黒猫の額:ペットロス日記

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【鎌倉殿の13人】時政パパ退場、りくvs.実衣の戦いが見たかった

新聞社デスクっぽい平賀朝雅

 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第38回「時を継ぐ者」が10/2に放送された。次の日曜日は座談会になるそうで、1週間飛ばして39回が放送されるという。いよいよ、義時が歴史の表舞台に出てくることになる。

 初代執権である時政パパを追放した後、義時は権力者となり、平賀朝雅の討伐を在京御家人に命じた。「鎌倉殿を追い落とし、自ら鎌倉殿の座に就こうとした」というのが平賀朝雅謀反の罪状であり、さらに

あの男は北条政範に毒を盛り、畠山重保に罪を擦り付けた。それがなければ畠山は滅亡することはなく、わが父は鎌倉を去ることもなかった

と、黒い衣装に身を包み、眼光鋭く義時は言った。

 この誅殺によって、畠山重忠ファンの溜まりに溜まったモヤモヤは多少晴れたかと思う。嫡男重保が巻き込まれ、一族滅亡に至った畠山。泣いても泣き切れない。先日、鎌倉に行き、短時間ではあるけれど重保のお墓にお参りさせていただいた。まだ若いのに、無念だったはずだ。

お墓の隣にあった碑。重保邸があった所

こちらは父・重忠のお屋敷跡

 重保を陥れた、スネ夫のようでもありキザ貴族でもあるような描かれ方だった悪役の平賀朝雅だが、ドラマとは違って往生際もカッコ良い武士だった記録があるらしい。

『吾妻鏡』によると、当日に朝雅は後鳥羽上皇の仙洞で囲碁会に参加していた時に討手が来ていることを小舎人の童から伝えられたが、驚いたり動じたりせず座に戻って目数を数えた後で、関東より討伐の使者が上ってきたことを上皇に伝えて身の暇を賜ることを言上した。(平賀朝雅 - Wikipedia

 演じた山中崇が同時に朝ドラ「ちむどんどん」で中年の新聞社デスク(そう小ぎれいでも上品でもない存在)を演じていたからか、20代前半で泰時と1つ違いの青年貴族風の、上皇サロンにも立ち混じる人物にはとても見えなかった。

 悪い役者ではもちろん全然ないけれど、お肌のテクスチュア的にもちょっと年齢的に無理が無いか?ジャニーズの若手で演じられそうな人がいそうな気がする。「おかえりモネ」のりょーちん役の彼(永瀬廉)とか?愁いを帯びたゾクッとする朝雅になったのではないか。泰時の中の人(「モネ」で菅波先生を演じていた)から連想した。

 朝雅の誅殺は、京の後鳥羽上皇らに「北条義時」の名を初めて確認させ、騒然とさせていたが、そうそう、朝雅を焚きつけた張本人・生田斗真演じる源仲章の反応もできれば見たかった。彼は「僕は関係ないもーん。僕がお勧めしたのは将軍職じゃなくて執権だからね」とつぶやきながらも、表情を無くして震えていたかな。

そろそろ和田合戦か😢

 ドラマでは、初代執権を追放後、最初の仕事が朝雅討伐の命令になった北条(!江間じゃない)義時。侍所別当である和田義盛が滅びる和田合戦を経て、義時は政所別当と侍所別当の両者の役割を兼ね備えるパワーアップした「執権」に就くのだという。

 ということは、もうドラマでは和田合戦が近いのか・・・すっかり愛されキャラの和田っち。巴御前も和田一族と共に奮闘するのだろう。彼らの花道をもうすぐ見ることになるのだ😢😢鎌倉に行って「和田塚」にもお参りさせてもらったが、ドラマでどう描かれるのだろう。寂しい限りだ。

 そうそう、私がファンの「かしまし歴史チャンネル」のきりゅうさん(川合章子)は、和田っちの中の人(横田栄司)が和田っちの髭面を似せてキャラの絵を描いた鎌倉のグッズ屋さん(旧北条泰時邸のある場所で営業中)を動画で紹介していた。その後、かしまし動画を見た和田っちファンが30人以上もご来店だったそうで(私も行った)、和田っちの愛され方と、かしまし動画の影響力たるや大したものだ。

