条帝:(か弱いまなざしで見送る。涙に顔が歪む)

行成:(走って道長の執務室へ)お上がただいま・・・(目の前に座る)敦成様を東宮にと仰せになりました。

道長:(息を止めてうつむく。息を吐く)なんと・・・(行成を見る。行成が頷く)またしてもお前に救われたか。(座を立ち、行成の肩をつかむ)行成あっての私である。(行成を見つめ、互いに笑顔)よし・・・中宮様に、ご譲位と敦成様が東宮になることをお伝えして参る。(去る)

行成:(目を閉じ、息を吐く。少しかぶりを振る)

 一条帝の下から道長の下へと行成が軽やかに飛んできたことで、一条帝の哀れさが増した。ドラマの行成は、幼い最初から道長ラブだったから仕方ないのだが、一条帝は行成を最後まで信頼していたのにね。

 道長が彰子の下へと立ち去った後、行成が軽くかぶりを振ったのは、一条帝へ残る申し訳ない恐れ多い気持ちを「仕方なかったんだ」と吹っ切ったようにも見えた。

 こういう行成だと、もしかして本当に道長に殉死しそうだ。するのか?

彰子の怒り

 敦成親王の立太子が決まり、道長は娘に喜んでもらえると思って面会に来たようだ。あにはからんや、彰子はお怒りだった。このドラマを見ていれば、その彰子の反応も納得なんだけど・・・なぜ道長はそんなに意外そうな顔をしているの?相変わらずボーっとしているな。

中宮彰子:何故、私に一言もなく次の東宮を敦成とお決めになりましたのか(怒)。

道長:帝の仰せにございます。(まひろ、彰子のお側に仕え見ている)

彰子:病でお気持ちが弱っておいでの帝を父上が追い詰めたのですね。

道長:帝のお考えと申しております。

彰子:信じられぬ!帝は、敦康様を次の東宮にと私にも仰せであった。お心が変わるはずがない!

道長:お怒りの訳が分かりませぬ。敦成様は、中宮様の第一の皇子であられますぞ。

彰子:(激昂して)まだ4歳の敦成を今、東宮にせずとも敦成にはその先が必ずあります。それに!私は敦成の母でもありますが、敦康様の母でもあるのです。敦康様をご元服の日までお育て申し上げたのは私です。2人の皇子の母である私に何の相談もなく、次なる東宮を敦成とお決めになるなぞ飛んでも無き事!父上は、どこまで私を軽んじておいでなのですか!(座を立つ)帝にお考えを変えていただきます。

道長:(出て行こうとする彰子の腕をつかみ、立ち上がる。静かに)政を行うは私であり、中宮様ではございませぬ。(まひろ、脇に控え、道長を見ている。彰子、道長を睨んで手を払う。道長、無表情に一礼して去る。立ち尽くす彰子)

彰子:(その場に座り込んで泣きながら)中宮なぞ、何もできぬ。いとしき帝も、敦康様もお守りできぬとは。

まひろ(藤式部):(彰子の下へ来て寄り添う)

彰子:藤式部、何故女は政に関われぬのだ。

まひろ:(言葉を飲み、下を向き考え込む。彰子の顔が涙で歪む。彰子の背に手を回し、寄り添い続ける)

 この後のシーンでは、道長もまひろも、各々が考え込んでいた。道長は何を思うか?まさかの長女からの反応に、見る目が変わったかな。身内だと思って気を抜いていたらこういう目に遭うよね。彰子の精神的成長に驚いただろう。驚いただけでなく、今後彼女は政の上で一筋縄ではいかない、厄介な存在になったとでも思っただろうか。

 まひろは、かつて自分が抱いた問い「何故女は政に関われぬ」を彰子に発せられて、ハッとしただろうか。自分は道長にその夢を託し、まひろのために政を行うとまで言った道長。しかし、彼の政が万人のためにはなりようもなく、彰子のような反発も生む。2人をどう支えたら・・・と考え込んだのかもしれない。(本日27日は衆院選投開票だし、感慨深い。)

 しかし、彰子ね・・・「今、東宮にせずとも敦成にはその先が必ずあります」と言ってたが、道長にはそんなに先が無い。見ているタイムラインがずれているんだよね。

 予告を見ると、まひろは一条院を失った彰子に何かを提案するのだね。それが楽しみだ。

 それにしても、彰子の力強さよ。父にあれだけの意見を理路整然と言えるまでになった。そして、敦成立太子の日に道長に言った言葉「左大臣。東宮様を力の限りお支えせよ」がキッパリとカッコ良かった。

一条院の辞世の「君」は

 一条院の辞世はドラマでは前述のように「露の身の 風の宿りに 君を置きて 塵を出でぬること・・・」と途中までになっていた。日記に記録した行成と道長で違いがあるらしいが、性格的にきっちりしてそうな行成の方が合ってるんじゃないのか?行成バージョンでの続きは「塵を出でぬる事ぞ悲しき」だそうだ。

 ドラマでは、日記「権記」を書きながら行成が涙を流していた。書いていた部分は「御志在寄皇后但」まで読めたが、「その御志は、皇后に寄せたものである。ただし(はっきりとその意味を知ることは難しい)」との意味になるそうだ(前述の『紫式部と藤原道長』225ページ)。

 皇后と言えば定子だ。

歌意からは、「この世に君を置いて俗世を出ていく事が悲しい」というのであるから、「君」はまだ生きていて、しかもこの歌を聞いている彰子のこととしか考えられない。しかし、行成は日記の中で「中宮」彰子と「皇后」定子を使い分けており、一条が辞世を詠んだ対手を定子と認識しているのである。かつて彰子を中宮とした、つまり定子を皇后とした際に決定的な役割を果たした行成であればこそ、その思いは複雑だったのであろう。(同上、225-226ページ)

 ドラマを見ている限りでは、彰子が歌の「君」のようではあった。でも、行成が言うのも分かる。気持ちも複雑でそう思いたい、ということなんだねと引用させていただいた本のご著者は言っているように思うのだが・・・。

 ちょっと思い出したのだけれど、定子の霊は成仏していないのでしょう?当時の考え方では。花山天皇の寵姫である彼女・・・あの、手首をリボンでぐーるぐるの・・・彼女が妊婦で死んだから成仏できない、それで現世にずっと留まるのが可哀そう、それで彼女を弔いたいから出家するとか花山院は言ってませんでしたっけ?

 定子は出産中に後産が下りずに亡くなったので、やはり成仏できないってことだったんじゃ?産褥死の多い頃だし、女にばかりなぜか酷な話だけど。

 だとすると、定子は現世を彷徨っているんだから、その定子を置いて成仏してしまう身の一条院は悲しいよね。「君」は彰子じゃなくても、定子でも行けるみたいだけど・・・素人の意見なんですがね。

 ドラマで一条帝を照らした、あの星明りの青白い光も、定子の光だと思ったんだけど・・・。それで一条帝も微笑んで勇気をもらい、行成と敦康親王立太子について話をしたのでしょう?彰子でもどちらでもいいとは思うけれど、やっぱり定子の方に個人的には軍配をあげたいかな。

 ああ、今回は書きだすのが日曜昼からと遅くなってしまったので、もうこんな時間だ。次回の放送は選挙の関係で早まるんだった、第41回の放送が始まっちゃうから、もうこのくらいでダラダラは止めておきましょう。賢子のことも書きたかったけど。それではまた、ダラダラにお付き合いを。

(ほぼ敬称略)

【光る君へ】#39 癒しのまひろ弟・惟規が越後で涙の急死。呪詛返しの伊周も去り、道長の世は盤石

選挙での放送休止を免れた

 NHK大河ドラマ「光る君へ」第39回「とだえぬ絆」が10/13に放送された。選挙の関係で次々回の10/27の放送は、もしかして・・・と東京都知事選(たぶん)の前科があるから危ぶんだが、ちゃんと放送するようだ。時間は早めだが、とにかく放送があるだけ良かった。

 今年の「光る君へ」が48回まであるとして、もう残り10回を切っている。そうそう簡単に放送休止にしてもらっちゃ困る。編成会議でドラマ部門が頑張ったかな?とにかくNHKありがとー!

