最近アクセス数が増えていたのは、伊周
NHK大河ドラマ「光る君へ」第42回「川辺の誓い」が11/3に放送された。ラスト2カ月に突入だ。今回も、中年以降の生きる意味を見出すのが難しい世代の悩みをうまくすくい上げたような、心に深く響く素晴らしい回だった。
いや、中年以降に限らないかな。若い人たちも、小学生でも、生きる意味について悩む場合もあるもんね。まひろ&道長のように、相手が生きていてくれるだけで自分も生きていけるという、深い絆が持てる人に出会える人生は幸福だ。
ところで、このブログでこれまで最もアクセス数が多かったのは、過去の大河ドラマ「黄金の日日」で石川五右衛門を演じた故・根津甚八を私の中でのベスト五右衛門だと絶賛した回だったのだが、最近になってその傾向が変化した。
ここのところアクセス数を稼いでいたのは、なんと伊周が呪詛をしまくっていた回について書いたものだった。検索された言葉を見ると、彼が唱えていた呪文を探してここに来た方たちがどうやら多いみたいなのだ。
このドラマでは、伊周は人生を自ら持ち崩していった感がある。明子が兼家パパに呪詛を仕掛けた時も、流産した。ま、ドラマだからと言えばそうなんだけどね。人それぞれご事情はあるだろうけれど、ご自身の幸せのためには隆家をお手本に、なるべく呪詛からは離れた方が良いと思うんだけど・・・まさかまさかだけどね。
覇権争いに巻き込まれ、道長三男が出家した影響は
では、今回のあらすじを公式サイトから引用する。
(42)川辺の誓い
初回放送日:2024年11月3日
宮中で、道長(柄本佑)と三条天皇(木村達成)が覇権争い。道長は娘・妍子(倉沢杏菜)を三条天皇の中宮にするも、三条天皇は長年付き添った東宮妃・すけ子(朝倉あき)を皇后にすると宣言。そこで道長は権力を誇示するため、ある計画を立てる。しかし体調に異変が…。一方、まひろ(吉高由里子)は里帰り中に、娘の賢子(南沙良)がケガをした双寿丸(伊藤健太郎)を連れているところに出くわし…((42)川辺の誓い - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK)
前回終わり、明子が道長に食って掛かった大事件。出家してしまった明子腹の三男・顕信について「あなたがあの子を殺したのよ!」と明子が訴えた。出家の重みが、現在の一般人とは全然違うのだな、死と同等なのかと思い知らされる。
前回も少し書いたが、そう思うと道長の一帝二后の策も致し方なかった。つまり、出家しながら一条帝の后で子どもを儲け続けた定子は、ゾンビが后の座にあるような感覚で見られていた訳でしょう?だったら、道長が権力奪取のために横車を押したとも言えないよね。
当時の人たちにとっては、ゾンビ定子の存在は恐怖だっただろうね。もしかしたら、だから定子の子・敦康親王は「皇后の産んだ第一皇子」であるにも関わらず、立太子できなかったことを世間が受け入れたのかもしれないよね。
脱線した。顕信の話に戻ると、倫子様腹の五男・教通を側近にと望まれて、道長は三条帝に家庭に手を突っ込まれ揺さぶられたと前回書いたが、その影響はさざ波程度。道長は収めることができた。
それで、倫子様の土御門殿ではダメだ、道長を揺さぶるなら明子の高松殿の方だと三条帝は読んだのかもしれないね。
蔵人頭というエサの効果は、土御門に比べて高松ばかりが不遇を耐えてきたと信じる明子と顕信にはてきめん。三条帝に息子が取り込まれることを恐れた道長が断ったことで、顕信は突然の出家、「顕信を返せ!返せ!返せ!」という明子の絶叫&気絶は、実は心優しい三郎の道長のメンタルに深々と突き刺さっただろう。
道長は動揺を隠せなかった。明子腹次男・頼宗が倒れた明子を見て駆け寄ってきた時、「何があったのでございますか」と聞いても言葉にならず見返すのみで、ただ明子の頬をなでていた。
それほど、極上のエサだったんだなあ蔵人頭は・・・明子も表面的には、道長はちゃんと将来を考えてくれていると、道長にも聞こえるように息子たちにずっと言い聞かせてきていたが、そのポーズは完全に崩れ、仮面が外れた。道長も、もう明子との間の信頼など木っ端みじんだろう。
高松系の子どもたちには皆、動揺が走ったことだろう。土御門系の子たちも息を飲んでいるようだった。ただ、彼らはやっぱり高松系の悩みは共有できないようだ。
頼通(土御門系長男):顕信が出家いたしました。
中宮彰子(土御門系長女):なんと・・・そのような様子は全く無かったではないか。
頼通:それが、昨日にわかに。
彰子:何があったのだ?(まひろ、お側に仕え話を聞く)
