黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

【どうする家康】#29 伊賀越えで軽やかに松ケン本多正信復帰!おめでとう!

信長襲撃、家康黒幕説に1票!

 NHKのコメディ大河ドラマ「どうする家康」第29回「伊賀を越えろ!」が7/30に放送された。前回ブログで書いた通り、今作をただの「大河ドラマ」と認識するのは誤りだ、そういうつもりで楽しめばいいんだと気づいたので、忘れないように「コメディ大河」と書くことにした。

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 さて、8/5の再放送を見て改めて思ったのは・・・「こりゃ、殿がやりましたな!だけど秀吉に裏をかかれましたな!」だ。さすが生き馬の目を抜く戦国時代だ。

 まずはあらすじを公式サイトから引用しておこう。

信長、死す――。衝撃的な知らせが世を駆け巡る中、光秀(酒向芳)の命令で、家康(松本潤)は浪人から村人まであらゆる者から命をつけ狙われることに。岡崎へ帰還すべく、家臣団とともに逃亡する家康に、半蔵(山田孝之)は、服部党の故郷である伊賀を抜けるべきだと進言する。光秀の追手を欺くため、忠次(大森南朋)らと別れた家康は、伊賀の難所を越えて、一路岡崎を目指すが、道中で謎の伊賀者達に捕らわれてしまう!(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 伊賀越えの話は後で書くとして・・・。気になったのはオープニング前の秀長のセリフ。秀吉に問われ、言った。

羽柴秀長:やったのは徳川だなく、明智だわ。

羽柴秀吉:あ・・・明智・・・?ほんじゃあ、徳川殿はどこに?

秀長:僅かな連れと堺見物だとか。

秀吉:こりゃ死んだわ。

 この羽柴兄弟のドラマでの会話は、家康のことを「もう死んだ」と予想して言っている。僅かな連れしかいないんじゃあね、仕方ない、命運尽きたねお気の毒にと。

 でも、秀長も家康の動向を良く把握しているもんだ。情報を収集していれば、簡単に家康主従の動向は分かったのか。となると、実際のところ、信長討ちは家康が仕組んだんじゃないのかな・・・と思いたくなった。このドラマの話じゃなくて。

 つまり、僅かな供回りしかいない危地に自分を置けば、信長殺害の容疑者からは外れて見えるから。ぼく、堺に居ますよーとわざわざアリバイを言いふらしてある感じが怪しい。

 瀬名と信康の死からほぼ3年。ドラマのヘタレじゃなく、実際の家康だったら、本当に信長討ちのために考え抜いて準備万端整えそうだ。

  • まず、信長を討つには自分の手は汚さない。➡光秀を嵌め、けしかける。
  • さらに、皆が「妻子を殺された家康が信長を恨んで謀反を起こすだろう」と考え警戒していたらしいので、自分には嫌疑がかからないようにする。共謀者と思われると織田の各将と戦うことになってしまう➡僅かな供回りで堺にて大っぴらに遊び、自分も危難に遭遇したように見せる。実際は手なずけた伊賀者に守られてスムーズに脱出、帰国。光秀を討つために軍勢を率いて再上京する。
  • で、今や信長配下の大名であるし、各将が在京しないのをいいことに仇討の大義名分を以て謀反人光秀を討ち果たし、天下に号令する➡秀吉に裏をかかれ、出し抜かれた。

ーー流れとしてはこんな感じ?それが、堺から片道250kmもあるという三河に戻り、取って返す段階で情報収集に長けた秀吉に出し抜かれ、計画をコンプリートできなかったのではないか。

 秀吉の中国大返しは、どのくらいの距離を戻ってきたのだろう?ググってみたら備中高松から山城山崎では230kmだとか・・・。やはり往復しなければならない家康よりも移動距離は短かったが、ともかく秀吉の動きは家康の思惑の上を行くもので、予想外だったのだろう。

 そんな気がする。家康黒幕説の詳細は知らないけれど、そんな感じならば私も1票投じよう。

 しかし、みんな信長に死んでほしかったんだな。秀吉も晩年そうなっていく。家康だけが違うのは・・・流石色々勉強した結果だよね。

伊賀越えの諸説を取りまとめた今作?

 今回は伊賀越えの話だったが、家康が一体どこを通ったのか、本当のところはっきりわかっていないらしい。多くの歴史に詳しい人たちがそこら辺は書いておられるので、私みたいな素人の出番は無い。全然土地鑑もないし。

 「戦国・小和田チャンネル」で時代考証担当の小和田哲男先生がご説明されているので、後学のためにメモを取ってここに書いておく。

 「石川忠総留書」による「神君伊賀越え」のルートは、飯盛山の麓➡尊延寺➡草内➡近江甲賀郡➡信楽小川村を通ったとなるそうで、信楽小川村で、多羅尾光俊の小川城に泊まったそうだ。ドラマではこの通説が採用されている。

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 そのほか、「浄土宗寺院由緒書」には小川村の妙福寺に権現様御一行が1泊したと書いてあるそうで、その記録を郷土史家が見つけ、2015年末に新聞記事になった。この新説、ずいぶんと最近の話だ。