 しかし、先延ばしはできない。もう10月。残り10回で和田合戦、実朝暗殺、承久の乱もやらねばならないし、義時の死にまつわって伊賀の方がどう描かれるのか、泰時の御成敗式目の発布までやってくれたらうれしいな・・・等と考えていたら、駆け足で進行しないとダメだ。

 三谷幸喜の大河ドラマは、「新選組!」「真田丸」ともに主人公の死で幕が引かれてきたことを考えると、今作もそうなるのか? しかし、例えば「のえ」が用意した毒キノコ膳を食べて義時が苦しむ様で終わってしまうとすると、その後の収まりがつかない。

 となると、「新選組!」でもそうだったように、山本耕史(三浦義村)主人公のスピンオフを作ってくれないだろうか、NHKさん。チーム泰時の評定衆13人に義村は入っているから、別バージョン「鎌倉殿の13人」誕生の良い感じでまとまれそうな気が。どうだろう。

「小四郎」に戻り、時政パパと涙の別れ

 また、かなり先走ってしまった。38回の話をしよう。

 何と言っても、今38回の主役は時政パパだった。坂東弥十郎の北条時政はまさに「パパ」と呼びたくなる愛すべき存在で、簡単に語るに落ちてしまうし、お茶目で、自分の気持ちに素直で、そうかと思うと男気もある。ひょっとすると素直な小学生男子がごはんもいっぱい食べてスクスク育ち、そのまま大人になったような。記憶の中にチラリとある「草燃える」の金田龍之介が演じた腹黒い時政のイメージとはかけ離れていた。

 いつだったか、自分にとって大切なのは北条の土地(たぶん)と、妻のりく、そして息子と娘の3つだと時政は言って、義時に「4つありますが」と突っ込まれていた。子どもたちは「りく」の後に挙げられて、残念ながら時政の中での優先順位がその通りの順番になっていたことが、悲劇を招いたように思った。

 今回、義時は、普段の立場を忘れて子の「小四郎」に戻り、涙ながらに父と話した。文句なく泣ける名場面だ。何回も見たい。

時政「伊豆か」  

義時「生まれ育った地で、ごゆっくり残りの人生をお過ごしください」

時政「りくはどうなる」  

義時「共に伊豆へ」  

時政「あれがいれば、わしはそれだけでいい。よう骨を折ってくれたな」  

義時「私は首を刎ねられても已む無しと思っておりました。感謝するなら、鎌倉殿や文官の方々に。父上、小四郎は無念にございます。父上には、この先もずっとそばにいてほしかった。頼朝様がお創りになられた鎌倉を、父上と共に守っていきたかった。父上の背中を見てここまでやって参りました。父上は常に私の前にいた。私は父上を…私は…」  

時政「もういい」  

義時「今生の別れにございます。父が世を去る時、私は傍にいられません。父の手を握ってやることができません。あなたがその機会を奪った。お恨み申し上げます」  

語り「元久2年閏7月20日、初代執権北条時政が鎌倉を去る。彼が戻ってくることは2度とない」

 時政からすれば、「小四郎は政子と共に頼朝様に差し上げた」ぐらいに思っていたのではないだろうか。少年の頃から頼朝に重用されていた義時。家子専一だったか、いわゆる親衛隊のような「家子」の筆頭として頼朝のために忙しく立ち働いていた息子について、そう時政が考えてもおかしくないだろう。

 だから、政範が死んで以来どこかが壊れた「りく」だけを思って事を起こした時政は、こんなにも父恋しの義時の気持ちをぶつけられ、意外だったかもしれない。

 「りく」と義時はたった2歳差で義時が下らしい。政子は逆に4歳年上。同世代なのだ。傾城とも言える若く美しい後妻に父を取られ、その父が後妻に振り回されて婿殿全滅など惨状を引き起こしている様子を見るのは、息子として忍びなかっただろう。義時は実母を亡くして父も後妻にゾッコンでは、寂しかったかな。

 「りく」が嫁入りしたらしい1175年に生まれたトキューサや、幼かった「ちえ」「あき」は、もしかしたら「りく」にそれなりに可愛がられたのかもしれない。けれど、義時は12歳だし・・・甘える立場でもない。

刺客トウは脅しに使われたか?