頼通:帝より父上に顕信を蔵人頭にしたいとの仰せがあったのでございますが、それを・・・父上が固辞なされたそうでございます。
教通(土御門系五男):無念な気持ちは分かりますが、蔵人頭になれなかったからといって現世を捨てるのはやり過ぎでしょう。
頼通:父上も、傷ついておられます。
まひろ:(そっと彰子を見て、道長を憂えるように瞳が動く)
落胆した明子を慰めたのは、兄の俊賢だった。
源俊賢:顕信は、残念な事であった。されど、内裏の力争いから逃れ、心穏やかになったやもしれぬ。
明子:(横になったまま)比叡山は寒いでしょう・・・身一つで行ったゆえ、こ、凍えてはおらぬであろうか。兄上。暖かい衣を、たくさん・・・たくさん届けてやってくださいませ。(涙がにじむ)
この後、土御門殿で顕信のためにフカフカの暖かい綿入れらしき物(ダウンにも見える)を道長が唐櫃に整え、「明日、これらを比叡山に届けよ」と百舌彦らに命じていた。
この時、道長はやつれていた。夕暮れの庭を見つめる様子もぼんやり。相当のダメージを食らったようだ。三条帝の作戦は大成功だった。
そしてまた揺さぶられた道長
三条帝は、道長の土御門系次女の女御・妍子を中宮とし、長女の中宮彰子を皇太后とすると言って道長を喜ばせた。そうしておいて、娍子を皇后にすると告げた。「一帝二后をやってのけた左大臣だ。異存はあるまい」と三条帝は言うけどね、誰もゾンビじゃない訳だから一条帝の一帝二后とは話が違うと今になると思う。
「恐れながら、近年では大納言の息女が皇后になった例はございませぬ」と、娍子の身分からできないと拒む道長に三条帝は、これを飲まないならもう妍子の下には渡らぬ、そうすると子はできぬと脅した。娘を人質に取られたようなもので、道長はお手上げだ。ナレーションも「道長は、三条天皇の術中に落ちた」と帝の勝利宣言だ。
攻め込まれる一方の道長に、四納言が知恵を出す。娍子の皇后立后の日に、中宮妍子の内裏参入をぶつけろと俊賢。
三条帝は立后の時刻をずらして対抗してきたが、多くの公卿たちは道長に遠慮して娍子立后の儀には参加せず。娍子が御簾の奥で静かに箸を進める姿が痛々しかった。
きっと娍子は、この儀式も彼女自身のために耐えている訳じゃない。息子・敦明親王を皇太子とするには母の身分を皇后に上げなければならないと理解して、逆風を耐えているのだろうね。
三条帝も、娍子を愛しているとしてもそれだけではなくて、敦明親王によって冷泉系の皇統を継がせたいから、娍子を皇后にしたいと思っているのでは。必死だね、三条帝も。
儀式を務める「上卿」を急遽、黒光る君・実資が頼まれて「天に二日無し、土に二主無し」と言ったセリフは、ドラマ公式サイト(ちなみに日記には… 大河ドラマ「光る君へ」第42回より - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK)によると、実資の日記「小右記」長和元年(1012年)4月27日にちゃんと書いてあった。
俊賢が進言した策を飲んで三条帝に勝利を収めた形の道長は、やっぱりこういう駆け引きはやりたくないんだろうな。無理してる。「何だよ、晴れの日に浮かない顔して」と斉信に指摘されていたもんね。行成は、その道長の気分に気づいてそうだった。
その後、現実逃避なのか、次女の中宮妍子は兄弟たちと宴三昧。それを理由に三条帝はお渡りが無い。その催促に行った時、道長はまた三条帝からつぶてを食らった。
三条帝:そういえば、比叡山では僧どもに石を投げられたそうだな。
道長:ああ・・・は。息子の受戒に参列しようとしたら、馬に乗ったまま山に入ったことに腹を立てられまして。
三条帝:(扇で顔を隠し、声をひそめて)石が飛んできただけでも祟りがあるらしい。しっかりと祓ってもらうが良い。
道長:はっ。(頭を下げた顔から笑みが消える)
出家も死と同等と捉えるなど、当時の人々への宗教のインパクトは大きい。なんでも、道長は臆病だったとか(をしへて! 倉本一宏さん ~病に倒れた藤原道長と噂の5人 - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK)。それで「石が飛んできただけで祟りがある」なんて言われちゃあね、メンタルをやられる。
この倉本さんのコラムを読むと、俊賢の策を採用したことで妨害工作を道長がしたとなり、道長は反対勢力から怖がらせるような嫌がらせを受けていたのだそうだ。三条帝の言葉も嫌がらせの一環だろう。陰湿な争いだ。
源氏物語はもう役に立たぬ?!
