せっかくの「七夕の再会」が都知事選で放送休止
NHK大河ドラマ「光る君へ」第26回「いけにえの姫」が6/30に放送された。そして次の27回は、7/7の七夕に合わせたかのように主人公まひろと道長の再会が描かれそうな展開だったのに、東京都知事選があるから放送休止になった。本当に残念だった。
7月7日(日)総合 夜8時 は「都知事選開票速報」を放送します。 これに伴いこの日の「光る君へ」は、BSP4K 午後0時15分、BS・BSP4K 午後6時、総合 夜8時 のすべてで放送を休止します。 7月13日(土)再放送の時間帯は、前週の7月6日(土)と同じ第26回を放送します(2週続けて同内容となります)。 どうぞご了承ください。(大河ドラマ「光る君へ」 - NHK)
大河ドラマはお預けで、代わりにNHK総合午後8時の大河ドラマの本放送の時間は、都知事選の開票速報番組が放送されたのだった。ああ悲しい。そして、一応選挙結果を書いておくと、現知事が再選。投票率は6割超、確かに投票所はいつもよりも混んでいたような気がする・・・都民バレしましたね。もうすぐ移住するからいいか。
今回は特に、都知事になる気もない、選挙システムを利用するためだけに立った自分勝手な候補者が多いように見えた。世も末だ。そんな候補者があふれる選挙のためにNHKの看板番組が休止になるなんて。NHKはテレビのチャンネルを4つもお持ちなのだから住み分けてほしいけれど、無理なんだろうか。
SNSでは46道府県の大河ファンが「私たちには関係ない!普通に『光る君へ』を放送して!」と怒りを表明していたようだが、それもそうだよね。
ちなみに、8/11もパリオリンピックで放送休止になるそうだ。えーっ、そうなの?
キーワードは「不義の子」だったか
話を大河ドラマに戻そう。改めて、公式サイトから第26回「いけにえの姫」あらすじを引用させていただく。
(26)いけにえの姫
初回放送日:2024年6月30日
災害が続く都をまたも大地震が襲った。まひろ(吉高由里子)は、夫となった宣孝(佐々木蔵之介)の財で家を修繕し、生計を立てていた。道長(柄本佑)は、安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)から、この天変地異を治めるためには道長の娘・彰子(見上愛)を入内させるしかないと進言される。心労から体調を崩した一条天皇(塩野瑛久)は、譲位して定子(高畑充希)と暮らしたいと行成(渡辺大知)に相談。それを聞いた道長は…((26)いけにえの姫 - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK)
先走ってしまい申し訳ないが、もしかしたら、前回諦めた「あの展開」が、次回に待っているようだ。
石山寺に参詣に行ったまひろは、思いがけず道長に再会した。月夜に扉を開けて入ってくる道長に、経を上げていたまひろは釘付けになって・・・という、そんないいところで今回は終わった。
道長の背景には、キラキラと砂のような何かが舞い輝き、それってどこかで見たよと思ったら・・・廃邸でまひろと道長が初めて結ばれた時に、ぽっかり空いた天井から夜空が見え、そこから煌めく何かが降ってきていたけれど、それだよね。
あのキラキラ、2人の逢瀬を盛り上げる特別な小道具なのかな。「まひろの理想の王子様登場」の花吹雪みたいな感じ?