 ということで、今週は時間も無いので慌て気味に公式サイトからあらすじを引用する。

(39)とだえぬ絆

初回放送日:2024年10月13日

中宮・彰子(見上愛)が二人目の皇子を出産。次期皇位をめぐり公卿たちの思惑が交錯する中、道長(柄本佑)は自身の血を引く天皇の誕生を意識し始める。そして道長と敵対していた伊周(三浦翔平)の体調悪化の噂が宮中で広まる。一方、帰省中のまひろ(吉高由里子)が久々の家族団らんを楽しんでいると、賢子(南沙良)の父親が道長であることを、惟規(高杉真宙)が為時(岸谷五朗)にバラしてしまう。真実を知った為時は…((39)とだえぬ絆 - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK

惟規、君も光だったのに

 まひろの弟としてグニャグニャ登場し笑わせてもらって以来、いつもまひろ&為時家を明るく照らしてくれた惟規。その彼が、知ってはいたけれど、今回の終わりで若くして越後の地で死んでしまった。寛弘八年(1011年)のことだ。

 当時は「物の怪にいきなり襲われた」等といった説明で皆納得だったかもしれないが、現代人にはその答えじゃ困る。いったいなぜ死んでしまったのだろう?越後守への就任で、旅立ちに当たり「もう会えぬかも」と口にしていた為時パパじゃなくて、付き添いでパパを送りに行った若い方の惟規が急死するなんて意外過ぎる。

 旅の前に用事を片付けておこうと睡眠不足が重なり、過労で急な心筋梗塞を起こしたとか?食あたり?盲腸になったとか?寒くて肺炎とか?喘息持ちだったら発作も怖いよな・・・あれこれ考えても詮無いことだが。若い彼の死に、家族皆が涙涙になるのも致し方ない。

 私も泣いた。今回を締めくくった辞世の歌「都にも 恋しき人の多かれば なほこのたびは いかむとぞ思ふ」の最期の一文字「ふ」だけが惟規は書き切れなくて、為時パパの筆で加筆したものと「今昔物語集」には書いてあるとか・・・それを、ドラマでもやってくれた。

 結末が見えているだけあって、今回は惟規絡みのシーンが多かったね。

 まず、賢子の父が道長、という話。寛弘六年末(1009年末)の時点で、家族の中では為時パパと賢子だけが(乙丸夫婦も知ってるだろう)事実を知らなかった。それを惟規がバラした。

 惟規にはいとが告げたことになってたが、その場面はドラマでは無かった。そういうのも見たかったんだけどな。

まひろ:左大臣様からの賜り物です。正月用のお酒と米とお菓子と、これ(織物)は賢子にと。

惟規:おお・・・。

為時:このような贅沢な物を。

いと:ちょっと近くで拝見してもよろしいでしょうか?

まひろ:ええ。

惟規:やっぱり自分の子は可愛いんだな。

まひろ:賢子の裳着に何か頂戴したいと申し上げたら、この織物を賜ったの。(訝し気な為時)

惟規:中宮様がお召しになるような物でしょう、それ。

為時:ちょっと待て、惟規・・・今、何と申した?

惟規:中宮様がお召しになるような物・・・

為時:そ、その前だ。

惟規:その前?何だっけ?(ハタと気づく)・・・父上、知らないの?

まひろ:(いとの顔を見て)ご存知だと思うけど・・・。

いと:若様にだけはお話したような・・・。

為時:・・・賢子は・・・左大臣様の子なのか?(遠くで鐘が鳴る)

惟規:言ってしまって良かったよね?父上にも伝わってようございました!

為時:黙れ・・・そうなのか?(まひろを見るが、まひろは無言。為時パパ、息を飲む)何という事を・・・宣孝殿は何も知らずに逝かれたのであろうな。

まひろ:いえ。何もかもご存知でした。その上で、一緒に育てようと仰せ下さり、本当にかわいがってくださいました。

為時:はあ・・・左大臣様はご存知なのか?

まひろ:いいえ。

為時:これは良い折ゆえ、お話したらどうだ?

乙丸:姫様のお帰りにございますー。

賢子:おじじ様、ただいま帰りました。(成長著しい賢子登場)

為時:うん。

賢子:ああ、叔父上いらっしゃいませ。

惟規:うん。

賢子:どうかしたの?

為時:いや・・・今、左大臣様からのお前への贈り物を見ていたのだ。

賢子:要りませぬ。そんなの。(立ち去る)

惟規:まさか、もう知ってるの?

まひろ:(激しく首を振る)

 大河名物、成長著しく出てきた少女のはずの賢子が、徹底的にまひろを無視している。わざわざ「おじじ様」と声を掛けて「ただいま」を言っていて、まひろ関連だとカテゴライズされた「左大臣様」というワードも一刀両断、嫌っている。

 賢子の実父が道長であることについて、為時パパが「良い折ゆえお話しては」と言った。パパは、翌年正月の子の日の宴に招かれた時、それでじーっと道長を見ていたかと思うと、途中退出するという挙動不審な態度に出て、「何を言いたかったのであろう」と道長が怪しんでまひろに会いに来た。(これも紫式部日記だったかの記述のアレンジがとても自然だった。うまいなー。)

 ただ、肝心なまひろは煮え切らない。道長が自分の局にいきなり立っていて話に来たぐらいだから伝えるチャンス到来!にも見えたが、壁に耳あり障子に目あり・・・どころか、隣とは壁や障子さえも無く布がぶらさがっているだけじゃ、意地悪な女房にも筒抜けだもんねぇ。

 まひろがちょうど書いていたのが、源氏物語で女三宮の不義が光源氏にも露見したあたりだった。現実世界を余すことなく物語の種にするまひろだ。

 惟規は、昔、自分が似顔絵を描いて探したこともあった「三郎」=道長だと知っていたのだろうか。道長=姉の想い人だという話なら、悲田院でまひろが倒れて道長が助けた時に、いとやパパから聞いてもおかしくない。しかし、それが「三郎」と結びついただろうか。だとしたら、2人が長い仲だと惟規は知っていることになる。

 どこまで分かっていたのか、きょうだいでも恋バナを全部を知っている訳じゃないとは思う。知ったら驚いただろうね。だが、そういう彼の驚きを伝えるような場面は省略されて描かれては無かった(と思う)。

 今回、道長に贈られた織物を上着に仕立て、まひろ娘・賢子が成人式の裳着を迎えた時には、叔父の惟規が腰結いを務めた。「これでお前も一人前だ。婿も取れるし子も産める」との彼のセリフは、まひろの裳着でやはり腰結いだった宣孝が言ったのと同じだ。

 このリフレイン。しかし、宣孝がまひろを見守ったのと同様、賢子を叔父として末永く・・・という訳にはいかなかったね😢

 裳着に先だち、惟規は従五位下に昇進した。「いや~信じられないな。そんなに真面目に働いたわけでもないのに」と言いながら、姉上の七光りであり左大臣様のお陰と理解していただろう。

 だから、道長へのお礼言上の際に「恐れながら左大臣様、姉もお世話になっておりまする。あの・・・恐れながら、姉は気難しくて人に気持ちが通じにくいのでございますが、どうぞ末永くよろしくお願いいたします」なんて言っちゃったんだろうね。為時パパは「お前、何を言い出すんだ」という風に焦っていたけれど、姉を思う惟規の精一杯の気持ちが伝わってきた。

 その前、昇進の朝廷の使者を迎えた時、浅葱色の袍を着ていた惟規に、いとがこう言い出した。

いと:若様の赤い束帯、ご用意してございますよ。

惟規:え?

いと:いつかこういう日が来ると思って、密かにご用意しておりました。

惟規:いとは、俺が赤い束帯を着るほど偉くなると思ってたんだな。

いと:幼き日より、私がお育て申し上げたのでございますよ。

惟規:そうだな。

いと:(ウルウルが止まらない)若様!

惟規:いと!(抱きしめ合う)

いと:上向いて参りましたよ、ご運が。若様~(泣く)

惟規:ハハハハハハハハ!

 いと、嬉しそうだったな~そして、照れているけれど惟規も。乳母だもんなあ、まさに母代わりとして育てたんだものなあ、彼こそが光だっただろう。彼の運は上向いているはずだったのに・・・なんて残酷な。

 今わの際の惟規は、「左大臣様に・・・賢子のこと・・・」と姪の行く末を気にしていた。今回のサブタイトルは「とだえぬ絆」、死んでも途絶えぬ絆が家族にはある。姉が超絶出来るばかりに、比較されて出来の悪いようにも見えていたが、勅撰和歌集に採録されて後世に残るような和歌も詠めるし、しっかり姉と姪、乳母を気に掛けていた優しい弟だった。(藤原惟規 - Wikipedia

伊周退場

 伊周も36歳で最期を迎えた。前回、道長の前で直接の呪詛に及び、笑い方から完全にあっち側に行ってしまわれたか💦と思ったが、興奮の余りの一時的なものだったか。

 今回、伊周が「俺が何をした」と言ったものだから、ちょっと吹いた。全視聴者が「あなた、めっちゃ呪詛してたよ」と突っ込んだ瞬間だったろう。割と冷静につぶやいていて、見た目は正気に返ったように見えたが、左大臣相手に呪詛しまくったことを憶えていないなんて。

 いや、そんなことないか。「呪詛程度のことじゃ何もしてないと同じだ」ぐらいに思ったか。奪い尽くされた人生、それが道長のせいだと思っているんじゃね。

 人を呪わば穴二つというのは、やはりやられる方も人の恨みは怖いけど、呪詛する側に相当の精神的負荷がかかるからだろうね、それで体調まで崩すという。それに貴族あるあるの飲酒。リアルの伊周は、父親・道隆の糖尿病体質を受け継いで飲酒し過ぎて短命だったのかもしれないと想像したりするが、ドラマの伊周はメンタルをやられ体まで蝕まれた口だった。

