黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

恵方巻に罪は無いのだけれど

 もう、あと少しで立春の日。こう遅くなると、恵方巻を食べる家ではもうとっくに食べ終わっているだろうし、豆撒きも終わっているだろう。

 今年は、うちでは豆は形ばかりこそっと撒いたけれども、恵方巻は用意せず、食べなかった。「今年の恵方は北北西です」と天気予報のお姉さんがテレビで教えてくれたけれども、どちらからともなく「今年はもういいよね・・・」と言い合った。

 恵方巻を食べているところを想像してみたが、今の私たちは、滑りの良さそうな納豆巻きでも喉に詰まらせそう。食べることに意味があるのか、せっかく食べても空しいだけだなと思ってしまった。

 そう、私たちには恵方巻で願いをする対象がもういない。恵方巻を食べながら祈っていたのは、最後の1回を除いていつも息子の健康と長生きだったから。できるだけ長く長く、一緒にいてもらいたかったから。

 今日は、恵方巻の代わりに亡き息子・クロスケのための花を夫が買ってきた。

 あれだけの愛情を息子からもらってしまうと、もう私たちは幸福であるとしか言いようがない。確実に私たちは息子に幸せにしてもらった。しかし、人生における幸せのピークを過ぎたと確信しているのも悲しいものだ。

 2年前のこの日、この頃は、思えば生前の息子との最後の時間だった。自分たちから見て恵方(西南西だったか、南南西だったか?)に息子が寝転がっていたので、息子に視線をやりながら恵方巻を黙って食べた。

 夫も私も、初めて息子の長生きを祈らず、できるだけ穏やかに旅立てるようにと祈った。それを息子はそっくり返った態勢でじっと見つめていたっけ。少し驚いているようにも見えた瞳が、キラキラと輝いていた。

 単に、鉄火巻きのマグロが良い匂いだったのかも。なんで僕の分は無いのかと思ったのかもしれない。親に似て、食いしん坊だったからね。

 恵方巻を食べてからは、どうしていたのだっけ・・・息子にはおむつを穿かせて、廊下の方に行かないようにバリケードを作って、リビングに布団を敷いて私の左腕枕で息子が眠りについたのは日付の変わった1時頃だった。それが、生きている息子を見た最後だった。

 「何時頃だったのかなあ?」と、さっき夫に聞かれた。「2:22にニャンコが総出で迎えに来たかもね」「仲良くやってるか、だと良いね」

 立春の朝、2月4日4時頃までには息子は虹の橋を渡って行ったはず。朝の早かった夫は4時に起きて、私と息子はまだ寝ていると思ったそう。私が5時になる前にハッと飛び起きた時には、息子の額や手足はもうかなり冷たく、硬直が始まっていた。

 恵方巻を食す私たちの願いが伝わったとして、半年以上も苦しい闘病をしてきた息子は「そうか、もう頑張らなくてもいいんだ」と考えを巡らせたのだろうか。それからたったの数時間で旅立つとは思わなかった。しかも、腕枕のまま亡くなったとは本当に親孝行な息子だ。

 どうしても恵方巻は息子の死を連想させる。今後、私たちが食べることは・・・自らは無いような気がする。