黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

【どうする家康】#42 関が原前夜。これが見たかった!の鳥居元忠&千代の伏見籠城戦

「彦」鳥居元忠の幸せな最期

 NHK大河ドラマ「どうする家康」は第42回「天下分け目」が11/5に放送された。

 関が原前哨戦と言えば、待ってましたの伏見籠城戦。2万5千の三成方に囲まれた2千の徳川方は、元武田忍者の千代が加わって鳥居元忠(彦)と夫婦で戦うという「どう家」ならではの変調バージョンで描かれた。

 「逃げることは許されぬ。必ず守り通せ」と家康に言われた元忠の最期は既に見えていたが、お涙頂戴のコレが見たかった。あらすじを公式サイトから引用する。

上杉征伐に向かう家康(松本潤)のもとに、三成(中村七之助)挙兵の知らせが届いた。小山で軍議が開かれ、西国大名の多くが三成に付く中、家康は天下分け目の戦に臨むため、西へ戻ると宣言する。秀忠(森崎ウィン)に真田昌幸(佐藤浩市)の攻略を任せ、江戸に戻った家康は、各国大名に応援を働きかける。一方、京では千代(古川琴音)と共に伏見城を守る鳥居元忠(音尾琢真)が、三成の大軍に囲まれ、最期の時を迎えていた。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 「千代は今後お楽しみに」というヒントを非公式ながら横から頂戴した日から、彼女が生き延びているとしたら?とワクワク考えていた。鳥居元忠が隠して手元に置いていたと分かってからは、そうすると必然的に・・・と伏見城での戦いへの期待も大きかったが、やっぱり。期待に応えてくれた。

 ただ、不躾ながら「彦」がなあ。かなり手遅れなんだけど、千代のために、せめてもう少しイケメンにして欲しかった(大変に失礼)。男側からしたら、モテ男でもない老いた彦が美女を娶る夢というかロマンなのかもしれないが、囚われて妻にされた千代の身の上からしたら・・・本当は酷い話だよね。かわいそうじゃないかなー。

 伏見城で奮戦する彦は、竹中直人に見えて仕方ないと家族は言っていた。なるほどそうかも。兜をかぶっているから、露出する部分だけでの印象は似ているかもしれない、「もう少しイケメンにして」と書いた後で、相当失礼なんだけれども(ゴメンナサイ)。

 彦は、旧武田家重臣の馬場信春の娘を、殿・家康にも空っとぼけて隠していた。史実でも彦の側室になったこの馬場の娘を、望月千代がモデルとも言われた手練れの忍びの千代にドッキングさせてしまった「どう家」。なかなかのこのアイデアは、当初からの路線ではなかったらしく、千代人気でそうなったらしいとどこかで誰かの話を読んだ。

 千代は、家康方の服部党の忍び・大鼠に重傷を負わせるぐらいの力量ある女忍者だから、武田家と共にただフェードアウトじゃもったいないもんね。

 ということで、伏見城は千代にとって最高の死に場所じゃないかと思う。元最強武田忍者は、死に際も派手派手しく戦ってくれないとね。彼女は、元忠に感謝していた。

元忠:(負傷して)お前には生きてほしい。

千代:お前様が生きるならな。(布を裂いて手当をしようとする)

元忠:数え切れん仲間が先に逝った。土屋長吉、本多忠真、夏目広次・・・ようやくわしの番が来たんじゃ。うれしいのう。

千代:私も、ようやく死に場所を得た。(手を取って)ありがとう存じます、旦那様。

 凛々しい甲冑姿で城から鉄砲を撃つ様は、「八重の桜」の八重・綾瀬はるかを思い出させた。撃たれて尚、彦に支えられても刃を振るい、闘う姿勢を見せていた千代。命を燃やし尽くしての激闘だった。

 以前京都のどこかで血天井を拝見した時に、鳥居元忠は家康に涙ながらにも見捨てられた捨て石の悲しい最期かとも思った。が、10日以上も粘って西軍を伏見城に引き付けたことで時間稼ぎになり、家康には大感謝されたのは確かだろう。しかも、ドラマでは隣に愛する千代も隣にいて一緒に死んでくれるという・・・幸福な死に方だったのだと思いたい。

