黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

【鎌倉殿の13人】父・義時をなぞる二十歳の泰時

顔の大きい佐藤二朗

 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第31回「諦めの悪い男」。今回もまたまたすごかった。8/14に放送され、ここぞという時の思い切りの悪さ&先見の明の無さが尾を引いて、比企能員が死んだ。おもしろおじさんのイメージの強かった佐藤二朗が、笑顔の怖ーい悪役・比企能員を演じて、最期まで小物らしくジタバタして素晴らしかった。

 当主の戻らない比企家で、「兵を整え迎え撃て!」と息子に叫ぶ妻の道、不幸にもまだ健在だった比企尼(何か投げてましたね)、そして一幡をかばってトウに瞬殺されたせつ・・・切ない。この女優陣にも涙。拍手を送りたい。

 佐藤二朗は顔が大きい。義時や頼家と見合っているシーンでは、見ているこちらの遠近感がおかしくなるほど。どう見ても、小栗旬や金子大地が遠方に居て、佐藤二朗が手前に居るように感じるほど顔が大きい。

 その顔の大きさに比して、感情と裏腹に不気味に笑った時に見える並んだ歯が小さくて、八重歯もキラリと光ってそれが怖いのだ。最近は悪ーい顔をして歯を見せながら笑うことが多かったように思うが、歯の不気味さまで計算した演技だったのだろうか。すごいなー。

「比企能員の乱」=北条時政のクーデターでしょ

 前のブログにも書いたが、比企一族というのは実は危機感が薄かっただけで、そんなに悪い一族だったようには思えない。北条家に都合のいい幕府の正史「吾妻鏡」でなくて慈円の書いた「愚管抄」の記述の方が信憑性があるような気がする。

 つまり、比企は謀反を起こした側じゃなく、北条が仕掛けたクーデターによって滅ぼされた側では? しかし、鎌倉のことはなんでも悪く言いたい京都側に影響された慈円の書きぶりだったのかもしれず、真実はどうだったのだろう。

 いずれにしても、既に抜き差しならない両家の関係を見れば、先見の明というか己の信じるところに向かって先手を打つしか生き残る術はなかったよねと、結果を知っている立場からは見える。でも渦中に立つと「まさか、ね」となってしまうのだろうね。

 前にも書いたように、北条と比企と、それぞれが手駒として持っていた源氏の御曹司は2:2(頼朝&全成:範頼&義経)。比企側は早々に義経を喪い、舅として一族の河越重頼と嫡子までもが誅される憂き目にあった。そして引き続き範頼も抹殺された。

 頼朝が死に、2代将軍の頼家は比企がしっかり抱き込んでいる。比企の「せつ」若狭局が産んだ一幡が嫡男として鎌倉殿を継げば、比企は北条を源氏を巡る力関係で逆転する。

 30回で義時と対峙した時の能員のセリフにあったように、鎌倉殿が頼家だと乳母夫に過ぎないけれど、一幡ならば鎌倉殿の外祖父として朝廷とも直に渡り合えて力を振るえるようになる。だから、残るは念のために北条側の源氏の手駒、全成(と息子たち)を消しておき、比企の力を北条に見せつけておけば一安心、と考えたのだろうか。

 己が政治的リードを積み重ね、相手への配慮が無ければ相手の破れかぶれ、一発逆転の実力行使を引き起こすもの。比企家は、そんな切迫した危機感を持てなかったのか・・・息子を殺された実衣はブチ切れていたし、そんな彼女の感情は北条家に火を点ける。(「大きい順に並べて」=最初は佐藤二朗だよね、と思った。)

 やっぱり、物事の解決に最終的には武力に訴える坂東武者の危険性を、京都から来た一族は読み切れなかったってことなんだろうか。

 そりゃ、坂東武者の神輿にもならないレベルの余所者・比企家が源氏と一体化してのさばってしまえばさっさと片づけたくなるだろう。(そして、源氏に纏わりついてくるさらなる比企家を出さないために、後々、義時は源氏までも片付けてしまうことになるのだね。)

 30回終わり近くでの義時のセリフ「ようやくわかったのです。このようなことを二度と起こさぬために何をなすべきか。鎌倉殿の下で、悪い根を断ち切る。この私が!」・・・いやー、カッコ良かった小栗旬。「坂東武者の世を作る。そして北条がてっぺんに立つ」との兄・宗時の言葉がリフレインして分かったのかな。

