黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

【光る君へ】#17 胡蝶の夢か、長兄・道隆が逝去。権力は移ろい道長の世が近い

 NHK大河ドラマ「光る君へ」第17回「うつろい」が4/28に放送された。これから源氏物語を書いてもらわなくちゃいけないので、主人公まひろは疫病を克服し生き永らえた。彼女を寝ずに看病した道長も、これから権力者の階段を急速に上るところだから疫病にもならず、元気いっぱいだ。公式サイトからあらすじを引用する。

(17)うつろい

初回放送日:2024年4月28日

一命をとりとめたまひろ(吉高由里子)。乙丸(矢部太郎)から道長(柄本佑)が夜通し看病してくれたことを知らされる。道長は民を救うべく疫病患者を収容する小屋を建てようとしていた。その頃、道隆(井浦新)は体調を崩し衰弱し始める。定子(高畑充希)は兄・伊周(三浦翔平)が関白に準ずる職につけるよう一条天皇(塩野瑛久)に働きかける。対する詮子(吉田羊)は…。そんな中、意外な人物がまひろを訪ねてくる。((17)うつろい - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK

ショックだった「軍師官兵衛」主役の子役逮捕

 ところで、かなり驚かされたのが、ここ数日報道されていた凶悪犯罪の容疑者として、ちょうど10年前放送の大河ドラマ「軍師官兵衛」に出演していた元俳優が逮捕されたことだった。

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 単に出演していただけじゃない。彼は、子役としてではあるが、主役黒田官兵衛(演・岡田准一)の幼少期の万吉を演じ、さらに同作では、官兵衛長男の松寿丸(後の黒田長政)の幼少期まで二役を演じた。松寿丸は、父官兵衛が敵の荒木村重の説得に向かう前に、父のために味方で人質となっており、父が村重に寝返ったと誤解されて織田信長に殺されそうになったので有名だ。つまり重要な役だった。

 彼は評判が良かったから再登板したはずだ。私もよく憶えている。これはショックだ。子役とはいえ、大河ドラマの主役なのだ。大河主役を演じた俳優が、こんな凶悪犯罪に手を染めた前例は無かったはずだ。

 脚本も音楽も美術も、携わる人たちが自分のベストの作品を出してくる最高の場所。そして、俳優なら必ず出たいと望みを抱くだろう、日本で一番注目されるドラマ。そんな大河ドラマで、主役は年に一人しかいない本当に特別な存在だ。その子役なのだ。

 その最高の物作りの場に身を置き、最高の経験をしたはずの彼が、何ということだろう。彼の詳細な関与は未だ不明だが、命を失った被害者が2人もいる。

 もう「軍師官兵衛」はお蔵入り?NHKオンデマンドで配信されていると聞くが、まさかの凶悪犯罪だから放送するのも憚られるのも理解できるが、これは悲しい。時計の針を戻し、自分がどんなに恵まれた特別な環境にいたのか、誰か彼に教え諭してほしいくらいだ。

 それとも、彼の心をぶち壊すような、何かが彼の身に起きたのだろうか。他人様の命をこんなに軽く見るようになる程の・・・この10年間に何があったのだろう。悲劇だ。

疫病から回復したまひろ

 「光る君へ」に戻ろう。今回は994年(正暦五年)のスタート。朝の光の中、蝶の舞う庭を眺めに縁に出たまひろに、庭掃除をしていた従者の乙丸が声を掛ける。

乙丸:姫様!お庭を眺めるまでにご回復されて、ようございました。

まひろ:ありがとう。

乙丸:姫様のお声がまた聞けるなんて・・・。

まひろ:心配かけたわね。

乙丸:とんでもないことでございます!(照れて庭掃除続行)

まひろの心の声:悲田院で気を失う直前、道長様の姿を見たような気がするのだけれど・・・。(室内に戻ろうとする)

乙丸:姫様!(掃除を止めて駆け寄る)殿様も仰せにならないことを私がお伝えするのはいけないことかもしれませぬが・・・。

まひろ:どうしたの?

