黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

コントロールを免れるには

 浮気した夫を心底反省させる、法に触れない仕返し方法とは?との問いに、カウンセリングもするという離婚弁護士が「精神的に家族に依存させておいて、取り上げる」ことを提案していた。(http://www.bengo4.com/c_3/c_1020/n_3533/

 悪魔的なことを書くようだが、人をコントロールしようと思ったら、とことん自分に依存させるといい。何でも「いいよいいよ、任せて」と相手を無力化させておき、その人の自立を妨げるのが一番だろう。依存の結果、「あなた無しでは立ち行かない」となれば、相手は多少なりともあなたの支配下に置かれ、ある程度は言うことを聞かざるを得なくなる。

 現在はそうでもないだろうが、以前の日本では多くの夫に家事力がなかったので、表向きは亭主関白に見えて、実は妻にコントロールされているご家庭が、今の高齢世代では普通に見られたのではないか。子どもの家事教育も、女の子は小さいころから何でも仕込まれて自立が早く求められたが、男の子は遠方の大学に入って初めてご飯を炊くので右往左往・・なんて笑い話も昔はよく聞いた。

 現在と比べて女性の権利が制限されていたころ、そうやって女が男を日常生活面で依存させ、力を確保していたのだなあと思う。今は男女共に依存先は多くの家電だろうか。

 さて、依存ということで考えてみると、被害者は支援者に依存しやすい状況にある。人生の危機に直面しているときに、自分のために一心に立ち働いてくれる信頼できる人が出現すれば、それも当然だろう。しかし、一時的にはそれもいいだろうが、依存が継続するとなると問題だ。

 被害者への支援は、社会が当然に用意すべきものだ。被害者は、被害にあう前は普通の人間として本来は力があった。でも、被害によって、一時的に支援が必要な状態に陥っているように見えるだけ。そこから上手に抜け出すために、ちょっと支援者の手を借りることは、被害者になったらためらわないでほしいなあ、と思う。その誰かの突然のピンチのために、支援者は勉強もし、準備もしているのだから。

 一方、支援者は、被害者等の回復の歩みを見極めて、上手に被害者の手を放す覚悟が必要なのだと、私は先達から教えていただいた。支援は終わり方が難しい。手を放さないでいると、いつまでも被害者を支援者に依存させることになり、不必要に無力化し、結果的に上下の支配関係が生まれ、それが固定化されることになってしまう。

 フラットな横の関係の「お互い様」の意識で、できることをするのが支援だと思う。なぜなら、人はいつ被害者になるかわからないのであって、被害者は自分だったかもしれない。だからだ。それなのに、本来はフラットであるべき関係が上下で固定化されたら、きっと息苦しいと思う。

 だから「専門家」には要注意だとも、教えてもらった。もちろん悪意のある方たちばかりではないし、そんなに厳しく「支援をしようとする目的は何?」と支援者候補に目を光らせる必要があるのだろうかと、以前の私は疑問に思っていた。

 でも、弊害が大きいのだとようやくわかった。もとより専門家には被害者支援にもっと関わってもらいたいけれど、肩書に弱く縦社会の意識が強い日本人の性質も相まって、気づけば被害者は率先して専門家の軍門に下る。その専門家の頭の中で「被害者第一」の方針が貫かれれば問題はないかもしれない。しかし、万が一、被害者を踏み台に社会でのし上がることを夢見る専門家につかまってしまったら、被害者はとことん便利に、その専門家の名を上げるために利用される側になってしまうのだ。

 被害者のための団体だったはずが、特定の「先生礼賛」が過ぎ、「○○先生の団体」に見える団体もある。

 被害者の方も専門家を利用し、win-winの関係に持ち込めばいいじゃないかとも以前は思ったが、実際のところ、したたかな意志をお持ちの場合の専門家相手にそれは難しい。特に、被害で傷ついている被害者に、うまく立ち向かえと言うのは酷だ。かくして専門家の一方的な勝ちに終わるのだ。

 犯罪被害にあった上に、そんな風に「先生」の下に置かれ、搾取される一方では理不尽だ。でも、支援にかかわってくれる専門家はありがたい存在でもある。だから、やはり「被害者第一」を守るには、被害者同士が支え合って、自立する気概が大切なんだろうと思う。支援者を受け入れる場合にも、分散投資というか、1人に依存しすぎないことがその支援者からのコントロールを免れるポイントだろう。最初の例でいえば、家事について奥さん1人にどっぷり依存するよりも、たくさんの家電にそれぞれ役割を担わせる方が支配を免れ自立できるということだ。

 しかし、実際のところ距離の取り方は難しい。こちらは十分に手を放したつもりでも、周りにはそうは見えず、こちらが被害者を陰でいつまでもコントロールしようとしている悪者に見えてしまうこともあるようだ。もっと、後ずさりが上手にならないといけないな、と思う。