定信、頭に血がのぼり過ぎ💦
NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」第37回「地獄に京伝」が9/28に放送された。定信に絶版を言い渡された「鸚鵡返文武二道」による恋川春町の死に影響され、春町推しなのに腹を切らせたようなものの定信も、本を書かせた蔦重も葛藤する。まずはあらすじを公式サイトから。
≪あらすじ≫
第37回「地獄に京伝」
春町(岡山天音)が自害し、喜三二(尾美としのり)が去り、政演(古川雄大)も執筆を躊躇(ちゅうちょ)する。そのころ、歌麿(染谷将太)は栃木の商人から肉筆画の依頼を受け、その喜びをきよ(藤間爽子)に報告する。一方、定信(井上祐貴)は棄捐令(きえんれい)、中洲の取り壊し、大奥への倹約を実行する。そのあおりを受けた吉原のため、蔦重(横浜流星)は政演、歌麿に新たな仕事を依頼するが、てい(橋本 愛)がその企画に反論する。(【大河べらぼう】べらぼうナビ🔎第37回 - 大河ドラマ「べらぼう」見どころ - 大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」 - NHK)
前回ブログで定信は反省しないと書いたが、やっぱりと言うか・・・いや、定信なりに反省はしたのだろう、しかしその結果が「なんでそうなるの」ということなんだろうと思う。
どうやら一橋治済にいちいちうるさい、そろそろ消すかと目を付けられたか、彼の魔の手が伸びたらしい徳川治貞が体調を崩した。「もうよいお年であられるしなあ」と、治済が能面から半分顔を出しての物言いがゾッとした。
治貞と対面した定信は、本心を吐露していた。
徳川治貞:(脇息にもたれ、咳込む)聞くところによると、ずいぶんと下々を締め付けておるようじゃの。
松平定信:そこを締めぬことには、あるべき世の形とはなりませぬので。
治貞:先年、本居宣長という和学者に、政について意見を出させたのだが、物事を急に変えるのは良くないと言うておった。ハハ、いやそなたが間違っているとは思わぬが、急ぎ過ぎると、人はその変化についてこられぬのではないか?
松平定信:心得ましてございまする。
治貞:悪を無くせると思わぬ方が良いとも。
定信:・・・悪を、無くせるものではない?
治貞:すべての出来事は、神の御業の賜。それを善だ悪だと我々が勝手に名付けておるだけでな。まあ、己の物差しだけで測るのは危ういということだ。
定信:(唇が震える)世は思うが儘には動かぬもの。そう諫言した者を、私は腹を切らせてしまいました。(治貞:痛ましや、の表情)その者の死に報いるためにも、私は、我が信ずるところを成し得ねばなりませぬ!
治貞:(え?と何か言いたげに顔が歪んだ所で、咳込んでしまう)
治貞はよほど言いたいことがあって一瞬気色ばんだからこそ、喉の炎症が反応して咳が出ちゃったと見える。喘息持ちは分かるなあ💦言いたいことこそ言えないのよ。諫言した者に腹を切らせてしまったのなら、そこで己の歩みを止めて一旦考えるべきではないか、それなのに猪突猛進を続けてどうする、と言いたかったのでは・・・そう思いたい。
普通はそうだ。何か問題が生じたら、歩みを止め、相手も自分も受け入れられる塩梅の良い落としどころを考える。でも、DV気質だと、相手のことはお構いなく、自分の信じる結果が出るまで力で押して押して押し通すしかないと思っている。それが正義だと信じていれば、妥協しないから質が悪い。
ドラマの定信は、このやり取りを見るとDV気質の持ち主だと決まったようなもの。相当迷惑、困った人だ。相手を慮って己の計画を修正するなんて考えもしないのだ。でも、育ち方を見れば、田安家のお坊ちゃまだもん、周りのことを考えて己の考えを曲げるなんて場面は想定されていなかっただろうね。
治貞に「下々を相当締め付けている」と言われる時点までに、ドラマで定信がやったことと言えば、基本的にはまず賄賂を禁じ、それで足りないなら倹約すれば良いのだとのお達しがあり、政を笑う黄表紙の絶版があり、自由に物が言えない世の中になった。
さらに今回は、棄捐令(きえんれい)、中洲の取り壊しがあった。棄捐令で武家の借金が棒引きされ被害を被った貸し手の札差は、吉原で散財することがなくなった。また、中洲という遊び場が壊されて、きっと川の流れは良くなったかもしれないが、そこで生計を立てていた者らは路頭に迷う。岡場所も手入れがされ、遊女が吉原に大挙して流れ込んだという話だった。
表面化する定信VS.治済
そして、大奥への倹約にも踏み込んだ定信。一橋治済から、ひとこと言われてしまう。この時に、治済の前に並べられていたのは3つの同じ能面に見えた。3つも作らせて、出来の良い物を・・・ということか?まあ、贅沢な。
松平定信:大奥から、嘆願が参ったのでございますか?
