黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

【光る君へ】#6 道長、まひろに畳みかける恋の歌~ヒューヒュー!

見てる側もドキドキだよ

 NHK大河ドラマ「光る君へ」第6回「二人の才女」が2/11に放送された。時季は丁度バレンタイン前じゃないか、ここで燃え上がる恋心をね・・・NHKもやりますよ!ということで、公式サイトからあらすじを引用させていただく。

(6)二人の才女

初回放送日: 2024年2月11日

まひろ(吉高由里子)は道長(柄本佑)と距離を取るため、そのライバルの左大臣家で間者を続けることを決断。一方、道長は道兼(玉置玲央)の口から、まひろの母の事件をもみ消したのが兼家(段田安則)であることを知り、一家が背負う闇の深さに戦りつを受ける。そんな中、宮中で勢いを増す義懐(高橋光臣)一派に対抗するため、道隆(井浦新)は若い貴族たちを招いて漢詩の会を催すことに。参加を申し出たまひろだったが…((6)二人の才女 - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK

 まずは道長の兄道隆が主催する漢詩の会。ここには学者として招かれた為時のお供としてまひろが参上した。弟惟規が尻込みして逃げたので(大丈夫か弟)。

 その参加について、まひろは父親の心をうまーく刺激していた。言ったのは「ぜひ父上の晴れ姿拝見しとうございます」だったんだけどね・・・今回は、左大臣家のサロン参加継続の理由でも為時を感心させていたが、既に数え15歳にして父親を掌で転がすなんざ大したものだ。

 今、15歳と書いたが、前回ブログまでは、ドラマの時代考証担当の倉本一宏著「紫式部と藤原道長」の巻末の略年表にある天延元年(973年)生まれに従い、永観二年(984年)のまひろを「数え12歳」と書いていた。それが、諸説ある中、NHKの今回のドラマでは970年生まれを採用したと知ったので、今回からは970年生まれへ転換したい。

 こちらの記事によると、NHKの「光る君へ」のガイドブックにまひろは970年生まれと書いてあるそうだ。

asa-dora.com

 そうだよね・・・まひろがまだ数え12歳じゃ(つまり満11歳)、どうしても道長19歳との恋の話は進めづらい。見ている側の現代の価値観が邪魔をして「いいのかな~」とすっきり応援できない気分が残る。

 数え15-16歳だってどうなの?という声はあろうけれども、相手がオッサンじゃなくて19-20歳だからギリ若者同士の恋として今の価値観でもOKじゃないか。その点も考慮して、NHKは970年生まれに主人公を設定したんだと思う。

 さて、漢詩の会に話を戻す。世は寛和元年(985年)となり、まひろは数え16歳とますますこちらがホッとする年齢になり、父のお供で道隆の家での漢詩の会に参加した。漢詩が苦手だから遠慮するみたいなことを言っていた道長はやっぱり登場、彼抜きでのF4は有り得ない。

 ここで、遅れて入ってきた道長と、まひろは視線を交わしてハッとするんだね・・・会の最中だから無言なのがもどかしい。だけれど道長、やってくれました!

 漢詩については詳しくないので(いや、他も詳しくないけど)、現代語訳がご本人たちのナレーションで入ってくれたのが助かった。道長の選んだ詩はこうだった。これを父為時が詠みあげるというね・・・もう、まひろはどうしていいかわからないシチュエーションだ。

下賜の酒は十分あるが 君をおいて誰と飲もうか

宮中の菊花を手に満たして私は ひとり 君を思う

君を思いながら 菊の傍らに立って

一日中 君が作った菊花の詩を吟じ むなしく過ごした

 素人には、まひろを想う恋の歌にしか聞こえなかった。まひろにもそう聞こえたはず。朗詠される間の吉高由里子の表情が物語っている。でも、その場にいる他の人たちにはそう聞こえず二人だけが気持ちを通わせているという、ウルトラうまい設定だ。

