今日は風が強いですね。せっかく咲いた桜が散る中を、犬の散歩で歩いている人たちもちらほら見かけた。私は犬の方ばかり目が行ってしまうのだけれど、中には、もうおじいちゃんかおばあちゃんのワンコがやっとこさっとこ歩みを進めていて、飼い主さんがしっかりしたハーネスで半ばワンコを持ち上げるようにして歩いている姿も見た。
ワンコを見つめる飼い主さんの目が優しいな…と、ホッとした。いい犬生を送ってほしい。
家に帰ると、自然と亡きクロスケの写真に「ただいま」と話しかける。クロスケの遺影は、今、窓の外の桜が見える方向に向けられている。家猫だったからクロスケが直接桜と触れ合う機会はなかったけれど、よく窓に寄って外を見ていたから、自宅前の学校の桜の花びらが花吹雪となって散ってくる時などは、「ほらほらすごいよー」と息子を抱っこして外を見せていた。
クロスケは、ベランダに散ってくる花びらを見ていたような気もするし、関心が無くて「早く降ろせ」とアピールしていたこともあったなあ。自分のタイミングじゃなくて抱っこされるのは好きじゃないもんね。
さて、文春オンラインで見たのだけど、山本さほさんというマンガ家さんの猫・トルコちゃんは一緒に暮らして15年になるそうだ(作品の掲載時点で…もう今なら16年になるかな?)。それで当初から、山本さんは「ペットロス症候群になるの怖い症候群」に悩んでいたらしい。わかる…わかるよ!と読みながら思いました。
(みなさん「ペットロス症候群になるの怖い症候群」にどう対処していますか……? | 文春オンライン (bunshun.jp))
亡きクロスケがまだ元気で抱っこさせてくれてるのに、そんなうちから、いつの頃からか私も悩んでいた。2匹目を飼おうかなと思ったこともあった。でも、結局そうしないことを選んだ。
そのままクロスケはうちの一人息子として病を得て、昨年の立春の日に大往生を迎え、今もうちには猫はいない。毎日内臓が締めあげられるような心地を味わいながら看病をしていた日々を振り返ると、それで良かった。とてもじゃないけれど、もう1匹の面倒は見られなかったから。そして今、毎日そこらへんにいるはずと信じて、家族で息子に語りかけている。
色々な考え方はあると思いますよ。何が正解なんて決められないことだとも。
私が療養生活中にうちに来た息子は、私がきちんと寝ているかどうかをしっかり監視する役目を家族から任された。そして、長年にわたりとても忠実にそれを務める中で、いわゆる「分離不安症」になってしまったようで、私にべったりの毎日だった。
いつもクロスケを大泣きさせてしまうので、安穏にのんびり入浴するのが至難の業だった。お風呂場のドアの外でアオーンアオーンと早く出て来いと泣くので、早寝の家族も心配して起きてきてしまうほど。私も家族が起きている間に風呂に入ればいいのだが、それもなかなか難しいので、息子がうつらうつら寝ている隙にダッシュで入る毎日だった。それでも気づかれて、泣かれて怒られる。
山本さんの漫画には、分離不安についても描かれていた。わかるなー、トルコちゃん、わかるよーという思いになった。
本当に私にべったりの息子だった。だから、もし、自分のペットロスになるのが怖いという気持ちを優先させて別の子猫などを迎えていたらどうだったろうか。おそらく、かなりのショックを与えてしまったのではないだろうか。自分の下僕だと信じていたのに、他の猫の世話をするのか!と思っただろう。
私は、息子の私への信頼が壊れる事の方が怖いと思った。ここまでの長い間一人っ子にさせていたのだから、クロスケとしっかり向き合おうと思った。息子にショックを与えるぐらいだったら、ペットロスどんと来い!味わい尽くしてやるぜと思った。
猫友が言うには、飼い猫を亡くしたご友人たちは1年以内に別の猫を飼い始める、今のところ100%そうだったとか。それに対抗していたわけじゃないけれども、うちは1年を超えた。「いつまでもうちの息子だよ、世界で一番愛しているよ」と亡き息子に話しかけながら、ペットロス上等、いいじゃないかと思っている。