黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

【どうする家康】#43 みんな知ってる関ヶ原、じゃない

こんなに凛々しい小早川秀秋、見たこと無い

 NHK大河ドラマ「どうする家康」もいよいよの第43回「関ヶ原の戦い」が11/12に放送された。最近は関ヶ原の戦い周辺の研究が特に進展しているそうで、昔のドラマや映画で慣れ親しんできた戦いの様相は、まさに様変わりの勢いだそうな。

 そんな中での「どう家」だ。注目のひとりは何といっても小早川秀秋(嘉島陸)。お約束の家康からの「問い鉄砲」はどうした?無いじゃないか。

 ドラマの秀秋は、家臣に徳川方に付いたと言いふらされていると聞かされても「気にするな。戦の成り行きのみを見極めよ」と冷静さを発揮。家康が桃配山から陣を進めた絶好タイミングを見て取ってから凛々しく采配を振るい、大谷軍を攻めよと命じた。

 これが金吾殿?はーっ、こんな彼を見たことは無い。若いのに立派な策士じゃないか。

 小早川秀秋は西軍敗退の最大の裏切り者とされてきた。浅利陽介が2回も大河ドラマではヘナヘナといい感じに演じていたし(たぶん「軍師官兵衛」と「真田丸」)、映画「関ヶ原」でも秀秋(東出昌大)は優柔不断の腰抜けの極みでオロオロし、結局は家老が土壇場で東方と決めちゃう情けなさだ。

 今後のドラマや映画では、「どう家」タイプの秀秋に寄せていくことになるのだろうか。

 ドラマを見るばかりでは史学上の新説なのかドラマ上の独自設定なのかがよく分からず太刀打ちできないので、考え方の拠り所にしようと『歴史街道』11月号を、特集「新・関ケ原」目当てで購入した。

 この類は楽しすぎて時間食いになるのであまり買わないようにしているが、今回はまあいいか。内容にはあまり触れないが、従来の関ヶ原合戦の研究が基礎としていたのは旧陸軍参謀本部が編纂した『日本戦史』と、徳富蘇峰の『近世日本国民史』による事実関係だとのことで(15頁)、それじゃあ既に令和にもなり、議論の余地はたくさんありそうだ。更なる研究の進展が楽しみだ。

 そうそう、ちょうど小早川秀秋を取り上げた「英雄たちの選択」で、磯田道史先生が、歴史を見る時に勝者・敗者だけじゃなく滅亡者の視点を持てと仰っていた。(小早川秀秋の関ヶ原 〜裏切り者か?心優しき若き武将か?〜 - 英雄たちの選択 - NHK

 歴史は勝者のものと言う。しかし、敗者も生きてさえいればなんだかんだと言い訳を連ね、後世に名誉挽回さえ叶うことがある。毛利だって、関ヶ原で負けても明治維新では勝者になった。

 しかし、滅亡者の場合はそうはいかない。死人に口なし、言われ放題、改竄され放題でも誰も庇ってくれないのだ。金吾殿はいい例では?

 となると、西軍の怨霊に悩まされ戦から2年後に21歳で酒浸りで死んだとの有名な話は、ドラマでは違う展開になってくるか?彼が生きていては都合の悪い誰かに殺され、彼にまつわる歴史も改竄されたか?さてさて、どう描くのだろう。

幻の秀頼出馬、陣は玉城?

 さらに話を進める前に、あらすじを公式サイトから引用させていただく。

秀忠(森崎ウィン)率いる主力軍が来ない。真田の罠にはまってしまったのだ。西軍に圧倒的に数で劣る家康(松本潤)は、野戦での勝負を決断。決戦の地に関ヶ原を選ぶ。そして大量の密書をばらまき、敵に切り崩しを仕掛ける。優位に立つ三成(中村七之助)は呼応するように兵を進め、両軍合わせ15万が集結、天下分け目の大戦が始まる!一方、大坂では家康の調略に動揺する毛利輝元(吹越満)に、茶々(北川景子)は不満を募らせる。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 毛利と言えば、空弁当かと思っていたが・・・「吉川様、動きませぬ」「何をしておられるのか」「腹ごしらえをしておるとか」「なにをー!?(怒)」と出陣しない言い訳の話だけかと思ったら、今回のドラマでは吉川広家の兵がガッツリ美味しそうなお握りやらのお弁当を実食し「ゆっくり食えよ~」と広家が兵に命じていた。