石山寺の参詣客の間での逢瀬の可能性については、第15回で、まひろに夜這い未遂を働いた道綱が示してくれていた(道綱は「まひろ」狙いだったのに「さわ」だったと気づいて止めたもんだから、その後ひと悶着が起きた)。あれは伏線だったのか。
となると、やはり、まひろの一人娘・賢子は道長の子として描かれるしかないだろう。想定の第2シナリオ、待ってましたの(?)ドロドロ展開。まひろの紫式部としての将来を考えると、あれやこれやが益々楽しみになってきた。
妄想を巡らせがちなこのブログでは、「道長の子をまひろが儲けるとしたら」で可能性があるのは、まずは道長の長女・彰子ではないかと考えていた。それが第1シナリオだった。つまり、
- まひろが道長の子を若くして産み、その子(後の彰子)を倫子様が「源氏物語」の紫の上がしたように引き取って育て、入内させる
・・・という路線だ。まひろと道長の嫡妻・倫子様が不思議な関係を構築するとか何とか、倫子の人物紹介に書いてあったから(たぶん)妄想が爆発してそう考えたのだった。
けれど、その妄想が潰えて以降は、今度は第2シナリオ「まひろの一人娘の賢子が、実は道長との子として描かれるのではないか」に期待してきた。
しかし、まひろはオヤジ宣孝に嵌められたようにあっさり結婚、あんなに嫌がっていた「妾」になってしまった。それで前回、「なんだ、結局賢子は宣孝の娘なのか」と理解して、第2シナリオにも別れを告げたのだった😅
勝手な妄想だけど、歪な結婚が通る理由は、まひろの方の「訳アリ」だと思ったんだけどな・・・まひろが道長の子を身籠ったことで早急に父親(庇護者)が必要になっての結婚か?と散々妄想を広げてきたが、残念ながらそれはハズレで終わったようだ。(【光る君へ】#25 手抜かりなきオヤジ宣孝、道長を使って内・外堀を埋める「まひろ捕獲作戦」を実行す - 黒猫の額:ペットロス日記 (hatenablog.com))
でも!ここでまひろと道長が再会するなんて!思ってもみなかった。やるなー、さすがの大石静だ。
ここで既に、次回の道長とまひろの逢瀬を確定事項として語っちゃっているが、それは次回予告でまひろが「この子は私1人で育てます」と口走っていたから。そう言うからには、夫と共には育てられない「不義の子」だって自覚が彼女にあるからだよね?
しかし、予想される話は、私の第2シナリオとも微妙に違う。宣孝との結婚前に道長との子をまひろが儲け、結婚をそのカバーアップと考えるだなんて、やっぱり私は考えが浅かった。どこかに主人公を優等生にしておきたい気持ちがあったのだろう。
だが、源氏物語を下敷きにして見れば、キーワードはどう考えても「不義の子」になる。
桐壺帝の后・藤壺の宮が産んだ冷泉帝は、実は光源氏の子。そして、光源氏の継室・女三宮が産んだ薫は、実は柏木の子だ。その不義を巡る懊悩が、魅力的な物語を形作っていく。
となれば、まひろが産むのは「不義の子」でなければならない。その経験を彼女は今後、物語に書くのだ。それで葛藤や悲しみを昇華させていくのだ、蜻蛉日記の作者・道綱の母に教わったように。そうだよね?
「いけにえの姫」は2人いた?
さて、次回に大きく妄想を飛ばしてしまった。まだまだ書きたいことがあるが止めて、今回のことを書こう。
「いけにえの姫」というタイトルの通り、道長夫婦はあれだけ嫌がっていたのに、最愛の長女・彰子を一条帝に入内させることになった。それも生贄として。
それは、安倍晴明の説得によるものだった。「長徳四年(998年)10月、日食と地震が同日に都を襲った」とナレーションが告げて今回は始まったが、前回も大水によって堤が決壊したりして、都は散々な目に遭ってきている。
その根本理由を晴明は、一条帝が傾国の中宮・定子に入れ込んでいるからだと説明していた。今回も、晴明らから「天文密奏」を受けた一条帝が「朕のせいなのか」と虚ろな目の下のクマを青黒くさせていた。
天変地異が誰かのせいだなんて、現代人にはナンセンス。一条帝&定子がひたすらに気の毒だ。が、当時の人々の考え方では為政者が背負うものらしいから仕方ない。平安からもはるか昔、卑弥呼は日食が起きたせいで殺されたなんて説も聞くし。
ところで、道長が「人夫を増やしてまずは堤を急ぎ築き直せ」と指示したのは山城守と検非違使だったから、前回山城守に就任した宣孝は大変だったはず。仕事もしている宣孝だ。
左大臣道長は、雷雨の中、晴明の邸に出向いた。それだけ心を悩ませ追い込まれていたらしく、一条帝に負けず劣らず目の下のクマが真っ黒だ。嫡妻の倫子様に痩せたとも言われていた。
安倍晴明:お出まし恐縮にございます。
道長:この天変地異は、いつまで続くのだ。お前の見立てを聞かせてくれ。
晴明:帝のお心の乱れが治まれば、天変地異は収まります。
道長:中宮様の下に昼間からお渡りになり、政を疎かになさっていることは先日お諌め致した。
晴明:天地(あめつち)の気の流れを変え、帝のお心を正しき所にお戻しするしかございませぬな。
道長:いかがすればよい。
晴明:左大臣様が良きものをお持ちと申しました。良きものとは、左大臣様の一の姫、彰子様にございます。(雷鳴)出家とは、片足をあの世に踏み入れること。もはや后たりえぬ中宮様によって、帝は乱心あそばされたのです。今こそ、穢れなき姫君を!