 伏見城落城を渡辺守綱から知らされて、家康は「落ち着け守綱!落ち着くんじゃ」と口にした。あれは自分自身に言い聞かせていた。心が動かない訳が無い。しかし「今は誰がどちらに付き、どう動くかをしかと見定める時」だから、すぐには伏見城に赴けない。猛将本多忠勝も陰で涙した。

 伏見城がもっとあっけなく落ちていたら、家康は味方を作るためのお手紙を腕が折れるまで書く暇も無かっただろうし、東西は関ケ原じゃなく東のどこら辺での決戦になったのだろうか。素人考えだが、そうなると家康は不利そうだ。いずれ三成による豊臣政権は瓦解するとしても、家康がその前に命を落としていたかもしれない。そうなったら、秀忠は毛利、上杉、伊達らに対抗できただろうか。

 伏見城と言えば、そんな気はなかったのに仕方なく西軍に参加したと言われる島津。伏見城への入城を申し出て断られたエピソードまではやらなかった。島津は本戦での井伊直政の件で絡んでくるのだから、そこら辺もやるかなと勝手に待っていたが、盛り込み過ぎになっちゃうからか割愛?だった。有名な関が原だけに、前夜でもエピソードは様々ある。

「彦」だけでなく「七」もご退場

 今川の人質時代にも彦と共に家康の傍らにいた「七」、平岩七之助親吉も、ドラマでは小山評定での場面が出演のラストだったらしい。11/10の「あさイチ」で松本潤が言っていて、ええ?そうだったの?となった。古株の彦と七は、今回仲良くいっぺんにご退場だった。

家康:どうした?七。

親吉:ようやく来たんじゃ。わしらはあの時、御方様や信康様をお守りできず、腹を切るつもりでございました。されど殿に止められ、お二人が目指した世を成し遂げるお手伝いをすることこそが我らの使命と思い直し今日まで・・・今日まで(泣く)。その時が来ましたぞ!厭離穢土欣求浄土。この世を浄土に致しましょう。

家康:(無言で親吉の肩を叩いてうなずき、「厭離穢土欣求浄土」ののぼりに共に目をやる)

 ウィキペディア先生によると(平岩親吉 - Wikipedia)、七は家康と同い年で1612年まで生きているから、ドラマではずいぶんと早くいなくなる。七の残りの12年間は触れられないのか?中の人・ハナコ岡部大が年末年始のお笑い番組収録のために忙しいのだろうか?

 改めて振り返ると、ドラマでの七は、信康切腹の場面で号泣してしまって介錯が出来なかったり、家康伯父の水野信元を誅殺したりしていた。正直篤実な性質を家康に信頼され、なかなかの身内関連の修羅場に立ち会ってきている役どころだった。

 今回も、家康次男の結城秀康と共に、背後の会津若松城にいる上杉景勝への抑えのために残った。いわゆる殿(しんがり)なのかと思うと背筋が震える立場だ。関が原本戦と比べると地味だが、信頼されているからこそ任される役目だと思う。

 七の出番がここでお終いということは・・・尾張・義直の付け家老になる話もドラマでは無いのか(家康の子守役がこの人は多いね)。家康と秀頼の二条城での会見は?立ち会わないのかな?それとも既に撮影してあるのか。毒まんじゅうの話はどうするんだろう。

小山評定で、家康がシレっと言った言葉

 有名な小山評定の場面では、本多正信の「褒美をちらつかせての抱き込み」によって福島正則が家康と共に戦おうと場の雰囲気を持って行くはずだったが、セリフを忘れたのか言い淀んでしまいハラハラさせられた。だが、頭に来たらしいワイルドな山内一豊が熱を発しながらうまく呼応してくれ、事なきを得た。

 しかし、どうしても「功名が辻」の上川隆也の優しいイメージが刷り込まれているから、あの山内一豊にはびっくり。戦国時代の武将なんだから、実はあのワイルドさがむしろリアルだったのかもしれないが。

 申し訳ないけどイメージ違いでは藤堂高虎もそうだ。小山評定だけでなく少し前からご出演だったが、本来高虎はかなりの大男だったとの思い込みが私にはある。だから、優しそうなインテリに見える役者さんでそんなに高身長に見えないため、そーなのかーとつい思ってしまった。

 三成の人質に取られるのを拒んで死んだ細川ガラシャの悲報がもたらされ、評定の場が弔い合戦的に盛り上がる・・・ようなことも無かった。それは「葵 徳川三代」で見たのだったか?

