「狸」の域に達した家康
NHK大河ドラマ「どうする家康」第40回「天下人家康」が10/22に放送された。前回、秀吉がおどろおどろしく死んじゃったので今回はちょっと気が抜けてしまったが、残り8回しかない家康はそうも言っていられないだろう。あらすじを公式サイトから引用する。
秀吉(ムロツヨシ)が死去し、国内に動揺が走る。家康(松本潤)は三成(中村七之助)と朝鮮出兵の後始末に追われる。秀吉の遺言に従い、家康は五大老たちと政治を行おうとするものの、毛利輝元(吹越満)や上杉景勝(津田寛治)は自国に引き上げ、前田利家(宅麻伸)は病に倒れる。家康は加藤清正(淵上泰史)ら諸国大名たちから頼られる中、やがて政治の中心を担うようになる。そんな家康に野心ありと見た三成は警戒心を強め、二人は対立を深めていく。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK)
秀吉という絶対的なリーダーがいなくなり、石田三成が理想を燃やす五大老五奉行という合議体ができた。いくら「やってみろ」と秀吉に言われたからといっても、人への心配りに欠ける三成が実情無視で押し進めては、物事はまとまらない。そうすると、世は次第に乱れていくだけだ。
今回、乱世への逆戻りを恐れた家康が、本多正信の助言で手を打った。朝鮮戦役で不当評価を受け、「全部三成のせい」と不満を抱える諸将との縁組(婚姻)により、彼らを手なずけ暴発を防ぐつもりだ。
だが、「あの御人は狸と心得よ」「あの御方は平気で噓をつくぞ」と、毛利輝元と上杉景勝コンビ、そして茶々により家康への不信感を植え付けられていた五奉行筆頭の超素直でまっすぐな三成には、「天下簒奪の野心あり」と見られてしまった・・・と、家康の言い分はこんなところだ。
でも「そんな気はない」と言っても、誰も信じない。それは前田利家が言ったように、伝説上のオロチのように見られ、恐れられているから。その域になると、相手に何をどう言っても、「オロチだぁ」となってしまって、単なる話が簡単には通じない。
それがオロチでも狸でも遠ざけ逃げたい点では同じこと。両者のニュアンスの違う点は、オロチ=ただただ怖い、狸=化かされるという、後者は不実で信頼性が揺らぐイメージがある点だ。
だが、こうも言えるだろう。「この人が言うことには、もしかしたら実があるのかも」と思わせるような魅力があるからこそ、人はその相手を「狸」と呼び、予め自分の警戒心を呼び起こし、距離を取ろうとするのかもしれない。そうしないと煙に巻かれ、惹きつけられてしまうから。それほど、オロチに対して狸が魅力的であることの裏返しなのかと思う。
私は、家康は秀吉没後のこの時期、反三成派の諸将と縁組を進めたのは、五奉行五大老という自分を押さえつける枠を破るため、自分の派閥の仲間づくりをしたと理解していたので、ドラマではそれをどう正当化して家康のために美しく描くのかなと考えて見ていた。
そしたら、乱世を望む諸侯の動きに抗い再度戦乱の世に戻さないための、家康なりの努力だったと・・・正式な手順を踏んでいたら手に負えなくなると判断したのだと。家康なりの、善意からの行動だったとした。この時の、秀吉の置き目破りの婚姻政策を実行するにあたり、本多正信のアドバイスは以下の通り。
- 勇ましいことをすると危ない。裏で危なっかしい者どもの首根っこを押さえるぐらいにしておくのがよろしいかと。
- 相談すれば異を唱えられる。しらばっくれて、こっそりやるのみ。
- (糾弾されたら)その時は、謝る。
それで、やっぱり来てしまった糾問使に対し、家康は、秀吉亡き今、婚姻の許可は要らないと誤解していたと言って「いや、わしとしたことが、うっかりしておった。いや、すまなんだ。ほんの行き違い」と謝った。同時に、正信はぬかりなく脅して見せた。
本多正信:我が主はあくまで、奉行の皆様を陰ながら支えるためにやったこと。殿下の御遺言を忠実に実行しております。処罰には値しません。何せ徳川家中には、血の気の多いものが数多おりますでな、殿の御身に何かあれば、一も二もなく軍勢を率いて駆けつけてしまう・・・(略)。