 義時がトウを使って「りく」の暗殺を謀った気持ちも、理解できなくもない。ホーホケキョと妻に向かって艶やかに鳴いてばかりじゃない、地味に鳴く本来の父の姿を取り戻してほしかったのだろう。

 そう思っていたら、面白い解釈をしているツイートがあり、そうだねそれもアリだよねと思った。

 なるほど・・・トウには失礼な話だけれども、トウは「りく」を「脅す」ために、義時に送り込まれたのかも。「だったら、頬にザックリ傷をつけるとか髪を切り落とすぐらい、すれば良かったのに」と家族は言った。無傷の「りく」は全く懲りず、元気いっぱい。確かにモヤモヤするのだろうね。

 顔の傷は「りく」には大ショックだろうし、髪を刺客に切られれば恐怖だろう。しかし、りくのせいで引き起こされた、全成誅殺や畠山滅亡などの犠牲には、それでも全然見合わない。勧善懲悪みたいなことは、今作では果たされないようだ。

 「もうあなたの父を焚きつけたりしない」と「りく」は義時に言ったが、代わって義時を焚きつけてきた。まだ心は不完全燃焼らしく危ない存在だ。不穏な話からはスッパリ手を引き、政範の菩提を弔って時政の伊豆での暮らしに大人しく寄り添ってもらいたいと義時は考えるのだろうが、さてどうなるか。

 史実はともかく、三谷幸喜はまだ宮沢りえの「りく」を見せたかったりするかな?また騒動を起こさせたりして。モヤモヤ。

悪女「りく」のバックグラウンド

 改めて考えると、「りく」も、彼女だけの思いで動いていたという訳ではないのではないか。彼女ももしかしたら操られ踊らされる側だったのかもしれない。

 「りく」は、叔母に池禅尼(頼朝を助命した、平清盛の後妻)がいるれっきとした貴族の家の出らしい。時政に一目ぼれされたからといって、メリットが無ければ実家も評判の娘をわざわざ遠い田舎に住む時政には嫁がせないだろう。池禅尼の息子・頼盛は、平家一門で重きをなす一方で、繫栄する兄の清盛系の陰で苦労もあったらしいから、東国の独自基盤を固めるために「りく」は送り込まれたのかもしれない。

 一瞬、だったら頼朝に直接嫁いじゃえばいいのに?と思ったが、時政と1175年か1180年頃に結婚しているらしいので、1175年だとまだ平家の天下で清盛に対して反感があからさまに過ぎるし、メリットは薄そう。徐々に頼朝が台頭し、賢い「りく」とバックの実家は、頼朝の舅である時政を使えば搦手からうまみを得られると小躍りしたのかも。

 初登場の第2回「佐殿の腹」で「しい様、私はあなた様に嫁いできたのです。他の皆さんに嫌われようが、そんなことはどうでも良いのです」「しい様が傍にいてくだされば、それで満足」と、りくは時政に言い、時政は家族の誰も新妻を迎えに出ないのを「嫌っているわけではないのだ」と言いつくろっていた。

 「嫌う」という言葉を使っている時点で、やっぱりショックだったのだろう。そこで「りく」は義時や政子らを意識の上でスパッと切り離したのかもしれない。「自分とは関係ない、家族じゃない」、それが不幸の素だったかも。

 平頼盛は、木曽義仲が都を占拠した1183年に、平家都落ちの置いてきぼりを食らい、源頼朝を頼って鎌倉に来ている。もし「鎌倉殿の13人」にも頼盛が出ていたら、「りく」のバックグラウンドの話がもうちょっと膨らみ、それも面白かったかも・・・でも、それをやっていたら放送期間は1年では足りなくなる。

 バックグラウンドといえば、源頼朝の同母妹・坊門姫は京都で一条能保という貴族に嫁いでいる。そのラインが頼朝にとって都での重要なコネクションになっていたらしいのだけれど、坊門姫は「鎌倉殿の13人」には全然出てこなかった。期待していたのに、つまらないなー。

 何しろ、坊門姫の娘が後鳥羽上皇の乳母の1人だったのだから(大納言三位保子)。そして、姫の血筋だからということで4代将軍が選ばれるのだから、チラッと出演してもいいんじゃないかと・・・。

 この時代の京都チームの話はウィキ祭りをしているだけでも面白い。以前も触れたが、シルビア・グラブ演じる藤原兼子は、蒲殿・源範頼と同じ養父の下、育っていた時期があったらしい。兼子と蒲殿の兄妹的つながりは形成されていたのだろうか?そう考えると、蒲殿の京文化に対する教養って頼朝を凌ぐほどすごかったんじゃないの・・・などと、妄想が止まらなくなる。

