愛する猫型息子、最期が近づく
猫は、その死の際に人の目から身を隠すと言う。一方で、具合が悪くなって物陰で体を休めているうちに、その生を全うすることになり、結果的にそうなる、とも言う。
本当はどうなのだろう。誰にも邪魔されず、静かに逝きたい気持ちもあるのかもしれない。
息子の場合は、こうだった。点滴を開始してごはんを食べなくなってすぐは、物陰ともいえる「納戸」に入るようになり、用意してあった猫ベッドに横になっていたので、本当は身を隠す方向を望んでいたのかもしれない。
人間と住んでいると、そうもいかない。用が無くても、しばしば私は納戸で身を横たえている息子の傍らに行き、並んで横になって息子を見つめていたから。家族もそれは同じで、入れ代わり立ち代わり、息子の様子を見に行っていた。
うっとうしいなー、また来たのか。きっと息子もそう思ったはずだ。
視線を感じて、息子は目を開けた。こちらは既に涙涙、止められなかった。息子は、そんな私をじーっと見ていた。
それで、本当は隠れていたいけどね、もう出てもいいや、と諦めたらしい。納戸にいても、みんなが入り浸っているんじゃ目的は果たせないもんね。
息子は立ち上がると納戸を出た。リビングの方に息子のために敷いてあった布団、息子用ベッド、窓際の座布団のあちこちに寝転ぶことを選んでくれた。そうすると、自然と家族でいられた。
最後の3日間、息子は本当にやさしかった。
もう、ごはんを食べなくなってからの数日で、一気に瘦せた。点滴をしたことによって息子から食べる気が失せてしまったのかどうか、今となっては分からない。
息子は、細い体を支えるのもやっとだったかもしれないが、前述のように、2月1日には家中をゆっくりゆっくり歩き、最後のパトロール。そして、冷たい風にもかかわらず、窓際でしばらく風を浴び、「風ぴゅー」した。
さらに、膝に乗りたいよ、と床に座った私を見上げてニャーと鳴き、ようやく私の膝にずりずりぴょんと上った。
あまりこちらの方が良い態勢ではなかったから居心地が悪かったのか、あるいは疲れてしまって乗ったままではいられなかったのか、息子は少しすると降りてしまい、布団に横になった。
夜は、私の左腕を枕に寝た。
これも、その頃になっての態度の変化だった。家族にはともかく、「お世話係」の私には終始強気な息子だった。寝る時も、ずっと私と寝てはいたものの、私への信頼感が薄いらしく、膝回りでしか18年間寝てくれなかった。
仕方なかった、嫌がる息子に激マズの薬を飲ませたり、爪を切ったりしていたから。動物病院で、泣き叫ぶ息子を看護師さんと一緒に抑え込んでいたのも私だし。
でも、最期の頃は「こんなに甘えてくれるのか」という程だった。息子も悟っていたのかもしれない。
2月2日、ほぼ息子は横になっていたが、トイレ(小)には6回行った。哺乳瓶からも5回、ごはんを与えた。まだチューチューする気の見えた前日と比べると、ほぼ吸わなかった。最後の点滴もした。この日はステロイド無し。
倒れてしまったのは、21:45のこの日最終のトイレだったか。息子が楽に使えるように、段差のない、犬用トイレに紙製の猫砂を敷いてあったが、その上に、ぱたりと横になったままだった。どうも戻ってこないと、探しに行ってみたらそうだった。
息子にすれば、廊下を歩いてきてトイレも済ませ、ただ疲れて休んでいただけかもしれなかった。でも、ごはんも明らかに進まない様子だったし、こちらは息を飲んでしまった。
抱き上げて息子に付いた猫砂を払い、リビングに連れてきて布団に横たえた。胸がいっぱいになってしまい、言葉もなかった。
軽くなってしまった息子。軽々と、もう2㎏も切っていたと思う。冬服に包まれて、フワフワと綿毛のように感じた。
2020年2月3日
朝、私の腕枕で寝ている息子に「おはよう」と声をかけて、にゃんだ~と横目でこちらを見てくれるとホッとするような毎日が続き、節分の2月3日も無事におはようを交わすことができた。
この日も、7:30、10:30、14:30、19:00の4回、哺乳瓶で口元にごはんを持っていったが、口に含みはするけれど、もうごくんとは飲まない様子だった。
哺乳瓶でごはんを与えているのも私の自己満足か・・・と、認めるのは怖かった。
ごはんの後、口元をたっぷり水を含ませたガーゼで拭いた。それで少しでも水分を補給してくれたらと思ったからだったが、息子の上顎に張り付いていたごはんのカスが、うまくはがれ、まとめて取り除くことができた。