 「道長殿もお見送りを」「道長殿?」とせっつかれなかったら、道長は何か言葉をまひろに掛けていたのかな・・・いや、隣にききょうがいるもんねえ、無理だったよね。視線だけを交わすふたり。これがまた、もどかしさを増したシーンだった。

 漢詩に限らず、和歌やら当時の古典の素養のある方たちのネットでの解説が頼りになる。読むと、本当に勉強になる。それを素人なりに乱暴にまとめると(間違ってるかも😅)、道長の漢詩にある「君」こそが、ききょうの言った「白楽天の無二の親友だった元微之(げんびし)」であり、この詩は彼のことを白楽天が詠んだものだったらしい。

 そして、ハツラツと発言していたききょう(ファーストサマーウイカが良い味、後の清少納言)の言葉を聞いた時の、道隆の妻高階貴子のニッコリ微笑みが意味深。貴子の漢籍の素養は実家の関係で大したものらしく、将来の定子の女房としてききょうに唾つけた、ということなんだろう。

 後に、白楽天と元微之の関係は、ロバート秋山演じる実資と道長との関係になぞらえられるらしい(実資に可愛がられてたはずの道長の方が、すいすい出世していったので)。実資の書いた「小右記」に道長の有名な望月の歌が記録されていることは知られている。

 この漢詩の会で、ききょうが良いと言った斉信の選んだ漢詩の一節も気になった。「酒をなみなみと注いでくれ。早くしないと花が散ってしまう・・・」。

 なんと縁起の悪い。まさに斉信の一族が頼りとする女御の妹の命は散ろうとしていたのに。「お隠れに(死んだ)」と聞いた花山天皇は、被り物もせずに(つまり現代ではパンツいっちょの感覚らしい)寝所から飛び出てきたほど慌て、哀れだった。

 ずっとセリフ無しだった井上咲良は、お隠れの前にセリフがあって良かった。お兄ちゃん、瀕死の妹を前に出世の話ばかりで鬼だったけどな(はんにゃだけにw)。

恋文キターーーーーー

 そして!とうとう!道長からの文がまひろのもとに届けられた。

ちはやぶる神の斎垣(いがき)も越えぬべし

恋しき人のみまく欲しさに

 なんと直球な・・・恋しい人に会いたくて神聖な斎垣も越えちゃいそうって、これは、まひろも恋文を思わず胸に抱くよね。

 確か「源氏物語」で六条御息所が娘の斎宮に付いて伊勢に下る前に、光源氏は精進潔斎の場にも関わらず彼女に会いに行って、この伊勢物語の本歌を踏まえて斎垣も越えるとか何とか会話していた。

 この場面の道長の気持ちは、源氏のあの場面をまざまざと思い出させたが・・・何だっけ、野々宮詣で・・・確認したところ「賢木」の巻だった。

【源氏物語】【賢木 02】源氏、野宮に六条御息所を訪ねる【原文・現代語訳・朗読】

 解説の部分に「斎垣も越えはべりにけれ 『ちはやぶる神の斎垣も越えぬべし大宮人の見まくほしさに』(伊勢物語七十一段)。『ちはやぶる神の斎垣も越えぬべし今はわが名の惜しけくもなし』(拾遺・恋四 人麿)などをふまえる」とある。

 道長の歌は伊勢物語の本歌取りだけれど、気持ちで言ったら後者の歌の方が近そう。これは万葉集?