実衣には怒ってもらいたかった

 今38回は時政と義時の涙の今生の別れが描かれ、パパを操っていた「りく」の退場も寂しい😢しかし・・・ドラマとはいえ、「りく」に対して北条姉妹が甘すぎなかったかなあ、と気になった。粋な別れとして評価する声も多くSNSで見たけれど、私は納得できなかった。

 政子の態度は、まだわかる。

  • 基本的に政子は懐が深い。尼御台としての意識が強く、グッと堪えて私情を横に置き、振る舞うこともできる
  • 実朝は死なずに助かった。時政が実朝相手に抜刀し、「りく」も実朝の命を軽んじて暴走する勢いだったけれど、実際に無傷で帰ってきたからまだ許せる
  • そして、「りく」は名越の時政邸を脱出してから、まず政子に頭を下げに来て「あの人は死ぬつもり」と時政の命乞いをした。これまで盛んにマウントを仕掛けてきていたが明らかに負けを認め、尼御台としての政子の力に縋って来ていた

 一方の実衣である。彼女は、

  • 「りく」が無責任にもプランニングして時政を焚きつけ、夫・全成を次の鎌倉殿にさせようとしたり、2代目鎌倉殿・頼家の呪詛などさせようと画策したために、謀反人として夫が殺された。
  • さらに無実である子の頼全も、同様に遠い京都で討伐されて殺された

 これは酷い。ハッキリ言って、「りく」のことを不俱戴天の仇、同じ空気を未来永劫吸いたくないぐらいに考えてもおかしくないが、実衣は何も知らないのだろうか。

鎌倉の大河ドラマ館展示の小道具。全成作の呪詛人形

 それなのに、「りく」を前にして「あなたのおかげで父上は変わった」などと非常にすんなりと彼女を褒めている有様。私なら「こんな強欲な女のせいで私の夫と息子のふたりは無残にも殺されることになったのか」と、亡き夫や子を思い、悔し涙が止まらないだろう。

 その上、

  • 父親は翻弄され尽くし親としては奪われたも同然。実衣サイドのきょうだいは父から顧みられなくなった
  • 実衣が乳母を務める3代目鎌倉殿・実朝を、てっぺんに立ちたいからという理由で鎌倉殿の座から引きずり降ろそうとし、危険に曝した
  • 自分たちが生き延びるため、邸を囲んだ兵を解かせようと鎌倉殿を使おうとした

 こんなに悪どい継母があるか。もちろん、「りく」に翻弄された父時政も責任は大きいから「もう父でも何でもない。私の父はどこにも存在しないんだ」と単なる怒りを通り越した強い怒りを実衣が持つに至っても、全くおかしくない。

 夫と子を失ったと言えば、畠山重忠の妻・ちえも、政子と義時に対してだったけれども、非常に抑制的に怒りを表明していた。立場上、お上品に抑えているからこそ強い怒りが伝わり、彼女のラストシーンはとても良かった。

 けれど、その場に時政と「りく」がいたらどうだったろう?ちえは斬りかかっても飽き足りないだろう。やっぱり、ちえに比べてあの性格なのに、実衣が「りく」に淡白に過ぎる。あんなに政子にはネチネチしているのに。

 もし、実衣が「りく」に対して怒りをスルーできた理由として1つ挙げるとすれば、やはり「りく」の愛息政範の死だろう。実衣は、自分も頼全を失ったから辛さが分かり、あえて優しくなろうと努めてああ振る舞った、という設定なら、まあ理解もできる。そんなシーンは無かったが。

 もしかしたら三谷幸喜は、女が激しい怒りをぶつけて慟哭する姿などは苦手というか嫌いで描きたくないのかな。だから、怒りが出そうな場面もあえてカッコつけた粋な別れにしてしまったのかもしれない。

 でも、知人のせいで夫と子を殺されたと考えてみてほしい。恥も外聞もこれまでの恩も、全て吹き飛ぶと思う。

 ということで、女3人のシーンはもっとドロドロMAXで描いてほしかった、りくvs.実衣が見たかった!というのが私の感想だ。大河はキレイにまとめすぎましたね。(敬称略)

鎌倉の大河ドラマ館展示の小道具。八田殿が書いた設定

鶴岡八幡宮の、たぶん平家池に臨む大河ドラマ館からの眺め


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