 歴史的に有名な場面は既に大河ドラマでは描き尽くされているから、エピソードの取捨選択は脚本家の腕の見せ所。今回、改めて注目させられたのは、「皆を一つにする」ため諸将に対して呼びかける家康の言葉だった。

家康:長く続いた戦乱の世が、信長様、太閤殿下によってようやく鎮められた。しかし、それを乱そうとするものがおる。皆も聞いての通り、石田三成が挙兵した。これより上杉討伐を取りやめ、西へ引き返す。

 ・・・が、ここにいる多くの者は大坂に妻子を捕らわれていよう。このようなこととなり(頭を下げて)誠に申し訳なく思っておる。無理強いはせぬ。わしに従えぬ者は、出て行っても良い。

 だが、考えてもみられよ。皆の留守に屋敷に押し入り、妻子に刃を突きつけるような男に天下を任せられようか!(←石田三成を指す)戦に乗じて私腹を肥やさんとする輩を野放しにできようか!(←真田昌幸を指す)このまま手をこまねいておっても世は騒然、乱世に逆戻りじゃ!

 よってわしは、たとえ孤立無援となろうともこれと戦うことに決めた。全ては、戦無き世を作る為じゃ。安寧な世を成せるかは我らの手にかかっておる!

豊臣諸将:おう!そうじゃ。

福島正則:(本多正信からの目くばせを受けて)おい、みんな!三成に天下を治められると思うか?!毛利らを束ねられると思うか!できるのは内府殿だけじゃ!

豊臣諸将:そうじゃ!

正則:内府殿と共に!

豊臣諸将:おー!

正則:内府殿と共に!(目が泳ぐ)

豊臣諸将:おおー!

山内一豊:うぬ!(立ち上がり、福島正則を尻目に家康の前に膝を付く)内府殿と共に、この山内一豊戦いまする!

豊臣諸将:わしもじゃ!(口々に)おー!

黒田長政:三成などに屈してなるものか!秀頼様を取り返すぞ!

豊臣諸将:ああ!おー!

藤堂高虎:皆の者、大戦じゃ!

豊臣諸将:おー!三成討つべし!蹴散らしてくれよう!そうじゃー!

長政:内府殿、お供しますぞ。

豊臣諸将:おー!

家康:秀忠、初陣につき我が兵3万を預ける。本多正信、榊原康政と共に信濃に向かい、真田を従わせよ

秀忠、康政、正信:はっ!

家康:よいか、石田三成を討ち、我らが天下を取る!

一同:おー!

家康:皆の者、取り掛かれー!

一同:おおー!

 重箱の隅をつつくようだが、家康は「全ては、戦無き世を作る為」「真田を従わせよ」「石田三成を討ち、我らが天下を取る」と意思を表明している。他方、豊臣諸将は「三成討つべし!蹴散らしてくれよう」、そして黒田長政は「三成などに屈してなるものか!秀頼様を取り返すぞ」と仲間に呼びかけている。微妙に異なる点がある。

 「石田三成を討つ」は共通項だ。ただ「我らが天下を取る」と家康が言ってしまうと、「天下=秀頼様」なら豊臣諸将としても問題ないが、「秀頼様から我らが天下を取る」意味ならオイオイ、我らって誰?となる話だ。

 こんな時に、どちらとも取れる微妙な話をしちゃう家康。こんな時だからこそか。タヌキ親父的にはどさくさに紛れてシレっと言っておいて「わし、天下取るって言ったよね?」と後で有無を言わさない方策かな。

稲姫、三代のお家芸を披露

 さて、少し遡って小山評定の場に着陣した真田信幸。先立って「犬伏の別れ」を済ませており、父の昌幸と弟の信繁は来なかった。

 真田一族は関ケ原合戦の場外で台風の目になる。嫡男信幸に徳川からすったもんだで嫁いでいたのが本多平八郎忠勝が溺愛する娘・稲だったから、忠勝が聞く。

真田信幸:遅れてしまい申し訳ございませぬ!真田信幸、着陣いたしました。

徳川秀忠:よう来てくれた。真田、信じておったぞ。

本多忠勝:信幸殿。ひとりか?おやじは?真田昌幸は!