乙丸:姫様がお倒れになった日、姫様を助けてこの屋敷までお連れくださったのは、道長様にございます。(驚くまひろ)一晩、寝ずに姫様の看病をされて翌朝お帰りになりました。

まひろ:(自室に戻り、虚ろな記憶をたどる。小さく微笑む)

 古来、蝶は「再生と復活、魂・霊魂の象徴」と言われているそうだ。(蝶々の象徴 シンボル的な意味とその理由 | 開運日和 (sseikatsu.net))確かに、そんな捉え方をするのなら、まひろが回復した場面に蝶はふさわしい。

 そして乙丸。いちいちの仕草が可愛い。こんなに可愛いおじさんって存在するのか。「とんでもないことでございます!」のくだりは狙っているとしか思えない。今回は、百舌彦との従者コンビが揃って微笑ましかった。「#オトモズ」というハッシュタグもできたそうだ。考えた人、鋭い。乙丸のオト、百舌彦のモズ、合わせるとお供ズ。

 道長に「明日、まひろの様子を見てきてくれ」と言われた時、百舌彦は「あの・・・様子など、お知りにならない方が・・・」と渋り、まひろに「お前も悲田院で私を助けてくれたの?」と聞かれた時も「な、な、何のことでございますか?」と、とぼけて見せた。

 やっぱり百舌彦も、まひろに上級貴族の道長がちょっかいを出し続けるのは気の毒だ、早く切れてあげた方がいいのに・・・思っているんだろう。

 まひろは「本当に懐かしいわね」と言って笑顔になった。百舌彦乙丸の従者コンビには、長生きしてずっといてほしい。

 ところで、本筋のまひろの方だが、前回を思い返してみると悲田院でフラフラの状態になるまで動いてしまって道長に再会、意識を失い記憶が虚ろ、という状況の吉高由里子の演技が秀逸だった。ああいうことがワザとらしく無くできちゃうんだな。

 ポンコツ体質の私も倒れるまで動いて、後から「無理しちゃダメ」と怒られる。未だに加減が分からないのだ。だから吉高の演技を見ていて「本人は大丈夫なつもりで動いちゃうんだよね・・・わかるよ・・・勢いで動いている方が楽、止められないんだよね」などと、変に感情移入してしまった。

 さて、回復した頃合いのまひろに、とうとう父為時も道長との関係を質してきた。この時、まひろが文机に広げていたのは「荘子三」と書かれた巻物だった。

為時:よいか?

まひろ:はい。

為時:(部屋に入ってきて、目を逸らしたまま)大納言様とお前の間はどうなっておるのだ?

まひろ:(文書に目を落としたまま)どうもなっておりませぬ。

為時:(まひろを見て)されど、お前の看病をする道長様のまなざしは、ただ事ではなかったが。これをご縁にお前のお世話をしていただくことは出来ぬであろうか。

まひろ:(やめてくれと言わんばかりに)父上。

為時:(まひろの背後に座り)どうでもいいおなごの看病をあのようにするとは思えぬ。

まひろ:(為時の方を向いて)それは無いと存じます。あの時、もし私をお気に召したのならば、今頃、文の1つくらい届いておりましょう。

為時:これから来るやもしれぬ。

まひろ:お望みどおりにならず、申し訳ございません。(頭を下げ、ほほ笑む)

為時:(廊下を行く。いとに別室へと引っ張り込まれる)おおお。

いと:あれは偽りでございますよ。

為時:(溜息)聞いておったのか。

いと:女の私には分かります。姫様と大納言様は、間違いなく深い仲。私の目に狂いはございません。

 為時は、この時に訝しげな表情をしていたが、いとが正解。こちら関係に疎そうな為時は、まひろに簡単に煙に巻かれた。事前に乙丸から状況を聞いていたまひろは動揺せず余裕を見せたが、しかし、いとの目は誤魔化せなかった。

 ここで不思議なのだが、何もかも知っている乙丸を、どうして為時もいとも質さないのか。乙丸からは言いそうもないが、殿様から質されれば、まひろと道長のこれまでの経緯を説明するのではないかと思うが・・・従者のプライドが許さない?暗黙の了解で聞いちゃいけないものなのか?