道長:義子様も、元子様もおられるではないか。
晴明:お2人の女御様と、そのお父上には何のお力もございませぬ。左大臣様の姫君であらねば。
道長:(雷鳴)できぬ。
晴明:私には見えます。彰子様は朝廷のこの先を背負って立つ御方。
道長:そのような娘ではない!(狼狽を隠せない)引っ込み思案で、口数も少なく・・・何よりまだ子どもだ。
晴明:恐れながら、入内は彰子様が背負われた宿命にございます。(雷鳴が轟くが、一点を見つめ続ける道長)
ちょっと待て。道長の兄で先の関白・故道兼の娘尊子が、確か998年(長徳四年)に入内していたはず。なんで道長の中では後宮には義子と元子しかいないことになっているのか?
尊子の母は兼家パパの妹で、一条帝乳母の繁子。枕草子でも清少納言が彼女を念頭に「帝や東宮の乳母は羨ましい」と書く存在だ。つまり繁子は、今上帝の乳母として権力があったのだよね?
ドラマでも繁子は、自堕落な道兼を決然と捨て尊子を連れて出ていった。その後、兼家パパの家司から、いつの間にか参議として陣定や彰子の裳着の儀にも顔を出すまでに出世した平惟仲と再婚しているはずだ。
生前の道兼も、ドラマの中で尊子を入内させたいと言っていたのだから、尊子の入内話はいつの日か出てくると期待していたのだが・・・。
初版が昭和50年と古いながら便利に使わせていただいている「校注枕冊子」(著・田中重太郎)巻末の略年表を確認すると、尊子は998年2/11に入内。道長と晴明の会話は同年10月前後だから、後宮には尊子もいる😅
同年表によると、「長徳の変」が起きた長徳二年(996年)には、5/1に中宮定子が落飾、6月に大地震。7月には「大風」(台風のことか?)と賀茂川の洪水が起きている。7/20に公季娘の義子が入内、10月下旬に定子ママの高階貴子が逝去し、12/16に定子が第一皇女脩子内親王を出産。この年は火災も多かったそうで、激動の1年だった。
翌997年は、3/25に女院病気平癒を祈る大赦があったが、5月には日食と大地震が発生。ドラマでは、翌998年10月の日食と地震の発生が描かれたが、確かにここ数年に都を襲い続けた天変地異は凄まじい。昔の人たちは大変だったね。
尊子の入内のタイミングを見ると、997年の日食大地震の後の998年2/11なので、もしかしたら一族の第1の「いけにえの姫」は彼女だったのか?
長兄・道隆の娘定子による災いを払うには、「まずは尊子で」と一族から次兄・道兼の娘を入内させてみたものの、同年10月に日食地震がまた発生。それで、とうとう道長が自身の掌中の珠・彰子を第2の生贄と決めたのだろうか。・・・妄想だけど。
尊子が入内してからほぼ1年後の2/9、彰子は裳着の儀を迎えた。(この2/9~2/11前後の日取りは裳着とか入内にとって特別なものなのか、気になっている。)
ちなみに尊子が女御宣下を受けたのは、後から入内してきた彰子の女御宣下(長保元年、999年11/7)よりも遅れた長保二年(1000年8/20)。それは無いよね💦
道長と倫子を説得した姉と母の言葉
彰子の入内を心底渋り、目の下のクマがますます目立つ道長へのとどめは、女院の姉・詮子が刺した。
女院詮子:お前も、そろそろ・・・そのくらいのことをしたら?