 京都出身の歴史学者の先生が、当時の鎌倉は、京都人から見たらまるで暴力団抗争の地みたいでおっかない、みたいな話をしていた。NHKBSの磯田道史司会の番組「英雄たちの選択」だったか。御家人同士の争いは、まさにマル暴の抗争だが。

www.nhk.jp

「てっぺんに立つ」者の眼

 この31回「諦めの悪い男」は、前後の30回「全成の確率」と32回「災いの種」を含めて、主人公の義時は40歳。息子の泰時(どうしても若き菅波先生に見える坂口健太郎)が20歳の頃の話だ。時系列を見ると、義時は1163年生まれ、泰時は1183年、そして物語の舞台は1203年。

特集 略年譜 | NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」

 比企との一戦を前に泰時は「そんなに北条の世を作りたいのですか」と父・義時を諫めたかったようだが、義時は「当たり前だ!」と怒鳴り返し息子を黙らせた。兄の言葉「そのてっぺんに北条が立つ」を頭に思い浮かべながら廊下を行く義時は完全に目が座り、あの上総介を誅殺した時の頼朝(大泉洋)の血走った眼を思い起こさせた。

 あの時、義時はまさに20歳だった。第15回「足固めの儀式」の話だ。頼朝は義時よりも16歳上になるので、36歳ごろか。

 御家人の宿老を中心に頼朝追放計画が持ち上がり、頼朝の側近だった義時は、上総介の協力を得てその「謀反」を収めたつもりだった。ところが、義時の知らないところに頼朝の策が隠れていた。義時も騙され、協力者だったはずの上総介は、謀反の責任を取らされる形で御家人の前で無残に斬り殺された。

 久しぶりにこの15回の録画を見た。佐藤二朗演じる比企能員は、この回でも鎧を隠して着こんでいた。細部は結構忘れているもので、改めて全演者熱演の力の入った回だと見て思った。死ぬまでもそうだが、死後の上総介を演じた佐藤浩市の「骸っぷり」が凄かった。偶然にも、こちらも乗り越える相手は佐藤さんが演じた。

 そして、小栗旬の義時は、本当に二十歳に見えるので録画のある方は是非見てほしい。頼朝、安達藤九郎、大江広元と話している場面などは、たったひとり若者がその場に混じって突出している感じがよく出ている。地域のおじさん達のプロジェクトに、ひとり参画している大学生みたいな。

 15回を見たリアルタイムではそこまでの格差を残り3人と感じなかったのだけれど、今、40歳の義時を見てからだとよくわかる。すごいなー小栗旬。全然違う。

 この上総介斬殺の前日、「なりませぬ」「承服できませぬ」と正義感全開で頼朝に対して頑張っていた若い若い義時も、いざその場では「小四郎!来ればお前も斬る」と頼朝に脅しつけられ何もできず。そして頼朝が「今こそ天下草創の時、儂に逆らうものは何人も許さん。肝に銘じよ!」と大声で宣言し、その場にいた御家人全てが跪く。義時も涙でぐしょぐしょになりながら最後に跪いた。義時の思惑を軽く超えて、頼朝が御家人のてっぺんに立った瞬間だった。

 そして、このシーンの頼朝の目。これが31回の比企との戦いを心に決めた時の義時の目と同じに見えたのだった。これが「てっぺんに立つ」と覚悟した者の目なのか。

まだまだ青い泰時。これもどこかで見た 

 15回の若い義時は頼朝の策にすっかり騙され、頼朝について「御家人あってのご自分だと良く分かっておられます」なんて御家人に対して言い、かばっていた。みんなと和気藹々、一緒にうまくやる範疇でしか物を考えられていなかった。これがまた、31回の泰時の「青さ」とシンクロした。

 泰時は、父・義時の考え方について行ってなかった。確かに29回「ままならぬ玉」の時点で、義時はこう言っていた。

 「梶原殿が居なくなって、この先は嫌が応にも北条と比企がぶつかることになる。その間に立って丸く収めるのが私の役目だ」

 泰時は、「間に立って丸く収める」からまだ変化できていなかった。全成が殺され、全成の息子(つまり泰時のいとこ)の頼全までが殺されても、現実の変化を呑み込めなかったのか、信じたくなかったのか。もう丸く収まるタイミングはとっくに過ぎたのにね・・・もう父ちゃんは、てっぺんに立つ気になったのだよ。

 さて、そんな北条と比企とのぶつかり合いを引き起こした2代目鎌倉殿頼家の危篤騒動。頼家が蘇ってさあ大変だ。頼家の悲劇の前に、ああ、仁田忠常の悲劇が迫って来る。それから一幡の悲劇も。そこで主人公の覚醒のダメ押しか。とにかく演者全員の熱演が凄い。

(敬称略)