一橋治済:大奥があまりに質素なのは御公儀の威光に関わるとなあ。
定信:大奥の中なぞ、表に見せるものでもありますまいし、贅沢であれば威厳があるというのも浅薄極まりない考えかと存じますが。
治済:大奥の女たちには表に出る楽しみもない。中で楽しむほどのことと情けを懸けてやってはくれぬか。
定信:では、中の楽しみを減じぬような倹約の手を、私の方で考えましょう。
治済:お手柔らかにな。
定信は、大奥が外部から納めさせて日常的に食べていた贅沢な羊羹を、大奥内部の御膳所で作れば十分の一のかかりで済むとか細々チェックをして大崎を嫌がらせた。それで大崎は治済に泣きついたのであろうが、その結果、なんと治定は治済腹心の大崎本人を、大奥から追放してしまった。
大崎は現将軍の産婆だったとも言われる乳母。三代将軍の家光だったら、春日局に当たるのでは?そういう大物をね・・・さらに、このドラマでは、治済の命で毒殺などの陰謀に深く関わってきた「手の者」なのだから、陰の支配者を気取りたい治済の気は治まらないよね。
また、とうとうやってきたのが、太上天皇の称号の一件。これは、治済自身の思惑(大御所と呼ばれたい)と絡み、治済はぜひ実現したい話だっただろう。
治済:(能面をいじりながら)それから、例の朝廷の件はいかがとなっておる?
定信:帝がお父君に太上天皇の尊号をお贈りしたいという一件にございますか。
治済:あれは、認めても良いと思うがの。特段こちらにかかりをという話ではなし。
定信:かしこまりました。では、御三家にもはかりました上、私の方で返答いたしておきましょう。
治済:よろしくの。・・・そうじゃ、紀伊中納言様がご体調を崩されておるそうじゃ。
定信:中納言様が。
治済:お風邪と聞いておるが、もうよいお年であられるしなあ。(能面から上半分の顔を出す。見開いた目が怖い)
治済は嬉しそう。自分の一橋よりも上だったはずの田安出身の定信、同じ吉宗の従弟の立場の定信をこうやって配下において、しかも自分の謀の実現のために使いまわしている。しかも、(たぶん)自分の計画通りに紀伊治貞が体調を崩し、早晩この世を去るのだから、時々のニヤニヤ顔を隠すために能面を使っているのではないだろうか。
しかし、定信は治済の意に反して尊号の件は不承知と決し、そのように朝廷に返答した。
治済:太上天皇の尊号の一件は、不承知と返答したそうじゃの?(翁の面を手にしている)
定信:御尊号は譲位された帝にのみ贈られる尊称。帝のお望みでも、先例を破ることよろしからずと、御三家、老中ともまとまりましたゆえ、将軍補佐として私が、然様に上奏するように決しましてございます。
この時の、挑むような生き生きとした定信(井上祐貴)と、反論したげな治済(生田斗真)の表情が相変わらず良い。しかし、割って入った者がいた。
一橋家臣:殿!(外から声をかける)
治済:何じゃ?(襖を開けて入ってきて控えた家臣、定信の存在に言葉を発するのを躊躇する)
定信:私に遠慮するな、申すが良い。
治済:申せ。
家臣:大奥より使いが参り、大崎殿が老女の役を免ぜられたと。
定信:大崎殿は、不正な蓄えの他、老女の任にふさわしからぬ行いも多く見受けられ、お役を免ずべきと決しましてございます。お約束通り、楽しみを減ずることなく倹約も叶いましたかと。
治済:(能面を箱にしまいながら)どうも、田沼も真っ青な一存ぶりじゃが。