 ここは従来の説通りか、広家が動かないことで長宗我部盛親の軍も毛利秀元の軍もつかえて動けず、大軍が無力化された。

 また、大坂にいる毛利輝元。広家が家康と勝手に結んでいる事実を知って「この戦、勝てば我らの天下も夢ではないというに・・・」と悔しがり、さらに家康が「小早川は徳川方と言いふらせ」と命じたせいで、「小早川も家康と手を結んだ」と輝元も信じ、毛利は封じ込められた。その結果、輝元は大坂を動かず、一緒に動くはずの秀頼の出馬が無くなった。

 事程左様に家康の調略はうまく運んだ。なぜこんなにも吉川広家が東軍に従順だったのか、そこら辺の彼への調略具合をもうちょっとドラマで描いてほしかった気もする。

 さて、今作の茶々は秀頼の出馬に積極的で、大坂城に居座る毛利輝元が一向に出陣しないことにイラ立っていた。

 秀頼が、もし西軍総大将の輝元と共に関ヶ原に御出ましとなったらどこに?と考えていたが、ここならぴったりじゃないかと思う場所を「歴史探偵」で紹介していた。大谷吉継陣所からさらに奥にある「玉城」だ。(VR関ヶ原 西軍・幻の大作戦 - 歴史探偵 - NHK)と(「関ヶ原の戦い」 - 歴史探偵 - NHK)なんと、例の関ヶ原合戦図屏風にもそれらしき山城の陣は描かれていた。

 この城跡は「岐阜県不破郡関ケ原町玉」にあって、地区名は「玉」だという。どうして玉?と思ったら、ちゃんと関ケ原観光協会の「関ケ原観光ガイド」に説明があった。(東海自然歩道で巡る玉倉部の史跡 | 特集・モデルコース | 関ケ原観光ガイド (sekigahara1600.com)

 「玉」の名で、もしやそういうこと?と勝手に期待を膨らませたが、残念ながら秀頼には関係が無かった。佐竹氏が築いたとのことで、石田三成や大谷吉継が新たに築いたわけではなかったが、立地は抜群、関ヶ原の戦いの際に再度整備されて利用されたとしてもおかしくはなさそうだ。

 ただ、まだ玉城については歴史家の間で賛否両論あるようだが、想像すると東軍への視覚効果はすごい。正面の玉城を頂点に、西軍が両翼を広げたように東軍を囲む図(鶴翼の陣と言っちゃっていいのかな?)に見えるのではないか。東軍が関ケ原にいざ進軍してきて、大谷勢の背後の山城に豊臣の旗がたなびいていたら。自軍が鶴翼の陣にすっぽりハマっていると知ったら。豊臣恩顧の大名は、間違いなく心理的に追い込まれるだろうな。

 そうなる前に、家康は開戦したのかな。秀忠も待たずに。

 地図をまじまじと見ていると、西軍が玉城を頂点にそういう形に持って行きたいと考えても不思議ではないと思えてくる。それどころか、その方が自然じゃない?とも思う。が、ドラマでは秀頼出馬には至らなかった。そのため今回も西軍敗北。残念でした。

強烈な女の関ヶ原、茶々 vs. 阿茶局

 茶々が秀頼をかなり参戦させたがっていたので、どうした経緯で不可になるのかと見ていたら、やっぱり毛利のせい。とぼけた輝元には茶々様の裏拳がスパーンと炸裂!あれはリアルで叩かれた吹越満は痛かったはず・・・本当にあれが北川景子なのか?と目を凝らして見たぐらいの熱演だった。

 その茶々とやり合った阿茶局(松本若菜)も、負けていないぐらいの怖さ全開。寧々の庇護のもと騒動の中を大坂城から命からがら脱出してきて、いったいどこにあの美々しい彼女用の裃を隠していたものかと思うけれど、相変わらず髪をてっぺんできりりと結い、艶やかな裃姿で茶々に相対した。

阿茶:お目通り叶い、恐悦至極に存じまする。

茶々:徳川殿の御側室がこのような所に乗り込んでこられるとは、なんと豪胆な。毛利に見つかったら捕まってしまいますぞ。

阿茶:その時は、命を絶つ覚悟であります。

茶々:話とは?

阿茶:要らぬお世話とは存じましたが、北政所様も同じお考えであらせられるもので・・・秀頼様におかれましては、この戦にお関わりにならぬが宜しいかと。徳川の調略はかなり深くまで進んでおり、既に勝負も決する頃合いかと。毛利殿が未だご出陣なさらぬのがその証。我が殿は信用できるお方。秀頼様を大切にお守りいたしますので、どうぞお身を徳川にお預けくださいませ

茶々:それは・・・過ぎたる物言いじゃ。身の程を弁えよ!!(護衛の家来が一斉に阿茶に対して刃を向ける)

片桐且元:お控えなされ!