道長:女院様まで、何ということを!
女院:身を切れということよ。お前はいつもきれいな所にいるもの。今の地位とて、あくせくと策を弄して手に入れたものではない。運が良かったのでしょ。何もかも、うまくいき過ぎていたのよ。
道長:身を切る覚悟は常にございます。されど彰子はまだ子ども。
女院:子どもであろうとも、それが使命であればやり抜くでしょう。
道長:酷いことを仰せられますな。
女院:フッ・・・それそれ。そういう娘を庇う良き父親の顔をして、お前は苦手な宮中の力争いから逃げている。私は父に裏切られ、帝の寵愛を失い、息子を中宮に奪われ、兄上に内裏を追われ、失い尽くしながら生きてきた。それを思えば、道長もついに血を流す時が来たということよ。朝廷の混乱と天変地異が治まるなら、彰子をお出しなさい。
道長:(拗ねて)姉上がそのように私を見ておられたとは、知りませんでした。
女院:(微笑んで顔を近づけ)大好きな弟ゆえ、よく見ておっただけよ。(拗ねた顔の道長を残し、上座に戻る)
そして、とうとう道長は心を決め「彰子を入内させようと思う。続く天変地異を鎮め、世の安寧を保つため」と妻倫子に話すが、一度は倫子に「嫌でございます」と、きっぱり断られた。
彼女の反発も道理、これまで道長は「入内して幸せな姫なぞおらぬ」と言ってきて、それとは相容れない話なのだから。
それでも道長は引かず「これは生贄だ。手塩にかけた尊い娘ならばこそ値打ちがある」と言った。倫子は「不承知でございます」「どうしても彰子を生贄になさるのなら、私を殺してからにして」と啖呵を切って寝所を出た。・・・そうなるよね。
道長が姉の女院に相談したように、倫子も母・穆子に相談。そして、同じように説得されてしまった。
穆子:入内したら、不幸せになると決まったものでもないわよ。ひょっこり中宮様が亡くなったりしたら?何がどうなるかは、やってみなければ分からないわよ。
おお、母上は未来がお読みになれるようで😅彰子が入内して1年後には、定子は死ぬ。それだけ彰子のお祓い力は、安倍晴明が見込んだだけに圧倒的なのか。
ところで、ロバート秋山演じる実資が、彰子の入内について「ないない」と言っていたのはどういう意味か?勧めても、かなり嫌がっているし、道長は断るよなあ・・・ということ?
それとも「もし左大臣家の姫君が入内されれば、後宮の内もまとまり、帝のご運も上向いて、御代も長く保たれるのではございませぬか」と、あれだけ褒めちぎっていたのに、口から出まかせだったのかなあ。どうなんだろ。
深く悩むあまり、黒道長出現?
安倍晴明は道長に、定子が正月に身籠り皇子が11月頃生まれると告げた。息を飲む道長は「呪詛しますか」と聞かれ、「父上のようなことはしたくない」と断ったが、BGMにはとうとう兼家パパお得意だった策謀に満ちた曲が流れ出す。そして、何かを思いつき道長は言った。
「分かった・・・中宮様が子をお産みになる月に、彰子の入内をぶつけよう。良い日取りを出してくれ」
目つきで黒道長出現なのか、と一瞬見えたが、そうではないだろう。彰子の力を信じ、帝や朝廷を本気で祓い清めようと、本腰を入れて効果的な手法を考えただけだろう。
本腰を入れたのは倫子様も同様だ。11月1日を彰子入内と決めたと道長から告げられた時の反応がこうだった。
倫子:中宮様のお加減がお悪いとの噂でございますが、まさかご懐妊ではありません・・・。
道長:(被せ気味に)ご懐妊であろうとも、入内は決行する。
倫子:ご懐妊ならば、そのお子を呪詛し奉ってくださいませ。呪詛は殿のご一家の得手でございましょう?
