佐川急便のおじさんに、ニャー!
今日はスーパーの買い物や、ネットショップで買った荷物が届いた。
コロナ禍で、当たり前のようにお願いするようになった、ドア前の置き配。その荷物を自宅内に運びながら、以前はいつもドアから息子が出て行かないよう&荷物を無事に運び入れる攻防戦が大変だったな、と思った。
自然と、亡き息子がこちらを見上げて「ニャー!」と真顔で訴える様子が思い浮かぶ。張り切ってたよなー。
息子はドアから出て行こうとするだけでなく(いざそうなったら、出ていくとは思えないのだけれど)、部屋に入ってくる荷物は必ず点検しないと気が済まなかった。
ボクのごはんが届いた!と思って待ち構えていたのかもしれない。
忙しく点検に出てきて、配達人のおじさん達にもあいさつの「ニャー!」は欠かさない。一声だけでなく、ニャーニャーニャーニャー、元気に話しかけ続ける。
息子は「ママは頼りないから自分が出張っていく責任がある」と自認していたような雰囲気があり、威嚇していたのかもしれないけれど、特になじみの佐川急便のおじさんは「今日も可愛いねー、くろちゃん」とニコニコしていた。
たぶん、エリザベスカラーも外れていたから、2019年10月以降だったと思う。手術を終えて下顎を半分失った息子が、以前のようにニャーニャーと、久しぶりにベッドから跳ね起きて佐川のおじさんに挨拶に出てきた。
ちょっと心配だったけれど、息子は自分のミッションを果たそうとお構いなしだ。
そうしたら、おじさんが「あれ?ペロペロがおかしいね、どうしたのくろちゃん…」と気づいて言い出した。
息子の舌は、ペコちゃんのようにペロペロと口の向かって左側からよく見える状態だったので、佐川のおじさんもびっくりしたのだろう。早々に息子を抱きかかえて奥の息子ベッドに連れて行き、手術を受けたので…と言った。
おじさんとクロスケが会ったのも、それが最後だったなあ。コロナのせいで置き配ばかりだし、おじさんとおしゃべりする機会はすっかりなくなった。猫好きだったらしい佐川のおじさんは、今もまだクロスケを心配しているかもしれない。
嵐の前の小康状態
さて、先の「扁平上皮癌になった愛猫を、天にお返しした③」で2019年10月の話に先走ってしまっていたので、前回の④では少し戻って主に9月のどたばたを書く形になった。また、今回の⑤では10月の話に戻る。
牙の手術も終えて、10月1日に首のチューブを抜去して「口からごはん」がスタートしたせいか、喉も潤って息子は唾液の塊を詰まらせることもなくなった。あとは便秘をさせないように、吐かせないようにと、毎日そろそろと注意深く進行していた。
ごはんは流動食を毎日3~4時間おきに与えた。ジューサーが大活躍、カリカリ+カントリーロードの粉ミルク、ホタテの缶詰、これまた好きだった「健康缶」シリーズなどを混ぜてポタージュのようにして、食べさせた。
もちろん、癌が再発しませんようにと毎日祈った。以前与えていた、抗癌剤タキソールの原料という「紅豆杉」も復活し、お茶ではなく錠剤を与えるようになっていた。お茶だと苦いから飲まないでしょう、と岐阜大の先生に言われたアレだ。
後から指摘を受けて分かることだが、これはお茶の方が大正解だった。錠剤に入っているキシリトールが、人間には問題なくても、猫や犬の場合は肝臓に溜まって良くないのだとは知らなかった。
チュールには、こっそり肝臓薬のウルソや紅豆杉の錠剤を潰して混ぜ与えた。甲状腺機能亢進症の治療薬メルカゾールは、マズ過ぎたのか混ぜたチュールまで拒否するので、液状にして注射器に入れ、口から朝晩注入した。
息子は、いつも嫌がって口に入ると頭をプルプル振るので、ごめんごめんと言いながら2人がかりで与えていた。
たぶん4,5年前からだったと思うが、甲状腺にしこりが見つかって息子は薬が必要になっていた。本当に長い間、息子はガマンして飲んでくれていたよなと思う。
本来なら、ガリガリに痩せてしまった当時、天国に迎えられていた命だったのかもしれない。それを、人間の都合で無理やり長生きさせてきたようにも思う。でも、当時息子を見送るには、あまりに無理だった。
10月15日、チューブを入れていた首脇の、2つ目の穴を縫い閉じた部分から抜糸した。その際の検査で、甲状腺の数値が悪く、メルカゾールを1・5倍に増やすことになった。
今思えばたぶん、「紅豆杉」錠剤のキシリトールのせいで、肝臓の機能が悪くなって吸収しにくくなったせいだった。
そして…切除した顎のすぐ横の口元に、なんとなく白くなっている丸いしこりが見つかってしまった。
S先生は、まだわからないと言った。嫌でも「再発」の2文字が頭に浮かんだが、考えたくなかった。
さらに5日後の10月20日、とんでもないことが起きてしまった。癌が、息子の脳に入り込んでしまったのかもしれなかった。