藤原F4の集いで、まひろの名が上がる
NHK大河ドラマ「光る君へ」第30回「つながる言の葉」が8/4に放送された。ラストに道長がまひろの前に姿を現したところで、またまた2週間のお預け!次回放送は8/18に。
次回予告の限りでは、せっかく「源氏物語」冒頭の「いづれの御時にか」に辿り着くようなのに、なんでーなんでー!と言いたいが(いや、オリンピックのせいだと分かってはいるけど)、NHKは視聴者を引っ張るのがお上手だということにしておく。
今回も、まずは公式サイトからあらすじを引用する。
(30)つながる言の葉
初回放送日:2024年8月4日
夫の死から三年、まひろ(吉高由里子)は四条宮の女房達に和歌を教えながら自作の物語を披露し、都中で話題になっていた。ある日、そこに歌人のあかね(泉里香)がやってくる。自由奔放なあかねに、どこか心ひかれるのだった。その頃、宮中では「枕草子」が流行していた。「枕草子」を読んでは亡き定子(高畑充希)を思う一条天皇(塩野瑛久)。道長(柄本佑)は気をもみ、安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)に相談すると…。((30)つながる言の葉 - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK)
「都中で話題になっていた」と書いてあるが、「四条宮の女たちの間で大評判」じゃなかったか?久々の藤原F4の集まり「羹次(あつものついで)」では、四条宮の公任以外は知らなかった。
斉信:左大臣も苦労が絶えないようだな。ハハハ・・・ああすまん。
公任:帝の気を引くのは難しいな。亡き人の思い出は美しいままだ。
行成:「枕草子」の力は、ますます強まっております。
斉信:ききょうめ・・・あんな才があるとは思わなかったな。手放さねば良かった。
公任:(道長に酒を注ぎながら)皇后様がなされていたように、華やかな後宮を藤壺に作ったらどうだ?
行成:それは難しいと存じます。
道長:帝は諸事倹約をと、常々仰せだ。(斉信、ひとりよく食べている)
行成:帝は書物がお好きなので、「枕草子」を超える面白い読み物があれば、お気持ちも和らぐのではございませんでしょうか。
道長:そのような面白い書物を書く者がどこにおるというのだ。
公任:我が妻・敏子がやっておる学びの会に、面白い物語を書く女がおるようだぞ。
道長:帝のお心をとらえるほどの物語なのか?(懐疑的)
公任:それはどうかな。されど、四条宮の女たちの間では大評判だ。
斉信:どういう女なのだ。
公任:先の越前守藤原為時の娘だ。(道長、止まる)
斉信:ん?あっ、あの地味な女だ!
公任:所詮、女子供の読むものだが、妻も先が楽しみだと心奪われておる。
道長:ふ~ん。
この時の道長の表情には、全視聴者が注目したことだろう。おー、(元)カノがブレイクか、いよいよ世に出てきたか、あいつならやると思った・・・と内心は嬉しかったかな。斉信がききょうを手放したのを惜しいと思ったのと同じく。
しかし、羹次の食事が美味しそうだった。公式サイト(用語集 大河ドラマ「光る君へ」第30回より - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK)にはこう書いてあった。
【羹次(あつものついで)】
野菜や魚肉を熱く煮た吸い物(鍋料理)を囲んで行う饗宴。
これは、食いしん坊としては目を奪われた。ビアガーデンというかバーベキューパーティーみたいな?平安のグランピング?諸事節約を申し付けられているから通常の宴会じゃなくて羹次だったらしいけれど、さすが上級貴族様方、しっかり贅沢だった。
斉信の中の人・はんにゃ金田のYouTube(https://youtu.be/BgUzdNKXfzU?si=4II8P2YalW98Byz9)でも、信じられないくらい美味しかったと言っていた。他の皆が道長のために色々と考えを巡らしているのに、斉信は、ぱくぱく食べるのに忙しそうだった。