定信:上様の命とあらば、いつでもお役を辞する覚悟にございます。御金蔵の立て直し、武家の暮らし向き市中の風俗取り締まり、蝦夷、朝廷、懸案は山積み!このお役目を引き受け、事を成し得るお方が他にあるならば、私は・・・いつでも退く覚悟にございます。(懐から出して書状を畳の上に突き出し、治済に視線を向ける。「謹上 御老中衆中 定信」と表に書いてある)
このやりとりは、ドラマでは寛政元年(1789年)の話。ちょうど、このあたりについては歴史家磯田道史先生のBSの番組で取り上げていた。定信の「いつでも辞めてやる」の張ったりは、もっと上の役目「大老」を狙っての賭けだったのではないかとの話だった。
英雄たちの選択
江戸城の怪人〜御三卿 一橋治済の野望〜
江戸中期。御三卿のひとつ一橋治済は、藩主として領国を経営することも幕府政治に参画することも許されず、ただ次期将軍の備えの子をなすだけの退屈な人生を送っていた。ところが10代将軍・家治の息子が急逝したため、治済の子、家斉が将軍を継ぐことに。眠っていた権力への野望が目覚める。治済は将軍家を乗っ取ろうとするが、田沼意次や松平定信ら実力派官僚に阻まれ政治抗争に発展。陰謀渦巻く江戸城政治。その果てには…。(江戸城の怪人〜御三卿 一橋治済の野望〜 | NHK)
八代将軍徳川吉宗、田沼意次、松平定信と、時代を変革し日本のかじ取りをしようとした意欲的な3人が続いた後、(ネタバレ失礼)一橋治済に操られた11代将軍家斉の時代が半世紀も続く。磯田先生らの言によれば、目先が楽しいだけの「のほほん」とした、日本のためにはさしてならない、時代に逆行した期間だったそうだ💦
もうすぐ黒船も来ようという、日本にとっては大事な時期に・・・血筋だけで理屈を封じた男に幕府が乗っ取られた格好だ。幕府瓦解の遠因か。理屈に秀でた松平定信に政治を続けて行わせていたら、幕府は時代なりに強化されていった可能性があるのかと思うともったいない。
定信が提唱したという「大政委任論」も、何とか治済・家斉親子の暴走を止めたかったからなんだろう💦帝王学というか「将軍何たるか」を考えもしない親子相手に、苦労した結果かと思うと気の毒だ。(大政委任論 - Wikipedia)
変化を受け入れられず、抗う蔦重
蔦重は、前回の春町の死でかなりのショックを受け、いつものように「そうきたか!」というようなアイデアを捻りだすどころではない。
絶版になった3作の作家たちが死亡・国元に強制帰国・逃走し、大田南畝は筆を置いた。他の武家の戯作者は、処分を恐れ大方縮みあがっている。倹約の世で不景気、黄表紙はもう辞め時か、という地本問屋の声に「いやあ、大事ねえですよ」「次は町方の先生たちに踏ん張ってもらいましょう!」と反論するが、時代の変化を見ようとしない板元に巻き込まれる作家は迷惑だよね。
蔦重のターゲットになったのは、町方の政演(山東京伝)だった。政演も、既にお咎めを食らったことがあり、お上に目を付けられているのに強気な蔦重が言うままに書かされるのを恐れ、「政を茶化さないなら」と、ビクビクしながら書いていた。
強気と言っても、蔦重のそれは焦りだ。大河ドラマ「平清盛」で松田聖子が口ずさんでいた「遊びをせんとや生まれけむ」は、後白河院がまとめた「梁塵秘抄」のフレーズだった(遊びをせんとや生まれけむ『梁塵秘抄』の遊びの本当の意味)。その「遊び」を「戯け」に置き換えたのが「戯けをせんとや生まれけむ」、ところどころこのドラマでも出てきていたように思う。