 前回で伊周はクライマックスを迎えたと言っていい感じで、退場は割とあっさり。娘2人への遺言はドラマではやらず(と言うか、宮仕え厳禁と言い渡されるはずの后がねの娘2人ともが出てこなかった)、嫡男道雅だけだった。

 道長に従うな、低い位に甘んじるぐらいなら出家せよと呪いの言葉を授けられ、息を飲んで「分かりました」と答えた道雅。ああ悲劇が続く、そんな目で母の幾子、道雅叔父の隆家が見ていた。こんなところにも、とだえぬ絆が。

 伊周の死を受けて、供養の品へのお礼と共に、敦康親王の後見を引き継ぐべく道長に挨拶した伊周弟の隆家。会話は一瞬ピリッときたが、隆家は賢く「私と兄は違います。敦康様の後見となりましても、左大臣様にお仕えしたいと願っております」と宣言、道長を安心させた。

 なんでも、伊周の長女は道長の次男(巌君の頼宗)の正室として迎えられたが、次女は道長の懇願で彰子の女房となって仕え(!伊周ムキーってなったか)、後に道長四男(能信)に縁づいたとか・・・どちらも明子の産んだ子だ。明子の兄の源俊賢は中の関白家に近い存在だったとも聞く。

 こうやって、長兄道隆の一族・中関白家を足下に置いた道長だった。(藤原伊周 - Wikipedia

 ききょう(清少納言)は「あれほどお美しく尊かった方々が、何故このような仕打ちを・・・」とワナワナしてたね。一条帝は行成に伊周の死を聞いて胸を押さえたが、あの様子は心労で心臓に来たのだろうな。伊周の死で、敦康親王の後見が心細くなり(隆家が気の毒)、親王の立場が追い込まれていくのをヒシヒシと感じている。

 道長に対抗して親王を守ろうとすればするほど、長生きできなさそうだ。それだけ、道長は権力者として盤石になってきているのだね。

 そういえば、今回で敦康親王の成長も著しかった(子役から本役へ)。彰子に対してあの生々しさじゃ、道長も青筋を立てるし、彰子もびっくりだろう。元服後に速攻でご在所の移動も致し方なし、敦康親王と彰子の絆は、道長は断ち切りたいのだね。

兼家パパの野心、道長の目標

 寛弘七年(1010年)の正月に、四納言が揃ったところで道長は「できれば俺の目の黒いうちに敦成様が帝とおなりあそばすお姿を見たいものだ」と心の内を明かした。順当に言ったら今の東宮のあとは敦康親王、その次は敦明親王と公任が口にし、そうだと行成も認めた後のことだった。

 道長の言葉に四納言一同は一瞬沈黙。聡い俊賢がいち早く「お力添えいたします」と答え、斉信が「ちゃっかり自分を売り込むな」と茶々を入れた。

 道長が言っていることは、政では我が家が大事と言い切り、真っ黒だった兼家パパと同じ。だけれど、前回嫡男の頼通に告げていた通り、ドラマの道長の場合は、民のための政をするために盤石な力を持とうとしている。兼家パパの場合は「The 野心」と呼んで差し支えないが、道長の場合はどうなのか。野心じゃないな、ホワイトさから目標と言い替えたくなる。

 ウチは違えど兼家とソトが同じなので、四納言のどこまでが道長の真意を捉えているのだろう。斉信あたりはどっちだっていい、道長に乗っかって出世できればと思っていそうだ。俊賢は分からない。公任と行成は道長のウチも心から理解したいと思っていそうだが。

 こちらも本格的に登場した道長次女の姸子(漢字ギブアップしたい。呪詛予防からか、みんな難し過ぎる)が面白いキャラで、姉の彰子とは似ても似つかない。どう見ても倫子様似。外見だけでなく、母子ともども漢籍を見れば頭痛が起きそうで、道長の心のウチは知る由もなさそうだ。

 昔、姸子はキラキラが好きだと倫子様が東三条院詮子に説明していた。今は宴(豪華な持ち寄りパーティで貴族の皆様が困惑)がお好きだそうだ、「かしまし歴史チャンネル」のきりゅうさんによると。

youtu.be

 だが、また自分は親の道具だなどと不貞腐れているのか・・・まひろの賢子と、あっちもこっちもか。親にワガママいっぱい反抗できる幸せな子どもたちがいるものだ、教育&ステージママ明子の子らに見せてやりたいよね。

 この道長とまひろの2人の娘がどう引っ掻き回すのか、見たいような気もするが残り10回も無いし、本筋でなければちょっともういいかなと思わないでもない。

 惟規が死に家族で号泣する場面で、悲しむまひろを賢子はいたわっていた。良い折ゆえ、そろそろ反抗期から離脱してもらおうか?

 さて、そろそろ行かねば。時間切れなので、今回はここまでにします。

(ほぼ敬称略)

【光る君へ】#38 道長、まひろの物語をバイブルに敦康親王を彰子から引き剝がし。伊周は魔界転生

「心幼き人」伊周。三浦翔平がやってくれました

 NHK大河ドラマ第38回「まぶしき闇」が10/6に放送され、まだテレビが見られないし録画もできないので、夜8時を待ってパソコンのNHK+で拝見した。早くBSで見たい。三浦翔平が演じる伊周の魔界転生っぷりを見て、ああ、これを最初に書かないわけにはいかないと思った。

 あの正統派の、すかしたようなハンサムさんがここまで・・・顔は怒りで歪みに歪み、道長を前に、直接呪詛しまくるというね・・・伊周の精神が崩壊するその瞬間までを見せてくれた。やりましたねー、すごかったよね。

 役者さんご本人のメンタルは大丈夫か心配になるほどの気分になったのは、「平清盛」での崇徳院の怒りのあまりの怨霊への変化(へんげ)を見た時も同じ。それに劣らない。奇しくも演じたのは、今作で伊周パパの道隆を演じた井浦新だった。三浦翔平も、今後はその系譜の役者として名を連ねるのかな。お見事でした。

 まずは公式サイトから、今回のあらすじを引用する。

(38)まぶしき闇

初回放送日:2024年10月6日

まひろ(吉高由里子)の元にききょう(ファーストサマーウイカ)が訪ねてきて、亡き后・定子の思い出を綴った「枕草子」から一条天皇(塩野瑛久)の関心を奪ったまひろの物語への思いを打ち明ける。その後、まひろは物語の次の構想を練り始めるが、道長(柄本佑)から新たな提案を受け…一方、中宮・彰子(見上愛)と親王に対する呪詛の形跡が見つかり、伊周(三浦翔平)の関与が明らかに。天皇は道長に相談して処分を検討するが…。((38)まぶしき闇 - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK

 で、まだまだ伊周について書くと、当時「心幼き人」と評されたと聞く伊周は、まさに本領発揮と言うか、何をやるべきかを本当に間違えちゃった人としてドラマには描かれていた。「お前のせいだ!」と道長に怒鳴って呪符を撒き散らし、気が狂ったように笑っていたが、中関白家に関わる人たち、特に亡き妹・定子は、同じ言葉を兄に言いたかっただろう。

 「お前がしっかりしないせいで、私が遺した敦康親王様の立太子、そして帝としての即位が無くなるじゃないか!お前のせいだ!」と。

 伊周がやったことは一体何だったか。ドラマでは、ただただ悔しがって呪詛を繰り返していた。巷では「呪詛周(ジュソチカ)」と呼ばれているとか。当時と今とでは価値観が違うのだからあまり責められないと思いつつも、やってることが全然建設的でない。成果は自分を狂わせたぐらいのものだ。

 せめて隆家ぐらいに身を弁えて過ごせていたら。前も書いたが、兄弟が逆だったらね。あれだけ一条帝も無理無理なほどに肩入れして道長と同じ位を与えていたのだから(一条帝、肩入れは隆家にしとけばよかったのに)、伊周さえしっかりしていたら一発逆転の時が待っていたのに・・・当然、敦康親王が即位する日のことだ。

 驚いたことに、帝の正妻である皇后が産んだ第一皇子で、立太子できなかった例は他に無いらしい(敦康親王 - Wikipedia)。それほどの異例。まあ、その敦康親王の悲劇は次回以降描かれるだろう。

 ドラマの伊周は、敦康親王を後見する意味が何であるかを本当には理解していなかったと見える。父親に倣い、皇子の権威に乗っかってやりたい三昧、栄耀栄華を味わうしか頭の中でイメージが無さそうだ。

 定子に「皇子を産め~!」と酷い呪いの言葉を掛けていた過去を思い返すと、せっかく定子が産んだ皇子の存在を台無しにしたのは自分だと、ドラマの中のどこかで思い知ってもらいたいのだが。

 しかし、ああいった人物は、ただただ道長のせいだとお門違いの恨みを募らせ死んでいくだけだろう。何かを悟れるとしたら、それこそドラマだからこそ。普通はありえない。

気の毒な道長を目の当たりにしたまひろ

 その不出来な甥・伊周から、お門違いの恨みを真正面からぶつけられることになったホワイト道長。ドラマでは徹底的にホワイトなのでね。まひろが考え、直秀にも誓った理想の政を心に抱き、粉骨砕身、一生懸命だもんね。

 大切な敦成親王、中宮彰子、そして自分に対する呪符を撒かれ、甥が「お前のせいだ」と怒鳴りながら目の前で明らかに気も触れてしまっては、ホワイト道長が呆然とするのも無理はない。まひろもね、好いた道長が自分たちの理想の政を実現しようとしている中で、こんなにも酷い恨みを買っている姿を目の当たりにしては、涙目にもなる。

 道長は、中関白家の闇をたっぷりまぶされてしまった。当時の呪詛の重みを思えば(律の規定によって首謀者・実行者は死罪が相当だそうな)、衝撃だったかもしれない。最初に百舌彦が呪符を見つけて道長の下へと持ってきた時、よろけたほどだったものね。

 そんな道長の折れそうな心を励まし、支える言葉を、光のまひろには次回で言ってもらいたいものだ。その対話のチャンスで、もしかしたら「あの子は道長様の子」と、賢子についても伝えることになったり・・・しないか?