家康も、「言うことを聞かん奴らでな、わしも手を焼いておるんじゃ」と困ったふりをする芝居っぷり。家康を「狸」にしたのは、傍にいる大狸の正信だった。
前回、酒井忠次に「天下を取りなされ」と言われ、秀吉にも「天下はどうせお主のものになるんじゃろう」と言われた家康。これまで彼の心の中で積み上がってきた天下への道は、既に総仕上げの段階を迎えているはず。
「天下簒奪の野心あり」どころか、家康の悲願であり、やるしかないと判断していると、ドラマを10カ月見てきたこちらはよく知っている。手をこまねいている方が不実であろう大きな存在(オロチ)に、既に家康がなっていることは、前田利家が指摘した前述の通り、自他ともに認めるところまで来た。あとは良きタイミングを待つだけだった。
天下簒奪という言葉は「無理やり」というニュアンスがあるし、天下を取って覇を唱えたいとか、支配欲の権化のようなイメージがある。ドラマの秀吉のように勝手放題したいんだろうな、と。だから順番待ちの家康の場合は、そのイメージを嫌い、天下が転がり込むのを、狸に成って、待てるだけ待ったのだろう。
修正された七将による三成「襲撃」事件
五奉行五大老制度が瓦解して家康が天下様と呼び称されるまでの過程で、朝鮮で苦労させられてきた七将による三成「襲撃」事件が起きたとこれまでは言われていたが、研究が進み、それは否定されてきたようだ。
文禄・慶長の役が秀吉の我がままによるものであり、それで壮大な無駄をさせられ生きるか死ぬかの苦汁をなめさせられて徒労感いっぱいの皆でも、死んだからといって秀吉のせいだとは当時とても言えない話だ。
だから矛先は奉行ら、筆頭の三成になるのは自然だろうとは思うが、ドラマではうまく運んでいた。
三成が疲弊の極みで帰ってきた諸将出迎えの場で「戦のしくじりは不問に」と言い出し、労いの茶会を催すと言って、皆をキレさせた。その際のつわもの・加藤清正の涙目の演技がとても良かった。三成の茶なんかじゃなくて「わしが皆に粥を」と返したが、それでも三成は「わしは何も悪くない」と寧々に言ってしまうので、救いようがない三成よと、こちらにしっかり分かった。
7人は行動を起こし、三成を奉行から外すように単に訴えようとした(この時点では武装していない)。だが、三成の方が伏見城内の自分の屋敷に武装して立てこもった。それで城の周りを武装した7人が囲み、騒動になった。(その騒動のとりまとめは家康だけでなく北政所が最終的に収集したらしいがそこは描かれず。)責任については、家康が他の大老とも調整して三成を奉行から外し、佐和山隠居を申し渡すつもりが、三成が自らそう申し出て、家康は次男・結城秀康を付けて佐和山まで三成を送った・・・と今回のドラマで見た。
「真田丸」以外のこれまでの時代劇や小説だと、概ねそうではなかった。武装した七将に追われた三成が、こともあろうに家康の屋敷に逃げ込んで家康に庇護を乞う。それで「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」などと家康は言って、七将から三成を守り、場合によっては、三成の兄が身代わりになっている隙に三成は家康の忠言を入れて屋敷を脱し、佐和山へと逃げる。そんなスリリングで面白い展開に仕立てられてきたように思う。
でも、そうじゃなかったとはっきりしてきたらしい。
このあたりの学問の進み具合は、「どう家」時代考証の平山優先生の旧ツイッター(現X)での力の入った解説の連投がとても面白いのでぜひご覧あれ。
家康と三成との関係について再論。家康と五奉行の「懸隔」が終息した後の状況について紹介しよう。家康の動きを五大老・五奉行(「十人之衆中」)の枠内に封じ込め、合議制を確立した豊臣体制であったが、11月下旬から12月にかけて、朝鮮半島から豊臣軍諸将が帰国したことで、事態は動き出す。家康は、…