道長は、三郎らしく気づいてないようだったが、ずいぶんと酷いことをまひろに言った。中宮妍子に三条帝のお渡りが無い、それをまひろに相談した時のことだ。道長はパーティー妍子を心配した皇太后彰子に呼ばれて枇杷殿に来ていた。
道長:実は・・・中宮妍子様のもとに帝がお渡りにならぬのだ。先の帝と彰子様の間には「源氏の物語」があった。されど、今の帝と妍子様には何もない。「源氏の物語」も、もはや役には立たぬのだ。(まひろ、目をしばたたかせ、眉を上げる)何とかならぬであろうか。
まひろ:う~ん・・・私にはどうすることもできませぬ。
道長:それだけの物を書けるお前だ。何か・・・知恵はあるだろう。
まひろ:・・・物語は人の心を映しますが、人は物語のようにはいきませぬ。
道長:つまらぬことを言った。(立ち上がり、去る)
まひろ:(道長を目で追う。筆を構え直し、書き始める)「もの思ふと 過ぐる月日も 知らぬ間に 年も我が世も 今日や尽きぬる」(書き終えて、満足気な顔)
光源氏の辞世のような句。この後の夜更けの縁でのシーンで、まひろが物思いをしつつ、それを訳してくれている。「物思いばかりして、月日が過ぎたことも知らぬ間に、この年もわが生涯も今日で尽きるのか・・・」と、まひろ自身が思ったところで、月が雲に隠れた。
「源氏の物語」はもう役に立たないだと?前回も道長は「まだ書いておるのか」と口にして「ずいぶんな仰り方」とまひろに怒られていたのに。本心からそんなことを道長に言われたら、彼のリクエストで1000年も残るようなあのような大作を生み出した、まひろの立つ瀬がない。源氏物語はまひろ渾身の作。なのに、まひろは、自分自身が彼に役立たずと言われたような気分にもなっただろうね。モチベーションも何もあったものじゃない。
源氏物語の進行では、光源氏が終焉を迎えるところまできていた。作者としても、紫の上を亡くした光源氏のメランコリックな気分を書いていた訳だから、それどっぷりのはず。そこに道長発言だもの・・・なんとデリカシーの無い・・・三郎なんだよな、ボーっとした三郎!編集者としたら作者のやる気を砕くなんざ最低だ。
まひろ、道長にもう役立たずと言われたら身の置き所が無く、無力感で一杯になるだろうな。私の人生なんだったのよ、ぐらいには思うだろう。
この頃にはもう道長は倒れているが、まひろは知らない。父を見舞った後の皇太后彰子の文「いつまで里におるのだ。早く帰って参れ」も、まひろには響かない。文は仕舞い込み、「やることないから」と言って掃除なんかしている。文机の上も、紙も筆も無くきれいさっぱりだ。
「母上はもう書かないのですか?」「物心ついた時から母上はいつも私のことなぞほっぽらかして何かを書いていたわ。書かない母上は母上でないみたい」と心配する賢子。まひろは「源氏の物語は終わったの」「このまま出家しようかしら。あなたには好きな人もいるし、心配することないもの」と笑うのだ。で、夜中に琵琶なんか弾いちゃって。まひろも、相当傷ついている。
道長が病み、百舌彦が来た。そして宇治の逢瀬
まひろの局を通りかかった道長は、まひろがおらず、文机の上に「雲隠」の文字を見たところで頭痛に襲われたようだった。こめかみを押さえていたけど、三叉神経痛か?激痛だよね・・・まひろの雲隠れを知って発症するところが、どれだけ道長がまひろを頼っているかが分かる場面だった。
そこから道長は重く病んだ。平安のおパンツ・烏帽子が取れても気にするどころじゃなく、これは重症だ(バロメーターが烏帽子💦)。倫子様は、道長の額の汗を一心に拭っていたし、左大臣としての辞表は2度も帝に出されたし、皇太后彰子も見舞いに訪れた。(ここで「私のせいやもしれませぬ」と自虐に走るのがまた彰子ちゃんっぽいね。)
そして・・・意識を取り戻して宇治の別邸で静養中も、道長は百舌彦が差し出す薬湯を飲む気も無い。青白い生気のない道長を見て、まひろの下に、べそをかきそうな顔でやって来たのが百舌彦だった。
百舌彦:ご機嫌よろしゅう。にわかに参じましたことお許しを。(頭を下げる)
まひろ:どうしたの?