倫子相手に、固い酒をごくんと飲み込んだ道長

 まひろや直秀への誓いを胸に道長が建設に邁進する、疫病の救い小屋の件で、自費でやれと兄の関白道隆に言われた道長は、「私の財もお使いくださいませ。私は殿を信じております。思いのままに政をなさいませ」と嫡妻・倫子の後押しを得て、大いに喜んだ。ここで、ナレーションが「平安時代の夫婦は別財産で、この夫婦の場合は倫子の方が多くの財を持っていた」と説明する。

 しかし、抜かりのない勝負師の倫子様は、ここで道長を喜ばせておいて「それより殿。悲田院にお出ましになった日、どちらにお泊りでしたの?高松殿ではありませんわよね?」と、スッと核心を突いてきた。何という絶妙なタイミング。

 倫子に酌をされた酒をブハーっと吹き出す訳にもいかず、ポーカーフェイスで「ゴクン」と飲み込み「高松ではない」と応じた道長だったが、よほど固唾を飲みこむ思いだったのだろう、ゴクン音がしっかり聞こえてきた。

 「内裏に戻って朝まで仕事をしておった。ハハ」と倫子からほぼ目を逸らし、一瞬倫子の様子を伺って言った道長に対して、「さようでしたか。お許しを」と言いつつ、何事も漏らさないぞの意志が感じられる倫子の目。道長は劣勢だ。

 その後、廊下を歩く道長の心を過るのは、熱に浮かされたまひろの姿だった。「まひろはよくなったであろうか」と、立ち止まって考える道長の姿を、倫子様の意を汲んだ誰かが柱の陰から監視していそうな気がするし、悲田院お出ましの日の内裏の宿直記録(?)の確認には、既に誰かが急派されているような気がするね。

 ここでも、倫子様は道長従者の百舌彦を問い質さない。百舌彦の場合は道長の子飼いだから、たとえ北の方とはいえ道長を裏切って倫子の命を聞くとも思えないが、乙丸も百舌彦も、従者は主人の行動を何でも知っているよね。はて?

いよいよお別れ、井浦新の中関白道隆

 今回は、関白道隆の「飲水の病」が進行、体調が悪化した彼は、995年(長徳元年)4月10日に亡くなった。井浦新の道隆は、「権力者あるある」で徐々に横暴になり、晩年の今回はついにゾンビ化した。でも、彼だからぎりぎり品が保たれた。

 井浦新って不思議な俳優さんだ。彼が出てくると雅やかなんだけれど「そのままで終わらないよね」と期待してしまう。「平清盛」で崇徳上皇を演じ、怨霊への変化を鮮烈に見せてくれたのが記憶にあるからだろう。今回の道隆でも鬼気迫る演技を見せ、一条帝の中の人はトラウマにならないか心配だ。

 道隆については、時代考証の先生の解説が公式サイトにある。(をしへて! 倉本一宏さん ~藤原道隆ってどんな人だったの? - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK

 道隆は、990年(正暦元年)5月に38歳で摂政となって以来、その年の内に嫡男伊周を蔵人頭に、定子を中宮に、嫡妻の貴子をも従五位上から正三位に引き上げた。身内びいきで関係者を挙って昇進させ、他の公卿らの顰蹙を買ってきた姿はドラマでも描かれ、ロバート秋山演じる藤原実資がよく怒っていた。

 今回の道隆の壊れっぷりを見ていくと、

  • 糖尿病で視力が損なわれ、帝の前での笛の演奏中に倒れる
  • 呪詛でなく寿命が尽きると安倍晴明に告げられた際、水差しごと水がぶ飲み
  • 改元によって疫病蔓延の状況打開を試みたものの、「長徳」⇒「長い毒」で縁起最悪で裏目
  • 病状が進んだおぼつかない足取りで後宮の登華殿に押しかけ「皇子を産め」と余りにもストレートな物言いで中宮定子を困惑させた
  • 帝の御座所の御簾をめくりあげ、息子伊周を関白にせよと掴みかかろうとした