NHKドラマの消え物は美味しくて知られている。彼は食事を抜いて撮影に臨み、ドライ・リハ・本番と、しっかり食べたらしい。いいな!「NHKドラマ食堂」をどこかでやってくださらないかなー。
まひろ、怒りの正体は
夫宣孝が死んで3年。寛弘元年(1004年)の世では、道長との子・賢子も子役さんが大きくなっている一方、まひろは作家として着実に歩みを進めていたことになる。前述の通り、まひろ著「カササギ語り」が四条宮の女性たちの和歌の会で大人気になっていた。
(なんでカササギ?と思ったら、公式サイト用語集に説明あり。「織姫と彦星の年に一度の逢瀬のために、織姫を羽に乗せて、天の川を越えてゆく鳥とされた」とのこと。なるほど。)
そこらへんのまひろの試行錯誤も見たかったけどな・・・ドラマって、たいてい受験や資格試験の勉強の努力などの過程を見せてくれないか、軽いBGM付きの「やってます」映像で通り過ぎてしまう。で、いきなり主人公はワンランク上がって「できる」人になってしまっていることが多い。
前回終わりではまだ、まひろは「できるか分からないけれど、物語を書いてみる」というスタンスだった。それも、賢子が物語に関心を持っているみたいだから、それで娘のために書き始める様子だったのに・・・今や、すっかり所期の目的である娘はそっちのけ(?)で、書くこと自体が自分の生きがいになっているようだった。
物を書くことで悲しみやら様々な感情が整理や昇華できるようになって、道綱の母・寧子がまひろに言っていた意味が、身に染みたかな。まひろを演じる吉高由里子も、この場面になって筆運びがかなりスムーズ。書きたい気持ちに押されて、どんどん書いている様子に見えた。
皮肉にも、母親が書き物に熱中しているそんな姿に反発し、賢子がまひろの原稿に火を点け燃やしてしまった。大事件だ。
まひろ本人は気づいているかどうかわからないけれど、いとは、少なくともまひろの賢子に対する過剰な叱り方にハラハラしている様子だった。為時パパもかな。部屋でひとりになってもまだ、まひろは口元がワナワナ怒りで震えていた。
まひろには2重の意味でショックだったのだろう。1つは、普通に親としてのショック。子がわざと火を点けてしまい、あわや火事にもなりそうだった。下手をすれば家だって燃え、死人だって出る。
結果の重大さから見て、親として頭を抱えないはずがない。子の将来を考えたら、ここはしっかり教え諭さねばならない場面のはずだった。
そしてもう1つには、物書きとしてのショック。自分が一心に書いた物が燃やされてしまったということだ。
私も昔々、セーブする前に電源が落ちたせいで、せっかく書いた原稿が飛んだショックは何度か味わった。えー、一体どこに行ったの?と、泣きたい気持ちになった。
それまでに書いた時間は無駄になり、また同じものを書かねばならないという、二度手間だし、労働時間が延びるショック。あとちょっとで帰れるはずだったのに!等々のガッカリ感は大きかった。
でも、凹んでいても原稿が戻ってきてくれるはずもない。時間もないし、書き直すしかない。心を切り替え、全速力で書いたものだ。
まひろの金切り声を聞き、ワナワナ震える口元を見ていて、後者のショックの方がはるかに前者を上回ったんじゃないかと思った。自分でも意外だったかもね。
まひろは、賢子のフォローは為時パパ任せ。ママまひろの気を引きたいがために火まで点けた娘ちゃんは、私よりも原稿か!と傷つくよね。どんどんグレちゃいそうだ。
教育ママまひろ
だいたい、まひろの教育方法も怖かった。最初から賢子にダメだしする気しか感じられない、文字の教え方。為時パパの出番だと思うなー、あのグニャグニャ惟規や、ハチャメチャ花山帝にも漢籍を教えることができた手練れなんだもの。孫には甘々でも、上手に教えてくれるに違いない。