道長:そのようなことはせずとも、彰子が、内裏も帝もお清めいたす。
倫子:生贄として。
道長:そうだ。
倫子:殿の栄華のためではなく、帝と内裏を清めるためなのでございますね。
道長:そうだ。
倫子:わかりました。(道長の下へ来る)私も肝を据えます。中宮様の邪気を払いのけ、内裏に彰子のあでやかな後宮を作りましょう。気弱なあの子が力強き后となれるよう、私も命を懸けまする。
道長も倫子様も、できない決心をよくもした。最愛の子を生贄として差し出すのだ、あの倫子様だって、兼家パパ以来の「呪詛し奉って」と口にするぐらいには黒くなる。呪詛は、律令の「賊盗律」にも罰則規定が明文化されているれっきとした犯罪だというから、子を守るためには犯罪だって何だってやる気概の表れだろう。
後は神仏に縋るしかない、追い込まれた気持ちになっていたはずで、この後、石山寺に赴いた道長の行動は無理もないものだった。そこでまひろと偶然出会うのだ。
四納言の本音
入内に先立って行われたのが彰子の裳着の儀だった。長保元年(999年)2/9に行われたと前述の年表にはある。その後、11/1に入内し11/7に女御宣下を受けた時には、秋生まれの彰子は12歳になっていたとか。
ところで、フィクションだが源氏物語の光源氏の娘・明石の姫君も11歳の2/11に裳着の儀を迎えていた。これは偶然ではないだろう。やっぱり2/9~2/11には裳着とか入内に特別縁起がいいとか何かあるのか?それとも、単に彰子の実際の裳着の儀にフィクションを合わせたのかな。
彰子の裳着の儀で、何か不思議だと思ったのが道長の出で立ち。束帯じゃなくて直衣を着ていたようだったが、いつもの髷が透けて見える立て烏帽子じゃなく、内裏に出仕する時に被る冠を被っていた。オンなのかオフなのか、どっち?
倫子様は完全フォーマルな正装に見えたが、出席する公卿も、直衣か束帯かで分かれていた。一条朝の四納言の間でも、公任は直衣姿、残り3人は黒い袍の束帯と分かれた。友人道長の長女の成人式にすぎないとしても、女院が出席し仕上げの腰ひもを結ぶ役をする場だから、敬意を示してフォーマルにした人もいるって事か?
儀式後の四納言の会話が面白かった。
源俊賢:いや~、見事な裳着の儀でありました。
藤原斉信:しかし、一番ぼ~っとしていた道長が左大臣で、俺たちは未だ参議。分からぬものだな。
藤原公任:人の世とは、そういうものだ。
俊賢:そのうちに帝の父になられるやもしれませぬし。
公任:うん、それを口にするな。中宮側に邪魔立てされるやもしれぬ。
俊賢:(口を押さえて咳払いして見せ、笑い声が起きる)
公任:左大臣は己のために生きておらぬ。そこが俺たちとは違うところだ。道長には敵わぬ。
藤原行成:誠にそう思います。
俊賢:そう思います。
斉信:(顔を逸らしてあくび)
道長に対するライバル心を隠さず、出世を諦めていない斉信。それに対し、公任がこれほど道長に心酔していたとは。確かに以前、ずっと参議で良いと道長に言っていた。
公任こそは関白の息子として育ち、姉が皇子を儲けていたら今の道長の位置にいてもおかしくなかった人だ。しかし、前回も中宮側の伊周から招きを受けて誉めそやされていたように、当代一の文化人として名を馳せているからこそ、ああも言えるのだろう。
道長ラブの行成が公任に賛同するのは当然わかる。しかし俊賢は計算高く、妹の明子が道長の第2夫人でもあるから出世を考えて賛同している。三者三様、興味深い。
新婚まひろ、人妻ルックへとチェンジ
さて、お待たせしました。主人公まひろは、今回から身につける衣装や髪形が変わり、いかにも裕福な貴族の御方様っぽくなった。前回、成金オヤジ宣孝の妾になることを受け入れたからだ。
冒頭に描かれたのも、大地震で壊れたまひろ(為時パパ)の屋敷を、金に物を言わせて宣孝が修繕する様子で、揺れの瞬間も宣孝は身を挺してまひろをかばったらしい。新妻だもんなー。