 まだあったかもしれない。上品だった兄上がどうしてそこまで・・・その執念が哀れを極め過ぎて、こちらも涙を誘われた。元号の「長徳」については、公式サイトの「ちなみに日記には」コーナーで、公任の言葉が実資の「小右記」に記録されていたのを知った。

ちなみに 『小右記』には…

長徳元年(995)2月23日条

◆◇◆◇◆

藤相公(藤原公任)が伝え送って云(い)ったことには、「長徳は俗忌(ぞくき)があるようなものである。長毒と称すべきか。また日本の年号は、『徳』の字はただ天徳だけである。あの年には疫癘(えきれい)があった」ということだ。(ちなみに日記には… 大河ドラマ「光る君へ」第17回より - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK

 道隆は、父兼家が望んだように家が大事。汚れ仕事を担った道兼と違い、嫡男としてきれいに掃き清められた道を歩み、「政とは家を守ること」という父の教えに素直に従ってきたようだ。だが、政権を掌握してまだ5年で寿命を迎えるとは思いもせず、最期まで愛妻高階貴子とその子ら、伊周・隆家・定子を守る一念で、力の限り足掻くことになったのだろう。

 彼にとっては正義でも、はた迷惑なことだ。

胡蝶の夢と、貴子が詠んだ歌

 道隆の「貴子を見初めたのは内裏の内侍所であった」という言葉は、まだそこまで病状が明らかでなかった道隆が、酔っぱらって膝枕でご機嫌な時には、貴子も「そうでございましたわね」と明るく受けていた。

 それが、死に際での同様のセリフ「そなたに会ったのは内裏の内侍所であった。スンと澄ましたおなごであった」には、「道隆様はお背が高く、キラッキラと輝くような殿御でございました」と明るく言いながらも、貴子の言葉尻は涙声になった。リフレインが効いた。

 少し前のシーンで、まひろが書写していた「荘子」の一節。「胡蝶の夢」が大写しになったので、何のことだろうとウィキペディア先生をチェックしたら、このようなことだった。

夢の中で胡蝶(のこと)としてひらひらと飛んでいた所、目が覚めたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも実は夢でみた蝶こそが本来の自分であって今の自分は蝶が見ている夢なのか、という説話である。この説話は「無為自然」「一切斉同」の荘子の考え方がよく現れているものとして有名である。(胡蝶の夢 - Wikipedia

 夢が現か、現が夢か。ブログ冒頭に書いたように、蝶は魂を象徴するもの。道隆の人生を暗示するような蝶が春の光の中でひらひらと庭を舞い、彼は最期を迎えた。憎い演出だ。

 そうそう、死に際の道隆は、貴子作の和歌を口にした。まるで父兼家が死の前に妾の道綱母の作を詠んでみせたのと同じ行動だ。「儀同三司母」が高階貴子と同一人物とは知らなかったが、百人一首にある歌だ。有名な歌じゃないか。道隆は「あの歌で、貴子と決めた」と言った。そんなことを言われたら、泣くのを我慢していても貴子、泣けちゃうよなあ。

忘れじの 行く末(ゆくすゑ)までは 難(かた)ければ
今日(けふ)を限りの 命ともがな

現代語訳:「いつまでも忘れない」という言葉が、遠い将来まで変わらないというのは難しいでしょう。だから、その言葉を聞いた今日を限りに命が尽きてしまえばいいのに。(忘れじの行末までは難ければ 今日をかぎりの命ともがな | 小倉山荘(ブランドサイト) | 京都せんべい おかき専門店 長岡京 小倉山荘 (ogurasansou.jp.net)

