黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

朝ドラでは描けない現実の危険

 書きたい話がたくさんたまっている。それなのに、何となく時間が無く、全然書けない。色々と盛り込んで下調べをしてから書こうと思うからいけないのかな…と思い、今回は単純にさっと書くことにした。
 
 少し前に放送されていた「シングルマザーズ」もそうだったが、最近のNHKの夜のドラマではDV問題が良く取り上げられていると思う。他にも目を向ければ、NHKだけでなくそういったドラマはあるし、目新しい物でもないということだろうとは思う。
 
 現在放送中の「いつか陽の当たる場所で」では、準主役の飯島直子は、過去にDV被害に耐えかねて夫を殺し、服役した経験があることになっている。また、第3回のストーリーでは、明らかに夫の暴力でできたアザをああだこうだと言い訳を作って否定する女性が出てきた。
 
 この2つのドラマは、火曜日午後10時枠での放送であり、少なくとも前者の「シングル―」は、DV被害者の支援者にもどうやらきちんとした取材を行っていたらしいとツイッターで見たり、人にも聞いた。そこで、その関わった支援者の努力により、非現実的な設定などは極力取り払われたらしい。
 
 さて、NHKドラマと言えば看板の朝の連続テレビ小説にも、DVは登場している。
 
 先週の「純と愛」では、主人公の勤務先同僚が、DV暴力夫から子供を連れて逃げて来たという設定だった。妻子を連れ帰ろうとした暴力夫に対して、弁護士・若村真由美が自分を一発殴らせ唇を切り、あんた執行猶予中だからこれで実刑だねフフフ…黙って妻子を置いて帰るなら訴えないであげてもいいわよどうする?的な対応でDV男を追い返す場面があった。
 
 そのシーンの前に、主人公は「それであなたは本当にいいんですか」といった形ばかりの正義感を、やむに已まれず夫に従って立ち去ろうとする妻に対しては口にしながら、DV夫を好きにさせるという結構大きな失態を犯していたので、「なんで?関西人はそんなにも警察を頼りにしないのか。DV夫に殺される妻がこんなに居るご時世なのに、甘く描き過ぎだろう」と非常に気になったが、こうやってドラマで描かれるDV夫の描き方が、どうも似たり寄ったりのタイプなのがちょっと前から私個人としては引っかかっている。
 
 背も声も大きく、粗雑そうで、いかにも乱暴者のイメージ。それがドラマで目にするDV加害者だ。主人公の純がホテル勤務の時に付きまとわれたストーカーもそうだった。
 
 そうそう、「純と愛」にも「梅ちゃん先生」にも、同じ役者さんがストーカーとして登場してませんでしたか?…中村昌也さんだとか。正確には、「梅ちゃん」では兄嫁になる人(静子さん)の幼馴染で、梅子がストーカー的存在(当時はストーカーなんて言葉はなかったわけだが)だと思った…といった感じだったが。
 
 先週、「純と愛」で登場したDV夫を見た時、私は思わず「また同じ役者さん?3度目?」と思ってしまったぐらい、今回のDV夫も中村さんが演じていた2つのキャラクターと印象が似ていた。これってどうなんだろうと思う。
 
 何度も何度も、同じようなタイプを登場させることで、視聴者には「こういうタイプがストーカーなんだ、DV男なんだ」という刷り込みになってしまわないだろうか。その心配はあるだろう。
 
 私が実際に法廷で見たDV加害者たちは、しかし、そんな絵に描いたような大男でも、強そうなタイプでもなかった。妻をDVの果てに殺した夫は、どちらかと言えばおとなしげで、細くて色白で。背も高くはなかった。上司や自分に良い印象を持ってもらいたい人たちには、むしろ弱々しいイメージを与えていたように思った。
 
 また、別件で、多分弁護人の意向によって若い女性ばかりが裁判員として選ばれていた裁判では、DVの挙句に妻への見せしめに子供を殺した夫は、多くの女性がだまされそうな、やさしげな美男子だった。
 
 だから、そういった公共放送の朝ドラが提供するイメージからほど遠いソフトタイプで腰の低い夫が、DVの結果逃げた妻の行方を捜している時に、役所の窓口職員がコロッと騙されて、妻の転居先を教えてしまった・・・なんてことも数年前に起きていたはずだ。
 
 DVを働くような、「釣った魚に餌はやらない」といった二面性のある人物は、外にはソフト、でも「釣った魚」に対しては暴力的な面を見せて支配しようとする。たまにはそれを緩めて「ごめんね」と下手に出ることがあっても、それは相手を言う通りにコントロールするための作戦だったりする。そんな「DV加害者の考え方」には、面白いように共通するルールがあることを、ここ数年NPO法人レジリエンス」の講座や書籍等で学び、また実際に法廷でも見てきた。
 
 しかし、キャラクター的には、似通った考え方とは反対に、「乱暴者との一言ではくくれない多様な加害者像」というものが存在し、それこそが社会に認識されるべきだろうと私は思っている。
 
 それなのに、朝ドラで繰り返されるステレオタイプのキャラ刷り込み…。
 
 「梅ちゃん先生」の時も感じたが、朝ドラでそもそもDVを登場させたのが間違いなのかもしれない。朝からそんなにドロドロとした話を掘り下げられるわけもなく、どうしたって話題作りにちょろっと描くことしかできない。だから、記号のように分かりやすく、イメージしやすいDV男が毎度登場することになり、DVの話も何だか軽く、単純に描かれて終わる。
 
 DVやストーカーは、そんなに空回りヒロインが無鉄砲に頑張るだけで解決できるような話ではなく、専門家の助けを借りなければ解決はおぼつかないような重い話だと思う。問題の深刻さを考えると、元気をもらいたいと視聴者が期待する朝ドラでは無理には扱わず、夜ドラでしっかり真実に近い姿を描く方がいいように思った。