昔「チャングムの誓い」を見た時に、あんなに可愛かったチャングムが、親になった途端に鞭(?)を手に、目を吊り上げた超教育ママ風に出てきた場面を思い出す。
優秀なヒロインは、自分と同じ優秀さを娘に期待しちゃうから怖いのかな。娘とはいえ、別人格なんだけどな。
まひろ:父上。賢子に読み書きを教えてやってくださいませ。
為時:(賢子と遊んでいる)遊びに飽きたらやらせるゆえ。
まひろ:読み書きができないとつらい思いをするのは賢子です。あまり甘やかさないでくださいませ。
為時:はい。(賢子と遊びながら)あ~残念。
まひろ:私はこれより四条宮に参りますので。
為時:はい。
まひろ:賢子、おじじ様にしっかり教えていただくのよ。(返事なし)行って参ります。
為時:母上を見送らぬか。ん?(知らん顔の賢子)
賢子:じじ、もう一回やろう。
まひろの心の声:「人の親の 心は闇にあらねども 子を思ふ道に まどひぬるかな」
まひろが心に浮かべたこの歌は、曾祖父の藤原兼輔が詠んだ歌だとか。「源氏物語」でも頻出する歌だそうだ。そうだったかもね・・・💦
兼輔のもっとも知られた作品といえば、『後撰和歌集』にあるこの一首だったようです。
「人の親の 心は闇にあらねども 子を思ふ道に まどひぬるかな」(後撰集 雑 兼輔朝臣)子を持つ親の心は闇というわけではないが 子どものことになると道に迷ったようにうろたえるものですな
これは醍醐天皇の更衣となった娘の身を案じての親心の歌だといわれています。(心は闇にあらねども | 小倉山荘(ブランドサイト) | 京都せんべい おかき専門店 長岡京 小倉山荘 (ogurasansou.jp.net))
大作家まひろ先生でも、子育ては難しそう。今後の母娘間で嵐の予感だ。
そういえば、まひろの子育てに異議を唱えていた惟規は、内記の官職を得たと言っていた。(内記とは、律令制において、中務省に属する官職。詔勅・宣命の草案を作り、叙位の文書交付や記録などをつかさどった・・・と「用語集」用語集 大河ドラマ「光る君へ」第30回より - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHKに書いてあった。)
しかも左大臣様直々に「位記」(位階を授与する際に発給する公文。同上)を仰せつけられているとか。ああ、まひろの弟なんだなと道長が頬を緩めている様子を想像して、ほっこりした。
惟規は、まさか姉の七光りだとは思いもしないだろうけれど。
道長の寿命10年、安倍晴明は奪ったのか
ドラマの冒頭、雨に恵まれず乾ききった京の様子が描かれ、まひろの家では井戸(湧き水?)まで枯れた、孫の賢子だけは何とか生き延びさせたいと為時パパが嘆いてみせた。「帝の雨乞いも効かなかったんだねえ・・・」「帝が御自ら雨乞いをなさるのは、200年ぶりのことであったのだが」と道綱と実資が言っていたが、実際はどうだったのだろう。
番組公式サイトにも「ちなみに日記には・・・」というセクションがあり、日記の記述が紹介されているのが面白い(ちなみに日記には… 大河ドラマ「光る君へ」第30回より - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK)。ただ、古記録データベースというものを1度は試してみたいと思っていたので、大ファンの磯田道史先生で知った国際日本文化研究センター(日文研)のそれを試してみた。(摂関期古記録|国際日本文化研究センター(日文研) (nichibun.ac.jp))
藤原道長の「御堂関白記」の1004年6月1日~8月1日を検索してみたところ、6月初旬は降雨もあったようだが、6/9から「天晴る」の記述がずらーっと並ぶ。6/19も「天晴る」だが「午後、暮立あり」とあるのは、多少降ったのかな。そして、6/28まで「天晴る」がまた並ぶ。6月なのに、こんなにも雨は降っていなかった。
