春分の日の21日、幼馴染のKが亡くなったと、昨日になって知った。
家族の手で、もう密葬も済んでいた。
Kはたぶん人生で一番最初の友達だと思う。
向こうにとっても、たぶんそう。
保育園のころは、いっしょにお風呂にも入ってたな。
小柄で、マコトちゃんヘアで、男だけどエレクトーンがうまくて、
おやつ作りもうまくて、シュガートーストなんか焼いてくれた。
私が留学するときの寄せ書きに「これで18年間の恐怖も一区切り」と書いてあって、
なんのこっちゃと思っていたけれど。え?怖かったの???
披露宴のDJもしてもらった。
でも、最近は全然連絡を取っていなくて・・・
「連絡をくれ」と名刺を二枚もらったのはいつだったか。
実家の母親経由で、手元に届いた。
バス停で会ったのだそうだ。
表参道のKの勤務先は、私が通う病院の近くだったと思う。
通院のついでにランチもいいかもね、と思ったが、
いいかげんにも名刺はどこかにしまってしまった。
あちらは実家にそのまま住んでいるし、帰省すればいつでも会えると思っていた。
それに・・・もうちょっと、こちらの体調が回復してから会おうと思っていた。
心配させていると知っていたから。
それが、それなりに元気になったら忙しくなり、実家にも足が遠のき・・・。
まさか、あちらが1年前の3月から体調を崩しているとは知らなかった。
口止めされて、知っていた友人は地元の2人だけ。
ずっと他の友人たちには言えずに、痩せていく本人を見舞うのはつらかったと思う。
昨日は、「よく耐えてくれたね、ありがとう」と電話口で泣くしかなかった。
Kも、元気になってからみんなに連絡しようと思っていたのかな。
本人も・・・死ぬとは思っていなかったのではないかな。
今、急に身軽になって、びっくりしているかもしれない。
実は隣にいて、頭をガンガン小突かれているかもな・・・。
いいよ、小学校の時に背中をバンバン叩いてたもんね、私。
いくらでもどうぞ。
昨日から涙が止まらないが、
「グリーフケアを学んでいるんでしょ」と家族に言われたので
「おお!しっかり泣いて泣いて泣きまくるぞ!」と宣言した。
ご家族の許可が出たら、みんなで会いに行くよ。