 小和田先生によれば、似たような記述は滋賀県教育委員会が出している「捴見寺文書目録II・浄厳寺文書目録」にも見られるそうで、先生は①小川城では接待を受けたのみで泊ったのは妙福寺か、②一行の人数が多くて城と寺で分宿したのか、と可能性を仰っておられた。

 詳しくは分からないが、この話は宿泊先は異なれど、同じ「甲賀・伊賀越え説」に属するらしい。他方、比較的新しめな「大和・伊賀越え説」もあるそうだ。

 今回のドラマでは、人目を眩ませるために小川城を前にして家康一行が3手に分かれた話にしていて、数説をいっぺんにカバー。山を走り抜けるには足手まといだからと、酒井忠次が信楽の近江路(遠回り)を行き、石川数正が桜峠(人目に付く)を行くという。うまい方法だ。でも、これありそう。

 家康の囮になるということは、忠次も数正も「わしは家康じゃ」と行く先々で言うはず。だから、方々で権現様ゆかりの・・・となって後世に残るんだね。

 それは家康の伊賀越えに限ったことでもなかろう。落人伝説や有名人のお墓などの史跡があちこちに残るのもそういう事かな?

 囮と言えば・・・「我こそは徳川家康」を名乗った坊主頭が討ち取られ、明智光秀が首実検に及んでいた。光秀が「これは穴山の首じゃ!家康の首を持ってこんか!」と説明してくれたが、つまりは梅雪が積極的に家康の囮になったということだ。

 なぜだ。史実でそうなのか?何か記録でもあるのか。いや、明智方の陣中で起きたことなど記録しても残らなそうだ。この部分はフィクション?

 ドラマの中だけの話だとすると、何しろあの優しい田辺誠一が演じる梅雪だもの、家康一行と別れる際に言っていた「主君を裏切って虚しい」話が気になるし、瀬名の遥かな夢に心酔したことも関係あった、ということかな。それとも、道中一緒だったし、家康をそこまで信頼するようになっていたのか。

 まあ、家康黒幕説に1票を投じた私としては、申し訳ないけど梅雪一行は伊賀越えで家康に殺されたのではないかと思う。これまでの道中、もし家康が「本能寺の変」の裏で暗躍していたとしたら、色々と見られてはマズいこともあっただろう。知り過ぎた男は、それで消されたのだ、と。

 それで、後々の徳川は穴山武田に色々と優しいのかと考えると辻褄が合うような?勝頼を裏切った穴山梅雪の印象は悪かったけれど、今作でイメージアップに成功した。

さっそく面白かったイカサマ師・正信

 甲賀の頭領・多羅尾光俊を演じる「きたろう」等があまりにも歓待してくれたのが怪しくて(振っている旗の模様が変!葵の紋じゃなくて♥3つに見える)、親切が過ぎると疑って家康一行は早々に小川城を退散。伊賀の地に足を踏み入れてしまった。その伊賀・音羽郷で久しぶりに再登場したのが本多正信だった。

 少し前に小川城で「伊賀が軍師を雇って信長と戦う気満々」の話が出た時に、軍師といえば!と皆ワクワクしましたよね?私もだ。

 伊賀で家康一行が捕まっても、お約束で肝心な場面になかなか姿を現さなかったが、正信は今回も様子を見ていたんだね。家康の成長を確認できなかったら、あの場で家康の首を百地丹波に落とさせていたと考えると恐ろしい。助けると決めたから、あの場に出てきた。

家康:わしの首をやる。だから他の者は見逃せ。

百地:(太刀を構える)

正信:ほ、よし、うぃ。(穴倉の階段を上って地上へ)

百地:おお、軍師殿。ようやく見えられたか。見てみい。徳川家康をとっ捕まえたわ。いい金になるぞ。

正信:こりゃ驚いた。本当に家康じゃ。こんな所で会おうとは。ふー。惨めな姿じゃのう。

家康:本多・・・正信。

正信:百地殿。間違いなく、こいつが徳川家康じゃ。わしはむか~しむかし、こいつの下にも居ったからな。(家康の頭を小さい箒で叩いて)ひっでえ主でな、寺に戦を仕掛けたんじゃ。わしは許せんかった。(牢の中にいる服部党の面々の頭を順に叩いていく)道理が通らん。よって御仏のためにこいつに鉄砲を向けて戦った。あと一歩まで追い詰めたが(一拍おいて半蔵の頭を叩く)無念。三河を追放されたんじゃ。(踊るような足取りで牢から戻ってきて)今でもこのろくでなしを心底恨んどる。

 家康、哀れじゃのう。こんな所で伊賀者の手にかかって終わるとは。最も情けない死に方をした大名として名を馳せるであろう!ヘヘヘヘヘ、ハハハハハ!

 さあ、百地殿。やれ!(太刀を振り上げる百地)妙な噂が広まっとるが気にすることはねえ。

百地:妙な噂?

正信:うん?気にするな、やれ!