 ドラマの道長とまひろの関係で言えば、越えなければならない「斎垣」は仇同士ということ。まひろの母を道長の兄が殺した、その忌まわしい重い鎖の関係を越えても「恋しき人」って・・・ヒューヒュー(古い)言いつつ、次回の展開をおとなしく待つか。

 ただ、まひろは道長から離れることを心に決めていた。さて次回、どうなるのか。

道長から離れるために、まひろが決めたこと

 まひろが「紫式部」へとなるために動き始めた兆しのような描写も、今回は見られた。984年も暮れのこと、道長が道兼に一族の闇を突きつけられ慄然としていた頃のことだ。

 (そういえば、道長が道兼の殺人を忘れるとずいぶん簡単に言っていたように見えて、「どうして?」と疑問だった。もっと引っ張るかと思った。道長も、この時には「まひろのことを思い切るしかない」と考えていたのだろうか。)

まひろ:(心の声)私は道長様から遠ざからなければならない。そのためには、何かをしなければ・・・この命に、使命を持たせなければ

 この三段論法が、どうもしっくり来なかった。なぜそうなるか?と。

 「道長から遠ざからなければ」の次に「何かをしなければ」と来たら、どこか具体的に彼から離れるような手段を講じる話かと思った。例えば、父に受領になってもらって地方に下り、同行することで物理的に彼から離れるか。または、心理的距離を取るために、あえて誰かと結婚してしまうか。ますます左大臣家ベッタリになるのもそうだろう。

 しかし、そうじゃないみたい。「何かをしなければ」の後に続くのは「この命に使命を持たせなければ」なのだ。使命を与えられれば、本当の望みを手放すこともできるということか・・・つまり使命とは、自分を支える「人生の拠り所」になる何かのことだよね。

 まひろの場合、自分の心の奥底を素直に見つめれば、真の望みは、言葉と裏腹に「道長と共にあること」だと理解していそう。それを悲しく諦める、その代わりに欲しいのは自分を奮い立たせる何か、ということか。

 さて、その後、散楽一座の出し物の台本を書く気になったまひろ。五節の舞で倒れた舞姫の話(自分のことじゃんね)はどうかと振られて、「じゃあ、こういうのはどう?」と直秀ら一座に考えた話の筋を伝えるが、一座には受けない。そして言われてしまう。

直秀:大体、その話のどこがおもしろいんだ。散楽を見に来る民は皆、貧しくカツカツで生きてる。だから笑いたいんだよ。笑って辛さを忘れたくて辻に集まるんだ。下々の世界では、おかしきことこそめでたけれ。お前の話は全く笑えない。所詮、貴族の戯言だ。

まひろ:・・・ん~笑える話。今度、考えてみるわ。じゃあね、稽古頑張って。

 これでまひろは、自分が好きなように書くだけではなく、受け手を楽しませるというプロ意識を持って、作家として歩みを進めることになるのだろうか?「源氏物語」を書く大作家への第一歩かな。

思惑入り乱れ、道長は婿入りへ?

 左大臣家の姫・倫子は、サロンにてまだ馴染めない振舞いをするまひろも排除せず、温かく接する。まひろの話を聞いて「苦手なものを克服するのも大変ですから、苦手は苦手ということでまいりましょうか」と声を掛け、「内裏でのお仕事は鈍いくらいでないとね」と父・左大臣を引き合いにやんわり教育する。サロンの女主人として、なかなか賢い。

 やはり、猫を追いかけたのは右大臣・兼家の目に留まるよう、わざとだったかな(そもそも、上級貴族の姫が、邸内とはいえ人前にて走る!なんて有り得ないとは思うが、ドラマだし)。

 倫子の思惑通り、兼家は道長に「左大臣家の一の姫はどうだ」と言い、婿入りを勧めた。兼家も、左大臣家と結び付くことができれば何かと都合がいいからだ。

 そして、同じく左大臣家への婿入りを道長に勧めた人がいた。「私には裏の手がありますゆえ」と前回、兄の道隆に啖呵を切っていた姉の詮子だ。やはり詮子が意志を持って動き出した。