茶々:(気を取り直して)ハハ、なかなかハッタリがうまいようじゃ。秀頼を案じてくれて、礼を言うぞ。

阿茶:どういたしまして

茶々:誠に不愉快なおなごよ。二度とお見えにならぬが宜しい。(笑顔で)帰り道には気をつけよ。

阿茶:ありがとうございます。(立ち去る)

茶々:(感情が高ぶり、叫ぶ)うああ!!・・・はあ・・・。

 こんな風に叫ぶ北川景子が信じられない。身の程を弁えろと言った茶々の官位はどれくらいだったかとネットで調べると、諸説ありながら、従五位下らしい。阿茶局は確か家康死後に従一位に上る人ではなかったか。今から見ると、本来はどちらが身の程を弁えなければならなかったのか・・・という話だな。

 その当時は圧倒的に力があった茶々とすれば、「どういたしまして」じゃなくて「申し訳ございません」だろう!となるが、北政所様の御使いとの触れ込みだから、且元は「お控えなされ」と刀を構えた家来どもに言った訳か。

家康の四男・忠吉はスルー、幼少期以来描かれず

 さて、井伊直政が合戦の大勢が決まってから徳川の鼻先をかすめて退却した「島津の退き口」で島津を追い、重傷を負った。「葵 徳川三代」では島津側まできっちり描かれた有名な逸話だ。「チェスト~!」と高い声で叫ぶ山口祐一郎の島津豊久がカッコ良かったな。

 今回のドラマでは、出陣前の井伊直政が急に昔に帰り「おいらを家来にして良かったでしょ?」「ああ」「おいらもでございます。取り立ててくださってありがとうございました」という家康との出会いの頃を思い出させる「おいら」呼びのやり取りがあった。それで、ああフラグ立ったね・・・と思ったが、直政とは今回でサヨナラっぽい。

 直政が島津の退き口で負傷後、家康自ら薬を塗ったとの逸話もあったように思うが、ドラマもそうだった。腕を怪我した設定だったが、直政の中の人の腕がずいぶんと細くて、これで「井伊の赤鬼」として勇名を轟かしたとはとても見えない。この上腕筋肉の優雅さは(中の人が演じた「青天を衝け」の)民部公子だ、と思った。

 井伊直政を舅とした家康四男の忠吉は、「どう家」では出てこずじまいだった。このドラマの直政はあまりにも小柄で少年らしいままだから、ただでさえ陣羽織や甲冑の中で体が泳いでいそうだと常から感じさせた。そうすると「彼を舅としても不自然に見えない大人の役者」を見つけるのが難しいだろう。子役しかいなくなっちゃいそうだ。

 司馬遼太郎原作の映画「関ヶ原」を再見したら、驚いたことに、快活に忠吉を演じていたのは「どう家」で緊張気味に真田信幸を演じている役者さん(吉村界人)だった。別人のよう。徳川四天王を舅とする役を演じる縁があるとは面白い。

 「関ヶ原」では、福島正則は前回伏見城で散った鳥居元忠が演じていたし、何しろ信長が主役の石田三成を演じている。三成を支える「犬」というか伊賀忍びを演じていたのは、瀬名だった。他にもちらほら「どう家」で知った顔が見えた。(役者の名前を書かないと「なんのこっちゃ?」となりそうだ。)

 関ケ原の戦いの先陣は、直政付き添いの上で忠吉に物見をさせるとの名目で実際は先駆けてしまい、先陣役の福島正則軍を制する形になって正則が憤慨したと記憶していて、映画でもそう描かれていたようだったが、そこらへんも「どう家」では忠吉がいなかった。

 この先陣争い自体も、現在は疑問視されているそうな。だとするとドラマで忠吉が出てこなくても仕方ない。於愛のもう一人の息子は、今後出る予定もなく没するのだろうか。信康の元妻・五徳(秀吉の側室になっていたそうな😢)は、忠吉に土地をあてがわれていなかったっけ。五徳のその後の運命もドラマでは語られないままだったね。

 忠吉に限らず、「どう家」では、家康の子どもの人生はその時々で急に浮かび上がることがあっても、基本的にはフォローされないので全体人数も分からない。最近は結城秀康と秀忠が出ているが、他は母子ともに人数が多すぎて大河では追えないか。神君クラスの大名ともなると、自分の子女といえど、つながりの希薄さはあんなもんが普通なのかもしれない。

