黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

「ごちそうさん」に見る、寄り添う難しさ

 NHKの朝ドラ「ごちそうさん」は、私もはまった前作の「あまちゃん」をしのぐ人気のようだ。結局、私も欠かさず見ているが、17日の放送は身につまされた。
 
 作中では、関東大震災が起こり、主人公「め以子」の住む大阪にも被災者が逃げてきて、彼女は炊き出しの手伝いに行く。そこで、食事を摂ろうとしない女性に「遠慮なく」「おみそ汁だけでも」「食べないと力が出ませんから」と、主人公は結構しつこく食事を勧め続け、相手を「今さら力を出して、私にどうしろっていうのよ」と激高させてしまう。
 
 それでも「こういう時だから食べないと」「つらい気持ちは分かります。食べないからどんどん気が滅入っちゃうんです」と食い下がり(!)、「あなたに私の何が分かるっていうの」と頬を叩かれ、また他の地元のご婦人たちにも「避難してきはった人を怒らせて、何を考えてはりまんねや」とたしなめられる始末(関西弁は難しい…怪しい書き方かもしれないがご容赦を)。
 
 そこでも「このままあの人、食べなかったらどうするんですか」と言い返し(!!)、「落ち着いたら食べはります」とぴしゃりと言われていた。
 
 そう、無理強いは禁物、時間が必要なんだよね…と思う。そして、マスコミも主人公と同じ「自分の信じる正論」を、それどころではない被害者にぶつけている、と多くの人に思われているのではないかな…とふと思った。
 
 ここではマスコミは一旦置いておいて・・・さて、落ち込む主人公は、その後、舅に「こういう時は人の気持ちに寄り添うのは難しいこっちゃ。気を遣うたつもりが、かえって的外れになったりしてな」となぐさめられていた。その一連の主人公の言動を、私はヒヤヒヤして見ていた。「被害者支援をしてます」なんて及ばずながら一応口にすることもあるし、被害者との接し方には色々と悩んだ時期があったもんなあ…と思う。他山の石だ。
 
<支援=実はどっちもwin-winの関係>
 
 接してみてたまにぶつかるのだが、「支援」という言葉を嫌いだと言う人がいる。支え援(たす)ける、と考えたら悪い言葉ではないはずなのに、「上から目線」のイメージで聞く人がいるのは確かだ。ずいぶん前の話だが「あなたに支援してもらっているつもりはない」とケンカ腰で言われたこともあった。
 
 今思うと、その人は、支援者から弱者のように扱われると思ってしまって、誰かから支援を受けることにとても抵抗があったのではないかと思う。誇り高くて「上下の関係で考えたらあなたの下になるんじゃないの?それは私は許せない!」と考えたのかもしれない。頭の中には「支援=救済」のイメージがあったのかも。
 
 支援という言葉が示すものは、支援者が上、被害者が下の「上下関係」ではないはずだ。仲間内の支え合い、なんじゃないかと思う。そもそも、「支える」ことは物理的に考えても横並びか斜め下あたりからじゃないとできないのでは?上からだったら「支える」ではなくてイメージとしては「持ち上げる」となるような気もするし。「人生の最大のピンチに、支援を受けることはお互い様。悪いことじゃないよ」と思う私としては、そんな上下のイメージが「支援」について回ってしまっているのは残念だ。
 
 しかし、そうも言っていられないので、言葉を添えることができたり、そんなに堅苦しい場面ではない場合には「支援」に代えて「応援」という言葉をなるべく使うようにしている。もっと砕けてもOKな場合は、アイドルを勝手に応援するファンの心境なんだと言ったりもする。
 
 それは、一生懸命な人を応援したくなるのは、人間として自然な感情だと思うから。しかも、被害を経験した人たちが頑張っている方向性は大体が「こんな思いをもう他の人にさせたくない」といったもので、この世の正義だと思えるから。
 
 それから、なんでも、善い行いをするとオキシトシンというホルモンが脳内で分泌されて、確かに良い影響があるのだそうだ。また、私もいっぱい勉強させてもらっている。気持ちよくお付き合いさせてもらって、こちらもとてもうれしい。だから、やっぱり支援をする方もされる方も、どっちもwin-winの関係なんだと思う。頑張っている人を近くで応援することで、元気をもらえているのは確かだ。
 
 「ごちそうさん」のお舅さんも、「人の役に立っていることで、自分が救われとるんやなあ」と主人公に言っていた。さらに「私は私で救われに行っとって、それが誰かの役に立っとるんやったら結構な話やないか、ぐらいの気持ちでええんやないか」と。そうそうそうそう!いいこと言うね~と私としては思った。
 
 お仕事として支援をしている人たちは、逃げ場もないし、そんな気楽なことは言ってられないんだよな~と思うかもしれない。でも、単なるボランティアの私は、その方が支援される側にも負担を与えず、いいんじゃないかと思う。
 
 これからも、勝手に被害者を応援しようと思う。