黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

危険な「私が助けてあげる」

被害者のことを考えさせられたことが先週ふたつあった。
 
まず、ドラマ。9月2日の午後9時から、フジテレビ系列で夏樹静子原作「検事・霞夕子~無関係な死~猟銃に撃たれた老人・痴漢に間違えられた男…2つの事故に疑惑が生じた時女たちの運命が変わる…!」というサブタイトルのついたサスペンスドラマが放送された。
 
ネタバレしてしまうと(録画をまだ見てない人ごめんなさい)、2つの過失致死として処理された「事故」が実は交換殺人であり、「事件」でしたということなのだが、顛末を見て、それはないよ、とガクッと力が抜けたDV被害者の支援者が多くおられるのではないだろうか。
 
手塚里美演じる主婦は、DVを夫から受けていた。いしのようこ演じる実業家は、経営するショップのブログでDV相談を受けており、そこに手塚里美も相談メールを送っていた。ふたりのやりとりがネット上に残されており、それを霞検事が後から見ることになるのだが、手塚里美の夫がいしのようこの手によって、痴漢に間違えたとして突き飛ばされ、「事故死」する直前まで書き込みは続いていた。「私が助けてあげる」がいしのようこ側の事故前の最後の書き込みだったように思う。
 
「助けてあげる」って…それって一番支援者としてダメダメなんだけど、と実際に被害者支援をされている方たちは思ったのでは?支援者は、あくまで横から支えるだけであって、スーパーマンのように助ける救援者になってはいけない…被害者が自ら立ち上がる力を削いではいけないからだと、私は習った。これってごく基本的なことのはずだ。
 
だから、いしのようこの役のように、数多くのDV相談を受けているような立場の人が、そんなスーパーウーマン的救援者を演じるような過ちを犯してしまう設定は困るなあと思った。しかも、その救援手段が犯罪ときては、開いた口がふさがらない。実際のDV被害者支援に携わっている者が、いしのようこと似たり寄ったりではないかと世間が疑わないだろうか。
 
だいたい、手塚里美の主婦のケースは特別ひどいDV被害という訳ではないように見えた。そうすると、いしのようこは、たくさんのDV相談を受ける中で、いったい何件の「事故」をこれまで重ねてきてしまっているのか。彼女自身も、DVを受けていた過去を持つのだと背中の傷は示していたが、被害者だから復讐する動機があり、その復讐を実行したのが今回の事件であり、やりきれない気の毒なケースなのだというトーンたっぷりでドラマは終わった。
 
いつも思うのだが…被害者と加害者を同じ範疇に押し込めて語るのは何か違う。加害者は、自ら加害者になることを選んで一線を越えた人間だ。その一線を越えることに対しては、通常の社会で生きている人間には大きな躊躇があるものであって、被害者だからとドラマの中でそこを軽々と越えさせてしまうことには大きな違和感がある。加害者は一線を越えた人間。しかし、被害者は、たとえ多少は落ち度があったとしても(落ち度があれば攻撃していいというものでは決してないが)、普通の善良なる市民なのだ。
 
しかし、ドラマの中では大抵、加害者と被害者は画する一線もなく、事件の周りをうろうろと行ったり来たりさせられることが多くはないだろうか。犯罪を犯すって、一般市民にとってそんなに卑近なものか?そうじゃないだろう。
 
被害者になれば、復讐を考えることは何度もあるだろう。夢の中では何度でも加害者を殺しているかもしれない。でも、考えることと、実行することの差は大きい。実際の被害者の方たちは、社会に生きてきた善良な市民として、周囲への迷惑等々を考え、血の涙を流しながらも歯を食いしばって自らを抑え、社会的ルールで加害者が裁かれる道を望む人がほとんどだ。自分が生きてきた社会を信頼し、きっと適正に加害者を裁いてくれるとの期待もあるだろう。ドラマにあるように、軽々と私的復讐へと走る被害者ばかりと考えてもらっては困る。
 
いしのようこは、手塚里美演じる主婦を、シェルターに避難させれば良かったではないか。法に則って、きちんと離婚させ、円満に別れさせることは簡単なことではないけれども、それこそが、沢山の支援者が日々、スクラムを組んで、DV被害者のために情熱を傾けて粘り強くやっている本当のところだ。
 
それじゃ2時間ドラマにはならないって…?そう、きっと2時間では足りないし、主役は霞夕子ではないだろう。