 そういえば、信康同母妹の亀姫は元気かな?奥平に嫁いだままで、セリフの上でも全然出てこないのは寂しい。信康の遺児二人も全然出てこないし。女子どもに冷たい。

三成の言葉に揺らがない家康

 戦に敗れ、後ろ手に縛られながらも器用に座る三成と、家康対話の場面。三成に「御説ごもっとも」の呪いの言葉を浴びせられても、家康が動じることが無いのは、もう当たり前だろうと思えた。それは、家康の心の底に瀬名と信康がいることをこちらは知っているからだ。

 普通なら、動じるところだろう。かなり前の家康だったら、例えば三成と同世代の家康だったら、三成の言葉に「そうかもな」と揺さぶられてしまっていたかもしれない。

 でも、それだけ家康は成長したのだ。もう見ていて心配することも無い。力不足で多くの家臣を失ってきて、さらに最愛の妻子を助けられず処分するという、三成の考え及ばない苦汁をなめて犠牲を払ってきたからこそ、既に三成の手が届かないところに家康は到達している。それでもやらねば、と思えるのだ。

家康:戦無き世に出会いたかった。さすれば、無二の友となれたはず。このようなことになったのは、行き違いが生んだ不幸。甚だ残念である。

三成:さにあらず。これは、豊臣の天下のために成したること。その志、今もって微塵も揺らいでおりませぬ!

家康:何がそなたを変えた。共に星を眺め語り合ったそなたは、確かにわしと同じ夢を見ていた。これから共に、戦無き世を作っていくものと思っておった。それがなぜ。なぜこのような無益な戦を引き起こした?死人は8千を超える。未曾有の悲惨な戦ぞ!何がそなたを変えてしまったんじゃ?わしは、その正体が知りたい。

三成:フフフフ・・・ハッハッハッハッハ。思い上がりも甚だしい!私は変わっておりませぬ。この私の内にも、戦乱を求むる心が確かにあっただけの事。一度火が付けば、もう止められぬ恐ろしい火種が。それは誰の心にもある。ご自分に無いとお思いか?うぬぼれるな!この悲惨な戦を引き起こしたのは私であり、あなただ。そして、その乱世を生き延びるあなたこそ、戦乱を求むる者!戦無き世など成せぬ。まやかしの夢を語るな。

家康:それでも、わしはやらねばならぬ。(睨む三成に一瞥をくれて立ち去る)

 家康と三成は元々志をシェアしてはいなかっただけのこと。乱世しか知らないからこその「戦無き世など成せぬ」の三成の思考だったかもしれず、家康の思い違いだった。

 その点では、家康だって生まれてこの方乱世しか知らないのだから、むしろ家康の方がおかしな存在であり、「まやかしの夢を語るな」と言われてもおかしくない。瀬名さえいなければ・・・。

 しかし、松潤と七之助は、戦無き世に出会って無二の友となったか。七之助の、顔の表情筋が凄い。歌舞伎役者の底力を感じる。

先走ってロスになりそう

 一緒に歩んできた家臣にとっても、家康は高みへと昇り、手の届かない存在となってきていたのは同じかもしれない。

 四天王のうち、「天下をお取りなされ」と言い置いて既に没した酒井忠次、そして今回「ついにやりましたな!天下を取りましたな!信長にも秀吉にもできなかったことを、殿がおやりになる。これから先が楽しみだ」と言って早世する井伊直政。残るはふたり、本多忠勝と榊原康政だ。

 予告を見た限りでは、次回でふたりともお別れか。人生のエネルギーを殿のために使い切って退場していくか。何と激しく消耗する人生を歩んでいたのだろう。忠勝は57回も戦場に赴くなど、現代では考えられないくらい心身を酷使して。

 体だけでなく、きっと心も酷使したと思うのだ。戦国武将とはいえ、殺戮に「無」の境地でずっといられるとは思わない。

 初期から出ていたふたりが去ると思うと寂しい。そうだ、お葉もそろそろ亡くなるはず。江戸城にいるらしいから、あと1回ぐらい出てくれないかな。彼女の人生の締めくくりが見てみたい。きっと見事なものだろう。

 家康にはまだ阿茶、本多正信がいる。渡辺守綱もいたね。そろそろ今川氏真も織田信雄も帰ってくるか。ウィリアムアダムズもいるもんね。そうだった、秀忠夫妻には家光が生まれるし、語り部の春日局ご本人がもう出てきても良いはずだ。

 最終回の48回まで、残り5回のラストスパート。先走って寂しがっている暇はないかな。

(ほぼ敬称略)