 引用させていただいたサイトの説明によると、

儀同三司は准大臣のことで、三司(太政大臣・左大臣・右大臣)と儀が同じという意味です

とのこと。儀同三司とは伊周のことで、つまり儀同三司母といえば「伊周の母」ということなんだそうだ。なるほど。

 お腹いっぱいになるくらいの雅な演出で飾られた、道隆の旅立ちだった。

今回も、嫌われ者伊周

 道隆ら両親に、はた迷惑なほど愛された伊周だが・・・相変わらず鼻持ちならない彼には、道兼のような「光堕ちコース」は用意されて無さそう。今回も、視聴者の女性陣に嫌われそうなセリフが弟隆家との会話で炸裂した。

隆家:兄上!どちらに?京極の女ですか?堀川の?あっ、西洞院。

伊周:さきの太政大臣、三の君だ。

隆家:光子様。はっ、それはまた・・・。

伊周:「また」何だ?

隆家:かりそめのおなごにしては、大物だなと。

伊周:家に帰ると子が泣いてうるさいのだ。致し方あるまい。

隆家:よし、俺も出かけよう。あんな父上、見てらんないもんな。

 「子が泣いてうるさい」か・・・自分の子なのに。伊周の幼さ、自分勝手さが浮き彫りになるセリフだ。ところで、伊周の「さきの太政大臣の三の君、光子様」へのお通いが、今後の大事件の伏線であることは間違いない。ここでちょっと見せておくのだな。

東三条院VS.中宮定子の戦い

 関白道隆の逝去を前に、妹の一条帝の母・東三条院(吉田羊)が動いた。今後の話をするために、他の兄弟、道長と道兼を呼んだのだ。

東三条院詮子:そんなに悪いの、関白は。

道長:飲水病であろうと薬師が申しておりました。

詮子:浮かれすぎたから、罰が当たったのね。お若い頃は優しい兄上だったのに。・・・次の関白は、道兼の兄上であるべきよ。

道兼:なんと・・・。

詮子:だって、それが真っ当な順番でしょう。だから今日、道長に一緒にお連れしてと言ったのです。

道兼:今宵はそういう話だったのか。

詮子:私は、道兼の兄上のことが昔から好きではありません。されど、あの出過ぎ者の伊周に関白になられるのはもっと嫌なの。だから、道兼の兄上を後押しするわ。

道兼:女院様にお助けいただく身になるとは、不思議な気がする。また道長に借りを作ったな。

道長:(一礼して)では姉上。帝にお話していただけますね。

詮子:内裏に行くのは嫌。

道長:え?

詮子:定子に首根っこをつかまれているような帝、見たくないもの。

道長:え・・・ならばどのようにして、道兼の兄上が・・・。

詮子:他の公卿を取り込んでおくわ。そもそも大納言も中納言も参議も、公卿は皆、伊周が嫌いだから、そこは私が一押しすればうまくいくはず。

道長、道兼:お~。

 父兼家譲りの策士・詮子だけに、道長も道兼も感心するばかり。国母という立場上、兄道兼相手だろうが怖いもの無し、バンバン思うことを正直に言う。彼女が出てくると痛快で面白いが、続く中宮定子の方も負けていなかった。

 定子は内々に先例を調べさせておいて「父上のお命のあるうちに、兄上は帝から内覧のお許しを得られませ」と、兄伊周を呼んでアドバイスした。自分も帝に強くプッシュすると言う。

 「内覧とは、帝に奏上する文書や帝が宣下する文書を、事前に読むことができる関白に準ずる職である」とナレーションが説明する通り、内覧になってしまえば関白になったも同じ。定子は「20年ぶりでも何でも、やってしまえばよいのです」と言ってのけ、「定子は凄いな。男であったら俺なぞ敵わぬやも」と、いつもは自信満々の伊周を感心させた。

 ここにも「男であったら」の優秀な女性がいた。防衛戦の筋書きを描き、知恵を巡らせているのが実は詮子と定子という設定が、面白い。

 この後、死を悟った道隆は、道兼を「火急の用」だと言って自邸に呼んだ。道兼に「支えてやってくれ。酷なことをしないでくれ」「どうか、どうか」と妻子の行く末を頼む様子は、まるで豊臣秀吉が秀頼のことを頼みまくった姿さながら。すっかり善人の道兼は、兄に対して毒づくこともなかった。