その後、7/1の「天晴る」以降、天気の様子の記述が見当たらないな・・・と思ったら、7/10に「日来、雨下らず(略)主上、庭中に於いて御祈り有り」と書いてあった。7月に入っても降らず、帝が自ら雨乞いの祈りを捧げたのは本当だった。(もちろん、主だったものは「ちなみに日記には」コーナーで紹介されている通りなのだが。)
ドラマでは「帝が雨乞いしてもダメだった」という評価だったが、7/11と7/12には小雨や微雨は降って、雷鳴はあった。まあ、6月の「天晴る」だらけでは、全然降雨量としては足りないのだろう。
そして注目なのが、7/13に「雷声有りて夕立す」とあり、7/14には「終日、陰る。時々、微雨、下る。夜に入りて、大雨有り」とあること。理由としては「晴明朝臣、五竜祭を奉仕するに、感有り」ということだそうだ。
本当にやるもんだね、晴明!「被物」というご褒美を安倍晴明が貰ったことも書いてあり、「早く賜ふべきなり」とも道長が書いている。
しかしまた、7/15から7/20までの御堂関白記には「天晴る」がずらっと並んでしまっていた。
こんな天候の良し悪しまで政の責任になるなんて、大変だ、昔の為政者は。大体不遜な話じゃないのか、天気をコントロールできるものと思ってるなんて。1000年後だって普通は超常能力の無い人間には無理な話なのに、どうしてそうなったのかと思う。
当時、晴明のような超能力者が常に世にはいたのかな。それで為政者の求めに応じ、能力を使って雨を降らせていたとしたら「天気?普通に何とかできるでしょ」という認識にもなっちゃうのかもしれないけれど・・・超能力が普通だと思われちゃ困るよね。
このブログはドラマについて書くものなのでドラマに戻る。前述のように実際は帝の雨乞いも多少は雨を降らせたらしいが、手柄は安倍晴明が独り占めした格好だ。
雨乞いの儀式後、晴明は雨に打たれ倒れていた。黒髪だった晴明は、すっかり白髪に。式神(従者)も泣いていたので、エネルギーを使い果たした晴明は事切れたと思ったが・・・どっこい生きていた。
でも、見るからにヨボヨボに変身。本来は80代も半ばだからそれが当然の姿だったが、それまでは神通力で若見えしていたのかもしれない。
道長が雨乞いを依頼した時、晴明はこう言った。
晴明:雨乞いなど体が持ちませぬ。
道長:陰陽寮には力のある者がおらぬ。なんとかそなたにやってもらいたい。
晴明:こうしてお話するだけでも喉が渇きますのに、祈祷なぞ。
道長:頼む(深々と頭を下げる)。
晴明:何をくださいますか。私だけがこの身を捧げるのではなく、左大臣様も何かを差し出して下さらねば、嫌でございます。
道長:・・・私の寿命・・・10年やろう。
晴明:まことに奪いますぞ?
道長:よい。
晴明:(道長を見据えて)・・・お引き受けいたしましょう。
だから、雨乞い成功の後、道長は10年分一気に老けるのかと思った。もしくは、見た目は変わらなくともガクッと精力が衰えるような表現があるはず。そう思って注意深く見ていたが、雨乞い前後で道長に特に変化は無かったようだった。
ということは・・・言葉ではああいったものの、晴明は道長から奪わず、己だけでダメージを引き受けて、己の寿命だけ縮めたことになる。なるほど、そうだったか・・・よほど道長を見込んでいたと見える。
光のまひろが道長を煌々と照らす
晴明は、その道長に相談されてこう言った。その頃の晴明は、脇息に寄りかかるのもやっとで、烏帽子は被っていたが装束も乱れていた。式神は晴明のための薬湯も用意して待っていたようだった。彼の寿命は近いのだろう。
晴明:確かに、あなた様は今、闇の中におられます。
道長:まさに闇の中だ。
晴明:お待ちなさいませ。いずれ必ずや光は射しまする。
道長:(目を閉じて上を向き)いつだ?いつだか分からねば、心が持たぬ。
晴明:持たねばそれまで。されど、そこを乗り切れば光はあなた様を煌々と照らしましょう。
道長:すべてがうまく回れば、私なぞ、どーでもよいのだが。
晴明:(真っ白の髪でじろりと道長を見る)
道長:ん?