今回も、「遊ぶってなあ、生きる楽しみだ。楽しみを捨てろってなあ、欲を捨てろってこった。けど、欲を捨てる事なんかそう簡単にはできねえんだよ」と言う蔦重。遊びや戯けは、それぐらい生まれついて自然なことと考える蔦重は現代人に近い。だもの、「褌に抗ってかねえと、ひとつも戯けられねえ世になる」と焦るのだろう。
他方の褌守定信は、「遊ぶところがあるから人は遊び、無駄金を使う。遊ぶところを無くしてしまえばよい」と言っていた。遊ぶのは環境のせい、という訳だ。厳しいなあ。
こういう定信だからこそ、対抗するにはアイデアが欲しいところ。そのままバカ正直に反抗しても「身二つになるだけ」だ。町方の話を聞いてくれる老中が率いていた、自由な田沼時代は終わったのだ。
強引に「倹約を吹き飛ばす」と話を進めようとする蔦重にストップをかけたのは、ていだった。
蔦重:・・・ってことで、吉原を救うためのもんを考えたいんだ。歌、錦絵頼む。
歌麿:もちろん。何、描けばいいんだい?
蔦重:そりゃあ、絢爛豪華な女郎を絢爛豪華に描いてほしいんだ。(心配そうに、顔をそむける政演)
歌麿:絢爛豪華・・・。
蔦重:ああ。政演。お前、吉原には散々世話になってる身だ。やらねえとは言わねえよな?
政演:けど、お咎めを受けるようなのは・・・。
蔦重:分かってる。思うによ、いっちゃん悪いのは倹約なんだよ。倹約ばかりしてちゃ、景気が悪くなり続け、皆貧乏。そのツケは、つまるところ立場の弱え奴に回されんだ。(廊下に来て話を聞くおてい)そういうことを、面白おかしく伝えてほしいんだ。世にも褌にも。
例えばよ、倹約がいき過ぎて、てめえそのものを倹約するってなあ、どうだ?それが流行って、最後には国から人がいなくなっちまうってなあ!
てい:(いきなり部屋に入ってきて、ひれ伏す)お二方とも、どうか書かないでくださいませ!然様な物を出せば、歌さん、政演先生、蔦屋もどうなるか知れません。どうか、書かないでください!
蔦重:あのよぉ、吉原じゃ一切れ24文で身を売るようなことになってんだぞ。
てい:(蔦重に向き直る)大変申し上げ憎うございますが、旦那様は所詮、市井の一本屋にすぎません。立場の弱い方を救いたい、世を良くしたい、そのお志は分かりますが(詰め寄る)、少々、己を高く見積もり過ぎではないでしょうか!
蔦重:ああ?(てい、眼鏡をパッと外し睨みあう)
歌麿:眼鏡。
政演:まあ、強い目だねえ。(顔を逸らす蔦重)あっ、目閉じた!
蔦重:昔、陶朱公のように生きろって言ったのはどこのどなたでしたっけ?
てい:韓信の股くぐりとも申します。
蔦重:世を良くするような商人になれって言いませんでしたっけ?
てい:倒れてしまっては志を遂げることもできませぬと申し上げております!
蔦重:春町先生は、黄表紙の灯を消さねえために腹まで切ったんだ!それを、てめえらの保身ばっかり・・・恥ずかしいと思わねえのか?!(睨みあう)
てい:(眼鏡をかけ、袂から本を出す)黄表紙の灯が消えることをご案じなら、このような向きはいかがでしょう。
歌麿:ああ、それ大昔の青本ですよね。
てい:はい。「金々先生」以前、青本は人の道を説く教訓を旨としたものでございました。これなら、御公儀に目を付けられることは無いかと。
政演:温故知新ってことですか。今や、かえって新しいかもしれませんね。
蔦重:ふざけんじゃねえよ!「金々先生」の前に戻るってなあ、それじゃ春町先生は一体、何のために生きてたんだってなんだろうが!てめえには情けってもんがねえのか!