新しい調度品も届き、「宣孝様がこんなに裕福だとは知らなかった」と、いとは言った。宣孝は、為時パパと違い、受領として金銭を溜め込むことに成功したらしいから、お金はある。
まひろが「妾は絶対に嫌だったんじゃないの?」と聞きたくなるような吹っ切れぶり・イチャイチャぶりなのが気になったが、それも冒頭だけ。価値観が違う宣孝とまひろ、新婚の蜜月は続かなかった。
まず、まひろが被災後の子どもたちにお握りなどを振る舞っていた時のこと。宣孝は「汚らわしい」と子どもたちに吐き捨て、飢えて死んでも「それも致し方ない。子どもの命とはそういうものだ」とまひろに言った。
土産の丹波の栗も、皆が喜ぶと応じたまひろに「皆は良い。お前に持ってきたのだ」と、まひろだけ食べるよう促した。
この庶民に対する宣孝の価値観は、直秀を忘れないまひろには引っかかったはず。道長も、まひろと同じ感覚をシェアする人間だが、当時の貴族は宣孝が普通でまひろや道長が珍しいタイプだろう。
夫婦ゲンカがヒートアップ
そして、宣孝はまひろからの文をあちこちで見せびらかしていることを、臆面もなく告げた。怒るまひろ。
まひろ:あるところで、誰にお見せになったのですか?
宣孝:ある女だ。
まひろ:ある女・・・。
宣孝:良いではないか。男か女かと聞かれれば女だと言うだけの女だ。さあ食え、うまいぞ!
まひろ:2人だけの秘密を見知らぬ御方に見られてしまったのは、とんでもない恥辱でございます。見せられた御方とて、良い気分はしなかったに違いございません。そういうことを殿はお考えにならないのでしょうか?
宣孝:お考えにはならないよ。良いではないか、褒めておったのだから。
こんなにデリカシーに欠ける見せびらかし行動を、史実の宣孝も本当にしたらしい。それで紫式部も文を返せと言い張り、大げんかになったとか。ドラマのまひろも、宣孝にとっては単なる学に優れた自慢の種、トロフィーワイフか。宣孝は若い女好きだし、そういう人なんだろうなあ。
そして、弟・惟規からの浮気現場確認のご注進もあり、許す・許さない、別れる・別れないの文の応酬があった後の、大げんか第2弾。まひろに、言ってはいけないことを宣孝が言った。
宣孝:せっかく久しぶりに来たのだ、もっと甘えてこぬか。
まひろ:私は殿に甘えたことは・・・ございません。
宣孝:・・・お前のそういう可愛げのないところに、左大臣様も嫌気がさしたのではないか?分かるな~。
まひろ:(顔を歪ませ火鉢の灰をつかむ。宣孝の顔面に思い切り灰を浴びせ、去っていく)
ナレーション:これ以後、宣孝の足は遠のいた。
源氏物語では、髭黒大将が若い妻の玉鬘の下へ出かける時に、北の方に灰を浴びせられていたよね。それですっかりおめかしした支度がダメになったのだった。紫式部と宣孝との年の差婚は、髭黒と玉鬘の物語に生かされるようだ。
まひろは、痛いところを突かれた。道長を出されると、こんなにも動揺するんだと自覚しただろう。宣孝も、まひろの心の内が分かったのだろう。「大したこともできない、人数にも入らない私が、あなたに腹を立てたところで甲斐がありませんね」と文に書いて寄こすのだから。妻の心は、自分などではなく、まだ左大臣にあるのだ。
まひろはその後、いとに「思いを頂くばかり、己を貫くばかりでは、誰とも寄り添えませぬ」と言われてしまう。己を曲げて誰かと寄り添うこと、「それが愛おしいということでございましょう」と。
考えたまひろが、皆を誘ったのが石山寺参詣だった。以前のように、また何か光を与えてもらえると思ったのか・・・。
笑顔で「行って、殿がまた来てくださるよう、お願いする」と言ったまひろに、石山寺の御仏が連れて来たのは、まさかの道長の方だった。そうなるか・・・😅あと1週間、心して待つ。
(ほぼ敬称略)