百地:(太刀を下ろして)何のことじゃ。

正信:根も葉もない噂よ。信長が生き延びたっちゅう。(皆の顔色が変わる)バカな話じゃ、嘘に決まっとる。さあ、覚悟せい!家康!(百地に向かって頷く)

百地:(太刀を振り上げる)

正信:信長の首が出とらんのは確かなことだがな。

百地:(太刀を下ろして)もし、万が一信長が生き延びとったらどうなる?

正信:ああ?そんなことありゃせんわい。

百地:万が一じゃ!どうなる?

正信:信長が生きとったら?そりゃあ明智につくヤツなんぞおらんからな。あっちゅう間に明智は信長に滅ぼされる。そこに家康の首が届いたら・・・まあ、えらいことだわな。こいつは信長の弟分だからな。信長は、今度こそ間違いなく伊賀国を滅ぼすじゃろ。まっ、その時のためにこのわしがおる!安心せい、勝ってみせるわ。

 逆に、もし家康をここで助ければ、信長はもう二度と伊賀に手出しせんじゃろう。それどころか手厚く守るじゃろうなあ。だが信長は死んだ!死んだに決まっとる!首は出とらんが。さあ、やれ!

百地:(正信に促されても、もう太刀を構えない。正信を見る)

正信:早うやれ!わしはこいつを憎んどるんじゃ!お主がやらんならわしがやる。貸せ!

百地:フフ・・・(家康を見る)あんたはどう思う?信長は生きとると思うか?

家康:死んでいると思う。だが、首が出ていないのは確か。だから織田の家臣らは信長は生き延びたという噂を盛んに振りまいておるんじゃろう。そのせいで、しばらくは皆、様子を見るしかない。即座に明智に味方をする者は現れぬ。明智は、何としても信長の首を取らねばならなかった。だが、奴はしくじったんじゃ。奴に天下は取れぬと思う。

 (体を起こして)わしに明智を討たせよ。わしに恩を売れ。恐らくそれがお主にとって、最も利となることじゃ。(百地を見据える)(正信がその場を離れていく)

百地:(家康を見る)賢い物言いじゃ。軍師殿が惚れこむだけのことはある。フフフ。(家康を縛る縄を一刀のもとで切る)その口車に乗った!お主に懸ける。

(山の中)

家康:正信、なぜわしを助けた?

正信:身をもって伊賀者を助けようとする殿様など初めて見ました。なかなかの主になられたようじゃ。

 本多正信劇場。けれど、後半は家康が自力で切り抜けた。「どうしたらええんじゃ~」と泣いていたのも今は昔、か。ようやく鑑賞に堪える家康になってくれたか。

 百地丹波には正信の真意は丸わかりだった。「軍師殿が惚れこんでいる」と言われてしまった。さすがだな。

 史実の百地丹波は天正伊賀の乱で討ち死にしたとどこかで読んだけれど、こちら(↓)のブログが言うように、代々名乗っていた名前なのかもしれないし、生き延びていたのかもしれないし・・・ドラマに登場してきたのは面白かった。

百地三太夫~伊賀忍術の祖と百地丹波・藤林長門守 – 戦国武将列伝Ω 武将辞典

 正信は、これにて無事に史実通り「帰り新参」となるらしい。今回のドラマが本能寺の変の直後だから天正10年(1582年)6月の話、その2か月後の8月に徳川に戻り、10月には武田旧臣を懐柔するという、家康の腹心としての活躍の記録があると小和田先生が言っておられた。

 正信は狸化の片鱗が見られる家康には良い先生。イカサマ正信によって、家康の人間性にさらに深みが出ていくんだな。

 もし正信が岡崎クーデターあたりに家康の下に居たら、どうだったろう。瀬名と信康を死なせずに済んだような気がするな・・・すごく残念。

 そうそう、家康が捕まった時、本多忠勝と榊原康政、井伊直政は3人で何してたの?伊賀の山中に置いてかれてたの?服部党は捕らわれているのに?それでまた都合よく合流できるんだ・・・。そうだった、コメディだった。

オープニングの変化

 そういえば、テーマ曲が流れる際の出演者紹介に変化があった。

 「どうする家康」のロゴが出てくる前の4人は「特別枠」みたいなものかなと思っていたが、寂しいことに2番目が定位置だった有村架純の瀬名が去り、ロゴ直前にいつも出てくる岡田准一の織田信長が去り・・・。

 北川景子のお市、松嶋菜々子の於大が出てこない日は松潤家康だけになっちゃうのかなと変な心配をしていた。そんな訳ないよね。

 で、29回目のオープニングが始まってみると、1人目は当然ながら主役の松潤家康。次に出てきたのは大森南朋が演じる酒井忠次👏、そして本多忠勝の山田裕貴、榊原康政の杉野遙亮の四天王のうち3人がロゴ前で続き、「特別枠」を占めた。

 四天王のうち、井伊直政のみがロゴ直後。なるほどー。

 松山ケンイチは「特別枠」でもいいような気がするけれど、後ろから2番目。もう一人の大河主役経験者の中村勘九郎は最終グループ6人のうちの3番目?この順番って、考える方も色々と頭を悩ませそう。面子とか大変そうだ💦

(ほぼ敬称略)