 まひろは今回、賢子の裳着には何か貰いたいと道長に伝えてはいたが(実父だからだよね)、いつになったら真実を伝えるのだろう。賢子が出仕して道長の間近で働くことになってから?

 ホワイト道長といえば、今回、道長が嫡男の頼通を呼んでこう言い諭していた。

道長:これより俺とお前が成さねばならぬことは何だ?

頼通:え・・・それは、帝のお力となり朝廷の繁栄と安寧を図ることにございます。

道長:我らが成すことは、敦成様を次の東宮に成し奉ること。そして、一刻も早くご即位いただくことだ。(息を飲む頼通)本来、お支えする者がしっかりしておれば、帝はどのような方でも構わぬ。されど、帝のお心をいたずらに揺さぶるような輩が出てくると、朝廷は混乱をきたす。いかなる時も、我々を信頼してくださる帝であってほしい。それは・・・敦成様だ。

頼通:はっ。

道長:家の繁栄のため・・・ではないぞ。成すべきは、揺るぎなき力を以て民のために良き政を行うことだ。お前もこれからはそのことを胸に刻んで動け。

頼通:はっ。

 家が大事の兼家パパと対照的。昔の兼家と、この時に道長が着ている衣装が同じように見えるが?似ているよね(【「光る君へ」人物紹介】藤原 兼家 ◆ 段田 安則 - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK)。

 やることは外形的に同じように見えて、パパとは中身が別物だ。なんかちょっと無理があるようにも聞こえないでもないけれど、ホワイト道長はそう信じている。まひろには頼もしい。

 でも、良く言い過ぎだろうが、もしかしたら案外為政者とはそういうものなのかもしれないね、周りは穿った見方をどうしてもしたがるけれど。自分なりの理想を掲げ信じ切っていないと、人であるから、責任の重みに潰されそうで怖くてやっていけないような気もする。サイコパスの場合は関係なさそうだが。

 真面目な頼通は、ぜひ道長の言葉を真に受け、民のための政を貫いていってほしい。

 そういえば、あかね(和泉式部)にポーっとなっていた頼通(頼宗も)。泉里香にベタベタされて耳元で囁かれちゃ無理もないと、私も思うよ。彼女は何故かいやらしさと言うか嫌味が無い。爽やかでさえある。

 しかし、ああいうシーン、いくら演じるといっても恥ずかしいだろうな・・・さすが役者の皆さん、そんなこと言ってられないか。

敦康親王を遠ざけたのは、物語

 ドラマの道長が、敦康親王を彰子から遠ざけようと決心するのが、まひろの書いた物語を読んだせいだったとは。

 このドラマを見るまで、私は、紫式部が漢籍などの豊富な知識があるだけに、過去に題材を取ってフィクションをまじえて物語を書いたパターンだと思い込んでいた。だから、道長がまひろの物語を同時進行の予言書のように使うのを見て、あ、そうなるのもアリなのか、と改めて感心した。

 貴族社会で面白い現実が目の前で進展していれば、実録小説じゃないけれど、ちょっと変えても書きたくなるのも分かる。そうすると、先を予想して書くような部分も当然出てくるだろう。それこそ作者の腕次第で、真実はこちらと思わせることもできるかもしれない。

 光源氏に紫式部も言わせていたが、物語の中にこそ真実があるのだよね。読者が「これは先を言い当てている予言なんじゃないか」と見ておかしくない事も、出てくるだろう。

 まひろの物語をバイブルに、敦康親王が光源氏のように中宮彰子(物語と同じ藤壺だし)と良からぬ不義の道を歩まぬよう、のんびり鈍感そうな道長でも気づいて、最大限に警戒して早めに動いたということだね。

まひろの物語:光る君は、幼心にもささやかな花や紅葉に添えて、藤壺をお慕いする心をお見せになります。

 物語の該当箇所をわざわざ読み返し思案しちゃうところが、作戦実行前にマニュアルを確認してるみたいで、また何ともおかしかった。道長は大まじめだけど。

 道長が見た、敦康親王が彰子の膝でじゃれている姿が、かつて幼い一条帝が定子にじゃれて背に乗っかっていた姿と重なった。一条帝も敦康親王も、各々が定子と彰子を大好きだったんだよな・・・。

 つくづく一条帝は悲しいね、帝は誰かに愛一筋だと非難されるか。女御らにも平等に愛を与えないと、定子が傾城とか傾国なんだとか責められちゃうのだから理不尽だ。帝の愛も政治的に考えられてしまう時代だからだね。

 今回、敦成親王が呪詛されたと分かった後、彰子が敦康親王への思いを語る言葉;

  • されど、私の敦康親王様への思いは変わりませぬ
  • 藤壺で寂しく過ごしておりました頃から、私にとって敦康様は闇を照らす光でございました。その思いは、敦成が生まれましょうとも変わることはございませぬ
  • 私はお上のお心と共にありたいと願っております

・・・を聞き、一条帝は彰子を抱き寄せた。

 左大臣道長への遠慮からとか、そういう政治上の義務的な考え抜きに彰子を愛してもいいのではないかと考えたような、そんな一条帝の心を見たような気がする。彰子の心映えひとつで帝の気持ちも本気で動いたと言うか。

 一条帝の意志によって、道長による「敦康親王を彰子からナルハヤで引き剥がす作戦」の元服は、少しは遅れそう。しかし、あのボヤは・・・本当に道長の?やりかねないか。元服後の敦康親王の御在所はいったいどこになるのか、めっちゃ彰子から遠くなるのかな。

 ところで、ボヤで敦康親王と脩子内親王が伊周の邸に退避した時に、敦康親王が「伊周、いかがした」と声を掛けていたが、あんなにドロドロヨロヨロ出てきておいて「私が後見」も無いものだ、本当に大丈夫?と子ども心にも不安に思っただろう。前述のように、他人を恨む前に、まずは自分がしっかりしよう!ということだ。

清少納言の源氏物語への気持ちは

 前回のように、ドラマの終わり方では「次どうなるの?」と興味を引っ張られたのに見てみれば肩透かし、ガックリとなることは多くあるが、今回のききょう(清少納言)はブチかましてくれました!いや、面白かった。四の五の言わずに、まひろとのセリフのやり取りを見てみよう。

ききょう(清少納言):光る君の物語、読みました。(暗さから一転して)引き込まれましたぁ!あんなことをお一人でじっとりとお考えになっていたのかと思うと、たまげましたわ。まひろ様は、真に根がお暗い。フフフ・・・。

まひろ(藤式部):根が暗いのは弁えております。フフフ。

ききょう:光る君は、そばにいたらヒトコト言ってやりたいような困った男でございますわね。玉鬘の君に言い寄るところのしつこい嫌らしさなど、呆れ果てました。されど、そういう困った男を物語の主になさって男のうつけぶりを笑いのめすところなぞ、真にまひろ様らしくって。フフフフフ。(まひろも笑う)それだけではございません。まひろ様の漢籍の知識の深さ、この世の出来事を物語に移し替える巧みさ、どれもお見事でございますわ。

まひろ:手厳しいききょう様からそのようにお褒めいただいて、うれしゅうございます。

ききょう:私、手厳しいでしょうか?