自立を目指す帝

 瀕死のフラフラでも内裏にやってきて「病の私に代わり、全ての政務を内大臣伊周に委ねることをお命じ頂きたく」「何卒、内大臣に内覧の御宣旨を」と、定子のアイデアに沿って懇願した関白道隆に対し、帝は即決せずに「下がれ」と命じた。後に、伊周を内覧にはするが、「関白が病の間」という条件を付け釘を刺した。

 関白の申し出を無下にもできぬが「言いなりになってもならぬとも思う」と言った帝。帝が未熟であると嘆く実資ら公卿の声も耳に入っているからだろう。愛する定子は守るが、その一族どっぷりにはならないとの自立心が、帝なりに芽生えている。

 その後、「伊周を関白にお命じ下さい」と御簾をめくってまで帝に強要しようとした道隆は、蔵人頭・源俊賢らに排除されたが、恐ろしい程の執念に帝は完全に怯えていたようだった。

 こんなプレッシャーに晒され続けるのだもの、大事に守られても、帝が長生きできないのも無理はない。父の円融帝は33歳で崩御、この一条帝も31歳ぐらいだったと思う。騙され退位させられた前任者の花山帝はむしろ幸せだったかも。

清少納言に転がされる斉信

 ちょっとだけ触れておきたいが、はんにゃ金田演じる斉信と、ファーストサマーウイカ演じる清少納言(ききょう)が、いつの間にか深い仲になっていた。斉信は、職務遂行中で両手が塞がっている清少納言をつかまえて、馴れ馴れしく胸元に紅葉の葉を滑らせ入れた。けしからんなー。

 確か前回、斉信は「道長はいいよな~」と、その気になれば娘を入内させられると羨ましがり、まだ間に合うんじゃないかと公任に言われた。それで、中宮定子気に入りの女房・清少納言が、娘の母候補としてターゲットになったのか?そうすれば入内しやすいと考えて?

 ただ、斉信の思惑通りに簡単にコントロールされる清少納言じゃない。むしろ手玉に取られたのは彼の方だった。

斉信:(登華殿の廊下を、両手で花を捧げてしずしずと歩く清少納言に)なぜ返歌をくれぬのだ?

清少納言:あら、そうでしたかしら?

斉信:(前に立ちふさがり)とぼけるな。俺をコケにするとはけしからん。(清少納言の胸に、紅葉を差し込む)

清少納言:深い仲になったからといって、自分の女みたいに言わないで。(視線を投げ、立ち去る)

斉信:男ができたのか?前の夫とよりを戻したのか?(ついてくる)

清少納言:(広間に花を飾る)だったらどうなの?(斉信を見る)

斉信:・・・そうなんだ。

清少納言:そうじゃないけど、そういうことをネチネチ聞くあなたは本当に嫌。(斉信の胸元をなでながら。斉信が口づけしようとするが、かわす)そろそろお越しになるわ(立ち去る)。

 斉信みたいに損得勘定ベースで絡んでくるうるさい奴を、いなすキレキレの女房。それを雅と見るか、ハラスメント満載の世界と見るか・・・。とりあえず清少納言は、道隆が定子にあからさまな物言いをし始めた時も、サッと目配せして御簾を仲間の女房と一緒に下ろし主人の姿を表から隠し、道隆をじっと見ていた。

 定子もカッコ良かった。「皇子を産め・・・早く皇子を産め!」と執拗に迫る父の横暴にも「帝は、まだお若くておいでですので」「それなりに努めております。帝の毎夜のお召しにお応えしております」と一切取り乱すことなく毅然と返した。

 次回予告では、せっかく「光堕ち」して道長とも手を携えていた道兼が、公卿が居並ぶ前で倒れ、道長が「兄上!」と叫んでいた。良い人になった道兼は、あっけなく逝くのだね・・・まひろと仲直りした「さわ」の言葉「人に許された年月は実に短いのだと知りました」が胸に沁みる。

(ほぼ敬称略)