— K・HIRAYAMA (@HIRAYAMAYUUKAIN) September 26, 2023
また、徳富蘇峰や旧日本軍のせいでスリリングな話が拡大再生産されてきたというのは、こちらの動画に詳しい。そうだったんだねー。
アラカン家康、シミがてんこ盛り
今回、松潤家康の見てくれがまたグッと老けた造りになった。この老け見えの進み具合も、長丁場の大河ドラマならではの見どころの1つだと思っている。
アラカン家康は太り、首回りもたるみ、顔がシミだらけ、目もたれ目、そして体全体に厚みが出ていた。衣装の下には肉襦袢をたくさん着込んでいそうだ。
全体的にたるんできていたが、アラカンってそんな見方がされているのかとアラカン世代としてやるせない。まあ、昔は年齢3割増しというから、現代の78歳当たりの風体があれか。もう軽やかな海老すくいは踊れないだろうね。それにしてもあのシミ、メイクさんは描くの大変だろう💦
しかし、声は隠せないものだ。家康が多少大きめに発声した時に若さが感じられてしまった。すぐに低めに戻ったものの、あ~勿体ないと思った。松潤は歌い手だけに、声が伸びやかなんだね。
ついでに、他のキャストの老けっぷりはどうだろう。家康よりも年上の本多正信(松山ケンイチ)は、あまり老けて見えない。常に何か食べて補給しているからか。頭脳労働のために食べていると思ったが、若さキープにもなっているか。
本多忠勝は家康よりも5歳程度しか若くないはずだが、それでいいのか!と思うぐらい、そのレベルよりも若い。山田裕貴の隠しきれないツヤツヤのお肌が気になる。
家康、正信、忠勝の3人がいると、なんか松潤家康ばかりが念入りに老けさせられているように見えてしまう。「それは天下人になる心労からなの?」と考えることにしようか。
リアルアラカンの宅麻伸(前田利家)
今回は、秀吉没後の前田利家の去就が大きな影響を持つ時期を描いていた。秀吉と若い頃から親しかったはずの利家は、今作では若い時には全然出てこなかったが、秀頼の守役として秀吉が死んで大きな力を持つ。しかし、すぐに死んでしまう。
天下に近づいたここぞという時にすぐ死んで、敵に大いに喜ばれる例では、武田信玄、上杉謙信がいる。さすがの大物だ。前田利家も秀頼を支えるポジションではあるが、あるいは同列に入れてもいいのかも・・・何の同列って、もしかして手練れの忍びによって毒殺されたんじゃないの?の私の妄想のラインだ。将来、何か文献が出てこないかな、出てこないか。
今作では宅麻伸が利家としてご出演、二大老として松潤家康と並んで座るツーショットの場面もあったため、不自然じゃないか変に心配した。
松潤は顔が小さい。いくら念入りな特殊老けメイクを施されていても、並んでしまえば、見栄え的にふたりの間に親子ぐらいの年齢差がハッキリと見えてしまうのではないかと・・・そうすると、お芝居に集中できなくなるから。
でも、宅麻伸は健闘した。並ぶことで家康のリアルな若さが際立ってしまうよりも、元々がハンサム、実年齢の割に美しく若い宅麻伸の方に引っ張られて(?)家康と、同世代が語り合うお芝居をちゃんと観ることができた。三成への「政は道理だけではできん!」も、良かったなー。
もっと若い頃から秀吉サイドで妻のお松さんと出してくれたら良かったのに、そうすれば三成に物申せるのも当然と分かる。実は、ここまで引っ張ってくるからには、「利家とまつ」の唐沢寿明がご出馬するのかとちょっと期待していた。外れたが。
利家に引き換え、毛利輝元と上杉景勝の見てくれはあれでいいのか?必要以上に老けさせちゃっていないか・・・やりすぎると白けちゃうのだけれどなあ。三成と同世代と聞いたけど、とにかく景勝の眉毛は奇異だ。そして輝元には家康に対抗すべく4奉行が頼ったらしいが、そのカリスマはいったいどこへ。
三成の、素っ頓狂なまでの真っすぐさを表すための若々しい造りを出すため、ふたりでバランスを取っているのか。もう撮影も終わっているけど、ちょっと修正してほしかったな。
(ほぼ敬称略)