まひろ:以前、左大臣様のことを人気もやる気もない人と仰せになっていましたもの。

ききょう:ああ・・・真に見る目がございませんでした。(頭を下げる)

 ・・・と、ここまでのききょうは、まひろの光る君の物語を手放しと言っていいほどに褒めた。前回終わりのネガティブな圧はどこへ行ったかと思うほどに。しかし、ここでききょうは終わらず、一転まひろはガツンと言われることになった。

まひろ:ききょう様のように才気溢れる楽しい方が藤壺にいらしたら、もっと華やかになりますのに。

ききょう:それはお断りいたします。私は亡き皇后・定子様のお身内をお支えするために生きております。今も竹三条宮で脩子内親王様のお世話をしておりますし、今日は敦康親王様のご様子を伺いに参りました。

まひろ:(軽口がすっかりシュンとして)そうでございましたか。

ききょう:中宮様がご自身の皇子様をお産みになった後も、まだ敦康様を藤壺にお置きになるのは、なぜなのでございましょう。

まひろ:中宮様が、敦康様を敦成様同様に大切にお思いになっているからでございましょう。

ききょう:そのようなきれい事、「源氏の物語」をお書きになったまひろ様とも思えません。

まひろ:中宮様は、そういうお方なのです。帝も中宮様をお信じになって敦康様をお託しになっていると存じます。

ききょう:そうですか。私はいかなる世となろうとも、皇后定子様の灯火を守り続けて参ります。私の命はそのためにあると思っておりますゆえ。ところで・・・まひろ様は何故「源氏の物語」をお書きになったのですか?もしかして、左大臣様にお頼まれになったのですか?帝のお心から「枕草子」を消してくれと。亡き定子様の輝きを、無きものとするために。

まひろ:・・・帝のお心を、とらえるような物語を書きたいとは思いました。

ききょう:私は腹を立てておりますのよ、まひろ様に。「源氏の物語」を恨んでおりますの。

 ききょうは正直だな、気持ちを隠さず伝えてきた。言わなくても良いことをわざわざ正直に伝えるという事は、まひろと友人でいたいからだろう。

 それに対し、たじたじのまひろ。左大臣に頼まれたとは言えなかったね。ききょうの指摘が図星だったから、苦しい立場だった。この後、彼女は誤魔化したのだろうか・・・道長のために誤魔化したんだろうなあ。知りたかったが、ここでドラマのテーマ曲が美しく流れ始めてしまった。

 ドラマで清少納言が言ったことは、本当に彼女の感想として有りそう。イメージだけで物を言って申し訳ないが。それで、こんなにも自分に正直に話をする清少納言に対して、悪口を書く紫式部に繋がるか?と言うと、これだけじゃどうもピンとこない。

 今後、まだ何かが無いと、まひろはききょうの悪口は書けないのでは。ふたりの間に何が起きるのだろう。

不思議ちゃん?な賢子

 ところで、コメディ担当のいと、そして為時パパをドギマギさせる少女の賢子が可愛かった。あの衣装は、まひろが道長に廃邸で母が殺されたいきさつを涙ながらに告白した頃に着ていたのと同じかな?母のお下がりを着ているの?でも、直秀の埋葬でダメになったんじゃなかったの?いとが手入れして復活させたのだろうか。

 そうか、当時のまひろは、もう吉高由里子が演じていた。だから、こんなにも少女だったとは気づかなかったな・・・。

 次回はとうとう「鎌倉殿の13人」で大姫を演じた本役・南沙良が出てくるようで楽しみだけれど、大姫も賢子のどっちも不思議ちゃんぽい。そういうキャラが得意な女優さんなの?

 この彼女が出てきて、高杉真宙の惟規は次回で退場っぽい。実家パートで飄々とした大切な癒しだっただけに、もったいない。彼がまだ居たら、まひろと賢子の間で助けになっただろうけれど、史実だから仕方ない。惜しまれる。

 そうそう、宮の宣旨とまひろの会話が印象的だったので、記録しておく。

宮の宣旨:そなたは何のためにここにおる?

まひろ(藤式部):帝の御為、中宮様の御為にございます。

宮の宣旨:生きるためであろう?物語を書くなら里でも書ける。ここで書くのは暮らしのためだと思っておった。

まひろ:はい。父には官職がございませんし、弟もまだ六位蔵人で。

宮の宣旨:藤式部には、子もおったな。

まひろ:はい。

宮の宣旨:うまくいっておらぬのか?

まひろ:なぜお分かりになるのですか?

宮の宣旨:お前のような物語は書けぬが、私もそれなりに世のことは学んできたゆえ。

まひろ:子を思う気持ちはなかなか届かぬようでございます。

宮の宣旨:夫婦であっても親子であっても、まことに分かりあうことはできぬのではなかろうか・・・さみしいことだが。

 そうだね、すっかり相手を分かってると思うなんて傲慢だ。分からないから、分かりたいと思って相手の気持ちに寄り添う。それが人にできる限度なんじゃないだろうか。

 しかし、こういうことを話せる上司がいるなんて、なかなか恵まれた職場だ。前回、宮仕えのまひろは茨の道と書いたが、そんなこともなさそう。隆家のように(伊周を反面教師に)、自分で味方を増やしていければそれが一番いいのだしね・・・。

(ほぼ敬称略)

【光る君へ】#37 夫道長と娘彰子のまひろラブで倫子様の能面化が進み、伊周との争いを前に道長の本音固まる

肩透かしだった赤染衛門の追及

 今週2本目の大河ブログを書く。録画できなかったので(まだ引っ越し後のトラブルで地デジも見られない😢)、NHK+で見られる間に書かないと。つまり日曜日までだ。

(37)波紋

初回放送日:2024年9月29日

中宮・彰子(見上愛)が一条天皇(塩野瑛久)の皇子を出産し、まひろ(吉高由里子)と道長(柄本佑)は喜びを分かち合う。そんな二人の親密さがうわさになる中、彰子がまひろの書いた物語を冊子にして天皇への土産にしたいと言いだす。そこでまひろを始め、女房たちが力を合わせて豪華本を制作することに。一方、新たな皇子の誕生により、伊周(三浦翔平)らの思惑が外れ、皇位継承を巡る不穏な気配が漂い、内裏で事件が起こる。((37)波紋 - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK

 さあ、戦慄の37回、それもタイトルが「波紋」。今回のスタートは、生まれたばかりの皇子を抱いて満面の笑顔の倫子様のアップだったのに・・・彰子が帝へのお土産にと「藤式部の物語を美しい冊子にして、帝に差し上げようと思っております」と、まひろ(藤式部)の名を出した途端、倫子様の顔が固まってしまった。

 「それは帝もお喜びになられましょう」と娘に応じた、笑顔の張りついた倫子様。能面のようだ。上手だなあ、確かに笑顔のままなのに違和感いっぱい。さすがの黒木華さま。いや、他の俳優さんも皆お上手なんだけれども。

 横では、倫子様腹心の赤染衛門が、当然ながら表情を曇らせていた。

 このほかにも、冊子作りを鼓舞するため夫婦が藤壺に差し入れに現れた時、「紙は藤式部に」と彰子が言っただけで倫子様の表情は暗くなったし、次いで道長が「筆や硯も入り用であろう」と言った時にも、横目をキラーンと道長に投げかけていた。赤染衛門も笑顔が無く、分かりやすかった。

 前回の終わり、まひろは赤染衛門に呼び止められ、「左大臣様とあなたは、どういうお仲なの?」と問われた。いきなりズバリと来て、まひろは逃げられない感じだった。

 こちらは手に汗を握り「まひろはどう切り抜けるのか?それとも正直に話すのだろうか?全部じゃなくて一部答えて逃げるとか?」とアレコレ想像してドキドキしたのだが・・・今回フタを開けてみれば、またもやられた。

 何のことは無い、赤染衛門はまひろの返答を待たず、自分で話を切り上げてしまった。見事に肩透かしだ。

赤染衛門:左大臣様とあなたは、どういうお仲なの?

まひろ:(虚を突かれた様子)

赤染衛門:そういうことも分からないでもないけれど、お方様だけは傷つけないでくださいね。

 釘を刺しただけ・・・それは無いよ。もっとドラマチックを期待してしまったよ。安直か。まあ、でも藤壺の女房の中では同じ倫子様側の陣営同士、赤染衛門としても、今や帝と彰子のお気に入りで人気作家の藤式部と波風を立てられなかったか。

 それに、そもそも赤染衛門は確かにああ来てもおかしくないキャラではあった。第8回の「招かれざる者」で、学びの会の先生役の赤染衛門は、まひろと倫子様を含む少女たちにこう言っていた。

赤染衛門:人妻であろうとも心の中は己だけのものにございますもの。そういう自在さがあればこそ、人は生き生きと生きられるのです。(【光る君へ】#8 母の仇・道兼来訪に大緊張のまひろ一家・・・やはり言えないよね - 黒猫の額:ペットロス日記 (hatenablog.com)

 そうなんだよね、心の中は自由だと知っている大人だ。だから、まひろに言うことも「お方様だけは傷つけないで」が精一杯。ただ、まひろが否定しなかったことで、赤染衛門の中では、まひろと道長の仲は既成事実となったかな。それを倫子様に伝えるか否かはまた別問題だけれど。

 以前、倫子様は赤染衛門にこうも言っていたね。第16回「華の影」で、道長が悲田院で倒れたまひろを看病して戻った朝のことだ。

赤染衛門:ゆうべは高松殿でございましたか・・・ご無礼致しました。

倫子:(腕の中の猫を撫でながら)衛門。

赤染衛門:はい。

倫子:殿様、ゆうべは高松殿ではないと思うの。

赤染衛門:は?