信幸:我が父と弟信繁は、信濃に引き返しました。

秀忠:えっ?

信幸:三成に付くものと存じます。申し訳ござらぬ!

忠勝:婿殿よ。お主も気を遣わんでいいんだぞ。わしの娘を捨てたければ捨てろ。

井伊直政:真田が上杉とつながれば取り囲まれる。やっかいですぞ?

忠勝:婿殿には大いに働いてもらう。今は(肩をバンと叩いて)ゆっくり休め。(さらに強めにバンと叩く)

信幸:はっ!(井伊直政にもバンバンと叩かれ、礼をして下がる)

 稲は、「真田丸」では吉田羊が颯爽と演じていたが、「どう家」の鳴海唯も負けていない。例の有名な見せ場も堂々としたもので、印象は強く残った。彼女は、父・忠勝役の山田裕貴の目元に本当によく似た目をしている。NHKのキャスティング力の素晴らしさよ。

(沼田城外、引き返してきた真田昌幸と信繁)

昌幸:わしじゃ、昌幸じゃ!

信繁:信繁でござる!

(太鼓が叩かれ、武装した稲が格子のうちへ姿を見せる)

昌幸:おお、嫁ご。

稲:何用でございましょう。

昌幸:石田三成が何事がやらかしたようでな。真田が一つになって事に当たらねばならん。入るぞ。

稲:この城の主は我が夫、真田信幸と存じます。

昌幸:ハハ・・・わしを信用できんのか?

(稲が槍を一振りし、太鼓が鳴る。兵が矢を構える)

信繫:何たる無礼な振る舞い!(門に向かって前に出る)

稲:(対抗して進み出て)ここから先は、(右手で槍を地面にドンと突く)一歩も通しませぬ!

昌幸:さすが本多忠勝の娘じゃ。この城を乗っ取るのは止めじゃ。・・・稲、孫たちの顔を見せてくれ。ほんの少しで良い。

(子どもたちが連れてこられる)

子どもたち:じいじ!じい!(馬から下りようとする昌幸)

稲:下りてはなりませぬ。

昌幸:(馬上からしばし孫たちを眺め、無言ながらサインを送り、去ろうとする)

子どもたち:じじ様!じじ!じいじ!・・・

稲:戦が終わりましたら会いにいらしてくださいませ。

子どもたち:(去る馬上の昌幸に)じいじ!じいじ!

 稲の「ここから先は、(槍ドン)一歩も通しませぬ!」、すごい剣幕だった。やるねー。そして、今作の昌幸パパは、抜け目なく沼田城を乗っ取るつもりだった。「真田丸」とは異なる。

 この「ここから先は一歩も通さん」的なセリフは、忠真・忠勝・稲と本多家三代のお家芸。「よ、待ってました!」となったが、待てよ、これは「どう家」だからなのか?と気になって「真田丸」での稲のセリフを確認すべく録画を見てみた。

 「真田丸」では、信幸のふたりの妻・稲と幸(真田本家の出)が人質になるのを避けて上方から落ち延びてきて、沼田城外で昌幸らと会うところから描かれる。そこで稲は、夫の信幸が徳川方に、昌幸らが三成方にと分かれたことを知った。それが夫が考えた「真田が生き残るための策」=方便であり、「実は真田は一つ」だとは、稲は知らない。

稲:お城にお越しなら、夫に成り代わり私がきちんとお迎えせねばなりません。支度を整えてお出迎えいたしますゆえ、しばしのご猶予を頂きたく存じます。

真田昌幸:相分かった。一刻遅れて城に向かう。

(沼田城前)

矢沢三十郎:開門、我ら真田安房守の軍勢でござる。直ちに門を開けよ。

真田信繁:おかしいな(稲が姿を現す)姉上?

稲:(武装して、槍ドン)これより、一歩たりとも御通しする訳には参りませぬ。我が殿、真田伊豆守は徳川方、ならば徳川に歯向かう者はすべて敵でございます。お引き取りを。

昌幸:まあ、そう言うな。敵と言うても我ら・・・。

稲:(家臣に対し命令して)射かけよ!

