無免許運転も居眠り運転も、一般人の感覚からすれば危険極まりない。技能だけでなく、交通ルールを含めて学んでこその免許取得だろうと思うし、居眠りされてはそもそも意識が吹っ飛んでいるのだから。
それなのに、昨日、地裁判決のあった亀岡の事件では、少年の罪は「危険運転致死傷罪」とは認定されずに、「自動車運転過失致死傷罪」と道交法違反にとどまった。重大な結果を招いたと認定された居眠り運転も、悪質な「過失」と見られただけだった。
今回の事件で、被害者側は「危険運転」の適用をずっと求めていた。賛同者の署名を集め、検察庁に「危険運転に訴因変更をしてほしい」と申し入れていた(ウルトラCかもしれないが、本当は、被害者遺族自ら「危険運転」で少年を告訴しても良かったのかもしれないが)。
無免許運転は、運転未熟以前の問題。それがスルーで「危険運転」にならないなら、免許制度なんて必要ない・・・被害者や一般人の多くが感じる常識を、どうやったら実際の裁判の場に反映できるのだろう。もちろん、裁判員裁判だったら良かったのだが、裁判員に裁いてもらえるようにする場合も、法律を変えるしかない。
<新しい悪質運転罰則案>
ちょうど、法制審議会の部会による悪質運転に対する罰則案に関する議論がまとまり、警察庁も道路交通法の改正に向けての試案をまとめ、公表したとの報道をバレンタインデーに見たばかりだった。今国会で、法改正案は審議されるらしい。
だが、今回の法改正案によっても、無免許運転は故意犯としての危険運転のカテゴリーの中には入らないそうだ。無免許運転は、あくまで道交法上の罪として、罰則の引き上げが行われる。現在、「1年以下の懲役または30万円以下の罰金」とされているのが、「3年以下または50万円以下」と重罰化される方向だそうだ。
無免許とひとつ言っても、「無免許運転=危険運転」とは簡単にイコールでくくれないでしょ…と言う人もいる。それはそうだ。仕事が忙しくて免許更新を忘れて失効してしまった場合と、今回の亀岡のケースのように、最初から免許を取得しようとも思わない場合も全部いっしょくたでは乱暴な話だ。前者は気の毒だ。
しかし、前者は過失によって無免許になっているのであり、後者は確信犯、故意によって無免許なのである。だから、法律でまず危険運転の定義を拡大して、法運用時にその無免許状態を招いた過失・故意の開きを、柔軟に見定め、危険運転を適用するべき無免許運転かそうじゃないかを決めればいいだけじゃないか…と思う。
それなら、問題になっているケースだけを「危険運転」として処罰できるのではないか。素人考えだが。
<中間の罪の新設>
今回検討される法改正案では、「危険運転」の要件には、逆送や歩行者天国での暴走など「通行禁止の道路を通行した」が追加される方向なんだという。そして、てんかん発作に絡む事故で問題になっていた、一定の病気の影響下で死傷事故を起こした場合については、「準危険運転致死傷罪」と仮に言われている「中間の罪」新設が検討されているのだそうだ。
中間の罪って…現場では混乱しやしないだろうか。中間の罪はやめて、「危険運転」自体を実情に近づけるように、柔軟に見直せばいいだけの話ではないのか。それとも、司法の現場で狭く狭く法運用をされた結果なかなか抜けない伝家の宝刀に祭り上げられてしまった「危険運転」に対して、既に立法府がある程度の見切りをつけたということなのか。
しかし、本来なら「一般的に危険な運転」=「法律上の危険運転」に近づけるべく、立法も、運用も、ギャップを埋める努力をしたほうが、分かりやすくもあり、被害者の思いにも近いのではないか。それこそが、被害者から報復権を取り上げて代わって刑罰権を行使する、国家の目指すべき正義の形なのではないか…と思った。
そもそも、道交法だ、刑法だと、こんなにつぎはぎだらけの交通法制でいいのか。もっと体系的に交通犯罪に対してどう取り組むかを示す法律が、そろそろあって然るべきなんだろう…との説に、私も賛成だ。
それから、あるご遺族が、免許を取得したら、成人とみなすことにしてはどうかと提案していた。婚姻をした未成年が成人と同じく一定の責任を認められるのと同じように…と。「車を運転する場合には、どんな人であっても何歳であってもやはり責任はとるべきだと思います」と、ブログには書かれていた。
それもそうだ。良いポイントだと思った。そういったことも、総合的な交通犯罪についての法律に含めればいいのではないだろうか。