倫子:殿のお心には私ではない、明子様でもない、もう一人の誰かがいるわ。・・・フフフ・・・オホホホホホ・・・。(【光る君へ】#16 道長&まひろ悲田院での再会。別れから8年、すれ違いから4年(オリンピック?) - 黒猫の額:ペットロス日記 (hatenablog.com)

 そろそろ倫子様は、道長が文箱の中に大切にしまってあった漢文を書いた人物に思い当たるのでは。そんなに長期間の仲だったのかと、ショックを受けそうだね。

 どちらも苦しいなあ。倫子様は、まひろを娘の恩人だと思っているからね、強く出られない弱みがある。娘の彰子はまひろを大好き、夫の道長はもっとぞっこんと知れば、自分こそが邪魔者とさえ見えるかもしれない。

 他方、まひろは女房として宮中で生きていくのに大事な後ろ盾、味方を失った。自業自得と言えばそうなんだけれど、まひろがどちらの道を選ぶかだよね。

 まひろが己だけの事を考えたら、道長との絆を最初から無かったものとしてすっぱり切る方が倫子様と赤染衛門の覚えもめでたい。道長に対し、非情な振る舞いだが。

 道長はまひろの心理的サポートを今後も求めるだろうし、そうなると道長との特別なつながりを切ったりできない。まひろは愛する道長を見捨てられないだろう。

 ならば、彰子と道長を頼りに、茨の道でも宮中で踏ん張っていくしかないか。

 しかし、彰子は真実を知ったらどう思うのだろうか。母が苦しむと知って、まひろを重用し続けられるだろうか。

華々しい作家まひろの活躍

 とはいえ、まひろの作家としての業績は華々しい。既に、源氏物語の33帖までを書き上げても「光る君の一生はまだ終わってはおりませぬ」と言い、まだ続きがある、今は構想を練っていると言っていた。

 33帖というと、話はどこらへんまで行ったかなと確認するため、こちらのサイトを拝見した。

intojapanwaraku.com

 引っ越し荷物の積み上がった段ボール箱から、私の本などはまだほぼ出てきていないので助かった。

 33帖「藤裏葉」では、紆余曲折あった夕霧と雲居雁が思いを実らせて結婚するし、入内する明石の姫君のサポートを、姫君の育ての母の紫の上が、実の母の明石の君に譲る。どちらのエピソードも感動的だ。光源氏は40歳、物語はうれしい大団円を迎えたようにも見えるあたりだ。

 ここから女三宮と柏木、薫が出てくる展開になるわけで、「罪」「罰」とまひろは考えながら書き付けていた。「これからどうなるのだ」「それは楽しみである。大いに励め」と、彰子と一条帝の物語の続きへの期待も大きい。作家としては順調この上なく、まひろはもはやアンタッチャブルな存在になったのかも。

 33帖の手作りの冊子を献上された一条帝は「そうだ。藤壺でこれを読み上げる会を開いてはどうか?」と提案。会には、帝と中宮の御前に女房だけでなく公任・斉信・行成の四納言の3人、道長の子息の頼通・頼宗が臨席した(もう1人、頼宗隣の男性は誰だろう?)。

 斉信と公任は、物語の存在を正史の日本書紀よりも持ち上げた光源氏のセリフを捕まえて「帝がお読みになると分かっていて、よく書けたものだ」と咎め、ヒソヒソしたが、帝は「女ならではの物の見方に漢籍の素養も加わっているゆえか、これまでにない物語となっておる。藤式部は日本紀にも精通しておるしな」と、べた褒め。

 おかげで物語は大評判、今や帝と中宮のお気に入り、藤壺を華やかにときめかせるという道長・倫子様夫妻の希望もまひろは達成した。無双と言っていい、まひろ先生なのであった。

 これじゃあ、まひろに対して誰も何も言えなくなるよね・・・。

楽しそうなチーム藤壺による冊子作り

 今回、彰子が音頭を取って帝へのお土産となる源氏物語の美しい冊子づくりが進められたのが、文化祭の準備作業みたいで見ていて楽しかった。と言うか、高校の文芸部の冊子づくりとか、同人誌づくりの方が近いのかな。

 あのようにキレイに端を揃えてカットしたり、糸で綴じたりは器用じゃないとできないだろう。冊子の綴じ方などの知識がそもそもあるのがすごい。もし私が手を出したら台無しになりそうだが、藤壺の女房の皆さんは、お姫様育ちで何もできないはずじゃなかったの?見直した。

 美しい物が自分たちの手で出来上がっていくのは嬉しいものだろう。宮の宣旨が、冊子とするために用意された紙1枚で「このような美しい紙に書かれた文を貰いたいものでございます」と感激する程だもの。

 チーム藤壺の皆で力を合わせ作り上げた冊子をずらりと並べ、普段では味わえない達成感、高揚感があっただろう。連帯感も培われたかもしれない。

 それから、何と言っても言い出しっぺの中宮彰子。このように生き生きと積極的に冊子づくりに取り組んでいて、昔とは別人の様だ。ブルー系の衣装も似合い、自信が見える。母となり、大した成長ぶりだ。

賢子は昔のまひろの韻を踏む

 冊子作りを終えた時、まひろは宿下がりを願い出た。彰子は「冊子も出来、これから内裏に戻るという時に何故か?」と詰め寄り、まひろへの依存度の深さを見せた。宰相の君が肩をすくめていたが、「久しぶりに老いた父と娘の顔を見て参りたい」とまひろが笑顔で答えたことで、彰子も反省し、お許しが出た。

 そうやってやっと帰宅した我が家だったのだが・・・まひろの目にはみすぼらしく(!)見えてしまい(視聴者は前から分かってたよ・・・💦)、まひろの方も、すっかり娘賢子に嫌われた。まひろへの賢子のキレ方は、昔の為時パパへ反抗していた頃のまひろと同じようで、似過ぎだった。

 私が大ファンの歴史家の磯田道史さんが、たぶんNHKBSの番組で「歴史は韻を踏む」とおっしゃっていた。全く同じ事は繰り返し起きたりはしない。しかし、登場人物が変わったり状況は多少変わっても、似たような事柄だったら、韻を踏むように繰り返すというのだ。

 賢子の場合、韻を踏むにしても、もうちょっとひねっても良いのにね。何しろ実父の道長はあんなにも穏やかで怒らない三郎だった訳だから、何も、まひろの気難しさだけをそんなに色濃く受け継がなくても良かった。気難しいDNAはどこから来たんだろう。父母は為時も、ちやはも穏やかなのに。

 しかし、今回、まひろが自慢話をグダグダ展開している時の、賢子のブー垂れた顔は最高だった。NHKドラマに出てくる子役はすごいよね。

 もちろん、吉高由里子の酔っ払い演技は言うまでもなくとても自然。賢子を始め実家の皆がウンザリ、惟規にたしなめられる程なのにまひろが悪酔いを止められない感じも、「きっと宮中で常に気を張って毎日を送っているからだね」と同情してしまった。実家に帰って賢子の顔も見て、うれしくてタガがはずれちゃったのだろうね。わかるー。

 それにしても、もうちょっと賢子がどんな毎日を送っているのか、まひろには興味が無かったのかしらね?自分ばっかりどうでもいいことを喋って人の気持ちを逆なでして、賢子が「何のために帰って来た!」と怒っても仕方ない(私も調子に乗って喋っちゃう派だから耳が痛いけど)。

 賢子はきっと、じっくり話を聞いてもらいたかったのでは。酔っ払いのまひろママなんか見たくなかったよね。

 今後、賢子も宮中に出仕して活躍していくようだから、彼女の成長がドラマでどこまで描かれるのかも、とても楽しみだ。

 成長した賢子は、「鎌倉殿の13人」のオンタラクーソワカー(もしくはオンベレブンビンバ)でおなじみの大姫の中の人が演じるそう。大姫の子役ちゃんはまひろの幼少期を愛らしく演じたし、大姫役はダブルで活躍だね。

一条帝の意志、道長の本音

 一条帝が、最近は陰で呪詛しかしていない印象(三浦翔平には気の毒💦)の伊周の官位を、正二位という道長と同等に上げてきた。

 道長の娘である中宮彰子が一条帝の第二皇子を産んだことで、公任が前回言っていたように話を「ややこしく」させないため、伊周を後見として、何としても敦康親王を次の東宮に立てようと手を打ったのだろう。

 定子への愛だよな・・・彰子の出産に関しても、何かと寂しげな風情を感じさせたものね。すまぬすまぬと、心の中では定子に謝っていたのかな。

 ということで、あれ?道長の敦康親王への後見はもう終わり?

 前回行成は、道長が務めている第一皇子の敦康親王の後見を、道長は辞めたりしないと期待を込めて言っていた。

 だが、伊周が帝の前で(道長もいた)「私は、第一の皇子におわす敦康親王様の後見、左大臣様は第二の皇子敦成親王様のご後見であられます。どうか、くれぐれもよしなにお願い申し上げます」と言った時点で、帝も、もう道長は敦康親王の後見は降りてもOKって認めているという話なんだよね?