てい:春町先生のご自害は、私どもに累を及ぼさないためのものでもありましたかと!
蔦重:だから!
てい:故に、お咎め覚悟で突き進むことは望んでおられぬと存じます!
蔦重:・・・はあ・・・(気まずい顔の、歌麿と政演)
ホントだよ、蔦重・・・ちょっとは頭に上った血の気を冷まして考えてほしい。でも、これでも分からないんだろうな。まず、分かりたくないのだろう。
歌麿が言っていた。蔦重が背負っているのは春町先生への思いだけじゃない。春町先生、田沼様、源内先生、吉原の人たち、新さん。ずいぶん多くの人たちを見送ってきたのだね。こちらもそれだけのドラマを見せてもらってきた。もう10月だもん・・・ずいぶん遠くまで来たものだ。残るはあと11回か!
「荷、背負い込み過ぎじゃね?」と政演は笑ったが、「けど、生き残るってなあ、そういうことかもな」と返した歌麿。彼も、毒母やら師を見送った。そこで近々、さらに見送らねばならない人がいる・・・悲しいなあ。
きよを前に、歌麿は政演に言った。
歌麿:身を売るしか生きる術のない人たちにとって、遊ぶなだの倹約しろだのってのは、やっぱり野垂れ死ねってことになっちまう。他に身を立てる道が支度されんなら別だけど、そんなもなあ、滅多にねえ訳で。つまるところ、買い叩かれるしかねえ。弱い者にツケが回るってなあ、蔦重の言う通りなんだよな。
現代にも通じる言葉だ。「どうしたものか」と考えた政演は、ありのままに虫や草花を描いた歌麿の襖絵をヒントに、吉原での人間模様をありのままに小話に書く洒落本を思いついた。
「歌さんの絵は、ありのままだから面白えわけじゃねえですか。小話も、そういう具合にしてえなって」と政演。それがピンとこないと言っていた蔦重だったが、実際に読んでみて、みの吉にも読ませて(みの吉は原稿に夢中)、納得。
蔦重:これが才ってやつか。(座り直して)女郎を姉妹や知り合いのように思わせる。幸せになってほしいと願わせる。これ以上の指南書はございません。(手をついて頭を下げ)うちで買い取らせてください。(ていも頭を下げる)
政演:へへっ、お高くお願いします!(みの吉、まだ熱心に読んでいる)
今回は、政演の才能に救われた蔦重、ということ。これが寛政二年(1790年)正月の耕書堂の店頭に並んだ洒落本「傾城買四十八手」だったが・・・筆の早い政演は、もう1冊花魁に頼まれた「心学早染草」も、見事にものにしていた(羨ましい~!ぱっぱと手離れよくアウトプットできる人!)。
蔦重も鶴屋さんも知らない仕事だったため、大目玉を食らった政演・・・というか、定信の政を持ち上げるような内容だったからこそ、蔦重は烈火のごとく怒った。心学とは、おていさんによると「神仏の教えに儒学を織り交ぜて分かりやすく道徳を説いたもの」だそうだ。
さらなる九郎助稲荷(綾瀬はるか)の解説では、こうだ。
九郎助稲荷:それは、良い魂と悪い魂、善魂と悪魂が一人の男の体を巡って戦う話で、しまいには善魂が勝利し、男は善人として生きていくという、それだけの話。ですが、今でも使われる善玉悪玉という言葉は、ここがルーツ。つまり、長く読み継がれていくほど出来の良い話で。そう、これは越中守様が推し進める倹約、正直、勤勉といった教えを、見事にエンタメ化したものでした。
政演、すごいね~!本当に才能がある人はこうなんだ。短期間で、頭に降りてきたものをサササと書いていくだけの作業だったのかな。蔦重が怒ったって止められないよ、頭に降りてきちゃったんだから。ただただ羨ましい。
