黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

(2)DVの果ての生き地獄--軽く見られた妻の証言

前回からつづく
 
<裁判官・裁判員のDVへの認識は・・・>
市民が裁判員になって裁く裁判員裁判の難しさを語るときに、一般に持たれている偏見にまみれている側が不利になるとはよく言われる。今回はその難しさが出てしまった裁判なのではないだろうか。被害者側の妻Cは、さまざまな点で困難を抱えていた。
 
まず、このACの夫婦関係を語るときに欠かせないDVについての認識を、果たして裁判官・裁判員が正確に持っていたかどうかは不明だ。検察も、DVに触れてはいたが、固定観念を改める程度にまで基礎的な考え方を説明していたかというと、傍聴した範囲では、していなかった。
 
つまり、裁判官・裁判員ともに、DV関係という特殊な関係への基本的知識を持ち合わせないまま、自分の日頃の知識や経験に頼って判断をせざるを得なかったのかもしれない。
 
ただでさえDVは「どうして逃げないの」などと被害者側に対して理解のない疑問が向けられがちで、関係が近すぎるがゆえに、暴力を振るわれる側にも落ち度があるのではないかと見られがちだ。「自分さえ我慢すれば」とか「暴力がなくなるかも」とか「また暴力をふるわれるかも」との考えから被害者が逃げなかったり、気持ちが揺れたり、加害者に迎合的な態度を取ったりする心理状態への理解や、また反対に、人によって二面性を使い分けるDV加害者の特徴への理解などなど、「裁判員は2時間はDVについての講義を受けてもらいたいもの」という声もある。
 
今回の裁判も、そういった知識があれば、Aが妻C側を責めて「一貫性がない」など、あれこれ供述していた内容にさまざまなDV関係の側面が顔を出していていることに気づき、何事もCを悪者にしたAの言い逃れが、そのまま裁判所に受け取られることもなかったのではないだろうか。「離婚を決めているのに事件当日に性行為に応じたのはなぜか」との質問がCに対して裁判長からあったが、Cの「何をどう言ってもAはするから、面倒になって受け入れてしまう」という典型的なDV関係を思わせる回答をどう聞いただろうか。
 
「なぜ本当のことを言ってくれないのか」「どうして本当のことを話さないんですか」と被害者参加をした妻CとCの父親(Bの祖父として)が被告人質問でAに聞いていた。限られた時間の中では、そう聞くのが精一杯だったのかもしれないと思う。さらに、Cの母がBの祖母として被害者の意見陳述を行った中で、5年以上もAの自発性を尊重しつつも外国人のAに適宜サポートの手を伸ばして粘り強く見守っていた被害者家族の様子が垣間見えた。
 
しかしながら、Cとその両親の訴えは、Aの饒舌な責任転嫁のストーリーをひっくり返すまでには至らなかったようだ。
 
<被害者Cへの偏見>
さらに、ここで触れる必要があると思われるのは、裁判員が持っていたように見えたCへの偏見だ。Cは高卒で、銀座でホステスをしている。銀座のホステス、と聞くだけで週刊誌の見出しが躍りそうなものがあり、最近は若い女性の就職先として人気があるとも聞くが、羨望の目と裏腹に、蔑みの目も向けられがちなのは事実だろう。
 
Cにとって不利に見える点を挙げて行くと、Aが洗いざらい暴露したところによれば、Aの兵役の渡航費のためとはいえ、Cは過去に身を売ったことがある。離婚を決意した現在、結婚を考えている相手がいる。そのほか、困った時に金銭的援助を申し出てくれるような人もいる。Aは「CがTOEICで700点以上を取り、バイリンガルとして彼女にふさわしい仕事をしてほしかった。ホステスの仕事を辞めてほしいと望んでいた」と法廷で話しているが、TOEICについては、Cの点数はAの望み通りに上がることはなかった。
 
一方で、平等にAに対する偏見をかきたてるようなことを書いてしまうと、Aは、来日しCと出会い結婚してから少なくとも5年以上も定職に就かず、日本語も学ぼうとしないに等しく片言しか話せず、そのため紹介してもらった仕事も解雇され、同居させてもらっているCの家族とも交流せずに1日暗い部屋に閉じこもりパソコンでゲームに興じていた。東洋人を殺戮するゲームがお気に入りだったそうだ。そして、家族会議の結果、昨年の内に日本語を学び定職に就くことを約束させられても、パソコン相手の生活態度は改まらなかった。Cに暴力をふるっていたのは前述の通りだ。こうして離婚が決まり、事件の3日前にはCの実家をAはひとり出て行くことになっていた。
 