 そこまでされちゃあ、道長も掌返しするしかないよね・・・敦康親王には気の毒な話だけど。帝、どうしてそんなに道長を信頼しないで伊周に賭けるの、敦康親王の叔父だったら隆家だっているし、このドラマの道長は結構ホワイトなのに!なんて。

 その前には、いきなり伊周らの母・高階貴子の妹の光子が登場し、「このままでは敦康親王様は左大臣に追いやられてしまいます。どうなさるの伊周殿」「このままじっとしてはおられませぬ!」と危機感をあらわに伊周に訴えていた。嫡妻・源幾子の兄・方理とやらまでも膝を並べて「最近では帝も左大臣様にお逆らいにはなれぬと聞いております」と言う始末。妹に「今はお静かに」と窘められてはいたが。

 このお2人のご出演は、次回に向けてのワンポイントリリーフなのだろうな・・・予告の伊周の姿が、ある意味振り切ってマックスだった。いよいよ終幕を迎えるのかな。

 道長も、まひろにとうとう本音を漏らしちゃってたし!これまでとは違う道長、伊周との戦いが本格化するな。

道長:これからも中宮様と敦成親王様をよろしく頼む。敦成親王様は次の東宮となられるお方ゆえ。

まひろ:(息を飲んで)・・・次の?

道長:ああ・・・(誤魔化すように)警固が手薄なことが分かっておって忍び込んだという事は、ただの賊では無いやもしれぬな。これよりは、後宮の警固を一層厳重にする。ご苦労であった。(足早に去る)

清少納言の感想が知りたい

 前回、定子の遺児(次女)が亡くなって鈍色の喪服を着ていた清少納言は、今回、定子の長女(脩子内親王)に仕えていてご登場。そこで読んでいたのは、伊周に「私も読みとうございます!」と熱望していた(この時のピクピク顔芸が凄かった)、まひろが書いた源氏物語らしい。

 今、見るからにトゲのある表情で読んでいる・・・と言うか、チェックしている。物語を楽しんで読む気は全然無さそう。ライバル誌の編集者目線ですか?

 それで今回終わり、まひろの下へと乗り込んできた。「光る君の物語、読みました」・・・すごい圧。感想を一番聞きたい人でもあるけれど、その攻撃的な感じ、まともな感想は出てこなそうだね。でも楽しみ。

(ほぼ敬称略)

【光る君へ】#36 嵐呼ぶ彰子の皇子出産で道長開眼?阿吽の呼吸のまひろ&道長に倫子様勘づく。彰子は青き衣へ

皇子出産を機に、道長の心に何かが芽生えたか

 NHK大河ドラマ「光る君へ」第36回「待ち望まれた日」が9/22に、そして第37回「波紋」が9/29に放送された。

 我が家の東京脱出の引っ越しは伊豆へと9/26-27の2日がかりで実施され、先週はブログを休ませていただき、今週まとめて2回分書くつもりだ。まだ大量の段ボール箱に囲まれ、疲れてヘロヘロなのでサクッと書くつもりだが・・・毎度のごとくダラダラ長々行っちゃうかも。体力が持つか心配だ。お付き合いくださっている方々にはいつも感謝です。

 まずは第36回から。

(36)待ち望まれた日

初回放送日:2024年9月22日

一条天皇(塩野瑛久)の中宮・彰子(見上愛)がついに懐妊。宮中が色めきだつ中、まひろ(吉高由里子)は彰子から、天皇に対する胸の内を明かされる。一方、清少納言(ファーストサマーウイカ)は、まひろが道長(柄本佑)の指示で物語を書いたことを知り、伊周(三浦翔平)にある訴えをする。出産が近づくにつれて不安を抱える彰子に、頼りにされるまひろ。他の女房らに嫉妬されつつ、道長から新たな相談を受け…((36)待ち望まれた日 - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK

 第36回の見どころは、何と言っても彰子の出産シーンだった。「うるさいこと」とサポートの倫子様が彰子に言っていたが、加持祈禱の僧や、公卿の皆さん、まひろら女房らの「ノーマクサーマンダーバーサラダンセンダーマーカロシャーダーソワタヤウンタラターカンマン」という不動明王の真言を唱える声だけじゃなく(道綱がテキトーだったのがおかしかった)、物の怪を受け止める憑依の皆さんの叫び声も相当賑やか。

 あのしつこく最後まで憑りついていた「恐ろしく強い(by斉信)」物の怪が定子の霊だったのだろうか・・・そんなあ。「どうか、お鎮まり下さいませー!」と道長が頭を下げ、ようやく物の怪が鎮まった瞬間、彰子は皇子を出産した。この平安出産イベント一連の再現映像が見られて嬉しかった。

 こんなに賑々しいと、対照的に寂しかった定子の出産がどうしても思い出される。弦打ちの隆家なんか居眠りしちゃってね、その間に定子は死んじゃったのに・・・ひどかったよね。

 この時「皇子であったか・・・皇子」とつぶやいた道長が気になった。大いなる運命を感じて、心に期すものがあったかな。何か芽生えちゃったか。「鎌倉殿の13人」の北条義時のように、ここからホワイト道長が真っ黒になっていくのか。ヤダなあ。

彰子懐妊を巡る各々の思惑

 さて、時を戻すと、ドラマの冒頭では、まひろが筆を進める場面で「寛弘五(1008)年」と表示があり、花びらが散っていた。桜かな?そして、宮の宣旨が捧げ持ってきた「カヨウの香りでございます」で彰子がつわりによる吐き気を催したが、カヨウの香りって何だ?と思ったら、ちゃんと解説されている方がいた。

平安時代に高貴な方々に愛された薫物「荷葉(かよう)」
夏にもっとも香り高い薫物として知られている「荷葉」は
蓮の葉の香りになぞらえたものです。
源氏物語 梅枝編、鈴虫編にも登場します。(荷葉(かよう)の香り|草風日記 by melissa (note.com) 

 なるほど。でも、ドラマの帝は夏の紺じゃなくて白いお召し物だなあ・・・とすると、やっぱりまだ夏じゃないみたい。花が散る春なのだよね。

 道長が廊下を走り、土御門の倫子様に走って彰子懐妊の知らせを告げに来たが、道長夫妻にはこれまでの血と汗と涙の苦労も吹き飛ぶ待望の良い知らせ。涙をにじませて頷く倫子様の様子に、良かったね・・・と貰い泣きしそうになる一方で、その場で赤染衛門が「中宮様のご学問もお話し相手も今は藤式部(まひろ)が務めている」と伝えていたのが、先々のことを考えるとドキッとした。

 彰子はまひろを呼び、新楽府を密かに学んで「帝を驚かせ申し上げたい」と言った。身籠り、ますます后として向上心が芽生えた様子だ。が、それで、まひろと秘密の話をしたい彰子が「そなたらは下がれ」と命じたため、まひろは同僚女房達の嫉妬を買ってしまった。

 彰子の妊娠を巡る、各方面の思惑も面白かった。まずは久しぶりのF4の集いから。

斉信:中宮様のお子が皇子であったら、道長は盤石だ。めでたいめでたい!

公任:めでたいことはめでたいが、皇子であったらややこしいことになるな。

行成:ややこしいことはございません。これまでの倣いによれば、居貞親王様のあとは、帝の一の宮、敦康親王様が東宮になられるのが道理にございます。

公任:敦康様の後見は道長だが、もし道長が後見を辞めたらどうなる。

行成:そのようなことを、道長様がなさるはずがございません。

道長:(話す順番を示すトーキングスティックのように回されてきたつまみの皿を、黙って置く)

斉信:あれ?何も言わないのか。

道長:次の東宮様のお話をするということは、帝が御位をお降りになる時の話をするという事だ。この話はもう終わり!(席を立つ)

斉信:ここからが面白いのにな~。

公任:なあ。

 行成はホワイト道長の信奉者だからね。道長がダークに変わっていくとしたら、彼は道長の変化に着いていけるのか。それに、行成は親王家の別当?大夫?だったかで敦康親王の側にいる人間だったような。それで「そうあってほしい」思いがあって、無意識に道長を牽制したのか。

 ここで、現東宮の居貞親王の反応が誠にストレート。兄の花山院の訃報を受けて「これで冷泉天皇の子は私だけになってしまった」とショックを受けた後でもあるが(花山院はまだ若いよね・・・ウィキペディア先生によれば「宝算41」だとか。当時だとそれなりか。花山天皇 - Wikipedia)、「我が子敦明が天皇にならねば、冷泉の皇統は途絶える」からと、「中宮様のお産みになる子が皇子でないことを祈るばかりだ」とあからさまだった。返事に困るよね、道綱も。

 気の毒になったのが、定子の遺児・敦康親王。「子が生まれたら、私と遊ばなくなるのでしょう?」「私は中宮様の子ではありません。まことの子がお生まれになれば、その子の方が愛おしくなるのは道理です」と健気にも彰子に言った。