蔦重は怒りに任せて「お前、こんな褌担いで何考えてんだよ、おい」「こんな面白くされちゃみんな真似して、どんどん褌担いじまうじゃねえかよ!」「草葉の陰から春町先生に雷みてえな屁ひられっぞ」と政演に罵声を浴びせた。
一方の政演。逃げ回り「面白けりゃいいんじゃねえですかね?」「面白えことこそ、黄表紙にはいっち大事なんじゃねえですかね!褌担いでるとか、担いでねえとかよりも!面白くなきゃ、どのみち黄表紙は先細りになっちまうよ!それこそ、春町先生に嵐みてえな屁ひられるってもんじゃねえですかね!」と恐る恐るながらさすがの点を突いて反論した。
そこで、言葉に窮した蔦重は、手が出た。「何度言や分かんだよ!(本で叩く)戯け者は褌に抗ってかねえと、一つも戯けられねえ世になっちまうんだよ!」
蔦重こそ、町方が幕府筆頭老中に抗っても、首を刎ねられ身二つになるだけだとおていに言われていたじゃないか。それこそ、どうしてわからないのかな・・・。
政演は「俺、もう書かねえっす。蔦重さんとこでは、一切書かねえっす!」と言うに至った。人気作家が書いてくれない宣言、板元は万事休すだ。
おていはライター
ところで、寛政二年(1790年)正月に、耕書堂の店頭に並んだ3冊に「即席耳学問」という、市場通笑作の上中下巻の本があった。これを書いた市場通笑が、ドラマでは実はおていさんだって設定になっていたような。(市場通笑 - Wikipedia)
確かにこの人、通油町で育ってるみたいだ・・・「教訓の通笑」と称されたってことだが、ドラマの中ではまさに「教訓のおてい」の役回りだもん、ぴったり。でもこれまで、おていが作品を書いているシーンなんてあっただろうか?
真面目に遡ってみると、灰捨て競争をしたのが1783年(天明三年)夏の浅間山の噴火、その後におていは蔦重と結婚する訳だから、1779年(安永八年)刊行の初の黄表紙「嘘言弥二郎傾城誠」からの数冊は、丸屋、もしくは他のどこかから出版したって事なのか?それにおてい、蔦重よりも一回り以上お年上だったってことになるね、なんて。
歌麿の妻きよは・・・
歌麿は、栃木の豪商・釜屋伊兵衛(U字工事の益子卓郎♪)に依頼され、高額が見込める肉筆画を描くことになり大喜び。説明のために自宅の襖絵にも見事に肉筆画を描いて見せ、新妻きよも喜びを分かち合った。
この栃木の商人の役は、U字工事にうってつけ。相方の福田も、釜屋伊兵衛の甥の役で次回以降、出てくるらしい。このふたりを、U字工事を差し置いて他の人が演じたら不自然だ。大河デビュー、本当に良かったよね。カミナリのまなぶもどうでもいい役で出てきていたが、なぜ?U字工事を起用するから吉本の手前?まなぶの「鎌倉殿の13人」での役は面白かったけどなあ。

おきよだが、喜んで背伸びをした際に足が裾から覗き、そこには赤い腫物が・・・次に足が映った際には、その赤い腫物の数が増えていた。あああ・・・あれは梅毒だよね。ドラマ「大奥」で平賀源内が梅毒で死んだ時も、同じような腫物があったもの😢なんということだろう。
「おきよがいたら、俺、何でもできる気がするよ」と、きよを抱きしめた歌麿は言っていた。きよは歌麿を開眼させ、幸せをくれたのに。
ここでウィキペディア先生を見てしまった。歌麿の妻(戒名:理清信女)は、寛政二年(1790年)夏に死んでいた。戒名から、ドラマでは「きよ」と名付けたんだろうね。喜多川歌麿 - Wikipedia
きよの死が、歌麿の大首画の誕生に関係するのだろうか・・・いずれにしても、しばらく栃木に旅して絵を描いて、心を癒してきてほしい。
(ほぼ敬称略)