晴明:今、あなた様のお心の中に浮かんでいる人に、会いにお行きなさいませ。それこそが、あなた様を照らす光にございます。
まひろだ、どう考えても。まひろが光で、煌々と道長を照らす。「光る君」は道長でいいのだが、光はまひろなんだね・・・。
しかし、すぐにまひろに会いに行くのかと思いきや、道長が会ったのはF4の面々。そこで前述のように行成と公任にヒントをもらい、まひろにようやく会う気になった。予告を見る限り、賢子にも初対面。自分の娘だと知るのだろう。
え?もしかして賢子の方が道長の光なの?そんなことないか。
絶望の倫子様
前回あたりから、嫡妻倫子様の道長への態度がおかしい。それまでは「相談されて嬉しい!」と言って笑顔を見せ、長女彰子の入内にしても共に戦う同士と言っても良い存在だったのに、前回は道長が息子の舞について話しかけても、ロクに目も見ない様子だった。
今回、倫子様のたっての願いで、道長は帝の御前に妻を連れて行った。倫子様は、宮廷で孤立して見える中宮彰子のことが心配でたまらないのだ。
(倫子が、帝に差し上げる漢詩の書かれた巻物を持ち、清涼殿にやってくる。帝がそれを広げる)
一条帝:行成の字は相変わらず美しいのう。
倫子:お気に召してようございました。
一条帝:中宮への数々の心遣い、有難く思っておる。
倫子:勿体ないお言葉、痛み入ります。そのようなお言葉をどうか、中宮様におかけくださいませ。(道長が横目で倫子を見る)幼き娘を手放し、お上に捧げ参らせた母の、ただ1つの願いにございます。
一条帝:朕を受け入れないのは中宮の方であるが。内裏に来てすぐの頃、朕が笛を吹いても横を向いておった。今も、朕の顔をまともに見ようとはせぬ。
倫子:出過ぎたことと承知の上で、申し上げます。どうか、お上から中宮様のお目の向く先へお入りくださいませ。(固まる道長)母の命を懸けたお願いにございます。(横目で倫子を見て息を飲む道長、驚く帝)
一条帝:・・・そのようなことで命を懸けずともよい。(座を立ち、去る。倫子を見る道長。頭を下げたまま、一点を見つめる倫子)
(御前から下がって、倫子と向き合う道長)
道長:お前はどうかしている。もしこれで帝が彰子様にお情けをかけられなければ、生涯ないということになってしまうぞ。
倫子:ただ待っているだけより、ようございます。
道長:(目を逸らし、腕組みをする)・・・分からぬ。
倫子:(深い悲しみを湛えて)殿はいつも、私の気持ちはお分かりになりませぬゆえ。(道長を置いて去る)
焦っているなあ、倫子様。一人ぼっちだと感じている様子だ。長男は童舞で明子の長男に負かされた形になり、長女は生贄の姫として泣く泣く入内させたのに、宮廷で捨て置かれたようになっている。母として寂しいし辛いだろう。
その寂しさ悔しさを共有してくれるはずの夫道長が心から欲しているのは・・・自分じゃなくて「まひろ」だと、やはり聞いてしまったのではないだろうか。あの、道長が危篤から目覚める場面での話だ。
もしかしたら、はっきり「まひろ」じゃなくても、誰か自分とは別の人の名前を呼んだと聞かされたのかもしれないけどね。
いずれにせよ、だからあんな顔で道長を見て、「殿はいつも私の気持ちは分からない」と言うのではないか。危篤になった夫の生還を、一心に祈って家庭を守っていただろうに、夫が呼んだのは別の女の名。やりきれないね。
ところで、長男の漢籍の師はまひろパパ為時。そこらへんは大丈夫なのかな?
まひろという光が照らすことによって道長は煌々と輝き、それが倫子様にも一定の幸せを届けるだろうけれど・・・「私の気持ちは分からない」状態が続くと思うと、頑張っている倫子様が気の毒でたまらない。
ガンバレ倫子様!
(ほぼ敬称略)