 その言葉に、これまでの彼女にしては、きっぱりと返答した彰子。

中宮彰子:親王様がほんの幼子であられた頃から、親王様と私は、ここで一緒に生きて参りました。今日までずっと。帝のお渡りもない頃から、親王様だけが、私の側にいてくださいました。この先も、私の側にいてくださいませ。子が生まれても、親王様のお心を裏切るようなことは、決してございませぬ。

 微笑みあう2人。真剣に耳を傾ける親王様が可愛いなあ。なんて気の毒な運命の親王なのだろう。皇后(当時)が産んだ天皇の第一皇子なのに。

まひろに優しい倫子様、赤染衛門・・・なんだけど

 彰子が出産のために宿下がりをして、まひろもお付きで土御門第にやって来た。その時、目が合ってにっこり微笑んで迎えたのは赤染衛門だった。倫子様も、まひろの仕事部屋として邸内に設えた場を、自ら案内した。

倫子:夜もゆっくり休めるようにと殿の仰せで設えた。ここで存分に書いておくれ。

まひろ(藤式部):有難いお計らい、誠にうれしく存じます。

倫子:人見知りで口数も少なく、笑顔もお見せにならなかった中宮様が、帝の御寵愛を受け、見違えるほど明るくなられた。藤式部の物語の力が、帝のお心を変え、中宮様も変えたのだと、殿から聞いておる。母として私は何もしてやれなかったが、そなたが中宮様を救ってくれた。心から、有難く思っておる。(深々と頭を下げる)

まひろ:そのような、御方様。もったいのうございます。

倫子:どうか、これからも中宮様を頼む。

まひろ:は。(頭を下げる)

倫子:我が屋敷は、そなたも若き日より慣れ親しんだところ。自分の家のように過ごしておくれ。

まひろ:(複雑そうな笑顔)

 昔と変わらない親しみを見せ、まひろにとても良くしてくれる倫子様と赤染衛門。だからこそ、道長とひっそり恋仲だったまひろも、道長の婿入り以来、遠慮して土御門殿から足が遠のいたわけだったが、ここで同居とは。お互いつらい。まひろの罪悪感を深める持って行き方だ。また吉高由里子が複雑で微妙な笑顔のうまいこと。

 倫子様ファンとしては「やはりもったいのうございますよ、そんな言葉を道長様と通じているまひろにかけるなんて」と、慈愛に満ちた、心底まひろに感謝している倫子様を見て悔しがりたくもなるし、知らぬが仏でいてほしい気もするし。ああ。

 ここでちょっと、まひろの彰子へのセリフが印象深かったので、メモしておく。

まひろ:傷とは、大切な宝なのでございますよ。傷こそ、人をその人たらしめるものにございますれば。

 誰しも欠点の無い全人(またうど)を求めがちだが、そうじゃない。傷こそ、その人なのだね。

倫子様、とうとう勘付いたか

 しかし、大石静の鬼脚本は甘くない。とうとう、勘の鋭い倫子様が、まひろと道長の関係に気づいたらしい場面がやってきてしまった。ああ・・・。

 それは、彰子がたくさんの加持の祈祷に守られながら、なんとか無事に皇子を産み果せて後の宴だった。この宴では、公任や実資、隆家あたりのリアルなエピソードがいくつもうまく使われ、それでいてドラマとしてもスリリングに運んだので面白かった。

 ドラマではまず、無礼講の席で「この辺りに若紫はおいでかな。若紫のような美しい姫はおらんなあ」とまひろに絡んできた公任が、「ここには、光る君のような殿御がおられませぬ。ゆえに、若紫もおりませぬ」と、まひろに返り討ちにされた。

 それを遠くから見た道長が、まひろを公任から救うつもりか「藤式部」と呼び、祝いの歌を皆の前で披露するよう命じた。

 まひろが歌を詠み、それに阿吽の呼吸で道長も歌を詠んだ。そのふたりの睦まじい様子を見て、ピーンと何か不快なものを感じ取った勘の良い倫子様が、宴会の席から下がってしまったという筋立てだった。

 ここら辺は、リアル道長が「自分を夫にして良かっただろう」みたいにドヤ顔全開でリアル倫子様を怒らせ、彼女が裏に引っ込んでしまったので道長が慌てて後を追ったという有名なエピソードを、ここぞとばかりにドロドロ昼ドラ風にアレンジして活かしている。

 公式サイトには、それが書かれている紫式部日記がちゃんと紹介されていた。

寛弘5年(1008)11月1日条

◆◇◆◇◆

上達部(かんだちめ)の席はいつものように東の対の西側だ。・・・渡殿の上に参って、今度も酔い乱れて騒いでいらっしゃる。

御簾(みす)があくと、大納言の君、宰相の君、小少将の君、宮の内侍というように座っていらっしゃる。右大臣(藤原顕光)が寄っていらして、御几帳の垂絹(たれぎぬ)の開いたところを引きちぎって酔い乱れなさる。

下座の東の柱下に、右大将(藤原実資)は寄りかかって、女房たちの衣装の褄(つま)や袖口の色や枚数を数えていらっしゃるご様子は、ほかの人とは格段に違っている。

左衛門の督(藤原公任)が、「失礼ですが、このあたりに若紫はおいででしょうか」と、几帳の間からお覗きになる。

源氏の君に似ていそうなほどのお方もお見えにならないのに、ましてあの紫の上などがどうしてここにいらっしゃるものですか、と思って、私(紫式部)は聞き流していた。

権中納言(藤原隆家)は隅の間の柱の下に近寄って、兵部のおもとの袖を無理に引っ張っているし、殿(藤原道長)は殿で、聞くに堪えない冗談を口にされたりもしている。

(宰相の君と)二人で御帳台の後ろに座って隠れていると、殿(藤原道長)は隔てている几帳をお取り払いになって、二人いっしょに袖を捉えてお座らせになった。「お祝いの和歌を一首ずつお詠み申せ。そうしたら許そう」と殿は仰せになる。

うるさくもあり、おそろしくもあるので、こう申し上げる。

いかにいかが かぞへやるべき 八千歳(やちとせ)の あまり久しき 君が御代(みよ)をば

「ほお、うまく詠んだものだな」と、殿(藤原道長)は二度ばかりお声に出してうたわれて、即座に仰せられることには、

あしたづの よはひしあらば 君が代の 千歳の数も 数へ取りてむ

あれほどひどく酔っておられる御心地にも、詠まれたお歌はいつもお心にかけておられる若宮(敦成親王)のことの趣なので、ほんとうにしみじみとそのお心もごもっともに思われる。

「中宮様(藤原彰子)、お聞きですか。上手に詠みましたよ」と、殿(藤原道長)はご自分でおほめになって、「中宮様の御父として、わたしは不相応でないし、中宮様もわたしの娘として恥ずかしくなくいらっしゃる。母上(源倫子)もまた幸福だと思って笑っておいでのようだ。きっとよい夫を持ったことだと思っているのだろうな」と、おふざけ申し上げなさるのも、格別のご酩酊の勢いにまぎれてのことと見受けられる。

殿(藤原道長)の戯れ言を聞いておられた北の方(源倫子)は、聞きづらいと思われたのか、お部屋へ引き上げるご様子なので、「お送りしないといって、母上がお恨みなさるといけないな」と言って、殿は御帳台の中をお通り抜けになる。

ちなみに日記には… 大河ドラマ「光る君へ」第36回より - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK

 そして、36回ラストで赤染衛門がまひろに問い質す。それまでの、左衛門の内侍の赤染衛門への「衛門様、このようなことでよろしいのでございましょうか」から始まった嫉妬いっぱいのチクリが効いてのことだ。

 左衛門の内侍は「衛門様は、昔から藤式部をご存知なんですのよね」「では、お聞きしますけれど、左大臣様と藤式部はどういう間柄なんでございましょう」「ただの主従ではありませんわよね」「藤壺でも、左大臣様は藤式部の局にしばしばしばしばお立ち寄りになるようになって、毎度ひそひそひそひそと」とオノマトペを駆使して何とか怪しげな方向に話を持って行こうとしていた。正解なんだけど。

 その場では「ありえませぬ」「大事なお話があったのでございましょう」と左衛門の内侍をかわした赤染衛門だったが、立ち去る時、笑顔が厳しい形相へと一変していた。

 そこから、まひろを見る目が変わった赤染衛門。例の、まひろが道長と即興で歌を交わし合った際にも、倫子が不快そうに席を立ったら赤染衛門が鋭い目をまひろに向けていた。

 廊下を行くまひろに、とうとう赤染衛門が声を掛けた。

赤染衛門:左大臣様とあなたは、どういうお仲なの?

 ひゃー!ここで次37回に続くだなんて・・・💦と、その時は思っていた。ところがどっこい。つづく。

 あ、中宮彰子は出産後の行幸で帝を迎える時、青い衣をまとっていたね。ここからシン彰子、彼女の本領発揮かな。

(ほぼ敬称略)