 彼女は左大臣源雅信を呼び出した(ふたりの間に存在するはずの、女御様の前の御簾はどこに行った)。

 そうそう、この時、「東宮様をあちらへお連れ申せ」と詮子に言われて「さあ、参りましょう」と東宮を誘ったのが乳母の藤原繁子。詮子の叔母、兼家の妹に当たる人物だ。

 この繁子さん、なんと道兼の妻だと公式サイトに書いてあったので仰天した。道兼の妻にしては・・・老けているよね。父の妹だし(この時代の感覚では同母でなければOKみたいだけど)。どういう経緯で妻になったのだろう。東宮様の乳母なんだから、道兼の思惑は推して知るべしだ。

 脱線した。東宮を去らせてからの、ストレートな詮子と源雅信との会話は見ものだった。

詮子:わざわざ局まで来ていただいて、済まぬことです。

源雅信:とんでもないことでございます。されど、女御様が私に御用とは何事かと存じました。

詮子:先の帝に毒を盛り、ご退位を促したのは我が父であること、ご存知でしたか?

雅信:そ・・・それはさすがに、それは有り得ぬと存じますが。

詮子:ご退位の直前に帝ご自身がそう仰せになったのです。間違いありません。私はもう父を信じることは出来なくなりました。都合が悪ければ私とて懐仁とて手にかけるやもしれませぬ。

雅信:それはございませんでしょう。

詮子:危ないので、表立って父に逆らうことはしません。されど、私は父とは違う力が欲しいのです。もうお判りでしょう。(困った顔をしている雅信)もう私の言葉を聞いてしまった以上、後には引けませんよ。覚悟をお決めなさい。(膝を進めて)末永く東宮と私の力となること、ここでお誓いなさい。・・・さもなくば父に申します。左大臣様から、源と手を組まぬかとお誘いがあったと。

雅信:そのような理不尽な・・・。

詮子:私は父が嫌いです。されど父の娘ですゆえ、父に似ております。

雅信:・・・私なりに、東宮様をお支え致したいと存じまする。

詮子:ああ・・・(一段降りて、まさかの雅信の手を取って!)有難き御言葉。生涯忘れませぬ。(手を放して)ところで、左大臣様の一の姫はおいくつですの?

雅信:22でございます。

詮子:殿御からの文が絶えぬそうではありませぬか。

雅信:いや・・・それが全く関心を示しませんで、殿御を好きではないのではないかと妻とよく話をしておりますが・・・。

詮子:そうですか・・・私のように入内して辛酸を舐めるよりはよろしいかもしれませぬ。

(雅信退出、道長がやってくる)

詮子:ああ道長、やっと会えたわね。お前、左大臣家に婿入りしなさい。

道長:は?

詮子:評判の姫らしいわよ。年は少し上だけど、それもまた味があるわ。

道長:味・・・何でございますか?それは。

詮子:フフフ。私の言うことに間違いはないから。いいわね。

道長:(無言)

 詮子がこんなにもあからさまな手段に出るとは思っていなかったが、彼女はただ父にやられて打ちひしがれている人間ではなかった。

 大きな不安を抱えていただろうに、それを逆手に取り、父に匹敵する左大臣に目をつけて自分の力の源にしてしまおうと考えるだけでも凄いが、奥方やらの女同士の関係を頼っての裏から手を回すのではなく、表立っての乾坤一擲の直談判で左大臣にYESと言わせてしまった。いやはや。

 倫子が自ら蒔いた種も少しはあるにせよ、お気の毒にも、左大臣家は右大臣家の内部闘争に巻き込まれるのが決まってしまった。逃げ場は無かったね。

 詮子(吉田羊)が「父に似ております」と言った時、確かに表情まで段田安則がちらついた。確かに顔の系統は、よくよく見るときょうだいの中で一番兼家に似ていた。そして思考も兼家張り。皮肉にも、道隆・道兼・道長の三兄弟よりも一番父の血を色濃く受け継いでいたらしい。

 そして、道長は完全に「何の話?」状態で自分の婿入り先が決まった。今は、まひろのことで頭がいっぱいなのにねー。貴族の結婚なんぞ、そんなもんだろうが、彼も源雅信もお気の毒。

(敬称略)