百舌彦:実は、殿様のお加減がおよろしくなく・・・(泣きそうな百舌彦。乙丸が心配そうに百舌彦とまひろを見る。言葉を失うまひろ)
そう聞いて、まひろは宇治に飛んできた。「私の人生なんだったのよ」なんてことも、頭から吹き飛んだことだろう。
(百舌彦に案内されたまひろ、宇治の別邸の道長の下へ。縁の陽だまりに、だらりと座った道長を発見。泣きべそでまひろに一礼し、下がる百舌彦。縁に近づくまひろ、涙が流れる。痩せた体を柱に預け、首を垂らして眠っている道長。鼻をすすり、傍に腰を下ろすまひろ。涙を拭い、気持ちを整える。)
まひろ:道長様。
道長:(微かに目を開け、顔を上げる。ほほ笑むまひろの出現に驚いて、照れ臭そうに笑う)
まひろ:(きょろきょろと周囲に目をやり)宇治は、良いところでございますね。
道長:川風が心地よい。
まひろ:川辺を二人で歩きとうございます。
えええ?道長は重病人じゃ・・・割と落ち着いたのか、宇治に移れるぐらいだもんね。でもね、まひろ病人相手に無茶言うなあ。弱り切ったら、歩くのだって大変なのに。
(澄んだ空の下、杖を突く道長。側にまひろ。野花の揺れる川辺に立ち、水面を眺めるふたり)
道長:早めに終わってしまった方が楽だという、お前の言葉が分かった。
まひろ:今は死ねぬと仰せでしたのに。
道長:誰のことも信じられぬ。己のことも。
まひろ:もう、よろしいのです。私との約束はお忘れくださいませ。
道長:お前との約束を忘れれば、俺の命は終わる。それで帝も皆も喜べば、それでも良いが。
まひろ:ならば、私も一緒に参ります。
道長:戯れを申すな。
まひろ:私も、もう終えても良いと思っておりました。物語も終わりましたし(振り返ってまひろを見る道長)、皇太后様も強くたくましくなられました。この世に私の役目はもうありませぬ。(まひろを見ている道長)フフ・・・この川で、2人流されてみません?
道長:・・・お前は・・・俺より先に死んではならぬ。(くぐもった声。まひろと見つめ合い、川面に目を戻す)死ぬな。
まひろ:(明るい声から一転)ならば、道長様も生きてくださいませ。(道長、振り返る)道長様が生きておられれば、私も生きられます。(道長、むせび泣く。道長の震える背中を見つめるまひろ)
まひろとの約束が、道長をきつく縛ってきたのかもしれないね。けれど、約束が彼を無理くり生かしてもきたんだな。道長(ボーっとした三郎)は性に合わない政の世界で、三条帝との覇権争いに心身ともにすり減って、クタクタだったのだろう。怪文書も結構響いていたんだね、誰も信じられないって。それが良く分かった。
道長は、ホワイトもホワイトだった。なんとまひろに一途なこと!まひろが来たと分かった時も、女神まひろを見るような驚き方、照れ方だったもんね。
その人に「一緒に流されてみません?(浮舟じゃん・・・ここで着想した?)」と言われても、まだ俺の女神に死なれたら困ると思うということは、まだ道長には生きたい気持ちがあるのでは?それで「お前は俺より先に死ぬな」という平安の「関白宣言」(byさだまさし)が出てきたか。
まひろは切り返す。だったら道長様も生きて、私も生きられるから、と。一緒に生きていこうって事だ。誰も信じられなくとも嫌われても、この世の役目を終えたとしても、この人とだけは共に生きていく。まひろと道長、互いへの誓いが生きる源だ。涙涙だ。
この2人、最近は恋愛感情や互いへの気持ちは吹っ飛んで、ビジネスパートナーのつながりだけみたいだったから・・・全てが吹っ切れて、ここまでの心のつながりが復活したようで、嬉しい。倫子様ゴメン。
まひろは、それこそ生きる気力を失うぐらいの酷いことを道長に言われてダメージを受けていたのにね。違うかもしれないけれど、病を得て出家を望んでいた紫の上が、光源氏の嘆き方を見て「自分はいいわ」と自分だけのあの世での往生を諦め、光源氏に手を差し伸べる感じが似てるかなと思ったりした。
まひろは宇治の川風に吹かれ、道長と共に生きる絆を確認できたことで書く気が起きた。それでこそ作家まひろ。まっさらな紙に向かい、言わずと知れた宇治十帖が生み出されていく。
まひろの書く物語:「光る君がお隠れになった後、あの光り輝くお姿を受け継ぎなさることのできる方は、たくさんのご子孫の中にもいらっしゃらないのでした」
「匂宮」か、ドラマとしてうまい持って行き方じゃない?ジーンとした。あの「枕草子」が生み出されていく感動的シーンには及ばないけれど。
道長も生きる気力を取り戻し、政界に戻るのだろう。三叉神経痛なら、風で冷えるとビリビリと痛みが戻ってくるから、よくよく温めてね。三条帝との戦いも終盤だ。
(ほぼ敬称略)