黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

DVや暴力の理解のために

 最近、ろくに新聞を読んでいなかったので、日本でも報道があったのかもしれないが、アメリカで現在、性虐待に関する裁判が大々的に報道されているという。大昔に留学していた州の話だと聞いて、あわててネットをチェックしてみた。
 
 フットボールの強い大学だと聞いたので、もしかしたらと思ったら、やはりペンシルバニア州立大学(ペン・ステイトと呼ばれる方で、ユー・ペンと呼ばれるペンシルベニア大学とは異なる)の話だった。そのフットボールチームのアシスタントコーチの68歳の男性、ジェリー・サンダスキーが、直接立件されているだけでも10人の少年(今は18~28歳)に対して、15年にわたって性虐待を続けていたという。
 
 本人は否認しているらしいが、有罪と確定すれば、合計で500年間もの長期間、刑務所に入ることになるそうだ。この大スキャンダルに大学は大揺れだそうで、名将とうたわれた、高名なコーチのジョー・パターノ氏は、部下の犯罪を知りながら隠そうとしたらしく、学長とともに昨年11月に大学を追われ、今年1月に肺がんで亡くなったという。
 
 パターノ氏は、米大学フットボールの殿堂入りもしていたほどの人物だそうなので、大学フットボールファンにはショックな話だろう。惜しいことだが、性暴力者を野放しにし、弱い立場の少年や学生たちを助けなかったのだとすると、かばいようがない。
 
 法廷で、被害者の10人は、名前を出して証言をしているようだ。しかし、報道では匿名になっていた。恐れと、はずかしさからこれまで誰にも言えなかったようだが、男性の被害者の方が性暴力の被害を申告しづらく、相談もしづらい環境にあるのではなかろうかという指摘は、よく耳にする。
 
 数年前、東北のある場所で、幼少期の性暴力を恨んだ男性が近所の知人男性を殺害する事件があった。復讐を遂げたということだったと記憶しているが、性暴力が、いわゆる「いたずら」などという軽い言葉で表現され、そのように社会で扱われてきたことが、被害者の苦しみを倍増させていたことだろう。
 
 冒頭に紹介した米大学でのスキャンダルについて耳にしたのは、週末の6月16、17日に参加した「レジリエンス (Resilience=回復力、復元力、元気といった意味)」というNPO法人の講座でのことだ。最近も、米国での研修に参加していたという同法人の中島幸子さんが話していた。
 
 この2003年に結成されたNPOは、DV(ドメスティック・バイオレンス)やモラルハラスメント、トラウマなどによる「心の傷つき」に焦点を当てて活動している。周囲の人ができるサポートを、予防・介入・その後の心のケア、の3つに分けて考えた時に、最後の「その後の心のケア」が不足していると考え、その点を重視しての活動だとパンフレットの説明にはある。
 
 活動内容は、カウンセリングなど被害者のサポートだけでなく、DV、心の傷つきや暴力防止に関する講演、支援者向けの研修などを実施している。
 
 私が受講したのは、ファシリテーター養成講座といって、被害者をサポートする心のケア講座のファシリテーターとなるためのものだ。6日間の朝から夕方までの講座は、まだあと4日間、週末を使って続く。第1日目は「DV・トラウマを理解する」と「精神的暴力・モラルハラスメント」、2日目は「身体的暴力・性暴力」と「自尊心」についての講座があった。
 
 以前、ある大学のシンポジウムの手伝いをした時に、パネリストとして招かれていた中島さんのお話を聞いてプログラムに紹介記事を書き、大切な活動をされていると感服したのがレジリエンスを知った始まりだった。
 
 それ以来、私はレジリエンスの著作物には大変にお世話になってきた。DVについて「よく分かんないんだけど」などと言われると、迷わずこちらの「DV加害者の実体」「ランディ・バンクロフト氏が答えるQ&A」をとにかく読んでちょうだいね!と、勧めることにしている。
 
 勝手に応援団のようなことをしているわけだが、そうしたくなるぐらい、納得できる説明がコンパクトに分かりやすく書いてあるのだ。DVが「親しい相手からの、尊重の無い執拗なコントロール(支配)」であるといった構造・仕組みといったものがよく分かる。
 
 中島さんと同じく、講座に登場している西山さつきさんは、東京都中野区の区立中学校で生徒に対してのお話もされているそうだが、今、若者に知ってもらいたい「デートDV」ということだけでなく、「いじめとか暴力の無い、健全な人間関係の作り方に通じる話で、みんなに聞いてもらいたいと思った」と西山さんの中学校での話を聞いた犯罪被害者の遺族が、被害者の集まった席で言っていた。本当にそうだ。
 