ペリッと剝がした瞬間、息子は「ニャッ!」と怒って私の右手親指の付け根をひっかいた。いかにも気が強い息子らしい。「ちょっと痛かったね、ごめんごめん・・・」しっかり、ひっかき傷からは血がにじんだ。
剝がれたものは1㎝×1.5㎝の、薄くて小さなおせんべいかクッキーのよう。イヤイヤされてしまって困っていたが、ようやくきれいにすることができた。
見ると、剥がれた後の端が少し膿んでいた。猫の口内に使える消毒薬のスプレーをガーゼに含ませ、改めてその場所に当てた。
ちょっとした反抗はあったものの、息子はいつもと違い、ある程度は素直に拭かせてくれたので、この3日の日記には「ガーゼで拭えば効果的に口内をきれいにできる。小さい頃からガーゼでやればよかった」と書いてある。
ペット用の歯ブラシ、指のソケット型の歯ブラシ、ハミガキシートといったものを使い、息子の口をきれいにしようと工夫してきたつもりだった。動物病院主催のハミガキ教室にも、家族が参加した。
結局、ハミガキには限界があって、一番良かったのは、病院おすすめのジェルを食後に舐めさせるものだったかもしれないが、歯ブラシやシート類は、犬仕様で分厚いと言うか、うまく使いこなせなかった気がして、猫の息子には悪かったなといつも思っていた。
そのため、息子は「吸収病巣」という歯が溶ける病気にもなり牙を削ることにもなったし、口内に癌までできてしまったのだ・・・と今でも思っている。
息子の最後の日に、「小さい頃から濡れたガーゼで拭えば」的な後悔が書かれているのも、皮肉だ。遅すぎた。
猫さんの飼い主さん方・・・もしもハミガキでお困りでしたら、濡れたガーゼが一番シンプルで効果が高いような気がしましたよ。
見つめられながら食べた恵方巻
この日は節分だった。ようやく私たち家族にとって「八方塞がり」の年が終わる分かれ目の日。息子には「もうちょっとで八方塞がりの年が終わる、頑張ろう。そうしたらきっと良くなるよ」とその頃、言い続けていた。
夜には、息子が見ている前で恵方巻を食べた。その話は、以前のブログ(やっとのお礼状 - 黒猫の額:ペットロス日記 (nekonohitai.tokyo))でも書いた。
息子は、ちょうど私から見ての恵方のテレビ前に寝転んでいた。私と家族が恵方巻を食べ始めると、鉄火巻のにおいにつられてか息子は目をパッチリと見開き、天井を向いて斜め逆さになるような姿勢でこちらを見つめていた。
私も家族も、クロスケを見つめて無言でモグモグ。息子もそっくりかえったまま、じーっと見て・・・その光景は今でもはっきり目に浮かぶ。うつらうつら、どんよりといった力無い表情ではなく、息子の両目はその時、キラキラしていた。
ここは、前述のブログで書いたままを引用してしまおう。
毎年毎年クロスケの長生きを祈りつつ食す恵方巻。夫婦ともども東京出身なので、恵方巻を知って食べ始めた時には、既にクロスケは一緒にいたと思う。以来、恒例の願いはずっと「クロスケの長生き」だったわけだが、今年は私も夫も、初めてそれを祈らなかった。代わりに「クロスケが苦しまずに生を全うできますように」と祈っていた。打ち合わせをしたわけではなく、クロスケが死んだ後で(互いの祈りの内容を)知った。
クロスケは、泣きながら恵方巻を食べる私たち家族をじっと見ながら、何かを感じ取ったのではないだろうか。
夜、またリビングに布団を敷いた。息子は私の腕枕で寝る。だが、その前に初めて息子におむつを穿かせることにした。
またトイレで倒れていたら。夜中に、こちらが寝ていて気づかなかったりしたら。暖房をつけていても2月であり、寒いタイルの上や廊下で倒れたままだったら・・・と心配したからだ。
以前の手術時に買ったおむつやおむつカバーがあるので、それを穿かせ、トイレ方向に歩いていけないように、通路をふさいだ。こちらにも息子スペースに別のトイレがあり、息子もたまにこちらも使っていたから、いざとなれば、おむつをはずしてこちらを使わせればいいと考えた。
誇り高い息子だ。おむつは不本意だったかな。
小さく軽くなってしまった息子に、おむつは余裕があった。おむつとセーター姿で、息子は私の左腕に頭を載せ、眠った。
息子の小さな愛らしい後頭部を見ながら、私も眠った。途中、息子が動いたような感覚が腕にあったが、眠りに落ちた。