黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

「有識者」としての被害者、その声を生かせ

6月6日夜、北海道砂川市で痛ましい事件が起きた。日本一長い直線道路と言われる道で、カーチェイス同様の時速百キロ超の高速運転をしていた2台の車によって、軽乗用車に乗っていた家族5人が死傷した。昨日、亡くなったご夫妻と長男長女の告別式が行われ、現在も一番下の次女が生死の淵をさまよっている状態だ。

直線道路を飛ばしていた2台の車は仲間同士で、当日はいっしょに飲酒してから運転していたらしい。その他、1台目に衝突されたはずみで路上に投げ出された高校生の長男が1・5キロも生きたまま2台目に引きずられ、そのため窒息で亡くなるに至ったらしいこと、途中、何度も振り落とそうとしたのか2台目の走行経路には不自然な蛇行の形跡があること、それなのに道交法違反(ひき逃げ)で逮捕された運転手はお決まりの言い訳をして罪を覆い隠そうとしていたらしいこと等々、まだ真偽は定まらないにしても様々な情報がメディア上に出てきている。

今日(12日)になって、軽自動車に衝突した1台目の運転手は、入院治療が一段落したのか、危険運転致死傷罪で逮捕されたようだ。前日には2台目の運転手が道交法違反のまま送検された。こちらは悪質な引きずりがあるのに、殺人罪の適用をあっさり諦めてはもらいたくないところだが。今後、どうなっていくだろうか。

この事件についてはテレビでも報道が続いている。昼の情報番組に、今回の事件では被害者遺族や支援弁護士等がコメンテーターとして連日のように招かれ、被害者側の見方を発信しており、私は非常に意義深いことだと関心を持って見ている。今日も、十数年にわたり飲酒運転事故の撲滅に動き、危険運転致死傷罪や発覚免脱罪の創設など、最近までの一連の交通法規の改正の原動力になってきた遺族が、TBS「ひるおび」にコメンテーターとして出ていた。

彼女は、危険運転に関する最高裁判例の内容を指摘して、全国の検察がひるむことなく果敢に危険運転での立件に取り組むように促していた。すばらしいの一言だ。

また、長くお付き合いのある知人も、遺族団体の代表としてテレビ朝日ワイド!スクランブル」に10日、出演した。出演が決まったと連絡を受け、慌てて私もメモを彼女に送り付け精一杯のエールを送ったつもりだが、こちらの勝手な期待にも「助かりました」と言ってくれる出来た人だ。

彼女はまだ30代と若いが、講演や記者会見でも度胸があっていつもいつも感心させられてきた。今回も「有識者」として、期待に応える堂々たるコメントぶりだった。

今回の事件では、
・家族全員が巻き込まれており、親族友人一同が大変な思いをしているはずだということ
・単なる事故でなく交通犯罪だという大きな枠組みで急がずしっかり捜査をしてほしいこと
・同乗者についても悪質なら危険運転致死傷罪の共同正犯や幇助犯、教唆犯として立件すべきであること
・事件が発生すると同時に生活が止まってしまう被害者には、生活支援がすぐにも必要であること
・そのためには各自治体に支援条例を設け、支援に当たる窓口を置く必要があること
・特に次女に対する支援は継続的、年単位で行われる必要があること。子どもへのグリーフ(悲嘆)ケアは重要であること
・早くに北海道の被害者団体につながり、次女を支援する人たちがたくさんいることを伝えて安心してもらうこと・・・。

放送を見ながらメモしただけでも、これだけのことを彼女は短時間で整理して述べた。これは、経験したからこそ確信を持って言えた内容であり、これ以上のものを番組のレギュラーコメンテーターはとても思いつきもしなかっただろうと思う。

1週間も冷蔵庫を開くこともできず、着のみ着のまま、押し寄せる事情聴取や手続き、付添い等々に夫と共に寝る間もなく奔走することになった彼女。4歳の自分の子の面倒を見るどころではない。「2時間ドラマのようにはいかない」との簡単なコメントの裏にも、家族の命を突然奪われたり生死の境をさまよっているという「人生最大の危機」に、ゆっくり悲しむこともできないこの国の遺族の過酷な状況がある。それを、彼女もくぐり抜けなければならなかったのだ。

そんな彼女が発案し、他の支援者や被害者の知恵を借りながら仲間で作成した「被害者ノート」も、番組では大きく紹介された。嵐のような日々をくぐり抜ける羅針盤にもなるかもしれず、後には大切な記録になり、それから支援者につながるためのツールでもある。

考えてみると、これだけの情報を蓄積しているのが被害者や遺族なのだ。社会のひずみを国民に代わって経験し、色々な知識を得てきているのだから、社会をより良いものにしていこうと思う人から見れば「宝の山」のはず。それなのに、これまでメディアを含めて社会は「有識者」として被害者遺族を十分に活用してきたとは言い難いのではないか。

たまに、「心のケア」一点張りとか、被害者の事情が分からないまま上っ面なコメントをしている人を見ると、気の毒にもなる。そんな人しかその場に出演させられなかったのかと、テレビ局の腕も疑うこともある。

山口県光市の母子殺人事件で、夫である遺族がメディアで冷静に考えを述べる真剣な姿が繰り返し放送された時は、これまでの被害者像、ステレオタイプを塗り替えたのではないかと感じたものだ。ドラマに出てくるような、ありがちな、ただ感情的に怒りをぶつけるだけの底の浅い訴えではなかった。その訴えが通じたから、法改正や被害者のための制度新設につながっていったのだと思う。

人生で一番つらかったことを人前で語れと言われたら、簡単にはできない。悲しみや怒りを抑え、冷静に話すのは非常に精神力が要るはず。過酷だ。それでも、語れる被害者はできれば社会の窓たるメディアを通じて語っていってもらいたい。それを、メディアは大切にできるだけ多く伝え、社会も受け止めていってもらいたいと思った。