 DVと報道されていなくても、DV絡みをうかがわせる事件は世の中にたくさんある。いや、むしろ犯罪者の頭の中には「自分の意思を通すためには、何をしても良い」とのDV加害者に共通した考え方が横たわっていると私などは感じる。
 
 人間関係が問題にならない交通犯罪は違うのではないか?とも考えたことがあったが、再考してみると、過失犯ではなくて、「危険運転」という故意犯として見ることのできる人たち、自分がスカッとするために尋常でない高速度を出したり、代行業者を呼ぶのが面倒だからと飲酒運転をしたりする人たちというのは、自分が事故を起こして歩行者や他の車を巻き込むことについては、全然理解できないわけではないのに、フタをして考えないようにしているようなところがある。
 
 それはなぜかと言えば、まさに自分の意思を通すために邪魔になるからで、フタをしてしまうことで「しても良い」と自分の欲求にゴーサインを出している。その「何をしても良い」「自分はそれが許されている人間」という誤った認識を持っているという点では、やはりDV加害者の思考方法と犯罪者のそれとは、交通犯罪を含め、やはり共通していると言えるのではないか。
 
 「ムシャクシャしたから」という言い訳が、犯人が捕まってから報道されたりする。「だから何だって言うんだ」と私は必ず記事を読みながら突っ込んでしまうが、普通の人はムシャクシャしたからといって暴力に訴えない。犯人は、「やってもいい」と頭の中で自分にゴーサインを出しているから、そうしているのだ。
 
 講座で西山さんが例に出していたのは、電車が止まった時などに駅員に大声でがなり立てている人たちについてだった。怒鳴れば電車が動くというなら、みんなそうするだろうが、そうではないことは誰もが分かっているはずだ。
 
 では、この駅員に怒鳴っている人が、何か仕事上で滞りができたからといって、職場で上司を怒鳴り倒すかと言えば、そうしないだろう。むしろ、職場ではおとなしく仕事をしているタイプが、憂さを駅員に晴らしたいがために難癖をつけている・・・というのが正解ではないか。時と場合と、そして「相手」を見て行動しているのだ。
 
 周囲は、この人が持つ「二面性」の巧みな使い分けには注意しないといけない。この人の外面の良い方だけを知っている人は、この人から被害に遭っている被害者の声を信じない。それが被害者を孤立させ、周囲からの助けを得にくくしていったりする。
 
 アメリカでは、こういったDVの本質的な事柄について学ぶ研修会は、各州から集まった警察官で盛況だそうだ。米国で法学博士号やソーシャルワーク修士号を取得している中島さんが今年4月に参加したものも、会場の駐車場には各州のパトカーがずらりと並んでいたそうだ。
 
 日本では、パートナーの暴力を相談した被害者に「神経質すぎるんじゃないの」「暴力も愛情の表れだから」などと言って取り合わず、被害者を絶望の淵に叩き込む呆れた警察官がいる一方、なぜアメリカの警察官はそんなに熱心なのか…?
 
 「それは、DVの現場に駆けつけて先ず撃たれる警官が多いから」だと中島さんは言っていた。銃が普通に家庭にある環境では、警察官の危機意識に違いがあるのも不思議ではない。DV加害者は、自分の支配から被害者が離脱するのを許さない。なるべく恐怖感を植え付け、「逃げても無駄」と思い込ませて離脱する気を削いでいくが、それでも被害者が加害者のもとを離れようとするときには、危険が高まる。殺そうとすることも稀ではない。
 
 そして、その離脱を助けようとする、つまり自分の邪魔をする人間は排除するのだ。それが加害者には正義なのだ。不幸にも多くの殉職者を出しているからこそ、DVの本質を理解しないとマズイと、アメリカの警察官は理解しているということなのだろう。
 
 「普通の犯罪は現場のエビデンス(証拠)を押さえればいい場合が多いが、DV・虐待は違う。エビデンスのほかに、人間関係や力関係を入れて考えないといけない」「男性は女性を攻撃するときに首を絞めれば足りる。女性は、爪や歯の身体の固いパーツで抵抗する。流血だけに気を取られると、被害者と加害者を取り違え、事件の解決につながらない」といった内容を、アメリカの警察官は学んでいるのだそうだ。
 
 日本でも、7~8年前に1度だけ警察に招かれて中島さんは話をしたことがあったそうだが、ひとりを除いて出席者は全員女性だったそうだ。「男性こそが聞いておくべき話なのに、婦警だけが聞いておけばいいという差別感が問題」と中島さんは指摘していた。
 
 切りがないので、講座の中身を全部を書くわけにはいかないが、興味を持たれた方は、ぜひ講座を受講してみてもらいたい。レジリエンスの著書を読まれるのもいいだろう。活動が世間に広く知られ、たとえば裁判員裁判において選定された裁判員が「事前研修」としてレジリエンスの講座の一部でも受講してくれないか…と個人的には思っている。