黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

また転んだ

 どうやら、新年最初の投稿らしい。最近、谷あり谷ありの状況が続いて・・・いや、うれしい山もありましたね。でも、このブログは、タイトルに「七転び八起き」と付けたが、また転んじゃったみたいだ。
 
 被害者がパネリストとなって被害についてのお話をするのと、一般の被害者でも何でもない人が、例えば学校の行事ではこんなことがありましたと話すのとでは、自ずから本人にかかるプレッシャーには大きな差がある。前者は、自らが抱えるトラウマを直視することになることが多く、簡単なことではない。それをしかも、衆人環視の前で行うのだ。
 
 その大変さは、何に比べたら釣り合いが取れるのだろう・・・人生で一番つらかったことを、大勢の人前で話してくれというのだから。それは、取材を受けいれる以上に、プレッシャーがかかることだと思う。
 
 だから、いつも被害者が壇上でお話ししてくれる機会は大事に耳を傾けたいと思うし、「毎回同じ話だから」などと謙遜されることもあるけれど、そのたびに変化も織り込まれていて、そういった日々を過ごされたんだな・・・とその時々で感慨がある。
 
 そう思うと、パネリストに被害者を招くことは、簡単に考えられるはずもない。その方が、本当にトラウマをある程度人前で整理して話してもいいと自分から思えるほど自信が持てた時とか、そこを直視しつつ、質問を参加者から受けても大丈夫!どんと来い!と言えるようでないと、お誘いするのはためらわれる。
 
 あるテーマが設定された会で、打ち合わせがあった時に、登壇する予定の被害者さんがいた。そのテーマに沿うとすると、その人のトラウマにどうしたって触れることになってしまう。ご本人が風邪を引いていると言うので早めに済まそうと手早く聞いたが、やはりしんどかったようで、反発されてしまった。
 
 その後は、変化球しか返ってこなくて、かみ合わないやりとりになった。
 
 「そこは聞かないで、察してほしい」との気持ちになるのは無理もない。そういう場合は、このまま予定通りというのはどうなんだろう・・・と思った。
 
 また、1対1でお話を聞いていた時だったとしても、押し込めていたトラウマのフタが開いてしまった時のショックは見ていて気の毒だからそうならないように努めるが、それが不意打ちで大勢の前で起きてしまうことは絶対に避けたい。そう思うと、事前にどこに地雷があるのか理解しておかないと・・・と思った。
 
 結果的に、聞いてみて、テーマで扱うもの自体がもうその被害者さんにはダメなように感じた。そこで、トラウマにあまり触れなくても済むように「会の内容を少し変更しては?」と提案したが、それはいいのだと。そして・・・主宰者にも話してみたが、その人のことを「精神的に不安定だから外せ」と私が言っていると思われてしまった。
 
 そうじゃないんだけど・・・。
 
 むしろ、主宰者は、打ち合わせで私がトラウマには触れず、配慮すべきだったと思ったようだった。
 
 じゃあ、なぜあのメインテーマ?そうでなければそこを確認はしなかったし・・・個人的に取材する場面だったら、あんな乱暴な設定で大事なお話を聞いたりは通常しないし、それ以前に、前述のように、取材とディスカッション参加は負荷を考えたら同列に考えるのは無理な話だ。被害者さんがそのテーマで本当に耐えられるのかどうかは、お呼びする側が慎重に考えないといけないだろう。
 
 結局、せっかく登壇してくれる被害者さんを優先して、会の参加はこちらがご遠慮することにした。
 
 論点を設けず、もっと楽に被害者さんがお話できる小さい勉強会にするようだ。それがいい。その方が、負担も小さいだろう。
 
 ということで、私はしばらく転んでいることになりそうだ。