さて、Cは、1人で家族3人の生活費を稼ぐために効率のいい働き口としてホステスを選んだ。日中、子供の面倒を見られて、日本語のできない夫からの「そばにいてほしい」とのリクエストにもかなう。職場では、英語を操れることを重宝がられ、語学要員として扱われていた。しかし、親族の証言によれば喜んでホステスだったわけではなく、保育園の空きや日中の仕事を調べたりもしていた。
 
そこで裁判員はどんな質問を証人Cにしたか、である。Cは、背筋を伸ばし、黒いスーツを着て髪をまとめた姿は普通に落ち着いて見えたが、その実、治る見通しのつかないPTSDのために抗うつ剤睡眠薬などを毎日大量に飲んでいると証言していた。証人尋問よりも後になるが、Cの母親からは、殺されたBのために事実を証言できるのは自分だけだからと、飲めるだけの薬を飲んで悲壮な覚悟で法廷に立っているとの意見陳述もあった。
 
しかし、証人Cに裁判員から浴びせられた質問は、目の前でわが子を殺され、自らも重傷を負わされた被害者に対するいたわりは感じられない、まるで原告と被告が対等の離婚訴訟であるかのように、容赦のない厳しさがあった。
 
「結婚した時は双方とも愛情があったと思うが、生活が苦しいとはいえホステスという職業をしなければならない必要があったのか」「ホステスについての理解は?愛情にひびが入るとは思わなかったのか」――また、生活費のあれこれを計算し、余裕のある生活を手放せないから夫の希望にも関わらずホステスを続けているのではないかと言わんばかりの質問もあり、「あなたがホステスだからいけないのよ」と言外ににじみ出るものがあった。
 
この不況下、1歳の子と働かないDV夫を抱えた高卒女子が、同居させてもらっている親にも金銭の支払いをしつつ、短時間勤務でそれなりの月収を確保する困難さには思いが至らないかのようだった。
 
<ホステスの子は、仕方ないのか>
Aは息子Bの殺人については「抱きしめたかっただけ。不注意なしぐさに起因する突発的な事故だった」として無罪を主張、妻Cへの傷害については確定的な意思によるものではないとして執行猶予付きの判決を求めていた。検察は、殺人と傷害の2つの罪を併せて最長懲役30年の求刑ができるところを、たった17年しか求刑しなかった。それでも、子殺しとしては長いのだそうだが。被害者参加制度を使って裁判に参加した被害者側は、参加弁護士が「厳罰を求めます」と言い、妻Cは「Bには何の罪もない。息子の命を道具に使うような人間には、生きている価値がない」と言いながらも、「一生刑務所に」と暗に無期懲役を求めたのだったが・・・。
 
被害者は、愛らしく誰からもかわいがられ、1歳半まですくすく育っていたBだったはずだ。その命を奪ったのは父親のA。この裁判で裁かれたのはAだったのか?3か月の重傷を身体的にも負わせられ、そして息子を面前で殺された悪夢に今も苦しめ続けられている被害者Cの方が、被告人のAよりもきつく法廷で裁かれてしまったのではなかろうか。被害者が利用できるパーティションや、ビデオリンクなど自分を守る保護措置を使わずに、逃げることもせず息子のために裁判に臨んだCだったのだが…「こんな男性を選んだ私も悪い」と自ら言っていたが、それは刑法の外のこと。こんな裁判が今後もDV絡みで繰り返されてしまうのは怖いことだ。後味の悪い、厳しい結果になったように思う。
 
参考文献:
NPO法人レジリエンス著『傷ついたあなたへ わたしがわたしを幸せにするということ DVトラウマからの回復ワークブック』2008年、梨の木舎
同『同ワークブック2』2010年、同。
吉浜美恵子=釜野さおり編『女性の健康とドメスティック・バイオレンス――WHO国際調査/日本調査報告書』2007年、新水社。