信繁:待て!

昌幸:フッフッフ。さすがは徳川一の名将、本多平八郎の娘じゃ!源三郎は良い嫁をもろうたのう。

 やはり「真田丸」の稲も、槍ドンしてこれより一歩も通さないと言っていた。そうすると・・・「どう家」では、この稲姫ご活躍の有名な場面から逆算しての三代のお家芸だったのだろうか?だとしたら、面白い。

 「どう家」では、真田家の「犬伏の別れ」は描かれなかった。佐藤浩市パパだと息子二人との会話はどうだったのか、見たかったな。

 ところで、真田信繁(日向亘)と小早川秀秋(嘉島陸)の見分けがつかないのだが。ふたりともキャラが被り過ぎじゃないのか。二役?そんな訳ないか・・・と冗談を言いながら見ている。

 秀秋がなかなかのワルで、これまで見たことが無いタイプだ。しかし「どちらにも転べるようにしておけ」と言える人が、戦後、アル中になって命を縮めちゃうのか?違う死因が用意されているのかな。

阿茶を助けた寧々

 ちょっと気になったのが、前回終わりで大坂城西ノ丸で武装兵に囲まれてしまった阿茶局。助けに来たのが寧々の意を含んだ兵だった。あれは誰?寧々の兄の木下家の兵かな。「真田丸」では混乱のスキを突いて斉藤由貴がゆうゆうと脱出していたが。

 そして、寧々は優雅に茶をたてて阿茶をお出迎えだったが、寧々さんはいつ髪を下ろし出家したのかと疑問に思った。ドラマではまだのようだ。夫秀吉が死んだらすぐにも髪を下ろすのか?と思っていたら、違ったようだ。

 またウィキペディア先生(高台院 - Wikipedia)にお出まし願うと、寧々の落飾は1603年(慶長8年)。養母の死と、秀頼と千姫の婚儀を見届けてから、となっていた。関ヶ原の後で、家康が征夷大将軍になる年なんだね。徳川幕府が開かれ、ある意味豊臣政権に諦めがついたからの落飾、ということもあったのかな?

三成、茶々に踊らされる

 さてさてさて、前回で大谷吉継(今作ではかなり家康とも仲良し)を自陣に引き入れることに成功した石田三成は、「内府違いの条々」を送り奉行らを抑えて他大名らの味方を増やし、「逆賊、徳川家康を成敗いたす!」と高らかに宣言した。

 怖ーいのは、茶々。三成らと共に杯を割って見せ、やる気満々だった。

 茶々は「家康、動き出しました。こちらの思惑通りでございます」との三成の言葉に、「万事、手はず通りに進んでおるようだな」と言った。

 上田に秀忠が釘付けにされた件は「これで家康は本軍無し。我らは秀頼様と毛利殿の本軍をお迎えする」「これで兵力の差は歴然」とのことで、これらは手はず通りの進行だと分かる。

 岐阜城が福島正則に落ちるのも「手の内でござる」と島左近あたりが言ったのがちょっと分からなかったけど、西軍としては、当初は岐阜に東軍を集め、決戦に及びたかったのだろうか。それは「より大きな蜘蛛の巣をもうひとつ張っております」との三成の言葉でわかるように、計画変更になるらしいが。

 これに反応するように「関が原」と言ったのは、よくよく気をつけて見たら徳川方の本多忠勝の方だった。三成方の情報が入っているということか。

 それに「乗ってみるかな」と言える家康。歴史を知らなかったら恐ろしい決断に思えてしまう。

 茶々は「秀頼を戦に出す用意はある。必ず、家康の首を取れ!」と三成に厳命していた。あの、新たに見つかった大規模な城跡(名前が出てこない😅お城専門家の千田義博先生が小躍りしていた、アレです)に秀頼が陣を張ることになっていた、となるのか。茶々の意志があるとしたら、結局秀頼が出陣できなかった理由はどう描くのだろう。

 この「どう家」では、茶々が、家康を片付けるためのグランドデザインを描いているらしいが、傍らに目を泳がせる毛利輝元が控えているのが意味深だ。「どう家」なりの関ヶ原、成り行きを次回、じっくり見定めよう。

(敬称略)